Re. 中嶋 初女氏の目撃証言の変遷

  • 投稿No.3015 元投稿No.3014 胸肩さんへの返信
  • 投稿者:せきたに
  • 投稿日:2023-09-05 20:42:54

胸肩さんへ

> キャベツ畑で作業をしていた女性は電話で、
> 「大きな飛行機が左に傾きながら南相木村方向に飛んでいった」と生々しい状況を語っていた」

その目撃談は墜落までの航跡が時計回りとなっているようですが、
胸肩さんが前の投稿(№3013)中に紹介されている

> 「川上村の人達は、飛行機は北東の
> 方へ炎をあげて飛んで行ったと、
> 話している」  
>  (北相木村菊池村長)

こちらの目撃談は墜落までの航跡が反時計回りです。

墜落直前のこんな地点(長野県川上村)において明らかに航跡が異なる目撃談があるのが不可解です。

中嶋 初女氏の目撃証言の変遷

  • 投稿No.3014
  • 投稿者:胸肩
  • 投稿日:2023-09-04 16:38:42

19時05分
「18時55分頃、埼玉県方面から飛んできたセスナ機より大きな飛行機が、大きく旋回しながら、南相木村(長野県)と群馬県との県境付近に落ちたらしく、赤い閃光がして、その後、黒い煙が上がった」 第一通報者

キャベツ畑で作業をしていた女性は電話で、

「大きな飛行機が左に傾きながら南相木村方向に飛んでいった」と生々しい状況を語っていた」

「埼玉県方面から飛んできた飛行機が
赤い炎をあげ、やがて黒い煙を残して
群馬県境に消えた」  
(朝日新聞のの24時)

長野県川上村梓山の農婦
中嶋 初女氏110番通報(臼田署)

昨今採用の証言

「南相木村方面に向かった」と、
「飛行機が赤い炎をあげ、やがて
黒い煙を残して群馬県境に消えた」
が省かれています。

粗、確定した事項です。

  • 投稿No.3013
  • 投稿者:胸肩
  • 投稿日:2023-09-04 16:29:16

1. 確定した垂直尾翼トルクポックス等
の散乱場所。

現場空域を当時撮影した映像等から
考察した結果、U字溝も落葉松の
尾根も同じ溝が存在してます。

墜落現場から、南東の落葉松の
林の尾根の手前で、垂直尾翼の
残り4割が背面飛行で、接触して、
失われ次のU字溝の尾根付近で、
右側の主翼や、第4エンジンが、
脱落したと、私は結論付けました。

そして、共同通信も事故現場から
約1km(730m)の落葉松林の、
急斜面に落下、としていました。

2. 19:01の出動した機体は、
RF-4E偵察機。

19:01
百里基地司令官が、
RF-4E偵察機を出動させています。

「ファントム偵察機が発進した」
元自衛隊員 町田 英夫氏の証言。

19:21
炎を確認、横田タカンから300度
の方向32マイル概位を報告。

3. 別個のデータを作成している。
DFDRの改竄は無理との主張
を覆せ無かったのですが。

(ソフトで改竄説も散見)

事故から数日以内で、川上村の
人々がジャンボ機が123便の
経路に沿って、飛行して来る
のを目撃してます。

偽物の交信記録、偽物のボイス
レコーダーや、偽物の飛行記録
を作る為の飛行の可能性が、
高いです。

長ったらしい例です(済みません)

「川上村の人達は、飛行機は北東の
方へ炎をあげて飛んで行ったと、
話している」  
 (北相木村菊池村長)

大きく左旋回して、三国山方面に
機首を向けて川上村村内を、
超低空で駆け抜けてます。

「スピード 220ノット 」=407km/h
(DFDRでは254ノット) =470km/h

「もうぶっかると思ったが、機首を
グッと、持ち上げて山の斜面
(高天原山 1978m)を這う様に
上昇して行った。機首の上部が、
後ろから見える程の急角度の
ままやっと尾根を超えた」

(川上村梓山の実家畑で神奈川県
在住石川 哲氏)

