Re.(21) 違和感
- 投稿No.2541 元投稿No.2540 せきたにさんへの返信
- 投稿者:文系ちゃん
- 投稿日:2023-03-05 17:02:25
せきたにさまへ
書き起こしにてお手数お掛けしております。
そこには明確に と言ってよいような遮る力 というものが作用していただろうという事が強く感じられます。
私の投稿No.2539で、上野村の地形断面を示しまして、村役場からは事故機を見るのはまず無理であるだろう旨の見解を示しましたが、事故機は墜落のごく直前までほぼ高度3000mは維持していたようですので、航跡が報告書にある通りであるならば国道沿いからであっても少ないながらもいくつかは目撃証言があってもいいように思います。
逆に国道付近からの証言がないという事を考えますと航跡自体事故調のものとは違っており、川上村逆S字からの三国山超えて程なくでの墜落であった方が正しいという事を示しているようにも思います。
> 文系ちゃんからの質問
> > 一点質問宜しいでしょうか?
> > 確か墜落後、見通しの良い山を目指して登っていき、あとわずかで見通せる地点に辿り着くという寸前に警察?によりそれより先に進むことを阻止され引き返しさせれれた といったような内容の話があったように記憶しております。
> > その話の場所がどこでのことだったのか、また、その話の出典等、情報をご存じでしたら、お教え頂ければ と思います。
> に対する答えは前回引用したところではなく、今回引用する箇所になるかと思う。
> 『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎著)
> 125ページ~129ページ
> (ガソリンスタンドから出て)ふたたび車を走らせながら、我々は口数少なく、しかし頭の中は二人とも同じ事を考えながら走っていた。
> 「今の話、本当だよな」
> 「間違いないな、時間的な記憶も確かだし」
> 信じられない現実を耳にしてしまった気がした。清流、神流川に沿ってくねくねと曲がる道は、万場町を過ぎて、その曲がる頻度もどんどん狭くなり、中里村を過ぎるとついに一車線(両側)道となった。つまり対向車とは、すれ違い場所以外では通れない。それにつれて道は、片方は山の崖、一方は川まで10メートル以上の絶壁となった。
> この頃から我々と反対方向、つまり藤岡方面に向かう車とさかんに出合った。その多くは自衛隊のトラックであった。それはまるで戦場から引き上げて来るような雰囲気である。舗装は随所で穴があり、また途切れている。運転には相当の注意が必要であった。だが、景色は素晴らしく、空気もひんやりと澄んでいた。
> 道がいよいよ険しくなった頃、川向こうの小高い所に上野村役場が見えた。乙母集落、村の中心地である。少し行くと右側に小学校とグラウンドが見えた。だが、それは小学校の風情ではない。軍隊野営地である。これが陸上自衛隊の救難最前線であった。役場の駐車場も機動隊の装甲車でぎっしり埋めつくされていた。いよいよやって来たな・・・・・・と思ったのは間違いだったことに、この先で気づくことになる。
> 運転の修羅場はここからであった。道は増々激しく蛇行し舗装はもうない。左側の断崖は川まで20メートルを越えた。栖原集落を過ぎ、十石(じゅっこく)峠への別れ道を左へハンドルを切った。『これより先、降雨80ミリ以上、通行止』の大看板が目に入る。その先に久々に一軒の雑貨屋がある。そして道は二又に分かれていた。メインは右寄り真っ直ぐである。ここで初めて道に迷った。左の道は橋になっていて狭い・・・・・・。
> 友人が商店に走った。そして戻って来て「左、左・・・・・・」
> しかし、左には小さな浜平鉱泉の看板があるだけ。それも朽ちて字が読めないような代物で他には何もないのである。「本当に左でいいの」といいながら橋に近づくと、「あった」地面から50センチ程の高さに幅15センチ縦30センチ程の板切れに『日航機現場』とだけ書いてあった。ほっとして、ふたたび走り始めたが、ふっと前方を見ると道路半分までせり出した機動隊の装甲車とその脇に白バイが2台とまっていた。私は思わず目をみはった。
> 若い白バイのお巡りさんが二人、『止まれ』の合図をする。その場所は営林署の事務所になっていて、少し広くなっている。その駐車場に入るよう指示されて車を出た。
> 「どちらへ?」
> 「山、日航の現場です」
> 「御家族でも?」
> 「はい」
> 「この先はお断りしてるんですよ、あなた方の安全をお守りする役目がありますから」
> 「ああ、それでしたら結構です。覚悟はしてますから」
> 「いいえ、そんな訳には行かないです」
> 「じゃ、入ってはいけない法的根拠はなんでしょうか」
> 「それはありません。しかし、危険ですし捜査の支障になりかねないので、お断りしています」
> 友人も少しムッとしながら「この山でいっしょに死んでやれるんなら本望だよ、あなたにはわからんよ、この気持ちは・・・・・・」
> 私もたたみかけて「捜査の邪魔だというなら、我々はそれなりの装備はして来たので、2、3日山で捜査を手伝います」
> それまで黙って車のナンバーや中をのぞき込んでいたもう一人の巡査が大きな声を出した。「免許証見せて!」これには我々も無性に腹がたって来た。
> 「見せろと言うなら見せるが、何故こんな所で違反もしていないのに免許証を見るんだ、威圧して追っ払うつもりか」我々の抵抗はまだ続く。
> 「なにか違反を作り出して、追い帰すわけだな。あんた達の手帳も見せてもらおうか」
> 先の巡査がもう一人を制した。私は免許証を出して「警察手帳を見せて下さい」と迫った。
> 「いや、まあまあ・・・・・・、免許は結構ですから、ともかくお引き取り下さい」
> もう一人の巡査は本当にイヤな男だった。こうしている間に、白バイのエンジンをかけて装甲車の後ろのやっと車一台分ほどあけてある場所に白バイをとめてしまった。おさまりかけた怒りはふたたび爆発した。
> 「あんたなにするんだ、道路封鎖なんていくら警察の人間でも勝手にできるもんじゃないことぐらい我々は知っているぞ。そこを今すぐあけろ、我々は話し合いに応じてるんだぞ」
> 「緊急の場合はできる」と吐き捨てるようにいった。
> 「どこが緊急だ、我々はなにも犯罪を犯してない一般市民なんだ。しかもここは公道であって、警察の道じゃない。おい、歩こう。ここから歩こう。遭難したら、この人達のせいだよ。車がだめなら歩くしかないよ」
> 「いや、ちょっと待って下さい。車も歩きもこまるんです」ともう一人が言う。そして白バイの巡査に何ごとか注意した様子で、道をふさいでいた白バイは除かれ、イヤな巡査も装甲車に入った。我々も一応、気を静めて、また話し合った。
> 「じゃ、今までに山に入った人はどうなの、説明して下さい」
> この辺から相手は低姿勢に変じた。
> 「それを申されるとなにも言えません。しかし、私達はあくまで皆様の身の安全を守る立場から・・・・・・」
> こんな会話が延々と続いた。やがて言葉もとぎれて我々も車の脇で二人で話した。
> 「強引に行くか、ひき返すか」
> 「ここまで来て帰るなんてなあ・・・・・・」
> 山中深い所ではあるが、夏の日はジリジリと身を焦がした。
> ここでもう20分はやり合っていた。都計は午後1時10分を過ぎていた。我々は駄々っ子のようにその場に座り込み、途切れ途切れに話し合った。巡査は装甲車の中から、それとなく我々を見守っている。
> ※この後に起きた偶発的事象がなければ、おそらくはいつまでも上の膠着状態が続いたものと思われる。
Re.(20) 違和感
- 投稿No.2540 元投稿No.2535 文系ちゃんさんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-03-03 20:28:31
文系ちゃんへ
文系ちゃんからの質問
> 一点質問宜しいでしょうか?
