Re.(16) 最終局面目撃情報まとめ

  • 投稿No.1911 元投稿No.1910 せきたにさんへの返信
  • 投稿者:文系ちゃん
  • 投稿日:2022-07-05 01:16:41

せきたにさまへ

丁度レタス畑のすぐ手前 という書き方が誤解を招いたようで申し訳ありません。

甲武信ヶ岳あたりの飛行速度が200ktだとしますとざっくりとですが1秒で100mくらいは進みます。
リクエストポジションから熊谷まで25マイルウエストだそうです までで30秒くらいでその間3kmは進みます。
よって1〜2マイルはそういった幅の中のことであるとご理解頂ければ と思います。

> 意味がわからないので教えてほしい。

> > 「甲武信ヶ岳と羽田間が103kmですので、ざっと56ノーティカルマイルで、この辺りでされた会話のような気もします。」

> ならばどうして

> > 「三国山を越えて数秒で墜落のケースだと、このリクエストポジションは丁度レタス畑のすぐ手前になる可能性が高いように思われます。」

> となるのかわからない。

> レタス畑のすぐ手前だと甲武信ヶ岳を越えて川上村に近づいてしまい、「羽田から55マイルノースウエスト」の位置にならないのではないか?

Re.(15) 最終局面目撃情報まとめ

  • 投稿No.1910 元投稿No.1909 文系ちゃんさんへの返信
  • 投稿者:せきたに
  • 投稿日:2022-07-04 21:31:52

文系ちゃんへ

意味がわからないので教えてほしい。

> 「甲武信ヶ岳と羽田間が103kmですので、ざっと56ノーティカルマイルで、この辺りでされた会話のような気もします。」

ならばどうして

> 「三国山を越えて数秒で墜落のケースだと、このリクエストポジションは丁度レタス畑のすぐ手前になる可能性が高いように思われます。」

となるのかわからない。

レタス畑のすぐ手前だと甲武信ヶ岳を越えて川上村に近づいてしまい、「羽田から55マイルノースウエスト」の位置にならないのではないか?

Re.(14) 最終局面目撃情報まとめ

  • 投稿No.1909 元投稿No.1907 せきたにさんへの返信
  • 投稿者:文系ちゃん
  • 投稿日:2022-07-04 17:23:42

せきたにさまへ

>熊谷というのはたぶん航空自衛隊熊谷基地のことだろうから、熊谷から25マイルウェストだから、甲武信ヶ岳のあたりで合っているだろう。
>その場所で羽田レーダーから消えたのではないか。機影がレーダーから消えたことと機長が「リクエストポジション」を要求したことには関連性があるのではないかと感じる。

リクエストポジション要求がなぜなされたのかということでしょうが、こちらに対してはこれまで 山間部を迷走し、自機の位置がどのあたりであるのか分からなくなったため、場所の確認を目的として発せられた言葉ではなかろうか といった見方が主流だったと捉えております。

それに対しましてですが、私は可能性のひとつとしてですが、123便側が不時着するにあたって管制官に対し、どこに位置しているのかを認識させたのではないか と考えております。

リクエストポジションのやりとりの途中での あたま下げろ かじいっぱい 
やりとり終わってすぐの フラップ降りるね

と不時着への意識があり、レーダーに映っているうちに場所を教えたのだろうとの見立てです。
場所を聞いた後、即座に具体的にどこかへ向かおうですとか、進行方向をどうこうといったような会話や行動はなかったはずです。
その直後、いざ決行という時に人影を見たためか、慌てての中断だったのかもしれません。

甲武信ヶ岳~扇平山~三国山と飛び、その後事故調航跡に戻り一周することがない つまりは三国山を越えて数秒で墜落のケースだと、このリクエストポジションは丁度レタス畑のすぐ手前になる可能性が高いように思われます。
梓山周辺での目撃証言が集まってきましたが、内容を精査し、幾つか考えられるのでしょうが、航跡がどうであったのかを考察し、それとCVRとの突合せを行ってみてしっくりくるかどうか といったところではないでしょうか?

