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御巣鷹山の悲劇
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「そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。 このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。 夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、 すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、 私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。」 (「墜落の夏(吉岡忍 著)」に記されている落合由美さんの証言から) 上記、落合由美さんの証言内容から、 富士山の東側を通過したときの機体の位置は富士山の頂上からさほど離れていなかったことがわかる。 一方、伊豆半島東側の河津駅の北西の山側で畑仕事をしていた同町役場職員 渡辺穣さん(45歳)の証言は 「午後6時半前、ボーンという音で上空を見た。雲の切れ間からジャンボ機がふだんの二倍近い大きさで見えた。」 (『疑惑 JAL123便墜落事故(角田四郎著)』21ページからの引用) とあるので、午後6時半前、伊豆半島の東側でボーンという音で地上から目撃された機体の位置はいつもの 高度(7,000メートルあたり)ではなく、ふだんの二倍近い大きさで見えるぐらいの高度であったことがわかる。 そして、これら二つの事柄は18時30分に富士山の東側を通過したことともつながってくる。 (その3へ続く)
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