> 確か墜落後、見通しの良い山を目指して登っていき、あとわずかで見通せる地点に辿り着くという寸前に警察?によりそれより先に進むことを阻止され引き返しさせれれた といったような内容の話があったように記憶しております。
> その話の場所がどこでのことだったのか、また、その話の出典等、情報をご存じでしたら、お教え頂ければ と思います。
に対する答えは前回引用したところではなく、今回引用する箇所になるかと思う。
『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎著)
125ページ~129ページ
(ガソリンスタンドから出て)ふたたび車を走らせながら、我々は口数少なく、しかし頭の中は二人とも同じ事を考えながら走っていた。
「今の話、本当だよな」
「間違いないな、時間的な記憶も確かだし」
信じられない現実を耳にしてしまった気がした。清流、神流川に沿ってくねくねと曲がる道は、万場町を過ぎて、その曲がる頻度もどんどん狭くなり、中里村を過ぎるとついに一車線(両側)道となった。つまり対向車とは、すれ違い場所以外では通れない。それにつれて道は、片方は山の崖、一方は川まで10メートル以上の絶壁となった。
この頃から我々と反対方向、つまり藤岡方面に向かう車とさかんに出合った。その多くは自衛隊のトラックであった。それはまるで戦場から引き上げて来るような雰囲気である。舗装は随所で穴があり、また途切れている。運転には相当の注意が必要であった。だが、景色は素晴らしく、空気もひんやりと澄んでいた。
道がいよいよ険しくなった頃、川向こうの小高い所に上野村役場が見えた。乙母集落、村の中心地である。少し行くと右側に小学校とグラウンドが見えた。だが、それは小学校の風情ではない。軍隊野営地である。これが陸上自衛隊の救難最前線であった。役場の駐車場も機動隊の装甲車でぎっしり埋めつくされていた。いよいよやって来たな・・・・・・と思ったのは間違いだったことに、この先で気づくことになる。
運転の修羅場はここからであった。道は増々激しく蛇行し舗装はもうない。左側の断崖は川まで20メートルを越えた。栖原集落を過ぎ、十石(じゅっこく)峠への別れ道を左へハンドルを切った。『これより先、降雨80ミリ以上、通行止』の大看板が目に入る。その先に久々に一軒の雑貨屋がある。そして道は二又に分かれていた。メインは右寄り真っ直ぐである。ここで初めて道に迷った。左の道は橋になっていて狭い・・・・・・。
友人が商店に走った。そして戻って来て「左、左・・・・・・」
しかし、左には小さな浜平鉱泉の看板があるだけ。それも朽ちて字が読めないような代物で他には何もないのである。「本当に左でいいの」といいながら橋に近づくと、「あった」地面から50センチ程の高さに幅15センチ縦30センチ程の板切れに『日航機現場』とだけ書いてあった。ほっとして、ふたたび走り始めたが、ふっと前方を見ると道路半分までせり出した機動隊の装甲車とその脇に白バイが2台とまっていた。私は思わず目をみはった。
若い白バイのお巡りさんが二人、『止まれ』の合図をする。その場所は営林署の事務所になっていて、少し広くなっている。その駐車場に入るよう指示されて車を出た。
「どちらへ?」
「山、日航の現場です」
「御家族でも?」
「はい」
「この先はお断りしてるんですよ、あなた方の安全をお守りする役目がありますから」
「ああ、それでしたら結構です。覚悟はしてますから」
「いいえ、そんな訳には行かないです」
「じゃ、入ってはいけない法的根拠はなんでしょうか」
「それはありません。しかし、危険ですし捜査の支障になりかねないので、お断りしています」
友人も少しムッとしながら「この山でいっしょに死んでやれるんなら本望だよ、あなたにはわからんよ、この気持ちは・・・・・・」
私もたたみかけて「捜査の邪魔だというなら、我々はそれなりの装備はして来たので、2、3日山で捜査を手伝います」
それまで黙って車のナンバーや中をのぞき込んでいたもう一人の巡査が大きな声を出した。「免許証見せて!」これには我々も無性に腹がたって来た。
「見せろと言うなら見せるが、何故こんな所で違反もしていないのに免許証を見るんだ、威圧して追っ払うつもりか」我々の抵抗はまだ続く。
「なにか違反を作り出して、追い帰すわけだな。あんた達の手帳も見せてもらおうか」
先の巡査がもう一人を制した。私は免許証を出して「警察手帳を見せて下さい」と迫った。
「いや、まあまあ・・・・・・、免許は結構ですから、ともかくお引き取り下さい」
もう一人の巡査は本当にイヤな男だった。こうしている間に、白バイのエンジンをかけて装甲車の後ろのやっと車一台分ほどあけてある場所に白バイをとめてしまった。おさまりかけた怒りはふたたび爆発した。
「あんたなにするんだ、道路封鎖なんていくら警察の人間でも勝手にできるもんじゃないことぐらい我々は知っているぞ。そこを今すぐあけろ、我々は話し合いに応じてるんだぞ」
「緊急の場合はできる」と吐き捨てるようにいった。
「どこが緊急だ、我々はなにも犯罪を犯してない一般市民なんだ。しかもここは公道であって、警察の道じゃない。おい、歩こう。ここから歩こう。遭難したら、この人達のせいだよ。車がだめなら歩くしかないよ」
「いや、ちょっと待って下さい。車も歩きもこまるんです」ともう一人が言う。そして白バイの巡査に何ごとか注意した様子で、道をふさいでいた白バイは除かれ、イヤな巡査も装甲車に入った。我々も一応、気を静めて、また話し合った。
「じゃ、今までに山に入った人はどうなの、説明して下さい」
この辺から相手は低姿勢に変じた。
「それを申されるとなにも言えません。しかし、私達はあくまで皆様の身の安全を守る立場から・・・・・・」
こんな会話が延々と続いた。やがて言葉もとぎれて我々も車の脇で二人で話した。
「強引に行くか、ひき返すか」
「ここまで来て帰るなんてなあ・・・・・・」
山中深い所ではあるが、夏の日はジリジリと身を焦がした。
ここでもう20分はやり合っていた。都計は午後1時10分を過ぎていた。我々は駄々っ子のようにその場に座り込み、途切れ途切れに話し合った。巡査は装甲車の中から、それとなく我々を見守っている。