Re. DFDRと経路略図

  • 投稿No.1908 元投稿No.1901 鷹富士さんへの返信
  • 投稿者:文系ちゃん
  • 投稿日:2022-07-04 12:53:34

鷹富士さまへ

>経路や旋回を問題にする場合、「経路略図」ではなく、DFDRを基にすべき、ということを上記の結果は示しています。

私としましても特に大月旋回において航跡や速度等について違和感がありました。
DRDRに従いチャートを見れば42分30秒頃が旋回ピークとなる楕円の航跡であるべきだと思います。
(当時の認識で作った資料ですのでおかしな部分もありますが、3月頃に張り付けていたもの)

http://imepic.jp/20220704/462000
http://imepic.jp/20220704/462030
http://imepic.jp/20220704/462020

CVRとの突合せをしての検証をするにしてもここまで誤差があるのであれば、今からでも現在の技術を用いての修正版の航跡図が作成されなければそれもまともにできないと思います。

そもそもレーダーにはきちんと映っていただろう区間でこれほどまでにズレが生じるというのはおかしいとしか言いようがありません。
大月までのレーダーによる航跡では目立って齟齬のない航跡となっているのにDRDRを参照したとまでわざわざ報告書に記載した箇所の方がズレているというのはあり得ないのでは と感じますが、このあたり事故調報告書重視の方々はどのように見ているのか疑問に思います。

DFDRには風、気流の要素は記録されない。レーダー、DFDRの双方を解析した結果が報告書の飛行経路図でありこれが限りなく真相に近いと推測できるもので、風、気流の要素を無視した単純計算の結果と合わないという理由で修正を行うなどという必要など全くない という見解でしょうか?

ただ、角田氏の証言ですが、ごく低空の飛行で、乗客からも見えるだろうと手を振った旨の記載もあったようですので、上空7000mの飛行機に対してそのような行動をとるものなのか確認は必要でしょう。(角田氏を信用すれば高度が違うという可能性)

> 事故調の「経路略図」には、その正確度について様々な疑念が持たれています。

> そこで、DFDRのデータから算定した数値と、事故調の「経路略図」に示す数値を対比しました。

> 1、47分30秒から55分03秒まで(453秒)、DFDRに基づく飛行距離は58.2km、事故調の「経路略図」では約52km。
> 2、43分05秒から44分09秒まで(63秒)、DFDRに基づく飛行距離は10.8km、事故調の「経路略図」では約16km。
> 3、41分30秒付近の旋回半径、DFDRに基づく算定値は約10km、事故調の「経路略図」では約2.5km。
> 4、40分35秒付近の旋回半径、DFDRに基づく算定値は約20km、事故調の「経路略図」では約3km。

> DFDRに基づくと、事故調の「経路略図は次のように修正すべきです。
> 1、大月上空の旋回は、数km東へずれる。
> 2、44分付近から48分付近までの径路が全体として南東方向へ約6kmずれる。

> 以上の修正を行うと下記の証言と適合します。
> 1、「角田四郎著=疑惑」のページ54~55に記されている目撃内容によると、大月より東10kmにある、中央線梁川駅付近のキャンプ場で、上空を北から南へ日航機が右旋回して行くのが見えた。
> 2、CVRの46分03秒に、(COP)「えー相模湖まできてます。」
> 3、五日市町・日の出町で複数の目撃情報。

> 羽田から40分付近まで(約28分間)の飛行距離には、DFDRと「経路略図」との間に目立った齟齬はありませんから、経路についても大きな齟齬はないと考えます。

> 事故調の報告書は「圧力隔壁破壊=急減圧」という重大な虚構を描いていますから、それに比べれば、「経路略図」の杜撰さは軽微な問題ですが、
> 経路や旋回を問題にする場合、「経路略図」ではなく、DFDRを基にすべき、ということを上記の結果は示しています。

Re.(13) 最終局面目撃情報まとめ

  • 投稿No.1907 元投稿No.1905 文系ちゃんさんへの返信
  • 投稿者:せきたに
  • 投稿日:2022-07-04 04:43:34

> > 文系ちゃんに新しい質問だが、18時54分22秒頃に機長が「リクエストポジション」という声を発しており、管制が「羽田から55マイルノースウエスト、熊谷から25マイルウエスト」と応えている。
> > 「羽田から55マイルノースウエスト、熊谷から25マイルウエスト」というのは地図上ではどのあたりになるのかを教えてほしい。

