Re. 山梨日日新聞掲載の写真撮影位置について
- 投稿No.3714 元投稿No.3713 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-11-09 21:19:05
文系ちゃんへ
次の目撃情報も参考にしてほしい。
「突然北方から飛んできた飛行機が村の上空で急旋回し、また北方へ行った。低空を飛んでいるので墜落すると思った。
「山梨県南都留郡秋山村(2005年に上野原町と合併して現上野原市)、藤本重則さん(37)
(読売新聞8月13日朝刊)
> 山梨日日新聞掲載の写真撮影位置についてですが、都留市中央1丁目での撮影だとして、事故調航跡とどれくらい距離的違いがあるものか、雑ながらも見当をつけてみました。
> どの方向にシフトさせるかにもよるのでしょうが、作図例でおよそ7km、推定としては、5~8kmのズレは認められるように思います。
> このことは撮影地点に至るまで また、それ以降の飛行の実態の考察に影響を与えるものであると考えています。
> ※ 資料中 中山湖→山中湖
> https://imepic.jp/20241103/646540
Re.(3) 『隠された遺体』感想(その5)
- 投稿No.3687 元投稿No.3685 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-10-22 21:44:02
九州人さんへ
情報ありがとうございます。
平行徳(平幸紀)という人物を擁護しようとしているのではありません。
ただ、A女史の主張について、
「事故調の説には無理があるように感じますが、A女史の説も違うんじゃない・・・」
普通の人が少し考えただけで論理的な矛盾をはっきりと感じてしまうような説を支持しながら裁判に臨まれるのは無謀と思うだけです。
> 平行徳という人物を蒲田警察署が楽器盗難で逮捕したということと、偽物パイロットとして掲示板に平幸紀名で書き込みしていたのは事実です。またここの掲示板で出禁になった人物と書き込みのやり取りを行い、クラウドファンディング詐欺で彼等を騙したことも事実です。
> ただ、河出書房に本の内容否定のために文句を言いに行った人物と同一人物かは定かではありません。彼は当時奈良県に在住で、わざわざ東京に出てきて河出書房に行ったのかは疑問です。確か奈良県在住時期に捕まり、後に東京に出てきて羽田の近くで働いていたのは事実のようです。日航から雇われていたかも証拠がありません。
Re.(2) 『隠された遺体』感想(その5)
- 投稿No.3686 元投稿No.3682 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-10-22 21:28:56
玉ノ井重孝さんへ
ご意見ありがとうございます。
ごもっともですね。
遊園地の中における絶叫マシーンにおける女性の絶叫の声が遊園地内に響きわたるのなら理解できるのですが・・・
『平幸紀』さんは検証の方法として、空港に駐機にある航空機の客室内で起きた肉声から発せられた絶叫がどの程度離れた場所まで聞こえるのかを実証してみれば、小林美保子氏の目撃談の信憑性が知れるというもの、と記しておられたかと記憶しています。確か客室内で発せられた声が如何に大きくてもそこから100メートル~200メートル離れただけで何も聞こえて来ないはず、と断定されていたかと・・・。(これは実証出来ることですね)
私はそれに加えてやはりA女史から見て仲間であった生存者落合由美氏の手記の中に、次の一節があるのですが、
「子供の声が聞こえました。「おかあさーん」という声。大きくはなかったのですが、短い叫びのような声でした。大人のお客様は叫んだり、悲鳴をあげたりすることはありませんでした。声も出なかったのかもしれません。不安と緊張の機内でした。
救命胴衣をつけ終わるまでに五、六分かかりました。つけ終わっ方は、となりの方を手伝ったりしていました。救命胴衣をつけているあいだに、スチュワーデスの声でアナウンスがあったのです。正確には覚えていませんが、「急に着陸することが考えられますから」というような内容です。それと、「管制塔からの交信はキャッチできています」とも言っていました。私の想像では、二階席のアシスタント・パーサーが操縦室に入って、様子を聞いてきたのではないかと思います。落着いた声でした。
揺れはいっそう大きくなりました。もう立っていることはできないほどです。
救命胴衣をつけ終わってすぐに、ほとんどいっせいに安全姿勢をとりました。そのときには、眼鏡をはずしたり、先のとがったものは座席ポケットにしまったりとか、上着があれば、衝撃の際の保護になるように着用してください、と指示するのですが、そんな時間的余裕はありませんでした。
私は「56C」にもどりました。L5のスチュワーデスは通路をはさんでふたつうしろの空席に座りました。安全姿勢は、頭を下げ、膝の中に入れて、足首をつかむんです。うしろのスチュワーデスも私も、席に座って大声で何度も言いました。「足首をつかんで、頭を膝の中に入れる!」「全身緊張!」。全身を緊張させるのは、衝撃にそなえるためです。こういうときは、「・・・してください」とは言いません。
お相撲さんや、妊娠してお腹の大きい女性の場合、腰をかがめるのは苦痛ですから、逆に背中を伸ばして、脚でしっかり床を踏み、椅子の背に上体を押しつける安全姿勢のとり方があるのですが、このときにはそういう姿勢をしているお客様はいませんでした。
安全姿勢をとる直前、私はとなりのKさんに言いました。「緊急着陸して、私がもし動けなかったら、うしろのL5のドアを開けて、お客様をにがしてやってください」と。Kさんは「任せておいてください」と、とても冷静な声で言いました。Kさんと言葉をかわしたのは、これが最後です。
そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。」
落合由美さんの証言からは、窓の外のやや下方に富士山が見える手前の段階で、女性による機外まで届くような絶叫の声が上がっていたとはどうしても思えないのです。
(静岡県藤枝で低空飛行する事故機が目撃されたというのなら、間違いなく窓の外のやや下方に富士山が見える手前の段階となるはず)
また、墜落にも近いような急降下~富士山上空への急上昇の中で客室乗務員によって酸素マスクやライフベストの装着指導が行われたとも考えられないのです。
> 『せきたに』様へ。
> 順序としては、以下のようになるかと思います。
> (順序1)階段を下りている最中 → 近づいてくる機体の爆音が聞こえた。
> (順序2)階段を下りて外に出た瞬間 → すさまじい女性の金切り声のような音を聞いた。
> (順序3)驚いて頭上を見上げる → 目の前にジャンボジェット機が見えた。
> (順序4)機体が遠ざかるまで、爆音が聞こえ続けた。
> ◎「小林美保子」氏は、機体の爆音について、どのように述べているのか?
> ◎外に出た時に聞こえた、この音は、間違いなく「頭上から(機体の方から)聞こえた」のか?
> ◎この音は、間違いなく「女性の金切り声」なのか?
> ◎それとも、「動物の声、あるいは鉄板がこすれるなど、物体の出す音響」などの可能性はないのか?
(以下省略)
『隠された遺体』感想(その5)
- 投稿No.3681
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-10-20 10:58:46
『隠された遺体』54ページに『平行紀』という名前が汚名が被せられて登場している。
実は『平行紀』ではなく、『平幸紀』という名前であれば見覚えがある。
『隠された遺体』の著者が記される『平行紀』と、旧掲示板(御巣鷹山ゲストブック)に登場されていた『平幸紀』は内容から類推するに同一の人物である可能性が高いと思われる。
『平幸紀』というネームは旧掲示板(御巣鷹山ゲストブック)では現役のパイロットとして自己紹介された上で一時期頻繁に登場されていて、記憶に残る名前だ。
当時は池田昌昭さんとの議論の中で、現役のパイロットがそんなに頻繁に掲示板に投稿することは無理じゃないのかと考えられるほど相当内容が濃い長文を驚くほど短時間で繰り返し返信投稿されていたが、『隠された遺体』で詳しく記されているようにやはり実際のパイロットではなかったのだろう。
『平幸紀』という人物はA女子の過去の書物が出版された当時、その内容を批判的に言及されていたことを思い出す。
旧掲示板において『平幸紀』という方がA女史の著作に関して具体的に記されたこととして思い出すのは『墜落の新事実』の中に記される藤枝での小林美保子さんの目撃情報の信憑性を、著者がほとんど検証せずに受け入れてしまっているということだった。
思い出すことの一つは、遊園地のジェットコースターならいざしらず、実際に飛行する航空機の中で悲鳴が上がっていたとして、それが地上まで聞こえるかどうかという問題。
『平幸紀』という方は、「この問題は検証すればすぐにわかる話だが、女性の絶叫がいくら大きくても密閉された航空機の中で発せられた声が地上の目撃者まで届いて聞こえるわけがない」と主張されていた。
もう一つは、静岡県藤枝で18時35分頃小林美保子さんによって目撃されたファントム機と、群馬県吾妻郡で18時40分頃に自衛隊員の一人によって目撃されたファントム機とが同一かどうかという話。
「静岡県藤枝から群馬県吾妻郡までは地図計測を行なうと、直線距離でおおよそ180kmぐらいはあり、それぞれの場所で目撃された時間差はわずか5分なので、同一のファントム機ではあり得ない」という主張をされていた。
以下書物からの抜粋
『墜落の新事実』104ページ
「現在は東京にて福祉関連の仕事をしていらっしゃる小林美保子さんは、1985年当時22歳で、実家から静岡県藤枝市にある運輸関係の会社まで来るまで通勤していた。8月12日のあの日は、お盆で仕事が忙しく、いつも17時半で終わる予定が18時30分頃になってしまった。
タイムカードに打刻をして階段を下りて外に出た瞬間、「キャーン、キャーン」と二度、すさまじい女性の金切り声のような音を聞いた。絶叫マシーンに乗った人の悲鳴のような凄い高音で、驚いて頭上を見上げると目の前を低く右斜めに傾きながら飛行しているジャンボジェットが見えた。
ちょうど会社の敷地内で前方に東名高速道路が見える位置だった。自分の背中側から飛んできたジャンボ機は白い塗装に日航のシンボルカラーである赤と紺色の線が入っていた。駿河湾の方向から富士山のある北の方向に向かって、ゆっくりと右旋回しながら飛行しており、はっきりと窓も見えるほど高度が低い状態だった。」
『墜落の新事実』111ページ
「ファントム二機についてであるが、これも墜落前の時刻に自衛隊員によって明確に記述された目撃情報がある。
群馬県警察本部発行の昭和60年10月号『上毛警毛』という冊子の122ページに『日航機大惨事災害派遣に参加して』というタイトルで、自衛隊第十二偵察隊(相模原)の一等陸曹、M・K氏の手記がある。その出だしを読んだとき、これは確実な目撃情報だと確信した。
「八月十二日私は、実家に不幸があり吾妻郡東村に帰省していた。午後六時四十分頃、突如として、実家の上空を航空自衛隊のファントム二機が低空飛行していった。その飛行が通常とは違う感じがした。『何か事故でもあったのだろうか』と兄と話をした。
この記述によって、群馬県吾妻郡上空を十八時四十分頃ファントム二機が飛行していたことが明らかになった。そうなるとやはり、小林さんが語ってくれた静岡県藤枝市上空を十八時三十五分頃にファントム二機が通過したという目撃情報と一致する。したがって、明確にしておかなければいけないことは、まだ明るい墜落前に航空自衛隊では日航機を追尾して飛行状況を確認した。さらに墜落するその時までしっかりと見ていた、という事実である。」
『隠された遺体』感想(その4)
- 投稿No.3658
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-10-12 20:29:56
書物の46ページには次のように記されている。
『私は、国土交通省が11年前に公開した「異常外力着力点」に着目をしたのだが、それをいまだに荒唐無稽な話というならば、事故調査委員会の発表そのものが荒唐無稽となる。さらに事故調査報告書の別冊に「外力がなければ垂直尾翼の破壊と整合性がつかない」と書いた委員たちを陰謀論扱いしていることになる。
後世の人々のためにこの別冊に「異常外力着力点」の場所を記した事故調査委員たちの矜持を無駄にする発言となろう。この別冊は、当時の事故調査委員たちが苦悩の末に、政府が望むように歪めた結論を受け入れざるを得なかった、という証拠なのである。
ここを理解せずして、私たちのみならず彼らをも陰謀論者と呼ぶのは根本的に間違っている。』
「異常外力着力点」が本当であればそれは墜落の極めて大きな要素になるはずで、真っ先に検証すべきだと言えるほどの着目点だと考えるが、もしも飛行中に垂直尾翼に向けて横から異常外力が作用すれば機体は瞬間的に飛行方向が変えられ、機内は大きく揺れることだろう。
しかしながら、落合証言によると富士山が左手やや下方に見えたと語られているところまでは当日非番のCAでもあった証言者は自ら安全姿勢を取られていないばかりか酸素マスクと救命胴衣装着の手伝いをされていたわけで、その間に「異常外力着力」を想起させるような飛行方向が瞬間的に変化させられるほどの揺れがあったとは語られていない。
事故調が別冊に記した「異常外力着力点」は、墜落後の現場から見いだされたものだろうから、墜落までのどこかの地点で生じた可能性があり、垂直尾翼への異常外力が生じたのが相模湾上空でと断定してしまうのは早計だ。
落合証言の中で
「安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺さぶられるのを感じました。船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。」
こう語られている箇所こそ異常外力が発生した地点にほかならないのではなかろうか。
目撃談も残っているようだ。
『疑惑』97ページ
〈南相木村中島の住民3人〉
「午後7時前、ジャンボ機が傾いておかしな飛び方で北東へ飛行しているのを見た」
(同証言の他の一人)
「飛行機が飛んでいった後から、流れ星のようなものが近くに飛んでいくのが見えた」
落合証言の一部を記すとき、いつも不可解に感じることが2点ある。
一点目は、落合証言が詳細に記されている『墜落の夏』という書物が出版されたのは1986年8月5日で、事故調査報告書が出されたのは1987年8月7日となっているが、事故調査委員会は報告書をまとめられるにあたってどうして生存者となった当日非番のCAが記された手記を参考にされなかったのだろうかという点。
二点目は、『隠された遺体』の著者が、2010年に『天空の星たちへ』という書物を著されているが、その書物の中で犠牲になった仲間たちのことを切々と記されていて、哀悼の気持ちが強く伝わってくる。
それならば、当日非番の仲間が生存者となり作家の吉岡忍さんの求めに応じて記された手記を何度もしっかりと目を通されたことだろうと推測している。
疑問に思うのは「異常外力着力点」に着目された著者がどうして手記の中に記されてる「大きな揺れ」が起きたときとの関連性でそれを語られないのか、という点。
Re. 『隠された遺体』の内容についてお訪ね
- 投稿No.3622 元投稿No.3618 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-10-06 15:22:35
風化させてはいけない さんへ
過去の A女史の書物は全部読んでいます。
私がA女子の書物から受ける印象は「総論賛成・各論反対」の逆です。
女性、そして犠牲者の仲間にあたる方が記される書物は社会に訴えかけるそれなりの役割を持っておられそうなので、論理的な面での疑問を感じても、その点は少し脇に置きながら読んできました。
『隠された遺体』はこの投稿をする段階でまだ32ページまでしか読んでおりません。
今回の私の投稿は過去の書物からも受けていた一貫する印象を振り返りながら、今回の書物は一気に最後まで読んでしまわないで、読み進めていく中で論理的に気になるところがあればその都度立ち止まって、気になるところをしっかりと記してみたいと考えております。
> 拝復 せきたに 殿
> A女史の最新刊『隠された遺体』の内容で気になる所があるので、お尋ねしたい。宜しいでしょうか。
> Amazonなどの購入者レビューを読むと、タイトルには「遺体」とあるものの、
> 内容の殆どは裁判の様子と経過であり、著者の文言には、怒りを表現した攻撃的記述が多く、彼女の過去の著作に比べて、
> 質が落ちたとか下品になったという感想が散見する。 タイトルにある内容は少ないという指摘もあった。
> 副操縦士の御遺体発見の報道は、当時早いうちに報道されたのに、コックピットの3人のうち機長だけが顎の一部と歯の一部だけという発表には違和感を覚えた。
> 私と同様に、違和感を覚えた人たちは他にもいた。
> 実際に手にとって読まれた せきたに殿に、詳しい説明をお願いしたい。この本の購入を迷っています。
> 貴殿の投稿内容は、長いので一部省略させて頂きました。
『隠された遺体』感想(その3)
- 投稿No.3621
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-10-06 15:00:07
『隠された遺体』32ページに記されている以下の文章には隠されて報道されてこなかった事柄が見つかり、真相究明を訴えかけられる心情はよく理解できる。
だがしかし、1月2日に羽田空港で起きた事故同様、事故報告書付録の文章からはもっと検証しなければいけない根本的な問題が含まれているのを見落とされているような気もするので、今回はそのことについて記してみたい。
『2013年に公表されたこの付録を発見したとき、私は強い衝撃を受けた。
ここにはっきりと相模湾上空を通過中に「外力」によって破壊が起きたと書いてあるではないか。
それをもとに計算式が成り立ち、逆に言えば異常外力着力がなければ整合性がとれない、とまで書いてあった。』
「異常外力着力」については
「圧力隔壁説をくつがえす」の76ページに詳細の説明が記されている。
異常・・・正常のフライトでは考えられない突発的異常事態の力
外力・・・外部から加わる力。外部とは大気、つまり空を飛行中に加わった力
着力・・・その場所にやってきて着いた力、その着力点
「異常外力着力点」、ここからすべてが始まった。
正常な通常の飛行の最中、突如として異常な外力が垂直尾翼の「黒丸部分」(75ページの図)に着力(着弾)して、その部分から崩壊がはじまった、ということだ。
「異常外力」があったことの直接の証左は、垂直尾翼に外から何かが衝突して着力点と呼ばれている箇所に窪みが出来ていたことで、垂直尾翼の破壊はそこから始まったとも考えられ、逆にその力がなければ飛行中に垂直尾翼が内圧による力だけで突然吹き飛ばされるわけはないという。
これは著者にとっては大きな発見だったという。
ここの箇所にも2024年1月2日に羽田空港で起きたとされる日航機と海保機との衝突事故の場合と同種の問題点が含まれているように感じる。
著者は
「相模湾上空を通過中に「外力」によって破壊が起きた」
ということをすんなりと受け入れておられるように感じる。
相模湾上空を通過中に垂直尾翼の中央部に横から大きな力が加わったのであればそのとき機体は大きく揺れたことだろう。
この事故には生存者がいた。
生存者のうちの一人が次のように証言している。
「安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺さぶられるのを感じました。船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。しかし、上下の振動はありませんでした。前の席のほうで、いくつくらいかはっきりしませんが女の子が「キャーッ」と叫ぶのが聞こえました。聞こえたのは、それだけです。そして、すぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。」
「異常外力着力」との連関性を感じる証言だが、証言では大きな揺れが起きたとき、「安全姿勢を取っていた」と語られているので、大きな揺れが起きたのは相模湾上空を通過中のことではなかった。
Re.(2) 『隠された遺体』感想 (その1)
- 投稿No.3589 元投稿No.3581 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-09-28 17:47:48
JAL123便の場合は、圧力隔壁の修理ミスが事故原因だったされている。
仮に修理ミスがあったとしても、客室内の与圧の力だけで圧力隔壁が外側に破れたとしても、その後は与圧領域が機内一杯に広がって収束すると考えるべきだと思う。
圧力隔壁が破れれば客室内は断熱膨張によって急激に寒くなる。
圧力隔壁が破れても機内の空気が外気と繋がっていなければ、杉江弘さんの説通り一瞬アウトオヴバルブが外側に開くかもしれない。
少ししてアウトオヴバルブが閉じた後は大容量のエアコンの作用によってやがて客室内の温度は回復するだろう。
しかしながら、機内が外気と繋がった状態になってしまっていたら客室内の温度は回復しない。
高度7,000メートルに客室内の与圧の力だけでもって圧力隔壁に大きな穴を空け、垂直尾翼を吹き飛ばしてしまうということはあり得ないと思う。
その逆バージョンが今年1月2日に羽田空港で起きたとされる滑走路に離陸を待って停留していた海保機に着陸してきた日航機が時速200km近いスピードで衝突したという事故。
衝突された側の海保機は粉砕したが、機長は独力で脱出し、衝突されたときの様子をインタビューに応えて語ることが出来たという。
海保機にとっては予期しない突然の衝突であったはず。
時速200km近いスピードで日航機に突然衝突された海保機の機長はどのようにして独力で脱出出来たというのだろうか?
どちらの事故も根本的なところが疑われないのは大衆の、メディア報道への盲信も一因になっていると思う。
『隠された遺体』感想(その2)
- 投稿No.3550
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-09-23 22:01:24
『隠された遺体』32ページには次のように記されている。
『2013年に公表されたこの付録を発見したとき、私は強い衝撃を受けた。
ここにはっきりと相模湾上空を通過中に「外力」によって破壊が起きたと書いてあるではないか。
それをもとに計算式が成り立ち、逆に言えば異常外力着力がなければ整合性がとれない、とまで書いてあった。』
ここの箇所にも2024年1月2日に羽田空港で起きたとされる日航機と海保機との衝突事故の場合と同種の印象を持つ。
JAL123便の場合、事故報告書付録の中に「異常外力の着力」がなければ「整合性が取れない」と書いてあったという。
「異常外力」があったことの直接の証左は、垂直尾翼に外から何かが衝突して着力点と呼ばれている箇所に窪みが出来ていたことで、垂直尾翼の破壊はそこから始まったとも考えられ、逆にその力がなければ飛行中に垂直尾翼が内圧による力だけで突然吹き飛ばされるわけはないという。
これは著者にとっては大きな発見だったという。
隠されて報道されてこなかった事柄が見つかり、真相究明を訴えかけられる心情は理解できるが1月2日に羽田空港で起きた事故同様、事故報告書付録の文章からはもっと検証しなければいけない根本的な事柄が含まれていることを見落とされていないだろうか?
付録の文章からはもっと検証しなければいけない根本的な事柄が含まれているのではないかと考えている事柄については次の投稿で述べることにして、ここで九州人さんの返信に応えて、杉江弘さんの説についてコメントしておきたい。
杉江弘さんがワタナベケンタロウさんの質問に応える形でご自身の説を展開しておられる動画
https://www.youtube.com/watch?v=vtoWVYZqfHk
を見たことがある。
ワタナベケンタロウさんからの質問項目は多岐に渡っていたが、動画を見ていて、杉江弘さんが語られる説には頷ける点と違和感を感じて共感出来ない点とが混在していた。
※頷ける点
●「垂直尾翼に異常外力の着力があったとすれば、それまで飛行してきた方向にまっすぐ飛ぶことが出来ず、瞬時に方向が歪められてしまう。
●「墜落後、自衛隊によって火炎放射器が使われたという説があるが、あの急峻な山中に火炎放射器を持ち込んで遺体を二度焼きしたとは考えにくい。証拠隠滅のために火炎放射器を使ったのだったらブラックボックスの在処を真っ先に探してそれを焼いたはず。」
※共感出来ない点
●子供の目撃情報など信用するに足らない。
●7,000メートルぐらいの高度では酸素マスクを装着しなくてもマニュアル違反だが実際はそれほど人体への影響はない。
●大月の旋回の時点ではボイスレコーダーによるとパイロットの会話が不足しており、360℃の旋回は機体がコントロール出来なかったというよりも酸欠の影響で風に流されるままだった結果だったと思われる。
●気温25℃の中にいて、それがいきなり気温が下がって、下がった状態が18分間続いたとされているが、25℃がマイナス40℃に下がれば寒いと感じることについては同意するが、25℃からマイナス10℃~マイナス16℃ぐらいだとそれほど寒さを感じないのではないか。(私なら25℃から10℃下がって15℃になっただけで相当寒いと感じる)
●生のボイスレコーダーを公開してもプロのパイロット以外は理解できません。また公開する義務もない。
●事故調が出来てから初めての大きな事故だったから何かを隠しているというわけではなく、未熟だっただけ。
●大容量のエアコンの性能でもって一時的に下がった気温がほどなくして元に戻ったのはアウトオヴバルブが閉じたから。(この説は圧力隔壁が破れて垂直尾翼が吹き飛ばされたことにより機内が外気とつながってしまった状態で飛行していたという説との齟齬があり、一貫性がないとしか思えない)
●墜落現場が長時間に渡ってわからなかったのは当時の探索技術が未熟だったからで、物証を隠すために時間を稼いだというわけではない。
●事故原因は7年前に起きたしりもち事故の際に損傷した圧力隔壁の修理ミスだったと断定。
『隠された遺体』感想 (その1)
- 投稿No.3532
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-09-20 22:27:17
『隠された遺体』という書物を読む機縁に恵まれた。
読み進めながら感じたことを記しておきたいと思う。
目次の後に【凡例】として記されている文章は、私がこの書物に対する見方を方向付けてくれているような気がする。
「2024年1月2日に東京国際空港(羽田空港)でJAL機と海保機が衝突し、大炎上した事故について、報道等では「羽田空港地上衝突事故」としているが、「炎上」という言葉を省くことで事故を軽微なものと矮小化しかねないため、本書では「羽田空港地上衝突・大炎上事故」とする。」
報道記事に向けて適切な批判が加えられており、事実を誤認させるような表現をすべきではないという問題を提起されており、報道のあり方について訴えかけるものを感じさせてくれる。
ところがその一方で、両機が衝突したということについてはほとんど疑問を持たずに事実としてすんなり受け入れてしまわれているように感じられる。
年始に羽田空港で起きた事故直後に確か玉ノ井重孝さんという方がこの事故に関して、両機は衝突はもちろん、接触すらしていなかった可能性があるのではないか、という趣旨の投稿をされた。
それに応えるように私もそう思うという投稿をさせていただいたことを記憶している。
離陸を待って滑走路に停止していた海保機に時速200km近いスピードで着陸目的の日航機が真後ろから衝突したとされている事故だが、海保機の機長は自力で脱出出来、インタビューに答えて、後方からぶつかられたというよりも、後方で何かが爆発して炎上あいたようだったと語られた。
時速200km近いスピードで真後ろから衝突されていたというのだから、その通りのことが起きていたならば、海保機の機体は大きな力で前方にはじかれてその場に止まれず、機内一人一人の乗務員はひとたまりもなかっただろうと考える。
高速道路を運転中の普通乗用車がエンジントラブルで突然急停止し、その直後、真後ろから時速100kmを越えるスピードで大型トレーラーにノーブレーキで衝突されたら衝突された側の車両に乗っていた人はどうなるだろうかと置き換えてみると想像に難くないと思う。
一方、衝突した側の日航機は着陸モードで乗客全員がシートベルトを締めていたと思われるが、時速200km近いスピードで障害物にぶつかったことにより、通常の着陸が妨げられ、強い衝撃を伴う急減速があったはず。人体は予期しない衝撃に弱いが、例えばシートベルトは衝撃があったとき一人一人の人体にどのように作用するだろうか。
次に、報道側のカメラは事故発生直後から日航機を映し出し、乗客が乗っている機内から火災が発生しているように見えると報じていた。
ところが、後刻機内から撮影されたスマホ動画では火災は機内ではなく、機外からだった。
報道された内容をすんなり受け入れる前に、本当に両機が衝突したのかどうかについては立ち止まって一考を要するところだと思う。
Re. 富士山視認位置
- 投稿No.3304
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-06-03 21:45:47
胸肩さんへ
「夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。」(落合証言)
これは雲の上から富士山を見下ろしたときの描写だと読むことが出来るのではないかと考えます。
雲の状態については上の記述の直前に
「私の席に近い左の窓から見えたのは、まっ白な雲だけでした。かなり厚い雲で、地上は見えませんでした。」(落合証言)
とあるので、富士山の近くを飛んでいたあたりはかなり厚い雲がかかっていたことがわかります。
厚い雲にかかるところを飛行していて、ジャンボ機から地上が見えなかったということは、逆もまた真なりで、地上からジャンボ機を視認することは眼の善し悪しにかかわらず出来なかったことになります。
富士吉田市では急降下した結果、雲の下に出たので地上から目撃されることになったのではないかと考えます。
このように考えると落合由美さんが富士山が左の窓のやや下方に見えたのは富士吉田市よりもう少し手前の、急降下が始まる直前ぐらいではなかったでしょうか。
河口 博次さん
「今6時半だ
飛行機はまわりながら
急速に降下中だ。」
まわりながら急速に降下したので、雲の下に出たジャンボ機が富士吉田市の地上から目撃されたという流れになるのではないかと・・・
> 富士吉田市で目撃証言が存在しました。
> 氏名は記載されておりませんでした。
> 富士吉田市と富士山の間を通過して
> 来ました。
> 落合 由美氏が視認したのは、此処
> でしょう。時間は18:33です。
> その手前、大野路キャンプ場でも
> 目撃証言が在りました。
Re.(10) 落合証言 手記の不可解さ
- 投稿No.3292 元投稿No.3290 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-06-01 22:19:06
文系ちゃんへ
事故調ソースだから正しいと考えるのは取り消したいとのことなら取り消しを承諾します。
ただ、事故調発表の航跡図に疑問を持つというのなら、DFDRそのものに疑問を持つということになるはず。
> せきたにさまへ
> 事故調ソースならば正しい といったような安直な判断は早計として、一旦取り消しを示唆致しました。
Re.(8) 落合証言 手記の不可解さ
- 投稿No.3288 元投稿No.3287 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-06-01 21:49:25
文系ちゃんへ
文系ちゃんはソース元を事故調とするTBSの事故後30年の報道番組は信用できるので、落合由美さんは富士山が見えたので羽田に帰れるものと思って安心した、という話は信用できると言っていたはず。
私は事故調が示した航跡図が信用できるのなら、その中のどの時点で富士山が見えたのかを示してほしいといったはず。
航跡図が信用できるのなら、小松便の機長の話はどうでもいいことになる。
事故調の示す航跡図が信用できるのなら、その中のどの時点で富士山が左の窓のやや下方に見えたのを聞いただけ。
大月に向かうまでに富士山の東側を通過したときだというのなら、航跡図の信憑性など全くない。
大月上空で360度の旋回中だというのなら、落合証言と角田四郎さんの証言の信憑性は全くないということになる。
> せきたに さまへ
> その位置を決める鍵となるのが、小松便機長の証言ではなかろうかと考えておりまして、そのこともあって先の投稿では資料を貼らせて頂きました。
Re.(6) 落合証言 手記の不可解さ
- 投稿No.3286 元投稿No.3285 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-06-01 19:38:50
文系ちゃんへ
> 「富士山が見えた時は、羽田に戻るだろう
> って安心感がちょっとありました」
事故調が認める航跡図がある。
TBSはその航跡図を前提にして報道したはずだが、航跡図の中のどの位置で富士山が左の窓のやや下方に見えたというのだろうか?
信頼できる証言だというのならば富士山が見えた箇所を特定してほしい。
> せきたにさまへ
> 「富士山が見えた時は、羽田に戻るだろう
> って安心感がちょっとありました」
> TBSの30年の真相の中で出てきたフレーズかと思われますが、これのソース元は事故調である旨画面に表示されていたものと記憶しております。
> 信頼できる証言だとして、これを「正」として扱うのであれば、富士山を見て安全姿勢をとった吉岡版の証言内容では話が合わなくなってくるのではないでしょうか?
> 私としては、初期版の内容、イベント進行の方が真相に近いものなのではなかろうかと考えております。
Re.(4) 落合証言 手記の不可解さ
- 投稿No.3283 元投稿No.3273 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-06-01 14:08:13
文系ちゃんへ
落合証言では富士山をみて、羽田に戻るものと思ったとは記されていないはず・・・。
「前のほうでも、いっせいにベストの着用がはじまっている様子が見えました。スチュワーデスは口頭で、座席ポケットのなかにある『安全のしおり』を見て,救命胴衣をつけてください、と言いながらまわりはじめました。私はすぐに座席下から救命胴衣をひっぱりだして頭からかぶりました。
私は羽田にもどれればいいな、と感じていました。しかし、まだ雲の上で、高度も高いし、ちょっと無理なんじゃないかな、とだんだん不安になってきました。しかし、ライフ・ベストが座席の下にあることがわからないお客様や、わかっても、ひっぱって取りだすことがわからないお客様も少なくありませんでした。私の近くにも、ベストの場所がわからなくて、取り乱している若い女性の人たちがいました。そのときになって私は、席を立って、お客様のお手伝いをはじめたのです。お客様はこのときはじめて、座席ポケットのなかの『安全のしおり』を取りだしました。」
このような記述があって、更に時間が経過して
「救命胴衣をつけ終わってすぐに、ほとんどいっせいに安全姿勢をとりました。」
とあり、その後、
「そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。」
とあるので、富士山が見えたので羽田に戻るものと思ったというふうには記されていない。
小松便の話に関しては小松便の機長が目撃したとき、
「4発エンジンの大型軍用機といった感じで日航機には見えなかった」
とあるので、その可能性があると考える。
> せきたに さまへ
> 富士山をみて、羽田に戻るものと思っているのに、即座に安全姿勢を取る というのには違和感を感じます。ましてやその時安心感を覚えるようなことがあったのであれば、行動としてちぐはぐでしょう。
> ここから先の考察には、どこで富士山を見たのかを確定させなければ話がブレてしまうように思います。
> そうなれば事故調の航跡を信用するか、小松便機長証言にあった航空路図に書き込まれた位置を信用するかの判断をする必要があるでしょう。
> 小松便の情報からすれば、いわゆる大月旋回ではなく、相模湖旋回と称されることになりそうな場所での旋回であった可能性があります。
> (そう見えていた というのを突き詰めれば、事故調の航跡との中間くらいであったとなる可能性もあるかもしれません)
> <小松便報告での最接近点>
> https://imepic.jp/20240531/635360
Re. せきたに様への返信
- 投稿No.3272
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-05-31 11:32:09
胸肩さんへ
たくさんの返信投稿ありがとうございます。
以前は角田四郎さんの大月での目撃談で時刻は航跡図に合わせたもので、実際はもっと短かい時間のうちに360度の旋回は終わっていたはず、という卓見を示してもらったことを記憶しております。
落合証言は何度も読み返しています。
酸素が出ていた時間など、証言内に矛盾を感じる箇所はありますが、何度も読んだ上で深読みしないとわからないように記されているのではないかと考えています。
犠牲者の村上良平氏(43歳)の遺書については角田四郎さんの『疑惑』には次のように記述されていました。
村上良平さん(43歳)会社員
機体が大きく左右にゆれている
18:30 急に降下中
18:45 機体は水平で安定して
18:46 着陸が心配だ スチュワーデスは冷せいだ
左右への大きな揺れに続き、18:30頃に始まった急降下は確かにあったと考えますが、そのまま墜落したのではなく、18:45には着陸を想定した低空飛行で、機体は大きな揺れは収まり水平状態となっていたと推論しています。
------------------------------------------------------------
> 今6時半だ 飛行機はまわり
> ながら急速に降下中だ
> 河口 博次氏(52)
> まち子 子供よろしく
> 大阪 みのお 谷口正勝
> 6°30
> 谷口 正勝氏(40)
> ビジネスマンの遺書に揃って
> 18:30の記載は緊急着陸のアナ
> ウンスが在った事を示唆してます。
> 機体が大きく左右にゆれ
> ている 18・30 急に
> 降下中 水平ヒコーしている
> 村上 良平氏(43)
> 直ぐには降下出来て
> 無い事が判ります。
> 18:33
> TBS検証番組での落合 由美氏
> による証言
> 富士山が見えた時は、羽田に戻るだろう
> って安心感がちょっとありました。
> 「そして、その時、窓の外のやや下方に
> 富士山が見えたのです。迚も近くでした。
> このルートを飛ぶ時に、最も近くに見え
> る時と同じ位の近くでした。夕方の黒い
> 山肌に、白い雲が掛かっていました。
> 左の窓の少し前方に見えた富士山は、す
> うっと後方に移動していきます。 富士
> 山が窓の丁度真横にきた時、私は安全姿
> 勢をとって、頭を下げたのです。
> 頭を下げながら機内をちらっと見ると、
> 沢山垂れている酸素マスクのチューブの
> 多くが、ピーンと下に引っ張られている
> のが見えました。
> マスクをつけたまま安全姿勢をとった
> お客様が大半だったのかもしれません」
Re.(2) 落合証言 手記の不可解さ
- 投稿No.3262 元投稿No.3256 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-05-30 21:55:08
文系ちゃんへ
『権威』と『権力』という言葉がある。
『権力』がときとして真相を歪めてしまうが、厄介なのはむしろ『権威』の方かもしれない。
例えば、吉岡忍さんが
「落合さんは、安全姿勢をとってから墜落までの十四分間を、ほんの一瞬の出来事であったと記憶しているようであった。」
と記されたとき、吉岡忍さんを権威に感じる心は、そこに記されていることにうそがなく、真相であると捉えてしまう。
吉岡忍さんが墜落から十四分前に安全姿勢を取ったと考えられたのは、落合証言並びに航跡図からの推測だと考える。
墜落から十四分前というと、航跡図では大月上空で一回転しているあたりになる。
『疑惑』の著者、角田四郎さんは航跡図でジャンボ機が大月上空で360度の旋回をしている同時刻に地上から低空飛行しながら旋回するジャンボ機を目撃されたので、航跡図が正しければ富士山を左手に見たのは大月上空で360度の旋回をしているときしかないと判断された。
吉岡忍さんも同様の判断なのだろう。
ところが、落合証言にもう一度目を通してみると酸素マスクやライフベストの装着指導をしていたとき、機体は厚い雲の上にあったとしか読めない。
ここで何か変だと感じないだろうか?
富士山は頭を雲の上に出す日本一高い山として知られている。
落合証言の一連の記述から推測出来るのは、左のやや下方に見えた富士山は、そのとき頭を雲の上に出していたと思われ、必然的に機体はまだ雲の上を飛行中だった。
厚い雲の上を飛行しているジャンボ機を地上から目撃することは出来ない。
したがって、大月のキャンプ場から角田四郎さんによって目撃されたジャンボ機は落合証言で富士山が左窓のやや下方に見えた時とは異なる位置を飛行していたことになる。
このように考えると、落合由美さんが安全姿勢を取られたのは墜落から十四分前ではなく、もっと前だったことになる。
そうすると明らかになるのは、航跡図が虚偽なのか、落合証言が虚偽なのかの選択を突きつけられることになり、そこでまた『権威』という心の問題が出てくる。
変なことを書いているように文系ちゃんは受け取るかもしれないが、胸肩さんなら私が何が言いたいか理解してもらえるだろうと思う。(失礼)
> 落合証言の違和感については、吉岡さん自身がこのように書いています。
> 「落合さんは、安全姿勢をとってから墜落までの十四分間を、ほんの一瞬の出来事であったと記憶しているようであった。他方、「パーン」からの三十二分間を、何時間にも感じたという。体感のすさまじさが、このねじれた時間感覚のなかにひそんでいる。」
> 落合証言の所謂 初期版と吉岡版との相違点は、多くの方が調べているようですが、私の推察だと概ね初期版の進行の方が正しいのではなかろうかと考えます。
> 一方の吉岡版の方は、どこか そのように言わされた感があるように思います。
> 飽くまで自分の思うところとなりますが。
落合証言 手記の不可解さ
- 投稿No.3252
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-05-29 21:01:41
吉岡忍著 『墜落の夏』 には落合証言とも評される客室乗務員の落合由美さん(事故当日非番)による手記が長々と記されている節がある。
その一部である次の文章はいうまでも無く墜落直前の急降下のことが記されている箇所だ。
「安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺さぶられるのを感じました。船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。しかし、上下の振動はありませんでした。前の席のほうで、いくつくらいかはっきりしませんが女の子が「キャーッ」と叫ぶのが聞こえました。聞こえたのは、それだけです。そして、すぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。髪の毛が逆立つくらいの感じです。頭の両わきの髪がうしろにひっぱられるような感じ。ほんとうはそんなふうにはなっていないのでしょうが、そうなっていると感じるほどでした。」
急降下が始まる直前、機内の様子はどうだったのかについて、普通は上の文章の直前に記されているはずだと考えてしまう。
急降下について記された直前の文章は
「そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。頭を下げながら機内をちらっと見ると、たくさん垂れている酸素マスクのチューブの多くが、ピーンと下にひっぱられているのが見えました。マスクをつけたまま安全姿勢をとったお客様が大半だったのかもしれません。」
となっていて、この文章に続けて急降下のことが記されているので、安全姿勢を取った直後に一部の犠牲者が記されているように急降下が始まったものと考えてしまうが、それは実は墜落直前の急降下ではなかった。
両者の文章は続けて記されているのに、その間には実に25分ぐらいの時間が流れていると思われるが、その時間帯に起きた事柄を落合証言は何も語ってくれていない・・・。
このように記して、理解してもらえるのはごく少数の方だけかもしれない。
Re.(4) 両機が衝突していないと思う理由
- 投稿No.3101 元投稿No.3100 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-01-31 23:10:22
玉ノ井 重孝 様へ
> 結局のところ、「火炎から走り出てきた機体」と、滑走路を1キロ走って停止し「乗客たちが全員脱出した機体」とは、別の機体だったと思います。
返信ありがとうございます。
1月2日の夕方羽田空港で起きた事故に関しての違和感を追加しておきます。
その日の夜になって、機内から携帯を使って撮影したという動画がアップされました。
子どもの声で
「早く出してください~・・・」と叫ぶ声と機内に充満しようとしている煙の存在は感じられましたが、火の気は機内ではなく、機外で発生しているようにその動画には映し出されていました。
NHKラジオアナウンサーの事故の一報は確か
「機内から火が出ているように見えます」ということでした。
そして、実際そのときの映像では機内が火で充満しているように映し出されていたわけです。
更に、海上保安庁の航空機とまともに衝突し、火災が起きているにもかかわらず、機内で酸素マスクが全く下りていない。酸素マスクは煙や火災だけではなく、強い衝撃があれば下りることになっているはず。まして煙が発生していて息苦しくなっている機内で酸素マスクが全く下りていないのです。
原点に戻って考えると、離陸を待って滑走路に待機している航空機がたとえ小さな機体のものであったとしてもその機体に着陸機が時速200km/hでまともに衝突してしまえば、空中での出来事なら両機とも空中分解して墜落してしまうはず。
海上保安庁の航空機にまともに衝突したとすれば海上保安庁の乗員は一瞬で後方に投げ出され、着陸機の乗員乗客は逆に一瞬で前方に投げ出される。そのとき、着陸機側のシートベルトは人体に対してある種残酷な作用をしてしまう。本来はそれほどの衝撃を伴う事象だと思います。
Re.(2) 両機が衝突していないと思う理由
- 投稿No.3097 元投稿No.3096 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-01-24 22:00:49
玉ノ井 重孝 様へ
> (結論)日航516便の機体は、「ジャンボ機」とは異なります。
> 「ジャンボ機」は、ボーイング747型機だけの「愛称」です。「固有名詞」です。
> 大型ジェット旅客機全体を指す「普通名詞」ではありません。
ご教授ありがとうございます。
報道では確か、ジャンボ機が・・・ エアバス機が・・・ 新千歳空港から飛んできたJAL516便が・・・
という感じではなかったかと記憶しています。
もう一つの違和感は、実は1月2日の夕方はある高速道路上で少し先のSAにトイレ休憩ので入るため並んでいたのですが、そのとき、私にとって羽田空港で起きた事故の一報はNHKのラジオ放送からでした。
「日航機の機体後方あたりの2~3ぐらいの窓の内部が赤くなっているように見え、内部で火災のようなものが発生しているのではないかと考えられます・・・」
という報道内容だったはず。
しばらくしてSAに入って備え付けのモニターを見ていたら、既に機体全体といってもよいほど赤くなっている部分が広がっており、それにもかかわらず緊急脱出用のシューターは下りているようには見えなかったし、乗客の姿もその映し出されているモニター画面の中にはなかったはず。
その状態がしばらく続いたので、これはもう乗員乗客とも全員焼死だろうなという念いを持ったのを記憶しています。
ところがSAから出てしばらくすると、けが人はいるものの全員が90秒間のうちに無事脱出したというのです。
あの状態からそんな奇跡があり得るだろうか、どうやって・・・とその時感じました。
両機が衝突していないと思う理由
- 投稿No.3094 元投稿No.3092 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-01-20 20:09:06
> もしお差し支えなければ、その理由をぜひお聞かせ下さい。
> 誰にとっても、大いに役に立つと思います。
玉ノ井 重孝 様へ
検証によるとジャンボ機の一番先端部分は大きく凹んでおり、その凹みは海上保安上の航空機の垂直尾翼の部分に着陸時にまともにから衝突した証左だという。
事故直後の報道によると、ジャンボ機の着陸時点の速度は時速200kmであったとされています。
一方でジャンボ機に真後ろから衝突されたとされる海上保安庁の航空機について、乗員6名のうち5名は亡くなったが機長だけは独力で脱出し、重い火傷は負ったものの話が出来る状態であるという。
そんなことはあり得ないと考えます。両機は衝突はしていない・・・。
決定的にそう思うのは、機長が独力で脱出出来るわけがないと思うからです。
止まっている航空機にその航空機よりもはるかに大きなジャンボ機が後ろから時速200kmで衝突すればどうなるか。
衝突の瞬間、海上保安庁の航空機の乗員たちは後ろ方向に強烈な力を受けて人体に与える力は絶大なもので、ひとたまりもなく一瞬で破壊されてしまうはず。重い火傷ではなく、手足がバラバラになるほどの全身複雑骨折が妥当なところでしょう。もちろん乗員たち全員の命は即死か又は虫の息状態になるものとなると考えます。
例えば、停車しているマイクロバスに突然後ろから時速200km(100kmでも十分ですが)で走ってきたノーブレーキ状態の大型トレーラーにまともに衝突されたらマイクロバスに乗っていた人たちはどうなるでしょうか。
この場合でも衝突された後にマイクロバスの運転手が独力で脱出することは不可能だと考えています。
Re. CVR記録で「高度の220」は、「フライトレベル220」を意味しています
- 投稿No.3087 元投稿No.3084 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-01-17 22:40:34
> まったくの別件です。
> 1月2日「羽田空港の衝突」では、衝突していないと思います。
> ここは「場違い」ですが、あえて以下お伝え致します。
> 【臨時の仮記事】両機は衝突していないはずです「羽田空港-日航516便/海保機の衝突事件」
> https://ssg21utbume.seesaa.net/article/r6-2024-1-12.html
私もそう思います。両機は衝突していない・・・。
Re.(5) 正しい通信、会話記録 其の弐
- 投稿No.3080 元投稿No.3077 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-01-07 22:34:43
> せきたに様
> 此方も御覧下さい。
> 【日本航空123便墜落事故 42】
> 第一通報者の手記の考察
> https://youtu.be/czhCsHplCd8?
> si=tj63xmAjxo_lDCA1
胸肩さんへ
貴重な情報ありがとうございます。
紹介いただいた梓山での目撃者中嶋初女さんが記された
手記で印象に残った箇所を記しておきます。
---------------------------------------------------------
はっと頭を上げると甲武信ヶ岳、十文字峠方面から
大きなジェット機が近づいてきていた。
「大きい、低いところを飛んでいる!」
瞬間そう思った。
---------------------------------------------------------
機体は私の真上を通り過ぎた。
大きかった。
操縦士や乗客は、人間が見えているのかな。
あんなにゆっくり飛んで、飛行機って
時速どの位になれば失速するのかな、とふと思った。
まるで飛行船みたいと思った。
---------------------------------------------------------
もう行っちゃったのか、と思った時、
高天原の弓のように続く山の稜線の
ひと所が赤くピカッと光った。
はっとして目を凝らすと、次の瞬間、
最初に光った所から少し離れた稜線がパッと赤く光り、
その光を追いかけるように
真っ赤な色が空へ広がった。
まるで赤いインクをぶちまけるように
火柱が空へ上がった。
数秒して真っ黒い煙が
スルスル立ち上がってきた。
その黒煙はちょうど広島の原爆の写真の
きのこ雲のように、上空にモクモクと上がっていき、
そのまま黒いきのこのような姿で
ずっと浮かんでいた。
---------------------------------------------------------
次の日、夜中からレタスの出荷に行っていたが、
空が少し明るくなると、
あっという間に墜落現場の上空は
ヘリコプターだらけになった。
まるで赤あかねのトンボが群れているように、
数など数えきれなかった。
---------------------------------------------------------
(11:42~)
事故後数日して畑で出荷している私たちの上空を、
ジャンボジェット機が123便が飛んできたときと
同じ方向から飛んできた。
そして事故現場の上空の高いところを
円を描いて飛び始めた。
Re.(3) 正しい通信、会話記録 其の弐
- 投稿No.3077 元投稿No.3075 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-01-06 20:58:26
> 【日本航空 123便墜落事故 44】
> 都留市 目撃証言検証篇
> https://youtu.be/_FkPoIug_oM?si=SbUu_ZRZef3dXHzD
> を是非とも御覧下さい。
胸肩さんへ
動画をみせていただきました。
都留市における目撃情報 小林勝蔵さん
「あの~、山のね、低い・・・
ほんとに一番低いところぐらいだねぇ」
発表された航跡図に記されている高度とはずいぶん異なるという印象ですね。
『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎さん著)397ページに記された箇所が思い起こされました。
「そこまで重大かつ大がかりな隠蔽工作をふつうの事故に対してやるものだろうかという疑問と、もしそこまで事故調査委員会にさせたのなら、やらせた者は一体誰でなんのためなのか・・・・・・?
私の推測した「疑い」が間違いなら、現実に現われている事象はどう考えればよいのか?
間違っていないなら、この事故の背後に一体なにが隠されていて、事故の全てを歪曲し、全く成立しない原因をデッチ上げ、墜落地点と機体を半日以上も隠し、不都合な証拠物件の全てを隠蔽、消去して外国の企業たるボーイング社にまでその手助けをさせる巨大な力が存在したことになる。」
Re. 正しい通信、会話記録 其の弐
- 投稿No.3075
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2024-01-05 20:49:16
> 運翰省元事故調查官の平栗 元喜氏
> JAL123便の飛行高度は、
> 「15000フィート(4572m)に
> 達している」と発言されています。
> 実質の最高高度です。
胸肩さんへ
『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎著)
21ページには以下のように記されています。
東伊豆、河津町のタクシー運転手、近持芳太郎さん(58歳)と渡辺武夫さん(51歳)は河津駅前のベンチで休憩中に、この瞬間を目撃した。
「海側の北東上空で雷のような〈ボーン〉という音がした。見上げるとジャンボ機は機体後部から灰色の煙を出して駅の上まで水平飛行した。(中略)煙はバスが急坂を上るときに排ガスの色のようだった。機体は後部が下がっていた感じ。(中略)ジャンボ機は駅上空を過ぎると大きく右旋回し、北側へ向かい、いつも見るコースから外れた。旋回の傾きは90度近く、乗客はパニック状態になるのではと思った」と語る。
また、同駅の北西の山側で畑仕事をしていた同町役場職員渡辺穣さん(45歳)の証言は「午後6時半前、ボーンという音で上空を見た。雲の切れ間からジャンボ機がふだんの二倍近い大きさで見えた。大きく右旋回したので不思議に感じた」という。
マッハステムの風とその脅威
- 投稿No.3068
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-12-16 22:38:19
過去、御巣鷹山ゲストブック(旧掲示板)の中で池田昌昭さんが「マッハステムの風」とその脅威を紹介されていた。
原爆が投下された際にはその日のうちに7万人の人が亡くなったとされるが、そのうちの半数は「マッハステムの風」によるものであったという。
圧力隔壁は相模湾上空において破壊されたわけでないことは犠牲者の一人が撮影された写真で明らかだが、墜落現場ではなぜかみかんの皮を剥いたように後ろ側にめくれていたのはどうしてなのか?
これは墜落直前に目撃されている「閃光」と「キノコ雲」が関係していると思われる。
「閃光」と「キノコ雲」からは原爆を連想してしまうが、JAL123便は撃墜されたのだろうか。
『JAL123便 空白の14時間』(池田昌昭 著) 153ページ
「撃ち込まれたと思われるミサイルの威力は、機内で電撃的だった。
機体中部から前部にかけて、高性能炸薬弾頭もしくは破片弾頭が走り、乗客、特に爆発エネルギーを反撥した堅牢な外板窓際乗客は粉々に粉砕された。機内は阿鼻叫喚の地獄。
想像するに、ミサイルの爆発エネルギーは凄まじかった。バランスを失ったJAL123便は、右側に急降下。機体前部・中部の乗客は、機内で粉砕された。」
後部圧力隔壁が後方にみかんの皮を剥くように破壊され、隔壁の残骸に異臭が染みついていたのはアルミ合金製ボディの機体内側を媒体としてマッハステムの風が発生し、その風が粉々に粉砕された人体を伴って後部圧力隔壁に向かったからではなかろうか。
『日航機事故の謎は解けたか』(北村行孝・鶴岡憲一共著)172ページ
齋藤孝一氏(1985年当時 航空事故調査委員会航空事故調査官)の談話
「後になっての反省だが、現地調査はもっと早く切り上げて、東京での詳細調査にかかるべきだった。
航空会社、メーカーの人間を参加させるのは誤解を招くため避けなければならないという国情があるし、需要残骸を運ぶにも警察と連携して運送会社と契約してと、どうしても時間がかかってしまう。
それでも私は皆より3週間ほど早く、圧力隔壁の搬出とともに東京に戻った。
あとは毎日、隔壁の搬入された調布市の航空宇宙技研分室通い。
当初は残骸に染みついた異臭(遺体のにおい)が漂い、なかなか消えなかった。」
Re. 両神山からの見通し
- 投稿No.3065 元投稿No.3064 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-12-11 20:52:30
> 当時は情報が錯綜(錯綜)し、墜落現場が特定されたのは事故翌日の早朝。山頂からは御巣鷹の尾根が見えた。山中さんは30がたった現在も消えない思いがある。「もしあのまま山頂まで登り、墜落現場を発見していれば、もっと助かった人がいたのではないか」
> <両神山からの見通し>
> https://imepic.jp/20231211/635630
文系ちゃんへ
「墜落遺体」の惨状は信じられないほどのGがかかったと考えるのが普通だが、かねてよりこの墜落事故に関して現地を取材し、何冊もの著作を認められている池田昌昭さんは、3cm刻みになってしまった数多くの離断遺体は墜落時の衝撃の結果だというのならば、一方で、生存者がいたという対比には違和感があることを述べられ、機体は単に墜落したのではなく、墜落前の段階で撃墜されて空中分解した結果、機体の前後で墜落するまでの状態に著しい差異が生じたので、乗客の座席の位置によって墜落時の状態の差異となったと考えるべきではないかと記されていた。
まずは事故なのか、事件なのかの判断
- 投稿No.3063
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-12-08 21:54:18
日航機の問題はまずは事故なのか、事件なのかの判断だと思う。
週刊文春が数ヶ月にわたって問題にしているある変死体についての解釈がある。
もしも他殺体であるにもかかわらず、「自殺として処理しておきなさい」という結論めいた指示があって、自殺のプロセスを考えると、そのようにして自殺することは困難だというふうにどうしても無理が出てしまうものだと思う。
それと同じように事件であるにもかかわらず、事故として処理しようとするとどうしても複数の箇所で辻褄が合わなくなってしまう。
事件であると判断した場合、事件性が一番大きい順に並べてみる必要性があると考える。
事件性が一番大きいのは相模湾上空で尾翼に起きた事柄だろうか、それとも横田基地への着陸がかなわなかったことなのか、あるいは御巣鷹の尾根上空で起きた事柄だろうか。墜落後の現場という可能性もある。
不慮の事故ではなく、事件だったのでは。
- 投稿No.3061
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-12-03 23:28:32
JAL123便墜落事故による生存者と犠牲者の割合は名古屋空港における中華航空機墜落事故の場合と似ているが、墜落現場の惨状は名古屋空港で起きた墜落事故よりもむしろ、自衛隊機との衝突で空中分解して投げ出された雫石の方に似ている要素があるのを感じる。
「雪解けの尾根」(池田知加恵)132ページ
「遺体は二ヘクタールの広範囲な尾根に四散した。」
「鎮魂 JAL123便」(池田昌昭)20ページ (長野県川上村におけるある住民の目撃談)
墜ちた場所と原爆のようなキノコ雲が上がった場所は違う。こっちから見て墜落場所の右の方から上がったので、墜落場所とキノコ雲が上がった場所とは少し距離がある。ピカッと光りキノコ雲が出て垂直に墜ちていった上空地点と最終的に墜落した地点は、距離的に300~500メートル離れている。
もしかしたらJAL123便は整備不良に起因して起きた不慮の墜落事故ではなく、本質的には御巣鷹の尾根上空で撃墜された事件ではなかったのか。
Re. *著「永遠に許されざる者」を読んで
- 投稿No.3059 元投稿No.3056 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-12-03 13:39:37
> ある読者(氏名 ON(女性)の感想文を 紹介し、転載します。
>
> {半年前から青山透子さんの本を3冊読み、衝撃を受けましたが、更にご遺族の小田さんの詳細多岐にわたる報告書を読み、この事件は確信的犯罪だと思いました。
> こんな恐ろしい事実だからこそ関係者によって38年間隠され続けてきたとも言えます。
> 3000人近いという遺族の中であなたのような正義感のある方がたった2人(訴訟の原告吉備素子さん)とは信じ難いことです。
事故で夫を亡くし、犠牲者遺族となられた吉備素子さんとは異なる一人の女性は『事故報告書』に対して以下のような印象を持っておられたようです。
「あのようにまとめあげられた『事故報告書』が出された。分厚い報告書を私は闇の中で一生懸命目を通した。しかし、私が読みとれたのは『権力』の二文字・・・・・この文字は小学生の時から書けたが、その文字の持つ本当の意味をこの時はじめて知った。私の知りたかったのは事故の本当の原因だったのに・・・・・。」(「茜雲 総集編」245からの引用)
Re. 過去にエスコートスクランブル
- 投稿No.3032 元投稿No.3031 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-10-29 13:14:18
> 日航機墜落事故138
> 8月の議会で追及されていた!
> 「あの時、救出に向かったのか?」
> https://youtu.be/01eit_0PORg?si=N58GPJ7b4peLmD6D
胸肩さんへ
墜落の19時前よりだいぶ前の段階でファントムは出動していたと考える方が自然ではないかと考えます。
角田四郎さんの「疑惑 JAL123便墜落事故」に著者自身の大月での目撃情報を記されています。
後日、当時刻にこの空域にいた航空機が発表になり、私が二度にわたり見た機影が、日航機以外にあり得ないことも知った。
前述した北西にドンドン飛び去った三つ目の機影もこの発表から全日空小松行きであると判明した。
ただ、前には書かなかったが、私はこの時さらに二機の航空機を目撃している。
不思議なことに、この二機に関する記述はその発表航空機リストには見あたらない。私の目撃を証言する者もいない。
しかし私は確かに、その二機を木の間に見たのである。
(疑惑 JAL123便墜落事故 P60~P61)
私はすでに大月付近のキャンプ場で事故機目撃の2~3分後に、自衛隊機2機を目撃したと書き記した。
(胸肩さんのご指摘により2~3分後というのは後日発表された航跡図に合わせて記されたものであって、実際は1分以内であったと思われます)
事故機の目撃18時42分頃~43分頃と推定できるので、自衛隊の戦闘機2機を見たのは45分頃になる。
すると日航123便が大月上空でループ飛行(一回転)した直後ということになる。
しかもそれは日航機と非常に近い距離を飛行していたことになる。
(疑惑 JAL123便墜落事故 P389)
Re. 中嶋 初女氏の目撃証言の変遷
- 投稿No.3015
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-09-05 20:42:54
胸肩さんへ
> キャベツ畑で作業をしていた女性は電話で、
> 「大きな飛行機が左に傾きながら南相木村方向に飛んでいった」と生々しい状況を語っていた」
その目撃談は墜落までの航跡が時計回りとなっているようですが、
胸肩さんが前の投稿(№3013)中に紹介されている
> 「川上村の人達は、飛行機は北東の
> 方へ炎をあげて飛んで行ったと、
> 話している」
> (北相木村菊池村長)
こちらの目撃談は墜落までの航跡が反時計回りです。
墜落直前のこんな地点(長野県川上村)において明らかに航跡が異なる目撃談があるのが不可解です。
Re.(3) 大幅な飛行経路変更で、伊丹到着遅延を余儀無くさせられた123便
- 投稿No.2994 元投稿No.2992 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-08-30 04:37:59
胸肩さんへ
(落合証言 初期版)
「機体はかなりひらひらフライトし、ダッチロール(8の字を描くように飛行)に入ったようだった。」
考えてみればそんな状態で客室乗務員といえども席を立って酸素マスクの装着やライフベストの装着指導が出来るはずがないですね。
犠牲者の一人、小川哲さんが撮影された機内の様子とも一致するとも思えないので、無理矢理言わされた言葉であったかも。
(落合証言 ロングインタビュー版)
ダッチロールという言葉は、知りませんでした。飛行機はあいかわらず旋回をくり返すように左右の傾きをつづけます。振動などは全然ありません。とにかく、くり返し、左右に傾いているという揺れ方がつづきました。急な動きとか、ガタガタ揺れるというのでもなく、スローです。だんだん揺れが激しくなるというのでもありません。
> 落合氏は必要最小限の事しか、
> 語らせて貰え無かったと思えます。
Re. 大幅な飛行経路変更で、伊丹到着遅延を余儀無くさせられた123便
- 投稿No.2992
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-08-29 22:55:12
> 操縦性が侭ならず
> 18:20には、飛行コースに
> 関して連絡した筈なのです。
> 朝日新聞が、異常発生を
> その時間に充てている理由
> だと思われます。
落合証言(ロングインタビュー版)推定1回目の異変
「水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい音がしました。テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。急減圧がなくても,耳を押さえたくなるような、すごく響く音。前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。」(推定18時20分~21分頃に起きた異変)
落合証言(ロングインタビュー版)推定2回目の異変
「このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じませんでした。しかし、何が起きたのだろうと、私は酸素マスクをしながら、きょろきょろあたりを見まわしていました。」(18時24分35秒とされている時刻に起きた異変)
落合由美さんがロングインタビュー版の中で使われている「このときも」という言葉はそのときの異変は実は離陸後2回目の異変であったことが示されているのかも。
Re. 小松便情報
- 投稿No.2991 元投稿No.2990 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-08-29 22:36:56
> 小松便に関する情報です。
「4発エンジンの大型軍用機といった感じで日航機には見えなかった」「何とか機首を羽田方向に立て直そうとしている様だった」「大きくなったり、小さくなったりして見えた。北から東へ針路変更をし様としている様だった」「約3分後右後方へ去る」
本当に軍用機だったのかも。
Re.(7) 2つの落合証言の間を埋めるもの
- 投稿No.2987 元投稿No.2986 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-08-28 21:36:58
文系ちゃんへ
> 個人的な憶測にはなりますが、焼失したもの以外でも、内容によっては世にその存在を知られるには至らなかった遺書もあったのではないかと考えます。
そのような遺書もあったかもしれないね。そのように考える感性は大切だと思う。
この墜落事故では客室乗務員によって認められた遺書も見つかっているが、その遺書は酸素マスクの装着やライフベストの装着指導の時間帯以外のところで記されたと考えられる。
「恐い 恐い 恐い 助けて
死にたくない
気もちも悪い まり子」
Re.(5) 2つの落合証言の間を埋めるもの
- 投稿No.2984 元投稿No.2982 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-08-27 20:59:08
文系ちゃんへ
18:30より前の急降下については、急降下では無くて、離陸後、何らかの異変が起きたので、000メートル前後の位置から予定通りの高度に上昇せず、そのときの高度を維持した可能性が高いと考えています。
「緊急降下中」というアナウンスは酸素マスク等に連動してテープが流されることになっているのかも。
以下落合証言
「ただいま緊急降下中。マスクをつけてください。」と日本語と英語で流れました。マスクのつけ方は、となり同士教えあって、あんがいスムーズにつけていました。
しかし、緊急降下中といっても、体に感じるような急激な降下はありませんでした。」
乗客たちの遺書はどの地点で認められたのかについて、文系ちゃんの見解を示してください。
Re.(3) 2つの落合証言の間を埋めるもの
- 投稿No.2980 元投稿No.2976 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-08-27 05:43:27
文系ちゃんへ
落合証言の初期版並びに文系ちゃんの解釈ありがとう。
私は死を意識せざるを得ないほどの急降下が二回あったと考えており、残されている遺書はそのうちのいずれかの時間帯に記されたのではないかと考えています。
二回目の急降下はいうまでもなく三国山上空からのもの。しかし、その急降下中に残されている遺書が認められたとは考えられない。
不安定な状態ながら、遺書を認めらることが出来るほど長く続く急降下がほかの時間帯にあり、その急降下がいつ始まったのかは犠牲者の遺書から類推することが出来ます。
村上良平さん
「18.30 急に降下中」
河口 博次さん
「今6時半だ
飛行機はまわりながら
急速に降下中だ。」
犠牲者の遺書は18:30から始まったと思われる、長く続く旋回を伴う急降下の時に認められたのではないか。
一方で、客室乗務員は死を意識せざるを得ないほどの急降下が続く中でライフベスト装着指導のため席を立てなかったはず。
そうすると必然的に一回目の急降下が始まる直前の時間帯にライフベストの装着は終わっていたのではないかと考えます。
急降下が始まるまでの時間帯に落合由美さんは左下の方向に富士山を目撃され、安全姿勢を取られたことになります。(そして18:30からの急降下が始まった)
初期版落合証言とは合致しなくなりますが、酸素マスクの10分はそこから逆算して考えると18:25よりもっと前の時間帯に酸素マスクが下りるような何らかの異変が起きていたことになります。
また、落合証言全般を通しての印象ですが、一回目の急降下が始まってから二回目の急降下が始まるまでの約25分間に起きた事象について全く語られていないのは不可解でかつ不自然だと考えています。
> 14日に行われた日航幹部による落合さんに対する聞き取りに関する新聞記事は、以下の内容のようでした。
> 落合由美さん(26)が松尾芳郎日航取締役らに話した事故当時の模様は次のとおり(全文)。
> 私は「56C」の座席で雑誌を読んでいた。後部客室の状況はいつもと変わらなかった。午後6時25分、バーンという音が上の方でした。そして耳が痛くなった。ドアが飛んだかどうかは不明。
> 床下やその他で、ほかの爆発音は聞こえなかった。同時にキャビン内が真っ白になり、キャビンクルーシートの下のベントホール(差圧調整口)が開いた。床は持ち上がらなかった。ラバトリー(便所)上部の天井も外れた。同時にO2マスク(酸素マスク)がドロップ。プリレコーディド・アナウンス(録音済みテープ)が流れ出した。この時ベルトサインはまだ消えてなかったと思う。
> 機体はかなりひらひらフライトし、ダッチロール(8の字を描くように飛行)に入ったようだった。ややして、富士山が左に見えたのでコックピットアナウンスはなかったが、羽田に戻るものと思った。10分ほどしてO2がなくなったが別に苦しくはなかった。
> この間コックピットアナウンスはなかったが、パーサーから非常事態のアナウンスはあった。後部デューティーSS(乗務スチュワーデス)と一緒に、お客さまに対しライフベスト着用と安全姿勢の指導をして回った。その後、自分もベルトを着用し安全姿勢をとった。
> 機体はやがてかなり急角度で降下(まっさかさまという感じ)し出した。間もなく2、3回強い衝撃があり周りのいす、クッションその他が飛んだ。
> 自分の上にはいすが重なり身動きができない状況だった。おなかがちぎれそうに苦しかったが、やっとの思いでベルトを外すことができた。しかし、いすの間に体が挟まり身動きはできなかった。
> ヘリコプターが見えたので手を振ったが、向こうでは分からないようだった。火災は周囲では発生していなかった。やがて眠ってしまった。
> 男の人の声で目を覚ましたら、朝だった。
> 解釈ですが、私としましても、酸素の出始めから、出なくなるまでで10分ほど、つまりは18:24半ばから18:35頃までは酸素は供給されている状態にあり、その間のどこかで富士山を目撃したものと捉えております。
> また、時間の流れ的には後のロングインタビュー版での、ライフベスト着用の手助けをして後、着席して安全姿勢を指導したあとの大月旋回時に富士山を見るというのは不可能であると考えます。
> このことを踏まえますと、富士山の東側を通過したであろうことの可能性は限りなく高まっただろうと推測します。
> 落合さんの知らない専門用語が使われていたことで、14日の初期版の証言の信憑性は著しく疑われていたようですが、内容はその通り との落合さんご自身での見解ですので、事故後間もない初期版をもって真相と考えるのが適切であるように思います。
Re. 2つの落合証言の間を埋めるもの
- 投稿No.2975 元投稿No.2966 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-08-25 13:18:03
> 落合証言に関してですが、事故後まもなく発表された、いわゆる初期版と言われるものと、後のロングインタビューによる詳細なものとの2種類が存在することは周知の事とは思います。
> 問題はその2つの間に小さいとは言い難い違いがある事です。
> どちらが正しいのかは議論が分かれることとなっていたかと思います。
> 事故直後に語ったことを、本人が「その通りである」と追認する内容であり、極めて重要な発言であると捉えております。
> このことからすれば、事故発生後の事態の進行は初期版の方が正しいと判断することが適切だと思え、そうなればライフベスト着用の指導のために離席する以前に富士山を見たとなり、必然的に富士山付近の通過は東側となり、大月旋回中に富士山を見たとする説を否定することとなるはずです。
文系ちゃんへ
14日の落合さんに行われたインタビューからの情報(以下の内容が初期版でしょうか)
「機体はかなりひらひらフライトし、ダッチロールに入ったようだった。ややして、富士山が左に見えたのでコックピットアナウンスはなかったが羽田に戻るものと思った。10分ほどして酸素マスクから酸素が出なくなったが別に苦しくはなかった。」「富士山が見えた時は 羽田に戻るだろうっていう安心感がちょっとありました」
興味深い話ですが、私はここのところは次のように解釈してます。
富士山が左手に見えてから10分ほどして酸素がなくなった、というのではなく、
「富士山が左手に見えた」という事柄と「10分ほどして酸素がなくなった」という事柄は別々の事柄を言われており、
「10分ほどして酸素がなくなった」の方は
(酸素マスクが下りてから)「10分ほどして酸素がなくなった」
ということだろうと捉えてます。
なお、『墜落の夏』に記されているロングインタビュー版の方では酸素マスクから出る酸素については18分間ぐらいでなくなると「習った」と語られ、それぐらいでなくなったかもしれません、と語られているところがありますが、その場合の18分間というのは机の上の理論値であって、実際は客室乗務員の体感から出ている初期インタビュー版の中で語られている「10分ぐらい」の方が実際に近かかったのではないかと感じてます。
Re. 元投稿 No2681推測
- 投稿No.2850
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-07-08 16:13:57
> せきたに様
> 毎日新聞には、ボイスレコーダーに、18:20トラブル発生と書かれていた事を知りました。 (マヌーバ問題で上昇中止)
胸肩さんへ
情報ありがとうございます
離陸後、シートベルトのサインが消えた時刻に関する考察で、角田四郎さん著 『疑惑 JAL123便墜落事故』の250ページには次のように記されています。
事故後、「日航123便」を避ける乗客が増えたことや日航としてもイメージ・ダウンになることを嫌って、この便名を欠番にすることを決定し(1985年)9月の秋のダイヤから「123便」が消えることになった。
その最終便に登場した記事があったのを記憶に残していた。
「事故機同様、12分遅れて離陸し8分後の18時20分にベルト・サインが消えた。 これは好天時の平均的時間で、事故機も同様であったと思われる」
新聞記事は毎日であったと思う。事故機は18時12分に離陸しているので、記事の内容通りだとすれば離陸後、シートベルト着用のサインが消えた時刻は18時20分頃であったと考えられる。
(書物からの引用は以上)
離陸後8分後にシートベルト着用のサインが消えたので、スチュワーデスは席を立って夏休みの子ども向けキャンペーン商品を配り始めた。
ところが、まもなく小さな異変が起きて再びシートベルト着用のサインが点灯。何らかの異変を察知したパイロットたちは上昇を中止。
何が起きたのでしょうか? 私なりには18時21分頃の相模湾上空において、無人標的機から出ているごく小さな吹き流し(角田四郎さんによると演習の的としてはそれを狙うことになっているらしいです)が無人標的機本体から切り離されて単独で18:21分頃に垂直尾翼に衝突した可能性があるのではないかと考えています。
(落合証言)
「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい音がしました。テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。急減圧がなくても,耳を押さえたくなるような、すごく響く音。前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。音は、私のちょっとうしろの天井のあたりからしたように感じましたが、そこだけでなく全体的に広がったように思います。私は思わず天井を見上げました。しかし、振動はまったく感じませんでした。機体も揺れなかった。」
もしも相模湾上空においてファイアービーなどのミサイルが垂直尾翼に直接衝突したら機体が大きく傾いてしまい、すぐに墜落となっていたのではないでしょうか。(もちろんその場合は客室内では体感的に大きな揺れを感じたはずです)
垂直尾翼に機体ごと揺らすほどの大きなものが衝突したのだとすればそれは相模湾上空ではなく、墜落直前の三国山上空ではなかったのでしょうか。
(落合証言で墜落直前の大きな揺れがあったことが記されています)
「安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺さぶられるのを感じました。船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。しかし、上下の振動はありませんでした。前の席のほうで、いくつくらいかはっきりしませんが女の子が「キャーッ」と叫ぶのが聞こえました。聞こえたのは、それだけです。そして、すぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。」
Re. 疑問が、氷解
- 投稿No.2822
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-07-01 20:06:14
胸肩さんへ
『日航123便 墜落の新事実』の著者である青山 透子さんは博士号の資格に基づいて博士論文も記されるということですが、そのような方がどうして落合証言と一致しないと考えざるを得ない目撃情報を事故機(JAL123便)そのものだと認めてしまわれたのかについては疑問に感じている次第です。
『日航123便 墜落の新事実』(青山 透子 著)河出書房新社
104ページ〜105ページ
2015年9月、「青山さんに聞いてもらいたい目撃情報がある」ということで突然出版社を訪ねてきてくれた女性がいる。その人は1985年8月12日に目の前を異常なほど低空で飛ぶ日本航空123便を見た、とのことだった。担当編集者がたまたま在席していたが、次の予定があって私の代わりに少し話を聞いて職場の名刺と連絡先を受け取り、そのままになってしまっていた。今回の出版が決まって連絡をすると快く対応してくださり、改めて話を聞く機会を得た。
現在は東京にて福祉関係の仕事をしていらっしゃる小林 美保子さんは、1985年当時22歳で、実家から静岡県藤枝市にある運輸関係の会社まで車で通勤していた。
8月12日のあの日は、お盆前で仕事が忙しく、いつも17時半で終わる予定が18時30分になってしまった。
「タイムカードに打刻をして階段を下りて外に出た瞬間、『キャーン、キャーン』と二度、すさまじい女性の金切り声のような音を聞いた。絶叫マシーンに乗った人の悲鳴のような凄い高音で、驚いて頭上を見上げると目の前を低く右斜めに傾きながら飛行しているジャンボジェット機が見えた」
「ちょうど会社の敷地内で前方に東明高速道路が見える位置だった。自分の背中側から飛んできたジャンボ機は白い塗装に日航のシンボルカラーである赤と紺の線が入っていた」
「駿河湾の方向から富士山のある北の方角に向かって、ゆっくりと右旋回しながら飛行しており、はっきりと窓も見えるほど高度が低い状態だった。飛行そのものは安定している感じだった。それにしてもいつもの航空路ではないこの場所で低空飛行のジャンボ機を見るとは思ってもいなかった」
※『落合証言』では以下のような流れの中で雲の上にある機体から「窓の外のやや下方に」富士山を目撃されているのは明らかで、しかも、角田四郎さんによる大月上空での目撃談と、長野県川上村の多くの住民たちの目撃談とを考え合わせると、雲の上から富士山を「窓の外のやや下方に」見ることが出来る機会は、離陸から墜落までの間で一度しかなかったはずです。
(落合証言)
「私は羽田にもどれればいいな、と感じていました。しかし、まだ雲の上で、高度も高いし、ちょっと無理なんじゃないかな、とだんだん不安になってきました。」
「そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。」
※今更ながらですが、1%未満の生存者の中に客室乗務員がいたことは奇跡中の奇跡であったと共に、その客室乗務員が語った証言は事故原因を考える上で極めて重要な意味を持っていたのです。
Re.(2) 証拠
- 投稿No.2797 元投稿No.2787 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-25 12:09:58
> > JAL123の第3エンジンの写真です。
> 事故報告書のエンジン写真は、擬装機
> のRC-135或いはKC-135の写真を使用
> してます。
> エンジンの高さは擬装機が、1m以上
> JA8119号機の方は高さが、2m以上
> となります。
胸肩さんへ
偽装機もまたJAL123便が墜落したのと同じ時刻帯に御巣鷹の尾根に墜落したと考えるべきでしょうか?
