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御巣鷹山の悲劇
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落合由美さんの証言で「パーン」という音がしたのは離陸後のどの地点だったのだろうか? 『墜落の夏(吉岡忍 著)』に記されている落合由美さんの証言から「パーン」という音と その付帯状況が記されている箇所を抜粋してみると、 「禁煙のサインはすぐに消えたのですが、着席のサインが消えていたかどうか、はっきりしません。 そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい音がしました。 「パーン」という音とほとんど同時に、酸素マスクが自動的に落ちてきた。」 一方で生存者の一人、川上慶子さんに(1985年)8月19日に高崎の病院で看護師により行われたインタビューの中で 「羽田を離陸して「しばらくして、スチュワーデスがミッキーマウスのお人形グッズを配り始めた(読売)とある。 スチュワーデスたちはベルト・サインの点灯が消えたことを確認してから席を立ったであろうと思われるので、 離陸後一旦はシートベルト着用のサインが消えていたことが推測できる。 (『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎著)82ページ) 離陸後、酸素マスクが降りてきて、いったん消えたベルトサインが再び点灯したのは、どの地点だったのだろうか? 伊豆半島の東側、河津駅近くからの目撃者の耳に〈ボーン〉と聞こえた時だとすると、辻褄が合わなくなることがありそうだ。 (その4へ続く)
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