※この後に起きた偶発的事象がなければ、おそらくはいつまでも上の膠着状態が続いたものと思われる。
Re.(23) 違和感
- 投稿No.2539 元投稿No.2538 せきたにさんへの返信
- 投稿者:文系ちゃん
- 投稿日:2023-03-03 17:19:56
せきたにさまへ
消防団足止めの情報 有難うございます。
消防団もそうですが、森林組合ですとか、営林署といったところに関係するような方ですと、山にも詳しく2次災害を回避しつつ、もう幾らかは早く事故現場に到着できた可能性はあったように思います。
墜落地点は国有林で植樹情報を含む地図もあったものと考えられ、経験からも少々の明かりであったとしても入山にさしたる危険性は感じられず、何かの見えない力が働いていたのではないかと穿った見方をしてしまいそうになります。
上野村役場/上野村小学校から高天原山方向の地形断面を確認しました。
地形と距離からしても余程条件が整わない限りは国道付近からは飛行中の機体を直接目視することはできなかった可能性は極めて高いように思います。
(逆S字の航跡であれば更に困難?)
<上野小~ 地形断面>
http://imepic.jp/20230303/622230
> 『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎著)
> 書物には著者が、婚約前の恋人であった彼女を墜落事故で亡くしてしまった友人と一緒に墜落現場まで行ってみようとされていたときの話が記されている。
> (121ページ~125ページ)
> 藤岡から上野村までは約50キロの道のりである。その3分の2くらいまでの道は私にとって気が楽であった。昨年この道を通って、万場町の御荷鉢(おかば)キャンプ場に来ていたからである。七日前に事故機を目撃した、あの大月での六本木子供会のサマーキャンプは、昨年はここ万場町で開催したのである。こんなことでふたたびこのひなびた街道を走ることになろうとは、なにかの因縁なのだろうか。この街道沿いに点々と町や村が集落をなしている古き良き日本の風情を残す所である。
> 藤岡市を出て最初の町である鬼石町でスタンドに入った。これからの山道とガソリンスタンドもそう多くはないだろうことを考え、早めに満タンにしておきたかった。スタンドの若者が荷物をのぞき込んで、「登山ですか?」と声をかけた。それなら現場までの道を確認しておこうと正直に「ああ、御巣鷹なんだけど、道は知っている?」と尋ねると、「やっぱり。どうぞ、いい地図があるから事務所で」ガソリンを入れ終って案内された。
> 事故のあった12日の騒ぎのことなど、一しきりするうち「オレの友達も上野の消防団やってんだけど!もうバカ臭えって怒っているよ」
> 「へぇー、どうして」と私は疑問をもった。
> 「だってさ、上野じゃ初めっからスゲノ沢ってわかっていたって・・・・・・、長野県側の川上村で山の向こうへ飛んでいって煙が見えたってテレビで言ってんだから、こっちしかないさ!」
> 「じゃ、何故行かなかったんだろう、すぐに」
> 「県警がストップかけたんだって、機動隊が村に着くまで待てって。待っても待っても来なくって、そのうち猟友会が電話で案内頼まれていることがわかって、消防の連中、その辺から頭に来てたんだって。その上、3時頃に役所の裏山みたいな小倉山を見て来いと言われてカチンと来た。長野側の御座(おぐら)山と名前が同じというだけで、それに小倉山なんて村の中の丘みてえな山だよ。そこにジャンボ機が落ちりゃ、雷が鳴っていてもわかるってさ。」
> 若者は興奮気味である。そこへ幸運にも、その若者の上野村の友達がやって来たのである。我々はこのとき、時間に追われていたのだが、彼の話を聞かずには先に進めなくなってしまった。ここからの話は上野村消防団の話になる。しかし彼は話すことを少々ためらった。「名前とか出ると『村八分』にされちゃうんだよ。小さい村だからなぁ。皆んな黙っちゃってるんだ。陰でブーブーいってるけどさ」と慎重である。それでも我々が新聞記者や報道関係者でないことに安心してしゃべりだした。
> 「小倉山の時も、ちょっとしたケンカだったなあ。誰かが『自分達(機動隊)の手柄にしたくて、消防を関係ない山に入らせようとしてるんだ』と疑ってた。本当にそんな気がしたよ。夜7時半頃から村の上だって、ヘリが何回も飛んでいるんだもん、小倉山なら一発でわかるさ!」
> 「それでどうなりました」
> 「朝まで待て!ということだったけど、おやじさん達(年配の団員)は、スゲノ沢なら十何年前に営林署の植林で、三年くらい毎日登った山で、今も山菜や狩猟で年に何回も入る山だし、車で林道を行けば山はいくらも歩かずに行けるって主張したんだ。だけど、ただ、『行くな!県警本部の命令があるまでは、勝手な行動するな』って。本部って言うのは高崎や前橋だよ、何がわかるんだよ、そんな遠い所でさ!」
> 「結局、行けなかったんだ。それで朝になったわけか?」私はさらに聞いた。
> 「それが違うんだ、現実は・・・・・・。危険だから明るくなるまで待て!と言うんだから、暗いうちに車で林道の山の入口まで行こうということになったんだ。」
> 「誰が?」
> 「消防団の話し合いでだよ。だってもう4時に近いんだからもん。車で走ってるうちにも白んで来る時間だよ。」
> 「それで、出発したわけ?」
> 「いいや!それもダメって言われて、もう今度は怒鳴り合いだよ。そのときはすごかった。捜してないのはもうスゲノ沢だけだもんな。あそこに墜ちてるって100パーセント信じてたんだ、オレ達は・・・・・・。とうとう1人おやじが先に出ちまったんだ。4、5人連れて。4時半頃だったと思う。もう明かりなしで歩けたんだ。その連中が『慶子ちゃん』見つけたんだよ。それも長野県警のレスキュー隊とだよ!」
> 「その連中が山に行っちゃてから、村ではどうしたの」
> 「もう無茶苦茶。消防団はすぐに後に続いたんだ。オレもね。そしたら、山道の入口で班分けしてたら、機動隊もワーって感じで車で乗りつけて我々より先に入って行ったんだ。