18:55:49 失速警報 カタカタ始まる
18:55:50 「もう駄目だー」 (CAP)
18:55:51 「機首上げろ」 (CAP)
18:55:52 ストールするぞー(CAP)
18:55:53 マックパワー、
マックパワー(COP .F/E)
18:55:57 失速警報 カタカタ停止

墜落1分前、日航機の操縦室 機長 
音声記録の未公開部分 (朝日)

悲痛 最後の1分 機長絶叫 (毎日)

注釈 東京管制部のレーダーや
初期の東大地震研究所の地震計
から、墜落時刻は、18:56:55と
判明しております。

東大地震研究所の地震の発表
以前は、18:56:50秒と推定
していました。

参照の事
航空事故調査報告書付録
(JA8119に関する試験研究資料)

付録6 付図-5(a) 事故機の飛行経路

123頁目 / 210頁中

数字は「分」
を表わす

56.5が、18:56:50です。
当初は18:56:50頃としていました。

https://www.mlit.go.jp/jtsb/aircraft/download/62-2-JA8119-huroku.pdf

108kt (200Km/h) 機首 39°
失速警報「カタカタ」 8秒鳴り響く。

高天原山の麓、梓山から高天原山の
頂上迄、斜面が4km弱、失速警報が、
鳴ったのは、頂上から、5、600m位
からか?

「スピード 220ノット 」=407km/h
(DFDRでは254ノット) =470km/h

DFDRを、実際の飛行を合わせる予定
が、機体スピードを間違えて仕舞った
のでしょう。

第一通報者の手記

https://youtu.be/czhCsHplCd8?si=
g_QAC2ED_kRVaYsY

航空局、群馬県警への公開質問状 事件か ? (その2)

  • 投稿No.3012
  • 投稿者:8.12連絡会 事故調査 分科会 会長(遺族)2903 小田周二
  • 投稿日:2023-09-03 22:44:03

   国土交通省 航空局  平岡成哲 殿 
    群馬県  群馬県警  本部長 殿 

  航空局への公開質問の提出:「事故でなく 事件か」 回答を求める?  (その2) 

 飛行の継続が出来、操縦出来た日航機は 川上村から、三国山を経由して上野村の山岳地帯に入った時に、突然重大な機体破壊、損傷を受けている。
 それは「第4エンジン」「水平尾翼」の破壊脱落であった。この事態は(CVR)と(落合証言)で明らかになったのだ。

  掛かる日航機は飛行中に重要な操縦機器:(垂直尾翼)(水平尾翼)(推進器機):(第4エンジン)が破壊、脱落しての飛行で掛かる事象は 通常の飛行中では、発生しないのであり、
  この破壊は 外部からの攻撃で破壊された、即ち「事件」だと判断帰結出来る。これでは 優れたパイロットでも墜落を止めることが不可能であったと 技術的に論理的に判断出来る。

  この異常事態と日航機の操縦不能の関係を纏めた資料を添付する。
  (別紙―1 日航機墜落の真実―操縦出来たが 突然操縦が不可能になった事態)この資料は 真実を突き止めた事実仮説であり、航空局の見解を聞きたい。掲示板 No 2981,2985)
  (質問―3)回答を求める

   結局、国、航空局が 墜落の原因を「事故」としたのである。 
  いや 国、総理、航空局が 知っていた殺害事件を「事故」として政治的に処理したのが真相である。

 4. 次に「事件」と判断とした経緯は 「事故」との判断の裏返しであり、これは技術的な調査より、政治的な思惑、判断が先行し、
   権力者、軍隊:自衛隊の撃墜での責任の回避を優先させており、「破壊殺害事件」を「事故」とした経緯が日本政治の病根なのだ。
   権力者の資質であり、事故の責任を回避するとして 隠した自己保身の行為であった。