Re. 更なる研究を
- 投稿No.2794
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-23 21:05:12
> 日航機墜落事故の原因調査の
> 問題が、日本の世論を大きく
> して仕舞うと、アントヌッチ
> 証言では無いですが、
> 日米同盟関係に亀裂を生じさせ、
> 大陸からの侵略を容易にして、
> 仕舞うかも知れません。
> 呉々も慎重に考えて下さい。
『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎さん著)397ページ
そこまで重大かつ大がかりな隠蔽工作をふつうの事故に対してやるものだろうかという疑問と、もしそこまで事故調査委員会にさせたのなら、やらせた者は一体誰でなんのためなのか・・・・・・?
私の推測した「疑い」が間違いなら、現実に現われている事象はどう考えればよいのか?
間違っていないなら、この事故の背後に一体なにが隠されていて、事故の全てを歪曲し、全く成立しない原因をデッチ上げ、墜落地点と機体を半日以上も隠し、不都合な証拠物件の全てを隠蔽、消去して外国の企業たるボーイング社にまでその手助けをさせる巨大な力が存在したことになる。
それは一体なにか。
もしこの仮設が真実であるなら、考えられることはたった一つしかない。
日航123便事故が「日本」という国家や国家権力の中枢に「計り知れない損失」を招きかねない要因をはらんだ原因によって発生した場合だけである。
Re. どうすれば助かったのか?
- 投稿No.2782 元投稿No.2781 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-21 20:45:00
> 当時のJAL123のクルーは、
> リモートコントロールを知らなかった
> のです。知っていたならば、黙って
> 示し合わせて、レタス畑にエンジン
> への燃料供給をカットし不時着すれば
> 良かったのです。
『鎮魂 JAL123便』(池田昌昭さん著)P31には長野県川上村梓山地区の女性の目撃談が記されています。
そして、リモートコントロールされたのではないかという可能性をこの目撃談は感じさせてくれます。
「川上村梓山地区の上の畑に出て家族みんなで二毛作の白菜やレタスを植えていた。キャベツなどの収穫が終わった直後の野菜畑上空の天気はよく空もまだ明るかった。午後6時50分過ぎアレッ飛行機がこんなところに何でと南の五郎山の方から風に流されるようにエンジン音がほとんどしなく、ゆっくりと低空飛行で翼の文字が見えるくらいの飛行機が飛んできた。
とてもゆっくりとした低空飛行だったのでびっくりして、こんな時間に飛行機に乗っている人もいるんだなと言いながら、でもちょっと気になって、ずーと眼で追っていた。これだけ低い所を通るのにエンジン音が静かだったのが不思議だった。そのことが気になって、気になって『変だよね』と言っていた。
音がしていなく、ちょうど風に流されているような感じだった。すると急に頭上で旋回を始めたから、『ちょっとあれおかしいよ』と家族全員が立ち上がっておかしい、おかしいと見ていた。まったく見事に真上の上空で上野村の方に右旋回を始め、向きを変えた。」
(目撃談は以上)
更に、垂直尾翼についてですが、有識者は一様に、垂直尾翼の半分以上が欠けた状態ではゆるやかな旋回しか出来ないと主張されていたはずですが、上の目撃談が語る旋回の様子は、もしや長野県川上村の墜落直前とも言えるこの時点でまだ垂直尾翼は完全な状態で付いていたのではないか? と首を傾げてしまうのです。
最後に、この時点で燃料カットし、グライダーのように飛ぶことを選択すれば、レタス畑への不時着が出来ていた可能性があったことが胸肩さんによって示されましたが、そうなっていれば99%の死亡は99%の生存に変わっていたかもしれないと思うと本当に残念です。
Re. 生死の別れ目
- 投稿No.2747 元投稿No.2744 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-15 21:42:52
> 飯塚 訓氏著『墜落遺体』109ページに
> 遺体の惨状記載。
> 頭部のない、背広を着た上半身のみの遺体。首のあたりに纏って居る皮を、医師と警察官が引っ張りながら伸ばしていくと、男性の顔であった。
> この男性の乗客はシートベルトをしていた筈ですが、下半身が無くなり、然して頭部が無くなっているのは、客室の下で上方向に作用した大きな爆発があって、その爆発の影響を直接受けたので、下半身が消滅して仕舞い、更に、一瞬の事ですが、床ごと天井に叩き付けられたので、頭部が首の辺りに減り込んで仕舞った。分析すると遺体の惨状がどうして出来たのかが理解出来る。尚、火災の影響で下半身が消滅したと言うのならば、この方の背広は燃えて仕舞って残って無い筈です。
> 一方で機体後方部の客室の床は、爆心付近の客室の床が押し上げられた反動で、逆に客室の下の機械室の付近の領域に落ち込んだと思われるそうです。
胸肩さんへ
そのご遺体のことを聞かせていただくと、旧御巣鷹山ゲストブック掲示板に123ジェット機さんから投稿のあった次の生々しすぎる記事が思い起こされます。
★「御巣鷹山ゲストブック掲示板」
2018年4月26日 投稿者:123ジェット機
まだかろうじて飛行中と言える段階に於いて、ファルコン外装の高性能小型(核)ミサイルが大音響と共に炸裂。
「巨大な黒いキノコ雲に成って天に上った」 川上村梓山 井上薫氏
勢いのある黒いキノコ雲がモクモクと上空に湧き上がってきた。キノコ雲の高さは上空800メートル~1キロ昇り、キノコ雲は5分位続いた。
上方向に爆発、客室の床を持ち上げる方向に作用した。
爆心付近の客室の床は凄まじい勢いで瞬間的に持ち上げられ、持ち上げられた客室内の床上に姿・形として存在したものは次の瞬間、客室の天井との間に挟まれて押し潰されながら、勢いは止まらず、天井をも押し上げて仕舞った。
更に次の瞬間、床ごと持ち上げられた客室内と天井部分とはJAL123便を形作る機体上部の外板をも破って仕舞い、機体を分断して仕舞う程の物だった。
一方で機体後方部の客室の床は、爆心付近の客室の床が押し上げられた反動で、逆に客室の下の機械室の付近の領域に落ち込んだと思われる。
日航機は急降下してそのまま地面に激突したわけではなかった
- 投稿No.2738
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-14 19:16:39
小田周二氏著の「真実と真相」137ページによると
調査の結果、
「一本から松」の標高は1,530メートル」
「U字溝」の標高は1,620メートル」
「一本から松」から「U字溝」までの距離は500メートル」
「U字溝」から「最終激突地点」までの距離が約1km」
と記された上で
「すなわち、日航機は急降下して機首を下に真っ逆さまの状態で地面に激突したのでないと言うことである。」
と述べられている。
ところが、出回っているボイスレコーダーの音声記録によれば、真っ逆さまに急降下の後、上記のプロセスを経て墜落したとは思えないが、これはどうしてか?
18時56分00秒
01秒
02秒
03秒
04秒 (CAP) あたま上げろ
05秒
06秒
07秒 (CAP) あたま上げろ
08秒
09秒
10秒 (CAP) パワー
11秒
12秒 【火災警報音 1秒間】【社用無線呼出音 1秒間】
13秒
14秒 【GPWS=地上接近警報】 (GPWS) SINK RATE
15秒
16秒 (GPWS) WHOOPWHOOP
17秒 (GPWS) PULL UP
18秒 (GPWS) WHOOPWHOOP
19秒 (GPWS) PULL UP
20秒 (GPWS) WHOOPWHOOP
21秒 (GPWS) PULL UP (CAP) ・・・
22秒 (GPWS) WHOOPWHOOP
23秒 (GPWS) PULL UP 【衝撃音】
24秒 (GPWS) WHOOPWHOOP
25秒 (GPWS) PULL UP
26秒 【衝撃音】
27秒
18時56分28秒 【録音終了】
Re. 2つの旋回、それぞれの旋回中での思い
- 投稿No.2733 元投稿No.2731 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-14 12:10:41
> 気付いた事。
> この掲示板に来て、2つの異常
> 発生を考える機会が、出来て
> 私見が広がりましたが、
> 更に気付いた点が在ります。
> 落合証言の変化と、羽田や横田
> それぞれ1回ずつトライした時の
> 思いに関してです。
> 18:31羽田に戻る際には、左旋回が
> 、軈て始まります。これは降下も
> 含まれます。 そして羽田に戻る
> ものと思っていました。
> 18:41羽田(実は横田)に戻れれば
> いいなと思って居り、直ぐに急
> 降下した点です。
> そうであれば、2回目には期待が微妙に
> 変わっている事が判り証言内容の変化も
> 無理無く理解出来ますね。
胸肩さんへ
落合証言から感じられる心の変化について私見では、
18:25頃(伊豆半島手前の相模湾上空あたり)ライトターンしたので、「羽田に戻ると思った」
18:27分~28分頃(伊豆半島を北上中) 「私は羽田にもどれればいいな、と感じていました。しかし、まだ雲の上で、高度も高いし、ちょっと無理なんじゃないかな、とだんだん不安になってきました」
18:30頃 「窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。・・・左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢を取って、頭を下げたのです」
(前から不可解さを感じていますが、安全姿勢を取られた後、三国山頂上から墜落直前の急降下がはじまるまで、実に25分間~26分間に渡って落合証言が記されていない時間帯が続くのです)
18:56頃(三国山頂上) 「安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺さぶられるのを感じました。船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。・・・そして、すぐに急降下がはじまったのです。」
機長の「ドーンといこうや」の声
- 投稿No.2717
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-12 20:26:09
機長の「ドーンといこうや」の声は急峻な山の斜面を目前にして発せられた言葉ではなかった。
おそらくは操作性の悪くなった機体でもって横田基地への着陸又は長野県川上村のレタス畑への不時着を想定しての言葉だったのだろう。
角田四郎さんの目撃情報について
- 投稿No.2712
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-11 20:09:24
「私は「あの飛行機やっぱりちょっとおかしいな」とだけ感じた。それは米軍基地は東の方角だからであった。「あの高度、速度は、これから着陸する感じだったが」とも思いながら、私は振り返って自分のバンガローに向かった。大きな飛行機を見ていたのは6時40分~41分頃から43分~44分の間であった。」
最初に目撃されたのが18:40分~18:41分にかけてであれば、後の方は18:43分~18:44分ではなく、実は「18:41分~18:42分の間であった」と考えられる。
Re.(8) 羽田から横田基地へ
- 投稿No.2711 元投稿No.2707 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-11 20:03:00
> > 座間の東の情報というと?
> 東京ACC 18:45レーダーで、
> 座間市北東33km、15000フィートです。
> 北北西ならば高度 4572m
> あきる野市付近になります。
『疑惑』91ページ
東京都西多摩郡五日市町入野750-1 南澤輝明さん(35) 会社役員の証言
あの日は私の誕生日なので、よく憶えています。町の南側にある今熊山(八王子市美山町)の方向から、大きな飛行機が現われ、北北東の方向へ水平にゆっくり飛んでいた。秋川や町の上空を横切って日の出町方向の山へ消えました。五日市高校の上空あたりを飛んでいる様子でした。横田米軍基地に降りると思いましたが、普段米軍機は低空でこんな所を飛ばないので墜ちるのでは・・・・・・と感じました。時間は午後6時45分頃の20~30秒間です。
南澤輝明さんの目撃談は明確に五日市高校の上空のあたりを飛んでいたとあり、また高度も相当低そうであり、レーダー情報の方が創作的であやしいと感じます。
Re. 遠隔操縦
- 投稿No.2710 元投稿No.2708 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-11 19:50:42
> 「8の字飛行」30分の謎 日航機墜落 水平尾翼も損傷? 機長、必死のエンジン操作 パイロットらの推定 (読売)
> 8の字飛行は、ダッチロールに解されますが、実際は無く、天気の悪い甲府市付近
> でのループと、旧秋山村付近でループ
> の飛行が行われました。
> 8の字を尻を振るダッチロールに刷り替えた。 上手に状況を活用してます。
> 飛行機は相変わらず旋回を繰り返すように左右の傾きを続けます。振動などは全然ありません。兎に角、繰り返し、左右に傾いていると言う揺れ方が続きました。急な動きとか、ガタガタ揺れると言うのでもなく、スローです。段々揺れが激しくなると言うのでもありません。
> 機体の揺れは、じっと立っていられない程でした。激しい揺れ、と言うのではなくて、前と同じように、左右に傾く揺れなのですが、その角度が大きくなって、座席に掴まって二、三歩、歩いて、お客様の座席の下のベストをひっぱて、ちょっと座って、また二、三歩という感じでした。まっすぐ歩いて、あたりを見てまわる、という事はもう出来ません。 落合証言依り
> ダッチロールなら飛行機が激しく横揺れしながら首を振り、8の字を描くように飛行する状態を短い周期で行うもので、123便のリモートコントロールとクルーの操縦の奪い合いのようでは無いです。
> クラシックジャンボのリモートコントロールは、性能が低いですから、コントロールする側も、隙を見て操縦権を奪い返す必要が有りました。
その状態は「ダッチロール」と呼ばれるようなものではなかった。
Re.(6) 羽田から横田基地へ
- 投稿No.2706 元投稿No.2705 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-11 15:00:47
> 座間の東の情報が本当なら、話が又変わって仕舞いますが、証言偽造で時間的辻褄が合わ無いように工作されて居るかも知れません。
座間の東の情報というと?
Re.(4) 羽田から横田基地へ
- 投稿No.2704 元投稿No.2700 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-11 09:13:14
> 判明しました。
> 私は既に大月付近のキャンプ場で事故機目撃の2〜3分後に、自衛隊機2機を目撃したと書き記した。
> 事故機の目撃18時42分頃〜43分頃と推定できるので、自衛隊の戦闘機2機を見たのは45分頃になる。
> すると日航123便が大月上空でループ飛行(一回転)した直後と言う事に為る。
> しかもそれは日航機と非常に近い距離を飛行して居た事に為る。
> (疑惑 JAL123便墜落事故 P389)
> 御互いに共通の認識に立てた事を喜んで居ります。 疑問点の払拭に貢献出来、嬉しい限りです。 今後も宜しくお願いします。
胸肩さんへ
なるほど。
角田さんの123便最終目撃時刻に多少の誤差があったかもしれないと考えるとありえますね。
大月付近のキャンプ場から五日市高校まで直線であれば25km弱。
出回っているCVRには時刻はずれて記されているようですが、「相模湖まで来ています」の声が創作でなければ、この間の途中に相模湖の上空を通った。
Re.(3) 羽田から横田基地へ
- 投稿No.2703 元投稿No.2697 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-10 20:53:23
> 恐らくなのですが、角田氏は事故
> 調査委員会が、発表したフライト
> コースと時間を当て嵌めて勘案した
> のでは無いかな?
> と考えて居ります。
『疑惑』54ページ
「さし出されたジュースをのみほして時計を見ると、6時40分近く。間に合った・・・・・・という安堵と充実感で、その時の時計の針を今もハッキリと憶えている。
自分は夕食を即座に口にする気持ちにはなれなかった。着替えも必要である。
私はとりあえず涼を求めて、桂川の河辺にある高台に歩を進めた。そして大きく手を広げて天を仰いだその時、私の目に場違いと思える大きな飛行機の機影が飛び込んできた。
ほぼ南を向いて立っていた私の左手に、北から南へ向かって、少し右に傾いた民間旅客機であった。民間機と瞬時に思ったのは、窓が一列にたくさん見えたからである。」
Re. 羽田から横田基地へ
- 投稿No.2694 元投稿No.2690 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-10 11:48:20
> 羽田空港の着陸を諦め横田基地へ、着陸の為に着陸許可を求めます。
胸肩さんへ
角田四郎さんが大月上空で民間旅客機を目撃された最後のあたりの時刻と、五日市上空での目撃談との時刻差を考えると両者には距離がありすぎるので、五日市上空での目撃は123便とは異なるかも。
『疑惑』の著者角田四郎氏の大月のキャンプ地からの目撃談(同書54ページ~56ページ)
「ほぼ南を向いて立っていた私の左手に、北から南へ向かって、少し右に傾いた民間航空機であった。民間機と瞬時に思ったのは、窓が一列にたくさん見えたからである。」「大きな飛行機という印象も、やたら窓がはっきり見えていたからである。高度もそれゆえに低く感じたし、速度も実にゆっくりに見えていた。」私はまた風にあたりながら足腰の屈伸運動や深呼吸をした。目の前の川向こうの山が夕日に映えていた。そのとき、飛び去ったと思った飛行機がその山の右へひょっこり顔を出した。今度は西に向かっている。さっきよりは距離があって小さく見えるが、あまり上昇していないと感じた。今度はすぐに次の山影にかくれて見えなくなった。
私は「あの飛行機やっぱりちょっとおかしいな」とだけ感じた。それは米軍基地は東の方角だからであった。「あの高度、速度は、これから着陸する感じだったが」とも思いながら、私は振り返って自分のバンガローに向かった。大きな飛行機を見ていたのは6時40分~41分頃から43分~44分の間であった。
『疑惑』91ページ
東京都西多摩郡五日市町入野750-1 南澤輝明さん(35) 会社役員の証言
あの日は私の誕生日なので、よく憶えています。町の南側にある今熊山(八王子市美山町)の方向から、大きな飛行機が現われ、北北東の方向へ水平にゆっくり飛んでいた。秋川や町の上空を横切って日の出町方向の山へ消えました。五日市高校の上空あたりを飛んでいる様子でした。横田米軍基地に降りると思いましたが、普段米軍機は低空でこんな所を飛ばないので墜ちるのでは・・・・・・と感じました。時間は午後6時45分頃の20~30秒間です。
Re. 補足します。
- 投稿No.2688 元投稿No.2685 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-10 08:11:47
> 123便は、甲府市の南側を飛行。
> 管制用のレーダーとは別の、
> レーダー画面で位置の記録を取り始める。
> (管制官証言)
> 二次レーダーでは探知出来ず、単純に物体が反射した電波を受信している、一次レーダーを使って居ります。
なるほど。大月上空の前は甲府市の南側にいましたか。
Re. 一連の流れを推定
- 投稿No.2681 元投稿No.2678 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-09 22:58:39
> マヌーバー(操縦性)の問題に
> 気を取られ、1万3千フィートから
> 上昇する要求を出せ無かった可能性が大。
> しかもファイアー ビーを視認させ執拗に追跡した、可能性も指摘出来ます。 回避運動で躱させて、25分丁度に精確に垂直尾翼に軽衝突させたとなれば、衝突物体の中に組み込まれた電子頭脳の優秀さをテストして居たと想定出来ます。
胸肩さんへ
同じ箇所に関しての私見です。
離陸後9分後ぐらい、時刻にすると18:21頃に垂直尾翼に小さなものが衝突して客室内では後方の上の方で「パーン」という音がした。
おそらくは無人標的機機そのものではなく、そこから出ている吹き流し部分が無人標的機機本体から分離された状態で垂直尾翼に衝突。
機体は大して振動もなく、揺れもしなかった。客室内では揺れも振動もほとんど感じないほどであったが、そのときの衝撃で酸素マスクが降りてくる。
パイロットは何が起きたかわからず、減圧の可能性を考え、大事を取って高度を上げなかった。
そのままの高度(約4,000メートルぐらいか)を維持しながらまっすぐ西に向かう。
18:25頃、今度は機体後方のバルクカーゴルームで仕掛けてあったと思われる爆発物が爆発。一部の油圧系統が損傷し、機体尾部から尾を引くように煙が噴出。
このときもパイロットたちには何が起きたのかわからなかったが、油圧系統の一部が損傷した。
機長は羽田に戻りたいと考えて右旋回を指示。
このとき垂直尾翼には影響はなく、ほぼ正常な状態のままであった。
油圧が抜けていくに従い操作性が悪くなり、左右への旋回がはじまった。
左右への傾きは徐々に大きくなっていったが、そういう状態で伊豆半島を北上し、富士山の東側を通過。
出回っているCVR(ボイスレコーダー)の虚偽性(その2)
- 投稿No.2673
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-07 20:28:50
胸肩さんへ
地上からの目撃談とCVRとがぴったりと重なる箇所があります。(但し、両者の時刻を除いては)
CVRと目撃談を比較してみてください。私が何を言いたいか、胸肩さんならおわかりになられることでしょう。
(目撃情報)
「疑惑JAL123便墜落事故/角田四郎著」97ページに記されている目撃談
石川さんらは、12日午後、長野県南佐久郡川上村梓山の実家近くにある畑で、レタスの葉の消毒作業をしていた。墜落現場の南約6キロの地点だ。あたりが薄暗くなり始めた午後7時ごろ、東南にある甲武信ヶ岳(こぶしがだけ)2475メートルの北側の尾根から、突然、大きなジェット機が姿を現した。飛行機は石川さんら数人が働いていた畑のほぼ真上を西方向へ通過。「まるで石を投げたら当たるような超低空飛行だった。真上に来たときは空が真っ黒になるように感じた」と石川さん。
飛行機は千曲川にそって西に進んだが、正面には扇平山(1700メートル)が迫っていた。右翼を下げて飛行機は約90度右旋回した。が、進行方向には三国山(1818メートル)がある。
もうぶつかるかと思ったが、機首をぐっと持ち上げて、山の斜面を這うようにして上昇していった。機首の上部が後ろからでも見えるほどの急角度のまま、やっと尾根を越えた。
(CVR)
機長:おい山だぞ
機長:山だ 副操縦士:はい
機長:コントロールとれ右
機長:ライトターン
副操縦士:ライトターンですね?
機長:山にぶつかるぞ 副操縦士:はい
------------------------------------------------------------------------------------------------------
(CVR)
機長:あたま上げろ
航空機関士:はい 了解しました
機長:あたま上げろ
機長:あたま上げろー
機長:あたま上げろ
副操縦士:パワー
機長:フラップとめな
機長:パワー
機長:パワー
機長:フラップ
副操縦士:あげてます
機長:ストールするぞ
機長:あたま上げろ
機長:あたま上げろ
機長:パワー
「地上接近警報」(GPWS) SINK RATE
「地上接近警報」(GPWS) WHOOPWHOOP
「地上接近警報」(GPWS) PULL UP
「地上接近警報」(GPWS) WHOOPWHOOP
「地上接近警報」(GPWS) PULL UP
「地上接近警報」(GPWS) WHOOPWHOOP
「地上接近警報」(GPWS) PULL UP 機長・・・もうダメだー。
「地上接近警報」(GPWS) WHOOPWHOOP
「地上接近警報」(GPWS) PULL UP
「地上接近警報」(GPWS) WHOOPWHOOP
「地上接近警報」(GPWS) PULL UP
直後「衝撃音」でCVRは終了
出回っているCVR(ボイスレコーダー)の虚偽性(その1)
- 投稿No.2670
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-06 20:54:30
出回っているCVR(ボイスレコーダー)に含まれる機長たちの声がすべて偽物だとは思わない。
しかしながら出回っているCVR(ボイスレコーダー)については「時刻と中身の不一致」と「編集作業によって創作された言葉」が挿入されている上に、それらが混在状態になっているように感じる。
例えば、18:25頃、機長の声で、「日本航空123便 トラブル発生 直ちに羽田に帰還を要求する。 22,000フィートに降下し、維持する」とあり、CVRの通りならばそのときの高度は22,000フィートよりも高いところを飛んでいたことになるが、複数の目撃情報から受ける印象はそのときの高度はもっとずっと低かったと思われる。
Re. 感謝します。
- 投稿No.2665 元投稿No.2664 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-05 22:02:56
> せきたに様
> 御指南戴き有難うございました。
> 日本経済新聞8/13の朝刊のフライトコース
> に、三島市や御殿場市の天気も調査
> して、コースの時間配分も加えましたら
> 無理の無い時間で、仰る通り30分に
> 落合さんが、左窓の外に見たに該当
> すると判断出来ました。
> 回り乍ら、八の字旋回も理解しました。
胸肩さんへ
とんでもございません。
私はただ、
・CVR(ボイスレコーダー)は公開されていない。
・DFDRも公開されていない。
この前提に立って、落合証言を含む生存者の言葉並びに犠牲になられた人たちが残された遺書から浮かび上がってくるのは18:25頃から伊豆半島を北上し、18:30頃に富士山の東側を通過したのだろうとしか考えられなかったのです。
Re.(5) JAL123擬装機体先導
- 投稿No.2655 元投稿No.2654 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-04 22:19:35
> 御自分の主張なら、本当は御自分で御探しになった方が自信になるのに残念に思います。
> 皆さんも納得される筈ですね。
> 56Cで、窓側から3番目と言う事なのです。
> 左下とは言うものの、正確には、「窓の外のやや下方」であり窓際から見た真下では無いですよ。
> 秋山村の西側と言えそうですね。
> 詰り18:40過ぎになるのでは、
> 無いかなと思います。
落合証言で富士山が「窓の外のやや下方」に見えたとされるのは、雲の上にあったときで、かつまだ安全姿勢を取っていなかったときであると考えますので、18:40過ぎでもなく、墜落直前でもないと考えます。
18:30頃に富士山の東側を通過したとき、富士山が「窓の外のやや下方」に見えたのだろうというのが私が探した上での意見であることを述べておきます。
Re.(3) JAL123擬装機体先導
- 投稿No.2653 元投稿No.2652 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-04 20:53:52
> 18:31の緊急連絡の際に
> JAL123
> 申し訳ありません
> 現在、規定航路の外に出てます。
> ACC
> 其の通り、現在位置は名古屋から
> 72マイル.(115.848km)名古屋に着陸するか?
> と尋ねて居り、焼津付近に為ります。
落合証言で「富士山を左下に見た」という箇所がありますが、そのときの機体の位置を特定してください。
Re. JAL123擬装機体先導
- 投稿No.2650 元投稿No.2638 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-04 18:40:12
> 伊豆半島を西に横断せず、北上した。
> JAL123便は追従せずに飛行します。
伊豆半島を西に横断せず、北上したのが123便では・・・
その後、123便は左右へ大きな旋回を繰り返しながら18時30分頃富士山の東側を通過。
Re. 決定的な証拠
- 投稿No.2649 元投稿No.2639 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-04 18:33:10
> 米軍JAL擬装B707(RCー135)
> 18:30 神奈川県相模原市上空座間ポイント*の東約9km高度約5400m上空よりANA757便東京発小松機長は…
> 「4発エンジンの大型軍用機といった感じで日航機には見えなかった」・・・
> 渋々証言させられたのか? 流石にベテラン機長で、誤魔化せませんでした。
小松便の機長が見たのは123便では無く、実は大型軍用機だったという訳ですね。
Re. 事故発生時の123便の実際の高度
- 投稿No.2628 元投稿No.2627 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-06-04 09:16:49
> 詰り3962mを保持していた事になります。
> これが、18:25の事故発生時の高度です。
18:25に事故が発生したとされていますが、落合証言を含む生存者証言からの類推ではそのときの異変は実は離陸後2回目のものではなかったのかと考えています。
Re.(2) 違和感
- 投稿No.2594 元投稿No.2592 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-05-08 20:31:53
文系ちゃんへ
> A.レーダーロストの発生は墜落時の56分頃、1回しか起きていないとする認識のうえで書かれた
> B.レーダーロストは墜落時以外にも、推定18:40頃にも発生していたという情報を入手し、一旦はレーダーロスト、推定墜落的なテロップを出したものの、その後交信やレーダーによる捕捉が確認され、その時には墜落していなかったことか判明するという、いわば誤報的なようなものであったとわかっため、その時のテロップはなかったものとし、56分の墜落時の情報によるもののみを扱った
> C.推定される時系列通り、40分頃と、56分頃と2度のレーダーロストがあったことを前提として書かれた
上記A.~C.の中ではBが真相に近いのではないか。ただ、18時40分のレーダー消失は誤報ではなかったが、あとで誤報であったとされたのだろう。
19時26分に松平アナが報じる前の段階で
「日航機がレーダーから消える」というテロップが
19時よりも前に2回と
19時00分~19時26分までの間に2回、
合計4回流れていたというのが真相なのだろう。
テロップが映った録画映像が出てこなくても、それを見たという人が複数いて、著名人による文献上の記載があるというのなら、もはや疑うことが出来ないレベル。
問題はなぜそのことを隠す必要があるのか? というところだと思う。
隠しても次々と根拠となる証言や文献が出てくるので、最後は取り繕いようが無くなる。
Re. 123便の外部からのコントロール
- 投稿No.2591 元投稿No.2590 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-04-29 20:54:47
> さて、123便は外部から操縦を乗っ取られて、なされるがままに山間部に誘導されて墜落した、とされています。
> 私もそうに違いないと思うのですが、一体どのような技術を使えばそれが可能なのか、これを解説したものを知りません。
田端さんへ
2001年4月に『すべては傍受されている-米国国家安全保障局の正体』(瀧澤一郎訳、角川書店)という書物がABCテレビ『ワールド・ニュース・トゥナイト』の元ワシントン調査プロデューサー、ジェームズ・パムフォードによって著されたのですが、書物には、アメリカの都市にテロ攻撃を仕掛けて民間人を殺害し、キューバのフィデル・カストロ議長に罪を着せる計画をアメリカ軍首脳陣があたためていたことを暴露するという衝撃的な事柄が記されていて、その計画名は「ノースウッズ作戦」と名付けられていたようです。
ノースウッズ作戦には民間機をハイジャックする計画まであったとされています。そこには、アメリカからジャマイカ、グアテマラ、ベネズエラ、パナマなどに向かう民間の大型旅客チャーター機をキューバ機に撃墜されたと見せかけることができる、と記されています。
「まず行き先として、キューバを横切るルートをとるものを選ぶ。実際はCIA機を「本物」とし、これに「選抜された」乗客を乗せ、一人ひとりに「注意深く用意した偽名」をつけて民間の空港から離陸させる。これをフロリダ上空で遠隔操縦の替え玉機とすり替え、そのままキューバ上空まで飛行させて遭難信号を発信させたのち、地上からの無線信号で自爆させる。」
遠隔操縦技術に関しては、地上からの遠隔操縦が作動すると遠隔操縦が優先となり、パイロットによるコックピットからの命令は無効とされてしまうようです。(そのように作ってあるということでしょうか)
1962年3月に国防長官ロバート・マクナマラからケネディ大統領に提出されたようですが、ケネディ大統領はこの計画を却下されたようです。
JAL123便墜落事故で遠隔操縦技術が使われたかどうかは不明ですが、上の文献によると遠隔操縦技術は1960年代の時点で既に存在していたことがわかります。
Re.(16) 違和感
- 投稿No.2580 元投稿No.2579 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-04-10 20:34:55
> せきたにさま およびこの掲示板をご覧になられていて事故についての検証をされている方へ
> 角田氏が大月旋回中の見た際に関する情報 ささやかなものではございますが、提供させて頂きます。
> 高度についてですが、「疑惑」の395ページに、
> 「私の目測では、日航機が隠れきった峰が1000m級であることを考え合わせれば、機の高度は2〜3000メートル以下である。」
> とありました。以下 という表現ですので下方向には含みを残しますが、おおよそそのくらいの高さに飛行機を見たものと判断できるかと思います。
文系ちゃんへ
角田四郎さんは『疑惑』で大月のキャンプ地からの目撃談として
「私の目測では、日航機が隠れきった峰が1000m級であることを考え合わせれば、機の高度は2〜3000メートル以下である。」
という考察に加えて次のような目撃談を合わせて記されているので、総合的に考えると高度2000メートル以下であった可能性が高いと考えられる。
『疑惑』54ページ~56ページ
「窓が一列にたくさん見えた。大きな飛行機という印象も、やたら窓がはっきり見えていたからである。高度もそれゆえに低く感じたし、速度も実にゆっくりに見えていた。」
「あれぐらい低いと、乗っている人もこっちを見ているかも知れないな」と思い、上げた手を機に向かって振ってみたりした。
「あの高度、速度は、これから着陸する感じだったが」とも思った。
Re.(13) 違和感
- 投稿No.2570 元投稿No.2569 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-04-01 07:33:30
> せきたにさまへ
> 一つ質問宜しいでしょうか?
> 事故発生後の伊豆半島以降の航跡についてですが、静岡へとは飛行せず、伊豆半島の西岸付近を北上し、富士山方向へと向かったという可能性というものは、幾らかはあり得るものなのでしょうか?
文系ちゃんへ
事故発生後の伊豆半島以降の航跡については、駿河湾を横断し、降下しながら焼津又は藤枝に行ったのではなく、伊豆半島を北上し、富士山の東側を通過したのではないかと考えています。
その根拠ですが、
1.落合証言によると、富士山が左下に見えたとき、機体はまだ雲の上にあったわけですが、そのときまだ降下ははじまっていなかったと思われます。
(そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。)
2.乗客の遺書によると、18時30分頃から急降下がはじまったように感じます。なお、河口博次さんの「まわりながら」は大月上空での360度旋回では時刻が合わず、その手前の描写ではないかと私は考えています。
村上良平さん
「18.30 急に降下中」
河口博次さん
「今6時半だ
飛行機はまわりながら
急速に降下中だ」
3.伊豆半島の東側、河津上空で異変が起きたとされている地点から富士山の東側まで直線で70km以上あり、巡航速度800km/h~900km/hで飛行しても5分~6分ぐらいはかかります。
駿河湾を西に横断し、焼津まで行ってしまったら、18時30分に富士山の東側を通過することはできないはずです。西伊豆を北上でもなく、東伊豆の河津上空で異変が起きた後はその地点から伊豆半島を北上、まっすぐに富士山の東側に向かったのではないかと私は考えています。)
東伊豆、河津町のタクシー運転手、近持芳太郎さん(58歳)と渡辺武夫さん(51歳)
(河津駅前のベンチで休憩中の目撃談)
「海側の北東上空で雷のような〈ボーン〉という音がした。 ジャンボ機は駅上空を過ぎると大きく右旋回し、北側へ向かい、いつも見るコースから外れた」
Re.(5) 123便の横田への着陸
- 投稿No.2565 元投稿No.2563 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-03-26 15:19:58
AOSANさんへ
相模湾上空で(離陸後2回目の)異変があり、その後機体は左右への大きな旋回を繰り返しながら、伊豆半島を北上、全員がライフベストの装着を終えた18時30分頃に富士山の東側を通過したのとほぼ同時に安全姿勢の指示があり、その直後から18時40分頃にかけて墜落前の急降下とは異なりますが、死を覚悟せざるを得ないほどの恐怖を伴う急降下がはじまった。多くの遺書はその10分間のうちに記されたものではなかったのかと私は考えています。
> せきたにさんへ
> 返信ありがとうございます。当然です、藤枝市の小林さん目撃機は123便ではないようです。
> この地~河津町まで飛行した”戦闘機2機追従の大型機”が「米軍偽装機(裏組織と思う)」という鑑定結果です。
> なお、大月で旋回した機がどうかは、未だ鑑定しおりません、予算の都合で…。
> あと、大月旋回の時刻は18:30近辺でなく18:40台と思われますが。(123便は伊豆半島を北上の別ルートと鑑定出てます)
> なお、アカシックレコードでの鑑定は、日本では、この方の他いないかもしれません。
> 〔☎鑑定の流れ〕事前画像付YES/NOニ択仮説文章一覧資料 送信
> →依頼者がTELで開始依頼→達人:資料を見ながら振り子(ロットかも)を資料の上にへかざす
> →達人が資料のYES・NOイメージを順番に問いサーチする(宇宙空間のアカシックレコードへ検索:ネット検索と近似)
> →YESならば振り子が回転等アクションを起こす
> 以上、私は現地含め360度(全方位)の調査により、真相究明への前進活動をつづけております。
> 今なお明かされぬ”日航機墜落の真相”。「再調査」署名が現在3,330人、メディアが取上げる可能性が高くなる5,000人へ!
> https://www.change.org/JAL123saicyousa
> 8.12連絡会事故調査分科会サポーターより
Re.(11) 違和感
- 投稿No.2564 元投稿No.2562 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-03-26 15:00:41
文系ちゃんへ
藤枝市における小林さんの目撃談は18:30のものであり、その地点で既に低空飛行の飛行機を目撃されているようですが、落合証言によると、相模湾上空で異変が起きた後、ライフベストの装着がはじまり、それに5分ぐらいはかかっているはずです。ライフベストの装着が終わるまで機体は雲の上であったという落合証言と、藤枝市における小林さんの目撃談はやはり一致しないのではないかと感じざるを得ません。
次に18時40分の事故機の位置について、大月上空で旋回中であったとするのならば、『疑惑』の著者である角田四郎さんがその時刻帯に旋回しながら低空飛行する旅客機を目撃されておられるので、角田四郎さんの目撃談は事故調発表のものとは異なってしまいますが、角田四郎さんが目撃された飛行機がJAL123便であったならば高度5,400メートルで飛行中の小松便の機長が右上に飛行機を目撃されたのが18:40とした場合、それはJAL123便ではなかったということになるのではないかと思います。
> 焼津手前での旋回箇所でもって「回りながら」その付近で急速降下もしていれば、体感とアナウンスの両方から、あの記述となったのかもしれません。
> 小松便が座間東9km地点にいた時刻が18:40かどうかですが、現状では低空飛行の根拠が示せず、NHKの19:26より前のテロップの存在が確認できさえすればほぼ明確に否定することができるように思っています。
> 先に投稿No.2555にて小松便の推定航跡を貼らせて頂きましたが、事故調報告書と毎日新聞記事内容からすれば、破綻なく説明されている状況は成立しているようです。
> ただ、もう少し詳細にみる必要があるようにも感じています。
Re.(9) 違和感
- 投稿No.2561 元投稿No.2559 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-03-26 08:45:40
文系ちゃんへ
18:30の急降下に関しては犠牲者の村上良平さんのほかには、河口博次さんが次のように記されています。
「今6時半だ
飛行機はまわりながら
急速に降下中だ」
河口博次さんによるこの記述はプリレコーデッドアナウンスを聴いてのものではなく、6時半頃にご自身が受けられた実感をそのまま記されていると見るべきではないでしょうか。
次に小松便との関係ですが、高度5,400メートルで飛行中の小松便の機長が右上の方向に機体を見たと言われているので、JAL123便が18:40にレーダーから消えるほどの低空飛行になっていたのであれば、小松便が座間東9km地点にいた時刻が18:40であった可能性は排除出来るのではないでしょうか。
> こちらですが、村上さんは、プリレコーデッドアナウンスを聴いて、(実際の機体の動きと合致するかは不明ですが)そのように記した可能性があるように思います。
> 小松便の方ですが、座間東9km地点の時刻を、16日版で18:34、23日版で18:40として航跡を考えております。
> 小松便側の航跡はほぼ一緒ですが、123便側は大きく異なるように思ってます。
Re.(3) 123便の横田への着陸
- 投稿No.2560 元投稿No.2558 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-03-26 01:11:12
AOSANさんへ
「アカシックレコード鑑定」ということですが、その種の人たちの不思議な力によって迷宮入りの事件が解決に導かれたことが複数あるらしいので、一目は置いています。
ただ、私は静岡県藤枝市上空での小林さん目撃情報がJAL123便だったのだとすれば犠牲者の遺書や落合証言との整合性が取れないのではないか考えています。
落合証言によると、
「ゆっくりと左右に大きく旋回しているような動きがはじまったのは、酸素マスクをして、しばらくしてからです。」
と記され、それに続けて
「私の席に近い左の窓から見えたのは、まっ白な雲だけでした。かなり厚い雲で、地上は見えませんでした。」
「飛行機はあいかわらず旋回をくり返すように左右の傾きをつづけます。振動などは全然ありません。とにかく、くり返し、左右に傾いているという揺れ方がつづきました。」
と記されていますが、その表現は
犠牲者の村上良平さんが
「機体が大きく左右にゆれている」 と記されている箇所と一致しそうです。
続けて村上良平さんは「18.30 急に降下中」と記されてます。
急降下については犠牲者の河口博次さんも
「今6時半だ
飛行機はまわりながら
急速に降下中だ」
と記されているので急降下がはじまったのは18:30頃のことであったと思われるのですが、落合証言からその時機体はまだ雲の上にあった可能性が高いことを考えると、同時刻の藤枝市における地上からの小林さんの目撃談とは一致しなくなります。
> 大月で目撃されたのはJAL123便ではないと断言(→たぶんとさせて下さい)されていたが、その考え方の根拠ですが、
> 私が有償で依頼した30年選手によるアカシックレコード鑑定において、
> 目撃された静岡方面から飛来の大型機が”垂直尾翼に鶴マーク”があり、戦闘機が追従しており、
> 18:30 静岡県藤枝市上空での小林さん目撃機、次いで、
> 静岡駅付近での静岡駅南から見て、西南から来て、駅方向へ右旋回し、逆に左傾斜し左旋回(S字)した大型機が、次いで、
> 18:34 静岡県富士宮市人穴に飛行し、山林に機体の一部落下(事故調報告書P.158、”垂直尾翼に鶴マーク”目撃):池田昌昭著-鎮魂P.98
> の18:30の機が、123便ではなく、同偽装の攪乱機と判断されたからであります。
> 端的に言うと、123便自体には戦闘機の追従がなかったようなのです。この機が大月を経て飛んでいた推定になります。
> 信じるも信じないもあなた次第ですが・・・。
> 以上
Re. 123便の横田への着陸
- 投稿No.2557 元投稿No.2554 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-03-23 22:11:06
AOSANさんへ
> 【日航機墜落事故107】海外メディアは真相を報じていた!?小幡氏の調査記録
> https://www.youtube.com/watch?v=-Jj0_-rgj_E&t=15s
上記の動画は貴重なもので、特に動画再生中7:30~7:40に「炎となった123便」の燃え方は単なる墜落火災の燃え方としては異様なものを感じる。
一つ思い出したことがあるのでAOSANさんへ質問。AOSANさんは以前角田四郎氏が大月で目撃されたのはJAL123便ではないと断言されていたが、その考え方の根拠を教えてほしい。
Re.(7) 違和感
- 投稿No.2556 元投稿No.2555 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-03-23 21:58:41
文系ちゃんへ
『疑惑』(角田四郎著)323ページには以下のような記載がある。
「8月16日の「東京新聞」朝刊」
「12日夕、羽田発の定期便で、ザマ・ポイントに向けて飛行中、ACCに24000フィートへの上昇許可を求めたところ『18000フィートを維持せよ。緊急通報を発している期待がある』と通報され、初めて近くに123便のジャンボ機がいることを知ったという。
このため前方を注視していたところ、午後6時半すぎ、同ポイントの東9キロ地点で、前方のやや右上部に123便の機影を視認した。機長は『初めは四発エンジンの大型運用機といった感じで、日航機には見えなかった』という。また『機は大きくなったり小さくなったり見えた』『北から東に針路変更をしようとしているようだった』と報告している。」
上の記事の中で、
機長は『初めは四発エンジンの大型運用機といった感じで、日航機には見えなかった』という記載がある。
私は、小松便が視認された飛行機は実は事故機を装った軍用機であった可能性もあるのではないかと考えている。
その理由は、小松便はそのとき高度5,400メートルを維持していたというが、18時30分の時点で事故機は既にそれよりも低い高度であった可能性があると考えているのと、
もう一つは、
村上良平氏の遺書の中に「18:30 急に降下中」とあるので、小松便の機長の目撃証言とイメージが重なってこない。
> 毎日新聞8月23日版小松便機長証言を、可能な限り新聞、および事故報告書に合致する形で航跡とした。
> 精度的には粗さはあるものと思われるが、概ねこのような航跡であったものと読み取った。
> なお、全日空機の18:40までの航跡は、左旋回以外には根拠とするものがなく、全くの推定である。
> <小松便機長証言見当>
> http://imepic.jp/20230322/656210
> <小松便機長証言見当(拡大)>
> http://imepic.jp/20230322/656220
Re.(22) 違和感
- 投稿No.2542 元投稿No.2541 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-03-06 08:27:06
文系ちゃんへ
日航機の墜落直前の航跡は、川上村におけるほとんどの目撃談が示す通り、逆S字(反時計回り)であったと思われる。
また、川上村から三国山にかけては石川さんの目撃談が語るように、山の稜線に沿って駆け上がり、その後、林さんの目撃談が語るように山の頂上から谷に向けては45度ぐらいの角度で急降下した。
川上村で目撃談が多いのに比して群馬県側では極めて目撃談が少ないのはそのような理由によると思われる。
> 私の投稿No.2539で、上野村の地形断面を示しまして、村役場からは事故機を見るのはまず無理であるだろう旨の見解を示しましたが、事故機は墜落のごく直前までほぼ高度3000mは維持していたようですので、航跡が報告書にある通りであるならば国道沿いからであっても少ないながらもいくつかは目撃証言があってもいいように思います。
> 逆に国道付近からの証言がないという事を考えますと航跡自体事故調のものとは違っており、川上村逆S字からの三国山超えて程なくでの墜落であった方が正しいという事を示しているようにも思います。
Re.(20) 違和感
- 投稿No.2540 元投稿No.2535 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-03-03 20:28:31
文系ちゃんへ
文系ちゃんからの質問
> 一点質問宜しいでしょうか?
> 確か墜落後、見通しの良い山を目指して登っていき、あとわずかで見通せる地点に辿り着くという寸前に警察?によりそれより先に進むことを阻止され引き返しさせれれた といったような内容の話があったように記憶しております。
> その話の場所がどこでのことだったのか、また、その話の出典等、情報をご存じでしたら、お教え頂ければ と思います。
に対する答えは前回引用したところではなく、今回引用する箇所になるかと思う。
『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎著)
125ページ~129ページ
(ガソリンスタンドから出て)ふたたび車を走らせながら、我々は口数少なく、しかし頭の中は二人とも同じ事を考えながら走っていた。
「今の話、本当だよな」
「間違いないな、時間的な記憶も確かだし」
信じられない現実を耳にしてしまった気がした。清流、神流川に沿ってくねくねと曲がる道は、万場町を過ぎて、その曲がる頻度もどんどん狭くなり、中里村を過ぎるとついに一車線(両側)道となった。つまり対向車とは、すれ違い場所以外では通れない。それにつれて道は、片方は山の崖、一方は川まで10メートル以上の絶壁となった。
この頃から我々と反対方向、つまり藤岡方面に向かう車とさかんに出合った。その多くは自衛隊のトラックであった。それはまるで戦場から引き上げて来るような雰囲気である。舗装は随所で穴があり、また途切れている。運転には相当の注意が必要であった。だが、景色は素晴らしく、空気もひんやりと澄んでいた。
道がいよいよ険しくなった頃、川向こうの小高い所に上野村役場が見えた。乙母集落、村の中心地である。少し行くと右側に小学校とグラウンドが見えた。だが、それは小学校の風情ではない。軍隊野営地である。これが陸上自衛隊の救難最前線であった。役場の駐車場も機動隊の装甲車でぎっしり埋めつくされていた。いよいよやって来たな・・・・・・と思ったのは間違いだったことに、この先で気づくことになる。
運転の修羅場はここからであった。道は増々激しく蛇行し舗装はもうない。左側の断崖は川まで20メートルを越えた。栖原集落を過ぎ、十石(じゅっこく)峠への別れ道を左へハンドルを切った。『これより先、降雨80ミリ以上、通行止』の大看板が目に入る。その先に久々に一軒の雑貨屋がある。そして道は二又に分かれていた。メインは右寄り真っ直ぐである。ここで初めて道に迷った。左の道は橋になっていて狭い・・・・・・。
友人が商店に走った。そして戻って来て「左、左・・・・・・」
しかし、左には小さな浜平鉱泉の看板があるだけ。それも朽ちて字が読めないような代物で他には何もないのである。「本当に左でいいの」といいながら橋に近づくと、「あった」地面から50センチ程の高さに幅15センチ縦30センチ程の板切れに『日航機現場』とだけ書いてあった。ほっとして、ふたたび走り始めたが、ふっと前方を見ると道路半分までせり出した機動隊の装甲車とその脇に白バイが2台とまっていた。私は思わず目をみはった。
若い白バイのお巡りさんが二人、『止まれ』の合図をする。その場所は営林署の事務所になっていて、少し広くなっている。その駐車場に入るよう指示されて車を出た。
「どちらへ?」
「山、日航の現場です」
「御家族でも?」
「はい」
「この先はお断りしてるんですよ、あなた方の安全をお守りする役目がありますから」
「ああ、それでしたら結構です。覚悟はしてますから」
「いいえ、そんな訳には行かないです」
「じゃ、入ってはいけない法的根拠はなんでしょうか」
「それはありません。しかし、危険ですし捜査の支障になりかねないので、お断りしています」
友人も少しムッとしながら「この山でいっしょに死んでやれるんなら本望だよ、あなたにはわからんよ、この気持ちは・・・・・・」
私もたたみかけて「捜査の邪魔だというなら、我々はそれなりの装備はして来たので、2、3日山で捜査を手伝います」
それまで黙って車のナンバーや中をのぞき込んでいたもう一人の巡査が大きな声を出した。「免許証見せて!」これには我々も無性に腹がたって来た。
「見せろと言うなら見せるが、何故こんな所で違反もしていないのに免許証を見るんだ、威圧して追っ払うつもりか」我々の抵抗はまだ続く。
「なにか違反を作り出して、追い帰すわけだな。あんた達の手帳も見せてもらおうか」
先の巡査がもう一人を制した。私は免許証を出して「警察手帳を見せて下さい」と迫った。
「いや、まあまあ・・・・・・、免許は結構ですから、ともかくお引き取り下さい」
もう一人の巡査は本当にイヤな男だった。こうしている間に、白バイのエンジンをかけて装甲車の後ろのやっと車一台分ほどあけてある場所に白バイをとめてしまった。おさまりかけた怒りはふたたび爆発した。
「あんたなにするんだ、道路封鎖なんていくら警察の人間でも勝手にできるもんじゃないことぐらい我々は知っているぞ。そこを今すぐあけろ、我々は話し合いに応じてるんだぞ」
「緊急の場合はできる」と吐き捨てるようにいった。
「どこが緊急だ、我々はなにも犯罪を犯してない一般市民なんだ。しかもここは公道であって、警察の道じゃない。おい、歩こう。ここから歩こう。遭難したら、この人達のせいだよ。車がだめなら歩くしかないよ」
「いや、ちょっと待って下さい。車も歩きもこまるんです」ともう一人が言う。そして白バイの巡査に何ごとか注意した様子で、道をふさいでいた白バイは除かれ、イヤな巡査も装甲車に入った。我々も一応、気を静めて、また話し合った。
「じゃ、今までに山に入った人はどうなの、説明して下さい」
この辺から相手は低姿勢に変じた。
「それを申されるとなにも言えません。しかし、私達はあくまで皆様の身の安全を守る立場から・・・・・・」
こんな会話が延々と続いた。やがて言葉もとぎれて我々も車の脇で二人で話した。
「強引に行くか、ひき返すか」
「ここまで来て帰るなんてなあ・・・・・・」
山中深い所ではあるが、夏の日はジリジリと身を焦がした。
ここでもう20分はやり合っていた。都計は午後1時10分を過ぎていた。我々は駄々っ子のようにその場に座り込み、途切れ途切れに話し合った。巡査は装甲車の中から、それとなく我々を見守っている。
※この後に起きた偶発的事象がなければ、おそらくはいつまでも上の膠着状態が続いたものと思われる。
Re.(22) 違和感
- 投稿No.2538 元投稿No.2537 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-03-01 21:40:49
> 書物調査にてお手数お掛けしまして恐縮です。
文系ちゃんへ
『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎著)
書物には著者が、婚約前の恋人であった彼女を墜落事故で亡くしてしまった友人と一緒に墜落現場まで行ってみようとされていたときの話が記されている。
(121ページ~125ページ)
藤岡から上野村までは約50キロの道のりである。その3分の2くらいまでの道は私にとって気が楽であった。昨年この道を通って、万場町の御荷鉢(おかば)キャンプ場に来ていたからである。七日前に事故機を目撃した、あの大月での六本木子供会のサマーキャンプは、昨年はここ万場町で開催したのである。こんなことでふたたびこのひなびた街道を走ることになろうとは、なにかの因縁なのだろうか。この街道沿いに点々と町や村が集落をなしている古き良き日本の風情を残す所である。
藤岡市を出て最初の町である鬼石町でスタンドに入った。これからの山道とガソリンスタンドもそう多くはないだろうことを考え、早めに満タンにしておきたかった。スタンドの若者が荷物をのぞき込んで、「登山ですか?」と声をかけた。それなら現場までの道を確認しておこうと正直に「ああ、御巣鷹なんだけど、道は知っている?」と尋ねると、「やっぱり。どうぞ、いい地図があるから事務所で」ガソリンを入れ終って案内された。
事故のあった12日の騒ぎのことなど、一しきりするうち「オレの友達も上野の消防団やってんだけど!もうバカ臭えって怒っているよ」
「へぇー、どうして」と私は疑問をもった。
「だってさ、上野じゃ初めっからスゲノ沢ってわかっていたって・・・・・・、長野県側の川上村で山の向こうへ飛んでいって煙が見えたってテレビで言ってんだから、こっちしかないさ!」
「じゃ、何故行かなかったんだろう、すぐに」
「県警がストップかけたんだって、機動隊が村に着くまで待てって。待っても待っても来なくって、そのうち猟友会が電話で案内頼まれていることがわかって、消防の連中、その辺から頭に来てたんだって。その上、3時頃に役所の裏山みたいな小倉山を見て来いと言われてカチンと来た。長野側の御座(おぐら)山と名前が同じというだけで、それに小倉山なんて村の中の丘みてえな山だよ。そこにジャンボ機が落ちりゃ、雷が鳴っていてもわかるってさ。」
若者は興奮気味である。そこへ幸運にも、その若者の上野村の友達がやって来たのである。我々はこのとき、時間に追われていたのだが、彼の話を聞かずには先に進めなくなってしまった。ここからの話は上野村消防団の話になる。しかし彼は話すことを少々ためらった。「名前とか出ると『村八分』にされちゃうんだよ。小さい村だからなぁ。皆んな黙っちゃってるんだ。陰でブーブーいってるけどさ」と慎重である。それでも我々が新聞記者や報道関係者でないことに安心してしゃべりだした。
「小倉山の時も、ちょっとしたケンカだったなあ。誰かが『自分達(機動隊)の手柄にしたくて、消防を関係ない山に入らせようとしてるんだ』と疑ってた。本当にそんな気がしたよ。夜7時半頃から村の上だって、ヘリが何回も飛んでいるんだもん、小倉山なら一発でわかるさ!」
「それでどうなりました」
「朝まで待て!ということだったけど、おやじさん達(年配の団員)は、スゲノ沢なら十何年前に営林署の植林で、三年くらい毎日登った山で、今も山菜や狩猟で年に何回も入る山だし、車で林道を行けば山はいくらも歩かずに行けるって主張したんだ。だけど、ただ、『行くな!県警本部の命令があるまでは、勝手な行動するな』って。本部って言うのは高崎や前橋だよ、何がわかるんだよ、そんな遠い所でさ!」
「結局、行けなかったんだ。それで朝になったわけか?」私はさらに聞いた。
「それが違うんだ、現実は・・・・・・。危険だから明るくなるまで待て!と言うんだから、暗いうちに車で林道の山の入口まで行こうということになったんだ。」
「誰が?」
「消防団の話し合いでだよ。だってもう4時に近いんだからもん。車で走ってるうちにも白んで来る時間だよ。」
「それで、出発したわけ?」
「いいや!それもダメって言われて、もう今度は怒鳴り合いだよ。そのときはすごかった。捜してないのはもうスゲノ沢だけだもんな。あそこに墜ちてるって100パーセント信じてたんだ、オレ達は・・・・・・。とうとう1人おやじが先に出ちまったんだ。4、5人連れて。4時半頃だったと思う。もう明かりなしで歩けたんだ。その連中が『慶子ちゃん』見つけたんだよ。それも長野県警のレスキュー隊とだよ!」
「その連中が山に行っちゃてから、村ではどうしたの」
「もう無茶苦茶。消防団はすぐに後に続いたんだ。オレもね。そしたら、山道の入口で班分けしてたら、機動隊もワーって感じで車で乗りつけて我々より先に入って行ったんだ。
でも、オレ達すぐに追い着いた。あいつら道間違えてバラバラになってた。ある隊員なんか『スミマセン!いっしょに行っていいですか』ってオレ達について来たりしてね。オレ達が暗くても行けるっていったからって、誰にでも行ける山じゃないよ!!」
時間を気にして、私は話を終わらせようとしていた。「いや、これであの遅れがわかって来た。すっきりしたよ。話を聞かせてもらって。ありがとう」
「ちょっとまってよ!」団員が立とうとする我々を引き止めた。「オレが頭に来るのは、その先の話だよ」
「えー、まだあるの」こうなれば聞かぬわけにはいかないだろう。座り尚した。
「それで、生存者助け出して、丸一日遺体を(峰の上に)上げたりケモノ道を自衛隊に教えたりして、夕方になって『消防団は山から下りて結構です。昨夜も寝ていないし、ここじゃメシもないから・・・・・・』そこまではよかったんだ。けどその次に『明日からは山に来なくて結構です。村もいろいろ大変だし』って言うんだ。そんな話ってある?オレなんか若い方だからダメだけど、オヤジ達はあの山なら目つぶっても歩ける人達だよ。地図なんかいらない連中だよ。ここを下りたら崖の上に出ちゃって行き止まりになるとか、あの杉の向こうへ回り込めば一年中水のある沢に出られるとかって。そんな案内もいらねえっていうわけだよ!勝手に山に入ったんで怒ってんだってみんなで言ってた。山から下りてもうみんなカンカンだった。『もうオレ達は手伝わん』って役所にどなり込んでた。でも、今はみんなお上にさからうなって、静かにしてるよ」
私はこの話が終わったとき、この事故とは一体なんだったんだ・・・・・・と、今まで持っていた疑問と合わせてただならないものを感じ始めたのである。
※この話には続きがある。
Re.(20) 違和感
- 投稿No.2536 元投稿No.2535 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-02-27 23:14:08
> 当日夜のTBSニュース(21:00~ 約30分)を参照しますと、3名の林さんの証言が確認できますが、いずれを聞きましても、川上村で目撃された機体は、123便に違いないものと私は考えます。
> 聞く限り録音であったようですので、21時頃にはすでに川上村の北側、県境をこえてすぐのところが墜落地点の候補とされていてよかったようにも思いますが、そうならなかったのは少々残念に思います。
> <日航123便墜落事故 緊急速報と臨時ニュース各社まとめ> 24:24~ 33:10~ 44:30~
> https://www.youtube.com/watch?v=ojYdlLqLUkY
文系ちゃんへ
貴重な映像の情報ありがとう。
私も同感だ。(川上村で目撃されたのはJAL123便だった)ただ、野栗沢地区の黒沢さんによって目撃された飛行機は川上村で目撃されたのとは異なる飛行機であったように感じる。
もう一つ押さえておきたいのは、上野村の子どもたちによって墜落前の時刻帯に目撃されたという、大きな飛行機と小さな飛行機が追いかけっこをしていたという、大きな飛行機についてはJAL123便だったのだろうか?