> でも、オレ達すぐに追い着いた。あいつら道間違えてバラバラになってた。ある隊員なんか『スミマセン!いっしょに行っていいですか』ってオレ達について来たりしてね。オレ達が暗くても行けるっていったからって、誰にでも行ける山じゃないよ!!」
> 時間を気にして、私は話を終わらせようとしていた。「いや、これであの遅れがわかって来た。すっきりしたよ。話を聞かせてもらって。ありがとう」
> 「ちょっとまってよ!」団員が立とうとする我々を引き止めた。「オレが頭に来るのは、その先の話だよ」
> 「えー、まだあるの」こうなれば聞かぬわけにはいかないだろう。座り尚した。
> 「それで、生存者助け出して、丸一日遺体を(峰の上に)上げたりケモノ道を自衛隊に教えたりして、夕方になって『消防団は山から下りて結構です。昨夜も寝ていないし、ここじゃメシもないから・・・・・・』そこまではよかったんだ。けどその次に『明日からは山に来なくて結構です。村もいろいろ大変だし』って言うんだ。そんな話ってある?オレなんか若い方だからダメだけど、オヤジ達はあの山なら目つぶっても歩ける人達だよ。地図なんかいらない連中だよ。ここを下りたら崖の上に出ちゃって行き止まりになるとか、あの杉の向こうへ回り込めば一年中水のある沢に出られるとかって。そんな案内もいらねえっていうわけだよ!勝手に山に入ったんで怒ってんだってみんなで言ってた。山から下りてもうみんなカンカンだった。『もうオレ達は手伝わん』って役所にどなり込んでた。でも、今はみんなお上にさからうなって、静かにしてるよ」
> 私はこの話が終わったとき、この事故とは一体なんだったんだ・・・・・・と、今まで持っていた疑問と合わせてただならないものを感じ始めたのである。
> ※この話には続きがある。
Re.(22) 違和感
- 投稿No.2538 元投稿No.2537 文系ちゃんさんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-03-01 21:40:49
> 書物調査にてお手数お掛けしまして恐縮です。
文系ちゃんへ
『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎著)
書物には著者が、婚約前の恋人であった彼女を墜落事故で亡くしてしまった友人と一緒に墜落現場まで行ってみようとされていたときの話が記されている。
(121ページ~125ページ)
藤岡から上野村までは約50キロの道のりである。その3分の2くらいまでの道は私にとって気が楽であった。昨年この道を通って、万場町の御荷鉢(おかば)キャンプ場に来ていたからである。七日前に事故機を目撃した、あの大月での六本木子供会のサマーキャンプは、昨年はここ万場町で開催したのである。こんなことでふたたびこのひなびた街道を走ることになろうとは、なにかの因縁なのだろうか。この街道沿いに点々と町や村が集落をなしている古き良き日本の風情を残す所である。
藤岡市を出て最初の町である鬼石町でスタンドに入った。これからの山道とガソリンスタンドもそう多くはないだろうことを考え、早めに満タンにしておきたかった。スタンドの若者が荷物をのぞき込んで、「登山ですか?」と声をかけた。それなら現場までの道を確認しておこうと正直に「ああ、御巣鷹なんだけど、道は知っている?」と尋ねると、「やっぱり。どうぞ、いい地図があるから事務所で」ガソリンを入れ終って案内された。
事故のあった12日の騒ぎのことなど、一しきりするうち「オレの友達も上野の消防団やってんだけど!もうバカ臭えって怒っているよ」
「へぇー、どうして」と私は疑問をもった。
「だってさ、上野じゃ初めっからスゲノ沢ってわかっていたって・・・・・・、長野県側の川上村で山の向こうへ飛んでいって煙が見えたってテレビで言ってんだから、こっちしかないさ!」
「じゃ、何故行かなかったんだろう、すぐに」
「県警がストップかけたんだって、機動隊が村に着くまで待てって。待っても待っても来なくって、そのうち猟友会が電話で案内頼まれていることがわかって、消防の連中、その辺から頭に来てたんだって。その上、3時頃に役所の裏山みたいな小倉山を見て来いと言われてカチンと来た。長野側の御座(おぐら)山と名前が同じというだけで、それに小倉山なんて村の中の丘みてえな山だよ。そこにジャンボ機が落ちりゃ、雷が鳴っていてもわかるってさ。」
若者は興奮気味である。そこへ幸運にも、その若者の上野村の友達がやって来たのである。我々はこのとき、時間に追われていたのだが、彼の話を聞かずには先に進めなくなってしまった。ここからの話は上野村消防団の話になる。しかし彼は話すことを少々ためらった。「名前とか出ると『村八分』にされちゃうんだよ。小さい村だからなぁ。皆んな黙っちゃってるんだ。陰でブーブーいってるけどさ」と慎重である。それでも我々が新聞記者や報道関係者でないことに安心してしゃべりだした。
「小倉山の時も、ちょっとしたケンカだったなあ。誰かが『自分達(機動隊)の手柄にしたくて、消防を関係ない山に入らせようとしてるんだ』と疑ってた。本当にそんな気がしたよ。夜7時半頃から村の上だって、ヘリが何回も飛んでいるんだもん、小倉山なら一発でわかるさ!」
「それでどうなりました」
「朝まで待て!ということだったけど、おやじさん達(年配の団員)は、スゲノ沢なら十何年前に営林署の植林で、三年くらい毎日登った山で、今も山菜や狩猟で年に何回も入る山だし、車で林道を行けば山はいくらも歩かずに行けるって主張したんだ。だけど、ただ、『行くな!県警本部の命令があるまでは、勝手な行動するな』って。本部って言うのは高崎や前橋だよ、何がわかるんだよ、そんな遠い所でさ!」
「結局、行けなかったんだ。それで朝になったわけか?」私はさらに聞いた。
「それが違うんだ、現実は・・・・・・。危険だから明るくなるまで待て!と言うんだから、暗いうちに車で林道の山の入口まで行こうということになったんだ。」
「誰が?」
