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御巣鷹山の悲劇
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落合由美さんの手記の中で、18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくくさせている最大の理由はおそらく次の箇所だろう。 「そのうちに酸素が出なくなりました。いつだったか、私がフライトをしていたとき、お客様から、酸素マスクは何分くらいもつのか、とたずねられたことがありました。全員が吸った場合、18分くらい、と計算したことがあります。そのくらいの時間が経過していたのかもしれません。でも、ほとんどのお客様は、そのままマスクをしていました。」 上記の記載があって、その後に富士山の東側を通過したことが記されているので、富士山の東側を通過したときには既に酸素マスクから酸素が出なくなっていたことは明らかだ。 問題なのは 「全員が吸った場合、18分くらい、と計算したことがあります。」 と記されているころで、これをそのときのフライトにおいて実際に酸素マスクが18分間もったのだと解釈すると間違ってしまう。 実際に酸素マスクが18分間もったと解釈すると、離陸後最初の異変が起きて酸素マスクが下りたのが18時20分頃だとしても、富士山の東側を通過したのは18時38分よりも後だったことになる。 それで何が都合が悪いのかと言われるかもしれないが、犠牲者の村上良平さんは遺書に、 機体が大きく左右にゆれている 18・30 急に降下中 と記されている。 一方、生存者の落合由美さんは 「飛行機はあいかわらず旋回をくり返すように左右の傾きをつづけます。振動などは全然ありません。とにかく、くり返し、左右に傾いているという揺れ方がつづきました。」 と記されている箇所があり、その表現は 村上良平さんの 機体が大きく左右にゆれている の箇所とピッタリと一致しているが、落合由美さんはそのあたりを飛行しているときの情景描写として、 「私の席に近い左の窓から見えたのは、まっ白な雲だけでした。かなり厚い雲で、地上は見えませんでした。」 と記されている。 更に、酸素マスクの装着に続いてほとんど間をおかずにライフベストの装着が始まったようだが、そのあたりでも 「私は羽田にもどれればいいな、と感じていました。しかし、まだ雲の上で、高度も高いし、ちょっと無理なんじゃないかな、とだんだん不安になってきました。」 と記されており、酸素マスクの装着からライフベストの装着がはじまるまで一貫して機体が雲の上にあったことが記されている。 そして、その延長として、 揺れはいっそう大きくなりました。もう立っていることはできないほどです。救命胴衣をつけ終わってすぐに、ほとんどいっせいに安全姿勢をとりました。 とあり、その言葉に続いて 「安全姿勢をとる直前、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。」 という言葉が一連の文章として綴られている。 (その8に続く)
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