※墜落現場に向かおうとした消防団員が警察によって止められたという話は角田四郎さんの書物や飯塚訓さんの書物にも記されていたかと思うので、調べておく。
Re.(18) 違和感
- 投稿No.2534 元投稿No.2533 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-02-25 22:01:10
> 黒沢さんの目撃談は、墜落の直前ですので、例の日原で写真を撮影されて以降のこととなるかと思われます。
> 途中の経路はAであっても、Bであっても特に影響はないものと考えます。
文系ちゃんへ
角田四郎さんによって目撃された民間旅客機と、ほぼ同時刻帯に八王子のあたりで目撃された飛行機が異なる場合は、必然的に、偽装あるいは何かを隠蔽する目的で飛んでいた、事故機の123便とは別の旅客機が存在した可能性が考えられる。
そうすると、甲武信ヶ岳のあたりから近づいてきて川上村の住民によって目撃された飛行機はいずれであったのだろうか、という問題を一応検証しておく必要があると思うが、如何。
Re.(16) 違和感
- 投稿No.2532 元投稿No.2531 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-02-23 09:16:13
> 18:45での機体の位置 角田氏の見た梁川付近か、レーダー情報と思われる所沢周辺か、両立はしないものと考えます。
> 正直現段階での情報ですと、自分には こちら と決めかねます。
> この後目撃証言等にて判断できるまでは、どちらかを決めることなく検証をすすめようかと思っております。
文系ちゃんへ
【情報A】-1『疑惑』91ページ
東京都西多摩郡五日市町入野750-1 南澤輝明さん(35) 会社役員の証言<Br /> あの日は私の誕生日なので、よく憶えています。町の南側にある今熊山(八王子市美山町)の方向から、大きな飛行機が現われ、北北東の方向へ水平にゆっくり飛んでいた。秋川や町の上空を横切って日の出町方向の山へ消えました。五日市高校の上空あたりを飛んでいる様子でした。横田米軍基地に降りると思いましたが、普段米軍機は低空でこんな所を飛ばないので墜ちるのでは・・・・・・と感じました。時間は午後6時45分頃の20~30秒間です。
【情報A】-2
8月14日付けの夕刊フジ(大阪本社版)には東京航空交通管制部(所沢市)のレーザーによると、午後6時45分には123便の機影は神奈川県座間市の北東33キロで、高度15,000フィートにあったと書かれている。
【情報B】『疑惑』の著者角田四郎氏の大月のキャンプ地からの目撃談(同書54ページ~56ページ)
「ほぼ南を向いて立っていた私の左手に、北から南へ向かって、少し右に傾いた民間航空機であった。民間機と瞬時に思ったのは、窓が一列にたくさん見えたからである。」「大きな飛行機という印象も、やたら窓がはっきり見えていたからである。高度もそれゆえに低く感じたし、速度も実にゆっくりに見えていた。」私はまた風にあたりながら足腰の屈伸運動や深呼吸をした。目の前の川向こうの山が夕日に映えていた。そのとき、飛び去ったと思った飛行機がその山の右へひょっこり顔を出した。今度は西に向かっている。さっきよりは距離があって小さく見えるが、あまり上昇していないと感じた。今度はすぐに次の山影にかくれて見えなくなった。<Br /> 私は「あの飛行機やっぱりちょっとおかしいな」とだけ感じた。それは米軍基地は東の方角だからであった。「あの高度、速度は、これから着陸する感じだったが」とも思いながら、私は振り返って自分のバンガローに向かった。大きな飛行機を見ていたのは6時40分~41分頃から43分~44分の間であった。
以下の目撃談は上記AかBのいずれで目撃された飛行機だろうか?
『墜落の村』(飯塚 訓)91~94
ジャンボ旅客機が墜落する直前と墜ちた直後の状況を感知し目撃した人は意外に多い。だが、ほとんどの情報は長野県側であった。墜落直前と直後の群馬県側の目撃者は一人だけであった。
昭和50年代ごろまでの上野村は、農業、林業、狩猟、そして炭焼きなどで生計を立てていた。
〈野栗沢地区で五十の坂を越えたばかりの夫と長男夫婦の四人で菊栽培をしているという黒沢フサさん(52歳)の話〉
「お盆の七月、八月(旧盆)が、最も忙しい菊の収穫期なんさねー、飛行機がおっこちた八月十二日は、お盆さまの前日だからねえ。天気ばかり気になったいねー。毎晩のようにゴロゴロ(雷)さまに見舞われていたからねー。あの日は特に早くからゴロゴロさまとすごい雨に見舞われていてさあね。なにしろ菊の切り取りで一番忙しい日だもんで、空を見上げては、やきもきしていたんさね。
十三日の早朝に出荷しなきゃあなんねからね。だけど、ゴロゴロさまだけはおっかねえから、どうにもなんねえもんねえー。鳴るのが収まるのを待つだけさあね。
ゴロゴロさまが鳴り止み、雨も上がってくれたんが、夕方の五時半ごろだったいねー。
それっと、あっしと父ちゃん、息子を嫁御さんの四人が、二台の軽トラックに乗って菊の山へ行ったんさ。まだ空にはどんよりと気味の悪いような黒い雲が垂れこめていて、薄暗いようだったいねー。
このあたりは高い山に囲まれているもんだから、陽の沈むのも早いんさねー。山の畑は山を切り崩してつくったんでねー。あの辺では一番高い場所なんさね。
国道はずっと目の下に見えるんよ。山が水平に見えるところなんか、ほかにはどこにもないがね。
『御巣鷹山』方面の山並みが同じ目線で見えるところっていったら、うちの山ぐれえだんべえねー」
上野村から見る空は、丸くない。三角の空だ。御巣鷹山のある西方の山と山の谷間が、扇形になっている。
だが、国道や集落からは、この谷間は見えない。千~二千メートル級の高山が眼前にそびえ立っているからだ。菊畑のある小高い山の斜面からは、山の頂上から谷までが一望できる。いくつもの山が連なって見える、という。
「菊の切り取りが済んで、トラックに積んでたら、頭の上を飛行機が『うわん、うわん』というか、『がおん、がおん』というような爆音を立てて、低く飛んでいったんさね。
『飛行機もこんな暗前(夕方)に、飛ばなくったって、もっと明るい娑婆で飛べばいいものを』なんてひとり言を言いながら、トラックの荷台に乗っかったんさねー。嫁は倅(せがれ)の車の荷台にね。なにしろ帰り道は急なノリ(傾斜)なもんだからねえ。
そしたら、トラックが動き出した直後かのおー。
『どん!』というような口では言い表せないすごい音がしたんさね。生まれてはじめて聞く音だあね。あっしは飛行機の音が気になったもんだから、すぐに音のしたあの山の方を見たんだいねえ・・・・・・。
そしたら、あの山と山の間の扇型の空が真っ赤に染まっていたんさね。
他の空はまだどんより黒い雲が垂れこめていたんにねえ。あの山の谷間はうちの山からでなくちゃあ見えねえやねえ。国道からもどこのヤツ(集落)からも見えねえやねえー。高え山の稜線を見上げるだけだもんね。まあ驚いたねえ。燃えるような赤色というんかねえ。でもあんな赤い空は見たことないやねえ。飛行機が墜ちたなんてこたあ、思いもしなかったもんねー。こんな夕焼け、生まれてはじめて見るなあ、と思ったんさね」
Re.(14) 違和感
- 投稿No.2528 元投稿No.2527 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-02-19 09:37:04
文系ちゃんへ
> 18:45に機体がどこに位置していたのか?
については以下のような情報もあり、小松便との対比も記されているようだが、18時45分頃、機体は着陸態勢にあったということは角田四郎氏の目撃談からも矛盾はない。
『疑惑 123便墜落事故』(角田四郎著)55ページ
私は「あの飛行機やっぱりちょっとおかしいな」とだけ感じたそれは米軍横田基地は東の方角だからであった。「あの高度、速度は、これから着陸する感じだったが」とも思いながら、私は振り返って自分のバンガローに向かった。歩きながら西の空が色づき始めているのを見た。その時また飛行機が見える。木の間に見えかくれしていたが、私はつい「エッ」と驚きの思いで立ち止まって見つめた。しかし、今度はごく小さな機影で、北西に向かって夕焼けの中をどんどん小さくなってゆく。
「あれはさっきの飛行機じゃないな」と思い、ふたたびバンガローへの坂道を登っていった。
この間5~6分の出来事である。例の大きな飛行機を見ていたのは2~3分間であろう。6時40分~41分頃から43分~44分程の間であった。
Re.(12) 違和感
- 投稿No.2526 元投稿No.2525 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-02-15 21:19:46
文系ちゃんへ
村上良平氏の遺書によると
18:30 急に降下中
18:45 機体は水平で安定して
18:46 着陸が心配だ スチュワーデスは冷せいだ
とある。
18:30~18:45の間に乗客たちは自身の死を意識せずにはおれないほどの恐怖を味わったと思われる。
遺書のボリュームから推測されるのは、遺書が認められたのは同時刻帯(18:30~18:45)であったと考えられるが、極限に近い恐怖感の中での筆記であったのだろう。
Re.(10) 違和感
- 投稿No.2524 元投稿No.2521 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-02-14 07:29:02
文系ちゃんへ
JAL123便墜落事故の全体像を眺めてみると、相模湾上空で垂直尾翼がどうなったかを論じることは隔靴掻痒の感を免れず、本当の悲劇がはじまったのは長野県川上村に近づいて来てからのことだったのかもしれない。
Re.(8) 違和感
- 投稿No.2518 元投稿No.2517 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-02-07 16:25:08
文系ちゃんへ
先般紹介いただいた動画作成者は、墜落直前の事故調発表の航跡と目撃談との明らかな相違に加えて、相模湾上空での垂直尾翼の破壊は疑わしいといった主張もされているようだが、私はそれについても同感だ。
投稿№205で「無名」さんに向けて次のような返信をしたことがなつかしい。
「どうも無名さんとは話がかみ合っていないように思う。そもそも私は相模湾上空においては急減圧はなかったはずで、その他の原因でも垂直尾翼は吹き飛んでいなかった可能性が高いと言っている。」
> せきたにさまとは、川上村での目撃情報を多数確認してまいりましたが、新聞と娯楽週刊誌との、2つの異なる目撃証言において逆Sとなる飛行経路のイラストが添えられていたことを認めるに至りました。
> 目撃証言からすれば、事故調の報告書にあるような大きな右旋回の後のカラ松への接触ではなく、甲武信ヶ岳方面から梓山地区での右旋回、三国山手前で左旋回で県境を越えてものの数秒で墜落 と考えるのが普通ではないかとの考察結果となっておりましたが、全く別の方の検証においても同様の結果を示した というのがご参考として案内させて頂いた動画となります。
Re.(6) 違和感
- 投稿No.2510 元投稿No.2507 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-02-03 12:33:30
> ご参考
> 【123便調査File_No.10】NEW! 事故調の飛行ルートを完全論破する
> https://www.youtube.com/watch?v=jJni0aTWCBA
文系ちゃんへ
上記動画を見せてもらった。素直に共感できるところが多かった。
墜落直前だけに絞って事故調の飛行経路とその時々の高度を目撃情報と比較したとき、両者は全く一致しない。
Re.(9) 違和感
- 投稿No.2499 元投稿No.2498 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-01-27 08:06:21
文系ちゃんへ
なるほど、文系ちゃんの考察は当たっているかもしれない。
『疑惑』53ページに著者の角田四郎さんは次のように記されている。
この事故が発生した1985年8月12日、私は山梨県大月市と神奈川県相模湖の中間に位置する国鉄(現JR)中央線梁川駅にほど近い、とある都内のスーパーマーケット会社保有の私設キャンプ場にいた。
角田四郎さんの目撃された位置そのものが大月から結構東にずれたところであり、その場所での目撃談は
「突然北方から飛んできた飛行機が村の上空で急旋回し、また北方へ行った。低空を飛んでいるので墜落すると思った。
(読売新聞8月13日朝刊)
と語る「山梨県南都留郡秋山村(2005年に上野原町と合併して現上野原市)、藤本重則さん(37)
の証言と同一のものだったのかもしれない。
次の疑問だが、一回転した後はどちらの方向に向かったのだろうか?
一回転したあと、右旋回しながら南東の方向に向かったとすれば、そこには相模湖がある。
「相模湖まで来ています」はそのときの声だった可能性もありそうだ。
Re.(7) 違和感
- 投稿No.2497 元投稿No.2495 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-01-24 15:50:48
文系ちゃんへ
もう一つ気になるのは文系ちゃんが投稿№350で下記の情報を示してくれたが、この目撃談は角田四郎氏の目撃談とは位置が東側にずれているように感じる。そうすると、大月上空とは別に上野原上空でも360度の旋回があったことになるのだが如何?。
「山梨県南都留郡秋山村(2005年に上野原町と合併して現上野原市)、藤本重則さん(37)の証言
突然北方から飛んできた飛行機が村の上空で急旋回し、また北方へ行った。低空を飛んでいるので墜落すると思った。
(読売新聞8月13日朝刊)
※山梨県南都留郡秋山村は大月からやや東に位置する村落。」
Re.(7) 違和感
- 投稿No.2496 元投稿No.2495 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-01-23 23:05:09
文系ちゃんへ
下記【情報A】と【情報B】とは異なる被写体(飛行機)ではないかと思う。
【情報A】と【情報B】は同じ時刻帯での情報だが、それにしては距離が離れすぎているようだ。
私は【情報B】の角田四郎氏の目撃談こそがJAL123便だったのではないかと考えている。
加えて、角田四郎氏が『疑惑』の中に【情報A】-1と【情報B】とを並列的に記されているところは意味深なものがあったのかもしれないと感じる。
【情報A】-1
『疑惑』91ページ
東京都西多摩郡五日市町入野750-1 南澤輝明さん(35) 会社役員の証言
あの日は私の誕生日なので、よく憶えています。町の南側にある今熊山(八王子市美山町)の方向から、大きな飛行機が現われ、北北東の方向へ水平にゆっくり飛んでいた。秋川や町の上空を横切って日の出町方向の山へ消えました。五日市高校の上空あたりを飛んでいる様子でした。横田米軍基地に降りると思いましたが、普段米軍機は低空でこんな所を飛ばないので墜ちるのでは・・・・・・と感じました。時間は午後6時45分頃の20~30秒間です。
【情報A】-2
8月14日付けの夕刊フジ(大阪本社版)には
東京航空交通管制部(所沢市)のレーザーによると、午後6時45分には123便の機影は神奈川県座間市の北東33キロで、高度15,000フィートにあったと書かれている。
【情報B】
『疑惑』の著者角田四郎氏の大月のキャンプ地からの目撃談(同書54ページ~56ページ)
「ほぼ南を向いて立っていた私の左手に、北から南へ向かって、少し右に傾いた民間航空機であった。民間機と瞬時に思ったのは、窓が一列にたくさん見えたからである。」
「大きな飛行機という印象も、やたら窓がはっきり見えていたからである。高度もそれゆえに低く感じたし、速度も実にゆっくりに見えていた。」
私はまた風にあたりながら足腰の屈伸運動や深呼吸をした。目の前の川向こうの山が夕日に映えていた。そのとき、飛び去ったと思った飛行機がその山の右へひょっこり顔を出した。今度は西に向かっている。さっきよりは距離があって小さく見えるが、あまり上昇していないと感じた。今度はすぐに次の山影にかくれて見えなくなった。
私は「あの飛行機やっぱりちょっとおかしいな」とだけ感じた。それは米軍基地は東の方角だからであった。「あの高度、速度は、これから着陸する感じだったが」とも思いながら、私は振り返って自分のバンガローに向かった。
大きな飛行機を見ていたのは6時40分~41分頃から43分~44分の間であった。
> せきたにさまへ
> 私としましても静岡通過して後は富士山東を通過、道志村上空を通って相模湖付近まで到達、その頃合いは18:37〜38分頃ではないかと考えております。
> そこから先ですが、証言、記事からしますと取り敢えず2つの可能性があるようです。
> ひとつは角田氏の目撃した大月付近での旋回飛行で、旋回終わりが45分頃になるとすれば以降の飛行経路との繋がりは悪くないように思われます。
> もう一つはせきたにさまの投稿No.2423をご確認頂きたいのですが、45分座間北東33km、高度15000ftとするものです。
> これは座間をどことするかにもよりますがざっくりと練馬周辺、石神井公園よりまだ東あたりとなりますでしょうか?
> 流石にそこまでは・・・ といった感もありますが、八王子にいて、都心方向から西へ向かうというコメントをyoutube動画に書かれている方もいらっしゃいますのであり得ないという事もないように思っています。
> どちらが を判断するとなると、以降の飛行状況も問題となってくるでしょう。
> ローテクでアナログ的な手法にはなりますが、なるべく大きくなるように航跡図をコピーして、航跡に重なるようにヒモを張り、更にそのヒモに1分毎の印を入れた上で静岡から先の航跡をあれこれ検証してみるという手法もあるかと思います。
> 速度の設定次第で差は生じるのでしょうが、大体のところは時間経過的にヒモの張りようがない飛行は出来ない と考えていいように思います。
Re.(5) 違和感
- 投稿No.2493 元投稿No.2492 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-01-20 22:30:11
> 引き続き 感じる違和感について
> 副操縦士による「相模湖まできてます」発言があったと思われる場所をHDGのデータを基に確認しました。
> 飛行経路、発言時刻 ともに本当にそのようであったのか、疑問に思わざるを得ません。
> 本当はもっと前の時刻にあった言葉で、航跡としても、もっと相模湖寄りであった可能性があるように思われます。
文系ちゃんへ
富士山の東側を通過したあと、まっさきに向かったのが相模湖方面で、大月上空はその後のような気がする。
『圧力隔壁説をくつがえす』(青山透子著)に記されている「異常外力着力点」の意味
- 投稿No.2490
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-01-19 13:41:17
『圧力隔壁説をくつがえす』(青山透子著)には「異常外力着力点」に関して以下のように記されている。
74ページ~
さて、この『別冊』に話を戻すと、これが最初に出された1987年時の報告書とともに同時に公開されていれば、事件の原因が明瞭になったはずであり、圧力隔壁破壊は、誰もがおかしいと納得できたはずである。
逆にいえば、意図的に隠された公文書となる。
『別冊』全体は各研究テーマごとに構成されており、それぞれの分野の専門家に執筆を依頼しているため、文体も内容もつながりがなく、バラバラの印象を受ける。それは恐らく、与えられた結論へ導かなければならないため、担当した研究者たちがかなり苦心した痕跡が随所にみられる。
つまり、無理やり結論に持っていかざるを得ない部分と、どうしても客観的データがそれを示していない、というジレンマである。
結局のところ、「(望むような)結論には至らなかった」としながらも、「(もしも)こうだとすれば推定される」という結論が書かれている。これが特に博士論文であれば、論文審査が絶対に通らない書き方となる。当然のことながら、書いた本人もそのお粗末さは十分にわかっていたはずである。
そこで私は、このように各専門家が担当の章ごとに、苦悩の末に書いた推定の結論部分はすべて黒塗りとし、与えられたデータと基礎データのみを抽出した。これは予断をもって判断しないためである。
すると、今まで隠蔽のベールに包まれていた真相が逆にくっきりと見え出したのであった。
著者は更に、(事故調査報告書)『別冊』には垂直尾翼の黒い丸印の部分に、異常な外力が着力したということが記されていると言われ、「異常外力着力点」に関して言葉の意味を次のように解説されている。
異常・・・正常のフライトでは考えられない突発的異常事態の力
外力・・・外部から加わる力。外部とは大気、つまり空を飛行中に加わった力
着力・・・その場所にやってきて着いた力、その着地点
これらの力が、垂直尾翼の中央部の黒い丸印の地点で発生した。
Re.(4) 違和感
- 投稿No.2486 元投稿No.2482 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-01-17 21:54:52
> この度ワタナベケンタロウさまの動画にてフジテレビ19:30~31分のテロップ動画が発見されましたので、テロップ関連の情報が一つ書き換えられたことになろうかと思います。
> ただ、これをもって各テレビ局の第一報に関する情報が確定したかのようにもっていこうとするような風潮が感じられ、違和感を覚えます。
文系ちゃんへ
上の一行目はその通りだと思うが、二行目はそうじゃないと思う。
ワタナベケンタロウ動画100の趣旨はあくまで18時40分頃にジャンボ機がレーダーから消えたということのテロップがテレビ画面に出たということであり、以前文系ちゃんに教えてもらった通りだとすると、レーダーから消えたという情報がテレビ局に入ったら最速でその10分後には局の判断でテロップを流すことが可能だということだった。
フジテレビがいち早く情報を掴みながら、19時30分過ぎまでテロップを流せなかったのは何らかの事情によるものと思われる。
ワタナベケンタロウ動画でも地方のテレビ局はもっと早い時間に「18時40分にレーダーから消える」という内容のテロップを流していたかもしれないと語っておられたかと思う。
Re.(12) 違和感
- 投稿No.2481 元投稿No.2479 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-01-16 13:47:37
文系ちゃんへ
墜落直後に報道された航跡図にはうっかり真実に近いものが含まれていたかも、と考えるのは違うと思う。
以下『疑惑』(角田四郎著)58ページから
テレビは事故原因の追究に終始していたが、私はレーダーで追い続けている中で、墜落した飛行機の墜落地点がわからないとか、軍事兵器、特に近年の優秀な探索機器を備えたジェット機やヘリコプターを持っている自衛隊が、山岳地帯だからとか暗いからという理由で燃えている墜落地点が特定できないなどということは、信じ難い思いであった。
14日になって私はテレビの画面に映し出されたレーダーによる航跡図を見て驚いた。今まで流されていた航跡図とはおよそ別ものではないか。いや、13日中に報道されていたそれすらテレビ局や新聞社によって航跡にズレがあることに気づいていた。それが何故なのか不思議に思っていた。
こんな明確な事実(レーダーで追い続けたということ)がありながら、何故、テレビ局や新聞社によって、飛んでいた場所が異なるのか、私には理解できなかった。発表は一ヶ所、つまりニュースソースは一つのはずである。
こんなことが何故起こるのであろう。新聞社が勝手に航跡を変えるなど、絶対にない。考えられるのはただ一つであろう。それは発表する窓口、つまりニュースソースの側で、幾度も手を加えて航跡を変更しているからである。
Re.(10) 違和感
- 投稿No.2478 元投稿No.2477 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-01-14 16:11:32
文系ちゃんへ
ワタナベケンタロウ動画100 https://www.youtube.com/watch?v=PE0RkFdhUsI
によると、フジテレビが事故当日、19:30過ぎに放映された『一休さん』の番組の中で、「きょう午後6時40分ごろ羽田発大阪行きの日航機がレーダーから消え、現在、運輸省などで調査中」というテロップが流れたという。
テロップが入ったテレビ画面がそのまま映されているので信憑性は高いだろう。
この情報は角田四郎さんが低空飛行するジャンボ機を目撃したのは18時40分ごろであったという情報と時間帯がぴったり一致する。
前回の投稿で角田四郎さんの目撃談は伊丹空港に着陸する旅客機が手前で阪神高速道路池田線の上空を横切るときの見え方に近いと感じると記したが、その地点では着陸態勢に入っているので高度はかなり低く、地上からの直線距離は500メートルもないだろう。
『JAL裁判』(青山透子著)によると、ボイスレコーダー並びにDFDRはJALに対して原告側によって開示請求されており、その理由に妥当性を感じるので、私は出回っているボイスレコーダーや事故調査報告書に記載されているDFDRの記録データは生データが開示されるまでは信用すべきでないと考えている。
> せきたに さまへ
> ざっとにはなりますが、鷹富士さま作成のDFDRベースの航跡、大月付近を普通の地図に重ねました。またその頃合いのHDGとRLLチャートも併せて載せております。
> <大月 ロール状況>
> http://imepic.jp/20230113/592900
> 航跡自体は図のようであるとすれば、角田氏が見たころのロール角は最大50度にも及ぼうか という角度になりますので、「少し右に傾いた」という表現は合わなくなるように思います。
> 従って、角田氏の証言を重視するのであれば、少し右に傾いた程度のバンク角となる別の航跡を考える必要がありそうです。
> あとですが、旋回時、レーダーから消えてしまうほどに低空であったならばですが、やはり談合坂サービスエリアで、加えて大月駅周辺での目撃情報はあってもいいように思います。
Re.(8) 違和感
- 投稿No.2476 元投稿No.2475 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-01-12 22:44:11
文系ちゃんへ
『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎さん著)54~55ページ
「ほぼ南を向いて立っていた私の左手に、北から南へ向かって、少し右に傾いた民間航空機であった。民間機と瞬時に思ったのは、窓が一列にたくさん見えたからである。」
「大きな飛行機という印象も、やたら窓がはっきり見えていたからである。高度もそれゆえに低く感じたし、速度も実にゆっくりに見えていた。」
「【あれぐらい低いと、乗っている人もこっちを見ているかも知れないな】と思い、上げた手を機に向かって振ってみたりした。」
「あの高度、速度は、これから着陸する感じだったが」
角田四郎さんの目撃談は伊丹空港に着陸する旅客機が手前で阪神高速道路池田線の上空を横切るときの見え方に近いと感じる。
> せきたに さまへ
> 大月で360度超の旋回をした際、そのときの様子を角田氏が目撃しており、その時の状況を記した著書の内容からすれば、123便の高度は事故調の報告書から読み取れるものとの比較で、半分か、更にもっと低かったのではないかという推測ができるように思います。
Re.(6) 違和感
- 投稿No.2473 元投稿No.2471 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-01-11 14:38:58
文系ちゃんへ
18時台にテロップが出たということは、その時点よりも少し前の時刻帯に機影がレーダーから消えていたことになる。機影がレーダーから消える要因はレーダーが捉えられなくなるぐらいの低空飛行だったからと考えるのが自然だと思う。
ところが、政府の公式発表では19時よりも前の時刻帯にテロップは出ていないことになっており、18時代にテロップを見たとする情報は悉く錯覚又は誤情報だとしてしまいたいようだ。
目撃情報は最初からなかったことにして、墜落直前の時刻帯(18時55分頃)までレーダーは機影を捉えていた=低空飛行はしていなかった とするのだから高度はレーダーが捉えられる高度にしておく必要性はあったと考えるが、特段7,000メートルでなくても良かったのだろうと考える。
ところが、高度7,000メートルあたりを飛行していたとすることで、圧力隔壁が破れて急減圧が発生したこととの整合性が取れなくなってしまったようだ。
急減圧が発生しているのにどうしてパイロットたちは最後まで酸素マスクなしで会話できたのだろう、とか客室内は寒く無かったのか、とか、中耳炎などの急減圧症も報告されていないのはどうしてなのか? このような疑問に対して、納得のいく回答が出来なくなってしまった。 目撃情報は最初からなかったものとされるか、目の錯覚だと否定され、生存者の存在は最初から想定されていなかったようにさえ感じてしまう。
大月周辺での目撃談が少ないのは角田四郎さんが『疑惑』に記されているように、大月で日航機を目撃する直前の時間帯はどしゃ降りの大雨であったからだと考える。
Re.(4) 違和感
- 投稿No.2470 元投稿No.2469 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-01-10 12:45:09
文系ちゃんへ
18時50分頃に「日航機がレーダーから消える」というテロップがテレビ画面に流れるためには18時40分頃にレーダーが捉えられないぐらいの低空飛行になっていた可能性があるというが、角田四郎さんが『疑惑 JAL123便墜落事故』に記されていた著者ご自身の目撃弾では大月上空でJAL123便であると思われる旅客機を目撃した時、窓が一つ一つくっきりと見えるぐらいの低空飛行であったと記されていたかと思う。
情景描写としては、
「あれぐらい低空だと手を振ったら気がついてくれるかもしれないと考えて手を振ってみた」 という趣旨で記されていたと思う。
それぐらい低空飛行だったのならばレーダーが捉えられないということと矛盾はしないのではないか? (大月上空での360度旋回があった可能性を否定できないのではないか)
Re.(3) 違和感
- 投稿No.2469 元投稿No.2468 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-01-08 21:16:16
> この度Youtubeで公開されましたワタナベケンタロウさまの日航機墜落事故99の動画では驚くべき証拠の数々が示され、今後の事故状況推測に大きく影響を与えそうです。
文系ちゃんへ
ワタナベケンタロウ動画99から引用させてもらう。
小幡亮介さんが集めておられる情報の中には次のようなものがあるという。
菊地定則さんという方が墜落事故当日の18時45分頃、
「日航ジャンボ大阪行きがレーダーから消えた」という旨のNHKの臨時ニュースを目撃されたという。
NHKの公式発表ではNHKのテレビの第一報は19時26分ということになっているというのでこれと矛盾する。
本掲示板の中で複数の方が18時50分頃にレーダーから消える旨のテロップを見たと語られており、もはや19時前のテロップは否定できないと考える。
なぜレーダーから消えたのかを考えると、それはやはりレーダーから消えていたとき、ジャンボ機はレーダーが捉えられないほど低空飛行であったと考えるのが一番妥当だと考える。
ボイスレコーダーもフライトレコーダーもまだ開示されていない
- 投稿No.2466
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-01-06 16:01:16
『JAL裁判』(青山透子著)によれば、事故後37年以上経った今、ボイスレコーダーもフライトレコーダーの開示を求める裁判が起こされているという。書物によれば、生の32分間が記録されたボイスレコーダーもフライトレコーダーもまだ開示されていないという。
出回っているのはところどころ切ってつなぎ合わせてあり、空白の部分があったり、前後関係もバラバラだという。
それならば、目撃情報と照らし合わすのは無理だ。
青山透子公式サイト https://tenku123.hateblo.jp/
Re.(9) 生存者証言について
- 投稿No.2444 元投稿No.2443 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-01-01 20:18:10
adminさんへ
新型コロナワクチンにおける界隈の盛り上がりを見れば明らかだ。
どういう意味ですか? 下記動画の中で3名の犠牲者遺族が登場された中で京都大学名誉教授の福島雅典さん(医師)らはコロナでは無く、ワクチンによって死んだり、重篤な後遺症に苦しんでいる人がたくさんいることが明らかだとされていますが・・・。
「新型コロナワクチン接種と死亡事例の因果関係を考える(2022年11月25日)」
https://twitter.com/ganaha_masako/status/1596473019450347520
> →最終的にお答えいただいていないが、「原告でもないし遺族でもない」と、一般論に忌避した挙げ句に自らが提言しておいでの疑問点について、検証したか否かを明らかにしないで、生データの必要性を解くのは順序が違う。それでは、「恣意的に生データを取り扱います」と宣言しているも同義だが、なぜ自らが取得した情報には疑問を抱かないのに、報告書記載事項は誤っていると言うことができるのだろう。その点ご回答願いたい(二度目)。
『JAL裁判』(青山透子著)の中で原告側の弁護士が介入の上、事故調査報告書と出回っているボイスレコーダーについての疑問点が詳細に検証されており、また、原告の遺族側がなぜボイスレコーダー及びフライトレコーダーを開示してほしいのかも記載されているではありませんか。
Re.(7) 生存者証言について
- 投稿No.2442 元投稿No.2438 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-01-01 18:33:14
adminさんへ
> 有利な方向で進めたいという気持ちの表れなのか、質問に対して著書引用の上別角度の回答とも言えない言説を寄越すというのは、自身の考えを何一つ持ち合わせていない、という意識の表面化なのだが、その認識でよいのだろうか?
> 取り急ぎ、議論の進行として、先の質問への明確な回答または回答意思その他の経緯について教示されたい。
私は犠牲者遺族でもないし、裁判の原告でもない。
ただ、一般の市民としての意見は持ち合わせている。
JAL123便墜落事故に関して、ボイスレコーダーやフライトレコーダーと生存者情報や目撃情報と照らし合わせたとき、いろいろと腑に落ちないという疑問の声が上がっているのは事実だ。
裁判沙汰にまでなっているそれらの疑問に対してはJALが生のデータを開示すれば大方は解決する問題だと考えている。JALがなぜそれを拒み続けているのかがわからない。
Re.(5) 生存者証言について
- 投稿No.2437 元投稿No.2436 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-01-01 16:27:47
adminさんへ
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)には、事故調査報告書に記載された飛行ルートと目撃情報に相違点があった場合の過去の裁判事例について記されている。
以下120ページからの引用
全日空雫石墜落事故においては、裁判所が採用した目撃証言(小学生)は、飛行ルートの確認に重要な証言となり、事故調査報告書に書かれたものよりも信憑性があると判断された。
そういうことであればJAL123便についても同様の話が残っている。
加藤君という少年の目撃談だ。
加藤君とは少年野球仲間であったという人からの目撃情報があったが、その内容は事故調査報告書に記されている飛行ルートとは異なっていた。
DFDRの生データではどうなっているのか気になるところだ。
『鎮魂』(池田昌昭著)39ページ
「当時川上村梓山地区梓湖グラウンドでの少年野球練習を終わっての帰り道で最初に見つけたのは加藤隆志君だった。自分は違う友達と歩いていた。余りエンジン音が聞こえないジャンボ機を目撃した。珍しいなくらいの気持ちだった。ジャンボ旅客機だと一目で分かったが、垂直尾翼が欠けていたかどうかは分からなく窓は見えなく、乗客の姿も見えなかった。山梨・甲府方面の山の向こう側から来て、右旋回して三国山の向こう側に消えていったら煙が立ち昇った。
新聞に出ていた飛行ルートは真っ直ぐに群馬県と長野県境を御巣鷹の方に向かったようになっているが、実際には川上村梓山上空で大きく右に旋回した後三国山の陰に消えていった。」
Re.(3) 生存者証言について
- 投稿No.2435 元投稿No.2431 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-01-01 14:27:13
> せきたに様
> 現在提示されている種々のデータで、誤謬や矛盾を指摘できない敗北宣言だということに気づいていないのだろうか。
> →恣意的に利用される恐れのある、DFDRやCVRの生データなんぞではなく、それが書き起こされたものを対照するだけでは不十分だと言いたいのだろうか?
> →現在の資料ではできないことがなにか、それを明らかにした上での原データの渇望ならまだわかる。しかし、それらを明らかにせず、現資料の多角的検証を経ずにいるのはなぜだろうか?お答え願いたい。
adminさんへ
ワタナベケンタロウ動画98に引用されているところの、小幡瞭介さんという方による情報収集によると
(1985年)8月13日付けの産経新聞大阪本社版には具体的な時刻は不明ながら、
機長が「四千メートル」まで降下する要求を出したと記されているという。
しかし、このことは「事故調査報告書」には記載されていない。
同じ小幡瞭介さんという方による情報収集によるともう一つ
8月13日付けの毎日新聞大阪本社版には具体的な時刻は不明ながら、
123便は9800フィートまで降下し、パイロットはそれをコントロールセンターに伝えるとなっている。
そして、このことも「事故調査報告書」に記載されていない。
上二つの情報
・機長が「四千メートル」まで降下する要求を出した
・123便は9800フィートまで降下し、パイロットはそれをコントロールセンターに伝える
はいずれも生のボイスレコーダー中に含まれていると考えられるが、生のボイスレコーダーによって二つの情報についての正確な時刻がわかるので、DFDRと一致するのかしないのかが判明する。
Re. 生存者証言について
- 投稿No.2429 元投稿No.2428 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-01-01 08:53:56
> 遺書についてもだが、時計が遅れていた可能性も考慮したのだろうか、1838も1825も、【18時半】と言いがちな人間がいるが、遺書記載者の時計が正確で、分単位まで正確に読み取れ、かつ分単位まで正確に記載する人間だったか、すべて確認しての話なのだろうか。
> 「何か機内で爆発したような形で
> 煙が出て
> 降下しだした
> どこえどうなるのか
> 津慶しっかりた(の)んだぞ
> ママ こんなことになるとは残念だ
> さようなら
> 子供達の事をよろしくたのむ
> 今6時半だ」
> 爆発したような形で、煙が出て、の部分の説明が必要になる上、DFDRによればさほど降下していないが、「ただいま緊急降下中」のプリレコーディッドアナウンスによって、降下したと錯覚していたような記載もある。
> これらは、いずれも確証のない部分だ。
> どうも、確証のない部分だけを殊更におおごとにして、騒いでいるだけのような印象しか受けないのだが、その【確証のない些末な事象ひとつをおおごとにすること】がそれほど重要なのだろうか?
> ご意見を求む。
adminさんへ
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)にはボイスレコーダーに関して次のように記されている。
以下53ページからの引用
「次に確認しなければならないのは、今回開示請求をしているボイスレコーダーについてである。現在、インターネット上にあるボイスレコーダーは法的に本物といえない。出どころ不明のデータを誰かが勝手に、しかも恣意的に編集、加工した代物である、ということだ。
一体、どれだけの人たちが偽物だと認識しているのだろうか。この出どころ不明で流出したボイスレコーダーもどきは、事故調査委員会(運輸安全委員会)も認めていないものであり、さらに法的証拠にならない偽物なのである。しかし世間では、それを本物と勘違いしている人も増えてきている。
そもそも、なぜ2000年8月8日に、突然民放テレビで、出どころ不明のボイスレコーダーの一部が流れたのか?そしてその後、現役の『しんぶん赤旗』記者の米田憲司氏が書いた市販本に、その流出したボイスレコーダーが付録となり、加工した代物が世間に出てきたのだろうか? 私たちは、これらの点に大きな疑問を持たなければならない。重大な証拠物が単なる市販本の付録として出回るということに、変だと気づかなければならない。
当時は、心ある事故調査の関係者が、報道各社に匿名で送ったという美談になり、ドラマまで制作された。その関係者は一体誰なのか、いまだに不明のままである。高浜機長の声が本人であるという親族の証言から、ボイスレコーダーの一部と思われたのだ。
しかしながらその内容は、都合よく切り貼りされたものであり、それが世間に流布しているのである。
私が2019年に、英国でインタビューをした現役の国際航空安全調査員協会所属、ICAOの委員も、「日航安全啓発センターでボイスレコーダーを聞いたが、そこで聞いたものやネットに流出しているものは、すべて音源をコピー&ペースト(切り貼り)し編集されたもので、背景音が一定ではない。声は同一人物かもしれないが、事件資料としてはいわゆる偽物の部類だ」と答えた。
(書物からの引用は以上)
ボイスレコーダーは37年以上経った今もまだ開示されていない。まずは生の32分間分のボイスレコーダーを開示していただき、その内容がDFDRと合致しているのかどうかを検証してみれば主要な疑問点は解消すると考える。
Re.(7) 違和感
- 投稿No.2424 元投稿No.2405 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-12-31 18:20:28
> 河津駅前での目撃証言は、動画で現在でも見ることが出来るようですが、どこか見え方にしっくりこないところがあります。
> 一つは高度についてですが、こちらは新聞でもいつもより低い高度とあり、機体を大きく傾ける様を示したジェスチャーからも、とても7000m以上先の機体を見てのものではないように思えます。
文系ちゃんへ
離陸後、河津駅前で目撃されたときには既にいつもより低空であったと考えられる。ということは離陸後最初の異変が起きたのは18時24分35秒とされている時刻ではなく、もっと早い段階であったと考えられる。
機長の降下要求はあったのか? 実際の飛行経路について
- 投稿No.2423
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-12-31 15:04:21
ワタナベケンタロウ動画98によると、
8月13日付けの産経新聞大阪本社版には具体的な時刻は不明ながら、
機長が「四千メートル」まで降下する要求を出したと記されている。
しかし、このことは「事故調査報告書」には記載されていない。
もう一つ
8月13日付けの毎日新聞大阪本社版には具体的な時刻は不明ながら、
123便は9800フィートまで降下し、パイロットはそれをコントロールセンターに伝えるとなっている。
そして、このことも「事故調査報告書」に記載されていない。
更に、
8月14日付けの夕刊フジ(大阪本社版)には
東京航空交通管制部(所沢市)のレーザーによると、午後6時45分には123便の機影は神奈川県座間市の北東33キロで、高度15,000フィートにあったと書かれている。
これは事故調査報告書の飛行経路略図とまったく異なる。
Re.(5) 違和感
- 投稿No.2404 元投稿No.2403 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-12-27 08:59:37
> せきたにさまへ
> もしあの日、積乱雲の発生がなく、123便がいつも通りの富士山北を通過するルートを飛行していたならば、また歴史は違っていたのかも知れません。
文系ちゃんへ
そうだろうか?
角田四郎さんは『疑惑 JAL123便墜落事故』の中で次のように記されている。
418ページ
「日航123便墜落事故」は、言われているように単なる「事故」ではない。明らかに「事件」と呼ばれるべきものを内包している。
Re.(3) 違和感
- 投稿No.2402 元投稿No.2401 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-12-24 17:18:25
文系ちゃんへ
>投稿No.2400 のせきたにさまの書き込みの中に 「富士山の北側を通って」というのがあり、
「富士山の北側を通って」というのはあらかじめ決められていたルートであって、実際は当日の事情によってずっと南側を飛行した。
自説は大島のあたりから北上し、富士山の東側を通過したのではないかと考えており、落合証言の、富士山が左下に見えたというのはそのときだったと考えている。
いずれにしても生のボイスレコーダーとフライトレコーダーが開示されれば明らかになることだ。
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著) 「飛行ルートについて」(その2)
- 投稿No.2400
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-12-22 22:33:57
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)には、墜落事故当日の夜に運輸省が発表した飛行ルートに関する情報が記されている。
以下295ページからの引用
「運輸省東京航空管制部などによると、ジャンボ機は出発予定の午後六時より約12分遅れて羽田空港を離陸。富士山の北側を通って焼津市付近で太平洋に出、海岸線に並行して飛んで大阪空港には午後7時に着陸する予定だった」(『沖縄タイムス』、『静岡新聞』他)
以下296ページからの引用
「運輸省、日航などで事故の原因に結びつく情報を収集しているが、同機の予定飛行コースは、羽田を離陸後、千葉県・館山まで南下、右旋回して伊豆半島を横断。紀伊半島南端の串本を経て大阪に向かうコース。しかし、日航123便は館山まで正常に飛行したものの、(略)コースを大きく外れ墜落した」(『信濃毎日新聞』、『北海道新聞』、『福井新聞』他)
「運輸省によると、通常のルートは羽田空港を離陸したあと、神奈川・横須賀付近上空を通過、伊豆・大島の上空から伊豆半島を横切り、静岡県浜松市、三重県津市、伊勢市、そして奈良県の大和郡山市の上空を経て大阪に入るコースを採る。しかし、この日は午前中、成田発の大阪行きの日航ジャンボ機が知多半島の6,600メートル上空で乱気流に巻き込まれ、乗客3人が負傷した事故が起きた。このため日航123便は気象条件を考え、通常ルートから50~100キロ南側のルートを飛行しようとした。
日航機はこのルートに沿って、大島付近までは、ほぼ予定通り飛行したが、大島上空から急に右旋回、レーダーから消える28分間で長野・群馬県境に飛行した」(地方紙『いばらき』)
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著) 「飛行ルートについて」(その1)
- 投稿No.2399
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-12-22 22:30:26
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)には、事故調査報告書に記載された飛行ルートと目撃情報に相違点があった場合の過去の裁判事例について記されている。
以下120ページからの引用
全日空雫石墜落事故においては、裁判所が採用した目撃証言(小学生)は、飛行ルートの確認に重要な証言となり、事故調査報告書に書かれたものよりも信憑性があると判断された。
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)からの抜粋 「出回っているボイスレコーダーについて」(その10)
- 投稿No.2398
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-12-21 11:59:08
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)には、原告の市原和子さんと吉備素子さんがボイスレコーダー及びフライトレコーダーの開示請求をした根拠について記されている。裁判原告の遺族は世間に出回っているボイスレコーダー及びフライトレコーダーは信用に足るものではないと考えられているのは明らかで、生のボイスレコーダー及びフライトレコーダーが開示されることによって真の事故原因追及のとっかかりになるはずだと一貫して訴えられているようだ。
以下34ページからの引用
「市原和子さんは、本件墜落事故が発生したあと長い間、弟の佐々木祐副操縦士が勤務していた日本航空の整備ミスで発生し、弟が操縦を誤ったのかと考えて、佐々木祐副操縦士の親族として、乗客の皆さんに大変申し訳ないという思いが強く、事故への責任を感じてきました。実の姉としても佐々木さんへの敬愛追慕の情を有していました。その市原和子さんにとって、弟の死亡直前の発言を記録したボイスレコーダーや、運行状況を記録しているフライトレコーダーの原情報は、佐々木祐副操縦士への敬愛追慕の情に係る『自己を本人とする個人情報』といえます。]
「吉備素子さんの場合は、夫の雅男さんが、どのような恐怖を抱きながら死に至ったのかについて、原データは飛行状況を客観的に示す重要な情報です。このような情報は、夫への敬愛追慕の情に係る重要な情報であって、吉備素子さんの『自己を本人とする個人情報』にあたります」
「そもそも、本件事故後、運輸省航空事故調査委員会の作成した事故調査報告書を踏まえて、その結論において誰も刑事責任を問われないまま、公訴時効が成立しています。後部圧力隔壁の不適切な修理ミスによる隔壁破損が原因となって、垂直尾翼が吹き飛ばされた、とされてきましたが、2013年2月に運輸安全委員会ホームページに提示された本件事故調査報告書付録には、ここ、つまりこの垂直尾翼の、この部分に大きな丸印がつけられています。異常外力の着力点が記載されているのです」
「異常な外力が当たって、垂直尾翼が吹き飛ばされた、11トンもの異常な外力の着力によって、垂直尾翼が破損して吹き飛ばされた、これは付録に書かれている試験研究資料から読み解いても明らかです。ところが、後部圧力隔壁破損が先にありきで結論が固まっていったのです。]
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)からの抜粋 「出回っているボイスレコーダーについて」(その9)
- 投稿No.2396
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-12-20 13:31:10
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)には、原告側がボイスレコーダー及びフライトレコーダーの開示請求をした根拠について記されている。
以下33ページからの引用
請求の根拠としては、JAL国内旅客運送約款にもとづき、123便の搭乗者520人全員に対して安全配慮義務に伴う信義則上(社会的にお互いの権利と義務は信頼と期待を裏切らないようにすべきとの審議誠実の原則)の情報提供義務、つまり安心して飛行機に乗れるよう乗客に対して正しい情報を提供して対応する義務がJAL側にある、ということである。また、墜落したからといってその義務が消えるわけではないことを確認し、本人ならびに遺族による開示請求権がある、としている。
さらに吉備素子さんの夫への「敬愛追慕」の情に係る「自己を本人とする個人情報」として、遺族固有の人格権(プライバシー権)のうち、自己情報コントロール権に基づく開示請求権によって開示を求めた。判例でも、遺族が亡き人を大切に敬愛し続けて想う愛情と気持ちは、敬愛追慕の情と呼ばれて、法的に保護されている。
市原和子さんは、実の弟への敬愛追慕の情に係る「自己を本人とする個人情報」として、遺族固有の人格権(プライバシー権)のうち、自己情報コントロール権に基づく開示請求権、及び自己情報コントロール権を手続きとして保障した個人情報保護法28条1項に基づく開示請求権を根拠に、JALに開示を求めた。
また、憲法13条で保障されている幸福追求権の一部としてプライバシー権は、最高裁判所でも認められている権利である。
このプライバシー権は、近年の高度情報通信社会化に伴って、当初の「一人にしておいてもらう権利」といった消極的な概念から、自分の情報をコントロールする権利という積極的概念に変容していることや、死者に関する個人情報であっても、亡くなった方の個人情報がその遺族にとって固有の情報であれば、遺族固有の情報となって(遺族自身の個人情報として継承され)開示請求の対象となり、これについては、例えば町田市の自殺した中学生の真相究明のために、死者の情報を保護者の個人情報として、子供が死に至るまで学校で何が起きたのかについての情報開示請求権を保護者に認めるべきとした事例もある。
こういった大きな意味を持つ判例、書物、論文や過去の多数の判例を踏まえて、今回の訴状を構成していった経緯が説明された。
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)からの抜粋 「出回っているボイスレコーダーについて」(その8)
- 投稿No.2387
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-12-16 21:06:01
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)には、原告側が今回の訴訟に踏み切られた経緯について記されていた。
以下31ページからの引用
(2021年3月26日午前中に東京地方裁判所に向けて訴状が提出され、同日午後2時より裁判所内の記者会見場記者会見が行われた)
今回の訴訟に踏み切った経緯について、三宅弘弁護士から次のような説明がなされた。
「日本航空123便の乗客で亡くなった吉備雅男さんの妻である吉備素子さんと、機長訓練中で間もなく機長になる手前で亡くなった佐々木祐副操縦士の実姉である市原和子さん、このお二人の想いを汲み、当該機のボイスレコーダーとフライトレコーダーの開示の請求訴訟として提起させていただきました。
まず原告の吉備素子さんは、日航123便に乗客として搭乗して亡くなった吉備雅男さんの妻です。吉備素子さんは、2018年2月28日付で、被告の日本航空(以下JALと表記)に対して、本件ボイスレコーダー及び本件フライトレコーダーに記録された内容一切を、原記録のままの状態での聴取、閲覧による提示を求め、赤石あゆ子弁護士と下山順弁護士が代理人として請求しました。しかし、被告(JAL)は、2018年3月9日付で、JALとしては、本件データを開示する法律上の義務はないという回答でした。
市原和子さんは、日本航空123便(東京羽田空港発大阪伊丹空港行・機体番号JA8119号機)の副操縦士として乗務していた佐々木祐さんの実の姉です。市原和子さんは、2020年3月30日付で、被告(JAL)に対して、被告が保有する123便の本件事故に係るボイスレコーダーとフライトレコーダーの生データ一切の開示を求めました。しかし、被告(JAL)は、2020年5月7日付で、これらの記録一切の情報は個人情報に当たらないとして、すべての開示を拒否しました。以上のように、裁判外の請求では、開示を受けることが出来なかったために、本件訴訟を提起することとなりました」
二人の遺族は、それぞれJALに生データの開示を求めていたが、JAL側から拒否されたために仕方がなく訴訟に踏み切ったのである。
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)からの抜粋 「出回っているボイスレコーダーについて」(その7)
- 投稿No.2386
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-12-15 21:12:51
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)には、生データの本来あるべき取り扱われ方について記されていた。
以下42ページからの引用
さて、質疑応答が始まった。まず幹事の共同通信社から、次のような質問が出た。
「フライトレコーダーもボイスレコーダーも国が持っていた時期があるとのことでしたが、今、どこが持っているのかといえばJALが持っているとのことでした。これを開示するかどうかはJALの裁量ということで、国は全く関与していないという認識でよろしいのでしょうか」
これについて、三宅弘弁護士は、
「国が持っているとすれば、情報公開請求の対象と(遺族でなくとも)誰でもが請求できますので、『行政機関の保有する個人情報保護法』に基づく本人開示請求の対象になるわけです。うがった見方をすれば、国が持っていればそういうことになりますので、JALに返してしまえという発想で、こういう話になったのではないかと思います。
私は公文書管理委員会委員を2011年から2018年までやっていまして、歴史的公文書は本来公文書館に移管すべきだということで制度作りをずっとやってまいりましたが、こういうものは基本的に、事故の調査が終了したらJALに返すべきではなく、本来ならば国立公文書館に移管すべきものです。法律の中には寄付という制度もありますので、JALは私企業として持っているということはおかしいのであり、これらは特定歴史的資料ですから、JALは公文書館に寄付すべきだと思います」と語る。
当然のことながら、先進国のどの国でも重大事故の調査資料や原本はその国の事故調査委員会が保管管理をしているのだから、JALとボーイング社が修理ミスを犯したという結論を出しながら、その当事者たるJALに原物を返すというのはおかしな話であり、三宅弘弁護士が言うことはもっともである。さらに具体的な説明が続く。
「つまり、いったん公文書になったものを、私文書に戻してしまう、こういう取り扱い自体もどう考えてもおかしいので、その辺りも今回の訴訟で明確にしていきたいと思います。
また裁判の記録自体も、今までは判決書きだけが残り、例えば憲法問題になったものも残らなかったわけですが、いろいろと運動をしてきた結果、訴訟記録も全部残しましょうという制度が自主的に働きかけていますので、今回の訴訟に関しても、訴訟記録も含めてすべて歴史的資料として、ボイスレコーダーもフライトレコーダーも将来に向けた国民共有の知的資源として、事故を二度と起こさないためにも、真の原因究明に役立つように資料を使うべきであって、JALが持っているだけ、というのはだめだと考えております」
事故調査委員会が保管した公文書資料を私企業のJALに返却すること自体が変だということだが、まさにその通りである。
どこの世界に、公文書となったものをわざわざ私文書に戻し、それの開示を拒む企業があろうか。公務員であれば当たり前におかしいと皮膚感覚で感じるだろうし、一般人もさすがに社会性がある人は気づくだろう。これらの事故調査委員会の行為そのものが不正行為で、わざと自分たちの責任逃れのために返却した、と言えるだろう。さらに、その公文書であった資料の開示を拒む立場でもないにもかかわらず、JALが非開示を主張しているその思惑はいったい何か。これも裁判中に明らかにしなければならない。いずれにしても、あってはならないことなのである。
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)からの抜粋 「出回っているボイスレコーダーについて」(その6)
- 投稿No.2384
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-12-15 14:56:00
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)には、生データの所在について記されていた。
以下44ページからの引用
「その”生のもの”について、これまで開示を求めてきたのでしょうか」という質問が再び出た。
「それについては、お手元の資料にありますように、吉備素子さんが、2018年2月28日、市原和子さんは2020年3月30日に開示請求しています」
「すると、お二人以外には開示請求していないのでしょうか」
「それはわかりませんが、私が知る限りはいないと思います。今まで読んだ記録の中には出てきませんでした」
記者の質問が続いた。
「生データ自体は存在しているのでしょうか」
「はい、存在しています」
「それは、日航がはっきりそう言っているのでしょうか」
三宅弘弁護士は、一息ついて次のように語った。
「あの日航安全啓発センターというところに、私も行ったのですよ。説明を聞くとここにあると言っていました。ああ、やはりあるのだなあと、訴訟の提起に際して、訴状を作成する課程で確認しています」
実は、令和元年(2019年)に他の遺族が、三宅弘弁護士の手助けで行った総務省への情報公開請求に対し、運輸安全委員会は、当初ボイスレコーダーとフライトレコーダーは不存在、と回答したが、その後日本航空に返却したと文書(令和元年11月12日付運委総第230号行政文書開示決定通知書の変更通知書)で補足した。
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)からの抜粋 「出回っているボイスレコーダーについて」(その5)
- 投稿No.2383
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-12-13 21:33:44
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)には、出回っているボイスレコーダーと国際民間航空条約との相関性、そして裁判を起こした趣旨について記されている。
以下57ページからの引用
訴訟開始前の2020年4月14日、日本航空側代理人弁護士の伊左次啓二、山下淳、寺前翔平弁護士三名のうち、山下淳弁護士から三宅弘弁護士に電話があり、次のような会話をしたという。
「ボイスレコーダーの記録は、市販の本のDVDとして添付されており、秘匿性はない」つまりDVDを聞けばよいではないか、音声データは開示されており、これに秘匿性はない、という見解である。世間に出回っているもので十分であってボイスレコーダーは秘密でもなんでもない、ということである。それならば、ボイスレコーダーの生データを遺族に聞かせて問題はないはずであろう。
ところが、「生データの現物は個人情報ではないので絶対に聞かせられない、さらに国際民間航空条約で決められているからできない」というのが今回の裁判での答弁である。
この矛盾に誰もが気づくだろう。
国際民間航空条約第13条付属書を遵守すると言いながら、JALはすでに法廷のみならずTV番組に放映するという手段でも一般人に公開しているではないか。
また他にも訴訟開始前の2018年3月9日、吉備素子さんの代理人弁護士赤石あゆ子弁護士に対して、日本航空側からきた回答は次の通りだった。
「運輸省事故調査委員会が取りまとめた報告書にはボイスレコーダーおよびフライトレコーダーの記録が示されておりますのでそちらをご覧ください。 日本航空安全推進本部部長・福田久」
以上のように、JAL代理人弁護士の山下淳弁護士は、秘匿性はないので、市販のDVD(法的な根拠がない代物)を聞けばよい、と答えた。さらに日本航空側では、事故調査報告書を見ればよい、と答えた。しかし、ボイスレコーダーそのものを第三者が検証していないことが問題なのであって、墜落機を操縦していた機長の会話の途中に不明な点が多く、生データをそのまま出している(書いている)かどうかもわからない。
だからこそ、生のデータを聞かせてほしい、という裁判なのである。
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)からの抜粋 「出回っているボイスレコーダーについて」(その4)
- 投稿No.2378
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-12-12 21:26:56
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)を読み進めてみると、出回っているボイスレコーダーが本来あるべきものといかにずれているかについて記されていた。
以下55ページからの引用
JALの運行管理者とパイロットとの交信は、空港内離着陸(ターミナル用)と飛行中(エンルート用)の二波があり、ほかの航空事故調査報告書では、そのすべてのやり取りが記載されている。しかし、日航123便だけは、報告書に飛行中の、つまりエンルートでの会話が一切書いていない。特に、緊急事態発生の際、会社との間での連絡しあう言葉が一切出てこないのは極めて不自然である。
操作室内の音声でのやり取りは、緊急時はすべてオープンとなり、JAL側にも録音が残っているはずだ。もっと驚いたことに、東京管制との交信記録(報告書271~273頁)も同様に、管制官とパイロットの会話が18時18分38秒で終了している。
通常、他の事故では引き続き事故発生の瞬間や墜落までの会話が全部記されているにもかかわらず、日航123便の報告書には掲載がない。出発以降の事故発生時まで、管制官との会話記録もすべて載っていないのである。
このように、他の事故調査報告書と比較すれば、誰でもすぐにわかることだが、日航123便だけは、カンパニーラジオの会話記録も管制塔での管制官との記録もひた隠しにされているのである。
そこに隠された言葉がある----。
それはどういう会話なのだろうか、という疑念が出てくるのは当たり前である。
JALが不開示の正当性を主張するよりも、逆に事故調の報告書の通りだというならば、何も不都合がないのだから、そのまま遺族に聞かせてあげればよい話なのである。
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)からの抜粋 「出回っているボイスレコーダーについて」(その3)
- 投稿No.2377
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-12-11 21:27:53
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)を更に読み始めてみると、出回っているボイスレコーダーについて、信用するに値するものなのかどうかについて記されていた。
以下55ページからの引用
当初から、運輸省航空事故調査委員会は流出したボイスレコーダーは認めておらず、日航123便に関しては「航空事故調査報告書」(昭和62年6月19日)の311頁から343頁に文字で記載されたもののみを正式なものとしている。
従って、この報告書に書かれている文字が本当にボイスレコーダーに録音された言葉通りなのか、また不明と書かれた部分や会話が空白でかみ合っていない部分は、本当に聞き取り困難なのか、ということを法廷という公開の場で、第三者が客観的に検証しなければならないのである。しかし、一度もその検証がされてこなかった。
さらに、この報告書にはカンパニーラジオ、つまりパイロットと航空会社間で取り交わされる無線交信(業務連絡)の記録が、出発前までしか記録として書いていない(報告書275頁の一頁のみ)。
JALの運行管理者とパイロットとの交信は、空港内離着陸(ターミナル用)と飛行中(エンルート用)の二波があり、ほかの航空事故調査報告書では、そのすべてのやり取りが記載されている。
しかし、日航123便だけは、報告書に飛行中の、つまりエンルートでの会話が一切書いていない。特に、緊急事態発生の際、会社との間での連絡しあう言葉が一切出てこないのは極めて不自然である。
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)からの抜粋 「出回っているボイスレコーダーについて」(その2)
- 投稿No.2371
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-12-10 21:06:07
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)を更に読み始めてみると、出回っているボイスレコーダーが信用するに値するものなのかどうかについて記されていた。
以下54ページからの引用
私が2019年に、英国でインタビューをした現役の国際航空安全調査員協会所属、ICAOの委員も、「日航安全啓発センターでボイスレコーダーを聞いたが、そこで聞いたものやネットに流出しているものは、すべて音源をコピー&ペースト(切り貼り)し編集されたもので、背景音が一定ではない。声は同一人物かもしれないが、事件資料としてはいわゆる偽物の部類だ」と答えた。(詳細は『墜落の波紋』88頁以降を参照)。
パイロットや管制官とのやり取りは最重要な音声データであり、それらの会話は一定の流れの中でこそ信憑性があり、意図的に前後が入れ替わっては、全く違う会話になってしまうからである。
流出したことでよかったことがあるとすれば、この代物によって、墜落機を操縦していた海上自衛隊出身の高浜雅己機長へのバッシングが止まったことぐらいである。さらに同情する声が多数となって、JALのパイロットが、墜落直前まで必死に操縦していたという事実と、その切迫する状況がお茶の間に伝わったため、その効果は絶大であった。JAL側にとって世間からの中傷が止んで、安堵したのは事実である。
ところが、それが一人歩きを始めて世の中に出回り、今やネット上にたくさん溢れてしまったことで、「遺族が、いまさら何を情報開示請求するのか」とか、「なぜ、ボイスレコーダーを聞きたいのか」、「聞きたければネット上のものを聞けばよい」という雑音や無知の書き込みも出てきた。いまとなって思えば、これが匿名の提供者の狙いだったのだろう。
当初から、運輸省航空事故調査委員会は流出したボイスレコーダーは認めておらず、日航123便に関しては「航空事故調査報告書」(昭和62年6月19日)の311頁から343頁に文字で記載されたもののみを正式なものとしている。
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)からの抜粋 「出回っているボイスレコーダーについて」(その1)
- 投稿No.2367
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-12-09 21:00:32
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)を読み始めてみると、出回っているボイスレコーダーがどういう性質のものなのかについて記されている箇所があった。
以下53ページからの引用
「次に確認しなければならないのは、今回開示請求をしているボイスレコーダーについてである。現在、インターネット上にあるボイスレコーダーは法的に本物といえない。出どころ不明のデータを誰かが勝手に、しかも恣意的に編集、加工した代物である、ということだ。
一体、どれだけの人たちが偽物だと認識しているのだろうか。この出どころ不明で流出したボイスレコーダーもどきは、事故調査委員会(運輸安全委員会)も認めていないものであり、さらに法的証拠にならない偽物なのである。しかし世間では、それを本物と勘違いしている人も増えてきている。
そもそも、なぜ2000年8月8日に、突然民放テレビで、出どころ不明のボイスレコーダーの一部が流れたのか?そしてその後、現役の『しんぶん赤旗』記者の米田憲司氏が書いた市販本に、その流出したボイスレコーダーが付録となり、加工した代物が世間に出てきたのだろうか? 私たちは、これらの点に大きな疑問を持たなければならない。重大な証拠物が単なる市販本の付録として出回るということに、変だと気づかなければならない。
当時は、心ある事故調査の関係者が、報道各社に匿名で送ったという美談になり、ドラマまで制作された。その関係者は一体誰なのか、いまだに不明のままである。高浜機長の声が本人であるという親族の証言から、ボイスレコーダーの一部と思われたのだ。
しかしながらその内容は、都合よく切り貼りされたものであり、それが世間に流布しているのである。
私が2019年に、英国でインタビューをした現役の国際航空安全調査員協会所属、ICAOの委員も、「日航安全啓発センターでボイスレコーダーを聞いたが、そこで聞いたものやネットに流出しているものは、すべて音源をコピー&ペースト(切り貼り)し編集されたもので、背景音が一定ではない。声は同一人物かもしれないが、事件資料としてはいわゆる偽物の部類だ」と答えた。
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)
- 投稿No.2366
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-12-09 20:38:41
『日航123便墜落事件 JAL裁判』(青山透子著)が刊行された。
この書物にはあの墜落事故について、原点に戻って考えてみる上で本質的な事柄が記されているようだ。
以後、書物から引用する形式でそのことについて考えてみたい。
Re.(2) ボイスレコーダー開示裁判の結果(東京地方裁判所)
- 投稿No.2297 元投稿No.2296 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-10-21 12:10:09
> せきたにさんへ
> せきたにさんは、事故調査報告書の隔壁破壊説は昔のJAL,ボーイングの刑事責任を問う際、否定されたと言われていました。
> ですが、今回のボイスレコーダー開示の裁判官の棄却理由を見ると事故調査報告書は現在も有効になっていませんか?
> 犯人探しよりも事故調査報告書の技術内容の間違い探しのほうが優先順位高くないですか?
風のたよりさんへ
今回の判決は裁判長の見識の無さが露呈していると言いたくなるが、おそらく実情はそういうことではないと考える。
判決はある種の勢力によって判決日直前に裁判長の判断というよりも女性の裁判長はあらかじめ決められた判決内容を棒読みさせられたのではないだろうか、という印象だ。
その理由だが、通常の見識を持ち合わせた裁判長なら『事故調査報告書』が公表されてしばらくした時期に、犠牲者遺族側が事故原因に関して『事故調査報告書』に記載されている通りならば日本航空、航空局、ボーイング社には過失責任があるはずだとして提訴された裁判に関して1990年7月に前橋地検が出した「不起訴処分」の結果が出されるまでの一部始終を知っていてしかるべきだが、今回の判決内容は前橋地検のその判断も「なかった」ことにされているかのごとき印象だ。
1990年7月に出された前橋地検の判断は次のようなものだった。
「圧力隔壁損解説は事故原因としては相当あやしい。
事故原因はわからない。」
それならばせめてオリジナルのボイスレコーダーを開示し、事故原因の真相に迫るべきだとして裁判を起こされた原告の吉備素子さん側が「不当判決だ」と叫ぶのは至極当然だと思われる。
ボイスレコーダー開示裁判の結果(東京地方裁判所)
- 投稿No.2286
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-10-16 07:52:44
今月10月13日に東京地方裁判所の806号法廷においてボイスレコーダー開示裁判の判決があった。
原告は奥様の吉備素子さんで、あの墜落事故でご主人の雅男さんが犠牲者となられたという。
争点については以下のようなものだが、要するに原告側は被告側に対して、事故原因を明らかにするためにオリジナルのボイスレコーダーを開示してほしいというものだった。
1 原告が被告に対して、人格権に基づく開示請求権を有するかについて
★原告側の主張 → 飛行関連のデータは死に至る直前の個人に関する重要な情報であり、本件事故調査報告書に記載されていない真実の究明に不可欠である。人格権としてのプライバシー権(自己情報コントロール権)によっても保護され、開示請求権が認められるべきである。遺族にとっても敬愛追慕の情に関わる重要な情報である。
★被告側の主張 → 原告の主張する内容は、国や公共団体を律するものであって、私人間(JALは単なる私企業にすぎない)を直接規律するものではないので、JALが持っているものは、保有個人データに該当しない。敬愛追慕の情が法律上保護される場合があっても、遺族固有の権利でそのような開示請求権が認められることはない。
2 国内旅客運送約款、運送契約に従って、被告のJALと乗客(吉備雅男)との間に締結した法律関係にもとづき、その付随義務を負っていたJALが安全配慮義務も負っていたため、開示すべきかどうかについて
★原告の主張 → 契約当事者間に情報収集力、分析力に格差があるからこそ、運送人は情報提供義務がある。墜落死亡後、それが原告に相続されたのであり、信義則上、情報提供義務を負うべきである。
★被告の主張 → その義務はあるとしても、生データ開示請求権まではない。JALは事故調査委員会に協力しており、事故調査報告書に記されている通りである。また、原告と被告の和解が成立したところで、それは消滅する。
判決はどうであったか。
なぜか今回の裁判では判決直前になって突然裁判長が変更になったという。
そして判決を言い渡した裁判長は「ボイスレコーダーは個人情報を含むものではない」という判断を下した。
→ 判決主文(東京地方裁判所 加本牧子裁判長)
「原告の請求をいずれも棄却する。」
「訴訟費用は原告の負担とする。」
日航は犠牲者遺族とは和解済みだという。
しかしながら、犠牲者遺族は日航と事故原因に関して和解をした覚えはないという。事故後まもなく受け取ったお金はいわゆる見舞金のような性質のものでるという受け止め方だった。
事故原因に関して不審を持ち始められたのは相当後になってからのことだという。
裁判長の判断として示されたのは、事案の墜落事故では「事故調査報告書」が作成され公表されており、改めてボイスレコーダーを開示して事故原因を詮索する必要はないという。
日本航空側は「双方の主張・立証をふまえ、ご審理いただいた結果であると受け止めています」というコメントを出されているようだが、実は「事故調査報告書」は専門家が一読してみても難解でわかりにくいものだとされている。
また、1990年7月に犠牲者遺族側が事故原因についての理解が及ばないながらも「事故調査報告書」の通りであるならば、「日航、航空局、ボーイング社」の三者には過失責任があるはずだ、としてそれら三者を相手に裁判を起こされた。
その裁判で前橋地検は、事故原因に関して事故調査報告書に記されているところの相模湾上空における圧力隔壁損解説については疑わしいという判断を下しており、結果的に不起訴処分となっている。
それならば本当の事故原因は何だったのかを知りたがるのは犠牲者遺族の人情というものだ。
原告の吉備さん側は今回の判決について納得されていない。不当判決だとして控訴する予定だという。
Re. 日航機墜落事故の真実追究(その53)乗客らは 猛烈な恐怖の連続で、墜落死した !!