 5. 事故調査に当たった航空局に聞く !!
   ここで、事故後 事故調査に当たった群馬県警に聞きたい。
   事故後 38年になるが、未だに 国、航空局は 事故原因を明らかにしていない。奇妙である。何故 説明責任を果たさず、『隔壁破壊説』が破綻して この事実を認めていながら、
   何故 真実を明らかにせず、又 掛かる事態は 国が、慰霊の園が 524名の犠牲者への供養し慰霊する資格がないことも 明白なのだ。

   国、航空局に問う。
   日航機墜落の真実は「事故」ですか、又は「事件」ですか?
   勿論 その根拠を明らかにして、結論を出して回答を求める。(質問―4)

   墜落の事故調査は 形式的には(事故調査委員会)(群馬県警)が当たり、実質は 「航空局」『日航』が実施している。
   航空局の外局の「事故調査委員会」「安全委員会」に2020年以降 何度も事故原因を聞いたが 必ず「事故報告書」(1987年7月)に記載してある」との回答を出すのだ。
   即ち「事故だ」と言うのだ。
   これでは 幾ら「独立して調査した事故調」との航空局の説明が成立しないことは明白だ。(事故調査委員会)は 調査能力も権限もないことは 明白だ。単なる傀儡の組織なのだ。
   然も 航空局自身が (隔壁破壊説が 間違っており、法的に(ボーイング)(日航)(航空局)は 無罪が確定している)との航空局の遺族への文書)あり、矛盾するのだ。
  
   注) 小田の「許されざる者」を航空局に提出しており、航空局の発信文書が掲載されているのだ。
      航空局は 事故調の嘘の説明を繰り返す愚は止めて、真摯に墜落の原因を 「事故」か「事件」か を回答し、その根拠を明確に示して下さい。
 
      根拠理由を 示さない結論(事故か 事件か)は 意味がなく、又調査能力がないことの証明と判断出来る。
      必ず、その理由、根拠を添付して 回答を求める。

      航空局の誠意―犠牲者への誠意が分かる事態であり、その回答である。
      「航空局が無能で失格だ」と 言われないように 真摯な回答を求める !!       以上
     
 

  

航空局、群馬県警への公開質問状 事件か?。(その1)

  • 投稿No.3011
  • 投稿者:8.12連絡会 事故調査 分科会 会長(遺族)2903 小田周二
  • 投稿日:2023-09-03 22:20:18

 国土交通省 航空局  平岡成哲 殿 
 群馬県警 本部長 殿 

 航空局、群馬県警への公開質問の提出:「事故でなく 事件か」 回答を求める?

 
 国を統治する権力者、政権担当者は国民の生死の管理は重大施策の一つである。先進国、民主主義国家では 歴然として 輝いている。
 そして、且つ 国民の命を守ることが 最重要事項である。
 日本では 病気,怪我による治療のため、医療システムが機能している。これは 国民の命を守るためである。勿論 費用は 国民が一部 負担し、国民の安全を保っている。
 更に 国民が命に関わる事態に陥ると全力を挙げてその命を救う対処、応援を行って、命を守るのである。
 これがために警察があり、直接に対処することが決められ、実行している。又 外国からの侵略に対し、軍隊:自衛隊が 莫大な金を使って 準備用意している。
 
 1. 国家は 将に国民の命を守ることが重要な施策であるのだ。
   国民の生死の管理は「警察」の重要な業務であり、その判断は 慎重で、且つ確実で、その死亡の区分として、「自殺」「事故」「事件」と分類して決定して判定する。
   日航機墜落では 国民、524名が死亡した事態について考える。

 2. 先ず「自殺」だが、今回の日航機墜落が乗員、乗客が自殺での墜落は 誰でも分かることだが あり得ない事態だ。
   然るに 慰霊の園での(慰霊式典)では何故か 死亡者を「遭難者」として慰霊するとの名目で、37年間「遭難者慰霊式典」として挙行しており、
   遺族が抗議し反発し、何度も修正の提案を出したが、「一度決定した」とので、奇怪な黒沢理事長の回答に遺族は苦しんでいる。
   掛かる名称は 旅客機墜落での名称としては、不当で不適切で、「犠牲者」を侮辱する行為である。
   これは 幾分、自殺的な行為だとの「遭難者」であると考えるが
   群馬県警として、その判断を聞きたいのだ。(質問―1)
   乗客、乗員に その死が「遭難者」との命名は 不当で 犠牲者であると考えるが 航空局の見解を聞きたい。
 
