18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 その9

  • 投稿No.35
  • 投稿者:せきたに
  • 投稿日:2021-07-05 22:03:24

『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎著)86ページには
生存者の一人、吉崎博子さんの証言が記されている。

 「ドーンとものすごい音がして眼がさめました。同時に、白い煙がパアーッと入ってきます。なにがなんだかわかりませんでしたが、酸素マスクが上からおりてきたので、緊急事態が発生したことは理解できました」

 この証言も18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由となっている。

 吉崎さんの証言内容通りだとすると、酸素マスクがおりてきたのと、白い煙が客室内に入ってきたのがほぼ同時であったということになり、そのことが意味するところは、離陸後、初めての異変によって酸素マスクがおり、白い煙がほぼ同時に発生したことになる。

 ところが、酸素マスクと白い煙に関する記述に関する事柄について、落合由美さんの証言は少し違う。

 離陸後、しばらくして、(おそらくは客室乗務員によって子供達に向けてミッキーマウスのぬいぐるみが配られていた頃)〈パーン〉という音とほとんど同時に、酸素マスクが自動的に落ちてきた。となっているだけで、そのときの〈パーン〉に付随して白い煙のことについては言及されていない。
 一方、白い煙のことについては、以下のように記しておられる。
 
 「やはり〈パーン〉という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。」

 注意深く次の箇所を読むと、文中、「そのときは」と記されている、「そのとき」というのは離陸後二回目の〈パーン〉の時である。

 「はじめはスチュワーデスもそれぞれの席に座って酸素マスクをしていましたが、しばらくして、お客様のマスクを直したりして、まわっていました。そのときは、エキストラ・マスクをひっぱって、口にあてていました。」

 落合由美さんの証言によると、酸素マスクがおりてきたときには同時に白い煙のようなものは発生していない。酸素マスクの装着が終わった頃にもう一度異変が起きて白い霧のようなものが発生したと記されているので、酸素マスクがおりた時刻と白い煙のようなものが機内で目撃された時刻とには一定の時間差があったものと考えられる。

 いずれの証言も貴重なのだが、吉崎博子さんの証言と落合由美さんの証言とを比較してみると、酸素マスクがおりてきたときと白い煙が入ってきたタイミングについて、一致していないものと思われる。

 ただ、次の証言は、河津駅のあたりから、〈ボーン〉という音と共に相模湾上空を飛行するジャンボ機がふだんの二倍近い大きさで目撃されたということが、そのときの異変が離陸後初めてのものではなかった可能性を示唆しているものと思われる。

(『疑惑 JAL123便墜落事故』21ページ)
 河津駅の北西の山側で畑仕事をしていた同町役場職員渡辺穣さん(45歳)の証言は
「午後6時半前、ボーンという音で上空を見た。雲の切れ間からジャンボ機がふだんの二倍近い大きさで見えた。」

(その10に続く)

Re: 日航123便墜落事故と事故調査への疑惑と真実の追究 (その一)

  • 投稿No.34 元投稿No.33 日航機墜落事故犠牲者の遺族 小田周二さんへの返信
  • 投稿者:管理人[ 管理者 ]
  • 投稿日:2021-06-30 22:45:35

> *遺族小田は、2015年に『日航機墜落事故 真実と真相』を、2017年に「524人の命乞い」を出版して、
> 国民に、「墜落事故の加害者は 自衛隊である」ことを提起している。墜落事故でなく、事件だと帰結出来るのだ。 

小田周二様、掲示板への投稿ありがとうございます。

 墜落事故によってご子息と長女を一瞬で亡くされてしまった、ということは本当にご愁傷様でございます。悲しいことでそれ以上何とも言葉を紡ぐことが出来ません。

 小田様の投稿文に関連してですが、『疑惑 JAL123便墜落事故』の中で著者の角田四郎さんも以下のように記されています。

 「日航123便墜落事故」は、言われているように単なる「事故」ではないのだ。明らかに「事件」と呼ばれるべきものを内包している。
(418ページ)

