感情的にならずに建設的に・・・
- 投稿No.50
- 投稿者:管理人[ 管理者 ]
- 投稿日:2021-08-16 23:10:40
管理人です。 横から失礼いたします。
議論が感情的になってしまうと議論から真相を解明して行こうとする建設的な側面が失われてしまうような気がします。
小田周二さんが著された近著『永遠に許されざる者』はB5で416ページもある大部の書物であり、少し読み進めるだけで犠牲者遺族の感情が滲み出ている書物であることが伝わってくるので、正直言って一般のものが好奇心だけで一気に読んでしまうにはたいへん重たい書物のようです。
また、一般的な話として、読み進めるうちにある個所に疑問点が生じた場合、読み進めることによってその疑問点が解消する場合もありますが、逆に疑問が更に深まり、確信的なものとなる場合もあるかと思います。
その場合は最後まで読まないと最初のあたりで感じた疑問点についてものが言えないというのでは行き詰ってしまいますので、ある程度読者にとって疑問点が明らかになった時点でそのことを作者に向けて気軽に聞いてみるぐらいの気持ちで掲示板に書き込んでいただけると良いのではないでしょうか?
もしかしたらそのことは案外多くの人が同じような疑問を持たれる箇所であるかもしれず、質問された側もすぐに答えることによって、その回答が妥当なものであれば、お互いにもやもやとした空気感が解消されて、そのあと議論は建設的な方向に向かうことが出来るというものではないでしょうか。
無題
- 投稿No.49
- 投稿者:宇佐木
- 投稿日:2021-08-16 14:29:56
小田様の投稿拝見致しました
出版著書を読了しなければ議論に応じないとの事ですが一向に構いません
私個人としては小田様の著書には全く興味もありませんし最新刊の帯の内容から強烈な違和感を感じており身銭を切ってまで読む価値はないと判断しております
その様なハードルを越えてまで小田様との議論は望みません。
私のような素人は無視していただきどうぞ今後も自説を投稿してください
日航123便墜落事故:事故調査への疑惑と真実の追究 (その 5)―犠牲者遺族を侮辱し冒涜し、嘘で騙した慰霊の園、日航の「遺族を排除しての噓式」を開催した事態 の虚構とカラクリの真相―
- 投稿No.48
- 投稿者:8.12連絡会 『日航123便墜落事故調査 分科会 会長 遺族 小田周二
- 投稿日:2021-08-16 13:47:06
今年8月12日 遺族として慰霊登山、慰霊式典の見学を行った。この奇妙な日航、慰霊の園:理事長の言動を報告し,噓式典開催の目的を類推推察して、両者の言動の目的を分析して、真相を明解にする。
*日航、慰霊の園からの遺族への通知は 愕然とする内容であった。(2012.4)
基本的に、遺族の「灯篭流し」と「慰霊式典」への参加を制限し、又は禁止するものであった。その根拠は コロナ禍の感染防止のためと説明した。
然し、慰霊の園は 「灯篭流しは 慰霊の園が代行する」とし、
{慰霊登山は 遺族だけ}との制限を付け
「慰霊式典」は 遺族の参加は認めず、慰霊の園:理事長、日航社長、国土交通省、及び 群馬県の部局の代表 約 23名の出席で行うとのことであった。
何故か 報道関係、マスコミの出席を認めたのだ。コロナの感染防止の目的から、見れば 完全に矛盾する事態で、コロナの感染防止とは 口実であって、遺族を排除して、
マスコミに[灯篭流し][慰霊登山、慰霊式典]の報道をさせて、国民に 慰霊の園は 厳粛に慰霊行事を行ったとの実績を見せつけたのだ。
*「灯篭流しは 犠牲者の霊を送る行事であって、それは 犠牲者の肉親である遺族が送ってこそ、犠牲者の霊は満足して、西方浄土に帰っていくのだ。
