マッハステムの風とその脅威

  • 投稿No.3068
  • 投稿者:せきたに
  • 投稿日:2023-12-16 22:38:19

過去、御巣鷹山ゲストブック(旧掲示板)の中で池田昌昭さんが「マッハステムの風」とその脅威を紹介されていた。
原爆が投下された際にはその日のうちに7万人の人が亡くなったとされるが、そのうちの半数は「マッハステムの風」によるものであったという。

圧力隔壁は相模湾上空において破壊されたわけでないことは犠牲者の一人が撮影された写真で明らかだが、墜落現場ではなぜかみかんの皮を剥いたように後ろ側にめくれていたのはどうしてなのか?

これは墜落直前に目撃されている「閃光」と「キノコ雲」が関係していると思われる。
「閃光」と「キノコ雲」からは原爆を連想してしまうが、JAL123便は撃墜されたのだろうか。

『JAL123便 空白の14時間』(池田昌昭 著) 153ページ
「撃ち込まれたと思われるミサイルの威力は、機内で電撃的だった。
 機体中部から前部にかけて、高性能炸薬弾頭もしくは破片弾頭が走り、乗客、特に爆発エネルギーを反撥した堅牢な外板窓際乗客は粉々に粉砕された。機内は阿鼻叫喚の地獄。
 想像するに、ミサイルの爆発エネルギーは凄まじかった。バランスを失ったJAL123便は、右側に急降下。機体前部・中部の乗客は、機内で粉砕された。」

後部圧力隔壁が後方にみかんの皮を剥くように破壊され、隔壁の残骸に異臭が染みついていたのはアルミ合金製ボディの機体内側を媒体としてマッハステムの風が発生し、その風が粉々に粉砕された人体を伴って後部圧力隔壁に向かったからではなかろうか。

『日航機事故の謎は解けたか』(北村行孝・鶴岡憲一共著)172ページ 
齋藤孝一氏(1985年当時 航空事故調査委員会航空事故調査官)の談話
「後になっての反省だが、現地調査はもっと早く切り上げて、東京での詳細調査にかかるべきだった。
航空会社、メーカーの人間を参加させるのは誤解を招くため避けなければならないという国情があるし、需要残骸を運ぶにも警察と連携して運送会社と契約してと、どうしても時間がかかってしまう。
それでも私は皆より3週間ほど早く、圧力隔壁の搬出とともに東京に戻った。
あとは毎日、隔壁の搬入された調布市の航空宇宙技研分室通い。
当初は残骸に染みついた異臭(遺体のにおい)が漂い、なかなか消えなかった。」

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