 そして、犯人を連想させるのは
 墜落事故当日の夜、羽田空港で遺族達に詰め寄られた日航の重役が思わず語ったとされる言葉として、
 「うちの機は、北朝鮮のミサイルに打ち落とされたんだ。今はそれしかわからん!!」 
(115ページ)

 私の推測した「疑い」が間違いなら、現実に現れている事象はどう考えればよいのか?
 間違っていないなら、この事故の背後に一体なにが隠されていて、事故の全てを歪曲し、全く成立し得ない原因をデッチ上げ、墜落地点と機体を半日以上も隠し、不都合な証拠物件の全てを隠蔽、消去して外国の企業たるボーイング社にまでその手助けをさせる巨大な力が存在したことになる。 
(397ページ)

という記載があります。

 小田様の見解では日航機墜落事故は事故ではなく、事件であり、自衛隊が事件を起こした加害者であったとはっきりと記されていますが、自衛隊というと、隊員の佐間2曹が川上慶子さん(当時12歳)を抱えてヘリコプターにつり上げられている姿が多くの人の脳裏に鮮明に焼き付いているのではないかと思われ、その自衛隊が事件を起こした加害者であったと仰られると信じ難い気持ちが起きてまいります。

 小田様は独自の思惟を積み重ねられた結果、事件の加害者が自衛隊であったという結論となられているようで、それを否定するものではございませんが、一般的には、まさか自衛隊が自国民を積極的に殺すようなことは企てないだろうという強い先入観があるのではないかと考えます。

 小田様にはぜひとも今後の投稿をいただける場合に少しずつで結構ですから、そのように結論付けざるを得なくなられた根拠やプロセスについて誰にでも理解できるように記していただけると幸いでございます。

日航123便墜落事故と事故調査への疑惑と真実の追究 (その一)

  • 投稿No.33
  • 投稿者:日航機墜落事故犠牲者の遺族 小田周二
  • 投稿日:2021-06-29 22:09:58

 8.12連絡会 「日航123便墜落事故調査分科会 会長」として、説明する。
 小田は 日航123便墜落で、愛する子供達、浩二(15歳、高校1年,陽子(12歳、中学1年)の
二人を一瞬にして失った。そして、事実 「520名は 殺された」ことが明確に認識出来た。
遺族は 肉親の死亡事態に衝撃を受け、悔悟と供養に没頭してきた。あまりにも強い衝撃で、遺族には
人生が閉ざされた気持ちになったのだ。
墜落の事故原因などについては、事故状況、証拠、多くの状況証拠は、全て、国、運輸省、自衛隊が所有し、
我々遺族、国民への開示はないのが実情である。まして米国にように、途中で、進捗を公表することのなく、全て
秘密処理がなされているのだ。(今後の事故調査の運営上、改善すべき課題)
まして遺族は掛かる墜落事故に遭遇することはなく、事故の経験、知識もないのだ。事故調査は 被害者である遺族が 行うことは正しく行えないことを考えると、関与を行わないのが 原則である。
然し、事故でなく、国、自衛隊が関与した事件の場合は、事故原因が不明で 国が隠蔽した時には事故遺族の出番が必要になるのが 現状なのだ。
*事故から、20数年経過したが、区切りの、けじめの30年の期限が直ぐ近くに迫っており、遺族小田は、ある事故遺族の活躍に啓発されて、事故の真実を明らかにしようと決意したのである。
 それは、ユナイテッド航空UA811便の貨物室ドア脱落事故で、乗客9名が吸い出されて、死亡した事故で、
この貨物室のドアの破壊脱落の原因は米国NTSBが「作業員が取り扱いミスとの結論を出した」が、この事故  
で 愛する一人息子を失ったケビン・キャンベル夫妻は 途中の尋問で得た資料から、結論に疑問を抱き、本格的に調査と研究に奔走して、技術者キャンベル氏は「ドアのオリジナル設計上のミス」との結論をNTSBに 提出して、再調査を要求した。NTSBは、この提起を受けて、太平洋の海底、4,200mから、ドアを引き上げて、調査して、「電気系統の欠陥である」との結論に至ったのだ。
 当のキャンベル夫妻は、「息子の死を無駄にしないためにも、事故原因を徹底的に調査して、811便の事故の真実を明らかにする。これは 二度と同じ事故を引きおこさないためには 不可欠である。遺族は真の事故原因として、亡き肉親の墓前に報告することが 最大の供養である」と語っており、犠牲者への心情溢れる。遺族の崇高な明言であった。 この言葉に触発されて、遺族小田は 忽然と真実の追及に立ち向かったのである。
*遺族小田は、2015年に『日航機墜落事故 真実と真相』を、2017年に「524人の命乞い」を出版して、
国民に、「墜落事故の加害者は 自衛隊である」ことを提起している。墜落事故でなく、事件だと帰結出来るのだ。 次回は 事故の調査、飛行、墜落などについて、説明を予定します。 
 