- 投稿No.2269 元投稿No.2264 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-10-12 13:08:18
「墜落事象 恐怖の体験」 (1) (18:24―18:30の間)
日航機は 18:24 に突然、垂直尾翼と油圧装置が破壊され、操縦不能に陥った。 事故機は(18:24―18:30の間に)高度を、6000m以上急降下しており、実際は急降下で何回も墜落事象を行っている。即ち、事故機は最後の墜落時と同じ事象であり、乗客らは急降下の恐怖を感じているのだ。
「墜落事象 恐怖の体験」 (2)
大月市上空での360度旋回(4回の急角度の旋回での5000mの飛行高度の降下)
これは横田基地への緊急着陸を前提とした着陸の準備であった。
このために 初めての着陸なので、高度を4,000mも下げたいが、エンジン操作による操縦であるので速度を下げるのは墜落の危険性があり、高速での旋回と降下飛行を行ったのだ。この高速で360度の旋回は、90度以上の角度で旋回を繰り返しており、乗客らは恐らく強い恐怖を感じた筈だ。
「墜落事象 恐怖の体験」は以下(3)~(5)まで記されているが、上記(1)と(2)についてコメントさせていただく。
★「墜落事象 恐怖の体験」 (1) (18:24―18:30の間)に関して
相模湾上空で異変発生後の落合証言を時系列順に要点だけ取り出して記すと
「ゆっくりと左右に大きく旋回しているような動きがはじまったのは、酸素マスクをして、しばらくしてからです。」
「私の席に近い左の窓から見えたのは、まっ白な雲だけでした。かなり厚い雲で、地上は見えませんでした。
お客様は窓の外を眺めたり、なかにはスチュワーデスに「大丈夫か」とたずねる方もいました。機内の様子は、あわただしい雰囲気とかパニックなどということではなく、この段階では、まだ何とかなるんじゃないか、という気持ちがあったように思います。」
「私は羽田にもどれればいいな、と感じていました。しかし、まだ雲の上で、高度も高いし、ちょっと無理なんじゃないかな、とだんだん不安になってきました。しかし、ライフ・ベストが座席の下にあることがわからないお客様や、わかっても、ひっぱって取りだすことがわからないお客様も少なくありませんでした。私の近くにも、ベストの場所がわからなくて、取り乱している若い女性の人たちがいました。そのときになって私は、席を立って、お客様のお手伝いをはじめたのです。お客様はこのときはじめて、座席ポケットのなかの『安全のしおり』を取りだしました。」
落合証言によると、事故機は(18:24―18:30の間に)一貫して雲の上にあり、高度をほとんど下げていない。鷹富士さんが投稿№2180で記されるように私も藤枝市(焼津市の西隣)の目撃証言は作り話ではないかと考えている。
★「墜落事象 恐怖の体験」 (2) 大月市上空での360度旋回(4回の急角度の旋回での5000mの飛行高度の降下)について
大月上空での日航機は『疑惑』の著者角田四郎さんに目撃されているが、目撃されたときには既に低空飛行になっていたという。
そうすると、急降下はいつ行われたのか?
犠牲者の村上良平氏の遺書によると、「18・30急に降下中」とある。離陸後はじめての急降下は18:30~18:40までの間に行われたと考える。そして、犠牲者の大半の遺書はその10分間の間に記されたものと考える。具体的には落合証言で富士山を左下に見てから後の航跡は不明ながら大月上空に至るまでの約10分間であったと考える。
また、大月上空における4回の右旋回は90度以上のものであったと記されるが、行く手に山があってぶつかる危機があった川上村における飛行とは違って、行く手に障害物がないのなら90度以上の急旋回を行う必要がないので、大月上空の実際の旋回はなめらかな円軌道であったと考える。
なお、文系ちゃんにここで答えておきたいが、角田四郎氏が大月上空で目撃された低空で右旋回中の飛行機がJAL123便でなかったのならば、あの墜落事故は単なる事故ではなかったことはもちろんだが、突発的に起きた事件でもなくなり、計画性があったという匂いを感じざるを得なくなってしまう。
Re.(3) 角田氏の無人標的機説
- 投稿No.2263 元投稿No.2253 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-10-11 22:19:28
> せきたにさんへ
> 「誤解」とは角田氏が誤解しているという意味でしょうか、あるいは、私が誤解しているという意味でしょうか?
> いずれにせよ、私の説明の足りない点を補足していただき、ありがとうございました。
鷹富士さんへ
「誤解」という言葉で惑わせてしまったようだ。
「角田氏の無人標的機説」というタイトルで投稿されたので鷹富士さんに向けて返信させてもらったが、今回私の言いたかったことは以下のようなことだ。
前橋地検の判断の中で、「空気の流れはほとんどなかった」という落合証言を根拠に急減圧はなかったと判断されたのはある種理にかなっていると考える。
しかしながらそれを言われる同じ方が、無人標的機が衝突したのですぐに墜落事象に陥ったと主張されるのには疑問を感じる。
冷静に考えてみれば急降下以上の墜落事象が起きている中で酸素マスクやライフベストの装着は出来ないと考えるが、落合証言では相模湾上空で異変が起きた後、しばらくは酸素マスクやライフベストの装着をしていたとある。村上良平氏の遺書との整合性を考えるなら、異変が起きた後、18時30分頃までだと考えられる。
角田四郎氏はニアミスの場合なら直接衝突しなくても衝撃波の影響でバランスを崩して墜落してしまうと記されている。1トンもある無人標的機の本体が衝突したならやはり同じことになると考えるが、落合証言はそのとき「振動はまったく感じませんでした。機体も揺れなかった」と記されている。
そういうことなので、1トンもある無人標的機の本体が衝突し、垂直尾翼の半分以上が吹き飛んだので、すぐに墜落事象に陥ったがそれをパイロットたちが驚異的な操縦技術で立て直したのだという論理展開については落合証言との整合性が取れていないと感じてしまう。
急減圧の有無の根拠を落合証言に置くのならば、相模湾上空で垂直尾翼の半分以上が吹き飛んだことによって墜落事象に陥ったかどうかについても落合証言との一貫性を持たせて主張されるべきだ。
Re.(6) 『疑惑JAL123便墜落事故』(角田四郎著) 真相究明の姿勢
- 投稿No.2259 元投稿No.2255 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-10-10 15:24:52
> せきたにさまへ
> 吉岡氏は、富士山を見たのは大月旋回時と判断されたようであるが、色々と違和感があります。
> <吉岡忍氏の記事>
> http://imepic.jp/20221010/293960
文系ちゃんへ
吉岡忍さんは大月上空で旋回していたときの高度を6270mであったと記されているが、それだと確かに色々と違和感がある。
富士山を見たのが大月上空だと判断するのなら、角田四郎氏が『疑惑』に大月上空を旋回中の日航機を見たと記されているので、その目撃情報と一致しなければ整合性が取れないのではないかと感じる。
角田四郎さんは窓がくっきりと見えるほどの低空飛行で右旋回中の日航機を目撃したと記されているが、重ねて同時刻に北西に遠ざかっていく小松便を目撃したと記されていることから、上空に分厚い雲が出ていたわけではないことがわかる。
一方で落合証言の文脈からは機体が分厚い雲の上にあったときに富士山が左下に見えたように記されているので、落合由美さんが富士山を左下に見られたときの機体の位置と角田四郎氏が日航機を目撃された位置とは大きく離れていた可能性があると考えられる。
Re. 角田氏の無人標的機説
- 投稿No.2253
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-10-09 17:39:09
角田氏の無人標的機説に関しては誤解があると考える。
『疑惑』364ページ~365ページにはニアミスによって生じる場合の衝撃波の影響に関する考察として次のように記されている。
「一般的に見て、この衝撃波にやられると、尾翼の一部どころか後部全体にダメージを受け、機体はその場で大きくふらつき、すぐ墜落してしまうと考えられている。垂直尾翼は大きなものであふるるが、それだけに一部だけに波が当たるとは考えられず、垂直尾翼上部をかするように当たったとしても機体は当たった方と逆方向に大きく機首をふることになる。」
このことについては元パイロットの杉江弘さんが「陰謀説の真相」という書物の中でも次のように記されている。
「それでは、「謎の飛行物体」は、垂直尾翼に対して、横から当たったということだろうか。もし、横からなんらかの物体が衝突してきたならば、反動で機首は物体が飛んできた方向に向くはずである。」
ニアミス説を否定的に記されている角田氏が無人標的機衝突説については一転、以下のように記される。
「ほかの飛行物体が日航機に衝突したとすれば、私は標的機説を最有力視する。」
それでは、角田氏は「無人標的機」そのものが衝突したと断定されていたのだろうか?
『疑惑』372ページには次のように記されている。
「無人標的機」そのものは高価なものなので、訓練においてはそれを撃ち落とすのではなく、標的機からしっぽのように出ている「吹き流し」に的を絞ってそれに衝突させる。「吹き流し」は標的機から30メートル程度以上離さないと標的機に被弾してしまう可能性があるが、また、「吹き流し」にもグライダーのような揚力がありものだという。そして「吹き流し」に滑空能力を着けておけば、上空で「吹き流し」を切り離すことも可能だという。
角田氏は、「標的機」そのものがぶつかった可能性と並行して、「吹き流し」だけが単独でぶつかった可能性があると記されている。
下記は落合証言の箇所はその瞬間を記されたものだが、このとき垂直尾翼が吹き飛ぶほどの衝撃があったとは思えないが、「吹き流し」だけが衝突した可能性は感じられる。
「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい音がしました。テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。急減圧がなくても,耳を押さえたくなるような、すごく響く音。前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。音は、私のちょっとうしろの天井のあたりからしたように感じましたが、そこだけでなく全体的に広がったように思います。私は思わず天井を見上げました。しかし、振動はまったく感じませんでした。機体も揺れなかった。」
Re.(4) 『疑惑JAL123便墜落事故』(角田四郎著) 真相究明の姿勢
- 投稿No.2248 元投稿No.2246 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-10-09 11:11:38
> せきたにさまへ
> 落合さんは途中富士山を見ている
> 「左手に富士山が見えました」
> 富士山が見えた時は「羽田に戻るだろう」っていう安心感がちょっとありました
> それまでの乗務経験からそう思ったのだろう
> だが、彼女は一体どこで左の窓から富士山を見てささやかながらも安心感を覚えるに至ったのだろうか?
> 立ってはいられない程に揺れが激しくなり、覚悟を決めてか安全姿勢を取ろうという事態に及んでそんな風に思うことはないだろう
文系ちゃんへ
落合証言によると富士山が左下に見えたとき、機体は左右に大きく揺れていたことがわかる。
ところで、上記の落合証言は犠牲者の村上良平氏が残された遺書と符号を感じる箇所がある。
村上良平氏が残された遺書には
「機体が大きく左右にゆれている」
と記されているが、この表現は落合証言の
「機体は左右に大きく揺れていた」
という言葉と符合すると考えて良いのではないか。
続けて、村上良平氏は
「18・30急に降下中」
と記されている。
落合証言によると、富士山が左下に見えたとき、安全姿勢を取ったとされているが、それ以前に機体の急降下については述べられていない。
そうすると、富士山が左下に見えたのは18:30の直前だった可能性が浮かび上がってくる。
また、上記村上良平氏の遺書には
「18時45分 機体は水平で安定して」
と記されているので、上記の急降下は三国山上空における墜落直前の急降下とは別のものであったことが知られる。
Re.(2) 『疑惑JAL123便墜落事故』(角田四郎著) 真相究明の姿勢
- 投稿No.2245 元投稿No.2244 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-10-07 21:17:49
> せきたにさまへ
> 事故に関して何の検証をするにしても、CVR DFDR はその礎となるべきかと思います。
> ただ、そうであっても少なからずしっくりこないところはあるように感じられて仕方がありません。
文系ちゃんへ
角田四郎さんはあの墜落事故の事件性を示唆されている。
『疑惑JAL123便墜落事故』417ページ~418ページ
「どこかが間違っている、無理がある、否定しなくては、と思いつつも検証を進めれば進めるほど「報告書」から遠ざかり、また報告書を否定する材料ばかりが増大するのである。
そしてより重苦しい仮説ばかりが浮かび上がり傍証を結び合わせるのである。
悲惨な遺体の散乱する山中で、しかも真夏の猛暑の中で、吐き気と闘いながら遺体収容作業を行ってくれた若い自衛隊員一人一人の心情を思うとなんともやり切れない思いである。
事故調査委員会の報告が信頼性のある内容とオープンな手法でうら打ちされていれば、私などがこんな仮説を立てることもなかったはずである。
少なくともボイス・レコーダー、フライト・レコーダー、生の交信テープの公開と相模湾海底の徹底調査だけは、どのような圧力があっても行わなければならなかったのである。
これが行われない限り、私に限らずこの事故に対する疑惑を提示し続ける人が後を断つことはないであろう。
そしてその人々が抱く疑惑と同様、一瞬にして平和な家庭を引き裂かれ、かけがえのない愛をもぎとられ、夢を無残に葬られた、亡き人々と残された人々の怨念は、衰えることなく続くのである。真実がより明瞭に示されない限り・・・・・・。
私の仮説にも多くの間違いがきっとあるはずだ。しかし、「日航123便墜落事故」は、言われているように単なる「事故」ではないのだ。明らかに「事件」と呼ばれるべきものを内包しているのである。
そして、そこには必ず犯人が潜んでいる。」
『疑惑JAL123便墜落事故』(角田四郎著) 真相究明の姿勢
- 投稿No.2241
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-10-07 12:56:08
『疑惑JAL123便墜落事故』364ページ
「さて、私は「ドーン」の前にコックピット内で「何か」に気づいていると主張した。
もし垂直尾翼にある方向舵が事故原因であったとして、それに気づいたものだとすれば、ボイス・レコーダーの「ドーン」以降にも異常に対する発言があって当然だが、それはない。
また、フライト・レコーダーのドーン前に、何がしかの特殊な操作反応が残されるはずだが、それも見られない。
むろんこの2つの記録がナマで公表されていないので、発表記録を全て信頼にたるものではないと葬るなら、私の仮説は成立しなくなる。
しかし我々は与えられた数少ない資料の中から真実を求める以外に手段はなく、信頼できない部分は、その理由を提示する必要がある。」
Re.(4) 小田周二さんの仮説と尾宮次夫さんの仮説の相違点
- 投稿No.2188 元投稿No.2177 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-09-29 13:00:10
> せきたにさまへ
> 川上村から左旋回で三国山を越えて後、から松付近から墜落へ といった局面となりますと、自分は詳しくないのですが、ご紹介頂きました情報等から、以下の可能性が思いつきます。
> 1.三国山を過ぎて後、第4エンジンより出火(警報音1秒未満)し爆発、大きく右翼を下げる姿勢でから松へ
> 2.ミサイルが第4エンジンにヒットしエンジンを脱落させ、大きく右翼を下げる姿勢でから松へ
> 3.ミサイルが機体前方~中央あたりに打ち込まれ正常な飛行が維持できなくなり墜落
> 2と3は同時に発生していた可能性もあるかもしれません。
> また、墜落の状況としましては、から松の先端は右翼先端によるものではなく、落下部品によるものですとか、第一接地点がU字溝ではなく手前のO字穴である可能性というのも考えてみる必要はあるように思います。
> 何にしましても突拍子のない話とも感じるところもあるのですが、ピカッと光って空が真っ赤に染まり墜落地点とは別の場所でキノコ雲 となりますと、それ相応の事態は発生しないとそうならないはずですので、常識ではたどり着かないところに真相があるように思われます。
文系ちゃんへ
墜落直前に起きた事象に関しては、同種の墜落事故遺体等との状態を比較することや、生存者の証言、あるいは目撃者情報などを総合的に考えてみることによって浮かび上がってくるものがある。
まず、同種の墜落事故遺体等との状態の比較に関しては以下のような考察がある。
『空白の14時間』(池田昌昭 著)141ページ
JAL123便のように、山に激突するように墜落したのと、かなり類推線上にあるのが、昭和46年7月3日に起きた東亜国内航空YS-11「ばんだい」号墜落事故である。「ばんだい」号は、標高701メートルの函館空港付近の烏帽子山山腹に激突した。このときの激突の様子を当時の新聞記事から見ると、JAL123便墜落事故と非常に似ていることが分かる。というのは両方とも、機首から山に激突していて、森林に遺体や機体が散乱した点である。そのことは、次に掲げる新聞記事でも明らかであるが、「ばんだい」号墜落事故と、JAL123便墜落事故が決定的に違う点は、遺体と機体の破壊状況である。似ているのは、両方とも山への突っ込みかたであるが、結果として、JAL123便墜落事故の場合、乗客と機体とは完全粉砕された。
JAL123便とかなり似ている「ばんだい」号が山に激突した様子を見てみよう(『朝日新聞』1971年7月5日朝刊)。
「烏帽子山の現場は白カバや原始林がなぎ倒されていた。ジェット燃料のにおいがいっぱいにたちこめている。数十メートル以上も機体が突っ走った跡があり、機体の散らばっているところでは、直径約百メートルにわたり、丸く木がなぎ倒されていた。猛烈なダイビングを物語っている。
散乱したジェラルミンの破片に[七月]三日の悪天候がウソのように、月が輝いている。機体は完全に四散し、残っているのはエンジン、プロペラの一部らしいもの、それに『東亜国内航空』と書かれた尾翼部分だけだ。
遺体は太い白カバの木の下敷きになったり、木にひっかかったりしている。足や胴がバラバラになったものがほとんど。むごいというよりほかに、表現のしようがない。
木にひっかかった遺体はわかったものだけでも三体。レンジャーの話では数体あるという。いずれも十メートル以上の高さで、一体は洋服のえり首を枝に、二体は重なってくの字形になりひっかかっていた。その下の地面には首のない死体がひとつ。胴体部分とエンジン部分は約四十メートル離れたところに落ちていた。
エンジンの落ちたところは、クマザサが一面に黒こげになっていた。『ばんだい』の胴体は、ねじれ、ぐしゃぐしゃにつぶれている。窓ガラスもこなごなにくだけ、中にはおみやげの包みが見えた。
夜がふけた現場周辺には、ジェット燃料のにおいと不気味な異臭がまじりあって立ちこめていた」。
(JAL123便の遺体に戻る)
ここで、座席別に、遺体が確認されていない乗客の方を見てみよう。遺体が確認できないということは、文字通り身体が粉砕され、歯型も指紋も、着衣も、所持品も搭乗券もなにもかも手掛かりがない乗客の方なのである。このように遺体確認の方法がない乗客の方が、55名もいたのである。
以下は同著『空白の14時間』(池田昌昭 著)67ページ
次に、機体前部(一番目のドアから二番目のドアまで)の乗客の身元確認の決め手を、『読売新聞』昭和60年8月24日付夕刊で見てみよう。
この機体前部乗客の身元確認方法から分かることは、次のことである。
(1) 機体後部乗客に比較して、身元確認の手段がない乗客が16名もいるということである。身元確認ができないということは、歯も、着衣も、指紋も、身体もすべて粉砕されてしまったということなのである。しかし一体、そういうことが現実に起こり得るのだろうか。
(2) 第二に、かりに身元が確認されたとしても、歯型や指紋や着衣が圧倒的に多く、顔というのが少ないのである。
これは何を意味するのか。つまり、全身粉砕され、辛うじて歯型、指紋で身元が判明したということなのである。
とすれば、機体前部にたいして、余りにも機体後部とは違った外力がかかったと、推測してもおかしくはない。
しかもその外力はあきらかに、機体後部の墜落時のクラッシュとは違った性質のものであると言える。
何か別の破壊的な物理的な外力が加わったからこそ、無残にも乗客も機体も粉砕されてしまったと思われるのである。
(長くなるので生存者証言や目撃者情報からの考察は次の投稿文で記載)
Re.(2) 小田周二さんの仮説と尾宮次夫さんの仮説の相違点
- 投稿No.2161 元投稿No.2158 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-09-25 21:51:22
> 墜落時の状況は飛行速度や接触点、また接触時の姿勢について今一度ゼロから考察され直しがされてもよいように個人としては思います。
> ともかく、から松とは離れた場所でピカっと光ったのであれば、何かが起きたに違いないと推測せずにはいられません。
> <中嶋さんの見た光>
> http://imepic.jp/20220925/622260
文系ちゃんへ
『空白の14時間』(池田昌昭 著) 139ページ
重大なのは、ミサイルの機内での爆発なのである。
あたかも風に乗ったかのように、低空飛行していた最終段階のJAL123便にたいして、撃ち込まれたと思われるミサイル打撃によって、内部は破壊され、機体は真っ逆さまに落下。機首から突っ込む形で、地面に激突。一方機体後部は、主翼付近の機体中部・前部への打撃により、機体前部・中部とは違って、慣性の法則で、言わば真っ二つに折れた形で進入方向に向かって、慣性の法則のとおり、地面に衝突しながら、言わば接触しながら、スゲノ沢にズリ墜ちていったものと思われる。
機首から突っ込んだ運動エネルギーと同時に、たぶん機体中部から前部に撃ち込まれたと思われるミサイルの破壊エネルギーにより、機体前部および中部は、地上墜落寸前に崩壊間際となり、地上激突エネルギーにより粉砕されてしまったものと思われる。
JAL123便墜落事故の死傷者の状況と、国内外で起きた他の飛行機事故の死傷の状況とを比較してみよう。
結論的に言えば、他の墜落事故の死傷の状態もひどいが、JAL123便の場合、機体前部・中部と機体後部乗客・乗員の死傷程度に、相当以上の差があるということである。これは何を意味しているのであろうか?
小田周二さんの仮説と尾宮次夫さんの仮説の相違点
- 投稿No.2154
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-09-25 12:04:54
確かに「事故機はミサイルで撃墜された」という言葉で両者は一致している。
ところが、言葉は一緒でも意味は大きく異なっているようだ。
小田周二さんの「事故機はミサイルで撃墜された」についての意味は、三国山上空での出来事を仰っておられ、三国山上空で第四エンジンをミサイルで撃墜された。それが原因でその直後、墜落事象に陥ったというもの。墜落現場の機体の散乱状況、遺体の状況に関してはあくまでも猛スピードで山肌にぶつかったが故にそうなったというもので、飛行機の墜落事故には必然的な現象だという主張。
一方、尾宮次夫さんの「事故機はミサイルで撃墜された」は小田周二さんのそれとは意味が大きく異なる。
尾宮次夫さんの「事故機はミサイルで撃墜された」はおそらく次のようなもので、墜落現場の機体の散乱状況、遺体の状況はその結果生じたものだと主張されていると思われる。
★『JAL123便 空白の14時間』(池田昌昭 著) 153ページ
「撃ち込まれたと思われるミサイルの威力は、機内で電撃的だった。
機体中部から前部にかけて、高性能炸薬弾頭もしくは破片弾頭が走り、乗客、特に爆発エネルギーを反撥した堅牢な外板窓際乗客は粉々に粉砕された。機内は阿鼻叫喚の地獄。
想像するに、ミサイルの爆発エネルギーは凄まじかった。バランスを失ったJAL123便は、右側に急降下。機体前部・中部の乗客は、機内で粉砕された。」
★「御巣鷹山ファイル」 2018年4月26日 投稿者:123ジェット機
まだかろうじて飛行中と言える段階に於いて、ファルコン外装の高性能小型(核)ミサイルが大音響と共に炸裂。
「巨大な黒いキノコ雲に成って天に上った」 川上村梓山 井上薫氏
勢いのある黒いキノコ雲がモクモクと上空に湧き上がってきた。キノコ雲の高さは上空800メートル~1キロ昇り、キノコ雲は5分位続いた。
上方向に爆発、客室の床を持ち上げる方向に作用した。
爆心付近の客室の床は凄まじい勢いで瞬間的に持ち上げられ、持ち上げられた客室内の床上に姿・形として存在したものは次の瞬間、客室の天井との間に挟まれて押し潰されながら、勢いは止まらず、天井をも押し上げて仕舞った。更に次の瞬間、床ごと持ち上げられた客室内と天井部分とはJAL123便を形作る機体上部の外板をも破って仕舞い、機体を分断して仕舞う程の物だった。
一方で機体後方部の客室の床は、爆心付近の客室の床が押し上げられた反動で、逆に客室の下の機械室の付近の領域に落ち込んだと思われる。
文系ちゃんの疑問、水平尾翼がなぜ進行方向右横500メートルまで飛ばされたのか? についてもこのことが原因だったのではないか。
Re.(5) DFDRの信用性
- 投稿No.2012 元投稿No.2003 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-08-14 23:00:30
鷹富士さんへ
> No.2005に関し、以下、補足します。
> 4、角田著のページ396から397にかけての仮説は、伊豆半島上空から大月旋回までの約20分、高度が低かったということです。
> その仮説に従ってDFDRのデータを変えるなら、ALTを変えるだけでは済みません。高度が下がると空気密度が上がるから速度(CASとTAS)も変わります。速度が変わると飛行距離が変わり経路も変わります。それによりHDGとRLLにも影響します。高度が下がるとフゴイド運動とダッチロールの周期と振幅が変わりますし、細かく言えばもっと多くの項目が影響します。
> 事故調のDFDR図では、1秒おきのデータを表示していますが、DFDR拡大図を見ると、項目によっては8分の1秒、あるいは4分の1秒間隔のデータが記録されています。
> これらの膨大かつ複雑ななデータを相互に矛盾の生じないように変えることは現実的には不可能と思います。
> 従って、角田著のページ396から397にかけての仮説は、文章にすれば10行程度ですみますが、DFDRの膨大なデータの改竄は不可能で、根拠の無い空想に過ぎないと思います。
『疑惑 JAL123便墜落事故』は角田四郎さんの推測は、目撃者情報や証言等を根拠に記されている。
『疑惑』に記されている目撃情報だけでもDFDRと大きく異なるものが多い。
JAL123便墜落事故に関して私が感じる不可解さはこの墜落事故には多くの目撃情報があるのだが、事故調発表の航跡はそれら目撃情報との乖離が大きすぎるということだが、そのことに違和感を持たれない方がいるということにも違和感を感じるようになってきている。
・『疑惑』21ページ 東伊豆の河津駅の北西の山側で畑仕事をしていた同町役場職員渡辺穣さん(45歳)の証言は「午後6時半前、ボーンという音で上空を見た。雲の切れ間からジャンボ機がふだんの二倍近い大きさで見えた。大きく右旋回したので不思議に感じた」という。
※「ふだんの二倍近い大きさで見えた」ということは鷹富士さんの数理計算の常識ではふだんよりもかなり低空飛行であったということにならないか?
・『疑惑』91ページ
東京都西多摩郡五日市町入野750-1 南澤輝明さん(35) 会社役員の証言
あの日は私の誕生日なので、よく憶えています。町の南側にある今熊山(八王子市美山町)の方向から、大きな飛行機が現われ、北北東の方向へ水平にゆっくり飛んでいた。秋川や町の上空を横切って日の出町方向の山へ消えました。五日市高校の上空あたりを飛んでいる様子でした。横田米軍基地に降りると思いましたが、普段米軍機は低空でこんな所を飛ばないので墜ちるのでは・・・・・・と感じました。時間は午後6時45分頃の20~30秒間です。
※DFDRによるとこの地点には来ていないことになっている。
> 5、大月上空の旋回は、DFDRの解析以前にレーダー情報により得られたものですから、この位置は大筋で正しいでしょう。
> 毎日新聞記事の「座間の東9キロの上空で同高度に達し」と「管制から『緊急機の視認ができるか』・・・」の間に、
> 東京新聞記事の「同ポイントの東9キロ地点で」と「前方のやや右上部に123便の機影を視認・・・」の間に、
> 本来は、それぞれ1,2行の文章があり、時間も5,6分経過していたのに、何らかの理由で編集の段階で飛ばされたと推測されます。
> このように推測すれば、全てが矛盾なく説明できます。
> その当時の編集者にとって、小松便の機長が日航機の旋回を視認したことで充分であり、時刻・場所を厳密に記す必要を感じていなかったと思います。
最初の報道(8月16日の東京新聞朝刊)では明確に午後6時半すぎに123便の機影を視認した、と記されているじゃないか。(『疑惑』322ページ)
「8月16日の「東京新聞」朝刊」
「12日夕、羽田発の定期便で、ザマ・ポイントに向けて飛行中、ACCに24000フィートへの上昇許可を求めたところ『18000フィートを維持せよ。緊急通報を発している期待がある』と通報され、初めて近くに123便のジャンボ機がいることを知ったという。
このため前方を注視していたところ、午後6時半すぎ、同ポイントの東9キロ地点で、前方のやや右上部に123便の機影を視認した。
※この記事が8月23日朝刊の毎日新聞では「午後6時30分、羽田を離陸。」と内容が変えられてしまっている。また、JAL123便が大月上空で高度6000メートルであったとすれば角田四郎さんの目撃情報を否定することにもなる。(角田四郎さんは大月上空を飛ぶ旅客機の窓がくっきりと見えたと言われており、旅客機の窓は機体を横から見たときに真ん中やや上に配置されているので、窓がくっきりと見えるためにはジャンボ機の飛行高度が地上からの角度的に窓が見える程度に低くなくては物理的に無理で、高度が6000メートルでは下から上を見上げる角度となってしまうので目が良くても窓の位置を目視することは出来ない。更に全日空小松便同様の高度だっととするには両方を目撃された角田四郎さんの見え方が大きく相違している)
> 6、次に、せきたにさんとの議論の発端になった、川上村から先の飛行経路について説明します。
> まず、日航機が川上村から北上して、55分30秒時点のDFDRのデータを解析します。
> TAS(真大気速度)は250kt(秒速128.5m)を示しています。
> HDG(機首方位)から、変化率(dH/dt)を計算すると、毎秒0.0488ラジアンとなります。(2πラジアン=360度)
> 旋回半径を計算すると、128,5÷0.0488≒2633m が得られます。
> 旋回による遠心力を計算すると、機体質量をMとして、f1=M×128.5×128.5÷2633≒6.27M(N)が得られます。
> RLL(ロール角=機体の傾き)は、ダッチロール運動のために細かい波動があるので、その中間点を読むと約40度を示しています。
> 向心力としては、f2=M×9.8×sin40°≒M×9.8×0.643≒6.3M(N) が得られます。 (9.8は重力の加速度)
> 上記のように、若干の読み取り誤差を認めると、遠心力と向心力はつりあっていることが確認できます。
> 大月上空の旋回についても、同様の確認ができます。
> 次に急旋回した場合を解析します。
> 仮に、速度を上記に保ったまま、旋回半径を2000mにすると、遠心力は
> f3=M×128.5×128.5÷2000≒8.26M(N) となります。
> これにつりあう向心力を生ずるRLLは、約57.5度になります。
> f4=M×9.8×sin57.5°≒M×9.8×0.843≒8.26M(N)
> cos57.5°≒0.537 ですから、主翼の揚力が機体を垂直方向に持ち上げる力としては半減し、墜落していきます。
> つまり、半径2000m以下の急旋回をしたら、数百メートルも飛行できずにジャンボ機は墜落するということです。
> 油圧を失い操縦性を失った日航機は、急旋回はもちろん、右旋回から左旋回へ、さらに左旋回から右旋回、というようなアクロバット飛行は不可能です。
> 川上村の目撃情報の一部は、錯覚か誤解か誇張に過ぎないということです。
・『疑惑』97ページ
石川さんらは、12日午後、長野県南佐久郡川上村梓山の実家近くにある畑で、レタスの葉の消毒作業をしていた。墜落現場の南約6キロの地点だ。あたりが薄暗くなり始めた午後7時ごろ、東南にある甲武信ヶ岳(2475メートル)の北側の尾根から、突然、大きなジェット機が姿を現した。飛行機は石川さんら数人が働いていた畑のほぼ真上を西方向へ通過。「まるで石を投げたら当たるような超低空飛行だった。真上に来た時は空が真っ黒になるように感じた」と石川さん。
飛行機は千曲川にそって西に進んだが、正面には扇平山(1700メートル)が迫っていた。右翼を下げて飛行機は約90度右旋回した。が、進行方向には三国山(1818メートル)がある。
「もう、ぶつかるかと思ったが、機首をぐっと持ち上げて、山の斜面をはうように上昇していった。機首の上部が後ろからでも見えるほどの急角度のまま、やっと尾根を越えた。
※鷹富士さんの指摘されるところの、飛行速度に応じて旋回する場合の限界最小半径は計算によって算出されるだろうが、目撃情報が語る高度と方向はDFDRとはまるで異なるが、川上村における目撃情報の多くは石川さんらの目撃情報と酷似している。
※DFDRを改竄することが難しいのは理解できている。余談だが、自分がシステムエンジニアだとして、他人が1000時間ぐらいかけて作成されたプログラムにバグが時々出てきて、どこに原因があるかわからないという場合、そのプログラムの全体を理解してからバグを修正するよりも、同様のことが出来るシステムを自分のやり方で一から作るほうが楽だと言われている。そして、どのようなプログラムも実用化される前にはシュミレーションを重ねる時期があるはずだ。DFDRというシステムがはじめて導入されたとき、まさか実験を経ずしていきなり実際のフライトで使用されたわけではないだろう。
Re.(5) DFDRの信用性
- 投稿No.2007 元投稿No.2006 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-08-11 22:00:28
> > DFDRは通常は正確なものだと考えている。JAL123便墜落事故後公表されたDFDRはオリジナルなもの(生のもの)では無くコンピュータシュミレーションを使って作られたものだという見方だ。オリジナルのDFDRは別にあると考えている。
> これはむごい。
> このような本音が隠れていたとは想像もしませんでした。
> 残念です。
佐伯さんへ
川上村住民の多くの目撃情報を悉く抹殺してしまうことはむごくはないのか。
Re.(3) DFDRの信用性
- 投稿No.2003 元投稿No.1993 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-08-11 11:17:02
鷹富士さんへ
> 1、DFDRの信用性の問題とATMの問題は次元の異なる問題で、比喩の意味はありません。具体的に日航機の飛行経路とDFDRについて論じましょう。
DFDRもATMもデジタル的なものだと言っているんだ。
2004年に起きた特捜部検事による捜査資料改ざん事件を覚えておられるだろう。
https://www.jiji.com/jc/v2?id=muraki_04
「大阪地検特捜部の検事による捜査資料改ざん疑惑を受け、記者会見する村木厚子厚生労働省元局長=21日午後、東京・霞が関の司法記者クラブ【時事】
障害者割引郵便制度の悪用に絡む厚生労働省の偽証明書発行事件で、証拠品として押収したフロッピーディスク(FD)内に保存されていた文書のデータを、大阪地検特捜部の検事が改ざんした疑いのあることが21日、関係者の話で分かった。偽証明書の作成日時が検察側主張に合うように書き換えられていた可能性があるという。FDは公判には証拠として提出されなかった。
最高検の伊藤鉄男次長検事は同日記者会見し、改変にかかわったとみられる同事件の前田恒彦主任検事(43)に対して、証拠隠滅容疑で捜査を始めたことを明らかにした。最高検検事を主任とした数人のチームで捜査し、今後刑事処分や懲戒処分を検討する。関係者によると、大阪地検は20日、前田検事から事情を聴いた。
FDは昨年5月、虚偽有印公文書作成罪などに問われた同省元係長上村勉被告(41)=公判中=の自宅から押収され、同被告が自称障害者団体「凛(りん)の会」に発行したとされる偽の証明書のデータが入っていた。
弁護側が請求して開示させた証拠によると、最終更新日時は「2004年6月1日午前1時20分06秒」だった。しかし、FDの記録を確認したところ、日時が「6月8日午後9時10分56秒」に書き換えられていた。
検察側は公判で、村木厚子同省元局長(54)=一審無罪=が04年6月上旬、上村被告に偽証明書発行を指示したと主張。しかし、更新日時が1日だとつじつまが合わず、郵便事業会社側から凛の会に証明書提出要請があった8日を更新日時とすれば、矛盾しない状況だった。
東京・霞が関の司法記者クラブで会見した村木厚子厚生労働省元局長(54)は「組織としてこういうことが起こらないようにすることが一番大事。あまり個人の問題にしてほしくない」と述べ、検察組織として真相究明を図るよう求めた。
村木元局長は冒頭、「大変びっくりした。こんなことが起きるのかと恐ろしい気持ちだ」と検察に対する不信感をあらわにした。
検察側の主張と改変前のフロッピーディスク(FD)のデータとの矛盾に、最初に気付いたのは村木元局長。「データは残っていないのかと思ったら、開示証拠の中に合致したものがあった。大事な証拠なのに真相解明に使われていないことに大変ショックを受けた」と振り返った。その上で、「改ざんされていれば、自分の無罪の足掛かりになるものが得られない。本当に怖いことだ」と述べた。(2010年9月21日配信、肩書き・名称、年齢はいずれも当時)
------------------------------------------------------
> 2、私は、DFDRで飛行状態を記録できるが、目撃情報は必ずしも正しいとは限らないと考えます。
DFDRはコンピュータシュミレーションを使える環境があれば人工的に作成できるが、立場が違う偶然性の高い複数の目撃情報は川上村上空で右旋回し、三国山の方角に向かって行って長野・群馬県境を越えたと言っており、DFDRの描く航跡と全く異なるが、それらの目撃談を人為的に操作し、一致させることは困難だ。
------------------------------------------------------
> せきたにさんが事故調の飛行経路図に疑念を持たれるなら、(内容的には異なるとしても)私も同感ですが、DFDRを信用されないというなら、本質を誤解されていると思います。
それは意味が違う。DFDRは通常は正確なものだと考えている。JAL123便墜落事故後公表されたDFDRはオリジナルなもの(生のもの)では無くコンピュータシュミレーションを使って作られたものだという見方だ。オリジナルのDFDRは別にあると考えている。フロッピーディスク改ざん事件の例でいうならば改ざんされる前のDFDRだ。但し、DFDRの場合はフロッピーディスクの更新日時だけではないので改ざんすることは難しいことはわかっている。だからコンピュータシュミレーションで作られたものが公表された可能性があるのではないかと考えている。
------------------------------------------------------
> 3、「杉江弘氏」を「堀江弘氏」と誤記していたようですので、訂正させていただきます。
そういうことなら了解。
------------------------------------------------------
> 4、角田四郎氏自身は、ご著書の中で、事故調報告書の大月旋回の経路も高さも問題にされていないので、了解されているものと思います。
問題にされているじゃないか。
396ページ~397ページには次のように記されている。
「のみならず、事故発生地点にすら私は大きな疑問を持っているのである。
事故は現在いわれる伊豆半島直前よりさらに東側、未納入試運行戦艦『まつゆき』が垂直尾翼を回収した地点にほど近い空域である可能性が高い。ここが真の事故発生地点ではないだろうか。千葉県館山での目撃まであるという現実もこう考えれば当然といえることになる。
本当の事故発生地点が事故調の発表した見解より東側に寄れば、高度も伊豆半島直前に達するであろう24000フィートにはとても達しておらず、15000フィート程度であったと予想できる。これなら「ふだんの倍」くらいに大きく見えたという証言もうなずける。また、この高度から降下を始めたとすれば、私の目撃地点(大月)での3000メートル(約1万フィート)くらいと見る目測も理にかなうこととなる。しかも「緊急降下」の必要性も、またそうしなくても苦しくなかったというのも全て理解できるところとなる。
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> 5、「角田四郎著=疑惑」のページ323で、全日空小松便の機長の情報が記載され、「高度18000フィートで進行中、前方に高度24000から22000フィートで右旋回中の日航機を発見」という趣旨の記載があり、これは大月旋回中のDFDRの記録と合致しています。
合致していない。「角田四郎著=疑惑」のページ323に記されている場所は座間の東9キロの地点だ。全日空小松便はその地点から直線距離で約3.6キロの場所に事故機を見かけたと言っているので、そのときの事故機の位置は大月ではない。
8月23日の「毎日新聞」朝刊
「全日空は12日午後6時30分、羽田を離陸。東京湾上空で南南東から高度4000フィートで左に旋回。座間市上空を2万フィートで通過するため上昇中、羽田と座間のほぼ中間で、ACCから『緊急航空機あり。高度18000フィートを維持せよ』の指示があり従った。座間の東9キロの上空で同高度に達し、管制から『緊急機の視認ができるか』と聞かれて前方を見ると全日空機の進行方向に対して約15度右側の高度24000~22000フィート付近で事故機を発見した。近づくと右旋回中と判明、飛行は約2秒間右に傾くと、そのあと約1秒間水平飛行に戻るという横揺れ状態だったという。日航機はこのあと、機首を南からさらに西に向けるところで、全日空の右後方約45度の位置だった。直線距離で約3.6キロだった。」
但し、上の記事は8月23日の「毎日新聞」朝刊に掲載された記事だが、もう少し前の8月16日の「東京新聞」朝刊の記事が「角田四郎著=疑惑」のページ322に紹介されており、両者は似た記事だが微妙に内容が異なる。
「8月16日の「東京新聞」朝刊」
「12日夕、羽田発の定期便で、ザマ・ポイントに向けて飛行中、ACCに24000フィートへの上昇許可を求めたところ『18000フィートを維持せよ。緊急通報を発している期待がある』と通報され、初めて近くに123便のジャンボ機がいることを知ったという。
このため前方を注視していたところ、午後6時半すぎ、同ポイントの東9キロ地点で、前方のやや右上部に123便の機影を視認した。機長は『初めは四発エンジンの大型運用機といった感じで、日航機には見えなかった』という。また『機は大きくなったり小さくなったり見えた』『北から東に針路変更をしようとしているようだった』と報告している。」
この記事の通りだと時刻も位置も大月とは異なる。従って、大月旋回中のDFDRの記録と合致しているとはいえない。
Re. DFDRの信用性
- 投稿No.1993 元投稿No.1965 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-08-07 20:39:30
鷹富士さんへ
私は実際にどう飛んだのかということが真相であって、それを知るために目撃情報やDFDRがあると考える。
例えばここにまとまった札束があるとする。それを信頼できる10人のメンバーに数えてもらったところ、全員98万円だと言うので、その札束に2万円加えて100万円にしてからATMに入れてみたところ、機械の読み取り結果は99万円だという。
この状態で機械が間違うはずがないんだからと考えてそのままの状態で更にあと1万円無条件に追加できるだろうか?
鷹富士さんならATMが間違うはずがないとして黙って1万円追加されるかも知れないが私なら店員を呼び出すか入金をキャンセルしてもう一度数え直す。キャンセルして戻ってきたお金を数えてみて99万円しかなかったら数えてもらった10人を疑うよりもどちらかというとそのATMにシステム障害が起きているのではないかと疑ってしまう。
2002年04月01日に起きたみずほフィナンシャルグループ大規模システム障害や今年の7月2日深夜に起きたKDDIの通信障害など、コンピュータは時々システム障害を起こすものであることは私が言うまでもなく、技術屋さんならご存じだろう。ATMに入れた通帳が出て来なくなったということもある。そういったことが脳裏を過る。
こうなったらあと1万円追加してもう一度同じATMを使って100万円の入金作業をする勇気は持てないだろうと思う。
この場合、私の言う真相というのは最初の札束について実際はいくらあったのかということであって、ATMが数えた99万円の答えではない。ここに認識の違いがあればいくら議論しても平行線になってしまう。
川上村近辺で多くの目撃情報があり、川上村から見て事故機は南東の方角から高度を下げながら近づいてきたと言う。
私が問題にしているのは、川上村上空で右旋回し、三国山の方角に向かったという目撃談が多い中で、事故調発表の航跡は川上村からは更に西の方角に向かったことになっており、両者には顕著な相違点があることだ。 実際にどう飛んだのかを問題にしており、DFDRで示せないと認めないという発想が理解できない。DFDRも目撃情報もいずれも真相を指し示す指に過ぎず、いずれも真相そのものではない。
理解できないついでに言っておくと、鷹富士さんが以前の投稿で堀江弘さんという方の説を引用されていたのを記憶している。
「某氏の著作で「垂直尾翼の側面からミサイルが衝突した」という説を唱え、これを「妄想」として堀江弘氏が痛烈に批判していました。」
私はJAL123便墜落事故関連で堀江弘さんという方を知らない。もしかしたら杉江弘さんの間違いではないのか?
堀江弘さんで正しいのなら改めてその方のプロフィールを紹介してほしい。
また、角田四郎さんの大月上空の目撃談について、角田さんは目が良かったので、6000メートル上空の機体の窓がくっきりと見えたのだろうと書かれていたのを記憶しているが、3000メートルぐらいの上空であってもボディは見えても窓は見えないはずだ。まして6000メートル上空ならなおさらだ。
角田四郎さんの大月あたりのキャンプ地からの目撃情報は
『疑惑』(54ページ~56ページ)に記されている。
18時40分~18時41分にかけて低空を北から南に向けて少し右に傾きながら飛行する民間航空機を目撃したことが記され、今度は18時43分~18時44分頃にかけて飛び去ったと思った飛行機が今度は西の方角に向かって飛行する姿を目撃したこととの両方が記されているが、その直後に日航機とは別にごく小さな機影が北西に向かって夕焼けの中をどんどん小さくなっていく姿を目撃されたとある。
『その時また飛行機が見える。木の間に見えかくれしていたが、私はつい「エッ」と驚きの思いで立ち止まって見つめた。しかし、今度はごく小さな機影で、北西に向かって夕焼けの中をどんどん小さくなってゆく。』(疑惑55ページ)
小さな機影に見えた小松便の高度は文系ちゃんの考察では5400メートルだが、見え方の描写の違いを比較しても事故機は角田四郎さんから見て低空飛行であったと考えないとしっくりとこない。
Re.(15) レタス畑周辺目撃談検証
- 投稿No.1983 元投稿No.1982 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-08-04 05:42:42
> 墜落地点周辺には最後どのようであったのかを示す痕跡が随所に残されているようです。
> 三国山を左旋回にて山越えした後の状況について、56分23秒にから松に接触したケースを想定して地図と震動計の記録を基に確認してみました。
> 録音テープ走行速度によるところもありそうではありますが、このようなケースであれば墜落時の飛行速度は時速600km超とかなり高かったのではないかと推測されます。
> 機体のバンク角としましては右翼下げの姿勢でから松への接触を迎えることになりそうですが、そこに至るまで明確な右旋回状態である必要はないように感じます。
> (よって三国山を左旋回で越えてその後墜落に至るというコースに無理はないものと考えます)
> <最終局面(個人の)見当>
> http://imepic.jp/20220803/641560
文系ちゃんへ
U字溝~最終激突地点までの間に顕著な衝撃を伴う事象が発生した可能性があり、それが水平尾翼が進行方向右横に500メートルも離れた場所まで運んだ要因になったのではないかと考えている。
Re.(15) レタス畑周辺目撃談検証
- 投稿No.1965 元投稿No.1964 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-07-31 08:10:15
> 目撃証言同士も相反しており、航跡図が誤りであるという前提に立つのであれば、まず目撃証言のどれが正しいかを導きだす他ないのだが、それをせずに「航跡図が誤っている」と結論づけるのは性急にすぎないだろうか。
> そもそも、ある目撃証言を正しいとみなした場合、それに類似しない目撃証言は勘違いまたは虚偽その他の過誤ということになるが、それでよいのか。
目撃談が少ない箇所を問題にしてもDFDRが絶対的に正しいという前提に立つと、目撃談の方があやしいということにされてしまう。
墜落直前においては目撃談が多数残っていた。本来、機械の信憑性というのは人智と相違するからではなく、正確性や計算速度において人智を凌駕し、人智ではあいまいなところを補完するものであるからだ。
墜落直前においてDFDRの示す航跡は明らかに多くの目撃情報とは異なる。墜落直前を問題にすれば、複数すぎる目撃談によって川上村上空で右旋回して三国山の方向に向かったことが明らかで、DRDFの示す航跡とは異なる。
三国山上空のどの箇所からどのような角度で群馬県に越えていったのか、目撃談では三国山頂付近にぶつかりそうになったように見えたというが、どの程度まで近づいたのかについて目撃談を凌駕する形で本来はDFDRが示してくれなければならない。 また、群馬県境に入ってからはどのように墜落していったのかなどを目撃談を補完する形でDFDRが示してくれなければならない。 更に、目撃談ではキノコ雲が起きた地点と墜落地点とは異なり、墜落地点よりも手前でキノコ雲が上がったという。前から「キノコ雲」が起きたという目撃談があることは気になっているが、墜落前のことであればキノコ雲が上がったときの反応がDFDRに記録されているはずのものだ。
目撃情報が正しければDFDRの方が間違いだということになるが、本来機械が正常であればこのような間違いを犯さない。また、管制官は直接飛行機を見ていない。
もう一つの可能性はボイスレコーダー同様、生のDFDRがそのままの状態で公開されていないのかもしれない。
Re.(13) レタス畑周辺目撃談検証
- 投稿No.1963 元投稿No.1962 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-07-28 13:02:52
> ふと羽田空港のレーダーの表示範囲が気になりました。
> やや雑ではありますが、空港からのおよその距離の図です。
> 順当に行きますと伊豆半島あたり 一旦は表示範囲外に出ますが、富士山付近に戻って以降、ごく最後までレーダー画面に機影が表示されていたのではないかと思われます。
> <羽田空港からのおよその距離>
> http://imepic.jp/20220727/433540
文系ちゃんへ
墜落直前における航跡図が多くの目撃情報と明らかな相違を見せているのだから、離陸から墜落までの航跡図については離陸地点と墜落地点は間違いがないとしても途中のプロセスは高度も含めて改めて検証してみる必要があると思う。
事故当日の18時50分にテレビ画面にジャンボ機がレーダーから消えたという趣旨のテロップを見たという投稿がこの掲示板だけでも複数件あった。文系ちゃんの推測によると18時40分頃にレーダーから消えたので18時50分のテロップになったのではないかということだった。
それでは18時40分以後はずっとレーダーから消えていたかというとそうでもない。機長からの「リクエストポジション」に対して管制が「羽田から55マイルノノースウエスト、熊谷から25マイルウエスト」と答えたときはレーダーが機影を捉えていたに違いない。
Re.(11) レタス畑周辺目撃談検証
- 投稿No.1961 元投稿No.1960 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-07-25 22:17:58
> 逆S字の航跡についてはCVRも参照しながらもう幾らか詰めたいとは思いますが、三国山の東側を通過したのか、それとも西側なのか、はたまたほぼ山頂真上だったのか、決定付ける証言があればとは思っています。
文系ちゃんへ
長野県南佐久郡川上村梓山地区女性(墜落現場から2~3キロ先の山あいの畑で目撃)の目撃談・・・池田昌昭氏が現地で取材
(「鎮魂JAL123便/池田昌昭著」26ページ)
「当日8月12日午後6時52~53分頃、川上村梓山地区の上にある畑に出ていていちご摘みやレタスの収穫作業をしていた時だった。畑でいちご摘みをしていた手元が急に明るくなったので、ふと上空を見上げると真上に窓の明かりが一杯について、エンジン音がほとんどしない大きな飛行機が飛来してきた。上空400メートルくらいで一瞬お化けが出てきたかと思った。子供が『あれはジャンボ機だ』とすぐに叫んだくらい見たこともない大きな飛行機で埼玉の方から飛んで来た。電気を一杯つけたジャンボ機の全部の窓に明かりがついていたが乗客の姿は下からは見えなかった。飛行はフラフラしていなく一応安定していて垂直尾翼が欠けていたかどうかは分からなく、機体からは煙は出ていなかった。
畑の上空で右旋回をして2~3キロ先にあるその昔岩から毒物が出たことから長野群馬県境三国山系通称『悪岩』と呼ばれる岩山にぶつかりそうになりそれをスレスレにかわし左旋回をしたかと思うと、飛行機は見えなくなった。」
Re.(9) レタス畑周辺目撃談検証
- 投稿No.1957 元投稿No.1956 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-07-21 21:20:49
> 目撃状況をみますと、低速での飛行との証言が見受けられます。思いの外旋回半径が小さかった可能性は十分あるものと思います。
> また、そうなりますと、三国山を越えて山向こうに行って後の航跡にある程度の幅取れ、考察の自由度が上がるように思います。
文系ちゃんへ
次のような目撃談もあり、事故機が長野県川上村に来たときにはあまりスピードが出ていなかったような印象を受ける。
『鎮魂』(池田昌昭著)17ページ
長野県川上村梓山地区の上の畑で農作業をしていたら、埼玉県境大滝十文字峠と三國峠の間から前に進むようなスピードではなく、ゆっくりと墜ちない程度でグライダーが滑降しているかのように真上に飛行機が飛んで来た。エンジン音はブォーンと低かった。当時機影を見た時は日航機とは分からなかったが、見たところもう墜ちるなという気がした。機体は安定はしていた。翼が上下に動いているとか機体がフ
ラフラしている感じではなく、風はなかったが風に乗ってスーッと流されている飛行船のようで、垂直尾翼が欠けていたかどうかは分からなくて翼の赤いランプが見えた。
山を越えて川上村上空に来た時の高度は山スレスレで、その後降下していて機長は眼下に多少開けている高原レタス畑に不時着しようとする態勢に見えたが、故意か気流に流されたかどうかは分からないが飛行方向が三国山の方に旋回して行き、三国山スレスレに上がって行き三国山の陰に消えた。目撃したそれが最後の姿で飛行機が見えてから消えるまでこの間2~3分だった。三国山の陰に消えたと同時にズーン・ズーンと地響きのような音が2回して、出ていた雲の辺りがピカッと明るく光りその後煙が出た。直径1キロくらいのオレンジ色が1分前後反射し、空の雲がオレンジ色に染まった。
Re.(7) レタス畑周辺目撃談検証
- 投稿No.1955 元投稿No.1954 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-07-20 04:22:09
> せきたにさまにおかれましては、扇平山のところは急遽鋭角的に右旋回とお考えのようですので、石川さまの目撃証言に添えられていた航跡の図が比較的近いようにも思われます。
> 何にしてもですが、これまで数々の証言を見てきた限りでは、最終局面はやはり逆S字であったようにしか思えません。
> <最終局面航跡>
> http://imepic.jp/20220719/633660
文系ちゃんへ
扇平山のところが急遽鋭角的に右旋回と考えるのは特に下記二つの目撃談がそうさせている。
「疑惑JAL123便墜落事故/角田四郎著」97ページ
石川さんらは、12日午後、長野県南佐久郡川上村梓山の実家近くにある畑で、レタスの葉の消毒作業をしていた。墜落現場の南約6キロの地点だ。あたりが薄暗くなり始めた午後7時ごろ、東南にある甲武信ヶ岳(こぶしがだけ)2475メートルの北側の尾根から、突然、大きなジェット機が姿を現した。飛行機は石川さんら数人が働いていた畑のほぼ真上を西方向へ通過。「まるで石を投げたら当たるような超低空飛行だった。真上に来たときは空が真っ黒になるように感じた」と石川さん。
飛行機は千曲川にそって西に進んだが、正面には扇平山(1700メートル)が迫っていた。右翼を下げて飛行機は約90度右旋回した。が、進行方向には三国山がある。
「(三国山山系頂上の悪岩と呼ばれている地点に)もうぶつかるかと思ったが、機首をぐっと持ち上げて、山の斜面を這うようにして上昇していった。機首の上部が後ろからでも見えるほどの急角度のまま、やっと(三国山の)尾根を越えた。」
「鎮魂 JAL123便/池田昌昭著」31ページ(長野県川上村梓山地区の女性)
川上村梓山地区の上の畑に出て家族みんなで二毛作の白菜やレタスを植えていた。
キャベツなどの収穫が終わった直後の野菜畑上空の天気はよく空もまだ明るかった。
午後6時50分過ぎアレッ飛行機がこんなところに何でと南の五郎山の方から風に流されるようにエンジン音がほとんどしなく、ゆっくりと低空飛行で翼の文字が見えるくらいの飛行機が飛んできた。
まったく見事に真上の上空で上野村の方に右旋回を始め、向きを変えた。
Re.(7) レタス畑周辺目撃談検証
- 投稿No.1952 元投稿No.1951 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-07-19 08:08:47
> 違うと思いますよ。地上接近での警報ではありませんね。
> GPWSの7つの監視モードの内のモード1「過大な降下率警報」です。
> 実際に、56分”SINK RATE”の人工合成音声から始まっています。
> モード2A「過大な対地接近警報」は”TERRAIN TERRAIN」の警告メッセージから始まります。
> 123便の最終局面で発報するモードは(1)(2)A(4)の3パターンに絞られますが、警告メッセージから(1)で確定です。発報時は十分な高度があります。
無名さんへ
56分”SINK RATE”の直前の声
55:43 CAP フラップとめな
55:49 COP フラップアップ フラップアップ フラップアップ フラップアップ
55:58 CAP フラップ
55:59 F/E あげてます
これらの声が急降下時のときの声ではなく、急上昇時のときの声に聞こえて仕方がない。
生のボイスレコーダーがどうなっているか聞いてみたいものだ。
Re.(5) レタス畑周辺目撃談検証
- 投稿No.1950 元投稿No.1949 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-07-18 20:51:31
> 先にAさまに提供頂きました資料と地図の重ね合わせを行いました。
> 事故調の中間報告を受けてもなお、あのようなレーダー航跡であったと発表したところに大きな意味合いがあるように思います。
> また、墜落地点が輪の外のあることから、旋回半径は相当に小さかったものとも思われます。
> 線形を維持しつつ、青色の航跡の位置を調整し、一本から松へと無理なく繋がる航跡はあるのか、そういった航跡を書いたとき、目撃証言との整合性はどうであるのかが注目されるように思います。
> <DFDR航跡とレーダー航跡比較>
> http://imepic.jp/20220718/528970
文系ちゃんへ
私は川上村上空における右旋回は文系ちゃんのイメージよりもう少し鋭角的なものではなかったかと考えている。
甲武信ヶ岳あたりから高度を下げながら長野県川上村に高度を下げながらおそらくは不時着を目指して近づいてきたように感じるのだが、思うように高度が下がらず、そのまま進むと扇平山にぶつかりそうになったので、急遽鋭角的に右旋回し、その後は三国山方向に向かい、山を一直線に駆け上ったような印象を持っている。離陸後はじめての地上接近警報音は三国山頂上付近にぶつかりそうになったときに作動したのではないかという考え方は変わっていない。
Re.(3) レタス畑周辺目撃談検証
- 投稿No.1948 元投稿No.1938 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-07-18 09:39:58
> どの証言もですが、どのようなルートで三国山方向へとひこうしたと捉えるかが鍵になりそうに思います。
> こちらもささやかながら情報です。
> 加藤君の目撃場所ですが、おそらくこのグラウンドで間違いなかろうかと思います。
> <梓山グラウンド>
> http://imepic.jp/20220713/653840
> 「疑惑JAL123便墜落事故/角田四郎著」94~95ページ (加藤隆志君11歳)
> 巨大なジャンボ機が山の端をかすめるようにゆっくりと飛んでいた。南東の方向の山の上からゆっくりと近づいてきた。頭の上で右旋回し始め北へ向かった。木のかげに隠れたので50メートルほど走っていくと、機の後ろ姿が一瞬見え、そのまま山のかげに隠れた。その間1分弱。20秒くらいして山の向こう側に真っ赤なキノコ雲が立ち上がった。それは数秒で消えて、二つ目のキノコ雲が現れた。その十数秒後、黒い煙がモクモクとわいてきた」
文系ちゃんへ
加藤君とは少年野球仲間であったという人からの目撃情報があった。新聞に出ていた飛行ルートとは異なっていたということが記されている。
「当時川上村梓山地区梓湖グラウンドでの少年野球練習を終わっての帰り道で最初に見つけたのは加藤隆志君だった。自分は違う友達と歩いていた。余りエンジン音が聞こえないジャンボ機を目撃した。珍しいなくらいの気持ちだった。ジャンボ旅客機だと一目で分かったが、垂直尾翼が欠けていたかどうかは分からなく窓は見えなく、乗客の姿も見えなかった。山梨・甲府方面の山の向こう側から来て、右旋回して三国山の向こう側に消えていったら煙が立ち昇った。
新聞に出ていた飛行ルートは真っ直ぐに群馬県と長野県境を御巣鷹の方に向かったようになっているが、実際には川上村梓山上空で大きく右に旋回した後三国山の陰に消えていった。」
『鎮魂』(池田昌昭著)39ページ
Re.(3) レタス畑周辺目撃談検証
- 投稿No.1940 元投稿No.1938 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-07-14 12:20:07
> こちらもささやかながら情報です。
> 加藤君の目撃場所ですが、おそらくこのグラウンドで間違いなかろうかと思います。
> <梓山グラウンド>
> http://imepic.jp/20220713/653840
> 「疑惑JAL123便墜落事故/角田四郎著」94~95ページ (加藤隆志君11歳)
> 巨大なジャンボ機が山の端をかすめるようにゆっくりと飛んでいた。南東の方向の山の上からゆっくりと近づいてきた。頭の上で右旋回し始め北へ向かった。木のかげに隠れたので50メートルほど走っていくと、機の後ろ姿が一瞬見え、そのまま山のかげに隠れた。その間1分弱。20秒くらいして山の向こう側に真っ赤なキノコ雲が立ち上がった。それは数秒で消えて、二つ目のキノコ雲が現れた。その十数秒後、黒い煙がモクモクとわいてきた」
文系ちゃんへ
貴重な情報ありがとう。
先般は一部だけ記した『鎮魂 JAL123便』P31(長野県川上村梓山地区の女性)の目撃談について、今回は詳細を記しておく。
川上村梓山地区の上の畑に出て家族みんなで二毛作の白菜やレタスを植えていた。
キャベツなどの収穫が終わった直後の野菜畑上空の天気はよく空もまだ明るかった。
午後6時50分過ぎアレッ飛行機がこんなところに何でと南の五郎山の方から風に流されるようにエンジン音がほとんどしなく、ゆっくりと低空飛行で翼の文字が見えるくらいの飛行機が飛んできた。
とてもゆっくりとした低空飛行だったのでびっくりして、こんな時間に飛行機に乗っている人もいるんだなと言いながら、でもちょっと気になって、ずーと眼で追っていた。
これだけ低い所を通るのにエンジン音が静かだったのが不思議だった。
そのことが気になって、気になって『変だよね』と言っていた。
音がしていなく、ちょうど風に流されているような感じだった。すると急に頭上で旋回を始めたから、『ちょっとあれおかしいよ』と課ずく全員が立ち上がっておかしい、おかしいと見ていた。
まったく見事に真上の上空で上野村の方に右旋回を始め、向きを変えた。
その後、500メートルの高度で長野県川上村から見て三国峠の陰の方付近に入って行った直後、音はもしかしたら聞こえなかったかも知れないが、凄い勢いで一瞬パーッと一回光って、空がオレンジ色のような感じになった。何かが撃ち落とされたような感じではなくてとにかく一瞬だった。
その後、キノコ雲みたいな噴煙が物凄い勢いで上がった。その時の火柱を見てみんなでびっくりした。
Re. レタス畑周辺目撃談検証
- 投稿No.1935 元投稿No.1934 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-07-13 07:43:32
> このところ「事故機における旋回」のタイトルにて書き込みさせて頂いておりましたが、タイトルと内容が合致しない状況がながらく続いておりますので、新規にこちらの題名にて最終局面における目撃談の検証を行いたいと考えております。
文系ちゃんへ
長野県川上村のレタス畑周辺からの目撃談はまだほかにもある。
『鎮魂 JAL123便』(池田昌昭著)P31(長野県川上村梓山地区の女性)
川上村梓山地区の上の畑に出て家族みんなで二毛作の白菜やレタスを植えていた。
まったく見事に真上の上空で上野村の方に右旋回を始め、向きを変えた。その後、500メートルの高度で長野県川上村から見て三国峠の陰の方付近に入っていった。
その後、キノコ雲みたいな噴煙が物凄い勢いで上がった。
Re.(23) 最終局面目撃情報まとめ
- 投稿No.1924 元投稿No.1920 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-07-07 21:57:56
> せきたにさまへ
> > 18時47分53秒 機長「山にぶつかるぞ」
> > 扇平山ではないのだとしたら、このとき具体的にはどのあたりの山にぶつかりそうになったのだろうか?
> その時間ですと、武蔵五日市の西北西、奥多摩駅との中間あたりにある大岳山(おおたけさん)が該当するかと思われます。
> 48、49、50分と高度が下がったところがあるようですが、48分だと高度6800ft(2070m)、山の高さは1266mとなりますが、これも航跡が図の通りであればのことで、ズレがあるならまた別の山となります。
文系ちゃんへ
航空事故調査報告書(1986年6月19日公表)の付録6には「DFDRに基づく事故機の飛行状況及び飛行経路について」と題された見解が示されている。
その中に興味深い記述がある。(付録104ページ)
「脚出しとEPRの明白な減少の結果、42分過ぎからは対気速度約225ノット、降下率毎分3,000フィート程度できれいな定常降下に入っている。付録6の付表-2(a)に見られるようにフゴイド・モードの減衰が増加していることもあるが、推力の増減がたまたまフゴイドの抑制に適切なものであったためと考えられる。
降下率を減少させるためにEPRが加えられ(48分ごろ)、また、フラップ下げが開始され(50分ごろ)てから再びフゴイド・モードが刺激され、ついに安定化されることなく地面に激突している。
ところが、ボイスレコーダーは
(18時47分)
39秒 (CAP) おい山だぞ (F/E) はいどうぞ(STW)赤ちゃんづれの方
40秒
41秒 (CAP) ターンライト (STW)背に
42秒 (STW)頭を
43秒 (CAP) 山だ (COP) はい
44秒 (CAP) コントロールとれみぎ (STW)座席の背に頭を
45秒 ライトターン (STW)ささえて・・・に
46秒 (STW)してください
47秒 (STW)赤ちゃんはしっかり
48秒 (STW)抱いてください
49秒
50秒 (STW)ベルトはしていますか?
51秒
52秒 (COP) ライトターンですね?
53秒 (CAP) 山にぶつかるぞ (COP) はい
54秒 (STW)テーブルはもどしてありますか?
55秒 (CAP) ライトターン (STW)確認してください
56秒
57秒
58秒 [客室高度警報音 又は 離陸警報音 48分26秒まで鳴動継続]
59秒 (CAP) マックパワー
(18時48分)
00秒 (COP) マックパワー
01秒
02秒 (F/E) がんばれー
03秒 (CAP) あーふたりでやらなくていい
04秒
05秒 (CAP) レフトターンだ
06秒
07秒
08秒 (CAP) レフトターン (COP) はい (STW) ・・・
09秒 (CAP) パワーあげろ (STW)テーブルはもどしてあり 際は あのー
10秒 (CAP) レフトターンこんどは予告しないで (STW)テーブルはもどしてあり
11秒 (STW)着陸する・・・
12秒 (CAP) レフトターン
事故調発表を元にしたJAL123便飛行跡略図_ver1.2
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=bzwQO2TtXzw
(この動画では7:25過ぎのあたりから)
高度6800ft(2070m)を飛行していたときに下に見える山の頂上が1266mぐらいだったのなら、山にぶつかるのを避けるために「ライトターン」や「レフトターン」の切迫した言葉は解せない。また、上の事故調見解ともあまり一致していないのではないかという印象だ。
更に、STWの言葉が同時に入っているが、その言葉からはこのときの高度が相当低かったのではないかと思えてくる。
やはりここは、長野県川上村における石川さんの目撃談と妙に符号するのを感じる。
「飛行機は千曲川にそって西に進んだが、正面には扇平山(一、七〇〇メートル)が迫っていた。右翼を下げて飛行機は約九〇度右旋回した。が、進行方向には三国山(一、八一八メートル)がある。
もうぶつかるかと思ったが、機首をぐっと持ち上げて、山の斜面をはうように上昇していった。」
Re.(21) 最終局面目撃情報まとめ
- 投稿No.1919 元投稿No.1918 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-07-06 21:12:29
> <推定経路一例 悪石経由の場合>
> http://imepic.jp/20220706/641020
文系ちゃんへ
18時47分53秒 機長「山にぶつかるぞ」
扇平山ではないのだとしたら、このとき具体的にはどのあたりの山にぶつかりそうになったのだろうか?
墜落経路に関しては悪石経由ので合っていると思う。
一本カラ松からU字溝まで距離にして500メートル、高度は90メートル上昇している。それから最終激突地点まで約1kmある。この間はもちろん、一本カラ松の手前から地上接近警報の人工合成音が鳴ってなければならないはずだから、公表されたボイスレコーダーでは地上接近の人工合成音が鳴っている時間が短かすぎるのではないかと考える。
それと、ボイスレコーダーでは人工合成音が鳴り始め、地面が近づいてきてそのまま衝突したような感じだが、実際の墜落はそれとは状況が異なるようだ。
Re.(19) 最終局面目撃情報まとめ
- 投稿No.1917 元投稿No.1916 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-07-06 13:25:37
> CVRに編集がないということを前提として、事故調報告書と移動速度が同じになるよう維持しながら航跡をレタス畑の方に移動させました。とりあえずのアタリですので、だいぶん誤差はありますが、考察の参考となりますでしょうか?
> これで甲武信ヶ岳あたりに10秒ほど早着です。墜落地点とその時刻のみ固定で、そこまでの航跡は飛行の物理限界内でひも様に変化させられると思います。
> <レタス畑経路一例>
> http://imepic.jp/20220706/287270
文系ちゃんへ
地上からの目撃情報では甲武信ヶ岳から高度を下げながら川上村に近づいてきた事故機は行き手に迫る扇平山にぶつかりかけたという。
山にぶつかりかけたとき、「山にぶつかるぞ、ライトターン」の言葉はなかったのだろうか?
