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御巣鷹山の悲劇
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東伊豆、河津駅の北西の山側で畑仕事をしていた同町役場職員渡辺穣さん(45歳)の証言は「午後6時半前、〈ボーン〉という音で上空を見た。 (『疑惑 JAL123便墜落事故 角田四郎著 21ページからの抜粋) とあるが、そのときの異変について、機内におられた落合由美さんは手記の中で次のように語っておられる。 「やはり「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。 はじめはスチュワーデスもそれぞれの席に座って酸素マスクをしていましたが、しばらくして、お客様のマスクを直したりして、まわっていました。 このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じませんでした。しかし、何が起きたのだろうと、私は酸素マスクをしながら、きょろきょろあたりを見まわしていました。」 (『墜落の夏』(吉岡忍著)から落合由美さんの手記の部分からの抜粋) 紛らわしくさせているのは、落合由美さんが手記の最初の方で 「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、〈パ-ン〉という、かなり大きい音がしました。」 という言葉の中で〈パーン〉と記されている音と、もう少し後で上記の 「やはり「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。」 と記されているところで、もう一度〈パ-ン〉という同一の言葉が使用されているところにある。 文字にすると同じ言葉なので、一見最初の〈パーン〉と二度目に出てくる〈パーン〉は同一時刻に起きた音を繰り返し語られているように受け取ってしまいやすくなっている。 ところがそうではなさそうだ。 二度目の〈パーン〉のときには 「このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じませんでした。」という文章は「このときも」という言葉から始まっており、その言葉はそのときに起きた異変が離陸後初めてのものではなかったことを表現している。 また、そのときの付帯状況として、客室乗務員が「お客様のマスクを直したりして、まわっていました。」と併せて記されており、そうすると二度目の〈パーン〉のときには既に酸素マスクが下りていたことになるので、その時点(東伊豆、河津駅の上空)よりも前の段階で別の異変があったことが裏付けられている。 (その6に続く)
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