18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 その8

  • 投稿No.32
  • 投稿者:せきたに
  • 投稿日:2021-06-27 22:46:12

 18時40分過ぎという時間帯に大月という場所の上空を大きく円を描きながら低空で飛ぶジャンボ機が角田四郎さんによって目撃されている。

 18時30分に富士山の東側を通過したのだとすれば、そこから大月までどうして10分以上もかかっているのだろうか。

 犠牲者 河口博次さん(52歳)の遺書

 飛行機は まわりながら
 急速に降下中だ

 富士山の東側を通過するとき、機体は大きく横方向に大きく揺れていた。
 その後、すぐではないかもしれないが、大月上空に至るまでのところで、機体は円を描きながら、ということは前進した箇所と後退した箇所があったことになり、螺旋状の軌跡はを描いて降下しながら大月に近づいて行ったので、まっすぐ飛行するときの倍ぐらいの時間がかかったものと思われる。

(その9に続く)

Re: 事故ではなく事件だ

  • 投稿No.31 元投稿No.30 佐藤スポーツ整体さんへの返信
  • 投稿者:管理人[ 管理者 ]
  • 投稿日:2021-06-17 22:49:32

佐藤スポーツ整体さん投稿ありがとうございます。

> 2)プラザ合意に反対していた関西の財界大物4名
> 3)グリコ森永の実行犯
> 4)松下トロンOSの技術者17人

墜落した旅客機にはそのような人たちが乗っていたのですね。

ひとつ質問をさせていただきます。

一般的には墜落した旅客機には
2)プラザ合意に反対していた関西の財界大物4名
3)グリコ森永の実行犯
4)松下トロンOSの技術者17人
のような人たちが乗っていた。

という表現を取るのが通常ではないかと考えますが、

佐藤スポーツ整体さんの投稿文では

あの墜落事故は
2)プラザ合意に反対していた関西の財界大物4名
3)グリコ森永の実行犯
4)松下トロンOSの技術者17人

といった人たちを殺すのが目的だった。
と表現されているわけですが、

そうすると、墜落事故を仕組んだ側にとっては、その人たちが一緒の飛行機に乗り合わせることがあらかじめわかっていたということになりますが、そういう解釈で合っていますでしょうか?

事故ではなく事件だ

  • 投稿No.30
  • 投稿者:佐藤スポーツ整体
  • 投稿日:2021-06-17 12:36:05

池田昌昭さんから紹介され、このサイトを見つけました。
当時の社会情勢からして怪しいと言わざるを得ない。
1)プラザ合意を呑ませるために中曽根を脅迫するため
2)プラザ合意に反対していた関西の財界大物4名を全員暗殺するため
3)グリコ森永の実行犯を殺害し証拠隠滅するため
4)松下トロンOSの技術者17人を抹殺するため
5)JAL123便が核弾頭を輸送していることを米軍が突き止め、ミサイルで攻撃した
6)核弾頭輸送を隠蔽するため、自衛隊は日航機を御巣鷹山までおびき寄せ撃墜した
7)JAL123便の生存者は数十名以上いたが、ほぼ全員VX毒ガスなどの手法で殺された
知られたら困るから隠蔽したのです。

18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 その7

  • 投稿No.29
  • 投稿者:せきたに
  • 投稿日:2021-06-13 14:40:31

 落合由美さんの手記の中で、18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくくさせている最大の理由はおそらく次の箇所だろう。

