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御巣鷹山の悲劇
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> 自分の認識としまして 飛行経路図は > ・管制官らの記憶および画面に直接印をつけていくことで作成されたもの > ・レーダー記録を解析することにより作成されたもの > ・DRDR回収後、それのに録されたデータとレーダー記録の両方を参照することで作成されたもの > の3段階のものがあるとの認識です。 > 途中、報道されたものの変遷については、こちらの動画を見るのが一番早いと思われます。 > 日本航空123便墜落事故㉘】 初期航跡図の秘密 > https://www.youtube.com/watch?v=-8k67wYNH-Q 文系ちゃんへ 上記動画を見せてもらった。 航跡図に関して大月上空で360度旋回のわっかが着いたのが8月15日の新聞報道からだという。 ところが、DFDRの解析が始まったのは8月16日からのことで、8月15日の報道で当初なかった360度旋回のわっかが着いた根拠はDFDR分析結果ではないという。 それでは8月16日以後、DFDRの分析をした結果、8月15日に発表された航跡図はその後また修正されたのか教えてほしい。 また、レーダーは最後まで実線だったということだが、周囲の山の頂よりも低い場所を飛行しているところは機影がレーダーから消えるものではないのか? 更に、動画では大月上空の360度旋回のわっかが着いたことに絞って説明されているが、新聞社によっては富士山の東側を通ってから大月上空に向かった航跡図が一時的に発表されていたじゃないか。 レーダー解析の結果ならありえないことだと思う。落合証言と一致させるなら東側通過の航跡図をやめにせずに採用すればよかったのに・・・ ※落合証言 「そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。」
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