また、現場検証の結果、事故機は三国山の上空から急降下してそのまま地面にぶつかったわけではなかった。
一例として示してくれた上の図 http://imepic.jp/20220706/287270
では一本カラ松から衝撃音まで5秒にも満たないことになるわけだが、1秒間に約100メートル飛んだとして、一本カラ松からU字溝まで500メートル、U字溝から最終激突地点まで約1,000メートルあるわけだから、一本カラ松から最終激突地点までの1,500メートルについて約15秒間ぐらい地上接近警報の人工合成音が鳴っていなければならないはず。
Re.(17) 最終局面目撃情報まとめ
- 投稿No.1913 元投稿No.1911 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-07-05 22:04:21
文系ちゃんへ
機長が「リクエストポジション」を要求したのはボイスレコーダーによると18時54分22秒のことだった。
管制はこれに対して、
「羽田から55マイルノースウエスト、熊谷から25マイルウエスト」と応えている。
ということは必然的に機体が「羽田から55マイルノースウエスト、熊谷から25マイルウエスト」の位置にあったとき、まだレーダーは機影を捉えることが出来ていたことになる。
その位置は甲武信ヶ岳のあたりだという。
それでは甲武信ヶ岳よりも飛行経路手前(東側)のあたりではどうだったのだろうか?
奥多摩の山が連なるあたりは甲武信ヶ岳よりも低い山がほとんどで、山頂よりも上を飛行していてレーダーが機影を捉えていたものと思われる。
ところが、そう考えると不可解なのは
18時47分39秒 機長「おい山だぞ」
18時47分41秒 機長「ターンライト」
18時47分43秒 機長「山だ」
18時47分44秒 機長「コントロールとれ右」
18時47分45秒 機長「ライトターン」
18時47分53秒 機長「山にぶつかるぞ」
18時48分10秒 機長「レフトターンこんどは」
これらの機長の声は機体が山頂よりも低い位置にあったことを想像させる。
長野県川上村の多くの目撃情報は事故機は甲武信ヶ岳のあたりから高度を下げながら近づいてきたと語っておられる。
パイロットたちは甲武信ヶ岳のあたりから高度を下げながら川上村のレタス畑への不時着を敢行しようとされたのかもしれない。
レタス畑に人がいるのを見て不時着を断念したのだという見方をする人もいるようだが、私はそうは思わない。高度と速度の調整が出来ず、不時着ができないまま行く手に扇平山が見えてきてぶつかりそうになったので、それを避けるためにライトターンしたのだと思う。
「ライトターン」は出来たのだろう。だから「ライトターン」の声の後に「レフトターンこんどは」という機長の声がボイスレコーダーに残っている。
「ライトターン」は出来たのに、「レフトターン」は出来なかったのだろうか?
そして「山へいくぞ」の声。今度は行く手に三国山が迫ってきた。
18時47分39秒からのコックピットのやりとりは長野県川上村に来てからのものだと考えると実にしっくりとくる。
Re.(15) 最終局面目撃情報まとめ
- 投稿No.1910 元投稿No.1909 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-07-04 21:31:52
文系ちゃんへ
意味がわからないので教えてほしい。
> 「甲武信ヶ岳と羽田間が103kmですので、ざっと56ノーティカルマイルで、この辺りでされた会話のような気もします。」
ならばどうして
> 「三国山を越えて数秒で墜落のケースだと、このリクエストポジションは丁度レタス畑のすぐ手前になる可能性が高いように思われます。」
となるのかわからない。
レタス畑のすぐ手前だと甲武信ヶ岳を越えて川上村に近づいてしまい、「羽田から55マイルノースウエスト」の位置にならないのではないか?
Re.(13) 最終局面目撃情報まとめ
- 投稿No.1907 元投稿No.1905 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-07-04 04:43:34
> > 文系ちゃんに新しい質問だが、18時54分22秒頃に機長が「リクエストポジション」という声を発しており、管制が「羽田から55マイルノースウエスト、熊谷から25マイルウエスト」と応えている。
> > 「羽田から55マイルノースウエスト、熊谷から25マイルウエスト」というのは地図上ではどのあたりになるのかを教えてほしい。
> 手持ちの大きな紙の地図で確認しましたが、まんまで線を引くと目ぼしい目印となるものがない場所になりました。
> 三国山の北北東17〜18km程のところに日影山というのがありましてそこから始めてさらにそこから9kmくらい先に下仁田町の役場がありますので、その2点間の間が大体その場所ではないかと思われますが、航跡とは随分離れます。
> 甲武信ヶ岳と羽田間が103kmですので、ざっと56ノーティカルマイルで、この辺りでされた会話のような気もします。
文系ちゃんへ
熊谷というのはたぶん航空自衛隊熊谷基地のことだろうから、熊谷から25マイルウェストだから、甲武信ヶ岳のあたりで合っているだろう。
その場所で羽田レーダーから消えたのではないか。機影がレーダーから消えたことと機長が「リクエストポジション」を要求したことには関連性があるのではないかと感じる。
Re.(11) 最終局面目撃情報まとめ
- 投稿No.1904 元投稿No.1903 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-07-03 20:50:07
> 私としましても、8月13日の日経新聞に掲載された航跡図が一番真相に近いのではないかと考えます。
文系ちゃんへ
ただ、8月13日の日経新聞に掲載された航跡図についても疑問はある。
機影が羽田レーダーから消えた時刻が埼玉県のおそらくは甲武信ヶ岳のあたりで18:57となっているが、18:57は墜落の時刻だ。
また、掲載図では横田基地あたりを通過した時刻が18:45で高度が4,500メートルとなっているが次の目撃情報と一致しないように感じる。
東京都西多摩郡五日市町入野750-1 南澤輝明さん(35) 会社役員の証言
あの日は私の誕生日なので、よく憶えています。町の南側にある今熊山(八王子市美山町)の方向から、大きな飛行機が現われ、北北東の方向へ水平にゆっくり飛んでいた。
秋川や町の上空を横切って日の出町方向の山へ消えました。五日市高校の上空あたりを飛んでいる様子でした。横田米軍基地に降りると思いましたが、普段米軍機は低空でこんな所を飛ばないので墜ちるのでは・・・・・・と感じました。時間は午後6時45分頃の20~30秒間です。
「疑惑JAL123便墜落事故/角田四郎著」91ページ
文系ちゃんに新しい質問だが、18時54分22秒頃に機長が「リクエストポジション」という声を発しており、管制が「羽田から55マイルノースウエスト、熊谷から25マイルウエスト」と応えている。
「羽田から55マイルノースウエスト、熊谷から25マイルウエスト」というのは地図上ではどのあたりになるのかを教えてほしい。
Re.(9) 最終局面目撃情報まとめ
- 投稿No.1900 元投稿No.1899 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-07-03 13:44:37
> 14日というのは朝か昼かまでは存じませんが、夕刊には掲載できるタイミングで日航役員による落合さんへのお見舞いという名目の聞き取りがおこなわれており、その内容はすでに世に知られておりました。2.の発表はそれよりあとの事となり、やはり落合さんがどこで富士山を見たのかが重要視される事となりそうです。
文系ちゃんへ
8月14日に日航役員が行った落合由美さんへの聞き取り内容が8月15日「朝日新聞」朝刊に掲載された。その中で機体の位置に関する重要な証言がある。
「機体は、かなりひらひらフライト(飛行)し、ダッチロール(機首が上下左右に揺れる状態)にはいったようだった。ややして、富士山が左へ見えたので、コックピットアナウンス(操縦室からの案内)はなかったが、羽田に戻るものと思った。」
【日本航空123便墜落事故㉘】 初期航跡図の秘密
https://www.youtube.com/watch?v=-8k67wYNH-Q
をじっくりと見ると、8月13日の日経新聞が掲載している航跡図と8月14日中日新聞の2枚目に掲載されている航跡図とは同一のものだ。
この航跡図は富士山を左手に見ながら通過しており、その後、横田基地の至近距離を通過して三国山方向に飛行したことになっている。
8月13日の日経新聞に掲載された航跡図と8月15日に日経新聞に掲載されたものとはまるで異なっている。
更に8月15日に日経新聞に掲載された航跡図の中には落合証言として「羽田に戻るものと思った」場所が示されているが、その位置からでは富士山は左手には見えないので間違いだ。
富士山が左手に見える位置でなおかつ「羽田に戻るものと思った」の言葉がしっくりとくる航跡図は8月13日の日経新聞に掲載された航跡図と8月14日に中日新聞の2枚目として掲載された航跡図となる。
この航跡図はレーダーではなく、交信記録から推定したものとなっているが、この葬られた航跡図が一番真相に近いのかもしれない。レーダーによる航跡図とされているのは交信記録からの推定図とは全く違ったものという印象だが、両者がまるで異なったものになるわけがないだろう。
レーダーに関してだが、8月13日日経新聞と8月14日中日新聞の2枚目に掲載の交信記録からの推定による航跡図の中に羽田レーダーから機影が消えたのは高度2,940メートルにあるときとされており、そのときの位置はまだ埼玉県だ。
Re.(7) 最終局面目撃情報まとめ
- 投稿No.1896 元投稿No.1894 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-07-02 00:07:22
> 自分の認識としまして 飛行経路図は
> ・管制官らの記憶および画面に直接印をつけていくことで作成されたもの
> ・レーダー記録を解析することにより作成されたもの
> ・DRDR回収後、それのに録されたデータとレーダー記録の両方を参照することで作成されたもの
> の3段階のものがあるとの認識です。
> 途中、報道されたものの変遷については、こちらの動画を見るのが一番早いと思われます。
> 日本航空123便墜落事故㉘】 初期航跡図の秘密
> https://www.youtube.com/watch?v=-8k67wYNH-Q
文系ちゃんへ
上記動画を見せてもらった。
航跡図に関して大月上空で360度旋回のわっかが着いたのが8月15日の新聞報道からだという。
ところが、DFDRの解析が始まったのは8月16日からのことで、8月15日の報道で当初なかった360度旋回のわっかが着いた根拠はDFDR分析結果ではないという。
それでは8月16日以後、DFDRの分析をした結果、8月15日に発表された航跡図はその後また修正されたのか教えてほしい。
また、レーダーは最後まで実線だったということだが、周囲の山の頂よりも低い場所を飛行しているところは機影がレーダーから消えるものではないのか?
更に、動画では大月上空の360度旋回のわっかが着いたことに絞って説明されているが、新聞社によっては富士山の東側を通ってから大月上空に向かった航跡図が一時的に発表されていたじゃないか。
レーダー解析の結果ならありえないことだと思う。落合証言と一致させるなら東側通過の航跡図をやめにせずに採用すればよかったのに・・・
※落合証言
「そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。」
Re.(5) 最終局面目撃情報まとめ
- 投稿No.1893 元投稿No.1892 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-07-01 15:35:56
文系ちゃんへ
紹介いただいた動画
https://www.youtube.com/watch?v=kx422xRMOYU を見せてもらった。
目撃者から聞いた内容を全く意味の異なる内容に変えてしまうのは新聞記事にする段階での要約者の責任だと思う。これだけ多くの目撃談が一致した航跡を示しているのなら、目撃談の通りに飛んだと判断すべきだと考える。(なぜそのように飛べたかの理屈は後で考えたらいいことだ)
ただ、DFDRがいいかげんなものだとは言わない。それを解析した者がいて更に発表した者がいたのなら上記目撃談が3行記事になる段階で内容が変わってしまったのと同様にDFDRを解析し、発表するプロセスの中でDFDRに記述されているのとは異なったものになってしまったものが報道された可能性があると見るべきだ。
文系ちゃんに一つ質問だが、以前レーダーのことをテーマにしていた時期があったかと思うが結局のところレーダーから機影が消えたの時刻は何時何分頃に落ち着いたのかを教えてほしい。
> 飛行中に炎が出る様を直接見たのか につきましては、参照元の動画コメント欄でも議論となっておりました。
> この件ですが、とある方の書き込みによりますと、
> 『中嶋初女さんの第一通報の内容は、次のとおり。
> 「18時55分頃、埼玉県方面から低空で飛んできたセスナ機より大きな飛行機が、大きく旋回しながら、南相木村と群馬県との県境付近に落ちたらしく、赤い閃光がして、その後、黒い煙が上がった」』
> とのことらしいのです。
> 13日の新聞掲載時の内容は前回参照しました動画
> https://www.youtube.com/watch?v=kx422xRMOYU
> の冒頭でも確認できますが、
> 午後七時五分ごろ、長野県南佐久郡川上村の住民から「約十分前に、埼玉方向から低空で飛んできた飛行機が北相木村のぶどう峠南方の群馬県との県境付近に落ちた。赤い火の手が上がり黒煙が上がった。飛行機はセスナ機よりずっと大きい」と届け出があり、墜落が確認された。
> これが元々の内容で、新聞記事とする際に3行強の文字数に要約した結果が、
> 「埼玉方面から飛んできた飛行機が赤い炎をあげ、やがて黒い煙を残して南相木村の群馬県境に消えた」
> であり、この文章では本来の内容がきちんと反映されていないような文章に変えられてしまったようにも思えます。
> なお、動画作成者様のコメントに
> <赤旗新聞の証言者>
> ・長野県南佐久郡川上村梓山の井上カオルさんは「午後6時40分ごろ、自宅にいたら飛行機の大きな音がし、甲武信岳から低空で飛んできて西の三国山の方へ飛んで行き、山陰に消えたと思ったら、ドーンと言う大きな音がし、突然明るくなり、キノコ雲が立ったと話しています」
> ・墜落を目撃した長野の夫人は「すごい飛行機のエンジン音がして、山梨側から左肩を傾けた感じで群馬県と埼玉県と川上村の梓山との県境のところを山向こうへ消えた。消えたと同時に真っ赤に炎が山1ついっぱいになるぐらい上がった。そのあと真っ白な煙になって、その後真っ黒なキノコ雲、そんな感じになり、もう驚いた」と語っています。
> との情報もありました。
> ※西の三国山の方は、方角の記載間違いの可能性が考えられます
Re.(3) 最終局面目撃情報まとめ
- 投稿No.1891 元投稿No.1890 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-06-30 16:14:23
> ><中島/中嶋さん(新聞掲載)>
> >「埼玉方面から飛んできた飛行機が赤い炎をあげ、やがて黒い煙を残して南相木村の群馬県境に消えた」
> >だけが他の目撃談とは異質で航跡も事故調発表のものに近いものを感じる。
> 航跡は、ルート、見た場所、見切れ方によっては、南相木村の方向に飛行たように見えた可能性もあり、必ずしも他の目撃と違う となるとは限らないようにも思います。(貼り付け図:お名前確認 参照)
> お名前は新聞、一部書籍もですが「中島初代」表記 NHKでは「中嶋初女」と記載されています。
> 別人の可能性もあり得ますが、私としましては同一人物ではなかろうかとの判断です。
文系ちゃんへ
「埼玉方面から飛んできた飛行機が赤い炎をあげ、やがて黒い煙を残して南相木村の群馬県境に消えた」
を文字通り解釈すると埼玉方面から飛んできた段階で赤い炎をあげていたことになる。
ほかの目撃談と一緒とするためには
「埼玉方面から飛んできた飛行機が川上村上空で右旋回し、三国山の方角に向かったが頂上までかけ上がったところで左旋回し、見えなくなった後、赤い炎が上がったがやがてそれは黒い煙に変わった」
となるはずで、川上村からは最後の段階の赤い炎は確認できても、赤い炎をあげている状態の機体は直接見えなかったはずなのにそれを語っているところが異質だ。
Re. 最終局面目撃情報まとめ
- 投稿No.1889 元投稿No.1887 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-06-30 08:11:33
文系ちゃんへ
以下の文系ちゃん紹介の目撃談の中では
<中島/中嶋さん(新聞掲載)>
「埼玉方面から飛んできた飛行機が赤い炎をあげ、やがて黒い煙を残して南相木村の群馬県境に消えた」
だけが他の目撃談とは異質で航跡も事故調発表のものに近いものを感じる。
ところが中島/中嶋さんに対して(NHKインタビュー概略)によると
(ナレーション)飛行機が山影に消えた数秒後山の稜線に黒い煙と赤い大きな炎があがりました
「あそこに稜線~ 三角のところでピカッと光って 空がインクを丁度パッとぶちまけたような感じで」
となっており、「中島/中嶋さん」が新聞掲載とNHKインタビューで同一人物に行われたものであれば目撃談の内容は違う印象を受ける。
新聞掲載の「中島/中嶋さん」の目撃談の内容は他の目撃談とは異質のものだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
> これまで判明している分です。
> 他にありましたら情報をお願い致します。
> 「疑惑JAL123便墜落事故/角田四郎著」97ページ
> 石川さんらは、12日午後、長野県南佐久郡川上村梓山の実家近くにある畑で、レタスの葉の消毒作業をしていた。墜落現場の南約6キロの地点だ。あたりが薄暗くなり始めた午後7時ごろ、東南にある甲武信ヶ岳(こぶしがだけ)2475メートルの北側の尾根から、突然、大きなジェット機が姿を現した。飛行機は石川さんら数人が働いていた畑のほぼ真上を西方向へ通過。「まるで石を投げたら当たるような超低空飛行だった。真上に来たときは空が真っ黒になるように感じた」と石川さん。
> 飛行機は千曲川にそって西に進んだが、正面には扇平山(1700メートル)が迫っていた。右翼を下げて飛行機は約90度右旋回した。が、進行方向には三国山がある。
> 「(三国山山系頂上の悪岩と呼ばれている地点に)もうぶつかるかと思ったが、機首をぐっと持ち上げて、山の斜面を這うようにして上昇していった。機首の上部が後ろからでも見えるほどの急角度のまま、やっと(三国山の)尾根を越えた。」
> ※<石川さん (新聞掲載版)>
> 石川さんらは、十二日午後、長野県南佐久郡川上村梓山の実家近くにある畑で、レタスの葉の消毒作業をしていた。墜落現場の南約六キロの地点だ。あたりが薄暗くなり始めた午後七時ごろ、東南にある甲武信ヶ岳(二、四七五メートル)の北側の尾根から、突然、大きなジェット機が姿を現した。飛行機は石川さんら数人が働いていた畑のほぼ真上を西方向へ通過。「まるで石を投げたら当たるような超低空飛行だった。真上に来た時は空がまっ黒になるように感じた」と石川さん。
> 飛行機は千曲川にそって西に進んだが、正面には扇平山(一、七〇〇メートル)が迫っていた。右翼を下げて飛行機は約九〇度右旋回した。が、進行方向には三国山(一、八一八メートル)がある。
> 「もうぶつかるかと思ったが、機首をぐっと持ち上げて、山の斜面をはうように上昇していった。機首の上部が後ろからでも見えるほどの急角度のまま、やっと尾根を越えた。姿が見えなくなって数秒後に、黒い煙が、続いて白い煙が上がった」という。
> 「事故調報告書 6~7ページ」
> 『墜落地点の南南西3~4キロメートルの地点での目撃者(4名)によれば、「同機は東南東の奥多摩の方向からかなりの低高度、低速度で機首をやや上げて大きな爆音をたてながら飛んできた。飛行機は、我々の頭上を通過したがその後北西にある扇平山(標高1,700メートル)の付近で急に右へ変針し東北東の三国山(標高1,828メートル)の方向へ飛行した。次いで、三国山を越えたと思われるころ突然、左へ傾き北西方向へ急降下し、山の影に見えなくなった。その後、同機が隠れた山影から白煙と閃光が見えた。」とのことであった。』
> ※<事故調中間報告版:新聞掲載>
> 墜落地点の南南西三―四キロメートルの目撃者によれば、「同機は東南東の奥多摩の方向からかなりの低高度、低速度で機首をやや上げて大きな爆音をたてながら飛んできた。飛行機は、われわれの頭上を通過したが、その後北西にある扇平山(一、七〇〇メートル)の手前で急に右旋回し北東の三国山(一、八一八メートル)の方向へ飛行した。次いで、三国山を越えたと思われるころ突然、左へ傾き北西方向へ急降下し、山へ見えなくなった。急降下の角度は、四五度くらいであり、その後、同機が山へ隠れたあたりから白煙と閃光が見えた」とのことであった。
> 「鎮魂JAL123便/池田昌昭著」20ページ
> 川上村秋山地区の上の方の今ここに立っているレタス畑に午後7時前に来たときだった。埼玉との県境の南東の甲武信ヶ岳の方から窓が見えるくらいの大きさの飛行機がクーッとそこまで降りてきた。
> そしてこの下にある川上村第二小学校の上辺りでギュッーと上へ上がって行った。ここまで来たがこんなレタス畑に降りられないと思い、上がって行った感じだった。フラフラはしていなくスムーズに安定していて川上村秋山地区の方に降りて来た。川上村上空でスーッと高度をグーッと下げ、旅客機とはっきり分かる大きさだった。垂直尾翼があったとか、なかったとかの記憶はない。
> 川上村第二小学校の上で右旋回し、ギューッと高度700~800メートルへと機首をグッと持ち上げ、噴射の馬力でなんとか上昇していった。川上村から見て北東の三国山の後の入道雲が出ていた辺りで、ガックリまっすぐに墜ちて行った。
> 墜ちた場所と原爆のようなキノコ雲が上がった場所は違う。こっちから見て墜落場所の右の方から上がったので、墜落場所とキノコ雲が上がった場所とは少し距離がある。ピカッと光りキノコ雲が出て垂直に墜ちていった上空地点と最終的に墜落した地点は、距離的に300~500メートル離れている。
> <中島/中嶋さん(新聞掲載)>
> 「埼玉方面から飛んできた飛行機が赤い炎をあげ、やがて黒い煙を残して南相木村の群馬県境に消えた
> <中島/中嶋さん(NHKインタビュー概略)>
> (ナレーション)飛行機が山影に消えた数秒後山の稜線に黒い煙と赤い大きな炎があがりました
> 「あそこに稜線~ 三角のところでピカッと光って 空がインクを丁度パッとぶちまけたような感じで」
> 中島/中嶋さんとは別の女性の方(新聞掲載)
> 「飛行機は南から北へ、左を下げるように旋回しながら三国山の向こう側に消えた。そのとたん『ドーン』という大きな音がして空が真っ赤になり、原爆のようなキノコ雲があがった」
> 「鎮魂JAL123便/池田昌昭著」26ページ
> 長野県南佐久郡川上村梓山地区女性(墜落現場から2〜3キロ先の山あいの畑で目撃)の目撃談・・・著者自身が現地で取材
> 「当日8月12日午後6時52〜53分頃、川上村梓山地区の上にある畑に出ていていちご摘みやレタスの収穫作業をしていた時だった。
> 畑でいちご摘みをしていた手元が急に明るくなったので、ふと上空を見上げると真上に窓の明かりが一杯について、エンジン音がほとんどしない大きな飛行機が飛来してきた。
> 上空400メートルくらいで一瞬お化けが出てきたかと思った。
> 子供が『あれはジャンボ機だ』とすぐに叫んだくらい見たこともない大きな飛行機で埼玉の方から飛んで来た。
> 電気を一杯つけたジャンボ機の全部の窓に明かりがついていたが乗客の姿は下からは見えなかった。
> 飛行はフラフラしていなく一応安定していて垂直尾翼が欠けていたかどうかは分からなく、機体からは煙は出ていなかった。
> 畑の上空で右旋回をして2〜3キロ先にあるその昔岩から毒物が出たことから長野群馬県境三国山系通称『悪岩』と呼ばれる岩山にぶつかりそうになりそれをスレスレにかわし左旋回をしたかと思うと、飛行機は見えなくなった。
> 「疑惑JAL123便墜落事故/角田四郎著」94~95ページ (加藤隆志君11歳)
> 巨大なジャンボ機が山の端をかすめるようにゆっくりと飛んでいた。南東の方向の山の上からゆっくりと近づいてきた。頭の上で右旋回し始め北へ向かった。木のかげに隠れたので50メートルほど走っていくと、機の後ろ姿が一瞬見え、そのまま山のかげに隠れた。その間1分弱。20秒くらいして山の向こう側に真っ赤なキノコ雲が立ち上がった。それは数秒で消えて、二つ目のキノコ雲が現れた。その十数秒後、黒い煙がモクモクとわいてきた」
> 「鎮魂JAL123便/池田昌昭著」31ページ (長野県南佐久郡川上村梓山地区住民(女性)
> 凄い勢いで一瞬パーッと一回光って、空がオレンジ色のような感じになった。何かが撃ち落とされたような感じではなくてとにかく一瞬だった。その後キノコ雲みたいな噴煙が物凄い勢いで上がった。その時の火柱を見てみんなでびっくりした。
> 「鎮魂JAL123便/池田昌昭著」26ページ (長野県南佐久郡川上村梓山地区女性 墜落現場から2~3キロ先の山あいの畑で目撃)
> キーンキン・カタカタ・ブォーンと言う空港でジェット機が離着陸する時のような音が2~3秒した後、山肌50センチ~1メートルの高さと約600~700メートルの長さで山の稜線に沿って一瞬蒸気みたいに横に広がり真っ白い光になった。その白い光の上に瞬間真っ赤な光が出た。この真っ赤な光も一瞬にして消えその後、勢いのある黒いキノコ雲がモクモクと上空に湧き上がってきた。キノコ雲の高さは上空800メートル~1キロくらい昇り、キノコ雲は5分くらい続いた。」
> 「墜落の村/飯塚 訓著」92~93ページ
> (群馬県野栗沢地区(御巣鷹山から見て北東の方角)で五十の坂を越えたばかりの夫と長男夫婦の四人で菊栽培をしているという農家主婦の話)
> 『どん!』というような口では言い表せないすごい音がしたんさね。生まれてはじめて聞く音だあね。あっしは飛行機の音が気になったもんだから、すぐに音のしたあの山の方を見たんだいねえ・・・・・・。
> そしたら、あの山と山の間の扇型の空が真っ赤に染まっていたんさね。
> 他の空はまだどんより黒い雲が垂れこめていたんにねえ。あの山の谷間はうちの山からでなくちゃあ見えねえやねえ。国道からもどこのヤツ(集落)からも見えねえやねえー。高え山の稜線を見上げるだけだもんね。まあ驚いたねえ。燃えるような赤色というんかねえ。でもあんな赤い空は見たことないやねえ。飛行機が墜ちたなんてこたあ、思いもしなかったもんねー。こんな夕焼け、生まれてはじめて見るなあ、と思ったんさね」
Re.(6) 三国山上空から墜落まで
- 投稿No.1884 元投稿No.1883 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-06-27 23:18:07
> せきたにさまは「三国山を越える際にも地上接近の警報が鳴るはずではないか」「U字溝(もしくは一本カラ松)~墜落地点で何かが起こったが、それが隠されているのではないか」とお考えでしょうか?
文系ちゃんへ
私は三国山を越える際に山頂にぶつかりそうになり、離陸後はじめて地上接近警報音が鳴った可能性があるのではないかと考えている。
理由は三つある。
一つ目は
小田周二氏著の「真実と真相」137ページによると
「一本から松」の標高は1,530メートル
「U字溝」の標高は1,620メートル
「一本から松」から「U字溝」までの距離は500メートル
「U字溝」から「最終激突地点」までの距離が約1km
と記された上で
「すなわち、日航機は急降下して機首を下に真っ逆さまの状態で地面に激突したのでないと言うことである。」
と述べられている。
ところが、ボイスレコーダーの音声記録はどんどん地面が近づいてきてそのまま地面にぶつかって墜落したような印象だ。
二つ目は
地上接近警報音が鳴りはじめた18時56分14秒よりも前の数十秒間のボイスレコーダーは以下のようになっているが、繰り返し聞けば聞くほど「フラップ止めな」や「フラップアップフラップアップ」や「フラップ」⇒「あげてます」そして「パワー」の声はそのとき急降下中ではなくて、(山を乗り越えようとして)急上昇中であったのではないかと感じる。
三つ目は
人工合成音が始まる前の下記ボイスレコーダーの数十秒間に渡って「ライトターン」の声も「レフトターン」の声も発せられていないということ。これは川上村の第二小学校上空あたりでライトターンしたあとは三国山を乗り越えようとして一直線に駆け上ったからと考えれば目撃情報と合致する。
18時55分43秒 (CAP) フラップとめな (APC) JAPAN AIR 123
44秒 JAPAN AIR 123.
45秒 (? ) あーっ If reading
46秒 your radar position
47秒 (CAP) パワー (CAP) フラップ
48秒 みんなでくっついちゃだめだ 50
49秒 (COP) フラップアップフラップアップ miles,
50秒 フラップアップフラップアップ correction
51秒 (CAP) フラップアップ (COP) はい 60 miles
52秒 northwest
53秒 of HANEDA.
54秒 Northwe
55秒 ah - 5 mile
56秒 (CAP) パワー 50
57秒 (CAP) パワー nautical mile
58秒 (CAP) フラップ north west
59秒 (F/E) あげてます of HANEDA.
18時56分00秒
01秒
02秒
03秒
04秒 (CAP) あたま上げろ
05秒
06秒
07秒 (CAP) あたま上げろ
08秒
09秒
10秒 (CAP) パワー
11秒
12秒 【火災警報音 1秒間】【社用無線呼出音 1秒間】
13秒
14秒 【GPWS=地上接近警報】 (GPWS) SINK RATE
15秒
16秒 (GPWS) WHOOPWHOOP
17秒 (GPWS) PULL UP
18秒 (GPWS) WHOOPWHOOP
19秒 (GPWS) PULL UP
20秒 (GPWS) WHOOPWHOOP
21秒 (GPWS) PULL UP (CAP) ・・・
22秒 (GPWS) WHOOPWHOOP
23秒 (GPWS) PULL UP 【衝撃音】
24秒 (GPWS) WHOOPWHOOP
25秒 (GPWS) PULL UP
26秒 【衝撃音】
27秒
18時56分28秒 【録音終了】
> これまで出ました証言を確認しましても、閃光と赤/オレンジに空が染まるといった現象の原因は何なのかが気にはなります。
> そのあたり、せきたにさまのお考えがありましたら是非ともお聞かせ頂ければ と思います。
長くなったので次の機会にさせてもらうが閃光と赤/オレンジに空が染まりキノコ雲とくれば別サイトで過去に気になる投稿があったのを思い出す。
Re.(4) 三国山上空から墜落まで
- 投稿No.1878 元投稿No.1877 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-06-26 00:52:18
> 私も一つ情報の追加です。
> <新聞掲載>
> 農業鶴田太美さん(三六)=長野県南佐久郡川上村=は妻礼子さん(三四)と畑仕事をしていた。日航機には礼子さんが気づき、二人とも「飛行機がこんなところを…」と話しながら見上げると、低空でゆっくりしたスピードで右へ旋回した後、山の向こう側に消えた。「ドーン、と鈍い音がして雲が真っ赤になり、黒い煙がキノコ雲のように上がった」と鶴田さん。
文系ちゃんへ
現場検証の結果、三国山上空からまっさかさまに急降下したが、そのまま地面にぶつかったのではなかった。一本から松を右の翼で切断し、それから90m高い位置でU字溝と呼ばれる溝を右の翼の先端で抉った。それから約1km先にある最終激突地点に向かったとされる。
ところが、ボイスレコーダーの記録は
56:16 「地上接近警報」(GPWS) WHOOPWHOOP
56:17 「地上接近警報」(GPWS) PULL UP
56:18 「地上接近警報」(GPWS) WHOOPWHOOP
56:19 「地上接近警報」(GPWS) PULL UP
56:20 「地上接近警報」(GPWS) WHOOPWHOOP
56:21 「地上接近警報」(GPWS) PULL UP 機長・・・・・・
56:22 「地上接近警報」(GPWS) WHOOPWHOOP
56:23 「地上接近警報」(GPWS) PULL UP 「衝撃音」
56:24 「地上接近警報」(GPWS) WHOOPWHOOP
56:25 「地上接近警報」(GPWS) PULL UP
56:26 「衝撃音」
56:27
56:28 「録音終了」
上の箇所に関してボイスレコーダーが途中でカットされていないというのであれば、地上接近警報音が鳴り続ける中、地面が近づいてきてそのままぶつかったと考えるのが妥当だ。
そうすると上記の現場検証の結果に基づく墜落直前の様子と合わないことになってしまう。おそらく疑わしいのはボイスレコーダーの方で、「56:25」と「56:26」の間は切って繋いである可能性がある。
Re.(2) 三国山上空から墜落まで
- 投稿No.1874 元投稿No.1873 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-06-23 21:03:05
> せきたにさまへ
> これまで出ていた目撃情報を取り纏めてみました。
> せきたにさまの方でもしこれら以外の情報をご存じでしたらお教え頂ければ と思います。
> <目撃情報>
> http://imepic.jp/20220623/632380
文系ちゃんへ
★(「疑惑JAL123便墜落事故/角田四郎著」94~95ページ)
巨大なジャンボ機が山の端をかすめるようにゆっくりと飛んでいた。南東の方向の山の上からゆっくりと近づいてきた。頭の上で右旋回し始め北へ向かった。木のかげに隠れたので50メートルほど走っていくと、機の後ろ姿が一瞬見え、そのまま山のかげに隠れた。その間1分弱。20秒くらいして山の向こう側に真っ赤なキノコ雲が立ち上がった。それは数秒で消えて、二つ目のキノコ雲が現れた。その十数秒後、黒い煙がモクモクとわいてきた」(加藤隆志君11歳)
★長野県南佐久郡川上村梓山地区住民(女性)の目撃談
(「鎮魂JAL123便/池田昌昭著」31ページからの引用)
凄い勢いで一瞬パーッと一回光って、空がオレンジ色のような感じになった。何かが撃ち落とされたような感じではなくてとにかく一瞬だった。その後キノコ雲みたいな噴煙が物凄い勢いで上がった。その時の火柱を見てみんなでびっくりした。
★長野県南佐久郡川上村梓山地区女性(墜落現場から2~3キロ先の山あいの畑で目撃)
(「鎮魂JAL123便/池田昌昭著」26ページ)
キーンキン・カタカタ・ブォーンと言う空港でジェット機が離着陸する時のような音が2~3秒した後、山肌50センチ~1メートルの高さと約600~700メートルの長さで山の稜線に沿って一瞬蒸気みたいに横に広がり真っ白い光になった。その白い光の上に瞬間真っ赤な光が出た。この真っ赤な光も一瞬にして消えその後、勢いのある黒いキノコ雲がモクモクと上空に湧き上がってきた。キノコ雲の高さは上空800メートル~1キロくらい昇り、キノコ雲は5分くらい続いた。」
★群馬県野栗沢地区(御巣鷹山から見て北東の方角)で五十の坂を越えたばかりの夫と長男夫婦の四人で菊栽培をしているという農家主婦の話。
(「墜落の村/飯塚 訓著」92~93ページ)
『どん!』というような口では言い表せないすごい音がしたんさね。生まれてはじめて聞く音だあね。あっしは飛行機の音が気になったもんだから、すぐに音のしたあの山の方を見たんだいねえ・・・・・・。
そしたら、あの山と山の間の扇型の空が真っ赤に染まっていたんさね。
他の空はまだどんより黒い雲が垂れこめていたんにねえ。あの山の谷間はうちの山からでなくちゃあ見えねえやねえ。国道からもどこのヤツ(集落)からも見えねえやねえー。高え山の稜線を見上げるだけだもんね。まあ驚いたねえ。燃えるような赤色というんかねえ。でもあんな赤い空は見たことないやねえ。飛行機が墜ちたなんてこたあ、思いもしなかったもんねー。こんな夕焼け、生まれてはじめて見るなあ、と思ったんさね」
三国山上空から墜落まで
- 投稿No.1865
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-06-21 14:39:10
三国山上空で起きた事柄について、落合証言は次のように語る。
「安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺さぶられるのを感じました。船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。」
大きな揺れの直後、墜落に向けての急降下がはじまる。
落合証言は続けて語る。
「そして、すぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。髪の毛が逆立つくらいの感じです。頭の両わきの髪がうしろにひっぱられるような感じ。ほんとうはそんなふうにはなっていないのでしょうが、そうなっていると感じるほどでした。」
まっさかさまに急降下したのなら、そのまま地面にぶつかりそうなものだが、JAL123便は奇跡的にそうはならなかった。
「怖いです。怖かったです。思いださせないでください、もう。思いだしたくない恐怖です。お客様はもう声もでなかった。私も、これはもう死ぬ、と思った。まっすぐ落ちていきました。振動はありません。窓なんか、とても見る余裕はありません。いつぶつかるかわからない。安全姿勢をとりつづけるしかない。汗をかいたかどうかも思いだせません。」
急降下の最終段階のところは落合証言も語ってはいないが、現場実証の結果一本カラ松を右の翼で切断し、懸命の操縦で90メートル上昇したところでU字溝の溝を作ってから最終激突地点に向かったことになっている。
ただ、U字溝の溝を作ってからそのまま最終激突地点に衝突したかどうかについては気になる目撃談が残されている。
以下、長野県南佐久郡川上村秋山地区の住民(男性)・墜落現場から直線距離で約7キロの畑からの目撃談・・・(池田昌昭氏が現地で取材)
「墜ちた場所と原爆のようなキノコ雲が上がった場所は違う。キノコ雲はこっちから見て墜落場所の右の方から上がったので、墜落場所とキノコ雲が上がった地点とは距離的に300~500メートル離れている。」
JAL123便墜落事故の特異性の一つは墜落直前にもありそうだ。上記の目撃情報によると墜落地点の300~500メートル手前でキノコ雲が上がったという。ということは、U字溝の溝を作ってから最終激突地点に向かう途中で何かとんでもないことが起きたのかもしれない。
Re.(4) 地上接近警報音
- 投稿No.1839 元投稿No.1838 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-06-16 00:04:35
> 急ごしらえで雑ですが、事故調報告書だと単に北西方向へと抜けていったあたりの位置関係、距離感が分かるものを作成しました。飛行経路考察にお役立て頂ければ と思います。(三国山を越えてすぐ墜落だった可能性は?)
> <レタス畑>
> http://imepic.jp/20220615/665290
文系ちゃんへ
イメピクに記されている2つの航路はいずれもDFDRに基づく航跡ではないようだ。
投稿№1780にも記したが、元群馬県警察本部長の河村一男氏が『日航機墜落』という書物の257ページに次のように記載されている。
「事故から2ヶ月後、フライトレコーダーの粗解析による航跡図が入手できた。」
とあり、フライトレコーダーの粗解析による航跡図が書物の同ページに掲載されているが、それによると日航機が川上村に入ってきてから墜落するまでの航跡はS字ではなく完全に時計回りとなっている。
Re.(2) 地上接近警報音
- 投稿No.1827 元投稿No.1826 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-06-14 15:49:03
> せきたにさまへ
> レタス畑での目撃情報の事故調報告書への記載内容に関する情報です。
> (角田氏の著書にある内容と酷似しているように感じます)
> <事故調報告書 6~7ページ>
> 墜落地点の南南西3~4キロメートルの地点での目撃者(4名)によれば、「同機は東南東の奥多摩の方向からかなりの低高度、低速度で機首をやや上げて大きな爆音をたてながら飛んできた。飛行機は、我々の頭上を通過したがその後北西にある扇平山(標高1,700メートル)の付近で急に右へ変針し東北東の三国山(標高1,828メートル)の方向へ飛行した。次いで、三国山を越えたと思われるころ突然、左へ傾き北西方向へ急降下し、山の影に見えなくなった。その後、同機が隠れた山影から白煙と閃光が見えた。」とのことであった。
> > 「疑惑JAL123便墜落事故/角田四郎著」97ページに記されている目撃談によると、
> > 石川さんらは、12日午後、長野県南佐久郡川上村梓山の実家近くにある畑で、レタスの葉の消毒作業をしていた。墜落現場の南約6キロの地点だ。あたりが薄暗くなり始めた午後7時ごろ、東南にある甲武信ヶ岳(こぶしがだけ)2475メートルの北側の尾根から、突然、大きなジェット機が姿を現した。飛行機は石川さんら数人が働いていた畑のほぼ真上を西方向へ通過。「まるで石を投げたら当たるような超低空飛行だった。真上に来たときは空が真っ黒になるように感じた」と石川さん。
> > 飛行機は千曲川にそって西に進んだが、正面には扇平山(1700メートル)が迫っていた。右翼を下げて飛行機は約90度右旋回した。が、進行方向には三国山がある。
> > 「(三国山山系頂上の悪岩と呼ばれている地点に)もうぶつかるかと思ったが、機首をぐっと持ち上げて、山の斜面を這うようにして上昇していった。機首の上部が後ろからでも見えるほどの急角度のまま、やっと(三国山の)尾根を越えた。」
文系ちゃんへ
JAL123便墜落事故に関しては、垂直尾翼が半分以上欠けた上に油圧機能が失われた状態でどのようにして32分間も飛行出来たのか、といった視点の議論になりやすいが、私は別の角度からそのことに焦点を当てて考え直してみるべきだと考えている。
私が提案したい視点を以下に記しておく。
・垂直尾翼が半分以上欠けた上に油圧機能が失われた状態でどうして墜落1分前の段階で山への衝突を避けるような格好で90度の右旋回が出来たのか?
・墜落1分前から墜落時までの航跡が公開されたDFDRと目撃情報との間にどうして顕著な相違点があるのか。しかも事故調査報告書にDFDRの航跡と明らかに異なる目撃情報が記されているのはどうしてなのか?
この事柄に関して投稿№329で池田昌昭さんが以下のように記されていた。
「今から思えば、決して免罪できるわけではないが、事故調も言ってみれば、犠牲者の様な気がしてならない。
『事故調報告書』を見れば、より国民に近い勢力と、黒幕から言われて、渋々手を染めた勢力との拮抗が、随所に読み取れる。
冒頭(『事故調報告書』7〜8ページ)の目撃(4名)証言の採用などは、良心派の胸の内を示している。」
地上接近警報音
- 投稿No.1821
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-06-12 21:47:39
離着陸以外で地上に異常に近づいてしまったとき、地上接近警報音が鳴るしくみになっているという。
JAL123便においても墜落直前にその警報音が鳴った。
56:14 「地上接近警報」(GPWS) SINK RATE
56:15
56:16 「地上接近警報」(GPWS) WHOOPWHOOP
56:17 「地上接近警報」(GPWS) PULL UP
56:18 「地上接近警報」(GPWS) WHOOPWHOOP
56:19 「地上接近警報」(GPWS) PULL UP
56:20 「地上接近警報」(GPWS) WHOOPWHOOP
56:21 「地上接近警報」(GPWS) PULL UP 機長・・・・・・
56:22 「地上接近警報」(GPWS) WHOOPWHOOP
56:23 「地上接近警報」(GPWS) PULL UP 「衝撃音」
56:24 「地上接近警報」(GPWS) WHOOPWHOOP
56:25 「地上接近警報」(GPWS) PULL UP
56:26 「衝撃音」
56:27
56:28 「録音終了」
この箇所については墜落直前に記録された人工合成による警報音だとされてきたように思う。
ところが、目撃情報によると地上に異常に接近したのは墜落時のほかにもあることがわかる。
「疑惑JAL123便墜落事故/角田四郎著」97ページに記されている目撃談によると、
石川さんらは、12日午後、長野県南佐久郡川上村梓山の実家近くにある畑で、レタスの葉の消毒作業をしていた。墜落現場の南約6キロの地点だ。あたりが薄暗くなり始めた午後7時ごろ、東南にある甲武信ヶ岳(こぶしがだけ)2475メートルの北側の尾根から、突然、大きなジェット機が姿を現した。飛行機は石川さんら数人が働いていた畑のほぼ真上を西方向へ通過。「まるで石を投げたら当たるような超低空飛行だった。真上に来たときは空が真っ黒になるように感じた」と石川さん。
飛行機は千曲川にそって西に進んだが、正面には扇平山(1700メートル)が迫っていた。右翼を下げて飛行機は約90度右旋回した。が、進行方向には三国山がある。
「(三国山山系頂上の悪岩と呼ばれている地点に)もうぶつかるかと思ったが、機首をぐっと持ち上げて、山の斜面を這うようにして上昇していった。機首の上部が後ろからでも見えるほどの急角度のまま、やっと(三国山の)尾根を越えた。」
文中、「もうぶつかるかと思ったが」と記されている箇所がある。操縦席ではこの箇所で地上接近警報音が鳴らなかったのだろうか?
そういえば上の
56:14 「地上接近警報」(GPWS) SINK RATE が始まる手前のCVRについてはよく聞いてみると声のイントネーションが急降下中のものではなくて、三国山頂に向けて急上昇し、ぶつかりそうになったときのものではないのかと思えてくる。
地上接近警報音が鳴り始める20秒以内に「フラップアップ、フラップアップ」という言葉が記録されており、また急降下が始まっていると考えられる段階で機長が「ストールするぞ」と言っている箇所があるが、それらの言葉のイントネーションは墜落に向けて急降下しているときだと考えるとやはり違和感を覚える。
Re.(2) 事故機における旋回
- 投稿No.1802 元投稿No.1798 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-06-07 13:31:00
> ロールするから旋回する。ではなぜロールしたのか?
> 事故機においては垂直尾翼面積の40%近くを失うことでの飛行の安定性の低下はあるのでしょうが、
> それでもすべての旋回はちゃんと要因あってのものであると推測します。
文系ちゃんへ
「 ロールするから旋回する。」というが、その発想が理解できない。私には墜落1分前の時点でなお操縦できていたとしか思えない。
「疑惑JAL123便墜落事故」97ページ
石川さんらは、12日午後、長野県南佐久郡川上村梓山の実家近くにある畑で、レタスの葉の消毒作業をしていた。墜落現場の南約6キロの地点だ。あたりが薄暗くなり始めた午後7時ごろ、東南にある甲武信ヶ岳(こぶしがだけ)2475メートルの北側の尾根から、突然、大きなジェット機が姿を現した。飛行機は石川さんら数人が働いていた畑のほぼ真上を西方向へ通過。「まるで石を投げたら当たるような超低空飛行だった。真上に来たときは空が真っ黒になるように感じた」と石川さん。
飛行機は千曲川にそって西に進んだが、正面には扇平山(1700メートル)が迫っていた。右翼を下げて飛行機は約90度右旋回した。が、進行方向には三国山がある。
「もうぶつかるかと思ったが、機首をぐっと持ち上げて、山の斜面を這うようにして上昇していった。機首の上部が後ろからでも見えるほどの急角度のまま、やっと(三国山の)尾根を越えた。」
Re.(11) 事故機における旋回
- 投稿No.1790 元投稿No.1789 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-05-26 21:18:53
> せきたにさまにおかれましては最終局面でのチャートの書き換えの可能性をお考えでしょうか?
文系ちゃんへ
CVRは本来は32分間分が残っているはずだが、公開されたと考えられているのは18分間だけであとは隠されている格好だ。
墜落直前における横方向の加速度は書き換えられたということではなく、DFDRもCVRと似たような要素があるのではないか。
三国山上空で生存者は大きな横揺れを感じられた。その直後急降下し、一本から松を右の翼で切断、それから90m上昇した地点で右の翼の先端でU字溝と言われる溝を抉った。
三国山上空、一本から松、U字溝の3カ所において大きな横方向の加速度が記録されているべきだと考えるので、それらの箇所が不鮮明だというのは解せない。
私は墜落したことによってチャートが途切れたとされている箇所は実は墜落地点ではなく、チャートが途切れてから先に三国山上空以後の出来事があったのではないかと想像してしまう。
Re.(9) 事故機における旋回
- 投稿No.1788 元投稿No.1786 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-05-26 00:39:46
> せきたにさまへ
> > 相模湾上空で異変が起きたとき、横方向の加速度が記録されていることは確かだというが、それならば墜落前の段階で機体が大きく揺れたと証言されているときの横方向の加速度がどのように記録されているのかを教えてほしい。
> 以前貼り付けておりました事故発生時の横方向加速度チャートと合わせる形で最終局面でのチャートを並べました。
> 大きく揺れたとされる正確な時刻が不明ですので、とりあえず54分から途切れるところまでとしております。
> (報告書PDFがページの切れ目でチャートが細切れになっていましたので、張り合わせの際、若干のズレが生じている可能性があります)
> この部分の検証も気になるところではありますが、梓山レタス畑での目撃証言をどう扱うべきかも重要なように思っております。
> 24分~、54分~ 横方向加速度比較
> http://imepic.jp/20220525/620760
文系ちゃんへ
54分から途切れるところ(=墜落)のチャートについては違和感がある。
三国山上空とは別に急降下後、右の翼で一本から松を切断した箇所と右の翼の先端でU字溝を抉った箇所においても顕著な反応がチャートが途切れる前にしっかりと記録されていなければならないはず。
文系ちゃんが示してくれた54分以後のチャートは迷走飛行しながら墜落してしまったというストーリーに合わせたもののように感じる。
Re.(7) 事故機における旋回
- 投稿No.1784 元投稿No.1783 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-05-25 13:40:27
> せきたにさまへ
> 墜落直前の航跡と合わせて垂直尾翼に何かが衝突したのではないかという説についても生存者が次のように語った地点はどこだったのかを考えるべきだ。
「安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺さぶられるのを感じました。船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。しかし、上下の振動はありませんでした。前の席のほうで、いくつくらいかはっきりしませんが女の子が「キャーッ」と叫ぶのが聞こえました。聞こえたのは、それだけです。そして、すぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。髪の毛が逆立つくらいの感じです。頭の両わきの髪がうしろにひっぱられるような感じ。ほんとうはそんなふうにはなっていないのでしょうが、そうなっていると感じるほどでした。」
事故発生時と墜落直前は別の事象として捉えるべきではないでしょうか?
(事故発生時も内部からの尾翼破壊か外部からの物体衝突かはさておき、横方向の加速度が記録されていることは確かかと思います)
文系ちゃんへ
相模湾上空で異変が起きたとき、横方向の加速度が記録されていることは確かだというが、それならば墜落前の段階で機体が大きく揺れたと証言されているときの横方向の加速度がどのように記録されているのかを教えてほしい。
Re.(5) 事故機における旋回
- 投稿No.1782 元投稿No.1781 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-05-24 15:17:15
> せきたにさまへ
> 目撃証言が複数であり、どれも川沿いですとか、特定の山の方向ですとか、具体的に状況が述べられており、私としましては信憑性はかなり高いのではないかと考えております。
> 特に頭上を通過となれば、斜め上に見上げた場合と比較すれば格段にその場を通ったことを示す根拠となるものだと捉えております。
> 複数の証言者が口を揃えて虚偽の報告をすることは考えにくいとすれば、レタス畑でのS字飛行が真相である可能性は十分ありそうに思います。
> 今後事故機の航跡を考えるにあたり、ロール≒旋回だとすれば、どうしてロールの寄りが生じたのか の検証が必要になりそうに思います。
文系ちゃんへ
墜落直前の航跡と合わせて垂直尾翼に何かが衝突したのではないかという説についても生存者が次のように語った地点はどこだったのかを考えるべきだ。
無名氏が指摘されるように、垂直尾翼に横からものが衝突したら機内はたいへんなことになるはずで、相模湾上空ではあり得ない。
杉江弘さんが「陰謀説の真相」の中で
「それでは、「謎の飛行物体」は、垂直尾翼に対して、横から当たったということだろうか。もし、横からなんらかの物体が衝突してきたならば、反動で機首は物体が飛んできた方向に向くはずである。」
文系ちゃんは勘違いしていたようだが、「反動で機首は物体が飛んできた方向に向く」というのは機体が90度回転するという意味だ。
私は下記の証言は墜落直前の三国山上空のことだったと考えている。
「安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺さぶられるのを感じました。船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。しかし、上下の振動はありませんでした。前の席のほうで、いくつくらいかはっきりしませんが女の子が「キャーッ」と叫ぶのが聞こえました。聞こえたのは、それだけです。そして、すぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。髪の毛が逆立つくらいの感じです。頭の両わきの髪がうしろにひっぱられるような感じ。ほんとうはそんなふうにはなっていないのでしょうが、そうなっていると感じるほどでした。」
Re.(3) 事故機における旋回
- 投稿No.1780 元投稿No.1779 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-05-22 21:51:27
> 扇平山の所のターンが大袈裟になってしまってますが、そこでライトターン、三国山の所でレフトターンして、目撃されたのはそこまで、そこから先でぐるっと右旋回で墜落に至る といった感じだったのでしょうか?
> ここの部分の飛行に関しましては小田さまの著書「永遠に許されざる者」にもレタス畑への着陸敢行として記載があるようです。
> 純粋に自分の思う処だけを書きますと、目撃証言は尊重されるべきで、S字飛行をしていたのが真相ではないかとの考えです。絶対的な根拠となるものはありませんが、事故調報告書では操縦不能を前提とした体で作成されているようで、レタス畑への着陸敢行は不都合として無きものとして扱われたのではないかと推測しております。
> No.1776でのチャート 下側のRLLの振幅中点ですが、見る限りにおいてはプラス領域では右旋回、マイナス領域で左旋回となっているようです。そしてそこには扇平機山での右旋回を示す箇所が無いように感じます。
文系ちゃんへ
元群馬県警察本部長の河村一男氏が『日航機墜落』という書物の257ページには次のような記載がある。
「事故から2ヶ月後、フライトレコーダーの粗解析による航跡図が入手できた。」とあり、日航機が川上村に入ってきてから墜落するまでの航跡は完全に時計回りとなっている。
河村本部長もこの図が出るまでは目撃情報のような航跡を想定されていたようだが、フライトレコーダーの粗解析による航跡図に合わせて考え方を修正されている。
4名の目撃情報はフライトレコーダーの粗解析による航跡図によって否定されてしまったが、フライトレコーダーの粗解析による航跡図は次の目撃情報とも全く合致しない。
「疑惑JAL123便墜落事故/角田四郎著」97ページ
石川さんらは、12日午後、長野県南佐久郡川上村梓山の実家近くにある畑で、レタスの葉の消毒作業をしていた。墜落現場の南約6キロの地点だ。
あたりが薄暗くなり始めた午後7時ごろ、東南にある甲武信ヶ岳(こぶしがだけ)2475メートルの北側の尾根から、突然、大きなジェット機が姿を現した。飛行機は石川さんら数人が働いていた畑のほぼ真上を西方向へ通過。
「まるで石を投げたら当たるような超低空飛行だった。真上に来たときは空が真っ黒になるように感じた」と石川さん。
飛行機は千曲川にそって西に進んだが、正面には扇平山(1700メートル)が迫っていた。右翼を下げて飛行機は約90度右旋回した。が、進行方向には三国山がある。
「(三国山山系頂上の悪岩と呼ばれている地点に)もうぶつかるかと思ったが、機首をぐっと持ち上げて、山の斜面を這うようにして上昇していった。機首の上部が後ろからでも見えるほどの急角度のまま、やっと(三国山の)尾根を越えた。(川上村梓山地区から)姿が見えなくなって数秒後に、黒い煙が、続いて白い煙が上がった」という。
「鎮魂JAL123便/池田昌昭著」26ページ
長野県南佐久郡川上村梓山地区女性(墜落現場から2〜3キロ先の山あいの畑で目撃)の目撃談・・・著者自身が現地で取材
「当日8月12日午後6時52〜53分頃、川上村梓山地区の上にある畑に出ていていちご摘みやレタスの収穫作業をしていた時だった。
畑でいちご摘みをしていた手元が急に明るくなったので、ふと上空を見上げると真上に窓の明かりが一杯について、エンジン音がほとんどしない大きな飛行機が飛来してきた。
上空400メートルくらいで一瞬お化けが出てきたかと思った。
子供が『あれはジャンボ機だ』とすぐに叫んだくらい見たこともない大きな飛行機で埼玉の方から飛んで来た。
電気を一杯つけたジャンボ機の全部の窓に明かりがついていたが乗客の姿は下からは見えなかった。
飛行はフラフラしていなく一応安定していて垂直尾翼が欠けていたかどうかは分からなく、機体からは煙は出ていなかった。
畑の上空で右旋回をして2〜3キロ先にあるその昔岩から毒物が出たことから長野群馬県境三国山系通称『悪岩』と呼ばれる岩山にぶつかりそうになりそれをスレスレにかわし左旋回をしたかと思うと、飛行機は見えなくなった。
Re. 事故機における旋回
- 投稿No.1777 元投稿No.1776 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-05-22 19:05:51
> 大月旋回についての検証をしておりましたが、随分時間が経過してしまいましたので新規に題名をつけての投稿とさせて頂きます。
文系ちゃんへ
生のCVRを公開してほしいといった趣旨の裁判が犠牲者遺族の吉備素子さんらが原告として進行中だという。
世間に出回っている18分間のCVRでは真相がわからないという思いが強いからだろう。
墜落直前の航跡に関して、DFDRでは一貫して時計回りだが、反時計回りだったという4名による目撃情報が事故調査報告書に記されている。
『事故調報告書』7〜8ページ 目撃証言(4名)
「墜落地点の南南西3〜4キロメートルの地点での目撃者(4名)によれば、『同機は東南東の奥多摩の方向からかなりの低高度、低速度で機首をやや上げて大きな爆音をたてながら飛んできた。飛行機は、我々の頭上を通過したがその後北西にある扇平山(1,700メートル)の付近で急に右へ変針し東北東の三国山(標高1,828メートル)の方向へ飛行した。次いで、三国山を越えたと思われるころ、突然、左へ傾き北西方向へ急降下し、山の陰に見えなくなった。その後、同機が隠れた山陰から白煙と閃光が見えた。』とのことであった。」
大月旋回についての検証をしているというが、上記のDFDRと目撃談の相違をどう考えるかを聞かせてほしい。
Re.(3) 第一の風(2)
- 投稿No.1645 元投稿No.1637 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-05-02 08:04:08
風のたよりさんへ
天井裏の風速を問題にする前に投稿№1621で風のたよりさんが
「事故調査報告書では減圧時の風を以下のように記しています。
天井裏で30m/S、客室内では10m/S」
と記されていること。事故調査報告書に「天井裏で30m/S、客室内では10m/S」といった記述がないのであればその時点で風のたよりさんの話に関して信憑性に疑問を感じてしまう。
> 設定として「天井裏はもう少し強い風が吹いただろう」を30にしてあります。天井裏を10以上の12でも20でも30でも、好きな数字にしていただいても結構です。
事故調査報告書に「天井裏で30m/S、客室内では10m/S」と記述されていると言いながら、記述がなかったことの訂正もしないまま勝手にそのような解釈をするものではないと思う。
> そして、天井裏と客室の面積比から、客室の風を10とすると、天井裏は風速257というとてつもない強さの風になります。これは時速951kmになります。
> 951がもう少し強い風という範疇に入りますか?常識的にはあり得ないくらい強い風と表現されるレベルです。
> すみません。馬鹿にするつもりはありませんが「せきたに」さんは以上にに書いたことを理解できていますか?
風のたよりさんはもともと急減圧に起因する断熱膨張に伴う空気の流れは分子レベルまで一様に起きると言われていたはずだ。与圧領域内と与圧領域外を隔てる壁の一部に穴が空いたならば、その穴に向けて与圧領域内の空気は一様に吸い込まれていくはずだ。もちろん障害物の関係で空気の動きに多少の差は付くだろうが、客室内と天井裏が完璧に分断されているわけでもないので(完璧に分断されていれば客室内に風は吹かない)直感的には障害物の影響を考慮してMaxで風速の差は2対1ぐらいまでだろと考える。
Re. 第一の風(2)
- 投稿No.1634 元投稿No.1621 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-05-01 19:23:40
> 風のたよりです。
> 再調査に欠かせない事故調査報告書の推定よりもより正しい推定を明らかにするため「第一の風(2)」について記します。
> 事故調査報告書では減圧時の風を以下のように記しています。
> 天井裏で30m/s、客室では10m/s
> これは、真っ赤なウソです。
風のたよりさんへ
風のたよりさんは投稿№1621で上のように記されているが、一方で事故調査報告書(別冊)には客室内の平均が10m/sとされた上で、天井上ではもう少し強い風が吹いただろうと推測されるが、座席あたりでは平均よりもかなりゆるい風が吹いただろうと記されているようだ。
いずれにしてもその程度の風速を伴う風圧で垂直尾翼が吹き飛き飛んでしまうはずはないと思うが、文献は正確に引用しないと信用を失うことに繋がる。
文献は正確に引用した上で「これは、真っ赤なウソです。」なぜならば・・・ とご自身の意見を展開すべきだと考える。
Re.(11) 大月検証用資料
- 投稿No.1472 元投稿No.1471 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-04-13 23:44:52
> > 今さら改めて文系ちゃんへの質問だが、垂直尾翼が40%しかなかったという根拠を教えてほしい。
> 事故調報告書に、3.1.12 その他 というのがありまして、そこに奥多摩で撮らた写真から解析された垂直尾翼の損壊状況が記載されています。
> 残像面積率41.78%ですとか、少なくとも55%以上欠損していたものと推定される とか書かれておりますので、私としましては40%以上も残っていたのだと捉えております。
文系ちゃんへ
垂直尾翼の損壊状況が事故調報告書に記載されている通りだと考えているというのなら、なぜ文系ちゃんが大月上空の航跡図に疑問を持って探求を続けているのかわからない。それも事故調査報告書に記載されている事柄ではないのか。
Re.(9) 大月検証用資料
- 投稿No.1470 元投稿No.1451 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-04-13 21:10:20
> せきたにさまの見立てですと、機体はR=2500のような急な旋回はできないものの、残された尾翼なりでのある程度の旋回は可能で、操作により富士山東を通過後談合坂付近まで飛行し、そこから南下する際、角田氏に目撃されたということになりますでしょうか。
> 意図しての操縦の結果であればとった航跡にしろ、下げた高度にしろ、そうした理由が推測できれば角田氏の目撃証言の信憑性は随分と向上するように思います。
> 操縦に関してですが、スロットルコントロールについては、昨年エンジン部品が発見された際、TBSのニューストッピックで「36年目の部品発見から考える安全への警鐘 日航機墜落事故」と題して記された中に、以下のような文があります。
> 「調査によると事故機は、相模湾上空をフライト中に後部の圧力隔壁が破損したことで垂直尾翼等が吹き飛んだ。4つのエンジンはすべて正常だったが、操縦に必要な4つの油圧系統がすべて失われてしまったため、操縦がほぼ不可能な状態で群馬県の御巣鷹の尾根上空に達した。機長たちは操縦ができない中、左右のエンジン出力を調節することで、機体を左右に旋回したり、機首をあげたりするなどして、最後まで機体をコントロールしようとしていたことが、コックピットの音声や機器のデータからわかっている。」
> そのように書かれてはいますが、それに続き小林さん(※元日本航空機機長)も、「ジャンボは非常に大きくて慣性力も大きいため、エンジンの出力だけでパイロットの思い通りの方向に飛行するのは不可能に近かっただろう。油圧がなかったら、パイロットの思うような操縦はできない。」と解説した。 とも書かれております。
> スロットルコントロールによる操縦が可能であったのか、また そういう操作を実際に行っていたのかは慎重に判断されなければならないとは思います。
> 後年の事故事例で2発、3発のジェット機での空港までの帰還事例が確認されてはいますが、123便においては残された4割超の垂直尾翼でどこまで といったところは考慮されなければならないとも思います。
文系ちゃんへ
今さら改めて文系ちゃんへの質問だが、垂直尾翼が40%しかなかったという根拠を教えてほしい。
Re.(7) 大月検証用資料
- 投稿No.1446 元投稿No.1444 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-04-04 23:19:03
> 急拵えの資料で雑な部分もあるのですが、角田氏の目撃に沿うような航跡を考えてみました。せきたにさまの思い描く航跡と乖離はありますでしょうか?
> http://imepic.jp/20220404/635340
> (少し逆三角が小さくなってしまったようです)
> 富士山の東を通過した後、梁川駅の北から倉岳山の方へと飛行するには何かしらの操縦関与がないと難しいように感じられますが如何でしょうか?
> 見通し/レーダーから消えるかどうかは、世にはそれを確認できるちゃんとしたアプリがあるようなのですが、私は持ってませんので地図で軽く見てみましたが、2000mを割り込まないと山陰には入らないように思えました。
> 私としましてはやはり角田氏の書かれた文章からだとダッチロールの表現が感じられないのが引っ掛かります。また、そこまで低空を飛んでいたなら中央高速からの目撃証言があっても良さそうに思いますが、私の知る限りではそれもありませんのでどちらかと言えば目撃は123便ではなかったような気がします。
文系ちゃんへ
そんなに直線的じゃなくて、富士山の東側通過後は航跡は不明ながら左右への大きな旋回を繰り返しながら角田四郎さんが目撃された場所に向かったと考えている。
左右への旋回等、意図する方向への操縦はある程度は出来ていたと考えている。
垂直尾翼がないというのは40%しかないということを言っており、やはりそんな状態で鋭角的な旋回は無理だと考えている。
中央高速からの目撃証言とJAL123便は直接的には繋がらないと考えるが、目撃情報が虚偽だとも考えていない。
今掲示板は無名さんと小田周二さんとの議論の場となっているようなのでしばらくこれ以上は記さない。失礼。
Re.(5) 大月検証用資料
- 投稿No.1443 元投稿No.1442 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-04-03 11:54:24
> 私が思っておりますのは、事故調報告書には正しい部分と、そうでない部分とか混在しているのではないかという事です。
> そして現在行なっておりますのは、大月旋回部分においてはこういうふうに書かれているという事の確認です。
> ここまででも幾つか疑わしく思う項目はありますが、最終的にワイルドカード、ジョーカー的な存在の風の要素を加味した上で報告書におかしな所はあるのかどうかを考えていこうとしております。
> 一つ挙げますと、逆三角右上となる41分30秒頃のR=2500の旋回部 あの速さで、しかも機首方位を変えている時間とそうでない時間半分々々で可能なのかどうかということです。
> 通常の飛行ですと速度、バンク角等から計算で旋回半径は導き出せるのでしょうが、事故機におきましてはダッチロール状態にあり、計算式通りにはいかないでしょう。
> 今回はHDGとRLLのチャートをピックアップし確認しましたが、RLLの振幅中心の推移と機首方位変動には関連があるように思えました。ここの部分を見る限りではありますが、車のようなアウトサイドへのバンクでの旋回はしないようであります。
> 大月旋回では4つの旋回でもって逆三角形の航跡を残していますが、それぞれ何か作用してそうなったのか、直進した部分の理由もそうなのですが疑問に思っております。
> 資料1枚目の下から2番目はEPRのチャートとなっておりますが、私がこれを見た時、2箇所違和感を覚えました。一つが大月旋回の所の離陸時に匹敵する程のスロットル上げポジションとしている所、もう一つは45〜48分にかけてのスロットル絞りの箇所です。
> 大月付近だと一刻も早く高度を下げたかった筈なのに何故そうしたのか、また49分奥多摩駅上空で途中の最低高度を記録するに至るまで何を狙って高度を下げ続けたのか、これらにつきましては なるほどな と思える理由が聞いてみたくは思っております。
> 差し当たって行なっておりますのは、本当に大月旋回していたのか、確証を得る という行為となりますでしょうか?40分白銀山の影の成立と報告書通りの大月旋回は両立しませんので、的の外れた検証を続けているという事もないと思っております。
> せきたにさまにおかれましても、大月旋回
> 自体なんらおかしな部分は存在しないとお考えか、それともここは変ではないか等、ご意見伺えれば と思います。
> (同時に扱うと混乱の元となりそうにも、思いますが、小田さまの方から出ておりますスロットルコントロールでの機体制御の話との関連もあるものと考えております)
文系ちゃんへ
上の投稿文を見る限り、文系ちゃんは理系的な人だと感じる。また、そんな考察を続けても真相は何もわからないまま終わってしまうと思う。
私は18時50分のテロップは見ていないが、その時刻に問題のテロップを見たという人が複数いるということに関して、理系なら、たとえ10人の人がその時刻に同じテロップを見たと言ってもそれが何の証明になるんだというだろうが、私は直感的にそういうことがあったのだと思う。
逆三角形の航跡についてはこれも直感的な印象だが、スロットルレバーの操作云々の前に垂直尾翼なしでそのような旋回が出来ることはありえないと考えている。
次に文系ちゃんの考察についてだが、そちらの方は何ともいえない。
レーダーが機影を捉えることが出来ないということは何を意味するのか・・・
低空飛行になっていたというのも確かに一理あると思う。それが文系ちゃんの考察通り10分前のことなのか、もう少し前のことなのか、あるいはもっと手前の可能性があるのか・・・
角田四郎さんが目撃されたときの印象は『疑惑』によると、高度2,000メートル~3,000メートルの間だったということだから、白銀山の方角でなかってもレーダーの機影から消えていたとしても不思議ではないばかりか整合性を感じる。(高度2,000メートル~3,000メートルの間だったのであればどこにいてもレーダーが機影を捉えられなかった可能性がある)
18時30分頃富士山の東側を通過し、左右への大きな旋回を繰り返しながら、角田四郎さんが目撃されるまでの具体的な航跡は不明だというしかないが、18時40分~18時44分頃には角田四郎さんが目撃されたところにJAL123便が飛行していたというのが私の考察だ。
Re.(3) 大月検証用資料
- 投稿No.1441 元投稿No.1440 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-04-01 22:14:13
> 議論盛り上がりのところ失礼します。検証用資料
> 大月旋回3 チャート HDGとRLLのみを見ての印象 42分半ばが最小半径?>
> http://imepic.jp/20220401/620150
> ----------------------------------------------------------------------------------------
> > 大月旋回2 (HDGとRLL)
> > http://imepic.jp/20220327/627100
> >前々回
> > http://imepic.jp/20220325/431170
文系ちゃんへ
18時50分にテレビ画面に「日航機レーダーから消える」というテロップを見たというのが文系ちゃんの体験じゃないか。
その体験が本物であるとして、18時50分にテロップに出るためには18時40分にはレーダーから消えていなければならないが、レーダーが機影を捉えることが出来なかったのは低空飛行していて、白銀山の影響でレーダーの電波が阻害され機影を捉えることができなかった可能性が高いというのも文系ちゃんの考察だ。
文系ちゃんの体験と理論に基づけば事故調から発表された大月上空の航跡が正しいということを前提に考察を進めるのはちぐはぐじゃないか。
文系ちゃんなりの筋を通すのであれば、目撃談に合うような航跡図を作成する方向で考える方が理にかなっているように見える。
Re.(9) ペットボトル風洞実験
- 投稿No.967 元投稿No.965 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-30 19:24:01
> 風のたよりです。
> 下記はどなたがおっしゃたのでしょうか?
