Re.(7) 事故調発表の航跡図が信用できない理由

  • 投稿No.482 元投稿No.481 せきたにさんへの返信
  • 投稿者:見学者
  • 投稿日:2022-01-03 07:46:59

せきたに様

 なぜ一部分しか見ないのでしょうか。なぜ自説に有利な部分しか採用しないのでしょうか。

 CVR筆記録と対照して、客室乗務員のアナウンスは厳然たる事実であり、かつこれまで吉岡著書の証言のみを引用してきておきながら、それをつっこまれると小田著書を持ち出してくる。
 小田著書における記録の根拠を提示いただきたいですな。
 ボーイング747型機のオキシジェンタンクの容量、実際の酸素噴出時間、小川写真による「ほぼ全員が着用を終えているが安全姿勢はとられていない」証などを考慮すれば、落合証言を弄んでいるとしか思えない。

 では質問しましょう。
1.CVRにある客室乗務員のアナウンスと、吉岡著書の落合証言は一致しているが、この合理的説明を求める
2.上記1.のあと安全姿勢をとり、その後急降下した、と吉岡著書の落合証言にあるにもかかわらず、貴殿は遺書を引用してきて18:30とされているが、その時刻には大月上空に達していない。にもかかわらず「大月上空の旋回」にこだわる合理的説明を求める。

Re.(6) 事故調発表の航跡図が信用できない理由

  • 投稿No.481 元投稿No.478 見学者さんへの返信
  • 投稿者:せきたに
  • 投稿日:2022-01-03 07:08:34

> 合理的に考えれば、18:48以降急降下までの時間で、かつ急降下に近接した時間帯に、富士山を見ていることは明らかです。
> 逆に、落合証言を引用しながら、その一部を無視するのはどういう了見でしょうか?

見学者さんへ

投稿NO.238と293で文系ちゃんに紹介いただいた愛媛新聞の記事
http://imepic.jp/20211121/193410
では10分ほどして酸素がなくなったと記されている。

 一方、吉岡忍著「墜落の夏」では18分くらいと記されているが、その際の説明として次のように記されている。
「いつだったか、私がフライトをしていたとき、お客様から、酸素マスクは何分くらいもつのか、と訪ねられたことがありました。全員が吸った場合、18分くらい、と計算したことがあります。そのくらいの時間が経過していたのかもしれません。」

 愛媛新聞の場合との相違点は吉岡忍著『墜落の夏』では理論上の計算値に合わせて18分と語っているような印象を受ける。
 私は酸素が出なくなった経過時間については墜落事故直後の取材に基づく愛媛新聞の方が真相に近かったのではないかと感じている。

 更に犠牲者遺族の小田周二氏が「航空事故調査報告書」の事故原因内容について記された文献の中には次のように記されている。
1985年9月17日 航空自衛隊小原甲一郎医官が落合由美氏に「減圧での乗客の症状」について事情聴取したときの記述として
小原医官は誘導尋問で「10分間しか酸素マスクが作動しなかったが、落合氏はどうか」と質問した際に
この酸素マスク有効の10分間の間で乗客は救命具を着用しており、落合氏は乗客に着用を指導している。落合氏は「自分自身では、意識、具合が悪くなることはなかった」と回答している。

富士山が真横に来た時安全姿勢⇒すぐに急降下始まる

については、相模湾上空で異変発生後墜落するまでの間で急降下が2回あったと考えている。

犠牲者の村上良平さんが「18・30 急に降下中」
河口博次さんが「今6時半だ 飛行機はまわりながら急速に降下中だ」
と記されていることと考え合わせると
富士山が真横に来た時安全姿勢を取った直後に大月上空に向けて左右への旋回を繰り返しながらの急降下があったと考えており、安全姿勢を取ったのはその急降下がはじまる直前だと考えている。
落合証言で富士山を左下に見るまでの間にこの急降下のことが記されていないのは、安全姿勢を取った後のことだったからだと考えている。

落合由美さんが吉岡忍著『墜落の夏』で
「安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺すぶられるのを感じました。船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。」⇒「そして、すぐに急降下がはじまったのです。」⇒「墜落」
 と記されているのは、明らかに三国山頂上から御巣鷹山の尾根に向けての急降下だ。

Re.(4) 羽田発小松飛行場行き ご教示下さい

  • 投稿No.480 元投稿No.479 見学者さんへの返信
  • 投稿者:文系ちゃん
  • 投稿日:2022-01-03 06:37:04

見学者様へ

> 当時の出発方式によるトランジション、通過ウェイポイントの設定をあてはめなければなりませんから、そのルート設定が適切かどうかはわかりません。
> ディレクト(ショートカット)のリクエストをしたのかもしれませんし、許可されたかもしれません。
> 少なくとも、座間ポイントから東に向かうことはないと考えますが、仮に横田空域を越えるための上昇旋回中であれば、おかしくありません。