  3. 次は「事故」との判断だが、事故調、航空局は「垂直尾翼」「油圧装置」での墜落はその原因は 1987年7月「隔壁破壊説」との結論を出したが、
    これは1990年7月 前橋地検が「機内は静粛であった」との落合証言を採用して成立せず、更に 垂直尾翼の破壊後にも長い時間:30分も飛行の継続が出来たとの記述で、
    この仮説は成立せず、崩壊した。故に「事故」との判断も不当な判断だと判断出来るのだ。

    更に 墜落事態に関して、
    当初より、この墜落は自衛隊が「曳航標的機」による(垂直尾翼破壊)が原因であり、自衛隊百里基地の司令官の告白:「えらいことをした。標的機が民間機(日航旅客機)に激突した。
    今偵察戦闘機を発進させた』との戦友への電話で自供しており、『隔壁破壊説』を否定していることから、自衛隊関与が 当初から、言われていた経緯がある。
    然しである。民間機の異常事態に 何故自衛隊が戦闘機を発進させ、場所を捜索させるのか これは 警察の問題である。
    そして この件を秘密処理して、隠すのかである。
    自衛隊が この件について 公開していない。何故 自衛隊、及び航空局が秘密処理したのか 事故調が自衛隊を調査したのか? 

    又 13日に 新聞記者が墜落場所から、自衛隊のヘリが「黄色い機材残骸を引き上げており、その写真を翌朝の新聞に掲載を予定していたが 
    翌朝の新聞に掲載の段取りが急遽、取りやめになった」の記者の証言があり、
    これは 自衛隊標的機の衝突が事故原因だとの投稿があった」ことも自衛隊関与であり(事故でなく、事件だ)との根拠になっている。
   
    更に日航事故機は飛行の継続が出来、アントヌッチ中尉の体験、救出活動、無線交信傍受で「機長が横田基地への緊急着陸を申請し、横田は許可した」との傍受証拠を文書化し、
    世界に報告して公表している。
    然るに 日航機は 横田に「緊急着陸を敢行する」との事態は 隠されている。 権力者によって 隠された事実であった。
    これも事故機は、航空常識である「必死に着陸を敢行した」との事態が報告がされないことは、奇怪であり得ないことである。
    凡そ、深刻な損傷で墜落の危機にあった旅客機が決死の緊急着陸を行なおうとした時、何故 自衛隊がこれを禁止して、地獄に送った事態は 国民の命を守る国、自衛隊として 異常で、
    疑惑の行動であり、何故、自衛隊、総理が着陸を禁止した理由、根拠を 明解に説明をされたい。(質問―2)