「消防団の話し合いでだよ。だってもう4時に近いんだからもん。車で走ってるうちにも白んで来る時間だよ。」
「それで、出発したわけ?」
「いいや!それもダメって言われて、もう今度は怒鳴り合いだよ。そのときはすごかった。捜してないのはもうスゲノ沢だけだもんな。あそこに墜ちてるって100パーセント信じてたんだ、オレ達は・・・・・・。とうとう1人おやじが先に出ちまったんだ。4、5人連れて。4時半頃だったと思う。もう明かりなしで歩けたんだ。その連中が『慶子ちゃん』見つけたんだよ。それも長野県警のレスキュー隊とだよ!」
「その連中が山に行っちゃてから、村ではどうしたの」
「もう無茶苦茶。消防団はすぐに後に続いたんだ。オレもね。そしたら、山道の入口で班分けしてたら、機動隊もワーって感じで車で乗りつけて我々より先に入って行ったんだ。
でも、オレ達すぐに追い着いた。あいつら道間違えてバラバラになってた。ある隊員なんか『スミマセン!いっしょに行っていいですか』ってオレ達について来たりしてね。オレ達が暗くても行けるっていったからって、誰にでも行ける山じゃないよ!!」
時間を気にして、私は話を終わらせようとしていた。「いや、これであの遅れがわかって来た。すっきりしたよ。話を聞かせてもらって。ありがとう」
「ちょっとまってよ!」団員が立とうとする我々を引き止めた。「オレが頭に来るのは、その先の話だよ」
「えー、まだあるの」こうなれば聞かぬわけにはいかないだろう。座り尚した。
「それで、生存者助け出して、丸一日遺体を(峰の上に)上げたりケモノ道を自衛隊に教えたりして、夕方になって『消防団は山から下りて結構です。昨夜も寝ていないし、ここじゃメシもないから・・・・・・』そこまではよかったんだ。けどその次に『明日からは山に来なくて結構です。村もいろいろ大変だし』って言うんだ。そんな話ってある?オレなんか若い方だからダメだけど、オヤジ達はあの山なら目つぶっても歩ける人達だよ。地図なんかいらない連中だよ。ここを下りたら崖の上に出ちゃって行き止まりになるとか、あの杉の向こうへ回り込めば一年中水のある沢に出られるとかって。そんな案内もいらねえっていうわけだよ!勝手に山に入ったんで怒ってんだってみんなで言ってた。山から下りてもうみんなカンカンだった。『もうオレ達は手伝わん』って役所にどなり込んでた。でも、今はみんなお上にさからうなって、静かにしてるよ」
私はこの話が終わったとき、この事故とは一体なんだったんだ・・・・・・と、今まで持っていた疑問と合わせてただならないものを感じ始めたのである。
※この話には続きがある。
Re.(21) 違和感
- 投稿No.2537 元投稿No.2536 せきたにさんへの返信
- 投稿者:文系ちゃん
- 投稿日:2023-02-28 17:26:44
せきたにさまへ
書物調査にてお手数お掛けしまして恐縮です。
TBSのニュースでは林さんとは別の方の目撃証言もありましたが、早口で聞き取りにくい箇所もあったり、南牧村がどちらの(群馬・長野)方か、断定できないのですが、八ヶ岳連峰が話の中にでておりましたので、長野のほうではないかと捉えておりますが、あの様子ですと、ファントム機のエンジン音を聞いての証言のように思います。
そして飛び去った方向が山梨方面となりますと、御座山南麓で飛行機を見て「日の丸をつけた飛行機が・・・」と証言されたKさんとは別の飛行機がそこを飛行したということになります。後の検証でKさんがみたのは南から御座山北側へという飛行であり、見たものもスクランブル発進したF4とのことですので、Kさんが見たのは時間的にはそれの現着となる19:21以降ということにもなります。
仮にもその方のエンジン音を聞いた時刻が19時頃となりますと、噂にあるような墜落前のファントム機の存在の可能性が出てくることになる貴重な証言のように思われます。ともかくその方の証言に出てくる飛行機は、123便ではないものと考えられますが、これはこれで看過できない証言でしょう。
「大きな飛行機と小さな飛行機が追いかけっこ」 の方は、見た時刻が重要でしょう。順当にいけば、地形的見通しや123便の飛行位置からすればC-130等であると考えるのが妥当かと思われます。
これまでのところ上野村側での証言的なものが、例の黒沢さん以外のものがないということを考慮しますと、最終局面はやはり逆S字であった可能性の方が高いようには思います。大きく右旋回をして後の墜落ですと、相応に高度があったはずですので、もう数名は目撃者がいてもいいようにも思いますが、いかんせん山奥であることも事実ですので、それはそれでおかしくはないことなのかもしれません。
ざっとですが、上野村周辺の地図を作成しました。上野村から123便は目視できたのか?できたとすればどの位置ならば? といったようなことを考える際にご活用頂ければ と思います。
<上野村周辺>
http://imepic.jp/20230228/626680
> > 当日夜のTBSニュース(21:00~ 約30分)を参照しますと、3名の林さんの証言が確認できますが、いずれを聞きましても、川上村で目撃された機体は、123便に違いないものと私は考えます。
> > 聞く限り録音であったようですので、21時頃にはすでに川上村の北側、県境をこえてすぐのところが墜落地点の候補とされていてよかったようにも思いますが、そうならなかったのは少々残念に思います。
> > <日航123便墜落事故 緊急速報と臨時ニュース各社まとめ> 24:24~ 33:10~ 44:30~
> > https://www.youtube.com/watch?v=ojYdlLqLUkY
> 文系ちゃんへ
> 貴重な映像の情報ありがとう。
> 私も同感だ。(川上村で目撃されたのはJAL123便だった)ただ、野栗沢地区の黒沢さんによって目撃された飛行機は川上村で目撃されたのとは異なる飛行機であったように感じる。
> もう一つ押さえておきたいのは、上野村の子どもたちによって墜落前の時刻帯に目撃されたという、大きな飛行機と小さな飛行機が追いかけっこをしていたという、大きな飛行機についてはJAL123便だったのだろうか?
