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御巣鷹山の悲劇
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> 書物調査にてお手数お掛けしまして恐縮です。 文系ちゃんへ 『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎著) 書物には著者が、婚約前の恋人であった彼女を墜落事故で亡くしてしまった友人と一緒に墜落現場まで行ってみようとされていたときの話が記されている。 (121ページ~125ページ) 藤岡から上野村までは約50キロの道のりである。その3分の2くらいまでの道は私にとって気が楽であった。昨年この道を通って、万場町の御荷鉢(おかば)キャンプ場に来ていたからである。七日前に事故機を目撃した、あの大月での六本木子供会のサマーキャンプは、昨年はここ万場町で開催したのである。こんなことでふたたびこのひなびた街道を走ることになろうとは、なにかの因縁なのだろうか。この街道沿いに点々と町や村が集落をなしている古き良き日本の風情を残す所である。 藤岡市を出て最初の町である鬼石町でスタンドに入った。これからの山道とガソリンスタンドもそう多くはないだろうことを考え、早めに満タンにしておきたかった。スタンドの若者が荷物をのぞき込んで、「登山ですか?」と声をかけた。それなら現場までの道を確認しておこうと正直に「ああ、御巣鷹なんだけど、道は知っている?」と尋ねると、「やっぱり。どうぞ、いい地図があるから事務所で」ガソリンを入れ終って案内された。 事故のあった12日の騒ぎのことなど、一しきりするうち「オレの友達も上野の消防団やってんだけど!もうバカ臭えって怒っているよ」 「へぇー、どうして」と私は疑問をもった。 「だってさ、上野じゃ初めっからスゲノ沢ってわかっていたって・・・・・・、長野県側の川上村で山の向こうへ飛んでいって煙が見えたってテレビで言ってんだから、こっちしかないさ!」 「じゃ、何故行かなかったんだろう、すぐに」 「県警がストップかけたんだって、機動隊が村に着くまで待てって。待っても待っても来なくって、そのうち猟友会が電話で案内頼まれていることがわかって、消防の連中、その辺から頭に来てたんだって。その上、3時頃に役所の裏山みたいな小倉山を見て来いと言われてカチンと来た。長野側の御座(おぐら)山と名前が同じというだけで、それに小倉山なんて村の中の丘みてえな山だよ。そこにジャンボ機が落ちりゃ、雷が鳴っていてもわかるってさ。」 若者は興奮気味である。そこへ幸運にも、その若者の上野村の友達がやって来たのである。我々はこのとき、時間に追われていたのだが、彼の話を聞かずには先に進めなくなってしまった。ここからの話は上野村消防団の話になる。しかし彼は話すことを少々ためらった。「名前とか出ると『村八分』にされちゃうんだよ。小さい村だからなぁ。皆んな黙っちゃってるんだ。陰でブーブーいってるけどさ」と慎重である。それでも我々が新聞記者や報道関係者でないことに安心してしゃべりだした。 「小倉山の時も、ちょっとしたケンカだったなあ。誰かが『自分達(機動隊)の手柄にしたくて、消防を関係ない山に入らせようとしてるんだ』と疑ってた。本当にそんな気がしたよ。夜7時半頃から村の上だって、ヘリが何回も飛んでいるんだもん、小倉山なら一発でわかるさ!」 「それでどうなりました」 「朝まで待て!ということだったけど、おやじさん達(年配の団員)は、スゲノ沢なら十何年前に営林署の植林で、三年くらい毎日登った山で、今も山菜や狩猟で年に何回も入る山だし、車で林道を行けば山はいくらも歩かずに行けるって主張したんだ。だけど、ただ、『行くな!県警本部の命令があるまでは、勝手な行動するな』って。本部って言うのは高崎や前橋だよ、何がわかるんだよ、そんな遠い所でさ!」 「結局、行けなかったんだ。それで朝になったわけか?」私はさらに聞いた。 「それが違うんだ、現実は・・・・・・。危険だから明るくなるまで待て!と言うんだから、暗いうちに車で林道の山の入口まで行こうということになったんだ。」 「誰が?」 「消防団の話し合いでだよ。だってもう4時に近いんだからもん。車で走ってるうちにも白んで来る時間だよ。」 「それで、出発したわけ?」 「いいや!それもダメって言われて、もう今度は怒鳴り合いだよ。そのときはすごかった。捜してないのはもうスゲノ沢だけだもんな。あそこに墜ちてるって100パーセント信じてたんだ、オレ達は・・・・・・。とうとう1人おやじが先に出ちまったんだ。4、5人連れて。4時半頃だったと思う。もう明かりなしで歩けたんだ。その連中が『慶子ちゃん』見つけたんだよ。それも長野県警のレスキュー隊とだよ!」 「その連中が山に行っちゃてから、村ではどうしたの」 「もう無茶苦茶。消防団はすぐに後に続いたんだ。オレもね。そしたら、山道の入口で班分けしてたら、機動隊もワーって感じで車で乗りつけて我々より先に入って行ったんだ。 でも、オレ達すぐに追い着いた。あいつら道間違えてバラバラになってた。ある隊員なんか『スミマセン!いっしょに行っていいですか』ってオレ達について来たりしてね。オレ達が暗くても行けるっていったからって、誰にでも行ける山じゃないよ!!」 時間を気にして、私は話を終わらせようとしていた。「いや、これであの遅れがわかって来た。すっきりしたよ。話を聞かせてもらって。ありがとう」 「ちょっとまってよ!」団員が立とうとする我々を引き止めた。「オレが頭に来るのは、その先の話だよ」 「えー、まだあるの」こうなれば聞かぬわけにはいかないだろう。座り尚した。 「それで、生存者助け出して、丸一日遺体を(峰の上に)上げたりケモノ道を自衛隊に教えたりして、夕方になって『消防団は山から下りて結構です。昨夜も寝ていないし、ここじゃメシもないから・・・・・・』そこまではよかったんだ。けどその次に『明日からは山に来なくて結構です。村もいろいろ大変だし』って言うんだ。そんな話ってある?オレなんか若い方だからダメだけど、オヤジ達はあの山なら目つぶっても歩ける人達だよ。地図なんかいらない連中だよ。ここを下りたら崖の上に出ちゃって行き止まりになるとか、あの杉の向こうへ回り込めば一年中水のある沢に出られるとかって。そんな案内もいらねえっていうわけだよ!勝手に山に入ったんで怒ってんだってみんなで言ってた。山から下りてもうみんなカンカンだった。『もうオレ達は手伝わん』って役所にどなり込んでた。でも、今はみんなお上にさからうなって、静かにしてるよ」 私はこの話が終わったとき、この事故とは一体なんだったんだ・・・・・・と、今まで持っていた疑問と合わせてただならないものを感じ始めたのである。 ※この話には続きがある。
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