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御巣鷹山の悲劇
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> 書物に記載されている事柄は多岐に渡り、焦点がつかみにくいが、著者が一貫して主張されているのは次に記す事柄のようだ。 > 墜落事故に関しては一般には知られていないが、遺族から見た場合は全く別の見え方があることがわかる。 > 1987年6月、事故調の調査結果に基づく事故原因が発表された。 > あの墜落事故は事故の7年前、大阪空港における着陸の際のしりもち事故の際に圧力隔壁の一部が損傷した。 > その際の接合部の補修に致命的なミスがあったのだが、気付かれずに飛行を重ねるうちに劣化し、 > 事故日の飛行において相模湾上空の伊豆半島手前あたりで突然接合ミスの部分から後部圧力隔壁が破れ、後方に勢いよく吹き出した空気が垂直尾翼を吹き飛ばした。 > 垂直尾翼の半分以上が欠けたジャンボ機は迷走飛行となってしまい、最後は御巣鷹山に墜落するに至った。 > 世間一般には今でもあの墜落事故をそのような認識のままでいる人が多いという。 > 遺族達は事故調が発表したこの事故原因を信じて前橋地検に向けて「ボーイング社」「日航」「航空局」を告訴した。 > ところが、1990年7月の前橋地検の判決は事故調の事故原因を否定し、隔壁破壊説を却下。上記三者の異議申し立てもなく、司法的に無罪が確定。 > 前橋地検が出した無罪判決の事実とその意味するところについては、世間はあまり知らされていない。 > 事故調の事故原因が否定され、隔壁破壊説が却下された上での無罪判決だとすれば、事故原因に対しての再調査の方向に向かうべきだが、実際はそうはならなかった。 > 無罪とされた日航がなぜかその後も犠牲者遺族達に向けては依然として「加害者」としての立場で対応してきたという。 > そして、墜落事故の被害者であるべき犠牲者は、「犠牲者」ではなく、今もって「遭難者」として取り扱われているという。
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