    (その2)に続く

南伊豆の河津町 ・西伊豆町 ・東伊豆町 ・松崎町 ・南伊豆町の何処か?3

  • 投稿No.3010
  • 投稿者:胸肩
  • 投稿日:2023-09-03 04:59:54

伊豆半島の貯水タンクの話は、知って
いますが、場所の特定は困難でした。

田舎で有る程、難しいでしょうね。

人穴の件も疑惑が在りますし、疑惑の
数を増やしたく、追求されたく無い
だけでしょう。

真相究明の足枷にするには、
代償は大き過ぎると考えます。

嘘を吐き続けたら、皆、妥協点を
探り、丸目込まれて、呑み込まれて、
軍門に下る事を理解しているから、
嘘を大きくして行くのでしょうね。

嘘を付き続けられるのは、
巨大な力を持つ証拠です。

強大な力の軍門に下れば、何を
主張しても構わ無いので、
楽になりますね。

五十歩、百歩の差でしょう。

大勢の人の行く(歩く)道です。

嘘を付く存在に、対抗するには、
何時も、揺るぎ無い確証を頭に
刻み込む必要性が在る訳です。

万難を廃して。

何事に於いても真理、真相に
到達する人は、極、僅かでしょう。

南伊豆の河津町 ・西伊豆町 ・東伊豆町 ・松崎町 ・南伊豆町の何処か?2

  • 投稿No.3009
  • 投稿者:胸肩
  • 投稿日:2023-09-03 04:38:06

「まあ、あれだけしょっちゅう近くなんかに行ってね、わらびだの何だのを毎年のように探してたのに、あんな大きな部品が目に入ってこなかったっていうのは不思議だけども、結構(山肌が)崩れてたしなぁ。かなり上の方から落っこちてきたのかもしれねぇなぁ」

自らが発見できた理由についてそう推測するTさん。しかし彼の発見は、その後、意外な形で、闇へと葬り去られることとなる。

多くの尊い命を奪い、全国民を悲嘆のドン底へと突き落とすこととなった日航ジャンボ機墜落事故。しかし、発生から多くの時が流れ、時代も昭和から平成へと遷りかわり、それに伴う形で、多くの世人から「過去のもの」とされつつあった。そんな中、ひとりの農夫により発見されたその“痕跡”。もしかすると事故原因を究明する上で、貴重な手がかりとなったかもしれないそれは、その後、発見者であるTさんですらも思いもよらない形で、彼の前から姿を消すこととなる――。

■脅迫めいた謎の電話

「近所の連中や駐在さんを連れて山に行ったあと、2日3日経ってから、町の方の警察の人が来たりしてさ。しばらく賑やかな感じになっていたんだけども、(発見から)1週間くらいした頃かな。電話がかかってきたのさ。こんな田舎なもんで、電話なんてかけてくる家はあんまりないこって、東京にいる子どもらにでも何かあったんかと思ってとってみたらさ、知らない男でさ。“見つけたもんはさっさと忘れろ、もうこれ以上誰にも言うな”だなんて言い出すの。なんだこいつは、って思ったけどさ、その話しぶりがね、脅すような感じだったもんだからさ、怖くなってね。それからは黙ることにしたっていう」

件のジャンボ機から落下したと思しき機体の一部を見つけたTさん宅に、いきなりかかってきたという謎の電話。そのただならぬ気配に怯えた彼は、その後、なるべく早く自らの発見を忘れるように心がけたという。また、そうしたある種の「脅し」ともとれる“見えない力”は、集落全体にも及んでいた。

「最初に電話かかってきたときにさ、近所の連中にも聞いてみたら、同じような電話がかかってきたってみんな言うもんでさ。これはきっと偉い人が、命令してかけさせてるんだろうっていう話になったもんだからね。みんなで話し合って、さっさと忘れようって。そりゃあ、気になるよ? 気になるけどもさ、俺を含めた年寄り連中はいいけども、子どもや孫だっているわけだからね。そういうのを考えたら、見なかったことにしちゃうっていうのが賢いだろうってさ」

それ以来、Tさんによる発見は、集落全体としても『なかったこと』にされ、いつしか誰も口に出さないようになっていたという。だが、仮にそうだとするならば、問題の部品は、今なお、Tさん宅の裏山にあるということになるのだが…。

■自衛隊? 不審なトラック何台も

「あれは(謎の電話があってから)、半月くらい経った頃かな…いや、10日くらいのもんか。明け方にね、あまり見ないようなトラックが何台も止まってる日があってさ。近所の連中が言うには、ありゃあ自衛隊のトラックで、御殿場から来てるんだよ、なんていう話だったんだけどもさ。俺もね、変だなと思ったけども、厄介なことに首つっこみたくはないから、そのまま畑に出てね。8時くらいに戻った頃にはもういなくなってたよ」

謎の電話からしばらくたった後、目撃された複数台の不審なトラック。後日、Tさんが「あの日」と同じように、貯水タンクの確認のため山に登った際、既に部品と思しき発見物は姿を消していたという。こうした話から推測すれば、Tさんらによって目撃されたトラックは、「回収」のために現場を訪れていた可能性が高いと見るべきであろう。深夜から早朝にかけて回収作業を行ったと考えれば、午前8時過ぎには彼らが姿を消していたというのも合点がいく。