> 手持ちの大きな紙の地図で確認しましたが、まんまで線を引くと目ぼしい目印となるものがない場所になりました。

> 三国山の北北東17〜18km程のところに日影山というのがありましてそこから始めてさらにそこから9kmくらい先に下仁田町の役場がありますので、その2点間の間が大体その場所ではないかと思われますが、航跡とは随分離れます。
> 甲武信ヶ岳と羽田間が103kmですので、ざっと56ノーティカルマイルで、この辺りでされた会話のような気もします。

文系ちゃんへ

熊谷というのはたぶん航空自衛隊熊谷基地のことだろうから、熊谷から25マイルウェストだから、甲武信ヶ岳のあたりで合っているだろう。

その場所で羽田レーダーから消えたのではないか。機影がレーダーから消えたことと機長が「リクエストポジション」を要求したことには関連性があるのではないかと感じる。

Re.(12) 最終局面目撃情報まとめ

  • 投稿No.1906 元投稿No.1904 せきたにさんへの返信
  • 投稿者:文系ちゃん
  • 投稿日:2022-07-04 03:38:42

せきたにさまへ

× 大仁田
○ 下仁田

の大間違いでした。失礼しました。

Re.(12) 最終局面目撃情報まとめ

  • 投稿No.1905 元投稿No.1904 せきたにさんへの返信
  • 投稿者:文系ちゃん
  • 投稿日:2022-07-03 22:14:32

せきたにさまへ

> 文系ちゃんに新しい質問だが、18時54分22秒頃に機長が「リクエストポジション」という声を発しており、管制が「羽田から55マイルノースウエスト、熊谷から25マイルウエスト」と応えている。
> 「羽田から55マイルノースウエスト、熊谷から25マイルウエスト」というのは地図上ではどのあたりになるのかを教えてほしい。

手持ちの大きな紙の地図で確認しましたが、まんまで線を引くと目ぼしい目印となるものがない場所になりました。

三国山の北北東17〜18km程のところに日影山というのがありましてそこから始めてさらにそこから9kmくらい先に大仁田町の役場がありますので、その2点間の間が大体その場所ではないかと思われますが、航跡とは随分離れます。
甲武信ヶ岳と羽田間が103kmですので、ざっと56ノーティカルマイルで、この辺りでされた会話のような気もします。

Re.(11) 最終局面目撃情報まとめ

  • 投稿No.1904 元投稿No.1903 文系ちゃんさんへの返信
  • 投稿者:せきたに
  • 投稿日:2022-07-03 20:50:07

> 私としましても、8月13日の日経新聞に掲載された航跡図が一番真相に近いのではないかと考えます。

文系ちゃんへ

ただ、8月13日の日経新聞に掲載された航跡図についても疑問はある。

機影が羽田レーダーから消えた時刻が埼玉県のおそらくは甲武信ヶ岳のあたりで18:57となっているが、18:57は墜落の時刻だ。

また、掲載図では横田基地あたりを通過した時刻が18:45で高度が4,500メートルとなっているが次の目撃情報と一致しないように感じる。

東京都西多摩郡五日市町入野750-1 南澤輝明さん(35) 会社役員の証言
 あの日は私の誕生日なので、よく憶えています。町の南側にある今熊山(八王子市美山町)の方向から、大きな飛行機が現われ、北北東の方向へ水平にゆっくり飛んでいた。
秋川や町の上空を横切って日の出町方向の山へ消えました。五日市高校の上空あたりを飛んでいる様子でした。横田米軍基地に降りると思いましたが、普段米軍機は低空でこんな所を飛ばないので墜ちるのでは・・・・・・と感じました。時間は午後6時45分頃の20~30秒間です。
「疑惑JAL123便墜落事故/角田四郎著」91ページ

文系ちゃんに新しい質問だが、18時54分22秒頃に機長が「リクエストポジション」という声を発しており、管制が「羽田から55マイルノースウエスト、熊谷から25マイルウエスト」と応えている。
「羽田から55マイルノースウエスト、熊谷から25マイルウエスト」というのは地図上ではどのあたりになるのかを教えてほしい。

