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御巣鷹山の悲劇
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「ゆっくりと左右に大きく旋回しているような動きがはじまったのは、酸素マスクをして、しばらくしてからです。 「パーン」という音から、たぶん10分くらいしてからのように思います。」 (『墜落の夏(吉岡忍著)』落合由美さんの手記からの抜粋) 落合由美さんは「パーン」という音から、10分くらいしてからゆっくりと左右に大きく旋回しているような動きが はじまったと言われている。 一方で〈ボーン〉という音を聞かれた直後の機体の様子について、地上からの目撃者は次のように語っておられる。 東伊豆、河津町のタクシー運転手、近持芳太郎さん(58歳)と渡辺武夫さん(51歳)は河津駅前のベンチで休憩中に、 この瞬間を目撃した。 「海側の北東上空で雷のような〈ボーン〉という音がした。見上げるとジャンボ機は機体後部から灰色の煙を出して駅の 上まで水平飛行した。 「駅の上まで水平飛行した」とあるので、ゆっくりと左右に大きく旋回するような動きはこの時点ではまだ始まっていない。 犠牲者の村上良平さんの遺書には 機体が大きく左右にゆれている 18・30 急に降下中 と記されてあった。 ということは、機体がゆっくりと左右に大きく旋回しているような動きがはじまったのは地上からの目撃者が上空で 〈ボーン〉という音を聞いた後で、かつ18時30分よりは前のことであったことになる。 ところで、離陸後、シートベルトのサインが消えた時刻に関する考察で、角田四郎さん著 『疑惑 JAL123便墜落事故』 の250ページには次のように記されている。 『事故後、「日航123便」を避ける乗客が増えたことや日航としてもイメージ・ダウンになることを嫌って、 この便名を欠番にすることを決定し(1985年)9月の秋のダイヤから「123便」が消えることになった。 その最終便に登場した記事があったのを記憶に残していた。 「事故機同様、12分遅れて離陸し8分後の18時20分にベルト・サインが消えた。 これは好天時の平均的時間で、事故機も同様であったと思われる」新聞記事は毎日であったと思う。』 事故機は18時12分に離陸しているので、記事の内容通りだとすれば離陸後、シートベルト着用のサインが消えた 時刻は18時20分頃であったと考えられる。 (書物からの引用は以上) 村上良平さんの遺書が正しければ、機体が左右に揺れはじめたのは18時30分よりも前のことだ。 一方で落合由美さんは機体が左右に揺れはじめた地点から約10分前に〈パーン〉という音で酸素マスクが 降りてきたと言われている。 機体が左右に揺れはじめた地点から落合由美さんの感覚で約10分前ということだが、具体的には離陸後、 まだシートベルトのサインが点灯していた時間帯は該当しない。 そうすると、〈パーン〉という音が鳴って酸素マスクが降りてきたのは離陸後、シートベルトのサインが 消えて客室乗務員が席を立ち、子供たちに向けて夏休みのキャンペーン商品となっていたミッキーマウスのグッズを 配り始めたあたりの時刻に特定されてくる。 (その5に続く)
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