「まあ、それこそ竹薮3億円じゃないけども、札束でも見つけたのなら人生の楽しみにもなるだろうけどさ。あんなもん見つけたって何ひとついいことなんかありゃしないよ。どの道、俺なんて生きたってあと何年かだろうから、どっちにしたって構いやしないけどもさ(苦笑)」

1985年8月の事故発生から、今年で30年目を迎える『日本航空ジャンボ機墜落事故』。遺族や一部の大手メディアの間からは、未だにその真相が究明できていないという声も少なくないが、どうやらそうした真相を覆い隠す闇は、思いのほか、巨大なものであるようだ。

(文=戸叶和男)参照元 : TOCANA

南伊豆の河津町 ・西伊豆町 ・東伊豆町 ・松崎町 ・南伊豆町の何処か?

  • 投稿No.3008
  • 投稿者:胸肩
  • 投稿日:2023-09-03 04:28:32

今も謎多き日航ジャンボ機墜落事故。相模湾上空で垂直尾翼を失い、制御不能のまま飛行して群馬県御巣鷹山に墜落。垂直尾翼の破片の大半が相模湾に落下、今も海中に没したまま分析不能なことから、米軍機の誤射によって墜落した「米軍撃墜説」「テロによる犯行説」「核兵器運搬の証拠隠滅説」「UFO撃墜説」などが囁かれ続けてきた。しかし21世紀に入り、そのジャンボ機の破片が伊豆で発見されたという珍事件をご存知だろうか? 今回はこの情報に関してよく知る者から聞いた、本当にあった封印された不思議な話を紹介しよう。

「……あれはその、ちょうど今くらいの季節かな。山の水(貯水タンク)を見に行った時なんだけどさ、ついでにわらびなんかがあったらいいな、なんて思ってね。そんでばあさんも行くなんて言ってたけども、雨の後だし、足元が危ないから俺が行くよ、なんて言って出かけたのさ。そしたらあんなもん見つけちゃったもんだからさ、本当にびっくりでさ」

そう語るのは、南伊豆のある地域で暮らす農民・Tさん(78)。Tさんは今を遡ること約10年前、自宅裏の山深い場所に設置した山水用の貯水槽を確認すべく、山へと入っていったのだという。その日は、数日前から霧雨が続き、水が濁っていた。しかしそれでいて、水の勢いがなかったことから、不審に思い確認しようとしたという。

「秋の落ち葉が多い時期なんかもそうだけども、雨が続くとさ。ここいらはすぐにタンクにゴミや落ち葉なんかが詰まっちゃって、駄目になるんだよ。だからその日も、どうせそんなことだろうって思って入ったんだけどもさ……」

自宅の庭から続く細い林道から、地元民でも来ないような獣道をおよそ20分、Tさんは貯水タンクを目指した。だが、そのすぐそばに着いたときに、彼はある異変に気づく。降り続いた雨のため、貯水タンクよりも上の方にある山肌が崩れ、多くの樹木や土砂などで、タンクの周囲が荒れ果てた状態となっていたのだ。

「こりゃあ、参ったなーって思ったさ。だって結構な大きさの枝だのなんなのが、ガーって崩れて埋め尽くしてるんだから。でも文句も言ってられやしないから、1個ずつ片付けていったわけ。石だの枝だのをさ。そしたらね、なんか変なもんも落っこちてるのよ」

山肌の崩落により崩れ、折り重なるようにタンクの周囲を埋め尽くす枝葉や土砂に混ざる形で、Tさんは、見慣れぬものを目にする。それは、ところどころ鈍い輝きを持った、大きな金属片のようなものであった。

「最初はなんだかわからなかったよ。あんなところ、農機も入らん場所だからさ。それでもって片付けた後に(山を)下ってきて、近所の人らに話したの。そしたら、『おめえ、そらジャンボ機の部品でねえか?』なんて(彼らが)言うもんだからさ、駐在さんに届けてね、みんなで見に行ったわけ。そしたらやっぱりそうなんだろう、って」