Re.(10) 最終局面目撃情報まとめ

  • 投稿No.1903 元投稿No.1900 せきたにさんへの返信
  • 投稿者:文系ちゃん
  • 投稿日:2022-07-03 18:22:28

せきたにさまへ

> この航跡図はレーダーではなく、交信記録から推定したものとなっているが、この葬られた航跡図が一番真相に近いのかもしれない。レーダーによる航跡図とされているのは交信記録からの推定図とは全く違ったものという印象だが、両者がまるで異なったものになるわけがないだろう。

私としましても、8月13日の日経新聞に掲載された航跡図が一番真相に近いのではないかと考えます。
羽田のレーダーの方には日経掲載の図のように 所沢の方だと地形の影響を受け、相模湖過ぎて東で途中数分途切れる航跡をみたのではないかとも推測しています。

とりたてて驚くような情報はないのですが、手持ちのスクラップに朝日新聞14日夕刊がありましたので、こちらを貼っておきます。
(事故時の音の表現が後のロングインタビューのものとは違うような印象はあります)

<朝日新聞14日夕刊>
http://imepic.jp/20220703/653670

やはり富士山を見た位置というのは重要な鍵となるのでしょう。

Re.(35) 事故機における旋回

  • 投稿No.1902 元投稿No.1897 文系ちゃんさんへの返信
  • 投稿者:鷹富士
  • 投稿日:2022-07-03 18:17:48

1、DFDRにオリジナル以外に何かがあるとは知りません。何らかの生成物があるなら、当然にその真贋を検証されるべきです。現在公開されているDFDRの各データ間に矛盾はありません。

7、私の武器は確かなデータと確かな理論であり、その範囲を超えた推測をする気はありません。この掲示板に投稿した動機は、私が知らない情報をどなたかからいただけることを期待したからですが、今までのところ皆無です。

8、推定の飛行経路図というのは、例えば「角田四郎著=疑惑」のペー59に示されている3種の航跡図があります。
角田氏自身もこの変遷は不可解だとしています。墜落前後の自衛隊の不可解な動きもありました。
ここまでを真相追求の対象とされることは、ご自由ですが、事故調の「経路略図」の問題とは別の問題です。

吉岡忍氏の「墜落の夏」は読んだことがあります。吉岡忍氏の著作は全体として信頼しています。
それとは別に手記が出されたことを、他の著書に紹介されていたことを記憶していますが、残念ながら図書館にも大型書店にもありません。

「落合証言」については、次の話があります。

「角田四郎著=疑惑」のページ77に、次の記述があります。
(13日14時13分に救急車で多野総合病院に到着。)その20時間後、重体の落合さんを見舞った日航重役2名が、面会談をメモに取ったことを某社記者に知られ、やむなく発表したものがいわゆる第一回目の「落合証言」である。

「藤田日出男著=隠された証言」のページ116~117には、次の記述があります。
8月14日、日本航空の広報関係者からは、前日の落合さんの発言をもとに急減圧を印象付ける、偽の落合証言が発表された。・・・・・・・誰かがでっち上げた「落合証言」であることが確認された。

面会謝絶の重体患者を、直接の上司でもなく親族でもないのに、面会を求めたのは不法と言わざるをえませんし、本人が語っていないことを捏造しています。

No.1895で言いたかったことは、「手記」ならば内容について全面的に当人が責任を持ちますが。インタビュー記事は執筆者に責任があり、多少の脚色や誤解があっても許容される、という一般論です。

「角田四郎著=疑惑」のページ70~73に、次の記述がありますので、追加します。
「・・・・14日夕刊のこのニュース(落合証言のこと)である。日航本社重役2名が14日午前10時半ごろ、落合さんが入院中の多野総合病院を訪れ、「顔を見るだけ」と大野院長に見舞い面会を頼み込んだらしい。このとき落合さんは、集中治療室にいた。・・・・・・・救出から24時間にも満たない時間に、事故調や警察を差し置いて面会したという事実に私は仰天した。・・・・・・後に私が取材した日航パイロットの一人は「あれは、全くの捏造です。・・・」と話してくれた。・・・・・後日、自らの手記(新潮45・昭和61年1月号)で・・・・・」