> ※墜落現場に向かおうとした消防団員が警察によって止められたという話は角田四郎さんの書物や飯塚訓さんの書物にも記されていたかと思うので、調べておく。
Re.(20) 違和感
- 投稿No.2536 元投稿No.2535 文系ちゃんさんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-02-27 23:14:08
> 当日夜のTBSニュース(21:00~ 約30分)を参照しますと、3名の林さんの証言が確認できますが、いずれを聞きましても、川上村で目撃された機体は、123便に違いないものと私は考えます。
> 聞く限り録音であったようですので、21時頃にはすでに川上村の北側、県境をこえてすぐのところが墜落地点の候補とされていてよかったようにも思いますが、そうならなかったのは少々残念に思います。
> <日航123便墜落事故 緊急速報と臨時ニュース各社まとめ> 24:24~ 33:10~ 44:30~
> https://www.youtube.com/watch?v=ojYdlLqLUkY
文系ちゃんへ
貴重な映像の情報ありがとう。
私も同感だ。(川上村で目撃されたのはJAL123便だった)ただ、野栗沢地区の黒沢さんによって目撃された飛行機は川上村で目撃されたのとは異なる飛行機であったように感じる。
もう一つ押さえておきたいのは、上野村の子どもたちによって墜落前の時刻帯に目撃されたという、大きな飛行機と小さな飛行機が追いかけっこをしていたという、大きな飛行機についてはJAL123便だったのだろうか?
※墜落現場に向かおうとした消防団員が警察によって止められたという話は角田四郎さんの書物や飯塚訓さんの書物にも記されていたかと思うので、調べておく。
Re.(19) 違和感
- 投稿No.2535 元投稿No.2534 せきたにさんへの返信
- 投稿者:文系ちゃん
- 投稿日:2023-02-26 17:32:04
せきたにさまへ
>そうすると、甲武信ヶ岳のあたりから近づいてきて川上村の住民によって目撃された飛行機はいずれであったのだろうか、という問題を一応検証しておく必要があると思うが、如何。
当日夜のTBSニュース(21:00~ 約30分)を参照しますと、3名の林さんの証言が確認できますが、いずれを聞きましても、川上村で目撃された機体は、123便に違いないものと私は考えます。
聞く限り録音であったようですので、21時頃にはすでに川上村の北側、県境をこえてすぐのところが墜落地点の候補とされていてよかったようにも思いますが、そうならなかったのは少々残念に思います。
<日航123便墜落事故 緊急速報と臨時ニュース各社まとめ> 24:24~ 33:10~ 44:30~
https://www.youtube.com/watch?v=ojYdlLqLUkY
一点質問宜しいでしょうか?
確か墜落後、見通しの良い山を目指して登っていき、あとわずかで見通せる地点に辿り着くという寸前に警察?によりそれより先に進むことを阻止され引き返しさせれれた といったような内容の話があったように記憶しております。
その話の場所がどこでのことだったのか、また、その話の出典等、情報をご存じでしたら、お教え頂ければ と思います。
> 角田四郎さんによって目撃された民間旅客機と、ほぼ同時刻帯に八王子のあたりで目撃された飛行機が異なる場合は、必然的に、偽装あるいは何かを隠蔽する目的で飛んでいた、事故機の123便とは別の旅客機が存在した可能性が考えられる。
> そうすると、甲武信ヶ岳のあたりから近づいてきて川上村の住民によって目撃された飛行機はいずれであったのだろうか、という問題を一応検証しておく必要があると思うが、如何。
Re.(18) 違和感
- 投稿No.2534 元投稿No.2533 文系ちゃんさんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-02-25 22:01:10
> 黒沢さんの目撃談は、墜落の直前ですので、例の日原で写真を撮影されて以降のこととなるかと思われます。
> 途中の経路はAであっても、Bであっても特に影響はないものと考えます。
文系ちゃんへ
角田四郎さんによって目撃された民間旅客機と、ほぼ同時刻帯に八王子のあたりで目撃された飛行機が異なる場合は、必然的に、偽装あるいは何かを隠蔽する目的で飛んでいた、事故機の123便とは別の旅客機が存在した可能性が考えられる。
そうすると、甲武信ヶ岳のあたりから近づいてきて川上村の住民によって目撃された飛行機はいずれであったのだろうか、という問題を一応検証しておく必要があると思うが、如何。
Re.(17) 違和感
- 投稿No.2533 元投稿No.2532 せきたにさんへの返信
- 投稿者:文系ちゃん
- 投稿日:2023-02-23 17:40:13
せきたにさまへ
黒沢さんの目撃談は、墜落の直前ですので、例の日原で写真を撮影されて以降のこととなるかと思われます。
途中の経路はAであっても、Bであっても特に影響はないものと考えます。
A側を重視するとなりますと、北東 33km 15000ft といった情報に間違いはないのか という点が気になります。ただ、123便に対する情報であることに揺るぎはないものと思われます。
B側を重視するとなりますと、目撃したのが本当に123便であったのか、他の機体ではなかったのか という疑問はあるかと思います。
正確な高度情報か、近くでの他の目撃証言を参照できれば といったところはあるかと思います。
> 【情報A】-1『疑惑』91ページ