> > ジャンボ機といっても全長がせいぜい100メートルもないのに、ある種の人たちはジャンボ機の機内容量がカナダ航空機と比べて何万倍も異なるかのように、
> B747がB737に比べて縦で2倍、横幅も2倍、全長も2倍だったとしましょう。
> すると体積は2✕2✕2=8倍になります。
> カナダ機の大きさは知りませんが、本当に何万倍!もの体積差になるのでしょうか?
風のたよりさんへ
計算間違いはご容赦いただきたい。
何万倍というのは私の印象からくる表現。
B747の客室内が平穏だという理由がはB737に比べて圧倒的な容積の違いだということだが、せいぜい体積比が8倍の違いしかないのに全く異なる現象になるという理屈には違和感があるからあえてそう記しただけ。
Re.(7) ペットボトル風洞実験
- 投稿No.963 元投稿No.960 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-30 15:22:31
> ご挨拶、返信が遅れて申し訳ありません。
> 人見徹と申します。
> 多分、これが一番不思議ですよね。
> 最近、何かと話題のNHK「墜落」(1985)
> https://sp.nicovideo.jp/watch/sm34827234
> で、23分辺りからカナダ航空の事例が出てますが、客室乗務員が吸い出されそうになったのは「第1の風」っぽく聞こえますが、何故日航機ではこうならなかったのかな?と思ってしまいます。
人見徹さんへ
カナダ航空の事例ではCAさんがサービスをしていたワゴン車が吸い出されたという。自分もお客さんが手を引っ張ってくれなかったら吸い出されていただろうと証言。
ジャンボ機といっても全長がせいぜい100メートルもないのに、ある種の人たちはジャンボ機の機内容量がカナダ航空機と比べて何万倍も異なるかのように、カナダ航空の事例とは起きる現象が全く異なると言われる。
「圧力差均一化の気体移動」についての認識が人見さんとは大きく異なっているようだ。
「圧力差均一化の気体移動」は上空7,000メートルにおいては峻烈だろう。
JAL123便において事故調がいうように急減圧によって垂直尾翼が吹き飛ばされたのなら客室内においては「圧力差均一化の気体移動」によって
・圧力の急激な低下
・気温の急激な低下
・猛烈な風
が伴なっていなければ物理法則が成立しないと考える。
Re.(5) ペットボトル風洞実験
- 投稿No.947 元投稿No.944 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-29 18:12:42
> 「風」というよりは「圧力差均一化の気体移動」といったところでしょうか。
人見徹さん、風のたよりさんへ
横から失礼。
機内を吹き抜けた二つ目の風には気付きにくいが、もしも本当に垂直尾翼を吹き飛ばす程の急減圧が起きていたら一つ目の風についても「圧力差均一化の気体移動」によって客室内にも相当な風が吹いていなければならないと考える。(客室内だけが平穏なわけがない)
Re.(27) 断熱膨張に伴う温度低下の関連性
- 投稿No.911 元投稿No.905 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-26 20:46:12
> もう本当に不正確な理解で皆さんを混乱させるのは止めてください。
> 落合さんは、「天井からパーンと言う音がした」とも言っていないし、「天井パネルが外れた」とも言っていないです。
> 落合さんの証言はこう。
> 「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい音がしました。」
> 「きょろきょろしていたとき、私は、トイレの上の横長の壁がほとんど全部、はずれていることに気がつきました。」
> 「もひとつ、私の頭上の少し前の天井に、整備用の50センチ四方の長方形の穴があって、蓋がついているのですが、その蓋が私のほうに向いて開いていることに気がつきました。壊れたのではなくて、何かのはずみで開いたという感じです。」
> いいかげんなことを言わないでください。引用するなら正確に。
佐伯さんへ
引用するなら正確に引用しないといけないじゃないか。
「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい音がしました。テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。急減圧がなくても,耳を押さえたくなるような、すごく響く音。前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。音は、私のちょっとうしろの天井のあたりからしたように感じましたが、そこだけでなく全体的に広がったように思います。私は思わず天井を見上げました。」
「このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じませんでした。しかし、何が起きたのだろうと、私は酸素マスクをしながら、きょろきょろあたりを見まわしていました。あとになって、8月14日に公表されたいわゆる『落合証言』では、客室乗務員席下のベントホール(気圧調節孔)が開いた、とありますが、私の座席からはベントホールは見えない位置にあります。ですから、開いたのかどうか、私は確認できませんでした。 きょろきょろしていたとき、私は、トイレの上の横長の壁がほとんど全部、はずれていることに気がつきました。トイレのドアは閉まっていましたが、その上の壁がすっぽりはずれて、屋根裏部屋のような感じで見えたのです。壁はちぎれたとか、破壊された、というふうではなく、継目が外れたと言う感じでした。壁のパネルがどこかにいったのかはわかりませんでした。」
Re.(25) 断熱膨張に伴う温度低下の関連性
- 投稿No.910 元投稿No.898 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-26 20:39:31
> 1.温度の低下
> ⇒起きていると推定されます。温度計の記録項目は存在しないので立証は不可能ですが、白い霧の発生を認めるなら露点まで急激に温度が下がったと推定できます。
> 2.気圧の低下
> ⇒起きています。酸素マスク落下の条件と自動放送の開始条件は客室高度1万フィート相当以上です。少なくとも1万フィートまで気圧が低下したことは疑いようがありません。
> 3.断熱膨張によって必然的に生じる空気の流れ
> ⇒起きていると推定されます。川上さんは白い煙が前から入ってきたこと、吉崎さんは赤ちゃん(人形の誤認)が吹っ飛んできたことを証言しています。
佐伯さんへ
上記3つの事柄から、急減圧ではなく、ゆるやかな減圧が起きていたことがわかる。また、相模湾上空で圧力隔壁に2㎡の穴が空いたとすればその位置は天井裏の後方だとは思えない。
> 3分で全量換気できるほどのエアコン能力が役に立たないのが常識なのですか?
> エアコンで供給された熱量は一体どこに消えるのですか?
隔壁が穴の開いていない正常な状態で全量換気するのに3分もかかるようではどうしようもない。本当に急減圧が起きていたら客室内の暖気は暖まる暇もないだろう。
Re.(23) 断熱膨張に伴う温度低下の関連性
- 投稿No.897 元投稿No.891 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-25 21:42:46
> せきたに様
> 横入りすみませんが「緩やかな減圧」とは機内のみのことを言っておられるのだと思います。
> B737のような小さな容積の飛行機で、高度30000ftでドアが開いた場合、急減圧症状(物が飛び交ったり人が吸い出される)も激しいでしょうが、今回の事故は巨体のジャンボです。
> 24000ftでの出来事です。
> 機体の容積に対し、開口面積はざっと1.8㎡で、空気はゆっくり抜けていきます。「急減圧」の「急」に誤解を招いておられませんか?
> しかし機内は穏やかな症状の減圧であれど、機外へ出てしまうと、その空気の流れの速度は急に速くなって、あっという間に垂直尾翼の上端のリベットを飛ばして破壊させますよ。
A さんへ
佐伯さんが、急減圧によって客室内の温度が急激に下がったので「霧が発生した」と教えてくれているじゃないか。
急減圧の影響を受けてその直後に客室内に「霧」が発生したというのなら、それは急減圧の影響が直ちに客室内に及んだことを証明するもので、ジャンボ機が大きいから客室内は平穏であったというのはナンセンスだ。
急減圧が起きれば断熱膨張がはじまり、それに伴って客室内は
1.温度の低下
2.気圧の低下
3.断熱膨張によって必然的に生じる空気の流れ
の現象が同時に起きるはずだ。
要するに、断熱膨張によって温度が低下し、空気中の気体であった水分が状態を変えて「霧」となったのなら客室内まで急減圧の影響が及んだということになり、他の二つの要素、「気圧の低下」と「空気の流れ」が「温度の低下」と同時に発生していなければならない。
風に関して言うと、内側からの与圧によって圧力隔壁が破れた直後、与圧領域外には猛烈な風が吹いた場合、与圧領域内は平穏であるということがあり得ないことは犠牲者遺族の小田周二さんが技術者としての見地から考察され『真実と真相』P324~P331又は『永遠に許されざる者』P32~P38などに克明に記されている。
またエアコンに関して言うと垂直尾翼が吹き飛んで外気と客室内を隔てる壁に2㎡もの穴が空いてしまえば室内機と室外機がそれぞれの役割を果たせなくなることもあり、「風のたより」さんが仰られるように垂直尾翼が吹き飛んだ後はエアコンが役に立つわけがないというのは常識の感覚だ。
Re.(21) 断熱膨張に伴う温度低下の関連性
- 投稿No.890 元投稿No.886 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-24 23:33:58
佐伯さんへ
ゆるやかな減圧ではエアコンの関係もあり、急激に室温が下がらず、異変直後に霧が発生することがないことについては佐伯さんが既に述べられているが、東伊豆の相模湾上空で起きた異変直後に客室内に発生した白い煙のようなものが「煙」ではなく、「霧」であったとする場合の問題点は、おそらくはゆるやかな減圧が起きたということが排除されてしまい、その時点で垂直尾翼を吹き飛ばすだけの急減圧が発生したとするしかないところにありそうだ。
Re.(19) 断熱膨張に伴う温度低下の関連性
- 投稿No.885 元投稿No.882 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-23 22:19:04
> せきたにさん、失礼ながら、他人の著書を鵜呑みにするのではなく、まずは、報告書を一度通読し、できたら精査してください。
> そのうえで一般著著の記述がどの程度の精度を持っているのか検証した方がいいですよ。
佐伯さんへ
投稿NO.883で山本さんが『天命の陳情』という書物を紹介され、書物の付記に火災警報音のことが記されていることを引用されている。
書物の付記のうち、火災警報に関するところだけをそのまま記すと
「爆発発生の5分54秒後である18時30分28秒には火災警報音が鳴っており、そのことがCVRに録音されていたことが事故調によって解読されている。この警報音はビルやホテルでの火災の発生を報せる警報音と同じもので、ベルによる警報音であるが、その警報音が何秒鳴ったのかについては不明のようである。その警報音は投機のエンジン、APU、脚収納庫、前方貨物室、後方貨物室に設置されているが、最終報告書の隔壁破裂説による事故原因では、これらの箇所で火災が発生するとは、とても考えられない。」
火災警報音が鳴ったことについて、佐伯さんはどのように考えておられるのだろうか?
「ドーン」からしばらくして火災警報音が鳴ったのなら「霧」ではなく「煙」が発生していた可能性を考えるべきだというのが私の感覚だ。「霧」では通常は火災警報は作動しないはずだ。
事故調査報告書は権威のあるレポートかもしれないが、疑問に感じる箇所はある。火災警報音については誤作動だったと言い切ってしまうのも一つだが、火災警報音が鳴ったことから煙が発生した可能性を連想し、火災警報が鳴ったことの原因を追求するのが通常のあり方だと考える。
> まず、18時40分以降、ギアダウンしているのですから、急降下しても、ギア車輪が再び格納されてティルト状態に戻ることはありません。
> 客室高度警報音と離陸警報音は音として同一なのですから音自体では区別できないのはおっしゃるとおりです。
> だから、どちらの警報音が鳴る要件を満たしているかどうかかが問題なのです。
> 離陸警報音としての警報がギアダウン後も鳴ったり止んだりする要件は本当にそろっているのですか?
>とてもそうは思えません。
客室高度警報音と離陸警報音の件に関しては佐伯さんにしては珍しく誤読されているようだ。
うるさいのでパイロットがボタンを押して止めてから最後まで鳴らなかったのは客室高度警報音だとされている。離陸警報音が最後まで鳴っていたとは記しておられない。
離陸警報音については車輪を下ろしてからは鳴っていないということぐらいは村岡伸治さんにとっては常識の範疇だろう。
> > 衝撃のため酸素マスクが落下する場合もあるようだ。
> その衝撃が観測されておらず、生存者の方も衝撃を感じた旨の証言をしていないのです。
> だから、どのような理由で酸素マスクが一斉に落下したのか?ということを繰り返しお尋ねしているわけです。
落合証言について、客室内の感覚で空気の流れがほとんどなかったと感じられても実際には垂直尾翼が吹き飛ばされるほどの急減圧が起きていたとされるのであれば、私も言わせてもらう。
「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい音がしました。テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。急減圧がなくても,耳を押さえたくなるような、すごく響く音。前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。音は、私のちょっとうしろの天井のあたりからしたように感じましたが、そこだけでなく全体的に広がったように思います。私は思わず天井を見上げました。しかし、振動はまったく感じませんでした。」
客室内ではほとんど振動を感じなかったのかもしれないが、「急減圧がなくても,耳を押さえたくなるような、すごく響く音」を伴う衝撃はすべての酸素マスクを落下させるには十分であった可能性が高いと考える。
最後に、本投稿のすぐ前の投稿NO.884で人見徹氏が18時24分37秒頃に鳴った音に関して、客室高度警報音ではあり得ないという解説動画を紹介されている。動画の内容は論理的で興味深いものだ。
https://www.youtube.com/watch?v=OcR5vq9aC1w
Re.(17) 断熱膨張に伴う温度低下の関連性
- 投稿No.881 元投稿No.880 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-23 14:35:19
佐伯さんへ
この音(18時24分37秒頃に1秒間だけ鳴った警報音)に近い音として乗務員が口をそろえるのが、コンピューターによる自動操縦装を解除したときの「告知音」だと言われていたようで、そこから『疑惑』の著者角田氏は37秒の警報音を自動操縦装置解除の警報音ではないかと考えておられたようだが、私が問題にしたかったのは
「事故調査委員会が行った音響分析の報告は最終報告書の3・1・9項(86ページ)から3・1・10項までに記載されているが、この項では37秒の警報音を客室高度警報音と断定している。」
というところだ。
事故調査委員会は高空で離陸警報音が鳴るとは考えにくいというところから、37秒頃に1秒間だけ鳴った警報音を客室高度警報音だと考えた。
しかし、一方で同型機のパイロットでもあった『天命の陳情』の著者村岡伸治氏はこの音に関しては次のように考えられた。
『天命の陳情』 P70~
「この警報音については、自動操縦装置を解除した時の音ではないかとの意見もあり、事故調は調べ直しておられますが、その音はないとのことですので、まず、この点から説明することと致します。
P20からすると、巡航高度24,000フィートに達し、ピッチ(迎角)を安定させ、正に自動操縦装置のスイッチを入れようとした時、ドーン音が発生しているようです。当時は、今とは違い、手動での操縦が重要視されておりましたので、CAPT見習中は、しばしば手動による上昇の練習をしていました。未だ手動操縦であったため、自動操縦装置解除の音は録音されなかったと思われます。事実、添付の朝日新聞のCVR解読記録文の中には、「マニュアル(手動)だから・・・・」とのCAPTの言葉があります。このことから、この1秒間の警報音は自動操縦装置解除の音ではなく、客室高度警報音か離陸警報音の内、どちらかの警報音であったと考えられます。」
この警報音は本来なら、空中では客室高度警報音としてのみ作動し、地上では離陸警報音としてのみ作動する、一つで二つの役目をする、同じ音色の警報音です。また、この警報音は空中では、通常は離陸警報音としては鳴らないものです。従って、どちらの警報音であるのかの識別が困難な訳ですが、作動油圧損失時には、空中であっても、この警報音が離陸警報音として鳴る可能性があると言われていますので、次に、この点について説明致します。
特に、ボディ ギヤ(胴体に取り付けられた脚)に関してですが、ボディ ギヤの空中での格納状態は、脚柱に対し、トラック(車輪取り付け台)がティルト状態(7度19分の傾き状態)であるべきです。このトラックの傾きは、空中で車輪を格納するために必要なものですが、油圧損失時は、そのトラックの傾きがノット ティルト状態になってしまう可能性があるからです。
ボディ ギヤは胴体下部に、前方へ向けて格納されるため、ボディ ギヤの姿勢は、地上では、逆さの天秤状態であったものが、空中でキヤ格納時は、その姿勢は、横向きの天秤状態へと変化することになります。
ボディ ギヤにはティルト角を固定する機械的なロック機能はなく、空中でのティルト角は、油圧により保持されています。そのため、油圧損失時は、脚柱に対するトラックの角度である7度19分のティルト角が保持されないことになります。また、ボディ ギヤの後輪部にはステヤリング(地上走行用ハンドル)のアクチュエーターがついており、前輪部より後輪部の方が、大分重たくなっています。これらの理由で機が急上昇姿勢の時は、脚柱は急上昇姿勢となりますが、トラックは、後輪部の方が重みが大であるため、反対に垂直姿勢(脚柱に対し直角方向)になろうとします。そのため脚柱に対するトラックが、エアモードのティルト状態から、自然とグランド モードのノット ティルト状態へと変化することになります。それをティルト センサーが感知いてしまうと云うことです。この点、添付図を参照して下さい。また、この点の詳細については専門家にお尋ね下さい。
即ち、ノット ティルトのグランド モードになれば、離陸警報音を鳴らすための条件が満たされることになり、空中であっても、この警報音が離陸警報音として鳴ってしまうと云うことです。当機にも、その現象がみられますので、この点に関し、引き続き説明致します。
『疑惑』P225~230には、客室高度警報音の鳴り方に疑問ありと記されています。客室高度警報音は、客室高度が10,000フィートに上昇した時点で鳴り始めるべきですが、当機は飛行高度が約6,000フィートで鳴ったり、止んだりしています。詳しく調べると、飛行高度とは関係なく、機が失速に関係するような急上昇を初めた時(18時47分58秒と48分53秒)鳴り始め、逆に急降下を始める時、(48分26秒)鳴り止んでいます。
『疑惑』P214に記されている18時25分04秒からの警報音こそが、離陸警報音でなく、客室高度警報音そのものであると思います。その理由は、この警報音発生の11秒後である18時25分15秒に、PRAによる放送が、ちゃんと流されているからです。このことは客室高度警報音とPRAが、正常に作動したことを意味することでもあります。この警報音に対しては、エンジニアがうるさいと感じて、どこかで、消音スイッチで消音していると思います。また消音後は、この客室高度警報音は墜落するまで鳴ることはなく、離陸警報音としての音のみが、油圧損失のため、鳴ったり止んだりしたと思われます。フゴイド運動で、機が急上昇時、車輪のトラックがノット ティルト状態になったら鳴り始め、急降下でティルト状態に戻った時、自動的に鳴り止んだと云うことです。この離陸警報音は、うるさいと感じても、該当のサーキット ブレーカーの位置を探し、そのブレーカーを抜かない限り消音が出来ませんので、P230の飛行高度変化チャートと、CVR上での警報音発生のタイミングを照合させてみれば、この警報音が鳴ったり止んだりした理由が、すぐに理解して頂けると思います。即ち、フゴイド運動時、この警報音が鳴ったり止んだりしていると云うことは、そのサッキート ブレーカーは抜かれていないと云うことを意味し、地上でのみ鳴るべき離陸警報音が、空中であったにも拘わらず鳴っていたという、立派な証になっていると云うことです。
『疑惑』P215からすると、エンジニアが油圧損失に気づいたのは18時25分19秒であり、ドーン音発生から45秒後のことです。ドーン音発生後、約1分間はフゴイド運動もなく、ほぼ正常な飛行を続けている様子が、P230のチャートから察せられます。即ち、24分36.5秒(第二次報告では37.2秒)に、この1秒間の警報音が鳴った時は、油量と油圧の損失が始まったばかりであり、未だ油圧損失状態とは言えず、この警報音は、完全な油圧損失で鳴ったものではないと云うことになります。
次に酸素マスクの話だが、吉岡本に記載されている急減圧とマスクに関する落合証言は要するに
「パーン」という音とほとんど同時に、酸素マスクが自動的に落ちてきた。
ということを語られているだけだ。
下記の
「急減圧のとき、酸素マスクがおちてくることは、もちろん知っていました。急減圧は何かがぶつかったり、衝撃があって、機体が壊れたときに起きると教わっていましたから、そういうことが起きたのだな、と考えたのですが、しかし、何が起きたのか想像もつきませんでした。」
急減圧だけではなく、衝撃のため酸素マスクが落下する場合もあるようだ。
※2015年3月27日、プーケット発成都行きのオリエント・タイ航空OX682便が、飛行中に急降下し、昆明に緊急着陸する騒ぎがあった。
現地紙などによると、機材はボーイング737-300型機で、乗客132名、乗員8名の計140名が搭乗していた。
急激な気圧の変化で、耳や鼻から出血する人や失神する人、泣き叫ぶ人もいたとしている。一部の乗客は中耳炎の症状がみられているが、重傷者はいなかった。乗客が撮影した写真では、衝撃のため酸素マスクが落下している。
2つあるうちの1つのエンジンが故障したために客室の与圧に影響があり、降下する必要があったことが原因と見られている。
このような例もあるので、上記の落合証言からは実際に急減圧が起きたことによって酸素マスクが落下したのかどうかは不明ということが佐伯さんならおわかりになられるだろう。因みに、墜落1ヶ月後の多野総合病院で入院中の落合さんが小原医官との受け答えの中では「急減圧ではなかった」と語られている。
Re.(15) 断熱膨張に伴う温度低下の関連性
- 投稿No.879 元投稿No.878 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-22 21:34:41
> それに、客室高度警報は、約30秒後明確に確認されるまでの間も、途切れながら断続的に鳴っています。
佐伯さんへ
『疑惑』(角田四郎著)のP196~P198には次のような記載があるが、記載内容は間違いだと言われるのか?
事故調査報告書(1987年6月19日公開)によると「ドーン」の音が(18時24分)34秒後半から36秒中頃まではいり、警報音は37秒頃の1秒弱だけ鳴っている。しかも警報の種類についてその記述は「客室高度警報音」または「離陸警報音」となっている。
「離陸警報音」は「客室高度警報音」と全く同じ音で区別できない。しかし、離陸に支障がある場合に鳴る警報音であるから、上空で鳴るとすれば、車輪(ギア)を完全に出した状態、つまり機体が離陸前と同じ態勢にあるという条件が必要である。
高空で離陸警報音が鳴るとは考えにくいのである。
事故調査委員会が行った音響分析の報告は最終報告書の3・1・9項(86ページ)から3・1・10項までに記載されているが、この項では37秒の警報音を客室高度警報音と断定している。つまり、3・1・9項の(5)「自動操縦装置解除の警報音について」を見ると、「(前略)CVRの記録からはその際発せられるべき同装置解除の警報音が確認できず、同警報システムについての調査を行ったがその理由を明らかにすることはできなかった」と結んでいる。
百歩譲って、37秒の警報音が客室高度警報音だとしても、それがなぜ1秒弱で切れてしまうのか? その説明は報告書には見いだせない
これは大変重大なことである。急減圧があれば客室高度警報音は当然このとき鳴ったはずである。しかも鳴り続けたはずである。もし1秒たらずで止めた(あり得ないと現役パイロットは証言)とすると、減圧に気付いたことになり、操縦室でも全員がただちにマスクを付けていなければ理屈が合わない。
しかし現実にこの機の操縦室でマスクが使用された形跡は最後までない。(マスクが使用されるとボイス・レコーダーの収音が、マスク内のマイクから入力されるため、確認できる)
Re.(13) 断熱膨張に伴う温度低下の関連性
- 投稿No.877 元投稿No.875 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-22 17:12:26
> 事故機に発生した視界を遮るような白い空気の状態は、霧(液相状態の水の微粒子)ではなく、煙(何らかの燃焼現象に伴うがガスの一種)である可能性は否定できない、ということですね。
> しかし、当方としてはやはり、急減圧に伴う霧と解釈するほかないと考えます。発生と霧散の理由がはっきりしていますし、マスク落下と客室高度警報発報の事実ともよく合致するからです。
佐伯さんへ
コメントを読ませてもらったが、「客室高度警報音」と断定されているところには疑問がある。
『天命の陳情』(村岡伸治著)のP69には以下のような記述がある。
「この警報音については、『疑惑』のP214では、客室高度警報音または離陸警報音となっており、どちらの警報音であるのかについては、解明されておらず、放置された儘になっています。しかし、P196には、この警報音は何の警報音であったのかについて、事故調見解が記されており、事故調は、この警報音は急減圧の発生を知らせる客室高度警報音であり、コクピットクルーが1秒後に消したものと、決めつけてしまっておられます。
即ち、事故調は、この警報音は、どちらの音であったのかについては、曖昧であったにも拘わらず、客室高度警報音であったと、一方的に決めつけてしまっておられると云うことです。
この警報音が客室高度警報音であれば、大規模な急減圧が発生したとの証になるとも思いますが、離陸警報音であったと云うことが判明すれば、その証とはならず、逆に、大規模な急減圧が発生したとの事故調の主張が、否定される可能性があります。私は、この警報音は客室高度警報音ではなく、離陸警報音であったと思いますが、この点については、気づきにくい落とし穴がありましたので、以下に、その落とし穴について説明することと致します。
まず、警報音についてですが、警報音と云うものは、その警報の内容が識別され、うるさいと感じた時に消されるものであり、1秒では、何の警報音かも識別できないと思います。従って、コクピット クルーが1秒後に消したとする事故調見解には、大変な無理があり、とても納得できるものではありません。
事故調が、この警報音を客室高度警報音であると決めつけられた、その理由は、客室内の白濁現象、耳詰まり、酸素マスクが落下した等の生存者による証言があり、その上、酸素マスクが落下した等の生存者による証言があり、その上、酸素マスクが落下している機内写真が証拠品として、提示されたからだと思いました。また、離陸警報音は空中では鳴らないものと学習をしておられたからだとも思われます。
この警報音については、自動操縦装置を解除した時の音ではないかとの意見もあり、事故調は調べ直しておられますが、その音はないとのことですので、まず、この点から説明することと致します。
P20からすると、巡航高度24,000フィートに達し、ピッチ(迎角)を安定させ、正に自動操縦装置のスイッチを入れようとした時、ドーン音が発生しているようです。当時は、今とは違い、手動での操縦が重要視されておりましたので、CAPT見習中は、しばしば手動による上昇の練習をしていました。未だ手動操縦であったため、自動操縦装置解除の音は録音されなかったと思われます。事実、添付の朝日新聞のCVR解読記録文の中には、「マニュアル(手動)だから・・・・」とのCAPTの言葉があります。このことから、この1秒間の警報音は自動操縦装置解除の音ではなく、客室高度警報音か離陸警報音の内、どちらかの警報音であったと考えられます。
この警報音は本来なら、空中では客室高度警報音としてのみ作動し、地上では離陸警報音としてのみ作動する、一つで二つの役目をする、同じ音色の警報音です。また、この警報音は空中では、通常は離陸警報音としては鳴らないものです。従って、どちらの警報音であるのかの識別が困難な訳ですが、作動油圧損失時には、空中であっても、この警報音が離陸警報音として鳴る可能性があると言われています。」
Re.(11) 断熱膨張に伴う温度低下の関連性
- 投稿No.874 元投稿No.866 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-22 00:01:51
> 川上さんが「白い煙」、河口さんが「煙」と表現したことについての疑問ということですね。
> 個人的には、辺りに立ち込める細かく飛び散った水をみずけむりのようだと表現しても別におかしいとは思えません。
> 落合さんは「濃い霧」と表現しているので、霧と表現するか、煙と表現するかは、個人個人の捉え方の差異の範疇ではないでしょうか。
佐伯さんへ
まずは「霧」ではなく「煙」ではなかったのか?という質問に対して丁寧に答えていただいたことに感謝する。
ゆるやかな減圧であれば異変直後に「霧」が発生しない、急減圧が生じたからこそ異変直後に「霧」が発生したという理屈で「煙」ではなく「霧」であればそれが急減圧が起きていたことの証になるということは理解出来た。
佐伯さんの文章が上手いので説得されそうになるが、自分なりには急減圧現象とのからみで考えると違和感を禁じ得ない。
佐伯さんの説明を逆に捉えると異変直後に「霧」が発生したということは必ず急減圧が発生していたと言うことになる。
ところが、急減圧が発生したのなら、それに伴う現象は温度が低下し、空気中の水分が状態を変えて水蒸気になるというだけでは済まないはずだが、まず生存者の証言からは寒かったという言葉が聞こえてこない。
それはともかく、圧力隔壁の一部に穴が空いて急減圧が起きたら断熱膨張が始まり、与圧領域内の空気が圧力隔壁に穴の空いた箇所から一様に非与圧領域内に吸い込まれるように出て行く現象になると理解している。
一方、過去に風のたよりさんと無名さん、佐伯さんとが関係する「天井裏の風?」というスレッドがあったが天井裏も与圧領域なら客室内も与圧領域だ。
天井裏の後方に当たる箇所の圧力隔壁説に穴が空いて急減圧が起きたなら、天井裏にだけ断熱膨張に伴う(垂直尾翼を吹き飛ばすほどの)空気の流れが生じたというのは非合理だ。
天井裏と客室を隔てる天井材の部分は乱気流の度合いによってはシートベルトをしていない乗客が頭を打ち付けることがあるというが、そういった際には天井材が凹むというからそれほど頑丈に出来ているわけでもなく、それぞれが完全に空気の行き来の出来ない独立した密閉状態の関係にあるわけでもないようだ。
それならば垂直尾翼を吹き飛ばすほどの減圧が起きて断熱膨張が始まったなら、天井材そのものが何ともないわけがない。一気に後方に向けて向けてめくれあがってしまうのではないかと考えるが如何?
また、客室内に発生した「霧」については断熱膨張に伴う空気の流れで一瞬で天井裏経由で圧力隔壁の開口部に向けてその他のものと一緒に排出されてしまうと考えるが、生存者はそのような証言はしていないようだ。
そして、温度の低下と同時に減圧に伴う深刻な酸素不足が起きるはずだがパイロット達は最後まで酸素マスクを装着せずに操縦を続けていたというからそれも不可解だ。
やはり私の場合は「霧」ではなく「煙」であったと考えた方がバランス感覚としては違和感が少ない。
Re.(9) 断熱膨張に伴う温度低下の関連性
- 投稿No.865 元投稿No.862 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-20 22:15:42
> 例えばですけど、暖かい湿った空気がゆっくりと山肌を昇って冷え、霧が発生することはよく知られています。
> だから、断熱膨張によらない霧等の発生はあることはあります。
> ただ、事故機で起きた霧発生現象は、ゆっくり起こったものではありません。
> 証言者の言葉を信じるならば、霧が発生したのは、衝撃音の「直後」なのです。
> 衝撃音の直後に、水蒸気が水滴に状態変化できるだけの温度低下があったということですから、断熱膨張による急激な温度低下があったと解釈するほかありません。
> 【瞬時】の「霧の発生イコール急減圧かつ断熱膨張」は成り立っています。
佐伯さんへ
実に説得力のある論理を展開してくれていると感心する。客室内で霧が発生したのなら確かにそのことが急減圧があったことの証になるかもしれない。
それでは今度は佐伯さんに聞いてみたい。
客室内で霧が発生したとされているが、犠牲者の河口博次さんは、遺書に次の様に記されている。
「何か機内で 爆発したような形で
煙が出て 降下しだした」
河口博次さんの遺書には「霧」ではなく、「煙」だと記されている。
ほとんどの識者はこれは「煙」ではなく「霧」の誤りだとされてきた。
ところが『天命の陳情』(村岡伸治 著)という書物の中には以下のような記載がある。
『天命の陳情』57ページ~58ページ
(『疑惑』)21ページには、ドーン音発生直後の瞬間を、地上から目撃された、東伊豆のタクシー運転手・近持芳太郎さん、渡辺武夫さんの証言が記されていますが、「雷のような音がして見上げると、機体後部から灰色の煙を出して、河津駅の上まで水平飛行した。 煙はバスが急坂を上がる時に出す排ガスの色・・・」と、煙の色について、詳しく説明しておられます。
両名は航跡雲(飛行機雲)の発生または急減圧で機内に生じたであろう霧の排出についてではなく、煙そのものの排出について証言しておられると思われますが、この「バスが急坂を上がる時の排ガスの色」との、色についての説明には、注目をすべきであると考えます。
事故調見解による急減圧の発生で、このような色をした煙が発生するとは考えられません。従って、この証言があることで、この煙はどうして生じたのかと云う大問題が派生していますが、この点、機内で何かの爆発物が爆発して、煙そのものが発生し、機内に拡散されたと云うことが、十分に考え出されます。
また、同署105ページ~106ページには
(『疑惑』)P32には川上さんの証言として、「前と後ろから、白い煙のようなものが出てきて、口の中がしびれた・・・」とあり、P86には、吉崎さんの証言として、「ドーンと、ものすごい音がして眼が覚めた、と同時に、白い煙がパーッと入ってきた」とあります。また、P102には、乗客・故河口さんが機内でメモされた証拠品であるその遺書には、「何か機内で爆発したような形で煙が出て・・・」とあります。
私(著者)は、この「煙が出てくる」「煙が入ってくる」との表現は、機内で霧が発生したことを意味すると云うよりも、機内に、煙そのものが発生し、拡散されたことを意味していると思います。
これらの証言はドーン音発生直後の、機内と機外の、一瞬の状況が説明されたものであり、計らずも、機内に煙そのものが発生したことが説明されていると思います。事故調見解の隔壁破裂では、霧の発生はあっても、煙が発生する道理はないと考えます。また、霧で口の中がしびれるとも考えられません。従って、これら「煙が出た」との証言と云うものは、大変に貴重で、重要な証言であり、もっと、緻密に考証をするべきであると考えます。
(書物からの引用は以上)
『天命の陳情』の著者村岡伸治さんは、異変発生直後に客室内に発生したのは「霧」だとされてきたが、実は「霧」ではなく「煙」であった可能性に言及されている。
この仮説を佐伯さんはどのように考えられるかについて聞かせていただきたい。
Re.(5) 断熱膨張に伴う温度低下の関連性
- 投稿No.855 元投稿No.854 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-20 13:15:41
> せきたにさんおよび断熱膨張に伴う温度低下の関連性をご覧の皆さんへ。
風のたより さんへ
何点か確認したい事柄が出てきた。
それを記す前に佐伯さんとはうまくやってもらいたい。どちらも技術屋さんのようだから理に従って話を展開されれば感情的になることはないはず。
そもそも物理の話は一般人にとってはとっつきにくくわかりにくいものだ。
例えば相対性理論と量子力学の話。
相対性理論では宇宙は1点からビッグバンによって生じたと言い、また時空は相対的なものだという。
量子力学では月はそれを見ているときにだけ存在するという。
いずれも一般人にとっては違和感の塊だ。
理論的には量子力学の方に軍配が上がっているようだが、実生活においてはニュートン力学を包括する相対性理論と量子力学は水と油の如く相容れない。
一般人は理解が及ばないながらもそれぞれの立場の話を聞かせてもらいたいと考えるものだ。
本題に入るが、
・高度7,000メートルにおける外気温については
外気温がマイナス17℃であったという事柄についてはもしかしたら外気温はマイナス40℃ではないのかと考えていたが、
標高から気圧・温度を求めるサイト (http://yamatyuu.net/tool/el.html)
を活用して海面の温度30℃、高度7,000メートルを入力してシュミレーションを行うとほぼ近い数字(マイナス15.5℃)が出てくるようだ。
・そうするともう一度「断熱膨張」という現象が起きた場合、飽和蒸気圧曲線と言う物理特性線図に従うと数秒間で客室内の温度は25℃から一気にマイナス40℃まで下がってしまうというが、飽和蒸気圧曲線と言う物理特性線図はあくまでも理論値であって、実際は断熱膨張が起きた場合、一般常識的な感覚としてはエアコンが役に立たなくても、外気温まで下がるのがMAXではないのかという疑問が残る。
・水蒸気が目視された理由について風のたよりさんの説明のあと、佐伯さんが登場いただいて別の説明の仕方をされているが、「風のたより」さんの説明を別の言い方で補足説明されているだけなのか、それとも本質的に違う事柄を言われておられ、水蒸気の件に関してはどちらかが間違った説明になっているのか?
Re.(2) 断熱膨張に伴う温度低下の関連性
- 投稿No.850 元投稿No.846 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-20 00:14:07
> 123便が事故調査報告書にあるような大穴が空いて一瞬にして外気圧の0.3気圧まで低下(急減圧)したのであれば断熱膨張という現象により機内の温度がマイナス40℃迄低下します。
> この現象は飽和蒸気圧曲線と言う物理特性線図に従って圧力と気温が変化します。
> そして、断熱膨張の途中に機内の空気中に溶け込んだ目に見えない水蒸気が目で見て判る大きさに膨張することで霧として目視出来るようになります。以上のことは事故調査報告書にあるとおりです。
> しかし、機密が破れた際の気圧低下が時間を掛けてゆっくり起きる場合は、断熱膨張と言う現象ではなくなります。そうなると気温の低下も緩やかになりマイナス40℃まで下がることはありません。せいぜい高度27000ftの外気温のマイナス17℃までです。こうした状況であれば、エアコンにより半袖姿でも寒いと感じないプラス10℃前後に保たれる可能性があります。私は後者の減圧すなわち緩やかな減圧があったと考えます。
> 以上です。
風のたよりさんにもう一度質問をさせていただく。
先ほどの説明で一度は納得したような気持ちになったが、外気温はマイナス17℃だと記されてあった。
事故調は圧力隔壁の穴は2㎡だとされているようだが、それはもう少し小さかったはずだとかいう説もあるようだがそれはともかくとして、私は急減圧が起きて圧力隔壁説が破れ、それに続いて垂直尾翼が吹き飛ぶことによって外気と直接触れ合ってしまったならばやがて客室内は外気温と同じ温度まで下がってしまうのだろうと考えていた。
ところが、風のたよりさんの回答によると断熱膨張が起きた場合は外気温のマイナス17℃よりも低いマイナス40℃になってしまうと言われる。
そこのところの理屈が今ひとつ解らない。
断熱膨張が起きると外気温よりも更に温度が下がってしまうのかの理屈をわかりやすく教えてもらえないだろうか。
Re.(2) 断熱膨張に伴う温度低下の関連性
- 投稿No.847 元投稿No.846 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-19 23:16:44
> 123便が事故調査報告書にあるような大穴が空いて一瞬にして外気圧の0.3気圧まで低下(急減圧)したのであれば断熱膨張という現象により機内の温度がマイナス40℃迄低下します。
> この現象は飽和蒸気圧曲線と言う物理特性線図に従って圧力と気温が変化します。
> そして、断熱膨張の途中に機内の空気中に溶け込んだ目に見えない水蒸気が目で見て判る大きさに膨張することで霧として目視出来るようになります。以上のことは事故調査報告書にあるとおりです。
> しかし、機密が破れた際の気圧低下が時間を掛けてゆっくり起きる場合は、断熱膨張と言う現象ではなくなります。そうなると気温の低下も緩やかになりマイナス40℃まで下がることはありません。せいぜい高度27000ftの外気温のマイナス17℃までです。こうした状況であれば、エアコンにより半袖姿でも寒いと感じないプラス10℃前後に保たれる可能性があります。私は後者の減圧すなわち緩やかな減圧があったと考えます。
> 以上です。
風のたより さんへ
早速の回答、そしてわかりやすく解説していただいたことに感謝します。
「断熱膨張」という現象はおそらく日常生活の中では経験しない事柄だ。
「断熱膨張」が起きると25℃ぐらいの気温が数秒間のうちに一気にマイナス40℃まで下がるというのは恐ろしいことだ。
それにしてもあの墜落事故で生存者がいて機内の様子を語ってくれたのは奇跡に値する。
もしも生存者がいなければ相模湾上空で断熱膨張が起きていなかったということが判明しなかったかもしれない。
断熱膨張に伴う温度低下の関連性
- 投稿No.845
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-19 21:05:53
「風のたより」 さんへ
『隠された証言』(藤田日出男 著)108ページに次のようなことが記されていた。
断熱膨張に伴う温度低下の関連性について、述べられていることは合っているだろうか?
ここは風のたよりさんに教えていただきたい。
「気体は熱を加えてエネルギーを与えると、膨張する。
逆に熱を与えないで機械的に膨張させると、温度が低下する。これを「断熱膨張」と呼んでいる。
飛行機の胴体に穴が開いて発生する減圧は、この「熱の加えられない」断熱膨張である。そのため必ず気温は低下する。
事故調査委員会の計算でも65度気温が低下したはずだと試算されている。
お盆のさなか、誰もが夏服を着ている時季に、数秒間で65度も気温が下がり、氷点下40度まで室温は低下したと報告書には書かれている。
このような温度低下は急減圧では必ず起こる現象である・・・」
Re.(27) 富士山目撃にかかる検証
- 投稿No.819 元投稿No.647 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-16 11:59:20
> 私としましてはやはり角田さんの目撃は高度が低すぎる事から123便ではないような気がします。
> > 「360度の右旋回は実は2回あったのではないか」
> これについても私は「0回」目線で考えておりましてどうだろうかと頭をひねっております。
> 360°旋回をしてしまっのか、させたのかも不明ですし、そうなった理由、原理も要検討でしょう。どちらにしてもですが、会話に意図的である事を示す言葉はありませんし、進む方向についての言葉もないのがやはり不可解です。
> もう一つ謎なのは航跡図にいつの段階で大月に輪が出来たのか と言う事です。初期報道ではなかったものが、この小松便の図からは輪が付いています。それまでレーダーによるとされる航跡だったが、いつの間にかDFDRの記録も反映されただろうものに変わってしまっているようです。
> 小松便の件は単純な話ではないのかも知れません。
文系ちゃん へ
航跡図で大月の輪がいつ出来たのかということはともかく、次の目撃情報から異変発生後も右への急旋回は出来ていたと考えるが如何。
「川上村梓山地区の上の畑に出て家族みんなで二毛作の白葉ヤレタスを植えていた。キャベツなどの収穫が終わった直後の野菜畑上空の天気はよく、空もまだ明るかった。午後6時50分を過ぎアレッ飛行機がこんなところに何でと南の五郎山の方から風に流されるようにエンジン音がほとんどしなく、ゆっくりと低空飛行で翼の文字が見えるくらいの飛行機が飛んできた。
とてもゆっくりとした低空飛行だったのでびっくりして、こんな時間に飛行機に乗っている人もいるんだなと言いながら、でもちょっと気になって、ずーと眼で追っていた。これだけ低い所を通るのにエンジン音が静かだったのが不思議だった。そのことが気になって、気になって『変だよね』と言っていた。音がしていなく、ちょうど風に流されているような感じだった。
すると急に頭上で旋回を始めたから、『ちょっとあれおかしいよ』と家族全員が立ち上がっておかしい、おかしいと見ていた。まったく見事に真上の頭上で上野村の方に右旋回を始め、向きを変えた。
(『鎮魂』(池田昌昭 著) 31ページ)
【日航機墜落事故㊿】(ワタナベケンタロウ動画) 感想
- 投稿No.768
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-15 15:08:47
【日航機墜落事故㊿】(ワタナベケンタロウ動画)
https://www.youtube.com/watch?v=suNWWUxxqZY
によると、特に国防で問題なのは2017年に国会で審議された自衛隊日報問題だという。
この問題は自衛隊海外派遣部隊がイラクや南スーダンで活動した際、日報をとりまとめていたにもかかわらず、日報は処分されて存在しないと発表して防衛省や自衛隊が、国民や国会に対してその存在を隠蔽していた事実があったことが発覚した。
これは後の再調査で自衛隊統合幕僚監部に電子データが残存していたことが判明する。
8.12連絡会(遺族会)に対する前橋検察庁山口裕介検事の「原因を究明すれば戦争になる」発言は気になるが、日航機墜落事故における事故調査報告書の内容においても国防上の問題で重要な事実が隠蔽されているのだろうか。
Re. 池田昌昭です。(4)
- 投稿No.745 元投稿No.740 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-14 22:30:26
> 方向舵
> 奇想天外だが、あるいはこう考えられないか。
> JAL123便の垂直尾翼は、破壊されていない。
> 破壊されたのは、JAL123便の方向舵である。
> ではどうやって、JAL123便の方向舵だけが「ドーン」の時に、破壊されたのか。
> JAL123便の方向舵が、当日午後6時24分過ぎの「ドーン」にちょうど合わせて、噴っ飛ぶように仕掛けられていたのではないか。
池田昌昭 さんへ
機内爆発物に関する話では『天命の陳情』(村岡伸治 著)という書物の中に興味深い記載があります。
同書57ページ~58ページ
(事故調査報告書)21ページには、ドーン音発生直後の瞬間を、地上から目撃された、東伊豆のタクシー運転手・近持芳太郎さん、渡辺武夫さんの証言が記されていますが、「雷のような音がして見上げると、機体後部から灰色の煙を出して、河津駅の上まで水平飛行した。 煙はバスが急坂を上がる時に出す排ガスの色・・・」と、煙の色について、詳しく説明しておられます。
両名は航跡雲(飛行機雲)の発生または急減圧で機内に生じたであろう霧の排出についてではなく、煙そのものの排出について証言しておられると思われますが、この「バスが急坂を上がる時の排ガスの色」との、色についての説明には、注目をすべきであると考えます。
事故調見解による急減圧の発生で、このような色をした煙が発生するとは考えられません。従って、この証言があることで、この煙はどうして生じたのかと云う大問題が派生していますが、この点、機内で何かの爆発物が爆発して、煙そのものが発生し、機内に拡散されたと云うことが、十分に考え出されます。
(書物からの引用は以上)
Re. 続・航跡の考察
- 投稿No.705 元投稿No.704 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-12 15:08:51
> スクォーク7700の発出が18:25、EMG表示により空域確保が行われていた。
> その一方で、18:40頃、全日空757便機長が、123便の姿を3分ほど目撃している。
> 擬装機云々の荒唐無稽な話は脇においておきましょう。
> 少なくとも、この時点の123便には、追随する他の航空機はいなかったことが、小松便の機長により証明されますが、これは相違ございませんでしょうか?
> また、藤枝市の女性による低空飛行目撃証言も、虚偽または空想と結論付けられる、という認識でよろしいでしょうか?
> 藤枝市の機体が「擬装機」であるなら、これに追随機がいるのはおかしな話です。逆に、757便機長が目撃したのが「擬装機」であるなら、これまでの考察はすべて無駄になります。
> 落合証言から、超低空飛行なども出てきませんし、焼津市、静岡駅の目撃証言でも、「地表すれすれ」や「数分違いで別の飛行機をみた」という表現はありませんから、藤枝市の目撃情報については、信憑性ゼロと推察しますがいかがでしょう。
見学者 さんへ
落合証言では
「ゆっくりと左右に大きく旋回しているような動きがはじまったのは、酸素マスクをして、しばらくしてからです。」
と記され、続けて
「飛行機はあいかわらず旋回をくり返すように左右の傾きをつづけます。振動などは全然ありません。とにかく、くり返し、左右に傾いているという揺れ方がつづきました。」
と記されていますが、その表現は
村上良平さんが東伊豆の相模湾上空で異変発生後
「機体が大きく左右にゆれている」 と記されている箇所と一致するのではないかと考えています。
落合由美さんはそのあたりを飛行しているときの情景描写として、
「私の席に近い左の窓から見えたのは、まっ白な雲だけでした。かなり厚い雲で、地上は見えませんでした。」
「こうしているあいだも、飛行機が降下している感じは、ほとんどありませんでした。」
と記されていますので、その頃は機体が大きく左右にゆれながら、雲よりも上を飛行し続けていたことになるのではないかと考えます。
一方、高度5,400メートルを維持しながら飛行していた小松便の機長が座間ポイント東9キロの地点で18時30分過ぎに右斜め上に日航機を目撃したというのであれば、そのときの日航機の高度は5,400メートルよりも高い雲の上で、富士山の東側を通過していた可能性が高いものと考えます。
偽装機の可能性を除いて考えると、藤枝の上空を低空飛行していたという目撃情報の信憑性については以上の理由から疑われるべきではないかと私は考えています。
Re.(27) 富士山目撃にかかる検証
- 投稿No.652 元投稿No.647 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-10 21:59:15
> にてRW15Lを離陸したとした場合の推定航跡をUPしております。宜しければこちらもご覧下さい。
> 34分より前に見るためにはRW22での離陸が必須となります。当日そうだったの証拠がでるか、確定に至らないにしても可能性があった根拠なりがないと厳しいのかもしれません。
文系ちゃん へ
RW15Lを離陸したとした場合の推定航跡を見せてもらいました。
RW15Lを離陸した可能性の方が高いと言うことでしょうか?
落合証言並びに村上良平さん、河口博次さんの遺書と小松便機長の証言との整合性を考えたとき、私なりにはやはり小松便はRW22での離陸だったのだろうと推測します。
> 私としましてはやはり角田さんの目撃は高度が低すぎる事から123便ではないような気がします。
角田四郎さんの目撃情報によると大月上空を360度右旋回中は既に降下中ではなかったようです。急降下したのは富士山の東側を通過してから大月に向かうまでの間であったと考えます。
「飛び去ったと思った飛行機がその山の右へひょっこり顔を出した。今度は西に向かっている。さっきよりは距離があって小さく見えるが、あまり上昇していないと感じた。」
(『疑惑』(角田四郎著)55ページ)
Re.(25) 富士山目撃にかかる検証
- 投稿No.640 元投稿No.638 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-09 23:36:37
文系ちゃん へ
文系ちゃんが投稿NO.334で掲載の小松便と日航機の航跡図
http://imepic.jp/20211219/585220
を参考に小松便機長の証言、落合証言、角田四郎さんの目撃談並びに河口博次さんの遺書内容を考え合わせて整合性のある日航機の航跡図を考えてみた。
投稿No.597でAさんが小松便の機長の証言に関して記載のある1985年8月16日付け新聞記事を紹介してくれている。
https://d.kuku.lu/c48ce627d
新聞記事には小松便の機長の証言として「18時30分過ぎ、座間ポイントの東9キロ地点で前方のやや右上部に123便の機影を視認した。」
とある。
小松便機長の証言と落合証言から受ける印象から私はそのとき小松便の機長が目視された機影は富士山の東側を左旋回しながら通過している時点の日航機だったと考えている。(そうすると、18時半過ぎに富士山の東側を通過するためには東伊豆の相模湾上空で異変が起きた後は必然的に日航機はあまり西の方向には行けていなかったことになる。)
「123便は見え始めてから約3分後、右後方へ去っていったが、機長の視界から消え去る寸前も「必死で右旋回(羽田方向へ戻る)の努力を続けているように見えた。」という。」
犠牲者 河口博次さんの遺書には
「今6時半だ 飛行機はまわりながら 急速に降下中だ」
とあるのは落合証言と小松便機長の証言を考え合わせると富士山の東側を左旋回しながら通過した後は右旋回しながら急降下していったのではないかと考えると小松便機長の証言と合ってくる。
ところで小松便の機長は見え始めてから3分後に見えなくなったというが、18時30分過ぎから3分後というとまだ18時33分過ぎのことだ。
一方大月では地上から右旋回しながら飛行しているのを目撃したという目撃談がある。
『疑惑』の著者角田四郎さんの目撃談(同書54ページ~56ページ)によると、
18時40分~18時41分にかけて低空を北から南に向けて少し右に傾きながら飛行する民間航空機を目撃したことが記され、今度は18時43分~18時44分頃にかけて飛び去ったと思った飛行機が今度は西の方角に向かって飛行する姿を目撃したこととの両方が記されている。
また、その直後に日航機とは別にごく小さな機影が北西に向かって夕焼けの中をどんどん小さくなっていく姿を目撃された。(北西に向かう小さな機影は後に小松便だとわかる)
角田四郎さんが大月上空で目撃されたのは日航機であったと考えているが、角田さんが北から南に向かう日航機を最初に目撃されたとき、時刻は既に18時40分だった。
そうすると小松便の機長が18時33分過ぎに「必死で右旋回(羽田方向へ戻る)の努力を続けているように見えた。」という目撃談との間に時間のギャップが生じる。
これはどう解釈すれば良いのだろうかと考えていたら、ふと次のような考えが浮かんできた。
「360度の右旋回は実は2回あったのではないか」
1回転目の右旋回しようとしているところ(1回転目の360度右旋回は大月上空でなくても良い)を小松便の機長が目撃し、2回転目の360度右旋回をしているところは角田四郎さんが大月上空を右旋回しながら低空飛行する日航機を目撃されたのだとしたら辻褄が合ってくるがどうだろうか。
Re.(17) 富士山目撃にかかる検証
- 投稿No.616 元投稿No.613 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-07 22:29:42
> あれ。一つ疑問が出ました。
> Kさんの姿勢が安全姿勢だったかどうか、L5ではなく単に「後ろのドア」、と言ったのを要約して証言しただけかもしれない、などの当方の見解は一旦横において、ちょっと論点ずらして申し訳ないんですが、なぜ「L5」のドアなんでしょう。
> L5には受け持ち担当の客室乗務員がいたはずで、事実落合さんもそれは証言の中で出していました。後ろの席に着席したとも。
> この時点で、R5のドアが使用不可だった、ということを落合さんは知っていたんでしょうか。
見学者さんへ
JAL123便客室乗務員配置画像
http://electronic-journal.seesaa.net/upload/detail/image/EFBCAAEFBCA1EFBCACEFBC91EFBC92EFBC93E4BEBFE5AEA2E5AEA4E4B997E58B99E593A1E9858DE7BDAEE59BB3-thumbnail2.jpg.html
によるとR5のもL5にも受け持ちの客室乗務員が配置されていたことがわかる。
ところが、落合証言によると
「私は「56C」にもどりました。L5のスチュワーデスは通路をはさんでふたつうしろの空席に座りました。」
とあるので、L5受け持ちの客室乗務員は救命胴衣の装着を指導した後、所定の席には戻らなかったことになる。
R5のドアについてはCVRの中に「R5のドアブロークン」という言葉があったことを思い出すが、相模湾上空で異変が起きた際、そのドアの周辺で何かが壊れたのかもしれないと考える。
「うしろのL5のドア」は「後ろのドア」と言っただけの言葉を落合さんが後付けで語られた可能性があるということだが、
「緊急着陸して、私がもし動けなかったら、うしろのL5のドアを開けて、お客様をにがしてやってください」
といった極めて大事な事柄を非番とはいえ客室乗務員の落合さんが安全姿勢を取ったままの状態であるKさんに語り、Kさん側はそのドアの位置を自分の目で確認もせずに座ったまま顔だけを落合さんの方に向けて「任せておいてください」と答えたということだったのだとすればやはりある種の違和感を覚える。
Re.(15) 富士山目撃にかかる検証
- 投稿No.612 元投稿No.609 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-07 16:07:48
> > 描写の証言はあると考える。
> > 「安全姿勢をとる直前、私はとなりのKさんに言いました。「緊急着陸して、私がもし動けなかったら、うしろのL5のドアを開けて、お客様をにがしてやってください」と。Kさんは「任せておいてください」と、とても冷静な声で言いました。」
> > この会話が交わされたとき、Kさんとは対面であったと考えるのが自然だ。
> > そうではなく、既に安全姿勢を取っていたKさんに上記の話をしたというのなら
> > 違和感がある。
> つまり、「描写の証言」はないという認識は間違いないですね?
> なぜなら、双方が推察で物事を考えています。直接的に、「Kさんは安全姿勢をとっていましたが」などとは書いておりませんから、「描写の証言はありません」に誤りはございませんね?
> その上で、例えば鈴木さんという自動車工場の事務員が、自動車修理で車両の下に潜り込んでいる整備士に、「奥さんから電話です」と伝え、「はーい」と返事をもらったたとしましょう。
> 鈴木さんは、「整備士に、奥さんから電話があったことを伝えたら、了承の返事があった」という認識になります。
> そのとき、その時点でとり得る姿勢を確保している場合には、特段矛盾は生じません。
> これは、証人尋問の際によくある例です。隣から返事があった、だからみているものと思った。実際には、相手はスマホを見ていたり、よそ見をしているなどして、証人と同じものを見ていたとはいえないわけで、目を合わせて会話をしたという「必然性」がなければ、その違和感は単なる想像になります。
> むしろ、Kさんが客室乗務員を無視して、安全姿勢をとらずにいたのだとしたら、それはそれで問題です。そちらの方が違和感です。
> 安全姿勢をとった状態で、Kさんは(名前を知っているのだから、当然自己紹介はあったのでしょうから)名前を呼ばれ、そのまま落合さんに顔だけを向け、「任せてください」と言ったなら、特に違和感はないと考えますが。
> むしろ、それまでとっていた安全姿勢からもとに戻って会話しますか?客室さん無視して安全姿勢をとらずにいますか?どちらも不自然です。
見学者さんへ
それが不自然だと言われるのももっともだが
「安全姿勢をとる直前、私はとなりのKさんに言いました。「緊急着陸して、私がもし動けなかったら、うしろのL5のドアを開けて、お客様をにがしてやってください」と。Kさんは「任せておいてください」と、とても冷静な声で言いました。」
この会話が交わされたとき、「うしろのL5のドア」の位置を落合さんが対面のKさんに手ぶりで示されたものと想像する。
そのとき既にKさんが安全姿勢を取っていたとすれば「うしろのL5のドア」という言葉だけでそのドアの位置が認識できていたということになるが、Kさんは乗務員ではないのでやはりそれも不自然だと考える。
Re.(13) 富士山目撃にかかる検証
- 投稿No.606 元投稿No.603 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-07 12:43:14
> > 確かに単に左に見えるという条件だけなら、特にA席にいたKさんは48分を過ぎてくれば見えたのでしょうが、落合さんは目線だと真横はKさんですので斜め前に見る必要があるかと思い外しました。見え方としても機体の機首方向が変わって行くのに合わせて窓枠後方から現れるようになるなってしまうかな と。
> 重要なことをお忘れかと。
> それ以外の時間帯は、確かにKさんがいますが、身体を少し前に傾斜すれば、Kさんは窓にかかりません。
> そうではなく、重要なことは、「Kさんが安全姿勢をとっていること」です。
> 直接、その描写の証言はありません。
描写の証言はあると考える。
「安全姿勢をとる直前、私はとなりのKさんに言いました。「緊急着陸して、私がもし動けなかったら、うしろのL5のドアを開けて、お客様をにがしてやってください」と。Kさんは「任せておいてください」と、とても冷静な声で言いました。」
この会話が交わされたとき、Kさんとは対面であったと考えるのが自然だ。
そうではなく、既に安全姿勢を取っていたKさんに上記の話をしたというのなら
違和感がある。
Re.(8) 富士山目撃にかかる検証
- 投稿No.586 元投稿No.581 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-05 23:32:21
この事故に関心を持ったきっかけとなったのは角田四郎さんが著された『疑惑 JAL123便墜落事故』という書物だった。
この書物の中で角田さんご自身、航跡図と照らし合わせると富士山が左側に見えるのは大月上空で360度の旋回中しかないと述べられていたことを思い出す。
ところが落合証言を繰り返し読み返してみると、それではどうしても腑に落ちないことがあることに気が付いた。
それは、落合証言では雲の上から左側やや下方に富士山を見ていることが記されているのだが、一方角田四郎さんの目撃談は低空飛行をしながら大月上空を旋回しているところを目撃されているところだ。
私は角田四郎さんが目撃された飛行機が偽装機だったとは思わないが、そうすると航跡図とのギャップが出てしまう。そのギャップはどうして生じているのだろうかと考えたことがある。
藤枝や焼津あるいは静岡駅で目撃されたという飛行機もそうだが、偽装機という概念はJAL123便があらかじめ墜落することがわかっていて、その墜落原因を隠したい場合にだけ可能性がある話だとは考えるが、それ以外は偽装機を飛ばして目くらましをする必然性がないと思う。(荒唐無稽だと言っているわけではない)
ただ、墜落直前の川上村においても目撃情報に顕著な相違点(甲武信ヶ岳から川上村に来た後、西に向かって時計回りの航路で飛行して最後は急降下し、御巣鷹山に墜落したという情報と、川上村に来た後は北東に向きを変えて三国山上空まで飛行したが、その位置で今度は左旋回(反時計回りの航路を辿った)した上で急降下し墜落したという2通りの目撃談がある)があることについては不審な気持ちを持ち続けている。
航跡図が正しかったとしても文系ちゃんの仮説の通り、大月上空を360度の右旋回中は機体にバンクが生じ、富士山を左下には見えにくい、むしろ富士山を左下に見られたのは左旋回中ではなかったのかという印象と個人差があるかもしれないが、落合証言の富士山に関連する描写から受ける印象だ。
富士山の左側通過に関しては落合証言の中には富士山を左下に見ながら通過するまでの間、急降下したという表現がないことと、犠牲者の村上良平さん並びに河口博次さんの遺書整合性を考えた上でのことだった。
「ゆっくりと左右に大きく旋回しているような動きがはじまったのは、酸素マスクをして、しばらくしてからです。
「パーン」という音から、たぶん10分くらいしてからのように思います。」
(『墜落の夏(吉岡忍著)』落合由美さんの手記からの抜粋)
落合由美さんは「パーン」という音から、10分くらいしてからゆっくりと左右に大きく旋回しているような動きがはじまったと言われている。
一方で〈ボーン〉という音を聞かれた直後の機体の様子について、地上からの目撃者は次のように語っておられる。
東伊豆、河津町のタクシー運転手、近持芳太郎さん(58歳)と渡辺武夫さん(51歳)は河津駅前のベンチで休憩中に、この瞬間を目撃した。
「海側の北東上空で雷のような〈ボーン〉という音がした。見上げるとジャンボ機は機体後部から灰色の煙を出して駅の上まで水平飛行した。」
「駅の上まで水平飛行した」とあるので、ゆっくりと左右に大きく旋回するような動きはこの時点ではまだ始まっていない。
一方で犠牲者の村上良平さんの遺書には
機体が大きく左右にゆれている
18・30 急に降下中
と記されてあった。
ということは、機体がゆっくりと左右に大きく旋回しているような動きがはじまったのは地上からの目撃者が上空で〈ボーン〉という音を聞いた後で、かつ18時30分よりは前のことであったことになる。
落合証言では左右に大きく旋回しているような動きが続く時間軸の中で
「揺れはいっそう大きくなりました。もう立っていることはできないほどです。救命胴衣をつけ終わってすぐに、ほとんどいっせいに安全姿勢をとりました。」と記されている。
左右の揺れは徐々に大きくなり、富士山を左下に見る直前は立っておられないほど機体が左右に旋回していたことになる。
ところが18時30分よりも前に「機体が大きく左右にゆれている」と記されていた村上良平さんが
18時45分「機体は水平で安定して」 と記されている。
18時45分に「機体は水平で安定して」いたということは、落合由美さんが、富士山を左下に見られたのはこの時刻よりも前のことであったことになるのではないか。
そうすると航跡図の中では大月上空しかないことになるが、大月上空360度の右旋回中では文系ちゃん指摘の通りどうもしっくりと来ないものが残る。
Re. 富士山目撃にかかる検証
- 投稿No.555 元投稿No.547 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-05 06:53:50
> また、焼津でも目撃証言があることは、朝日新聞記者著書のとおり。
確かに「日航ジャンボ機墜落」(朝日新聞社会部編)42ページに下記の目撃情報があったことが記載されている。
午後六時半過ぎ、静岡県焼津市石津、漁業原崎三夫さん(57)は飛行機音に気づいて見上げると、ジャンボ機が翼の上下を三度ほど繰り返して北の雲の中に消えた。「いつもは西へ向かうのに、真っすぐ北上したので変だなと思った」
国鉄静岡駅南側では、静岡市田町三丁目、公務員飯塚利明さん (36)が、西南から進入して来て、駅方向に右旋回し、今度は左へ翼を傾けてS字状に旋回するジャンボ機を見た。「変な動きをするので、墜落するのではないかと直感的に思った」
航跡図によると焼津のあたりは高度20,000フィート以上の飛行位置となっているが、地上からの目撃情報からはもっと低空ではなかったのかという印象を受ける。
また、上記二つの目撃情報が正しければジャンボ機として目撃された飛行機は焼津上空から静岡駅上空の方向に向かったことになるが・・・。
Re.(6) 事故調発表の航跡図が信用できない理由
- 投稿No.481 元投稿No.478 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-03 07:08:34
> 合理的に考えれば、18:48以降急降下までの時間で、かつ急降下に近接した時間帯に、富士山を見ていることは明らかです。
> 逆に、落合証言を引用しながら、その一部を無視するのはどういう了見でしょうか?
見学者さんへ
投稿NO.238と293で文系ちゃんに紹介いただいた愛媛新聞の記事
http://imepic.jp/20211121/193410
では10分ほどして酸素がなくなったと記されている。
一方、吉岡忍著「墜落の夏」では18分くらいと記されているが、その際の説明として次のように記されている。
「いつだったか、私がフライトをしていたとき、お客様から、酸素マスクは何分くらいもつのか、と訪ねられたことがありました。全員が吸った場合、18分くらい、と計算したことがあります。そのくらいの時間が経過していたのかもしれません。」
愛媛新聞の場合との相違点は吉岡忍著『墜落の夏』では理論上の計算値に合わせて18分と語っているような印象を受ける。
私は酸素が出なくなった経過時間については墜落事故直後の取材に基づく愛媛新聞の方が真相に近かったのではないかと感じている。
更に犠牲者遺族の小田周二氏が「航空事故調査報告書」の事故原因内容について記された文献の中には次のように記されている。
1985年9月17日 航空自衛隊小原甲一郎医官が落合由美氏に「減圧での乗客の症状」について事情聴取したときの記述として
小原医官は誘導尋問で「10分間しか酸素マスクが作動しなかったが、落合氏はどうか」と質問した際に
この酸素マスク有効の10分間の間で乗客は救命具を着用しており、落合氏は乗客に着用を指導している。落合氏は「自分自身では、意識、具合が悪くなることはなかった」と回答している。
富士山が真横に来た時安全姿勢⇒すぐに急降下始まる
については、相模湾上空で異変発生後墜落するまでの間で急降下が2回あったと考えている。
犠牲者の村上良平さんが「18・30 急に降下中」
河口博次さんが「今6時半だ 飛行機はまわりながら急速に降下中だ」
と記されていることと考え合わせると
富士山が真横に来た時安全姿勢を取った直後に大月上空に向けて左右への旋回を繰り返しながらの急降下があったと考えており、安全姿勢を取ったのはその急降下がはじまる直前だと考えている。
落合証言で富士山を左下に見るまでの間にこの急降下のことが記されていないのは、安全姿勢を取った後のことだったからだと考えている。
落合由美さんが吉岡忍著『墜落の夏』で
「安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺すぶられるのを感じました。船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。」⇒「そして、すぐに急降下がはじまったのです。」⇒「墜落」
と記されているのは、明らかに三国山頂上から御巣鷹山の尾根に向けての急降下だ。
Re.(4) 事故調発表の航跡図が信用できない理由
- 投稿No.475 元投稿No.473 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-02 22:26:38
> であるならば、位置関係から考えると、18:51以降ではないでしょうか。
> 大月上空の旋回中、安全姿勢はとっていません。ブレイスポジションを指示されたのは、急降下がはじまる前です。
見学者さんへ
落合証言を時系列的に記すと
「私は羽田にもどれればいいな、と感じていました。しかし、まだ雲の上で、高度も高いし、ちょっと無理なんじゃないかな、とだんだん不安になってきました。しかし、ライフ・ベストが座席の下にあることがわからないお客様や、わかっても、ひっぱって取りだすことがわからないお客様も少なくありませんでした。私の近くにも、ベストの場所がわからなくて、取り乱している若い女性の人たちがいました。そのときになって私は、席を立って、お客様のお手伝いをはじめたのです。お客様はこのときはじめて、座席ポケットのなかの『安全のしおり』を取りだしました。」
「全員が救命胴衣をつけ終わるまでに五、六分かかりました。」
「揺れはいっそう大きくなりました。もう立っていることはできないほどです。救命胴衣をつけ終わってすぐに、ほとんどいっせいに安全姿勢をとりました。」
落合証言によると全員が救命胴衣をつけ終わるまでの経過時間は五、六分だったと言われており、救命胴衣をつけ終わってすぐに、ほとんどいっせいに安全姿勢を取ったと言われている。
そうするとどうして大月上空を旋回中の時点で安全姿勢はとっていないと言えるのか?