小松便単体の飛行経路ですと離陸後速やかに旋回、横浜上空から相模原通過、諏訪湖方面へ でなんら不自然なところはないかと思います。

この度小松便の航跡を伺うにあたり、妙な影響が出るのを懸念して一部情報はオープンにしておりませんでした。
見学者さまの

 全日空757便、18:30 神奈川県相模原市上空、座間ポイント東約9km、高度約18,000ft上空よりJAL123便機影を目撃。
証言内容:
「何とか機首を羽田方向に立て直そうとしている様だった」
「123便は大きくなったり、小さくなったりして見えた。北から東へ針路変更をしようとしている様だった」
「約3分後右後方へ去る」


「前方を注視していたところ、午後6時半すぎ座間ポイントの東9km地点で前方のやや右上部に123便の機影を視認」
機長の視界から消える寸前も 「必死に右旋回(羽田方向へ戻る)の努力を続けているように見えた」
・離陸は31分(事故調報告書)
を追加させて頂きます。

羽田を離陸し座間ポイント東9km地点に到達するのは離陸しておよそ5分後ではないかと推定します。
そうしますと小松便機長が123便を見始めたのは18:36〜37分頃となりそうです。
ですがそうしますと機長は123便を正面より左に見る事になってしまいそうです。
小松便が旋回を続け、西北西へと進路を取れば益々右に見る事がなくなります。
小松便機長は見始めから3分といくらかの時間123便を目撃したのでしょうが、小松便が通常取り得るコースを飛行して目撃証言通りとなる小松便航跡があるものなのかどうか。
条件の範囲内で証言が成立する小松便航跡がないともなれば123便側の航跡を疑問視するというのも視野に入ってきてしまいます。

個人的には本件もっと世に知られ、いろんな方々に検証されても良いものだと思っております。

Re.(3) 羽田発小松飛行場行き ご教示下さい

  • 投稿No.479 元投稿No.477 文系ちゃんさんへの返信
  • 投稿者:見学者
  • 投稿日:2022-01-03 00:10:11

> 見学者様へ

> 詳細に有難うございます。

> > (1)風向の関係や、滑走路の運用条件(3本ある滑走路のうちの旧A滑走路(15R-33L)に関して、一部をエプロンとして使用していた)を鑑みると、ランウェイ15Lから離陸、その後旋回して横浜上空から相模原方面へ。
> > (2)座間ポイント東側通過
> > (3)八ヶ岳連峰を越えて諏訪湖、北アルプスを越えて高山、白川を通過して小松へ

> RW15Lを離陸後速やかに旋回、横浜上空からは概ね西北西方向でしょうか?
> 荒いグリッドに無理やり合わせますとV9羽田→V11→R12横浜→N11座間東→J8相模原→A4諏訪湖方面へ 
> といった感じかと思います。

> 123便がどのように見えるのか ですが、このルートですと約3分後右後方に去る様子を見る事がないようです。(左側に見えているうちに先に通過してしまう)

> 離陸後速やかに旋回、座間ポイントを通過した後も後もしばらく東進(もしくは西南西)し続け、その際に目撃した可能性もあるようにも思えます。

当時の出発方式によるトランジション、通過ウェイポイントの設定をあてはめなければなりませんから、そのルート設定が適切かどうかはわかりません。
ディレクト(ショートカット)のリクエストをしたのかもしれませんし、許可されたかもしれません。
少なくとも、座間ポイントから東に向かうことはないと考えますが、仮に横田空域を越えるための上昇旋回中であれば、おかしくありません。

Re.(5) 事故調発表の航跡図が信用できない理由

  • 投稿No.478 元投稿No.475 せきたにさんへの返信
  • 投稿者:見学者
  • 投稿日:2022-01-03 00:05:03

> 見学者さんへ

> 落合証言を時系列的に記すと

> 「私は羽田にもどれればいいな、と感じていました。しかし、まだ雲の上で、高度も高いし、ちょっと無理なんじゃないかな、とだんだん不安になってきました。しかし、ライフ・ベストが座席の下にあることがわからないお客様や、わかっても、ひっぱって取りだすことがわからないお客様も少なくありませんでした。私の近くにも、ベストの場所がわからなくて、取り乱している若い女性の人たちがいました。そのときになって私は、席を立って、お客様のお手伝いをはじめたのです。お客様はこのときはじめて、座席ポケットのなかの『安全のしおり』を取りだしました。」

