Re.(25) 富士山目撃にかかる検証

  • 投稿No.640 元投稿No.638 さんへの返信
  • 投稿者:せきたに
  • 投稿日:2022-01-09 23:36:37

文系ちゃん へ

文系ちゃんが投稿NO.334で掲載の小松便と日航機の航跡図
http://imepic.jp/20211219/585220

 を参考に小松便機長の証言、落合証言、角田四郎さんの目撃談並びに河口博次さんの遺書内容を考え合わせて整合性のある日航機の航跡図を考えてみた。

 投稿No.597でAさんが小松便の機長の証言に関して記載のある1985年8月16日付け新聞記事を紹介してくれている。
https://d.kuku.lu/c48ce627d

 新聞記事には小松便の機長の証言として「18時30分過ぎ、座間ポイントの東9キロ地点で前方のやや右上部に123便の機影を視認した。」
とある。

 小松便機長の証言と落合証言から受ける印象から私はそのとき小松便の機長が目視された機影は富士山の東側を左旋回しながら通過している時点の日航機だったと考えている。(そうすると、18時半過ぎに富士山の東側を通過するためには東伊豆の相模湾上空で異変が起きた後は必然的に日航機はあまり西の方向には行けていなかったことになる。)

 「123便は見え始めてから約3分後、右後方へ去っていったが、機長の視界から消え去る寸前も「必死で右旋回(羽田方向へ戻る)の努力を続けているように見えた。」という。」

 犠牲者 河口博次さんの遺書には
「今6時半だ 飛行機はまわりながら 急速に降下中だ」 
とあるのは落合証言と小松便機長の証言を考え合わせると富士山の東側を左旋回しながら通過した後は右旋回しながら急降下していったのではないかと考えると小松便機長の証言と合ってくる。

 ところで小松便の機長は見え始めてから3分後に見えなくなったというが、18時30分過ぎから3分後というとまだ18時33分過ぎのことだ。

 一方大月では地上から右旋回しながら飛行しているのを目撃したという目撃談がある。
 『疑惑』の著者角田四郎さんの目撃談(同書54ページ~56ページ)によると、
18時40分~18時41分にかけて低空を北から南に向けて少し右に傾きながら飛行する民間航空機を目撃したことが記され、今度は18時43分~18時44分頃にかけて飛び去ったと思った飛行機が今度は西の方角に向かって飛行する姿を目撃したこととの両方が記されている。

 また、その直後に日航機とは別にごく小さな機影が北西に向かって夕焼けの中をどんどん小さくなっていく姿を目撃された。(北西に向かう小さな機影は後に小松便だとわかる)

 角田四郎さんが大月上空で目撃されたのは日航機であったと考えているが、角田さんが北から南に向かう日航機を最初に目撃されたとき、時刻は既に18時40分だった。
 そうすると小松便の機長が18時33分過ぎに「必死で右旋回(羽田方向へ戻る)の努力を続けているように見えた。」という目撃談との間に時間のギャップが生じる。

 これはどう解釈すれば良いのだろうかと考えていたら、ふと次のような考えが浮かんできた。

 「360度の右旋回は実は2回あったのではないか」

 1回転目の右旋回しようとしているところ(1回転目の360度右旋回は大月上空でなくても良い)を小松便の機長が目撃し、2回転目の360度右旋回をしているところは角田四郎さんが大月上空を右旋回しながら低空飛行する日航機を目撃されたのだとしたら辻褄が合ってくるがどうだろうか。

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