Re.(2) 事故調発表の航跡図が信用できない理由
- 投稿No.471 元投稿No.467 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-02 20:45:37
> 安全姿勢をとったタイミングから考えるに、これは青梅でレフトターンして、御巣鷹山方面へ飛行している時、と考えるのが合理的ですが、その時の高度では「左下に見ることはできない」のはなぜでしょうか。
> また、雲の話をされておられますが、山肌に雲がかかっていたわけですよね?
> 着席位置から見て、水平に窓の外を見たとき、その水平位置より下にあれば、「左下」と表現することは矛盾していないと考えます。
> 18:53頃、高度は約13,000ft。富士山より飛行高度は高いですが、この時点での富士山目視とは考えられませんか?
見学者さんへ
青梅でレフトターンして、御巣鷹山方面へ飛行している時の18:53頃といえば甲武信ヶ岳上空あたりを長野県川上村に向けて北西方向に向けて飛行していたはず。
(18:55頃には長野県川上村上空なので)
「事故調発表を元にしたJAL123便飛行航跡略図」 ⇒ https://geolog.mydns.jp/www.geocities.co.jp/y190804/koseki.html
その場所における飛行方向からは客席から見て富士山は左後方の位置となり、振り返るように見ないと富士山は視界に入ってこない。距離もある。
落合証言の
「左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。」とはならない。
事故調発表の航跡図が信用できない理由
- 投稿No.461
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-01-02 12:36:25
落合証言の中に『56C』の席に戻り、安全姿勢を取る直前、富士山を左下に見ながら通過したということが記されてある。
(ライフベストの装着を手伝った後)「私は『56C』にもどりました。」
「安全姿勢をとる直前、私はとなりのKさんに言いました。『緊急着陸して、私がもし動けなかったら、うしろのL5のドアを開けて、お客様をにがしてやってください』と。Kさんは『任せておいてください』と、とても冷静な声で言いました。Kさんと言葉をかわしたのはこれが最後です。」
「そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。」
上記の証言の中で
「窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。」
「夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。」
とあるところから、この目撃情報は富士山を左手にして雲の上を飛行していた機内からのものであることを意味する。
事故調発表を元にしたJAL123便飛行航跡図によると、雲の上から富士山を左側に見ることが出来るのは大月上空で360度の右旋回をしていたときだけだが、投稿NO.259で「文系ちゃん」が大月上空ではロール角の関係で無理なことが分析されている。
大月上空で360度の右旋回中で富士山を左手にするあたりは旋回円の中心に向けてバンクが取られている(機体の右側が旋回円の中心に向けて下がり、機体の左側が旋回円の外側に向けて上がる)はずで、
投稿NO.259には「その頃はロール激しく水平までは戻らず、40秒の時は右へ48〜21度、50秒の時は42〜18度のロールとなっており、落合様の座高にもよりますがB席相当のC席からでは窓まで1mほどの距離があり、窓の視界的に山頂すら視界に入らないものと判断しました。」とある。
大月上空よりも後で富士山を左手にするのは18時56分の墜落直前になるが、そのときの機体の高度では富士山を左下に見ることは出来ない。
事故調発表の航跡図が信用できないと言っている理由は以上の通りだ。
Re.(5) 垂直尾翼点検口の蓋?
- 投稿No.404 元投稿No.402 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-29 15:28:03
> 「検証」では、最初に非与圧部の静的な内圧による破壊強度試験で尾翼が吹き飛ぶに必要な静圧を求め、
> その圧に達するための隔壁穴の大きさを求めることで隔壁に空いた穴の大きさを「推定」という形で示しています。
嵐 さんへ
非与圧部の静的な内圧による破壊強度試験で尾翼が吹き飛ぶに必要な静圧を求めるというのは検証の方法が間違っていると思う。
圧力隔壁に穴が空いたことで垂直尾翼が吹き飛んだというのならば、地上において人工的に与圧領域内と与圧領域外を高度7,000メートルでの圧力差にした上で、突然に後部圧力隔壁に穴を空けてみる方法を取るべきだと考える。
瞬間的にどの程度の大きさ以上の穴が空けば垂直尾翼が吹き飛ばされてしまうのか?
まずは思い切って直径2メートルぐらいの穴を一気に空けてみてはどうか。間違いなく急減圧が起きるが、それで果たして垂直尾翼が吹き飛ばされてしまうのだろうか?
どのような大きさの穴を空けてみても垂直尾翼が吹き飛ばなければ急減圧説は根本的に誤っていたことになる。
Re.(5) 垂直尾翼点検口の蓋?
- 投稿No.401 元投稿No.400 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-29 13:03:00
> 一の力・大きさまでを想定した安全装置が二の力・大きさに対応できなくても何の不思議もないと思いますよ。
> 安全装置は設計通り働いたが、想定以上の力・大きさに対応できなかったということだと思いますよ。
> このことは報告書に丁寧に説明されています。
> 一の力・大きさまでという想定が正しかったかどうかはまた別の問題ではありますけどね。
佐伯さんへ
角田四郎さんは続けて次の様に記される。
「では、その後部に圧力がかかる場合とは、どの様なことが起こったときなのか。考えられるのは二通りしかない。一つは、APU(補助動力装置)が爆発を起こして、前にある防火壁を破って爆風が流れる場合。
もう一つは、隔壁破壊である。ボーイング社がそのいずれをも、想定しなかったはずはない。想定したうえで、どの程度の開口面積があれば、圧力はどこまで低下させることができるか、机上の力学計算と模型実験を繰り返して決定されたのが、この安全装置であると私は考える。
であるなら、その計算の中で隔壁破壊の最大規模まで想定されるのは当然のことであろう。ジャンボ機の与圧部容積や、与圧圧力、上空での外部との圧力差が計算もされず「とりあえず、小さくても開けば大丈夫」などといういいかげんな発想では、ジャンボ機など作り出すことすらできないと私は思っている。」
(『疑惑 JAL123便墜落事故』208ページ)
要するにそのとき(圧力隔壁が破れたとき)想定外の力が働いたというしかないが、高度7,000メートルの上空で圧力隔壁が破れるという現象はボーイング社にとって想定外だったのか?
Re.(3) 垂直尾翼点検口の蓋?
- 投稿No.399 元投稿No.398 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-29 08:17:32
> 報告書では断言を避けていますが(表現方法として断言はしない)プレッシャーリリーフドアはドアの破損と金具の傷等の分析でドアは開いた可能性が高いと記述。
> 123便は1ベイ破損の想定を上回る破壊が隔壁に生じており、プレッシャーリリーフドア作動の有無について個人的には大きな問題ではないと思います。
無名さん へ
プレッシャーリリーフドアは開いたが、そのことが安全装置にはならなかったということに疑問を持たれていることを言っている。
角田さんが記されているところを一部だけそのまま引用する。
「隔壁の後ろの非与圧部に圧力がかかればそれを外に逃がす安全装置として、点検口のフタが自動的に解放するシステムをボーイング社は施したのである。
そして、このシステムはこの事故の場合も正常に作動したようである。しかし、ジャンボ機が墜落している以上それは安全装置たり得なかったのか? 機体が大きすぎたために……。」
(『疑惑 JAL123便墜落事故』208ページ)
Re.(3) 垂直尾翼点検口の蓋?
- 投稿No.396 元投稿No.395 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-28 09:25:20
> そうなんですね。角田さんとおっしゃる方も同じような疑問を持たれたのですね。
> ジャンボ機の補助動力装置は自動車くらいの重さがあるって聞きました。
> 乗員を乗客を守るためとはいえ、もし人口密集地なんかに落とされてはたまりませんね。
> 一度「疑惑」という本を読んでみます。ありがとうございました。
嵐 さんへ
書物の正確な名称は『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎著)
プレッシャーリリーフドアと改善措置としての垂直尾翼の点検孔入口のドア付け措置に関する著者の意見は書物の204ページ~211ページに記されている。
Re. 垂直尾翼点検口の蓋?
- 投稿No.390 元投稿No.387 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-27 09:26:26
> 新たなスレッドを立ちあげさせていただきます。
> 事故調査報告書の記載に疑問があります。
> 123便墜落の後、日本の事故報告書が提言する前にアメリカ当局がB747の垂直尾翼の点検口にカバーを付けることを指示しています。
> しかし、圧力隔壁からの空気漏れで補助エンジンの防火壁や垂直尾翼が破壊されたのであれば、
> 123便と同レベルの隔壁破壊が起きたとすると、垂直尾翼の点検口に蓋をしてしまうとより簡単?早期?に補助エンジン防火壁が破壊されてしまうと思うのですがどうなんでしょう?
> 圧力隔壁より後ろの構造物を保護するなら、隔壁の強化とプレッシャーリリーフドアの改良が有効なんじゃないでしょうか?
> 掲示板をご覧になってる皆さんはいかがお考えでしょうか?
嵐 さんへ
角田四郎さんがその著書である『疑惑』の中でそのことを指摘されていたのを思い出す。
ただ、角田四郎さんはそのことの前に123便の件ではプレッシャーリリーフドアが有効に機能しなかったことに疑問を感じておられた。
森友学園事件と日航機事故との共通点
- 投稿No.366
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-23 23:44:14
投稿NO.347で小田周二さんが「森友学園事件」と「日航機墜落事故」には共通点があるとして詳しく解説を加えられているが、要約すると次のようになる。
「森友学園事件」の場合は犠牲者の妻、赤木雅子さんが公文書を偽造させられた末、自殺に追い込まれた夫:俊夫さんの無念を晴らすため、夫が自殺に追い込まれた真相を明らかにしたいとして国を相手に賠償額 1億円で訴訟を起こされた。賠償額を上げるとそれだけ預託金の自己負担額が大きくなるのでたいへんだが、賠償額を大きく設定したのは簡単に決着が付かない方が良いとの判断からだった。
ところが、この度の判決では「認諾」によって国があっさりと敗訴を認めた。
要するに負けを認めて黙って巨額のお金を個人に対して支払うんだから真相がどうであったかというような、もう済んでしまったことは詮索せずに早く忘れてほしい。(といわんばかりだ。)
「認諾」というのは、誠に犠牲者遺族の感情を逆撫でする判決のようだ。
赤木雅子さんは「お金がほしかったのじゃない、主人がどのようにして自殺に追い込まれたのかのプロセス、真相を裁判の中で明らかにしてほしかった」と言われているという。
日航機事故の場合もそうだったと小田周二さんは言われる。事故で亡くなられた520名の人たちは「犠牲者」ではなく、「遭難者」だとされた。事故原因もわからないまま勝手に日航が手を上げて、自分たちが加害者だと言い、補償金のような種類の金額を犠牲者遺族に支払い始めたという。
事故原因がはっきりしていないのにおかしいではないかと指摘すると、その通り日航は加害者ではないが、乗客を目的地まで届けることが出来なかったことについて申し訳なく考えており、支払ったお金については正確には「補償金」ではなく、「見舞金」だと口を変えられたという。
犠牲者遺族への対応については、ある程度過失を認めて既にお金を支払ったんだから事故原因については詮索せずにもう早く忘れてほしいというところが今回の森友事件との共通点だと言われる。
「肉親はなぜ死ななければならなかったのか」 犠牲者遺族のいつまでも癒やされることのない悲痛な叫び声が聞こえてくる。
Re.(7) 小松便証言検証
- 投稿No.352 元投稿No.348 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-22 21:58:46
> 大変申し訳ありませんが、文末にお願い事を書いております。可能でしたらお答えください。
> > 河津駅の北西側で畑仕事をしていた河津町役場職員渡辺稔さん(45歳)の証言は、「午後6時半前、ボーンという音で上空を見た。雲の切れ間からジャンボ機がふだんの二倍近い大きさで見えた。大きく右旋回したので不思議に感じた。」
> ボーンという音はYouTubeなどでも検証されています。そして音の正体は何なのか?には以下の2つが考えられます。
> 1,123便に危害を加えた超音速の飛翔体が発したソニックブーム
> 2,123便の後部が破壊した際に機体が発したソニックブーム
> 1の音の正体が超音速の飛翔体であった場合、それは「ソニックブームカーペット」と称する現象を起こします。これは超音速の飛翔体の飛行経路に沿って「ボーン」という音を帯状にまき散らします。
> これは、ある一地点でそれを聞いた人には1回だけですが,飛行経路沿いの340m離れた別の人は1秒遅れもしくは1秒前に音を1回だけ聞くことになります。
> そして別々の地点で聞いた人には、同じ大きさの音または同じ音色に聞こえます。超音速の飛翔体が原因だった場合、時間差を置いて複数の人が同じ音を聞くことになります。
> しかし、36年経っても「ボーン」という音を聞いたと証言している人は「駅前のタクシー運転手2名」と「海釣りをしていた人2名?」と「駅の北西のワタナベさん」の3地点5名しかいません。
> この3地点の正確な距離と音を聞いた時刻がコンマ秒で正確に解れば超音速飛翔体による「ソニックブームカーペット」か起きていたのか否かを判定できます。
> しかし、この解析方法は正確な時間情報が得られないため無理があります。
> 2の機体が音を発した場合は、「ボーン」という音は123便が音を発した位置の一点からの1回しか発音しません。
> その場所から近い人ほど大きな音もしくは周波数の高い音が伝わります。逆に遠くにいた人ほど小さな音もしくは低い音が伝わります。
> ですので正確な123便の飛行経路から算出される123便から音を観測された3地点まで距離と、それぞれの場所で聞いた音の大さや音色が分かれば音の正体を特定することができるのです。
> 音の正体を明らかにするための証拠が、ありがたいことに残されていました。
> それは別々の2地点で音を聞いた人たちの音の音色に関する詳細なコメントが残されています。
> 駅前のタクシー運転手の方たちは「花火のような腹に響くような感じ」と比較的低い周波数の音として表現しています。一方、海釣りをしていた人たちは「金属同士が衝突したようなカン高い音」といったように同じ音を聞いたはずですが別の音であったような表現をしています。
> 先ほども申しましたが、この2つのコメントの差は音を聞いた場所から123便までの距離を示しています。そのため音の正体は超音速の飛翔体ではないと推定できます。
> 海釣りの人たちが聞いた音には機体後部のジュラルミンが飛び散った金属音が混じっていたこと示しています。
> 一般的に金属音のような周波数の高い音は距離が遠くなると減衰して聞こえ難くなります。
> そのため海釣りをされていた地点のほうが駅前よりも123便に近かった可能性があります。
> せきたにさんたちが追及・解析されている正確な123便の飛行経路においてCVRの衝撃音が発せられた「時刻」における123便の正確な「位置」
> そしてその「位置」から地上で音を聞いた3地点までのそれぞれの距離を求めることは出来ませんでしょうか?
> それが解れば、先のような理由からソニックブームの正体を推定ではなく断定することができます。
> 以上、よろしくお願いします。
風のたより さんへ
風のたよりさんの流体力学に関する考察はいつも興味深く読ませてもらっている。今後の無名さんとのやりとりも関心を持って読ませてもらいたいと考えている。
私に対するご質問の内容(相模湾上空で異変が起きたときの正確な位置)には残念ながらお答えできない。
その理由については、私は東伊豆の河津と呼ばれるエリア近くの相模湾上空で起きた異変に関してはいつも
「18時24分35秒に起きたとされている異変」
という言葉使いをしてきた。
公表されたボイス・レコーダー並びにフライト・レコーダーは改竄されている可能性があるのではないかという疑問を持っているからそういう言い方になる。
従って、その異変が起きたとされている18時24分35秒という時刻が本当に正確であるのかどうかわからないと考えている。
ただ、ボーンという爆発音が機体単独で生じたのか、他の物体と衝突して生じた音であったのかについてのいつも話題になる仮説に関しては次のように考えている。
圧力隔壁が内部からの与圧に耐えきれなくなり、垂直尾翼に流れ込んだ風の力によって垂直尾翼が吹き飛ばされたという説に関してはおおよそありえないことだと考えている。もしも圧力隔壁が破れることによって垂直尾翼が吹き飛ばされるほどの気圧差が生じたというのなら、異変によって客室内の天井に設置の点検口の蓋が手前側に開いたという落合証言が嘘になる。
天井の点検口が開いただけでも天井裏だけに猛烈な風が吹き、客室内は平穏といったことは考えられないことだが、その前にそもそも圧力差によって生じた風圧によって垂直尾翼が吹き飛ばされてしまったというのなら、客室内の天井材が全部めくれあがってしまうのではないか、そうなると客室内はどうなるのか。相模湾上空の段階で実際とは全く次元の異なる事象が起きたはずだと感じている。
一方で異変発生時に外部から何らかの物体が垂直尾翼に衝突し、垂直尾翼をもぎ取ってしまったのかという説に関していえば、相模湾上空においてはそういったことはなかったと考えている。
元パイロットの杉江弘さんがある書物の中で次のように述べられている。
「それでは、「謎の飛行物体」は、垂直尾翼に対して、横から当たったということだろうか。もし、横からなんらかの物体が衝突してきたならば、反動で機首は物体が飛んできた方向に向くはずである。」
何らかの物体が垂直尾翼に横から衝突し、その衝撃で垂直尾翼の半分以上が無くなったというのなら、飛んできた物体の衝撃が垂直尾翼の破損部を機体から脱落させようとする際に必ず垂直尾翼を押す力が働いて機首が瞬間的に物体が飛んできた方向に向いてしまうというのは正しい考察だと考えている。
Re.(5) 小松便証言検証
- 投稿No.346 元投稿No.343 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-21 21:40:35
文系ちゃん へ
初期報道の航跡図
http://imepic.jp/20211221/155340
を見せてもらった。
いずれも伊豆半島を西に向かい、駿河湾に出ているところが気になる。
『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎さん著)
21ページ〜22ページには以下のように記されている。
河津駅の北西側で畑仕事をしていた河津町役場職員渡辺稔さん(45歳)の証言は、「午後6時半前、ボーンという音で上空を見た。雲の切れ間からジャンボ機がふだんの二倍近い大きさで見えた。大きく右旋回したので不思議に感じた。」
河津駅というのは東伊豆だ。そこで右旋回したということは東伊豆の地点から伊豆半島を西ではなく、北に向かったことになる。
一方、大月での360度の旋回に関しては、角田四郎さんの目撃情報だけでは危ういのであれば、次のような目撃談もある。
「疑惑JAL123便墜落事故/角田四郎著」91ページ
山梨県南都留郡秋山村(2005年に上野原町と合併して現上野原市)、藤本重則さん(37)の証言
突然北方から飛んできた飛行機が村の上空で急旋回し、また北方へ行った。低空を飛んでいるので墜落すると思った。
(読売新聞8月13日朝刊)
※山梨県南都留郡秋山村は大月からやや東に位置する村落。
Re.(5) 小松便証言検証
- 投稿No.344 元投稿No.343 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-21 07:40:58
> 「左下に見る」というのは何処に出ておりましたでしょうか?
文系ちゃん へ
吉岡版では
「そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。
夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。
左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。
富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。」
Re.(3) 小松便証言検証
- 投稿No.342 元投稿No.341 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-21 06:22:28
> 駿河湾に出て以降を全体的に東方向へとシフトさせていますが、このシフトの移動量、どこまで といったあたりは初期報道の航跡図を参考にしました。
> 丁度清水のあたりを通過するようになっていたものが幾つかありましたのでそうなるように航跡をズラした結果がこのようになりました。
> 貼りました図ですとたまたまですが富士山の上を通過しています。もう少しズラせば富士山の東を通過して大月方向へとなり、かつ小松便機長の証言とも合致する事になりそうに思います。
> http://imepic.jp/20211221/156900
文系ちゃん へ
仮定の航跡図を見せてもらいました。
私なりには落合証言との整合性を考えるともっとずっと東側だったと考えている。
落合証言では富士山を左下に見るまで、左右への大きな旋回があったと記されている。
「ゆっくりと左右に大きく旋回しているような動きがはじまったのは、酸素マスクをして、しばらくしてからです。」
「飛行機はあいかわらず旋回をくり返すように左右の傾きをつづけます。振動などは全然ありません。とにかく、くり返し、左右に傾いているという揺れ方がつづきました。急な動きとか、ガタガタ揺れるというのでもなく、スローです。だんだん揺れが激しくなるというのでもありません。」
落合証言では富士山を左下に見られたのはこのあと。
また、富士山が左下に見えたのだから、そのとき機体の状態は左旋回中であったと考える。
Re. 小松便証言検証
- 投稿No.337 元投稿No.334 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-19 20:44:42
> 123便を目撃したとされる小松便機長の証言について検証してみたが、どうも発表通りの航跡だと証言のようにはならないと判断した。
> お時間ある方には見始め時刻や小松便の方向を変えながら確かめてみて頂きたい。
> 証言のようになるには(一例として)123便の航跡を東方向にシフトさせる必要があると思われる。
> http://imepic.jp/20211219/585220
文系ちゃんへ
小松便の航跡から言って小松便の飛行に従い右後方に去って行くJAL123便の姿を見るためには、JAL123便が大月上空にいるときではなく、もっと南東の方向にいるときだったということになりそうだ。
Re. 落合証言。
- 投稿No.333 元投稿No.328 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-19 14:11:16
> 現在の羽田→伊丹便には富士山の頂上に近い富士市、富士宮上空エリアを通過する航路の便あります。落合証言の中に、【とても近くでした。このルートを飛ぶ時に最も近くに見える時と同じ位の…】とあるので、何となく先発版の方が合っている感じもしますね。
通りすがり さんへ
私もそのルートを通って大月上空に向かったものと考えている。
角田四郎さんの大月での目撃談だが、当日はお住まいの港町六本木の町内活動の子供達のサマーキャンプに世話役として参加されていたこと、当日の天気の移り変わりの描写、北西に向かう小松便の目撃情報が事実と一致していることなどから、旋回する日航機の目撃談についても信憑性は高いものと考えている。そうすると大月上空では旋回しながらかなりの低空飛行をしている日航機が地上から目撃されていたことになり、公表された航跡図によるところの大月上空での高度は目撃されたそれとは著しく異なることがわかる。
Re.(4) 落合証言(吉岡版)
- 投稿No.331 元投稿No.330 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-19 13:10:00
> ご指摘のある48分のアナウンスは編集の可能性があり、時間的根拠に使えない という事であればそれこそCVRの編集、改竄を行ったと白状してしまうようなものではないかとも思います。
文系ちゃん へ
なるほど、その通りだ。
48分以降だと地上から日航機が目撃されているような高度となるので落合証言と矛盾することになり、CVRが編集されたということになる。
Re.(2) 落合証言(吉岡版)
- 投稿No.326 元投稿No.323 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-18 20:34:41
>10分超その姿勢を継続し続けた事になるのですが、事故発生してからの1/3を会話もせず頭を下げ続けたというのは考えづらいのです。
文系ちゃん へ
会話もせずに頭を下げ続けたとは考えづらいですが、その間のことは何らかの理由であえて記されなかったと感じています。
Re.(2) 落合証言(吉岡版)
- 投稿No.325 元投稿No.323 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-18 20:29:59
> このアナウンスの時間はCVRから48分である事は判明しています。
文系ちゃん へ
最近アップされた「ワタナベケンタロウ動画㊻」
https://www.youtube.com/watch?v=uRqCK4GgU-g
で、元機長の川原さんという方が、現在公表されている不完全なCVRはところどころ切って繋いであるだけではなくて「やり取りや時間の入れ替えを多分やってると思う」と語っておられます。
Re. 落合証言(吉岡版)
- 投稿No.324 元投稿No.321 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-18 20:13:47
> 吉岡様のロングインタビューの方の落合証言概要抜粋 ※間違いあれば修正します
> ・マスクドロップ
> ・マスクをしてしばらくしてから左右に旋回するような動きが始まった
> ・パーンの音から(体感)10分くらいして、マスクはずしても苦しくなかった
> ・窓から見えたのは真っ白な雲だけ、厚い雲で地上は見えない
> ・マスクから酸素出なくなる(体感18分くらい)
> ・その頃ライフベスト装着指示がでる
> ・自身も装着
> ・羽田に戻れればいいと感じていたけどまだ雲の上で高度も高いので無理かな と不安に
> ・席を立ちライフベスト装着の手伝い
> ・揺れの程度が増す
> ・ライフベスト全員装着まで(体感)5〜6分
> ・装着している途中に「急に着陸する事がある」のアナウンス
> ・56Cに戻り着席
> ・スチュワーデスさんと安全姿勢を大声で案内
> ・KさんにL5ドアの扱いを託す(Kさんとの会話はこれが最後)
> ・その時左の窓の外に富士山 すうっと後方に
> ・富士山が真横に来た時安全姿勢
> ・すぐに急降下始まる
> ・衝撃(墜落)
文系ちゃんへ
投稿NO.238と293で紹介いただいた愛媛新聞の記事
http://imepic.jp/20211121/193410
では10分ほどして酸素がなくなったと記されている。
一方、吉岡忍著「墜落の夏」では18分くらいと記されているが、その際の説明として次のように記されている。
「いつだったか、私がフライトをしていたとき、お客様から、酸素マスクは何分くらいもつのか、と訪ねられたことがありました。全員が吸った場合、18分くらい、と計算したことがあります。そのくらいの時間が経過していたのかもしれません。」
愛媛新聞の場合との相違点は吉岡版では理論上の計算値に合わせて18分と語っているような印象を受けることだ。
私は酸素が出なくなった経過時間については墜落事故直後の取材に基づく愛媛新聞の方が真相に近かったのではないかと感じている。
> ・富士山が真横に来た時安全姿勢
> ・すぐに急降下始まる
については、犠牲者の村上良平さんが「18・30 急に降下中」と記されていることと考え合わせると
富士山が真横に来た時安全姿勢を取った直後に大月上空に向けて左右への旋回を繰り返しながらの急降下があったと考えており、残されている遺書はこの時間帯に書かれたと考えている。
ただ、落合由美さんが記される急降下は「安全姿勢を取ったあとすぐに」ではなく、「ものすごい揺れを感じた直後に」と記され、その直後に墜落したと記されているので、明らかに三国山頂上から御巣鷹山の尾根に向けての急降下だ。(安全姿勢を取ったのは富士山を真横に見たときで、三国山上空ではない)
文章的には「富士山が真横に来た時安全姿勢」のすぐ後に記されているので錯覚してしまうところだが、その間には実に25分間もの何も記されていない空白、時間の経過があったと考えている。
Re.(8) 2つの落合証言
- 投稿No.322 元投稿No.320 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-18 19:37:30
> 求められているのは混ぜ込まれた嘘を見抜く力ではないでしょうか?
文系ちゃん へ
混ぜ込まれた嘘を見抜く力が求められるのは同感だ。
すべてが、嘘なのであれば誰も相手にしないが、嘘が混ぜ込まれていると感じる報告書は信憑性が無いといわざるを得ない。
Re.(6) 2つの落合証言
- 投稿No.319 元投稿No.318 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-18 14:42:29
> 報告書を都合良く利用するなとは言われてはいるのですが…
> 報告書にエンジン出力のグラフが掲載されております。添付ではNo.1のみを抜き出しておりますが、確認しますと当日の離陸時を超えているようです。
> http://imepic.jp/20211218/420130
文系ちゃん へ
公表された航跡図が実際の航跡とは違っていたのではないかという議論をしているときに大月上空での音の根拠が事故調報告書に記載のデータにあると言われても違和感がある。
旋回中はどうしても大きな声を立てざるを得なかったからといった合理的説明を根拠としてほしい。
Re.(4) 2つの落合証言
- 投稿No.317 元投稿No.316 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-18 10:40:28
> 123便は大月旋回の手前の40分15秒辺りから42分30秒頃にかけて、離陸時に匹敵するくらいのエンジンの吹かし具合だったのです。
文系ちゃん へ
「40分15秒辺りから42分30秒頃にかけて、離陸時に匹敵するくらいのエンジンの吹かし具合だった」 ことの根拠を教えて下さい。
Re.(4) 2つの落合証言
- 投稿No.315 元投稿No.314 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-17 22:12:40
> 当日の気象情報では雲量「9」
> 地上から大月旋回は見えないだろう
無名さんへ
当日の気象情報では雲量「9」だから晴れる直前は土砂降りの雨だった。
ここでは大月旋回のことは言っていない。
北西に向かう小松便が角田四郎さんによって目視されたことを言っている。
Re.(2) 2つの落合証言
- 投稿No.313 元投稿No.304 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-17 21:05:30
> 検証前確認
> <小松便情報>
> ・3000〜7600mあたりには雲なし
> ・富士山8合目から上は目視できた(それより下は出来なかった?)
> ・18:30過ぎ、日航機を発見 約3分後右後方へ
文系ちゃん へ
たいへん貴重な情報に感謝する。
18時30分過ぎという時間帯はJAL123便が富士山の東側を通過し、左右に大きな旋回を繰り返しながら高度を下げながら大月上空に向かっていた頃だ。
そのとき、富士山には厚い雲がかかっていたはず。
小松便はその後、大月上空5,400mの位置を維持しながら北西に飛行したということだが、角田四郎さんはその姿を地上のキャンプ地から目視された。
北西に向かう小さな機影が小松便であり、それが事実と合致するようなので、角田四郎さんの目撃情報は信憑性があると私は考える。
角田四郎さんの目撃情報に信憑性があり、地上から目視できたということはそのときの空は晴れていたということになる。
Re.(2) 2つの落合証言
- 投稿No.305 元投稿No.304 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-17 17:31:16
> <角田氏の目撃>
> ・梁川駅あたり桂川河川敷近くのキャンプ場で目撃 窓が見えるほど低い高度で乗客に手を振ったとあるので高度については要検証
> ・倉岳山の山腹が見える見通しなら6000m程の飛行機が山陰で見えなくなる事はないはずだが?
> 疑問点としては小松便が123便を見た時刻 地上からの目撃に雲は邪魔しなかったのか 高度が発表されているとおりか というのがある
『疑惑』(角田四郎著)53ページ〜
午後4時頃、突然、空が真っ暗になり、バケツの水をひっくり返した様な大ツブの雨がたたきつけ、カミナリが近くで鳴り響いた。約1時間話し声もかき消さんばかりの雷雨が続き、降り始めと同じ様に突然やんだ。雨が上がった空は一変して、澄みきった青空が広がり涼風を運んできた。
上のような状況にあったとき、角田四郎さんは旋回する日航機と北西の方向に向けて飛ぶ小さな機影(後に全日空小松島行きの飛行機だと判明)を目撃されている。
小松島行きの飛行機が角田四郎さんによって目撃された時の高度が6,000メートルだったのなら、その機影が目撃されたときの空は晴れていたことになる。
Re.(12) 落合証言
- 投稿No.303 元投稿No.302 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-17 11:51:37
> 質問の意味がわかりません。取捨選択する必要も無いでしょう。
> 私は大月旋回時に富士山視認と考えています。
> 右通過では、時間の矛盾、西側の落下物の説明ができませんよ。
> そもそもの話ですが、私は富士山左右通過説に関しては、そこまで興味がありません。大きな問題では無いので。
無名さんへ
やはり無名さんとは感覚が違うようだ。
発表された航跡図では大月に向かう前に富士山の西側を通過したことになっているが落合証言では東側を通過したことになる。
無名さんご指摘の時間のズレの問題は大月上空を360度の右旋回をしているときに富士山が左下に見えたかどうかとは異なる問題だ。時間がズレても大月上空で360度の右旋回中はバンク角度の兼ね合いで富士山を左下に見ることは出来ないということは投稿No.259で文系ちゃんが結論を出してくれた。
公表された航跡図が実際と大きく違っていたということは軽い問題ではなく、極めて重大な問題だと考えている。
また、自説を展開して議論せよと言われるが物証には信憑性があるが角田四郎さんの証言等の目撃証言には信憑性が無いとされるのなら無名さんとはやはり議論をする気にならない。最後は落合証言も信憑性がないとして否定されることだろう。
Re.(10) 落合証言
- 投稿No.301 元投稿No.300 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-16 23:36:09
> 左側ルートの決定的な物証である落下物について、せきたにさまの見解をお聞きしたいですね。
無名さんへ
「左側ルートの決定的な物証である落下物」 と 「落合証言」 のいずれかをどうしても捨てなければいけなくなったとき、
無名さんは躊躇なく「落合証言」を捨てると言われるのですか。
Re.(8) 落合証言
- 投稿No.299 元投稿No.294 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-16 22:14:24
> せきたにさま
> 文系ちゃんさんの考察は興味深く拝見していますよ。否定もしていません。
> 時間的矛盾の話をしているのですが、せきたにさまへ、伝わっていないようで残念です。
無名さんへ
今は航跡図に改竄があったことを問題にしている。
落合証言の時間的矛盾の話は証言を深読みしないとわからない。
大月に向かう手前は富士山の東側を通過したこと以外はあり得ないことの文系ちゃんの結論以外の根拠を以下に追加で述べておく。
もう一度富士山を左下に見ながら通過したときの落合証言を引用する。
「そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。」
上記の文章の中で
「夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。」
とあるところは、雲の上に富士山の頂上が顔を出していた姿を雲の上を飛行していた機内から落合由美さんが目撃したことを意味する。
一方で、大月上空を旋回しているところは『疑惑 JAL123便墜落事故』の著者である角田四郎さんが目撃されている。
地上から機体が目撃されているということは必然的にそのときの機体の位置が雲の下であったということになり、大月上空だと落合証言と一致しなくなる。
Re.(6) 落合証言
- 投稿No.292 元投稿No.288 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-15 21:37:48
> せきたにさま、その他の方が落合証言に焦点を当て、富士山右側通過説を主張されていますね。
> そこで落合証言を確認すると、25分のマスクドロップから酸素が出なくなり、マスク外してライフベスト着用、安全姿勢の合間に窓を見ると富士山視認の流れ。
> 酸素マスクは通常15分程度で薬剤が切れてしまうらしい。(落合証言では18分)25分のマスクドロップから使い切り15分で時刻は「18:40」
> (実際はライフベスト着用の手伝い等でプラス数分は考慮する必要あり)落合証言からこの「18:40」以降に富士山を視認した事は確定。
> そうすると、富士山通過時刻に大きな齟齬が出ませんか?
> 123便が駿河湾から素直に北上すれば、富士山手間の静岡上空で数分の飛行が必要。それこそ、富士山の手前で大月旋回以上の時間潰しの辻褄合わせ飛行が必要になりますよね。
> 更に言えば、右側通過はショートカットになり、富士山通過時刻はもっと早まり、辻褄合わせ飛行の時間も長くなる。
> 事故調通りの経路であれば、大月旋回中に富士山視認の時間と合致すると思います。
> 私が落合証言を元に右側通過を簡単に考察した感想ですが、通過時刻に相当な無理があると感じました。
無名さんへ
大月上空で360度の右旋回をしているとき、富士山が左下に見えたことも、その直後に富士山がすうーと後ろに移動していくように見えたということもあり得ないということは
文系ちゃんが投稿No.259で航跡図を掲載しながら結論を出してくれているじゃないか。
文系ちゃんの結論は
「大月上空で360度の右旋回をしているとき、進行方向左手側が上になり、進行方向右手側が下になる形のバンクが取られていたはずで、必然的に左手外側の窓は斜め上を向くが、円周とのかねあいを計算すると落合由美さんが座っていた座席位置からは富士山の頂上すら見えなかっただろう。その直後に富士山がすうーと後ろに移動していくように見えるということも考えられない。」
それとも文系ちゃんの計算とそれに基づく結論が間違っているとでも・・・
Re.(4) 落合証言
- 投稿No.285 元投稿No.279 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-15 06:55:07
> 反事故調査派の皆さんは飛行経路に拘っていますが、何か理由があるのでしょうか?
無名さんへ
富士山の東側を通過してから大月上空に向かったのなら、事故調発表の航跡図は捏造されたものだったということになるじゃないか。
しかもその可能性が高いと考える。
Re. 交通整理をお願いします
- 投稿No.275 元投稿No.235 さんへの返信
- 投稿者:せきたに[ 管理者 ]
- 投稿日:2021-12-14 21:32:29
尾宮次夫 さんへ
管理人です。
掲示板のあり方に関していろいろとご意見をいただきましてありがとうございます。
改めてですが『御巣鷹山の悲劇』掲示板を設立した趣旨を記させていただきます。
「飛行中突然の圧力隔壁の損壊に伴って急減圧が起こり、機内における与圧領域内外の圧力差によって生じた風力が垂直尾翼を吹き飛ばしてしまった。」
「圧力隔壁」とか「急減圧」という言葉は日常耳慣れない言葉であり、理解が及ばなかったものの、事故調査委員会というその筋の専門家が集まって物証に基づいて事故原因を分析した上でそれを言われるのだからそうなんだろうと無批判的に受け入れてしまった人が大多数ではなかったでしょうか。
しかしながら圧力隔壁が破れたら垂直尾翼が吹き飛んでしまうということに腑に落ちないものを感じたり、墜落現場が長時間わからなかった事柄等について、そんなはずはないだろうといった心の中に何とも言えないひっかかる感触を持ち続けて来た人たちもいたのです。
『御巣鷹山の悲劇』は旧の掲示板『御巣鷹山ファイルゲストブック』が閉鎖され、語り合う場がなくなって寂しく感じておられた人たちに向けて再びその思いを語りあっていただく場にしてもらいたいと思って作った掲示板でもございます。
事故が起きるまで、自分と共に愛情をもって暮らしてきた人の姿が、もはや遺体とも呼べないほど粉々に粉砕されてしまった状態を目の当たりにしてその惨状がいつまでも脳裏に焼き付いて離れない...。
事故後2年が経過して事故調からの発表はありましたが、あの時脳裏に焼き付いた状態を思い出されてくるたびに、そのときの思いが蘇ると仰られるのです。
「この惨状はいったいどうして... あの事故の真相について、何かまだ知らせてもらっていないことがあるのではないか」
このような思いが犠牲者遺族の人たちの素直な心情というものではないでしょうか。
事故後8年の年月が経過して、事故原因は事故調説で決着し、もはや世間があの事故を忘れようとしていたとき、角田四郎さんという方によって『疑惑 JAL123便墜落事故』という書物が刊行されました。
この書物を読まれた特に犠牲者遺族の方はどんなにか驚かれただろうと思います。
匿名が許される掲示板ですから、自説と合わない人に向けて顔が見えないがゆえに神経を逆撫でするような辛辣な言葉が投げられる場合もあるわけですが、議論をして嫌な思いをするよりはそういった人たちを排除していただけないかという声もあるわけでございますが、それについては無名さんが指摘されたように真相究明というよりは仲間同士に限定された生暖かい空気に包まれたサロンになってしまうということも一理はあると考えております。
少し前の掲示板で「荒唐無稽」という言葉が話題になりましたが、事故調説も含め、自説が確立している者にとっては自説以外の説はみな「荒唐無稽」となるのです。あの事故を事故調説肯定派と否定派との対立として捉える見方がありますがそれは政治的な方向であって真相追求とは方向がずれているのではないかと感じております。
暴言に近い言葉が飛び交うのは気にはなるのですが、そこはおそらく掲示板上の性質上簡単には直らないと思うので、今後も気分を害されることがあるかもしれませんが、恐縮ながら寛容の精神で受け止めていただきたいと考えております。
掲示板の良さは匿名であっても見知らぬ人と言葉のやりとりを重ねるうちにどちらかが、あるいはどちらともそれまで思いこんでいた事柄に思いもかけない見落としがあったことに気が付くことがあるかもしれず、それをきっかけにして少しでも真相に近づいていくことが出来る可能性にあるのだと考えています。
事故日当日の木村太郎さんによる報道番組を生で見ておられたという尾宮さんのお話は興味深かったですが、最初は「ねつ造画面を見て信じているのか」と言われ、尾宮さんが「事故当日見ていたんだ」と返されると今度は一個人の証言なんて取るに足らないとして頭から握り潰しにかかられましたね。
無名さんもそこのところは「ねつ造画面でないのなら興味深い話だからもっと詳しく語ってほしい」とでも返してもらいたいところでした。
テーマごとに分類・整理してほしいという話は申し訳ありませんがお受けできません。ただ、ボタン配置や検索方法などについては少しでも見やすく便利に使っていただけるものになるよう工夫していきたいとは考えております。
Re.(14) 天井裏の風?
- 投稿No.268 元投稿No.266 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-14 19:40:17
>垂直尾翼が壊れる前に急減圧が起こるなら、空気はどこからどこへ抜けて外に排出されるのですか?
垂直尾翼は頑丈に取り付けられているものだが、急減圧が起きて与圧領域から非与圧領域に向けて流れた空気の影響で垂直尾翼が壊れることがなければ、機内で均一化されるだけで必ずしも外に排出されなくても良い。
Re.(12) 天井裏の風?
- 投稿No.265 元投稿No.264 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-14 18:48:55
> やはり、急減圧は垂直尾翼の破壊の後、急減圧は垂直尾翼の破壊の原因ではなく、垂直尾翼破壊の結果となりますね。
> ただ、また新たな疑問が浮かびます。垂直尾翼が壊れた後に起こる急減圧のことです。
それは違う。急減圧というのは圧力隔壁が与圧の力によって破れたとき、機内の中の与圧領域と非与圧領域との圧力差によって与圧領域内の空気が非与圧領域に穴が空いた箇所から勢いよく流れ込む現象だ。このとき垂直尾翼が壊れるかどうかは関係ない。
急減圧が起きて与圧領域内の空気が非与圧領域に勢いよく流れこんでも、垂直尾翼を構成する外板が十分頑丈に作られていれば客室内は発生した急減圧の影響を受けて相当に荒れるだろうが、機内の中の与圧
領域が機内全体に広がるイメージで数秒で収束するだろう。用心のため、非与圧領域にはプレッシャーリリーフドアが作られており、非与圧領域に空気が流れ込んできて非与圧領域の圧力がある一定の値を超えると外側に開いて圧力のかかった空気を逃がす役割を果たす。
垂直尾翼が吹き飛ぶような壊れ方をすると、もちろん運航に重大な影響を与え、すぐに墜落してしまうと考えるのが自然だ。
客室内だけに絞って言うと、垂直尾翼が残っている場合との比較では揺れの大きさの違いに加えて温度の下がり方の急激さと見舞われる減圧症の深刻さが全く異なったものになるだろう。
Re.(11) 天井裏の風?
- 投稿No.260 元投稿No.254 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-14 05:52:23
> なぜなら隔壁の穴から噴き出す風の勢いを算出しても破壊に必要な数値に届かなかったから。
> ではどうして壊れたのか、というと、内外の圧力差だと言っています。
垂直尾翼を吹き飛ばすほどの内外の圧力差が生じたというのなら、生存者に顕著な減圧症が見られたはず。与圧がなくなり、地上からいきなりエベレストの上じゃないか。
Re.(4) ワタナベケンタロウ動画㊺ 感想 その1
- 投稿No.225 元投稿No.198 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-12 22:57:18
> せきたにさんの投稿から、この事故の認識が私とかなり乖離している印象があるので是非とも議論を進めましょう。
無名さんが上のように仰るから、事故の認識の一つとして富士山の東側を通過したのが実際ではなかったのかという問題を提起してきた。
こちらが聞いたことには何も答えずに一方的にこちらに答えを求めることばかり記されるのなら議論にならない。
Re.(6) ワタナベケンタロウ動画㊺ 感想 その1
- 投稿No.224 元投稿No.221 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-12 22:44:27
> > 圧力隔壁はパンパンに膨れた状態となる。
> > その圧力隔壁がパンパンに膨れている状態で突然一部が破れると風船に穴を空けたように与圧領域内の空気が航空機の外壁に向けて流れ込む。
> > その現象を急減圧と言われる。
> ありがとうございます。
> 何分素人なものでしてすみません。wikiなども一生懸命読んでいるのですが、理解が遅くてすみません。
> 航空機の外壁に向けて流れ込む、というのはどういうことですか? 風船と航空機の外壁はどうような関係にあるのですか? 外壁が風船(与圧領域内)を包み込んでいるようなイメージですか?
> 内側の風船に穴が開いても外側の外壁が破れない限り、今度は外側の外壁が風船の役割を担うので、空気は抜けていかない様に思えるのですが?
> もしかして、外壁も同時に壊れたということですか?
相模湾上空において与圧領域内の空気が圧力隔壁が破れたことでまずは機内の与圧領域外に流れ出したはずだが、その勢いがすさまじく、プレッシャーリリーフドアは役に立たず、圧力隔壁後方にある垂直尾翼の2/3を吹き飛ばしてしまった。
事故調の見解はこのような説になっている。
この説に疑問符を投げかけている人たちは、そもそも圧力隔壁よりも外壁の方が丈夫に出来ているものではないのか、とか、圧力隔壁が破れたことで今度は与圧領域内の空気が機内全体に広がるわけで、更にプレッシャーリリーフドアがその役割を果たすことによって垂直尾翼を吹き飛ばすような圧力を伴った風になるわけがない、と言われる。更に事故調説のようなことが起きたのであれば、急激な寒さと減圧症を伴ったはずだが、生存者達はそのような現象が起きたことを語っていないようだ。
Re.(8) ワタナベケンタロウ動画㊺ 感想 その1
- 投稿No.220 元投稿No.213 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-12 21:32:17
> 飛行経路についての考察ありがとうございます。ですが、飛行経路は墜落原因とは無関係ですから、一旦話題からは離れましょう。
無名さんは
投稿No.178で憂国人さんへの投稿の中で
「事故調肯定派には当掲示板では議論する資格は無いと言う事ですね。
身内同士の生温い投稿のみ許容し、反論や事故調の後押し投稿は駄目ですか...」と記されている。
私は反論や事故調の後押し投稿は駄目だとは思わない。
墜落事故を考える場合、事故調通りだっとというのも見解の一つだ。
事故調説に疑問符を付けるのが間違いで、すべて事故調通りだっというのであれば事故調が発表した航跡図にも誤りがあるはずがなく、その主張を通されるのであれば、東伊豆の相模湾上空で異変が生じた後は富士山の西側を通過して大月上空に至っていなければならない。
ところが、落合証言では富士山の東側を通過して大月上空に至ったとしか読むことが出来ないのはどうしてだろうか?
★以下、相模湾上空で異変発生後、酸素マスク〜ライフベストの装着が完了した時点での落合証言
「そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。」
事故調説に疑問符を投げかけるにはこれだけで十分だと考えている。
事故調説に反して落合証言によると相模湾上空で異変発生後大月に至るまでは富士山の東側を通過していたはずではないかという主張が出されたとき、無名さんならどのように答えられるのを示してもらいたい。
富士山の東側通過説のどこが間違いなのかを合理的に回答いただけないようなら事故調説通りだという主張は危ういものだ。
Re.(4) ワタナベケンタロウ動画㊺ 感想 その1
- 投稿No.219 元投稿No.216 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-12 21:18:18
> せきたにさん
> だいぶ前のコメントを引用してすみません。
> > A 圧力隔壁が破れて急減圧が起きたことによって客室内に空気の流れが生じた。
> > B 急減圧によって生じた空気の流れによって垂直尾翼が吹き飛ばされてしまった。
> > AとBは明らかに次元の異なる現象であるというべきで、Aが起きてもBが起きるわけではないのに、JAL123便の場合ではAが起きたら必然的にBが起きるのだとされてしまっているところに問題点がある。
> このコメントで条件AとBの因果関係がないとお考えだというところまではなんとなく分かりました。
> ですが条件A自体が恥ずかしながら理解が及びません。
> 圧力隔壁が破れると急減圧が起こるのはどうしてなのでしょう?
> いろいろな情報があり、また飛行機の構造がよく分かっていないため、ただいま大変混乱しております。
> ご教授いただけたら幸いです。
航空機を形造っている外壁の中には外気と触れ合っている外壁とは別に圧力隔壁で囲まれた与圧領域というのがある。
なぜか?
航空機は地上との比較では相当高い場所を飛行する。
その際、地上との比較で気圧が低くなり、空気も薄くなる。
短時間で地上⇒高度7,000メートルといったところまで移動すると高山病又は減圧症といった深刻な症状に見舞われてしまう。
そこで、高度が上がるにつれ、客室内に人工的に空気を送り込みながら、地上と同レベルの圧力にするため、圧力隔壁はパンパンに膨れた状態となる。
その圧力隔壁がパンパンに膨れている状態で突然一部が破れると風船に穴を空けたように与圧領域内の空気が航空機の外壁に向けて流れ込む。
その現象を急減圧と言われる。
急減圧によって圧力隔壁に穴が空いた箇所に向けて客室内の物体が飛来するが、シートベルトをしていなかったらそれが人になってしまう場合もある。
プレッシャーリリーフドアはそういったことが起きた場合、外気に向けて外側に開いて機内の与圧領域外に流れ込んできた空気を外気に向けて逃がすことによって航空機の外壁にダメージを与えないための役割を果たす。
上記現象Aが起きただけでも客室内は荒れるが、上記現象Bに直結しないための方策が練られているものだ。
だから、上記現象Aが起きただけで上記Bが自動的に起きてしまうようなら、プレッシャーリリースドアはその役割を果たしていないことになる。
JAL123便は事故調が相模湾上空で圧力隔壁が破れたとされる時刻後に犠牲者が客室内を撮影した写真があり、荒れた様子が見てとれないので上記現象Aすら起きていなかった可能性が高いと言っている。
以上の説明でおわかりいただけただろうか。
Re.(6) ワタナベケンタロウ動画㊺ 感想 その1
- 投稿No.207 元投稿No.206 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-12 09:02:36
> チョットチョット待ってください。
> 123便の尾翼が残っていたという主張ですか?
> ワタナベ動画感想の違和感はこれか....
> せきたにさまの123便墜落までのシナリオを詳細に教えていただけませんか?
とりあえず異変後は富士山の東側を18時30分に通過し、その後降下しはじめた可能性が高いと考えていることについて記しておきたい。
落合証言には、異変が起きた後、客室内では酸素マスク〜ライフベストの装着作業があったが、富士山を左下に見ながら通過するまでは急降下はなく、一貫して雲の上を飛行していたということが記されている。
そして、富士山が左手にきたとき、安全姿勢を取ったという。
また、犠牲者となられた村上良平さんの遺書によると、18時30分に降下がはじまったと記されている。(落合証言で記されるまっさかさまの急降下はここではなく、三国山上空)
これらのことから、機体が相模湾上空にあったとき、東伊豆で起きた異変後は伊豆半島を北上し、18時30分に富士山の東側を通過した可能性が高いことがわかる。
Re.(4) ワタナベケンタロウ動画㊺ 感想 その1
- 投稿No.205 元投稿No.198 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-11 23:13:12
> せきたにさま
> 必然的に起きる訳がないでしょう。機体によりフェイルセーフ機構の想定値や噴出空気量の条件も違います。
> せきたにさんが例に上げたタイ航空の事故を引き合いに出す方が多い印象ですが、これも条件が全く違う。
> 先ず、A300の機体大きさ(胴体容積)はB747の約半分であり、当然、B747は与圧空気量も噴出するエネルギーも大きくなる。
> またA300にはコンパートメントアクセスドアという名称でB747のプレッシャーリリーフドアとは比べ物にならない大きさのフェイルセーフ機構がある。
> それでも、タイ航空機爆発事故の報告書には、水平尾翼基部、APUに破壊の痕跡と記述があり、巨大なアクセスドアが機能しても機体後部にはダメージが入り危険な状況であった事は明白。
> では、B747ではどうだったか?
> 繰り返しになるが、噴出空気量もエネルギーも2倍(隔壁破断面積にもよる)、B747の小さなプレッシャーリリーフドアでは当然間に合わず噴出空気が尾翼に入る。
どうも無名さんとは話がかみ合っていないように思う。
そもそも私は相模湾上空においては急減圧はなかったはずで、その他の原因でも垂直尾翼は吹き飛んでいなかった可能性が高いと言っている。
それはともかく、プレッシャーリリースドアは何のために作られているのか?
『疑惑』の著者角田四郎氏が問題にしたところだが、圧力隔壁が不可抗力によって破れることがあってもプレッシャーリリースドアが開くことによって与圧を逃がし、垂直尾翼が吹き飛ばないようにメーカーは設計してあるはずだ。
それが何の役にも立たなかったということであればメーカー側に設計上の問題があったことになる。
また、垂直尾翼が吹き飛ぶかどうかは空気量の大小ではなく、風速の問題だと考える。
ある一定の風速を超えないと垂直尾翼が吹き飛ばされることはないが、垂直尾翼が吹き飛ばされるほどの風が機内を駆け抜けると当然のことながら客室も含めて機内は風の影響を受けて必ず荒れる。
ジャンボ機だからそんなことはない(機外へ噴出する箇所だけ猛烈な風であったが、機内は平穏だった)という理屈は破綻していると考える。
ここは発想を変えるべきだと考える。
圧力隔壁を破り、その勢いで垂直尾翼を吹き飛ばしてしまうためにはどの程度の風速が必要なのか・・・と。
導き出された数字が通常の与圧から生じる風速を超えていれば仮説が間違っていたとして改めるべきだ。
話は変わるが、圧力隔壁が破れ、垂直尾翼の2/3が吹き飛んだとき、上空7,000メートルの機内はよく効くエアコンが暖かい風を送り続けたので寒くなかったはずだというが、そんなことはありえないと思う。
離陸の時点で圧力隔壁に直径50cmの穴を空け、プレッシャーリリースドアを開放したままエアコンをMAXにして高度7,000メートルまで達したらどうなるだろうか。これは実験できる事柄だが、命を懸けた実験となる。寒さの問題だけでは済まない。減圧症の問題があり、そちらの方が深刻かもしれない。想像してみられたら良いと思う。
Re.(2) ワタナベケンタロウ動画㊺ 感想 その1
- 投稿No.195 元投稿No.194 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-10 23:57:42
> >>仮に圧力隔壁が破れてもそのことだけで垂直尾翼が吹き飛ばされるということは考えられない。
> この考察の根拠をお願いできますか?
A 圧力隔壁が破れて急減圧が起きたことによって客室内に空気の流れが生じた。
B 急減圧によって生じた空気の流れによって垂直尾翼が吹き飛ばされてしまった。
AとBは明らかに次元の異なる現象であるというべきで、Aが起きてもBが起きるわけではないのに、JAL123便の場合ではAが起きたら必然的にBが起きるのだとされてしまっているところに問題点がある。
圧力隔壁が原因だというのならば、JAL123便墜落事故の翌年、タイ航空機で実際に10,000メートルの上空で突然圧力隔壁が破れるという事故が起きている。
両者の違いを比較してみたら、JAL123便で事故調査委員会から発表された事故原因には無理があったというべきだ。(飛行中に内部からの与圧に耐えきれなくなり突然圧力隔壁が破れたらそのことによって生じる風の流れで間違いなく垂直尾翼が吹き飛ばされるとは言えない)
以下小田周二著「真実と真相」81ページからの引用
「1986年10月26日、乗客乗員247名を乗せたバンコク発大阪空港行きのタイ航空機A-300型機が高知県土佐湾上空約10,000メートルを飛行していた20時頃、機体後方で「ドーン」という音がして、圧力隔壁(バルクヘッド)が吹き飛んだ。
爆発原因は暴力団員が持ち込んだ2個の手榴弾がトイレで爆発したというもので、2つのトイレは大破し、圧力隔壁(直径3メートル)は3分の2が大きく破損した。
機長は後に、「20時頃、機体後部で爆発音がして、約5,000メートル急降下し、15分間にわたってダッチロールした。その後、操縦機能が回復して緊急着陸出来た」と事態を説明した。
その間、多くの乗客はシートベルトを着用しておらず、体が宙に浮いて前の座席や機体の壁に全身を打ちつけ、悲鳴が飛び、血まみれになった人もいたという。その後、手探りで酸素マスクを着用し、約40分にわたって祈る気持ちで着陸を待ったという。
この爆発で圧力隔壁の3分の2が吹き飛び、機内には急減圧が生じた。機内与圧空気は機内を強い風となって通り抜け、最後部にある洗面所の化粧台を倒壊し、圧力隔壁後方に抜けたのである。しかし、機体後部胴体部には異常がなく、垂直尾翼、水平尾翼とAPUも損傷を受けなかった。」
ワタナベケンタロウ動画㊺ 感想 その1
- 投稿No.192
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-10 23:18:12
ワタナベケンタロウ動画㊺
https://www.youtube.com/watch?v=3qXmtSVhtsE でも㊹に続いて大手民間航空会社で元機長の河原さんは次のことを強調される。
「パイロットとして操縦するときに尾翼が1/3しかない状況で操縦の安定を図るには非常な困難があると思う。その状態で旋回をしたりというのは非常に難しい。」
公開されたボイス・レコーダーは断片的ではあるが、その中にハイドロ(油圧)オールロスという言葉と共にアンコントロールという機長の言葉が残されている。油圧機能が失われてコントロール出来ないという意味だ。
油圧機能が失われたということと垂直尾翼の2/3が失われるということとは全く別次元のことだ。
ところが、事故以来その二つのことが混同され、セットで語られてきたようだ。
圧力隔壁が破れると垂直尾翼が吹き飛ぶということについても同様で、圧力隔壁が破れるということと垂直尾翼が吹き飛ばされるというのとは全く次元の異なる事柄で、仮に圧力隔壁が破れてもそのことだけで垂直尾翼が吹き飛ばされるということは考えられない。
しかも18時24分35秒の時点では落合証言や犠牲者の小川哲さんが撮影していた写真から急減圧は起きておらず、その時点ではほとんど圧力隔壁は破れていなかったと考えられる。
それでは18時24分35秒とされている時刻に相模湾上空で本当は何が起きていたのだろうか?
そのとき、地上からの目撃情報では機体後方から煙が尾を引いていたのが目撃されている。
東伊豆、河津町のタクシー運転手・近持芳太郎さん(58歳)と、渡辺武郎さん(51歳)は河津駅前のベンチで休憩中に、この瞬間を目撃した。
「海側の北東上空で雷のような〈ボーン〉という音がした。見上げるとジャンボ機は機体後部から灰色の煙を出して駅の上まで水平飛行した。・・・煙はバスが急坂を上るときに出す排ガスの色のようだった。
『疑惑JAL123便墜落事故/角田四郎著』21ページ
また、近持さんの証言は「悲劇の真相(鶴岡憲一・ 北村行孝著)」には次のように記されている。
「雷が落ちた時の音がした。尾部から白い煙を吐き出した。
その煙は蒸気機関車が吐き出す煙か、タバコの煙のようなものであった。
その煙は10メートルほど尾を引いていたが、すぐ薄くなった・・・」
(書物からの引用は以上)
機体から煙が少しだけの間、尾を引くように外に排出されていたということは、その煙の元は機内で生じていたことになる。
離陸直前に駆け込みで持ち込まれた荷物はバルク カーゴ ルームという部屋に収容されるが、その部屋は圧力隔壁よりは前であり、客室後方の下部にあるという。
そして、バルク カーゴ ルームの天井裏には作動油圧系統チューブが走っているらしいが、『天命の陳情』の著者である村岡伸治氏は18時24分35秒とされる時刻にバルク カーゴ ルームで起きた爆発によって天井裏の作動油圧系統チューブが破壊され、油圧機能が失われていったと主張される。機内から機外に向けて排出された煙はその際のものだという。
もしも相模湾上空で垂直尾翼の2/3が失われていたら、その1分以内又は少なくとも大月で回りながら急降下となった際、その場所で墜落していたと考える方が自然ではないだろうか。
ワタナベケンタロウ動画㊺ 感想 その2に続く
ワタナベケンタロウ動画㊹ 感想 その3
- 投稿No.184
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-07 21:00:00
ワタナベケンタロウ動画㊹で大手民間航空会社で元機長の河原さんは次のように語られていた。
「パイロットとして操縦するときに尾翼が1/3しかない状況で操縦の安定を図るには非常な困難があると思う。その状態で旋回をしたりというのは非常に難しい。」
ところが、旋回をしたりというのは非常に難しい状態であったのだとすれば、墜落時刻の1分ぐらい前に長野県川上村を通過した際に以下のような目撃談があるのが不思議だ。
★目撃談1
「疑惑JAL123便墜落事故/角田四郎著」97ページ
石川さんらは、12日午後、長野県南佐久郡川上村梓山の実家近くにある畑で、レタスの葉の消毒作業をしていた。墜落現場の南約6キロの地点だ。
あたりが薄暗くなり始めた午後7時ごろ、東南にある甲武信ヶ岳(こぶしがだけ)2475メートルの北側の尾根から、突然、大きなジェット機が姿を現した。飛行機は石川さんら数人が働いていた畑のほぼ真上を西方向へ通過。
「まるで石を投げたら当たるような超低空飛行だった。真上に来たときは空が真っ黒になるように感じた」と石川さん。
飛行機は千曲川にそって西に進んだが、正面には扇平山(1700メートル)が迫っていた。右翼を下げて飛行機は約90度右旋回した。が、進行方向には三国山がある。
「(三国山山系頂上の悪岩と呼ばれている地点に)もうぶつかるかと思ったが、機首をぐっと持ち上げて、山の斜面を這うようにして上昇していった。機首の上部が後ろからでも見えるほどの急角度のまま、やっと(三国山の)尾根を越えた。(川上村梓山地区から)姿が見えなくなって数秒後に、黒い煙が、続いて白い煙が上がった」という。
★目撃談2
「鎮魂JAL123便/池田昌昭著」26ページ
長野県南佐久郡川上村梓山地区女性(墜落現場から2〜3キロ先の山あいの畑で目撃)の目撃談・・・著者自身が現地で取材
「当日8月12日午後6時52〜53分頃、川上村梓山地区の上にある畑に出ていていちご摘みやレタスの収穫作業をしていた時だった。
畑でいちご摘みをしていた手元が急に明るくなったので、ふと上空を見上げると真上に窓の明かりが一杯について、エンジン音がほとんどしない大きな飛行機が飛来してきた。
上空400メートルくらいで一瞬お化けが出てきたかと思った。
子供が『あれはジャンボ機だ』とすぐに叫んだくらい見たこともない大きな飛行機で埼玉の方から飛んで来た。
電気を一杯つけたジャンボ機の全部の窓に明かりがついていたが乗客の姿は下からは見えなかった。
飛行はフラフラしていなく一応安定していて垂直尾翼が欠けていたかどうかは分からなく、機体からは煙は出ていなかった。
畑の上空で右旋回をして2〜3キロ先にあるその昔岩から毒物が出たことから長野群馬県境三国山系通称『悪岩』と呼ばれる岩山にぶつかりそうになりそれをスレスレにかわし左旋回をしたかと思うと、飛行機は見えなくなった。
(書物からの引用は以上)
垂直尾翼の2/3が失われた状態で右方向へ90度の旋回は出来ないはずだ。しかも、事故調の航跡図では川上村からは北西に位置する南相木村の方角に飛行したあと、時計回りに回転しながら御巣鷹山の尾根に墜落したことになっているが、目撃談では川上村上空で右旋回したあと、北東に位置する三国山を駆け上り、上空まで達してから今度は左旋回してから墜落している様子が目撃されているので、川上村上空からあとの航跡は反時計回りだったことになり、事故調発表の航跡図とは決定的に異なる。
ワタナベケンタロウ動画㊹ 感想 その4に続く
ワタナベケンタロウ動画㊹ 感想 その2
- 投稿No.181
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-05 19:13:18
18時24分35秒とされている時刻に相模湾上空で何が起きたのか?
事故調査委員会は墜落現場において圧力隔壁が後ろ側に向けてめくれ上がっている現象からの類推と、世界中で起きた過去の航空機事故の事例から、飛行中に突然後部圧力隔壁が破れ、後ろ側に向けて勢いよく流れ込んだ空気が垂直尾翼を吹き飛ばしたのだと発表した。
しかしながら、犠牲者の小川哲さんが撮影されていたとされる写真には機内に勢いよく空気が流れた様子は無く、静謐なまま酸素マスクが下りてきているところが撮影されていた。
また、世界中で起きた事例をみても実際に1986年10月26日に起きた高度10,000メートルの上空で圧力隔壁が破れたタイ航空機の事件では後部隔壁が破れたにもかかわらず、垂直尾翼には何の影響もなかったという。
一方で、相模湾上空での圧力隔壁損壊説を否定する人の中には相模湾上空で垂直尾翼の2/3が失われた原因はミサイル又は無人標的機が衝突したからだという。
例えば、小田周二さん著『永遠に許されざる者』の中で
39ページ 「えらいことをした。標的機を民間機(日航機)に当ててしまった。今、百里基地から偵察機(F4E改造機)2機(式地豊二尉ほか)に追尾させているところだ(百里基地・稲吉司令官による「標的機の衝突事故」と戦闘機発進指示の告白)。
41ページ この百里基地司令官の言葉は、相模湾での標的機の実験演習の時の立ち会い担当者が衝突を目撃し、驚愕と懺悔、後悔の念で通報してきた時の言葉の反復と解釈するほかない。
元パイロットの杉江弘さんはそれはあり得ないと書物の中で批判されている。
杉江弘さん著
『JAL123便墜落事故 自衛隊&米軍陰謀説の真相』
(圧力隔壁損壊説を否定する人たちは)「それでは、「謎の飛行物体」は、垂直尾翼に対して、横から当たったということだろうか。もし、横からなんらかの物体が衝突してきたならば、反動で機首は物体が飛んできた方向に向くはずである。」
杉江弘さんは事故調査委員会を支持する人の側であることは承知している。
事故調査委員会の説を否定する場合は敵側の人であるが、上記の杉江弘さんの主張に誤りがなければ素直にその通りであることを認めなければならないと考える。
また、相模湾上空において外部から飛行した物体が垂直尾翼に衝突した影響で垂直尾翼の2/3が失われたという説は墜落現場において圧力隔壁が後ろ側にめくれ上がっていたという現象を説明できていない。
以上の事柄は相模湾上空ではない別の場所で垂直尾翼が失われた可能性があることを示唆している。
ワタナベケンタロウ動画㊹ 感想 その3に続く
ワタナベケンタロウ動画㊹ 感想 その1
- 投稿No.180
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-12-04 20:54:03
ワタナベケンタロウ動画㊹では実に興味深いことがテーマとして語られている。
ワタナベケンタロウ動画㉟及び㊱で生体力学、材料工学の専門家、近代史研究家の黒田匠さんが語られた内容の一部に異議があるとして大手民間航空会社で元機長の河原さん(元機長)が語っておられる内容だ。
ワタナベケンタロウ動画㉟及び㊱で黒田匠さんが語られていたのは相模湾上空で垂直尾翼の2/3が失われ、1/3しか残っていない状態での飛行についてだが1/3しか残らなかった垂直尾翼だが、フィンの役割を果たし、整流効果を生んだとされ、それによって機体は安定していたと発言されていた。
これに対してワタナベケンタロウ動画㊹で大手民間航空会社で元機長の河原さん(元機長)は次のように語られる。
パイロットとして操縦するときに尾翼が1/3しかない状況で操縦の安定を図るには非常な困難があると思う。その状態で旋回をしたりというのは非常に難しい。
操縦の安定には垂直尾翼が損傷なく機能を有しているものがあってこそ航空機というのは様々な操縦が可能になる。機能していないわずかな垂直尾翼とまともな機体では雲泥の差がある。
垂直尾翼1/3くらいでは垂直尾翼の性能はゼロ。抗力を押さえたりっていうのはほぼできないと思う。
(垂直尾翼が)そんな小さな状態ではまともには飛ばない。また、垂直尾翼がなければバンクが取れない。
エンジンパワーを使っての旋回というのは多少はできると思う。ただそれは垂直尾翼がきちんとあっての話で、後ろの垂直尾翼がきちんとあればエンジンパワーを左右調節してある程度の差を付けて、旋回は可能かもしれないがそういった事例は過去に外国でも実例がある。ただ、後ろの垂直尾翼が無くて、エンジンパワーの差をつけすぎていてはこれはもうすぐに失速したりとか急降下してすぐに墜落してしまう。
ワタナベケンタロウ動画㊹からの引用は以上。
大月上空を360度の旋回をして高度を下げたとき、本当に垂直尾翼の2/3が失われていたのだろうか?
