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御巣鷹山の悲劇
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『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎 著) 104ページ~105ページには 犠牲者の村上良平さん(43歳)会社員 の遺書が記されている。 最初の2行だけを記す。 機体が大きく左右にゆれている 18・30 急に降下中 この2行によって 18時30分に「急に降下中」となる前、 機体が大きく左右に揺れていたことがわかる。 一方、生存者の落合由美さんの手記によると、機体の左右の揺れに関して 次のように記されている箇所がある。 『墜落の夏』(吉岡忍 著)落合由美さんの手記からの引用 ゆっくりと左右に大きく旋回しているような動きがはじまったのは、酸素マスクをして、しばらくしてからです。 飛行機はあいかわらず旋回をくり返すように左右の傾きをつづけます。振動などは全然ありません。とにかく、 くり返し、左右に傾いているという揺れ方がつづきました。急な動きとか、ガタガタ揺れるというのでもなく、 スローです。だんだん揺れが激しくなるというのでもありません。 私の席に近い左の窓から見えたのは、まっ白な雲だけでした。かなり厚い雲で、地上は見えませんでした。 私は羽田にもどれればいいな、と感じていました。しかし、まだ雲の上で、高度も高いし、ちょっと無理なんじゃ ないかな、とだんだん不安になってきました。しかし、ライフ・ベストが座席の下にあることがわからないお客様や、 わかっても、ひっぱって取りだすことがわからないお客様も少なくありませんでした。私の近くにも、ベストの場所が わからなくて、取り乱している若い女性の人たちがいました。そのときになって私は、席を立って、お客様のお手伝いを はじめたのです。お客様はこのときはじめて、座席ポケットのなかの『安全のしおり』を取りだしました。 このころになると、機体の揺れは、じっと立っていられないほどでした。激しい揺れ、というのではなくて、前と 同じように、左右に傾く揺れなのですが、その角度が大きくなって、座席につかまって二、三歩、歩いて、お客様の座席 の下のベストをひっぱて、ちょっと座って、また二、三歩という感じでした。まっすぐ歩いて、あたりを見てまわる、 ということはもうできません。 揺れはいっそう大きくなりました。もう立っていることはできないほどです。救命胴衣をつけ終わってすぐに、 ほとんどいっせいに安全姿勢をとりました。 私は「56C」にもどりました。L5のスチュワーデスは通路をはさんでふたつうしろの空席に座りました。安全姿勢は、 頭を下げ、膝の中に入れて、足首をつかむんです。うしろのスチュワーデスも私も、席に座って大声で何度も言いました。 「足首をつかんで、頭を膝の中に入れる!」「全身緊張!」。全身を緊張させるのは、衝撃にそなえるためです。 こういうときは、「・・・してください」とは言いません。 そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも 近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた 富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。 (書物からの引用は以上) 村上良平さんが 「機体が左右に大きく揺れている」 と遺書に記された状態は明らかに18時30分よりも前の出来事である。 そして、生存者の落合由美さんはそのときの状態を手記に残されていた。 そうすると、18時30分というのはほとんど全員が安全姿勢を取られた直後で、その時刻から急に降下が はじまったことになるが、そのときの機体の位置は富士山が左下に見える位置にあったことがわかる。
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