1985(昭和60)年8月12日月曜日、日本航空、東京・羽田発の大阪・伊丹行の123便が、群馬県多野郡上野村にある高天原山の尾根に激突・墜落した、いわゆる『日本航空123便墜落事故』。乗員乗客524名のうち、死亡者数は520名に上り、国内航空機事故では過去最多の犠牲者を生んだ。この事故は、その後に回収されたフライトレコーダーの記録などから、相模湾上空で「謎の爆発音」が発生し、その後、伊豆半島南部にある河津町・下田市上空を旋回するようにして通過、富士山方面へと向かったことが判明している。だが、この事故の際に機体から落下したと思しき部品の一部を、時を経て21世紀に入ってから、はからずもTさんは発見してしまったのである。

「これはとんでもねえもんを見つけてしまったなって思ったよ。なにせ、ああいう事故だったからさ、俺も当時は相当驚かされたんだわ。それがね、まさかうちの裏の山なんかで部品が出てくるなんて、夢にも思わねえもの。何年も経ってるのにさ。逆になんで今まで見つからなかったんだ? って思ったりしてね」

たしかにTさんが指摘するように、当時は最終的に機体が激突し、群馬県の上野村周辺のみならず、件の「爆発音」が発生した相模湾付近も大規模な機体の回収・調査活動が行われていたことは、当時の資料に目を通しても明らかだ。当然、その捜索は、同機が最初に通過した陸地である伊豆半島南部地域においても行われていたと見るべきだろう。そうした意味で言えば、事故発生から長い時間が流れた後で、このような形で発見されること自体、ある意味、“異常”と言わざるを得ない。

Re.(5) 小松便情報

  • 投稿No.3007 元投稿No.3006 胸肩さんへの返信
  • 投稿者:文系ちゃん
  • 投稿日:2023-09-02 22:29:52

胸肩さまへ

かの動画の存在が、日航機の真の航跡についての考察を惑わせることになったように思います。

現状 事故調航跡で正しいのか、DFDRベースのものが正なのか、小松便機長証言に合致するものが正しいのか、はたまた本当のところは別にあるのか悩ましい限りです。

これまでも時折偽装機の話題が出てきましたが、その存在を認めないとあちこちでの目撃証言等を説明仕切ることは出来ないのでしょうか?

私としましては、偽装機が存在したという確実な証拠が有れば… という思いです。伊豆半島の水タンクのところの落下物 その場所次第では といったところです。

> > > 検証の補足です。
> > > 与縄から赤鞍ヶ岳までの地形断面を確認しましたが、証言とおりであれば1500mにも満たない•••

> 私が惚ていました。間違いです。
> 18:42には、5千フィートに、
> 急降下して居ると推定して
> ましたから、間違い無く、
> JAL123便で、良いです。

> 文系ちゃん様、確証して
> 戴き感謝致します。

> 擬装機体は、旋回せずに
> 直線飛行してました。

> ちょっと疲れているかも。
> 確定したと思われた情報は、彼方
> 此方で共有して下さって構いません。

> 是非、採用して戴き共通認識を広げ
> て下されば、幸いです。

Re.(4) 小松便情報

  • 投稿No.3006 元投稿No.3004 胸肩さんへの返信
  • 投稿者:胸肩
  • 投稿日:2023-09-02 21:03:40

> > 検証の補足です。
> > 与縄から赤鞍ヶ岳までの地形断面を確認しましたが、証言とおりであれば1500mにも満たない•••

私が惚ていました。間違いです。
18:42には、5千フィートに、
急降下して居ると推定して
ましたから、間違い無く、
JAL123便で、良いです。

文系ちゃん様、確証して
戴き感謝致します。

擬装機体は、旋回せずに
直線飛行してました。

ちょっと疲れているかも。
確定したと思われた情報は、彼方
此方で共有して下さって構いません。

是非、採用して戴き共通認識を広げ
て下されば、幸いです。