ワタナベケンタロウ動画㊹ 感想 その2に続く
Re: Re: ワタナベケンタロウ動画(40) 犠牲者遺族 池田知加恵さんの著された2冊の書物には不自然な相違点がある
- 投稿No.124 元投稿No.123 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-10-31 22:27:28
> > 同一の著者によるものだとすれば不自然な相違点だ。
> 私から説明しましょう。池田さんと、18時50分の記述の方は別人です。
> 26ある家族のうちの、名前は出しませんが、二階からご主人を見送られた方が18時50分と書いています。
> また、26の家族の記述は、アバウト19時というものが多く、中には19時04分という正確なものもあります。
> 複数からの確認により、NHKでは18時50分、18時58分、19時04分、19時10分台の4回字幕が出ています。そして、19時26分に松平アナが初めて喋ってニュースを流します。
> 不自然なことはありません。
九州人さんへ
ご指摘ありがとうございます。私の早合点でした。
『なにか云って』の著者池田知加恵さんと、18時50分の記述の方は別人ということで納得です。
ワタナベケンタロウ動画(40) 犠牲者遺族 池田知加恵さんの著された2冊の書物には不自然な相違点がある
- 投稿No.122
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-10-31 20:29:43
墜落事故によって家族を失った池田知加恵さんが
事故から11年経って
『雪解けの尾根』
という書物を著されている。
同書物の13ページには、次のような記述がある。
「午後7時過ぎ、私はソファーに横になってテレビをつけた。とたんに事故を知らせるテロップが目についた。
夫の帰る時間帯に似ている。
びっくりして大声を出した。
すぐに勤務先の会社に連絡、夫の乗った便名を確かめた。
折り返しかかってきた返事は、『123便に間違いありません。』ということであった。」
ところが、ワタナベケンタロウ動画(40)
https://www.youtube.com/watch?v=ZzWc-klvH0Y
によると、同じ池田知加恵さんが上記の書物とは別に
『なにか云って』
という書物を著されているという。
ご自身の体験と共に直接コンタクトを取り合った26のご遺族の記録を収めたこの本は
一般には流通していないが、この本にかかわったご遺族にだけ配られたという。
この本の中には次のような話が記載されているという。
「夕方6時50分頃、会社の人から電話がきた。
テレビを見てますか、と聞く。
NHKはテロップで機影の消えたことを伝えていた。」
同一の著者によるものだとすれば不自然な相違点だ。
Re: Re: Re: Re: ワタナベケンタロウ動画が語る、最初にニューステロップが流れた時刻について
- 投稿No.116 元投稿No.112 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-10-27 21:13:30
> > ところが、消されまくったようで、昨今はそのような写真又は映像を眼にするのは希有なこととなり、最初からなかったことにされている。
> 週刊ポストでした。吉原公一郎さんが著書で紹介していましたが、吉原さんは可能性として言及しただけなのに、自衛隊幹部二名から過剰な口激を受け、「何をそんなにいきり立っているんですか?」という態度でした。
> 36年も放置有耶無耶になっている不思議な話です。
九州人さんへ
最初からなかったことにされようとしているのは他にもあります。
墜落現場で目撃されたキノコ雲がその一つ。
(「鎮魂JAL123便/池田昌昭著」20ページ)
長野県南佐久郡川上村秋山地区住民(男性Bさん・墜落現場へは北西方向へ直線距離で約7キロの畑で)の目撃談・・・著者が現地で取材
川上村秋山地区の上の方の今ここに立っているレタス畑に午後7時前に来たときだった。
埼玉との県境の南東の甲武信ヶ岳の方から窓が見えるくらいの大きさの飛行機がクーッとそこまで降りてきた。
そしてこの下にある川上村第二小学校の上辺りでギュッーと上へ上がって行った。ここまで来たがこんなレタス畑に降りられないと思い、上がって行った感じだった。
フラフラはしていなくスムーズに安定していて川上村秋山地区の方に降りて来た。
川上村上空でスーッと高度をグーッと下げ、旅客機とはっきり分かる大きさだった。垂直尾翼があったとか、なかったとかの記憶はない。
川上村第二小学校の上で右旋回し、ギューッと高度700〜800メートルへと機首をグッと持ち上げ、噴射の馬力でなんとか上昇していった。
川上村から見て北東の三国山の後の入道雲が出ていた辺りで、ガックリまっすぐに墜ちて行った。
墜ちた場所と原爆のようなキノコ雲が上がった場所は違う。
こっちから見て墜落場所の右の方から上がったので、墜落場所とキノコ雲が上がった場所とは少し距離がある。
ピカッと光りキノコ雲が出て垂直に墜ちていった上空地点と最終的に墜落した地点は、距離的に300〜500メートル離れている。
(引用は以上)
昨今は墜落現場で目撃されたキノコ雲のことに触れてあえて問題にする書物は少なくなり、最初からなかったことにされようとしている。
Re: Re: ワタナベケンタロウ動画が語る、最初にニューステロップが流れた時刻について
- 投稿No.109 元投稿No.107 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-10-24 22:06:11
> ただ、やはり、あったものをなかったことにするのは困難で、あちこち記憶を語る人が出てきますね。
九州人さんへ
墜落現場で事故直後に撮影された写真又は映像には123便の構成材とは思えない、オレンジ色をした破片が散乱しているのが写っていたという。
オレンジ色の破片はファイアービー又はチャカと呼ばれるロケットの外壁材ではないのかと騒がれていた。
ところが、消されまくったようで、昨今はそのような写真又は映像を眼にするのは希有なこととなり、最初からなかったことにされている。
ワタナベケンタロウ動画が語る、最初にニューステロップが流れた時刻について
- 投稿No.103
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-10-23 11:55:07
ワタナベケンタロウ動画
https://www.youtube.com/watch?v=FlKO_FgUEvE
によると、事故のことがニューステロップとして流れたのは一番早いもので事故当日の18時40分よりも前だったという情報もあるらしいが、間違いないところでは18時50分台だったと語っている。
ところが、事故当日は中曽根総理が事故のことを知ったのが電車から降り、官邸に着いた19時40分のことであり、運輸省など中枢にいた人たちはその時刻よりも後であったことになっていたという。
その後、中曽根総理ご自身が記された回顧録の中で、事故のことを初めて知ったのは官邸に着く前の特急電車の中であり、時刻は19時過ぎだったというふうに記された。
そうしたら、運輸省など中枢にいた人たちも、2010年頃以降からは実はもう少し前であったと訂正され出したという。
しかし、それでも総理がはじめて知られた時刻の午後7時より前には知らなかったということで統一されているらしい。
18時50分台には流れていたニューステロップについてもはじめからそんな時刻にニューステロップは流れていなかったことにする動きがあるという。
文書の改竄というものはこのようにして行われ、事実ですら証拠を抹消することによって記憶の不確かさで処理され、最初からなかったものにされてしまうものらしい。
Re: Re: 読書感想 「永遠に許されざる者」(小田周二さん 著) その4
- 投稿No.100 元投稿No.99 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-10-19 20:22:45
> それでは123便に近い遠い関係ありませんよね希望的観測が過ぎます。
> 根拠にもなりませんよ
> 私はせきたに様へ「戦闘機を見ていない」証言の扱いを聞いています
無名 さんへ
・東京ACCとの交信とファントム機の目撃情報について
管制官の
「あー、123便。違います。貴機を呼んでいない。」
この言葉と関連する前後のやりとりがわからないので何とも言えないが、可能性があるということを言っている。
前後のやりとりが判明した時点で管制官が呼んだのはファントム機であったか否かを判別すべきだろう。
・目撃情報の見方について
123便を目撃していながら、ファントム機は見なかったという目撃情報に関してはタイミングや角度の要素があるので、一概には言えないもののファントム機はいなかった可能性が高いと考える。
但し、ファントム機を見たからといっても123便と時空が一致していない場合は、それを論じるのは後回しにすべきだと考えている。
123便は河津あたりから伊豆半島を北上し、富士山の東側を18時30分頃に通過したと考えているので、焼津や藤枝で目撃されたものは違うと考えている。
Re: 読書感想 「永遠に許されざる者」(小田周二さん 著) その4
- 投稿No.98 元投稿No.97 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-10-14 22:30:52
> せきたに様はこの管制官と123便の交信をどの様に捉えていますか
> 管制官の他機へ向けた無線に123便が応答してまい「呼んでいない」の流れでしょうか、それとも管制官が間違えて123便を呼んでしまった?
> 私にはさっぱり理解ができませんのでお考えをお聞かせください
> 各地点で報告されている「戦闘機を見ていない」多数証言をどの様に判断するのでしょうか?
> せきたに様の証言の扱いに興味がありますこれについてもお答えいただければと思います。
無名 さんへ
東京ACCとの交信とファントム機の目撃情報について
もしも管制官が他機を呼ぶのを間違って123便を呼んでしまい、123便がその呼びかけにまともに応答し、管制官が「あー、123便。違います。貴機を呼んでいない。」という展開なら、不自然だ。
管制官が他機を呼ぶ目的での交信が間違って123便を呼んでしまったというのなら、呼ばれた123便側もそのことに気が付くはずだと思われるが、
そのことに123便側も気が付かず、まともに応答したというのなら、交信ミスが二重に起きたことになる。
その場合は例えば、
「あー、123便。違います。すみません、間違えて貴機を呼んでしまいました。」 という具合になるはずだ。
おそらくは管制官の他機へ向けた無線に123便が応答してしまい「呼んでいない」の流れだろうと考える。
大月での目撃情報が少ないのは当日の天候の悪さがが影響しているのだろう。
8月12日の夕方、羽田の空は晴れていたが、大月の空は「疑惑 JAL123便墜落事故」の著者である角田四郎さんによって目撃される直前まで
どしゃぶりの雨だったことが目撃情報が希少となっている大きな要因だと思われる。
「疑惑JAL123便墜落事故/角田四郎著」54~55ページ
角田四郎さんご自身の体験談
12日は日程4日目であった。この日は私の指導で近くの倉岳山(990メートル)へハイキングに出かけた。夏の陽がジリジリ照りつける暑い日であった。
どうにか全員無事に全行程を歩きぬいて桂川河川敷に近いキャンプ場にたどり着いたのが午後3時過ぎ。
午後4時頃、突然、空がまっ黒になり、バケツの水をひっくり返した様な大ツブの雨がたたきつけ、カミナリが近くで鳴り響いた。
約1時間話し声もかき消さんばかりの雷雨が続き、降り始めと同じ様に突然やんだ。雨が上がった空は一変して、澄みきった青空が広がり涼風を運んできた。
次に、ファントム機が多くの場所で123便とセットで目撃されていないというところは、ファントム機が123便を追尾したのは123便が富士山の東側を
通過する前後から123便が大月上空を離れるあたりまでではなかったかと考えている。
それ以外の場所で目撃されていなくても不思議には思わない。ただ、大月上空まで追尾した後は御巣鷹山付近で墜落の事象に関与した可能性はあると考えている。
目撃情報の取り上げ方についてだが、大月上空以外でファントム機が目撃されたのは知る限り3箇所ある。
1.青山透子著『日航123便 墜落の新事実』 111ページ
自衛隊第12偵察隊(相馬原)の一等陸曹、M・K氏の手記
「8月12日私は、実家に不幸があり、吾妻郡東村に帰省していた。午後6時40分頃、突如として、実家の上空を航空自衛隊のファントム二機が低空飛行していった。」
2.青山透子著『日航123便 墜落の新事実』 106ページ
目撃者:小林美保子さん(1985年当時22歳で、実家から静岡県藤枝市にある運輸関係の会社まで車で通勤していた。)
その機体を見た後、いつもどおりの道を車に乗って帰宅途中、今度は目の前を飛ぶ二機のファントム(F-4EJ)を見た。時間は18時35分頃である。
3.上野村 神流川(中学校) 「文集:小さな眼は見た」
(以下、投稿No.76 投稿者:AOSANさんによる投稿内容からの引用)
P.71 6:30過ぎに「飛行機の大きな音のあと、外出たら、やっぱり飛行機で空は稲光でピカピカ光っていた」父親「帰宅途中、柳橋の上で大きな飛行機が飛んでいた」
p141 父「飛行機が飛んでるそ、来てみろ」と言ったので、外出ると「大きい飛行機と小型のジェット機が2機飛んでいた」
5分以上たっているのにぐるぐる回ってばかりいた。
上記の1.~3.の目撃情報はいずれも墜落直前の時間帯なので、各々の場所で目撃されたファントム機は墜落事故と何らかの関連性を持っているのかもしれない。
しかしながら、明らかにJAL123便と無関係の位置でファントム機を見たという目撃情報を取り上げてしまうと紛らわしくなると考える。
読書感想 「永遠に許されざる者」(小田周二さん 著) その4
- 投稿No.94
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-10-12 22:05:31
ファントム機との交信に関して「永遠に許されざる者」75ページ~76ページには次のように記されている。
「CVRに残された会話の断片からは、この横田基地への着陸を目前にして緊迫した事態が発生したことがわかる。CVRでは、ある時点から高濱機長の奇妙な会話が突然始まる。
相手の名前もその発言内容も記録されていない、それだけを読んだのでは意味不明な会話だ。
それはこのようにして始まる。
18:46:16 機長「このままで お願いします」
この 言葉は、それまでのCVRに記録されている他の高濱機長の語調とは大きく異なる。
高濱機長は元自衛隊パイロットであり、その語調は簡潔で命令調である。
しかし、機長のこの言葉は、上位の地位の人に対する人への懇願調なのだ。
したがって、これが事故機コックピット内の佐々木副操縦士、機関士に対するものでないことは明らかである。
さらに、これが東京の管制官との交信の言葉でもないことも明白である。もし管制官であれば、その前後に管制官の言葉がなければならないが、それは全然ないからである。
日本語で話されているからその相手は日本人であり、懇願する相手は地位的に格上の存在、機長でさえ下手に出なければいけない怖い相手なのだ。
その相手はすぐ近くにいる。飛んでいるのだ。」
書物にはこのように記されているが、残されたCVRとされるものには
機長の 「このままで お願いします。」
の前後に東京ACCの言葉が存在する。
18:46:09 ジャパンエア123、羽田にコンタクトしますか?(東京ACC)
18:46:16 このままで お願いします。(JAL123)
18:46:20 コンタクトしますか?(東京ACC)
18:46:21 こ、このままで お願いします。(JAL123)
18:46:27 はい、了解しました。スタンバイ、お待ちください。(東京ACC)
とあるので、機長の「このままで お願いします。」はファントム機と直接交信した言葉ではなく、東京ACCからの問いかけに答えられた言葉であることが明白だ。
ただ、JAL123便の近くにファントム機がいた可能性は残されている。
その根拠は
CVRに残された
18:26:30 あー、123便。違います。貴機を呼んでいない。(東京ACC)
(「貴機を呼んでいない」ということであれば東京ACCが呼ぼうとしていた機体がJAL123便の近くにいた可能性が考えられる)
という東京ACCからJAL123便への交信の言葉と、
角田四郎さんの「疑惑 JAL123便墜落事故」に著者自身の大月での目撃情報として以下のように記されているところだ。
後日、当時刻にこの空域にいた航空機が発表になり、私が二度にわたり見た機影が、日航機以外にあり得ないことも知った。
前述した北西にドンドン飛び去った三つ目の機影もこの発表から全日空小松行きであると判明した。
ただ、前には書かなかったが、私はこの時さらに二機の航空機を目撃している。
不思議なことに、この二機に関する記述はその発表航空機リストには見あたらない。私の目撃を証言する者もいない。
しかし私は確かに、その二機を木の間に見たのである。
(疑惑 JAL123便墜落事故 P60~P61)
私はすでに大月付近のキャンプ場で事故機目撃の2~3分後に、自衛隊機2機を目撃したと書き記した。
事故機の目撃18時42分頃~43分頃と推定できるので、自衛隊の戦闘機2機を見たのは45分頃になる。
すると日航123便が大月上空でループ飛行(一回転)した直後ということになる。
しかもそれは日航機と非常に近い距離を飛行していたことになる。
(疑惑 JAL123便墜落事故 P389)
読書感想 「永遠に許されざる者」(小田周二さん 著) その3
- 投稿No.87
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-10-10 13:00:23
書物中、相模湾上空から始まり、静岡県藤枝市にかけて墜落状態に近い急降下があったとされているところについては異論がある。
『圧力隔壁説をくつがえす』(青山透子さん著)によると、墜落の主要因は圧力隔壁の損壊ではなく、「異常外力着力点」であったということが記された公文書が見つかったという。
「圧力隔壁説をくつがえす」159ページ
今回の発見は、異常外力着力点の位置とそこから始まった垂直尾翼の破壊が墜落原因である未解決事件だった、ということである。
その根拠は、
「客室内与圧空気が噴出したのではなく、異常外力の着力点が垂直尾翼中部にあった、それによって垂直尾翼が破壊された、と事故調査報告書の『別冊』に書いてある。」と記され、(同書137ページ)
更に、
この「外力」は、飛行機の左側の横、つまり側面から当たっている。(同書93ページ)
と記されている。これは、垂直尾翼を破壊するほどの外力が垂直尾翼に横方向から衝突したことを意味し、飛翔体はズバリ、爆発物を搭載していないミサイルだったのではないかという。
つまり、爆発物を搭載していないミサイルが垂直尾翼目がけて横方向から衝突し、それが原因で垂直尾翼の破壊が始まり、墜落の主要因となった。
ここまでは新しい発見として受け入れれば良い。
問題なのは、著者は「異常外力着力点」が相模湾上空で起きた事象だとされているところだ。
「異常外力着力点」が相模湾上空で起きた事象だとすると、元パイロットの杉江弘氏の「陰謀説の真相」に記されている論理主張と相反関係となってしまう。
「陰謀説の真相」で杉江弘氏は
「それでは、「謎の飛行物体」は、垂直尾翼に対して、横から当たったということだろうか。もし、横からなんらかの物体が衝突してきたならば、反動で機首は物体が飛んできた方向に向くはずである。」(同書50ページ)
客室乗務員の「大きな揺れはなかった」という証言によって、相模湾上空でそのようなことが起きていなかったのは明白だ。また、証言によると富士山の東側を通過するまでは雲の上のままであったことがわかる。
それでは、『事故調査報告書別冊』に『垂直尾翼に対して、横方向から「異常外力着力点」となる物体が衝突し、それによって垂直尾翼の破壊が始まり、墜落の主要因となった。』と記されていることは誤りなのだろうか?
JAL123便は長野県川上村梓山地区から見て、甲武信ヶ岳の方角から、徐々に高度を下げながら近づいてきた。
そして、同地区の上空で90度の右旋回をし、今度は高度を上げながら、北東の方向、すなわち、三国山山系悪岩と呼ばれるあたりを目がけて一直線に上昇していった。そのあたりで、左旋回をしたかと思うとガクンと墜落していった。
長野県南佐久郡川上村梓山地区で墜落現場から2~3キロの距離で山あいの畑から目撃された女性は次のように語る。
(「鎮魂JAL123便/池田昌昭著」26ページ~)
「当日8月12日午後6時52~53分頃、川上村梓山地区の上にある畑に出ていていちご摘みやレタスの収穫作業をしていた時だった。畑でいちご摘みをしていた手元が急に明るくなったので、ふと上空を見上げると真上に窓の明かりが一杯について、エンジン音がほとんどしない大きな飛行機が飛来してきた。上空400メートルくらいで一瞬お化けが出てきたかと思った。
子供が『あれはジャンボ機だ』とすぐに叫んだくらい見たこともない大きな飛行機で埼玉の方から飛んで来た。電気を一杯つけたジャンボ機の全部の窓に明かりがついていたが乗客の姿は下からは見えなかった。
飛行はフラフラしていなく一応安定していて垂直尾翼が欠けていたかどうかは分からなく、機体からは煙は出ていなかった。畑の上空で右旋回をして2~3キロ先にあるその昔岩から毒物が出たことから長野群馬県境三国山系通称『悪石』と呼ばれる岩山にぶつかりそうになりそれをスレスレにかわし左旋回をしたかと思うと、飛行機は見えなくなった。
地元民が最後に目撃された左旋回の要因が、JAL123便が飛んで行った方向の西側から飛来した物体が衝突したことで「異常外力着力点」が生じた可能性があり、そうするとJAL123便の進行方向左側から衝突したことになり、「飛行機は反動で機首は物体が飛んできた方向に向く」と言われる杉江弘さんの説と合致する。「左旋回をしたかと思うとガクンと墜落していった。」というところは、生存者の落合由美さんの次の証言ともぴったりと一致する。
「安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺さぶられるのを感じました。船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。しかし、上下の振動はありませんでした。 ・・・そして、すぐに急降下がはじまったのです。」
航空機が墜落する場合、その主となる要因が墜落から1分以内に発生している場合が多いのが実際だというが、それとも合致する。
そうすると「圧力隔壁説をくつがえす」75ページに記されている事故調査報告書別冊からの抜粋として引用されている図10の「異常外力着力点」は相模湾上空ではなく三国山上空で生じたものであると思われ、「異常外力着力点」が生じた直後から文字通りの急降下が始まったと考えられる。
読書感想 「永遠に許されざる者」(小田周二さん 著) その2
- 投稿No.74
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-09-20 21:21:11
『永遠に許されざる者』を読むと、事故後、しばらくの時間が経過するまでは冷静に事故の分析も出来ず、傍観者の立場であったと言われる。
その後、事故調査委員会が1987年6月に公表された報告書に記載の事故原因に則って、加害者とされる組織「ボーイング社」「日航」「航空局」の三社を相手に告発された前後から、
著者が特に日本航空という会社と長年に渡り、どれだけ妥協を許さず、懐柔されることもなく、真摯に向き合われてきたのかがわかる。
著者はその結果、結論として「日本航空は実は加害者ではなかった」と言われ、日本航空は加害者ではなく、むしろ被害者に近い存在であったのだが、あえて加害者役に徹してその役割を演じてきた。
あるいは真の加害者からの意図に従って加害者役を演じさせられてきたにすぎないのだと言われる。
ただ、読書感想としては、小田周二さんの言われる「加害者」というのは必ずしも実行犯という意味ではなく、
「事故原因を知っていながらそれを明かさず、隠し通している存在」即ち、「悪意」である存在のことを仰られているように感じる。
著者は、日本航空は犠牲者遺族と同様に本当の事故原因を知らされていない存在であるという。
ところが、自ら「加害者」と称する日本航空が犠牲者に対しては「被害者」あるいは「犠牲者」とは呼ばず、「遭難者」と呼び、あえて加害者役を演じ、「補償金」ではなく、「見舞金」を支払ってきたと言われる。
読書感想 「永遠に許されざる者」(小田周二さん 著) その1
- 投稿No.62
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-09-05 15:04:59
書物に記載されている事柄は多岐に渡り、焦点がつかみにくいが、著者が一貫して主張されているのは次に記す事柄のようだ。
墜落事故に関しては一般には知られていないが、遺族から見た場合は全く別の見え方があることがわかる。
1987年6月、事故調の調査結果に基づく事故原因が発表された。
あの墜落事故は事故の7年前、大阪空港における着陸の際のしりもち事故の際に圧力隔壁の一部が損傷した。
その際の接合部の補修に致命的なミスがあったのだが、気付かれずに飛行を重ねるうちに劣化し、
事故日の飛行において相模湾上空の伊豆半島手前あたりで突然接合ミスの部分から後部圧力隔壁が破れ、後方に勢いよく吹き出した空気が垂直尾翼を吹き飛ばした。
垂直尾翼の半分以上が欠けたジャンボ機は迷走飛行となってしまい、最後は御巣鷹山に墜落するに至った。
世間一般には今でもあの墜落事故をそのような認識のままでいる人が多いという。
遺族達は事故調が発表したこの事故原因を信じて前橋地検に向けて「ボーイング社」「日航」「航空局」を告訴した。
ところが、1990年7月の前橋地検の判決は事故調の事故原因を否定し、隔壁破壊説を却下。上記三者の異議申し立てもなく、司法的に無罪が確定。
前橋地検が出した無罪判決の事実とその意味するところについては、世間はあまり知らされていない。
事故調の事故原因が否定され、隔壁破壊説が却下された上での無罪判決だとすれば、事故原因に対しての再調査の方向に向かうべきだが、実際はそうはならなかった。
無罪とされた日航がなぜかその後も犠牲者遺族達に向けては依然として「加害者」としての立場で対応してきたという。
そして、墜落事故の被害者であるべき犠牲者は、「犠牲者」ではなく、今もって「遭難者」として取り扱われているという。
DFDRデータは客室乗務員の証言と一致しないのでは・・・
- 投稿No.47
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-08-15 21:04:51
非番の客室乗務員であった落合由美さんの証言として
「そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。
夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。
左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。」
(「墜落の夏」吉岡忍著からの引用)
という内容が残っている。
上記の証言は体験したままを語っておられるという印象を受け、記憶のあいまいさは感じられない。また、ことさら誇張されている箇所もないと思われる。
証言からわかることは、
・そのとき、富士山よりも少し上を飛行していた。
・そのとき、富士山はとても近くに見えていた。
・そのとき、富士山は機体の進行方向に対して左側に見えていた。
JAL123便の場合においても公開されたDFDRデータが改竄されていないというのならば、実際の飛行経路と一致しているということを意味するはずだが、DFDRデータと上記落合由美さんの証言とが一致する箇所が異変発生から墜落までのどこにも見当たらないのではないだろうか?
Re: データ
- 投稿No.43 元投稿No.42 さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-08-11 08:44:01
> DFDRのデータには触れず主観的な見解が多く主張の意図がわかりません
> 外部からの衝突や撃墜説はデータから完全否定できます。科学的根拠に基づいての考察はされないのでしょうか?
宇佐木 さんへ
JAL123便が18時12分に羽田を離陸して後、墜落するまでに限ってですが、公開されたDFDRのデータに信憑性があると考えられますでしょうか?
信憑性がなければ、「データから完全否定できます」とは言えないはずです。
18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 その10(総括)
- 投稿No.41
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-08-08 20:58:15
18時12分に離陸後約8分間が経過しようとしていた。
そろそろ水平飛行に近づこうとしていたタイミングでベルトサインが消えたことにより、客室乗務員が席を立ってミッキーマウスのグッズが配られはじめていた。生存者の川上慶子さんは妹と共にそのグッズを受け取っている。
その頃機体の上部で〈パーン〉という音がして離陸後最初の異変が起きた。
異変が起きたことによって、酸素マスクが下りてきた。その時の時刻は18時20分頃のことだったと思われる。
「ただいま緊急降下中。マスクをつけてください。」と日本語と英語で流れました。マスクのつけ方は、となり同士教えあって、あんがいスムーズにつけていました。
しかし、緊急降下中といっても、体に感じるような急激な降下はありませんでした。
と落合由美さんの手記には記されている。
酸素マスクが下りてきて、装着がはじまり、「ただいま緊急降下中。マスクをつけてください。」というアナウンスが流れたが、実際には急降下はなかった。むしろ、酸素マスクが下りたことによって、機内で減圧が生じているかもしれないというパイロットの判断で、当初予定されていたいつもの高度まで上昇することはせずにしばらく様子を見ておられたのだろう。
総括すると、離陸後、最初の異変が起きて、酸素マスクが下りてきた。 乗客たちは酸素マスクを装着、その頃、「緊急降下中」というアナウンスが流れたが、体に感じるような急降下はなかった。
そして東伊豆に近付いたところでニ回目の異変が起きた。
『天命の陳情』という書物を著された村岡伸治さんはこのときに起きた異変はそのときの目撃情報から類推すると、外部から何かが衝突したのではなくて、機体の内部のおそらくは荷物室において油圧配管が破損してしまう程度の爆発が起きた可能性があると言われている。
東伊豆、河津町のタクシー運転手、近持芳太郎さん(58歳)と渡辺武夫さん(51歳)は河津駅前のベンチで休憩中に、この瞬間を目撃した。
「海側の北東上空で雷のような〈ボーン〉という音がした。見上げるとジャンボ機は機体後部から灰色の煙を出して駅の上まで水平飛行した。
(『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎著)の21ページ)
上記目撃情報の中に記される
「ジャンボ機は機体後部から灰色の煙を出して」
というところ。
機内爆発ではなく、外部からの衝突であれば、煙は衝突した場所に留まり、機体から遠ざかっていくばかりで、尾を引くような状態にはならない。
更に、杉江弘さんが相模湾上空における外部衝突説を否定する論拠として次のように記される。
「それでは、「謎の飛行物体」は、垂直尾翼に対して、横から当たったということだろうか。もし、横からなんらかの物体が衝突してきたならば、反動で機首は物体が飛んできた方向に向くはずである。」
本来垂直尾翼はとても頑丈に作られている。そして、機体に頑丈に取り付けられている。
ということは、垂直尾翼に横方向から外部の物体が衝突すれば、かならず機体そのものを押す働きが生じるはずだ。外部からの物体が飛行中の機体の尾部に衝突すれば、尾部は横方向に押され、反動で機種は外部から飛んできた方向に向く。これは杉江弘さんのご指摘通りだ。押す働きなしに、垂直尾翼だけが破壊されるということは考えられない。
ところが、客室内にいた落合由美さんの証言は、
「このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じませんでした。」
とあるので、垂直尾翼に横方向から物体が衝突し、その衝撃で垂直尾翼の半分以上が失われたということはおおよそ考えられない。
伊豆半島を北上後、ライフベストの装着がはじまり、ライフベストの装着の完了したときのタイミングで富士山の東側を通過したものと思われるが、その間の機体の位置は一貫して雲の上であったが、高度7,000メートル付近というのではなく、富士山の頂上よりも少し上ぐらいの高度で、具体的には東伊豆の河津駅のあたりからはいつもの倍ぐらいの大きさに見えたという程度の高度を保ちながら北上したものと思われるが、富士山の東側を通過するまで、途中急降下はしていない。
そうすると、村上良平さんの書き残された
18・30 急に降下中
と記されている箇所は必然的に富士山の東側を通過したあたりで、乗客の大半が安全姿勢を取った直後のことであったと思われる。
(18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 完)
18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 その9
- 投稿No.35
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-07-05 22:03:24
『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎著)86ページには
生存者の一人、吉崎博子さんの証言が記されている。
「ドーンとものすごい音がして眼がさめました。同時に、白い煙がパアーッと入ってきます。なにがなんだかわかりませんでしたが、酸素マスクが上からおりてきたので、緊急事態が発生したことは理解できました」
この証言も18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由となっている。
吉崎さんの証言内容通りだとすると、酸素マスクがおりてきたのと、白い煙が客室内に入ってきたのがほぼ同時であったということになり、そのことが意味するところは、離陸後、初めての異変によって酸素マスクがおり、白い煙がほぼ同時に発生したことになる。
ところが、酸素マスクと白い煙に関する記述に関する事柄について、落合由美さんの証言は少し違う。
離陸後、しばらくして、(おそらくは客室乗務員によって子供達に向けてミッキーマウスのぬいぐるみが配られていた頃)〈パーン〉という音とほとんど同時に、酸素マスクが自動的に落ちてきた。となっているだけで、そのときの〈パーン〉に付随して白い煙のことについては言及されていない。
一方、白い煙のことについては、以下のように記しておられる。
「やはり〈パーン〉という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。」
注意深く次の箇所を読むと、文中、「そのときは」と記されている、「そのとき」というのは離陸後二回目の〈パーン〉の時である。
「はじめはスチュワーデスもそれぞれの席に座って酸素マスクをしていましたが、しばらくして、お客様のマスクを直したりして、まわっていました。そのときは、エキストラ・マスクをひっぱって、口にあてていました。」
落合由美さんの証言によると、酸素マスクがおりてきたときには同時に白い煙のようなものは発生していない。酸素マスクの装着が終わった頃にもう一度異変が起きて白い霧のようなものが発生したと記されているので、酸素マスクがおりた時刻と白い煙のようなものが機内で目撃された時刻とには一定の時間差があったものと考えられる。
いずれの証言も貴重なのだが、吉崎博子さんの証言と落合由美さんの証言とを比較してみると、酸素マスクがおりてきたときと白い煙が入ってきたタイミングについて、一致していないものと思われる。
ただ、次の証言は、河津駅のあたりから、〈ボーン〉という音と共に相模湾上空を飛行するジャンボ機がふだんの二倍近い大きさで目撃されたということが、そのときの異変が離陸後初めてのものではなかった可能性を示唆しているものと思われる。
(『疑惑 JAL123便墜落事故』21ページ)
河津駅の北西の山側で畑仕事をしていた同町役場職員渡辺穣さん(45歳)の証言は
「午後6時半前、ボーンという音で上空を見た。雲の切れ間からジャンボ機がふだんの二倍近い大きさで見えた。」
(その10に続く)
18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 その8
- 投稿No.32
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-06-27 22:46:12
18時40分過ぎという時間帯に大月という場所の上空を大きく円を描きながら低空で飛ぶジャンボ機が角田四郎さんによって目撃されている。
18時30分に富士山の東側を通過したのだとすれば、そこから大月までどうして10分以上もかかっているのだろうか。
犠牲者 河口博次さん(52歳)の遺書
飛行機は まわりながら
急速に降下中だ
富士山の東側を通過するとき、機体は大きく横方向に大きく揺れていた。
その後、すぐではないかもしれないが、大月上空に至るまでのところで、機体は円を描きながら、ということは前進した箇所と後退した箇所があったことになり、螺旋状の軌跡はを描いて降下しながら大月に近づいて行ったので、まっすぐ飛行するときの倍ぐらいの時間がかかったものと思われる。
(その9に続く)
18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 その7
- 投稿No.29
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-06-13 14:40:31
落合由美さんの手記の中で、18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくくさせている最大の理由はおそらく次の箇所だろう。
「そのうちに酸素が出なくなりました。いつだったか、私がフライトをしていたとき、お客様から、酸素マスクは何分くらいもつのか、とたずねられたことがありました。全員が吸った場合、18分くらい、と計算したことがあります。そのくらいの時間が経過していたのかもしれません。でも、ほとんどのお客様は、そのままマスクをしていました。」
上記の記載があって、その後に富士山の東側を通過したことが記されているので、富士山の東側を通過したときには既に酸素マスクから酸素が出なくなっていたことは明らかだ。
問題なのは
「全員が吸った場合、18分くらい、と計算したことがあります。」
と記されているころで、これをそのときのフライトにおいて実際に酸素マスクが18分間もったのだと解釈すると間違ってしまう。
実際に酸素マスクが18分間もったと解釈すると、離陸後最初の異変が起きて酸素マスクが下りたのが18時20分頃だとしても、富士山の東側を通過したのは18時38分よりも後だったことになる。
それで何が都合が悪いのかと言われるかもしれないが、犠牲者の村上良平さんは遺書に、
機体が大きく左右にゆれている
18・30 急に降下中
と記されている。
一方、生存者の落合由美さんは
「飛行機はあいかわらず旋回をくり返すように左右の傾きをつづけます。振動などは全然ありません。とにかく、くり返し、左右に傾いているという揺れ方がつづきました。」
と記されている箇所があり、その表現は
村上良平さんの
機体が大きく左右にゆれている
の箇所とピッタリと一致しているが、落合由美さんはそのあたりを飛行しているときの情景描写として、
「私の席に近い左の窓から見えたのは、まっ白な雲だけでした。かなり厚い雲で、地上は見えませんでした。」
と記されている。
更に、酸素マスクの装着に続いてほとんど間をおかずにライフベストの装着が始まったようだが、そのあたりでも
「私は羽田にもどれればいいな、と感じていました。しかし、まだ雲の上で、高度も高いし、ちょっと無理なんじゃないかな、とだんだん不安になってきました。」
と記されており、酸素マスクの装着からライフベストの装着がはじまるまで一貫して機体が雲の上にあったことが記されている。
そして、その延長として、
揺れはいっそう大きくなりました。もう立っていることはできないほどです。救命胴衣をつけ終わってすぐに、ほとんどいっせいに安全姿勢をとりました。
とあり、その言葉に続いて
「安全姿勢をとる直前、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。」
という言葉が一連の文章として綴られている。
(その8に続く)
18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 その6
- 投稿No.28
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-06-08 20:48:33
『疑惑 JAL123便墜落事故(角田四郎 著)』21ページには
東伊豆、河津駅の北西の山側で畑仕事をしていた同町役場職員渡辺穣さん(45歳)の証言は「午後6時半前、ボーンという音で上空を見た。雲の切れ間からジャンボ機がふだんの二倍近い大きさで見えた。
と記されている。
この証言から何がわかるかと言えば、上空を見上げたとき、ジャンボ機が雲の切れ間から見えたということは、東伊豆上空の空は晴れており、ところどころに雲が出ているような天気であったということ。そして、機体は雲よりも上の位置にあったことを意味する。更に、そのときの高度についてはふだんの二倍近い大きさで見える高度のところを飛行していたということだ。
その場所を飛行するふだんの高度が地上7,000メートルぐらいであると言われているが、地上からふだんの二倍近い大きさで見えたということは、そのときはずっと低い高度を飛行していたことになる。
もう一つの疑問点は、その時点でどうしてふだんの二倍近い大きさで見えたのかという点だ。
そのことを考えるとどうしても離陸後ベルトサインがはずれて客室乗務員が席を立ち、子供たちに向けて夏休みのキャンペーン商品であるぬいぐるみのグッズを配り始めたときのタイミングで起きたと考えられる異変のことが気になってくる。
落合由美さんの手記の中で、
「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、〈パ-ン〉という、かなり大きい音がしました。」
このとき、機体は水平飛行に近づいていたので、ベルトサインが消えたものの、正確にはまだ上昇中であったと思われる。
離陸後一回目に起きた異変によって、客室内では酸素マスクが下りてきている状態だったので、機内で急減圧が生じている可能性があるかもしれないと考えたパイロットたちは機体を通常の高度まで上げずに、異変が生じた時の高度を維持し、そのまま二回目の異変が起きるまで水平飛行したのではないか。
そうであればその水平飛行の間に乗客の大半が酸素マスクを装着したものと思われる。
(その7に続く)
18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 その5
- 投稿No.27
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-06-07 21:50:37
東伊豆、河津駅の北西の山側で畑仕事をしていた同町役場職員渡辺穣さん(45歳)の証言は「午後6時半前、〈ボーン〉という音で上空を見た。
(『疑惑 JAL123便墜落事故 角田四郎著 21ページからの抜粋)
とあるが、そのときの異変について、機内におられた落合由美さんは手記の中で次のように語っておられる。
「やはり「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。
はじめはスチュワーデスもそれぞれの席に座って酸素マスクをしていましたが、しばらくして、お客様のマスクを直したりして、まわっていました。
このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じませんでした。しかし、何が起きたのだろうと、私は酸素マスクをしながら、きょろきょろあたりを見まわしていました。」
(『墜落の夏』(吉岡忍著)から落合由美さんの手記の部分からの抜粋)
紛らわしくさせているのは、落合由美さんが手記の最初の方で
「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、〈パ-ン〉という、かなり大きい音がしました。」
という言葉の中で〈パーン〉と記されている音と、もう少し後で上記の
「やはり「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。」
と記されているところで、もう一度〈パ-ン〉という同一の言葉が使用されているところにある。
文字にすると同じ言葉なので、一見最初の〈パーン〉と二度目に出てくる〈パーン〉は同一時刻に起きた音を繰り返し語られているように受け取ってしまいやすくなっている。
ところがそうではなさそうだ。
二度目の〈パーン〉のときには
「このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じませんでした。」という文章は「このときも」という言葉から始まっており、その言葉はそのときに起きた異変が離陸後初めてのものではなかったことを表現している。
また、そのときの付帯状況として、客室乗務員が「お客様のマスクを直したりして、まわっていました。」と併せて記されており、そうすると二度目の〈パーン〉のときには既に酸素マスクが下りていたことになるので、その時点(東伊豆、河津駅の上空)よりも前の段階で別の異変があったことが裏付けられている。
(その6に続く)
18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 その4
- 投稿No.24
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-05-21 20:55:52
「ゆっくりと左右に大きく旋回しているような動きがはじまったのは、酸素マスクをして、しばらくしてからです。
「パーン」という音から、たぶん10分くらいしてからのように思います。」
(『墜落の夏(吉岡忍著)』落合由美さんの手記からの抜粋)
落合由美さんは「パーン」という音から、10分くらいしてからゆっくりと左右に大きく旋回しているような動きが
はじまったと言われている。
一方で〈ボーン〉という音を聞かれた直後の機体の様子について、地上からの目撃者は次のように語っておられる。
東伊豆、河津町のタクシー運転手、近持芳太郎さん(58歳)と渡辺武夫さん(51歳)は河津駅前のベンチで休憩中に、
この瞬間を目撃した。
「海側の北東上空で雷のような〈ボーン〉という音がした。見上げるとジャンボ機は機体後部から灰色の煙を出して駅の
上まで水平飛行した。
「駅の上まで水平飛行した」とあるので、ゆっくりと左右に大きく旋回するような動きはこの時点ではまだ始まっていない。
犠牲者の村上良平さんの遺書には
機体が大きく左右にゆれている
18・30 急に降下中
と記されてあった。
ということは、機体がゆっくりと左右に大きく旋回しているような動きがはじまったのは地上からの目撃者が上空で
〈ボーン〉という音を聞いた後で、かつ18時30分よりは前のことであったことになる。
ところで、離陸後、シートベルトのサインが消えた時刻に関する考察で、角田四郎さん著 『疑惑 JAL123便墜落事故』
の250ページには次のように記されている。
『事故後、「日航123便」を避ける乗客が増えたことや日航としてもイメージ・ダウンになることを嫌って、
この便名を欠番にすることを決定し(1985年)9月の秋のダイヤから「123便」が消えることになった。
その最終便に登場した記事があったのを記憶に残していた。
「事故機同様、12分遅れて離陸し8分後の18時20分にベルト・サインが消えた。
これは好天時の平均的時間で、事故機も同様であったと思われる」新聞記事は毎日であったと思う。』
事故機は18時12分に離陸しているので、記事の内容通りだとすれば離陸後、シートベルト着用のサインが消えた
時刻は18時20分頃であったと考えられる。
(書物からの引用は以上)
村上良平さんの遺書が正しければ、機体が左右に揺れはじめたのは18時30分よりも前のことだ。
一方で落合由美さんは機体が左右に揺れはじめた地点から約10分前に〈パーン〉という音で酸素マスクが
降りてきたと言われている。
機体が左右に揺れはじめた地点から落合由美さんの感覚で約10分前ということだが、具体的には離陸後、
まだシートベルトのサインが点灯していた時間帯は該当しない。
そうすると、〈パーン〉という音が鳴って酸素マスクが降りてきたのは離陸後、シートベルトのサインが
消えて客室乗務員が席を立ち、子供たちに向けて夏休みのキャンペーン商品となっていたミッキーマウスのグッズを
配り始めたあたりの時刻に特定されてくる。
(その5に続く)
18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 その3
- 投稿No.23
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-05-19 22:17:36
落合由美さんの証言で「パーン」という音がしたのは離陸後のどの地点だったのだろうか?
『墜落の夏(吉岡忍 著)』に記されている落合由美さんの証言から「パーン」という音と
その付帯状況が記されている箇所を抜粋してみると、
「禁煙のサインはすぐに消えたのですが、着席のサインが消えていたかどうか、はっきりしません。
そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい音がしました。
「パーン」という音とほとんど同時に、酸素マスクが自動的に落ちてきた。」
一方で生存者の一人、川上慶子さんに(1985年)8月19日に高崎の病院で看護師により行われたインタビューの中で
「羽田を離陸して「しばらくして、スチュワーデスがミッキーマウスのお人形グッズを配り始めた(読売)とある。
スチュワーデスたちはベルト・サインの点灯が消えたことを確認してから席を立ったであろうと思われるので、
離陸後一旦はシートベルト着用のサインが消えていたことが推測できる。
(『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎著)82ページ)
離陸後、酸素マスクが降りてきて、いったん消えたベルトサインが再び点灯したのは、どの地点だったのだろうか?
伊豆半島の東側、河津駅近くからの目撃者の耳に〈ボーン〉と聞こえた時だとすると、辻褄が合わなくなることがありそうだ。
(その4へ続く)
18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 その2
- 投稿No.22
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-05-17 22:09:46
「そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。
このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。
夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、
すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、
私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。」
(「墜落の夏(吉岡忍 著)」に記されている落合由美さんの証言から)
上記、落合由美さんの証言内容から、
富士山の東側を通過したときの機体の位置は富士山の頂上からさほど離れていなかったことがわかる。
一方、伊豆半島東側の河津駅の北西の山側で畑仕事をしていた同町役場職員
渡辺穣さん(45歳)の証言は
「午後6時半前、ボーンという音で上空を見た。雲の切れ間からジャンボ機がふだんの二倍近い大きさで見えた。」
(『疑惑 JAL123便墜落事故(角田四郎著)』21ページからの引用)
とあるので、午後6時半前、伊豆半島の東側でボーンという音で地上から目撃された機体の位置はいつもの
高度(7,000メートルあたり)ではなく、ふだんの二倍近い大きさで見えるぐらいの高度であったことがわかる。
そして、これら二つの事柄は18時30分に富士山の東側を通過したことともつながってくる。
(その3へ続く)
18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 その1
- 投稿No.21
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-05-15 21:18:56
18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由(わけ)は皮肉にも落合由美さんの証言の中にある。
「ゆっくりと左右に大きく旋回しているような動きがはじまったのは、酸素マスクをして、しばらくしてからです。
「パーン」という音から、たぶん10分くらいしてからのように思います。このころになって、
酸素マスクをはずしてみても、苦しさは感じませんでした。ただ、ほとんどのお客様がマスクをしていましたが。」
(「墜落の夏(吉岡忍 著)」に記されている落合由美さんの証言から)
落合由美さんの証言で「パーン」という音がしたと言われるのは離陸後のどの地点だったのだろうか?
次に、相模湾上空で音がしたとき、地上からの目撃情報があったことが『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎 著)の21ページには記されている。
〈目撃情報1〉
東伊豆、河津町のタクシー運転手、近持芳太郎さん(58歳)と渡辺武夫さん(51歳)は河津駅前のベンチで休憩中に、この瞬間を目撃した。
「海側の北東上空で雷のような〈ボーン〉という音がした。」
〈目撃情報2〉
(伊豆半島東側の)河津駅の北西の山側で畑仕事をしていた同町役場職員渡辺穣さん(45歳)の証言は
「午後6時半前、ボーンという音で上空を見た。」
落合由美さんが手記の中に記されている「パーン」という音がしたというその音と、
上記 〈目撃情報1〉 及び 〈目撃情報2〉 の中で目撃者たちが語られる「ボーン」という音。
この二つの音は、機内の落合由美さんの耳には「パーン」と聞こえ、地上からは「ボーン」と聞こえたのだろうという解釈になりやすいが、
これら二つの音は本当に同じ事象によって同一時刻に生じた音の、聞こえ方の違いだったのだろうか?
(その2に続く)
もう一度 「再調査」活動
- 投稿No.19
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-05-08 15:35:31
御巣鷹山の悲劇に関しては事故当時中学1年生であった次男と高校1年生であった長女の2人の子供さん
を亡くされた犠牲者遺族の 小田周二さん や
事故で多くの仲間を亡くされた元日航客室乗務員の 青山透子さん らが中心となって
「再調査」を求める活動が継続されていて、裁判も始まり、その影響で新たな証言も次々と出てきている
ということらしい。
最近入手した下記サイトはその人たちによる「再調査」活動について、
2021年3月1日付で編集された動画だという。
※投稿No.5で紹介した際にはアドレスをクリックすることによって動画のサイトを開くことが出来る
リンク設定が出来ていなかったので、改めて紹介しておきたい。
墜落するまでのプロセスで二回の急降下があった
- 投稿No.18
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-05-06 20:44:55
墜落直前の急降下はまっさかさまの急降下であったことが落合由美さんの手記から知ることが出来る。
安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺さぶられるのを感じました。
船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。
しかし、上下の振動はありませんでした。
前の席のほうで、いくつくらいかはっきりしませんが女の子が「キャーッ」と叫ぶのが聞こえました。
聞こえたのは、それだけです。
そして、すぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。
髪の毛が逆立つくらいの感じです。頭の両わきの髪がうしろにひっぱられるような感じ。
ほんとうはそんなふうにはなっていないのでしょうが、そうなっていると感じるほどでした。
(『墜落の夏』(吉岡忍 著)から落合由美さんの手記の部分を引用)
ところが、事故機は墜落直前ではないところでも急降下していた箇所があったことが
犠牲者の遺書によって知ることが出来る。
『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎 著)
河口博次さん(52歳)会社員 の遺書から
102ページ〜103ページ
今6時半だ
飛行機はまわりながら
急速に降下中だ
本当に今迄は
幸せな人生だった と感謝している
上記河口博次さんの遺書は
同書104ページに掲載の村上良平さん(43歳)会社員
の以下の箇所とぴったりと符号する。
18・30 急に降下中
そして、このときの急降下が墜落直前の急降下でなかったことは、同じ村上良平さんが
18・45 機体は水平で安定して
と記されていることからわかる。
以上のことから、墜落直前の急降下とは別に
18時30分頃からはじまって、18時45分には
安定した水平飛行におさまっていた急降下があったことが知られる。
恐い
恐い
恐い
助けて
気持ちが悪い
死にたくない
まり子
(白井まり子さん)客室乗務員 当時26歳
客室乗務員の遺書は墜落直前の急降下のときに記されたのものであったのか、
それとも18時30分からはじまった急降下のときに記されたものだろうか?
手記の途中、何も記されていない不可解な空白時間
- 投稿No.17
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-05-04 20:26:56
『墜落の夏』(吉岡 忍 著)には生存者、落合由美さんの手記が掲載されているが、
なぜか途中に何も記されていない長い空白の時間が存在する。
(手記Aの部分)
そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。
このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。
夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、
すうっと後方に移動していきます。
富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。
(手記Bの部分)
安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺さぶられるのを感じました。
船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。
しかし、上下の振動はありませんでした。
前の席のほうで、いくつくらいかはっきりしませんが女の子が「キャーッ」と叫ぶのが聞こえました。
聞こえたのは、それだけです。
そして、すぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。
髪の毛が逆立つくらいの感じです。
頭の両わきの髪がうしろにひっぱられるような感じ。ほんとうはそんなふうにはなって
いないのでしょうが、そうなっていると感じるほどでした。
(引用は以上)
(手記Bの部分)は(手記Aの部分)のすぐ後に記されているので、はじめて手記を読むと、
安全姿勢を取った後、すぐにまっさかさまに急降下がはじまって、そのまま墜落したようにも感じてしまう。
ところが、落合由美さんが安全姿勢を取られたのは富士山を左手に見られたときであり、墜落直前の急降下が
はじまったのは御巣鷹山のすぐ手前の三国山上空であった。
落合由美さんが安全姿勢を取られたのが18時30分頃であったとすると、墜落直前の急降下がはじまる18時56分頃
まで(手記Aの部分から手記Bの部分まで)の約26分間に渡って何も記されていないのは不可解だ。
富士山の東側を通過
- 投稿No.16
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-05-03 08:52:29
『墜落の夏』(吉岡 忍 著)の中で、落合由美さんの手記が記されている。
私は「56C」にもどりました。
そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。
このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。
夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。
左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。
富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。
※落合由美さんの上の描写によって、日航機が相模湾上空において異変発生後、大月上空に向かうまでのプロセスで富士山の東側を通過していたことがわかる。
機体が大きく左右にゆれている
- 投稿No.15
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-05-01 14:53:16
『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎 著)
104ページ~105ページには
犠牲者の村上良平さん(43歳)会社員 の遺書が記されている。
最初の2行だけを記す。
機体が大きく左右にゆれている
18・30 急に降下中
この2行によって
18時30分に「急に降下中」となる前、
機体が大きく左右に揺れていたことがわかる。
一方、生存者の落合由美さんの手記によると、機体の左右の揺れに関して
次のように記されている箇所がある。
『墜落の夏』(吉岡忍 著)落合由美さんの手記からの引用
ゆっくりと左右に大きく旋回しているような動きがはじまったのは、酸素マスクをして、しばらくしてからです。
飛行機はあいかわらず旋回をくり返すように左右の傾きをつづけます。振動などは全然ありません。とにかく、
くり返し、左右に傾いているという揺れ方がつづきました。急な動きとか、ガタガタ揺れるというのでもなく、
スローです。だんだん揺れが激しくなるというのでもありません。
私の席に近い左の窓から見えたのは、まっ白な雲だけでした。かなり厚い雲で、地上は見えませんでした。
私は羽田にもどれればいいな、と感じていました。しかし、まだ雲の上で、高度も高いし、ちょっと無理なんじゃ
ないかな、とだんだん不安になってきました。しかし、ライフ・ベストが座席の下にあることがわからないお客様や、
わかっても、ひっぱって取りだすことがわからないお客様も少なくありませんでした。私の近くにも、ベストの場所が
わからなくて、取り乱している若い女性の人たちがいました。そのときになって私は、席を立って、お客様のお手伝いを
はじめたのです。お客様はこのときはじめて、座席ポケットのなかの『安全のしおり』を取りだしました。
このころになると、機体の揺れは、じっと立っていられないほどでした。激しい揺れ、というのではなくて、前と
同じように、左右に傾く揺れなのですが、その角度が大きくなって、座席につかまって二、三歩、歩いて、お客様の座席
の下のベストをひっぱて、ちょっと座って、また二、三歩という感じでした。まっすぐ歩いて、あたりを見てまわる、
ということはもうできません。
揺れはいっそう大きくなりました。もう立っていることはできないほどです。救命胴衣をつけ終わってすぐに、
ほとんどいっせいに安全姿勢をとりました。
私は「56C」にもどりました。L5のスチュワーデスは通路をはさんでふたつうしろの空席に座りました。安全姿勢は、
頭を下げ、膝の中に入れて、足首をつかむんです。うしろのスチュワーデスも私も、席に座って大声で何度も言いました。
「足首をつかんで、頭を膝の中に入れる!」「全身緊張!」。全身を緊張させるのは、衝撃にそなえるためです。
こういうときは、「・・・してください」とは言いません。
そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも
近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた
富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。
(書物からの引用は以上)
村上良平さんが
「機体が左右に大きく揺れている」
と遺書に記された状態は明らかに18時30分よりも前の出来事である。
そして、生存者の落合由美さんはそのときの状態を手記に残されていた。
そうすると、18時30分というのはほとんど全員が安全姿勢を取られた直後で、その時刻から急に降下が
はじまったことになるが、そのときの機体の位置は富士山が左下に見える位置にあったことがわかる。
客室乗務員の遺書
- 投稿No.14
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-04-29 12:16:41
『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎 著)
105ページには客室乗務員による遺書が記されている。
恐い
恐い
恐い
助けて
気持ちが悪い
死にたくない
まり子
(白井まり子さん) 客室乗務員 当時26歳
乗客の村上良平さんは
「18・30 急に降下中」
と記されている。
上記白井さんの遺書は、ご自身が安全姿勢を取られた後に起きた急降下中に記されたものだろうか。
客室乗務員がこのように記されるということは、どれほど恐かったのだろうと思う。
事故翌日に発表された航跡図の怪
- 投稿No.10
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-04-25 08:45:15
『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎さん著)58ページには次のような記載がある。
「何故、テレビ局や新聞社によって、飛んでいた場所が異なるのか。私には理解出来なかった。
発表は1ヶ所、つまりニュース・ソースは一つのはずである。
(事故の翌日に新聞に掲載された航跡図について)
航跡には明らかな違いがありながら、使われた地図やマーク、説明文字はほぼ同一である。
海を示す横線、県境を示す点線、羽田や横田の空港マーク、墜落地点マーク、方位を示すNマーク、
これらは完全に同一のものであり、挿入された文句や字体まで同様であった。
このことから、このニュースの出所は一つであるはずなのに、重要な航跡が大きく異なっていた。
こんなことが何故起こるのであろう。新聞社が勝手に航跡を変えるなど、まず絶対にない。
考えられるのはただ一つであろう。
それは発表する窓口、つまりニュース・ソースの側で、幾度も手を加えて航跡を変更しているからである。」
(書物からの引用は以上)
興味深いのは、8月13日朝刊の日本経済新聞の航跡図によると、相模湾上空で異変が発生した後、
事故機は伊豆半島を西に横断せず、北上したことになっていて、不思議な航跡図だ。
ところが、驚くべきことだが、地上からの目撃情報に落合証言や犠牲者の遺書を加えて冷静に考えてみると、
相模湾上空で異変が発生した直後にライトターンし、伊豆半島を北上した可能性があることが浮かび上がってくる。
※目撃情報
『疑惑 JAL123便墜落事故』21ページ~
東伊豆、河津町のタクシー運転手、近持芳太郎さん(58歳)と渡辺武夫さん(51歳)は河津駅前のベンチで休憩中に、この瞬間を目撃した。
「海側の北東上空で雷のような〈ボーン〉という音がした。見上げるとジャンボ機は機体後方から灰色の煙を出して駅の上まで水平飛行した。
(中略)煙はバスが急坂を上るときに出す排ガスの色のようだった。機体は後部が下がっている感じ。
(中略)ジャンボ機は駅上空を過ぎると大きく右旋回し、北側へ向かい、いつも見るコースから外れた。
また、同駅の北西の山側で畑仕事をしていた同町役場職員渡辺穣さん(45歳)の証言は
「午後6時半前、ボーンという音で上空を見た。
雲の切れ間からジャンボ機がふだんの二倍近い大きさで見えた。大きく右旋回したので不思議に感じた」という。
(目撃情報は以上)
※以下 落合証言 (『墜落の夏』(吉岡忍さん著からの引用)
ゆっくりと左右に大きく旋回しているような動きがはじまったのは、酸素マスクをして、しばらくしてからです。
ダッチロールという言葉は、知りませんでした。飛行機はあいかわらず旋回をくり返すように左右の傾きをつづけます。
振動などは全然ありません。とにかく、くり返し、左右に傾いているという揺れ方がつづきました。
急な動きとか、ガタガタ揺れるというのでもなく、スローです。だんだん揺れが激しくなるというのでもありません。
私の席に近い左の窓から見えたのは、まっ白な雲だけでした。かなり厚い雲で、地上は見えませんでした。
そのうちに酸素が出なくなりました。
ちょうどそのころになって、私のうしろのL5(最後部左側)ドア受持ちのスチュワーデスが、まわりのお客様に
「座席の下にある救命胴衣を取りだして、つけてください」という指示を出しました。
前のほうでも、いっせいにベストの着用がはじまっている様子が見えました。
私はすぐに座席下から救命胴衣をひっぱりだして頭からかぶりました。
私は羽田にもどれればいいな、と感じていました。
しかし、まだ雲の上で、高度も高いし、ちょっと無理なんじゃないかな、とだんだん不安になってきました。
このころになると、機体の揺れは、じっと立っていられないほどでした。激しい揺れ、というのではなくて、
前と同じように、左右に傾く揺れなのですが、その角度が大きくなって、座席につかまって二、三歩、歩いて、
お客様の座席の下のベストをひっぱて、ちょっと座って、また二、三歩という感じでした。まっすぐ歩いて、
あたりを見てまわる、ということはもうできません。
揺れはいっそう大きくなりました。もう立っていることはできないほどです。
救命胴衣をつけ終わってすぐに、ほとんどいっせいに安全姿勢をとりました。
そのときには、眼鏡をはずしたり、先のとがったものは座席ポケットにしまったりとか、
上着があれば、衝撃の際の保護になるように着用してください、と指示するのですが、
そんな時間的余裕はありませんでした。
私は「56C」にもどりました。
そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、
もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。
夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。
富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。
以上の証言から、落合由美さんが富士山を左下に見るまで、飛行機は左右の揺れは記されているが、急降下については記されていない。
ところが、犠牲者の村上良平さんの遺書によると、
機体が大きく左右にゆれている。
18:30 急に降下中
とある。
「機体が大きく左右にゆれている。」
は先ほどの落合さんの証言の中で「56C」の席に戻られる直前の状態と一致する。
犠牲者の村上良平さんはそのあと、
18:30 急に降下中
と記されており、墜落を予感されているが、同じ村上良平さんが
18:45 機体は水平で安定して・・・
と記されていることから、18:30から始まった急降下は墜落前の急降下ではなかった。
が、機体が左右にゆれている直後から急降下が始まったのであれば、それは落合由美さんが、富士山を左手に見て、
安全姿勢を取られた直後のことであったと考えれば両者は一致する。
18:30 急降下後、機体は大月上空に向かっているが、大月では目撃情報がある。
以下、『疑惑 JAL123便墜落事故』の著者 角田四郎さんによる目撃情報
この事故が発生した1985年8月12日、私は山梨県大月市と神奈川県相模湖の中間に位置する国鉄(現JR)中央線梁川駅にほど近い、
とある都内のスーパーマーケット会社保有の私設キャンプ場にいた。
当時、私が在住していた東京・港区六本木の町内会活動のいっかんで、子供達のサマーキャンプに参加してのことである。
私には少々山歩きの経験があることに子供会の役員が目をつけ請われての参加であった。
むろん私の娘も参加していたので引き受けたわけである。
12日は日程4日目であった。この日は私の指導で近くの倉岳山(990メートル)へハイキングに出かけた。
夏の陽がジリジリ照りつける暑い日であった。
どうにか全員無事に全行程を歩きぬいて桂川河川敷に近いキャンプ場にたどり着いたのが午後3時過ぎ。
4時頃、突然、空が真っ暗になり、バケツの水をひっくり返した様な大ツブの雨がたたきつけ、カミナリが近くで鳴り響いた。
約1時間話し声もかき消さんばかりの雷雨が続き、降り始めと同じように突然やんだ。
雨が上がった空は一変して、澄み切った青空が広がり涼風を運んできた。
夕食を少しでも早く取り、子供が楽しみにしていたキャンプ・ファイアーを可能な限り実行してやろうということになり、
雨の中で私が中心となって夕食作りを始めた。その最中キャンプ・ファイアーもやることを決定。
準備があるので、開始を40分遅らせて、7時40分とした。すでに6時をまわっていた。休む間もない。
大人達の食事をいっきに作り上げたとき、私の身体は服のまま泳いだように全身汗みどろとなっていた。
さし出されたジュースをのみほして時計を見ると、6時40分近く、間に合った・・・
という安堵と充実感で、その時の時計の針を今もハッキリ憶えている。
自分は夕食を即座に口にする気持ちにはなれなかった。着替えも必要である。
私はとりあえず涼を求めて、桂川の河辺にある高台に歩を進めた。
そして大きく手を広げて天を仰いだその時、私の目に場違いと思える大きな飛行機の機影が飛び込んできた。
ほぼ南を向いて立っていた私の左手に、北から南へ向かって、少し右に傾いた民間航空機であった。
民間機と瞬時に思ったのは、窓が一列にたくさん見えたからである。
見ていると、すぐに水平飛行に戻り、ゆっくりと南下して行く。
「あれ、ちょっと変わった飛行機だなァ」と考えたことを憶えているが、尾翼があるとかないとか、
堕ちるのでは、などとはみじんも思っていなかった。
「どこへ行くんだろう、こんな所を飛んで・・・この辺に飛行場もないし・・・」と思ったが、次の瞬間、
「あ、横田や厚木の米軍基地が近いんだ」と思い、その後は米軍のチャーター機と決めつけて見ていた。
大きな飛行機という印象も、やたら窓がはっきり見えていたからである。高度もそれゆえに低く感じたし、
速度も実にゆっくりに見えていた。ただ足元の桂川のせせらぎのせいで、全く音はなかった。
その機の窓を見ていた私は年がいもなく、「あれぐらい低いと、乗っている人もこっちを見ているかもしれないな」と思い、
上げた手を機に向かって振ってみたりした。
やがて飛行機はふたたび右に少し傾きながら、我々が昼間登ったばかりの倉岳山の東側を南西に向けて山影に消えた。
私はまた風にあたりながら足腰の屈伸運動や深呼吸をした。目の前の川向こうの山が夕日に映えていた。
そのとき、飛び去ったと思った飛行機がその山の右へひょっこり顔を出した。
今度は西に向かっている。さっきよりは距離があって小さく見えるが、あまり上昇していないと感じた。
今度はすぐに次の山影にかくれて見えなくなった。
私は「あの飛行機やっぱりちょっとおかしいな」とだけ感じた。それは米軍基地は東の方角だからであった。
「あの高度、速度は、これから着陸する感じだったが」とも思いながら、私は振り返って自分のバンガローに向かった。
大きな飛行機を見ていたのは6時40分~41分頃から43分~44分の間であった。
(角田四郎さんによる目撃情報は以上)
以上のことから、墜落直前の急降下ではないが、18:30頃、左手下に富士山を見る位置から大月上空までの区間で、
おそらくは着陸を前提としての急降下があったことになる。
また、落合由美さんが、富士山を左手に見て、安全姿勢を取られたのは必然的に18:30頃、
急降下の始まる直前のことであったということになってくる。
※通常の航路からはずれた日航機が18:30頃に富士山の東側を通過したというのであれば、相模湾上空で
異変発生後、伊豆半島を西に横断したのか、それとも北上したのかの航跡に関してはおのずと決着が付く。
恋人が犠牲者に
- 投稿No.9
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-04-21 21:10:53
自分にとって大切な人の命が何の前触れもなく突然奪われてしまうというのは魂を吸い取られ、生きる気力を失わせてしまうような出来事に違いない。
『疑惑 JAL123便墜落事故』の著者、角田四郎さんのごく親しい友人が、犠牲者遺族にはカウントされないが、そういった悲しい出来事に遭遇された。
『疑惑 JAL123便墜落事故』109ページ~
(1985年)8月16日の深夜、たぶん午前0時を過ぎていたであろう。
電話のベルが鳴り響いた。出てみると友人のK氏であった。
ごく親しい友人である。
「夜分済みません。ちょっと話を聞いていただきたいので、出てきて頂けませんか?」
電話の声は心なしか沈んでいる。酒に酔っての電話でもなさそうだし、どうせまだ暑くて眠れそうにないと、その程度の思いで「よし、行く!」と答えて街に出た。
夏の12時の六本木は、一日のうちで最も賑わう時間である。(この時代はそうだった)
行きつけの店で友人に逢った。その店の主人も友人の用件を知っているらしく、いつもバカ話で楽しむカウンターの奥の席ではなく、人目に付かない席が用意されていた。
「いや、申し訳ありません夜分に」店の主人が私を見るなり、そういうので驚いた。
・店のマスター
「私が勝手にダイヤルを回して、Kさんに話させたんです。この人遠慮ばかりしているもんだからつい。話だけでも聞いてあげて下さい」
・友人のK
「この間、角田さんが日航機の話してたでしょ。あれ思い出して電話したんですよ」
・角田四郎さん
私はキツネにつままれた様な気持ちでK氏の前に座った。そして彼の顔を見たとたんに私は血の気を失った。いつもつき合っているゆったりとした彼ではない、まるで別人の様な友人がそこにいた。
・友人のK
「スミマセン、こんな時間に・・・・・・前にお引き合わせした僕の彼女、覚えてますか・・・・・・彼女、日航機に乗ってました。123便に」
・角田四郎さん
「本当に・・・・・・!でも確認したの、乗客名簿は信用出来ないよ、あれだけでは」
・友人のK
「いいえ、もう彼女の友達も御両親も(遺体安置所のある)藤岡へ行かれてますし・・・・・・」
「事故ではなく、事件だった」 のかもしれない
- 投稿No.7
- 投稿者:せきたに[ 管理者 ]
- 投稿日:2021-04-17 09:22:50
事故調査委員会の報告書に疑問を感じ、独自の追求をされた人たちによる
説が複数あるようだが、細かな点では主張が異なる。
その細かな点が重要でお互いに妥協できないという向きも感じ取れるが、
「事故ではなく、事件だった」
という見方では一致している人たちが多い。