> 「全員が救命胴衣をつけ終わるまでに五、六分かかりました。」

> 「揺れはいっそう大きくなりました。もう立っていることはできないほどです。救命胴衣をつけ終わってすぐに、ほとんどいっせいに安全姿勢をとりました。」

時系列の引用が恣意的です。それまでの落合さんの証言を引用していないことで混乱を招いています。
以下にこれを整理します。

1.そのうちに酸素が出なくなりました。いつだったか、私がフライトをしていたとき、お客様から、酸素マスクは何分くらいもつのか、とたずねられたことがありました。全員が吸った場合、18分くらい、と計算したことがあります。そのくらいの時間が経過していたのかもしれません。でも、ほとんどのお客様は、そのままマスクをしていました。
→18分と仮定した場合、この時点で18:42頃で、大月旋回が始まっています。

2.ちょうどそのころになって、私のうしろのL5(最後部左側)ドア受持ちのスチュワーデスが、まわりのお客様に「座席の下にある救命胴衣を取りだして、つけてください」という指示を出しました。
3.私は通路に出て、L5のスチュワーデスの受持ちのお客様のお手伝いをして歩きました。彼女が私の席よりうしろのほうをまわり、私は、前のほう二列分くらいの左右のお客様を指示してまわりました。
4.全員が救命胴衣をつけ終わるまでに五、六分かかりました。つけ終わっ方は、となりの方を手伝ったりしていました。救命胴衣をつけているあいだに、スチュワーデスの声でアナウンスがあったのです。正確には覚えていませんが、「急に着陸することが考えられますから」というような内容です。それと、「管制塔からの交信はキャッチできています」とも言っていました。私の想像では、二階席のアシスタント・パーサーが操縦室に入って、様子を聞いてきたのではないかと思います。落着いた声でした。
→5、6分経過した時点で、18:47頃、青梅付近での左旋回が始まった頃です。
→CVR筆記録より引用します。
 ・18:48’08、客室乗務員が「予告なく着陸する」可能性がある旨をアナウンスしている
 ・18:55’36、「交信はちゃんとつながっている」ともアナウンスしている
 このことから、18:48以降18:55を含む時間帯に絞ることが出来ます。

5.私は「56C」にもどりました。L5のスチュワーデスは通路をはさんでふたつうしろの空席に座りました。
6.安全姿勢をとる直前、私はとなりのKさんに言いました。「緊急着陸して、私がもし動けなかったら、うしろのL5のドアを開けて、お客様をにがしてやってください」と。Kさんは「任せておいてください」と、とても冷静な声で言いました。Kさんと言葉をかわしたのは、これが最後です。
7.そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。
8.安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺さぶられるのを感じました。船の揺れなどというものではありません。
9.そして、すぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。

以上が、時系列順の整理です。すなわち、合理的に考えれば、18:48以降急降下までの時間で、かつ急降下に近接した時間帯に、富士山を見ていることは明らかです。
逆に、落合証言を引用しながら、その一部を無視するのはどういう了見でしょうか?

Re.(2) 羽田発小松飛行場行き ご教示下さい

  • 投稿No.477 元投稿No.474 見学者さんへの返信
  • 投稿者:文系ちゃん
  • 投稿日:2022-01-02 23:37:00

見学者様へ

詳細に有難うございます。

> (1)風向の関係や、滑走路の運用条件(3本ある滑走路のうちの旧A滑走路(15R-33L)に関して、一部をエプロンとして使用していた)を鑑みると、ランウェイ15Lから離陸、その後旋回して横浜上空から相模原方面へ。
> (2)座間ポイント東側通過
> (3)八ヶ岳連峰を越えて諏訪湖、北アルプスを越えて高山、白川を通過して小松へ

RW15Lを離陸後速やかに旋回、横浜上空からは概ね西北西方向でしょうか?
荒いグリッドに無理やり合わせますとV9羽田→V11→R12横浜→N11座間東→J8相模原→A4諏訪湖方面へ 
といった感じかと思います。

123便がどのように見えるのか ですが、このルートですと約3分後右後方に去る様子を見る事がないようです。(左側に見えているうちに先に通過してしまう)

離陸後速やかに旋回、座間ポイントを通過した後も後もしばらく東進(もしくは西南西)し続け、その際に目撃した可能性もあるようにも思えます。

Re.(4) 事故調発表の航跡図が信用できない理由

  • 投稿No.475 元投稿No.473 見学者さんへの返信
  • 投稿者:せきたに
  • 投稿日:2022-01-02 22:26:38

> であるならば、位置関係から考えると、18:51以降ではないでしょうか。
> 大月上空の旋回中、安全姿勢はとっていません。ブレイスポジションを指示されたのは、急降下がはじまる前です。