> 東京都西多摩郡五日市町入野750-1 南澤輝明さん(35) 会社役員の証言<Br /> あの日は私の誕生日なので、よく憶えています。町の南側にある今熊山(八王子市美山町)の方向から、大きな飛行機が現われ、北北東の方向へ水平にゆっくり飛んでいた。秋川や町の上空を横切って日の出町方向の山へ消えました。五日市高校の上空あたりを飛んでいる様子でした。横田米軍基地に降りると思いましたが、普段米軍機は低空でこんな所を飛ばないので墜ちるのでは・・・・・・と感じました。時間は午後6時45分頃の20~30秒間です。
> 【情報A】-2
> 8月14日付けの夕刊フジ(大阪本社版)には東京航空交通管制部(所沢市)のレーザーによると、午後6時45分には123便の機影は神奈川県座間市の北東33キロで、高度15,000フィートにあったと書かれている。
> 【情報B】『疑惑』の著者角田四郎氏の大月のキャンプ地からの目撃談(同書54ページ~56ページ)
> 「ほぼ南を向いて立っていた私の左手に、北から南へ向かって、少し右に傾いた民間航空機であった。民間機と瞬時に思ったのは、窓が一列にたくさん見えたからである。」「大きな飛行機という印象も、やたら窓がはっきり見えていたからである。高度もそれゆえに低く感じたし、速度も実にゆっくりに見えていた。」私はまた風にあたりながら足腰の屈伸運動や深呼吸をした。目の前の川向こうの山が夕日に映えていた。そのとき、飛び去ったと思った飛行機がその山の右へひょっこり顔を出した。今度は西に向かっている。さっきよりは距離があって小さく見えるが、あまり上昇していないと感じた。今度はすぐに次の山影にかくれて見えなくなった。<Br /> 私は「あの飛行機やっぱりちょっとおかしいな」とだけ感じた。それは米軍基地は東の方角だからであった。「あの高度、速度は、これから着陸する感じだったが」とも思いながら、私は振り返って自分のバンガローに向かった。大きな飛行機を見ていたのは6時40分~41分頃から43分~44分の間であった。
> 以下の目撃談は上記AかBのいずれで目撃された飛行機だろうか?
> 『墜落の村』(飯塚 訓)91~94
> ジャンボ旅客機が墜落する直前と墜ちた直後の状況を感知し目撃した人は意外に多い。だが、ほとんどの情報は長野県側であった。墜落直前と直後の群馬県側の目撃者は一人だけであった。
> 昭和50年代ごろまでの上野村は、農業、林業、狩猟、そして炭焼きなどで生計を立てていた。
> 〈野栗沢地区で五十の坂を越えたばかりの夫と長男夫婦の四人で菊栽培をしているという黒沢フサさん(52歳)の話〉
> 「お盆の七月、八月(旧盆)が、最も忙しい菊の収穫期なんさねー、飛行機がおっこちた八月十二日は、お盆さまの前日だからねえ。天気ばかり気になったいねー。毎晩のようにゴロゴロ(雷)さまに見舞われていたからねー。あの日は特に早くからゴロゴロさまとすごい雨に見舞われていてさあね。なにしろ菊の切り取りで一番忙しい日だもんで、空を見上げては、やきもきしていたんさね。
> 十三日の早朝に出荷しなきゃあなんねからね。だけど、ゴロゴロさまだけはおっかねえから、どうにもなんねえもんねえー。鳴るのが収まるのを待つだけさあね。
> ゴロゴロさまが鳴り止み、雨も上がってくれたんが、夕方の五時半ごろだったいねー。
> それっと、あっしと父ちゃん、息子を嫁御さんの四人が、二台の軽トラックに乗って菊の山へ行ったんさ。まだ空にはどんよりと気味の悪いような黒い雲が垂れこめていて、薄暗いようだったいねー。
> このあたりは高い山に囲まれているもんだから、陽の沈むのも早いんさねー。山の畑は山を切り崩してつくったんでねー。あの辺では一番高い場所なんさね。
> 国道はずっと目の下に見えるんよ。山が水平に見えるところなんか、ほかにはどこにもないがね。
> 『御巣鷹山』方面の山並みが同じ目線で見えるところっていったら、うちの山ぐれえだんべえねー」
> 上野村から見る空は、丸くない。三角の空だ。御巣鷹山のある西方の山と山の谷間が、扇形になっている。
> だが、国道や集落からは、この谷間は見えない。千~二千メートル級の高山が眼前にそびえ立っているからだ。菊畑のある小高い山の斜面からは、山の頂上から谷までが一望できる。いくつもの山が連なって見える、という。
> 「菊の切り取りが済んで、トラックに積んでたら、頭の上を飛行機が『うわん、うわん』というか、『がおん、がおん』というような爆音を立てて、低く飛んでいったんさね。
> 『飛行機もこんな暗前(夕方)に、飛ばなくったって、もっと明るい娑婆で飛べばいいものを』なんてひとり言を言いながら、トラックの荷台に乗っかったんさねー。嫁は倅(せがれ)の車の荷台にね。なにしろ帰り道は急なノリ(傾斜)なもんだからねえ。
> そしたら、トラックが動き出した直後かのおー。
> 『どん!』というような口では言い表せないすごい音がしたんさね。生まれてはじめて聞く音だあね。あっしは飛行機の音が気になったもんだから、すぐに音のしたあの山の方を見たんだいねえ・・・・・・。
> そしたら、あの山と山の間の扇型の空が真っ赤に染まっていたんさね。
> 他の空はまだどんより黒い雲が垂れこめていたんにねえ。あの山の谷間はうちの山からでなくちゃあ見えねえやねえ。国道からもどこのヤツ(集落)からも見えねえやねえー。高え山の稜線を見上げるだけだもんね。まあ驚いたねえ。燃えるような赤色というんかねえ。でもあんな赤い空は見たことないやねえ。飛行機が墜ちたなんてこたあ、思いもしなかったもんねー。こんな夕焼け、生まれてはじめて見るなあ、と思ったんさね」
Re.(16) 違和感
- 投稿No.2532 元投稿No.2531 文系ちゃんさんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2023-02-23 09:16:13
> 18:45での機体の位置 角田氏の見た梁川付近か、レーダー情報と思われる所沢周辺か、両立はしないものと考えます。