 「そのうちに酸素が出なくなりました。いつだったか、私がフライトをしていたとき、お客様から、酸素マスクは何分くらいもつのか、とたずねられたことがありました。全員が吸った場合、18分くらい、と計算したことがあります。そのくらいの時間が経過していたのかもしれません。でも、ほとんどのお客様は、そのままマスクをしていました。」

 上記の記載があって、その後に富士山の東側を通過したことが記されているので、富士山の東側を通過したときには既に酸素マスクから酸素が出なくなっていたことは明らかだ。
 問題なのは
「全員が吸った場合、18分くらい、と計算したことがあります。」
と記されているころで、これをそのときのフライトにおいて実際に酸素マスクが18分間もったのだと解釈すると間違ってしまう。

 実際に酸素マスクが18分間もったと解釈すると、離陸後最初の異変が起きて酸素マスクが下りたのが18時20分頃だとしても、富士山の東側を通過したのは18時38分よりも後だったことになる。

 それで何が都合が悪いのかと言われるかもしれないが、犠牲者の村上良平さんは遺書に、

 機体が大きく左右にゆれている
 18・30 急に降下中 

と記されている。

 一方、生存者の落合由美さんは
 「飛行機はあいかわらず旋回をくり返すように左右の傾きをつづけます。振動などは全然ありません。とにかく、くり返し、左右に傾いているという揺れ方がつづきました。」

 と記されている箇所があり、その表現は

 村上良平さんの

 機体が大きく左右にゆれている

 の箇所とピッタリと一致しているが、落合由美さんはそのあたりを飛行しているときの情景描写として、

 「私の席に近い左の窓から見えたのは、まっ白な雲だけでした。かなり厚い雲で、地上は見えませんでした。」

 と記されている。

 更に、酸素マスクの装着に続いてほとんど間をおかずにライフベストの装着が始まったようだが、そのあたりでも
 
 「私は羽田にもどれればいいな、と感じていました。しかし、まだ雲の上で、高度も高いし、ちょっと無理なんじゃないかな、とだんだん不安になってきました。」

 と記されており、酸素マスクの装着からライフベストの装着がはじまるまで一貫して機体が雲の上にあったことが記されている。

 そして、その延長として、

 揺れはいっそう大きくなりました。もう立っていることはできないほどです。救命胴衣をつけ終わってすぐに、ほとんどいっせいに安全姿勢をとりました。

 とあり、その言葉に続いて

 「安全姿勢をとる直前、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。」

 という言葉が一連の文章として綴られている。

(その8に続く)

18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 その6

  • 投稿No.28
  • 投稿者:せきたに
  • 投稿日:2021-06-08 20:48:33

 『疑惑 JAL123便墜落事故(角田四郎 著)』21ページには
 東伊豆、河津駅の北西の山側で畑仕事をしていた同町役場職員渡辺穣さん(45歳)の証言は「午後6時半前、ボーンという音で上空を見た。雲の切れ間からジャンボ機がふだんの二倍近い大きさで見えた。 
 と記されている。

 この証言から何がわかるかと言えば、上空を見上げたとき、ジャンボ機が雲の切れ間から見えたということは、東伊豆上空の空は晴れており、ところどころに雲が出ているような天気であったということ。そして、機体は雲よりも上の位置にあったことを意味する。更に、そのときの高度についてはふだんの二倍近い大きさで見える高度のところを飛行していたということだ。
 その場所を飛行するふだんの高度が地上7,000メートルぐらいであると言われているが、地上からふだんの二倍近い大きさで見えたということは、そのときはずっと低い高度を飛行していたことになる。 

 もう一つの疑問点は、その時点でどうしてふだんの二倍近い大きさで見えたのかという点だ。
 そのことを考えるとどうしても離陸後ベルトサインがはずれて客室乗務員が席を立ち、子供たちに向けて夏休みのキャンペーン商品であるぬいぐるみのグッズを配り始めたときのタイミングで起きたと考えられる異変のことが気になってくる。 
 