見学者さんへ

落合証言を時系列的に記すと

「私は羽田にもどれればいいな、と感じていました。しかし、まだ雲の上で、高度も高いし、ちょっと無理なんじゃないかな、とだんだん不安になってきました。しかし、ライフ・ベストが座席の下にあることがわからないお客様や、わかっても、ひっぱって取りだすことがわからないお客様も少なくありませんでした。私の近くにも、ベストの場所がわからなくて、取り乱している若い女性の人たちがいました。そのときになって私は、席を立って、お客様のお手伝いをはじめたのです。お客様はこのときはじめて、座席ポケットのなかの『安全のしおり』を取りだしました。」

「全員が救命胴衣をつけ終わるまでに五、六分かかりました。」

「揺れはいっそう大きくなりました。もう立っていることはできないほどです。救命胴衣をつけ終わってすぐに、ほとんどいっせいに安全姿勢をとりました。」

 落合証言によると全員が救命胴衣をつけ終わるまでの経過時間は五、六分だったと言われており、救命胴衣をつけ終わってすぐに、ほとんどいっせいに安全姿勢を取ったと言われている。
 そうするとどうして大月上空を旋回中の時点で安全姿勢はとっていないと言えるのか?

Re. 羽田発小松飛行場行き ご教示下さい

  • 投稿No.474 元投稿No.470 文系ちゃんさんへの返信
  • 投稿者:見学者
  • 投稿日:2022-01-02 21:55:27

> 当日小松行きの便のクルーが123便を目撃していたようです。
> その際どのように見えたのかを検証しようとしたのですが、肝心な小松便の方の航路が不明です。
> 自分は航空業界に疎く、当時の事となると尚更見当が付きません。
> こちらの掲示板で当時の事情にお詳しい方がおられましたら、小松便のそうだったろうと思われる飛行経路をお教え下さい。

 全日空757便、18:30 神奈川県相模原市上空、座間ポイント東約9km、高度約18,000ft上空よりJAL123便機影を目撃。
証言内容:
「何とか機首を羽田方向に立て直そうとしている様だった」
「123便は大きくなったり、小さくなったりして見えた。北から東へ針路変更をしようとしている様だった」
「約3分後右後方へ去る」

 上記について、航空路は、どのウェイポイントを通ったかも含めて定かではありませんので、上空通過位置を都市名で明示します。
 ※当該データは、1990年頃のフライトプランを参照しています。

(1)風向の関係や、滑走路の運用条件(3本ある滑走路のうちの旧A滑走路(15R-33L)に関して、一部をエプロンとして使用していた)を鑑みると、ランウェイ15Lから離陸、その後旋回して横浜上空から相模原方面へ。
(2)座間ポイント東側通過
(3)八ヶ岳連峰を越えて諏訪湖、北アルプスを越えて高山、白川を通過して小松へ

 このルートで飛行します。
 あくまで推定であり、水平高度は西行きですから、FL220または240あたりだと推察されます。

Re.(3) 事故調発表の航跡図が信用できない理由

  • 投稿No.473 元投稿No.471 せきたにさんへの返信
  • 投稿者:見学者
  • 投稿日:2022-01-02 21:29:26

> 見学者さんへ

> 青梅でレフトターンして、御巣鷹山方面へ飛行している時の18:53頃といえば甲武信ヶ岳上空あたりを長野県川上村に向けて北西方向に向けて飛行していたはず。
> (18:55頃には長野県川上村上空なので)
> 「事故調発表を元にしたJAL123便飛行航跡略図」 ⇒  https://geolog.mydns.jp/www.geocities.co.jp/y190804/koseki.html
> その場所における飛行方向からは客席から見て富士山は左後方の位置となり、振り返るように見ないと富士山は視界に入ってこない。距離もある。

> 落合証言の
> 「左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。」とはならない。

であるならば、位置関係から考えると、18:51以降ではないでしょうか。
大月上空の旋回中、安全姿勢はとっていません。ブレイスポジションを指示されたのは、急降下がはじまる前です。
そうであれば、Google Earthフライトシミュレータでも、富士山の位置関係が確認できますが、「窓の枠内」で考えれば合理的です。
窓枠に顔をくっつけることができないC席ですから、物理的な機体からみた「左下」ではなく、枠内だと考えると極めて合理的です。
着席した時間、安全姿勢をとったタイミングから考えると、富士山を左手に見ることは可能です。
「大月上空旋回以外ない」ということは、地理的な位置関係からもあり得ないと考えます。

当時の気象図などは確認できますでしょうか。データベースがあったと記憶しておりますが。

Re.(3) 事故調発表の航跡図が信用できない理由

  • 投稿No.472 元投稿No.471 せきたにさんへの返信
  • 投稿者:004
  • 投稿日:2022-01-02 21:27:34

事故機は機軸に対して直進しておりません。実際には終始左右に片揺れしているので、右にヨーイングすれば富士山が前から後ろに移動して見えるわけです。
また秩父で高度3000mなら裾野まで富士山の全容が見えるので「大きく見える」はありえない表現ではありません。