> 正直現段階での情報ですと、自分には こちら と決めかねます。
> この後目撃証言等にて判断できるまでは、どちらかを決めることなく検証をすすめようかと思っております。
文系ちゃんへ
【情報A】-1『疑惑』91ページ
東京都西多摩郡五日市町入野750-1 南澤輝明さん(35) 会社役員の証言<Br /> あの日は私の誕生日なので、よく憶えています。町の南側にある今熊山(八王子市美山町)の方向から、大きな飛行機が現われ、北北東の方向へ水平にゆっくり飛んでいた。秋川や町の上空を横切って日の出町方向の山へ消えました。五日市高校の上空あたりを飛んでいる様子でした。横田米軍基地に降りると思いましたが、普段米軍機は低空でこんな所を飛ばないので墜ちるのでは・・・・・・と感じました。時間は午後6時45分頃の20~30秒間です。
【情報A】-2
8月14日付けの夕刊フジ(大阪本社版)には東京航空交通管制部(所沢市)のレーザーによると、午後6時45分には123便の機影は神奈川県座間市の北東33キロで、高度15,000フィートにあったと書かれている。
【情報B】『疑惑』の著者角田四郎氏の大月のキャンプ地からの目撃談(同書54ページ~56ページ)
「ほぼ南を向いて立っていた私の左手に、北から南へ向かって、少し右に傾いた民間航空機であった。民間機と瞬時に思ったのは、窓が一列にたくさん見えたからである。」「大きな飛行機という印象も、やたら窓がはっきり見えていたからである。高度もそれゆえに低く感じたし、速度も実にゆっくりに見えていた。」私はまた風にあたりながら足腰の屈伸運動や深呼吸をした。目の前の川向こうの山が夕日に映えていた。そのとき、飛び去ったと思った飛行機がその山の右へひょっこり顔を出した。今度は西に向かっている。さっきよりは距離があって小さく見えるが、あまり上昇していないと感じた。今度はすぐに次の山影にかくれて見えなくなった。<Br /> 私は「あの飛行機やっぱりちょっとおかしいな」とだけ感じた。それは米軍基地は東の方角だからであった。「あの高度、速度は、これから着陸する感じだったが」とも思いながら、私は振り返って自分のバンガローに向かった。大きな飛行機を見ていたのは6時40分~41分頃から43分~44分の間であった。
以下の目撃談は上記AかBのいずれで目撃された飛行機だろうか?
『墜落の村』(飯塚 訓)91~94
ジャンボ旅客機が墜落する直前と墜ちた直後の状況を感知し目撃した人は意外に多い。だが、ほとんどの情報は長野県側であった。墜落直前と直後の群馬県側の目撃者は一人だけであった。
昭和50年代ごろまでの上野村は、農業、林業、狩猟、そして炭焼きなどで生計を立てていた。
〈野栗沢地区で五十の坂を越えたばかりの夫と長男夫婦の四人で菊栽培をしているという黒沢フサさん(52歳)の話〉
「お盆の七月、八月(旧盆)が、最も忙しい菊の収穫期なんさねー、飛行機がおっこちた八月十二日は、お盆さまの前日だからねえ。天気ばかり気になったいねー。毎晩のようにゴロゴロ(雷)さまに見舞われていたからねー。あの日は特に早くからゴロゴロさまとすごい雨に見舞われていてさあね。なにしろ菊の切り取りで一番忙しい日だもんで、空を見上げては、やきもきしていたんさね。
十三日の早朝に出荷しなきゃあなんねからね。だけど、ゴロゴロさまだけはおっかねえから、どうにもなんねえもんねえー。鳴るのが収まるのを待つだけさあね。
ゴロゴロさまが鳴り止み、雨も上がってくれたんが、夕方の五時半ごろだったいねー。
それっと、あっしと父ちゃん、息子を嫁御さんの四人が、二台の軽トラックに乗って菊の山へ行ったんさ。まだ空にはどんよりと気味の悪いような黒い雲が垂れこめていて、薄暗いようだったいねー。
このあたりは高い山に囲まれているもんだから、陽の沈むのも早いんさねー。山の畑は山を切り崩してつくったんでねー。あの辺では一番高い場所なんさね。
国道はずっと目の下に見えるんよ。山が水平に見えるところなんか、ほかにはどこにもないがね。
『御巣鷹山』方面の山並みが同じ目線で見えるところっていったら、うちの山ぐれえだんべえねー」
上野村から見る空は、丸くない。三角の空だ。御巣鷹山のある西方の山と山の谷間が、扇形になっている。
だが、国道や集落からは、この谷間は見えない。千~二千メートル級の高山が眼前にそびえ立っているからだ。菊畑のある小高い山の斜面からは、山の頂上から谷までが一望できる。いくつもの山が連なって見える、という。
「菊の切り取りが済んで、トラックに積んでたら、頭の上を飛行機が『うわん、うわん』というか、『がおん、がおん』というような爆音を立てて、低く飛んでいったんさね。
『飛行機もこんな暗前(夕方)に、飛ばなくったって、もっと明るい娑婆で飛べばいいものを』なんてひとり言を言いながら、トラックの荷台に乗っかったんさねー。嫁は倅(せがれ)の車の荷台にね。なにしろ帰り道は急なノリ(傾斜)なもんだからねえ。
そしたら、トラックが動き出した直後かのおー。
『どん!』というような口では言い表せないすごい音がしたんさね。生まれてはじめて聞く音だあね。あっしは飛行機の音が気になったもんだから、すぐに音のしたあの山の方を見たんだいねえ・・・・・・。
そしたら、あの山と山の間の扇型の空が真っ赤に染まっていたんさね。
他の空はまだどんより黒い雲が垂れこめていたんにねえ。あの山の谷間はうちの山からでなくちゃあ見えねえやねえ。国道からもどこのヤツ(集落)からも見えねえやねえー。高え山の稜線を見上げるだけだもんね。まあ驚いたねえ。燃えるような赤色というんかねえ。でもあんな赤い空は見たことないやねえ。飛行機が墜ちたなんてこたあ、思いもしなかったもんねー。こんな夕焼け、生まれてはじめて見るなあ、と思ったんさね」