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御巣鷹山の悲劇
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> 『隠された遺体』54ページに『平行紀』という名前が汚名が被せられて登場している。 > 実は『平行紀』ではなく、『平幸紀』という名前であれば見覚えがある。 > 『隠された遺体』の著者が記される『平行紀』と、旧掲示板(御巣鷹山ゲストブック)に登場されていた『平幸紀』は内容から類推するに同一の人物である可能性が高いと思われる。 > 『平幸紀』というネームは旧掲示板(御巣鷹山ゲストブック)では現役のパイロットとして自己紹介された上で一時期頻繁に登場されていて、記憶に残る名前だ。 > 当時は池田昌昭さんとの議論の中で、現役のパイロットがそんなに頻繁に掲示板に投稿することは無理じゃないのかと考えられるほど相当内容が濃い長文を驚くほど短時間で繰り返し返信投稿されていたが、『隠された遺体』で詳しく記されているようにやはり実際のパイロットではなかったのだろう。 > 『平幸紀』という人物はA女子の過去の書物が出版された当時、その内容を批判的に言及されていたことを思い出す。 > 旧掲示板において『平幸紀』という方がA女史の著作に関して具体的に記されたこととして思い出すのは『墜落の新事実』の中に記される藤枝での小林美保子さんの目撃情報の信憑性を、著者がほとんど検証せずに受け入れてしまっているということだった。 > 思い出すことの一つは、遊園地のジェットコースターならいざしらず、実際に飛行する航空機の中で悲鳴が上がっていたとして、それが地上まで聞こえるかどうかという問題。 > 『平幸紀』という方は、「この問題は検証すればすぐにわかる話だが、女性の絶叫がいくら大きくても密閉された航空機の中で発せられた声が地上の目撃者まで届いて聞こえるわけがない」と主張されていた。 > もう一つは、静岡県藤枝で18時35分頃小林美保子さんによって目撃されたファントム機と、群馬県吾妻郡で18時40分頃に自衛隊員の一人によって目撃されたファントム機とが同一かどうかという話。 > 「静岡県藤枝から群馬県吾妻郡までは地図計測を行なうと、直線距離でおおよそ180kmぐらいはあり、それぞれの場所で目撃された時間差はわずか5分なので、同一のファントム機ではあり得ない」という主張をされていた。 > 以下書物からの抜粋 > 『墜落の新事実』104ページ > 「現在は東京にて福祉関連の仕事をしていらっしゃる小林美保子さんは、1985年当時22歳で、実家から静岡県藤枝市にある運輸関係の会社まで来るまで通勤していた。8月12日のあの日は、お盆で仕事が忙しく、いつも17時半で終わる予定が18時30分頃になってしまった。 > タイムカードに打刻をして階段を下りて外に出た瞬間、「キャーン、キャーン」と二度、すさまじい女性の金切り声のような音を聞いた。絶叫マシーンに乗った人の悲鳴のような凄い高音で、驚いて頭上を見上げると目の前を低く右斜めに傾きながら飛行しているジャンボジェットが見えた。 > ちょうど会社の敷地内で前方に東名高速道路が見える位置だった。自分の背中側から飛んできたジャンボ機は白い塗装に日航のシンボルカラーである赤と紺色の線が入っていた。駿河湾の方向から富士山のある北の方向に向かって、ゆっくりと右旋回しながら飛行しており、はっきりと窓も見えるほど高度が低い状態だった。」 > 『墜落の新事実』111ページ > 「ファントム二機についてであるが、これも墜落前の時刻に自衛隊員によって明確に記述された目撃情報がある。 > 群馬県警察本部発行の昭和60年10月号『上毛警毛』という冊子の122ページに『日航機大惨事災害派遣に参加して』というタイトルで、自衛隊第十二偵察隊(相模原)の一等陸曹、M・K氏の手記がある。その出だしを読んだとき、これは確実な目撃情報だと確信した。 > 「八月十二日私は、実家に不幸があり吾妻郡東村に帰省していた。午後六時四十分頃、突如として、実家の上空を航空自衛隊のファントム二機が低空飛行していった。その飛行が通常とは違う感じがした。『何か事故でもあったのだろうか』と兄と話をした。 > この記述によって、群馬県吾妻郡上空を十八時四十分頃ファントム二機が飛行していたことが明らかになった。そうなるとやはり、小林さんが語ってくれた静岡県藤枝市上空を十八時三十五分頃にファントム二機が通過したという目撃情報と一致する。したがって、明確にしておかなければいけないことは、まだ明るい墜落前に航空自衛隊では日航機を追尾して飛行状況を確認した。さらに墜落するその時までしっかりと見ていた、という事実である。」
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