 落合由美さんの手記の中で、
「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、〈パ-ン〉という、かなり大きい音がしました。」
 このとき、機体は水平飛行に近づいていたので、ベルトサインが消えたものの、正確にはまだ上昇中であったと思われる。
 離陸後一回目に起きた異変によって、客室内では酸素マスクが下りてきている状態だったので、機内で急減圧が生じている可能性があるかもしれないと考えたパイロットたちは機体を通常の高度まで上げずに、異変が生じた時の高度を維持し、そのまま二回目の異変が起きるまで水平飛行したのではないか。
 そうであればその水平飛行の間に乗客の大半が酸素マスクを装着したものと思われる。

(その7に続く)

18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 その5

  • 投稿No.27
  • 投稿者:せきたに
  • 投稿日:2021-06-07 21:50:37

 東伊豆、河津駅の北西の山側で畑仕事をしていた同町役場職員渡辺穣さん(45歳)の証言は「午後6時半前、〈ボーン〉という音で上空を見た。
(『疑惑 JAL123便墜落事故 角田四郎著 21ページからの抜粋)

 とあるが、そのときの異変について、機内におられた落合由美さんは手記の中で次のように語っておられる。

 「やはり「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。

 はじめはスチュワーデスもそれぞれの席に座って酸素マスクをしていましたが、しばらくして、お客様のマスクを直したりして、まわっていました。

 このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じませんでした。しかし、何が起きたのだろうと、私は酸素マスクをしながら、きょろきょろあたりを見まわしていました。」
(『墜落の夏』(吉岡忍著)から落合由美さんの手記の部分からの抜粋)

 紛らわしくさせているのは、落合由美さんが手記の最初の方で
「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、〈パ-ン〉という、かなり大きい音がしました。」

という言葉の中で〈パーン〉と記されている音と、もう少し後で上記の

「やはり「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。」

と記されているところで、もう一度〈パ-ン〉という同一の言葉が使用されているところにある。

 文字にすると同じ言葉なので、一見最初の〈パーン〉と二度目に出てくる〈パーン〉は同一時刻に起きた音を繰り返し語られているように受け取ってしまいやすくなっている。

 ところがそうではなさそうだ。

 二度目の〈パーン〉のときには
「このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じませんでした。」という文章は「このときも」という言葉から始まっており、その言葉はそのときに起きた異変が離陸後初めてのものではなかったことを表現している。

 また、そのときの付帯状況として、客室乗務員が「お客様のマスクを直したりして、まわっていました。」と併せて記されており、そうすると二度目の〈パーン〉のときには既に酸素マスクが下りていたことになるので、その時点(東伊豆、河津駅の上空)よりも前の段階で別の異変があったことが裏付けられている。

(その6に続く)

Re: JAL123便の飛行経路 (2)

  • 投稿No.26 元投稿No.25 池田昌昭さんへの返信
  • 投稿者:管理人[ 管理者 ]
  • 投稿日:2021-05-26 21:56:25

 池田昌昭様、投稿ありがとうございます。
 航路について、事故調査委員会発表のものよりも実際はもっとずっと東側を飛行していたのではないかということは『疑惑 JAL123便墜落事故』 (角田四郎著)の91ページにも著者の取材録が記されており、村上良平さんの遺書(18・45 機体は水平で安定して  18・46 着陸が心配だ)とも一致するので確からしいですね。

 「あの日は私の誕生日なので、よく憶えています。町の南側にある今熊山(八王子市美山町)の方向から、大きな飛行機が現われ、北北東の方向へ水平にゆっくり飛んでいた。秋川や町の上空を横切って日の出町方向の山へ消えました。五日市高校の上空あたりを飛んでいる様子でした。横田基地に降りると思いましたが、普段米軍機は低空でこんな所を飛ばないので墜ちるのでは・・・・・・と感じました。時間は午後6時45分頃の20~30秒間です。」〈東京都西多摩郡五日市町入野750-1 南澤輝明さん(35)会社役員〉(筆者取材)

 この証言は非常に大きな意味を持つ。地図上で見ると、日航機が羽田方向から北よりに向きを変えている時点の証言であり、ここが迷走飛行中の最東端地という証拠であるからだ。
 (書物からの引用は以上)

 上の目撃情報は富士山の東側を通過し、大月上空をループ飛行した後、横田基地の近辺まで行ったあたりのものでしょうか。