「慰霊式典」は、犠牲者の遺灰、遺骨が奉納されている納骨堂の前で、慰霊行事が挙行される。遺族が 肉親犠牲者に言葉を掛けて、花を捧げ、供養し、ロウソクで同じく、送る行事であり、
一般的な慰霊の場所には 遺灰と遺骨は 埋葬されていないが、上野村の慰霊の園には 520名の未確認遺体の遺骨、遺灰が奉納、埋葬されているのだ。
故に 遺族は 自宅近くの寺と この上野村の慰霊の園に 2か所に墓地があることになる。
勿論、終焉の地は 御巣鷹の尾根であり、遺族は 毎年、身体が許す限り、この上野村を訪問し慰霊登山し、慰霊式典で 犠牲者の霊を慰めるのである。
*この三つの内、「灯篭流し」と「慰霊式典」が 慰霊の園、日航の目指す(遺族を排除することが)目標であった。この両方の儀式は 遺族が主賓であり、遺族が主役なのだ。
だから、遺族が出席しない行事は、実のない、形骸的な行事にある。例えば、オリンピックの主役は 競技選手である。この時に、コロナの感染防止策として、競技選手の代わりに、
主催者、事務局が 選手の代行として、競技を行うのと同じであり、それはオリンピック競技を台無しにすると同じなのだ。全く 意味がないのだ。
@掛かる上野村での虚構の慰霊式は、本来行われたものか 途中で飛行の継続を妨害して 上野村まで 飛行したのか この123便の飛行の継続と突然の何かの圧力で、経路の変更について、考察する。
―絶対に儀式が開催される筈がなかった上野村で、墜落事故の真実を知り、隠蔽の首謀者である(航空局)、航空局の下僕である運航会社(日航)、日航の経済的政治的な支配下に
置かれた(上野村)が遺族を排除した根拠、理由が 真の墜落事故に関係して来るからだ。これが慰霊噓式を強行開催した虚構の真相なのだ―
日航事故機は その重要な垂直尾翼と油圧装置が破壊されて、伊豆半島を縦断して、静岡県に飛行している。然し、巨大な旅客機が垂直尾翼と操縦の根源である油圧装置が破壊されれば、
1分以内に墜落することは、科学的に、技術的に、操縦的に証明出来る。
* 業界のトップのボーイング社も世界で初めてB-747旅客機を開発した時に、油圧配管が破壊された時には、墜落することを知っていた。旅客機は多数の乗客を運航するので、一旦操縦不能で墜落すれば、
死者数は驚異の墜落死者数になる。通常、旅客機は 二重安全設計を織り込む。 然し、油圧装置が破壊された時には、これを阻止する手段は 織り込めなかったので、
ボーイング社の頭痛の種であった。
123便は墜落の危機に陥ったが、ここで、機長、佐々木パイロットは奇跡を起こしたのだ。事故機は最初に右旋回急降下に入り、そして、機長らは エンジン出力の調整で、なんとか、
左旋回急降下に機首を向けて、飛行出来、約数分間で、エンジン出力の微調整で、操縦のヒントを習得出来、この間 5分間で 飛行の高度を6,000mも下げていたのだ。
(静岡藤枝市小林氏による目撃証言)―青山透子著
この時には、当然のことながら、CVRには 機長と佐々木氏との緊迫した会話が録音されている筈だが、何故か 記録が削除されている。123便が最後に18:56:00 水平尾翼が破壊され、
急降下した時の会話と同じことが起きた筈である。(類推推測アプローチ)意図的な削除と言える。
この斬新な新規操縦技術で高濱機長ら3人は 1987年に世界の操縦士協会から、名誉な「ポラリス賞を受賞している。―航空局、日航は 極秘処理して、遺族に隠していた。ー
*日航事故機がエンジン出力の微調整で操縦出来たことは、事故報告書、及びボーイング社も認めている。
123便が操縦出来れば、飛行場に楽に安全に着陸出来る。(科学的、技術的、世界の操縦技術的にも認めている。)この事故機が操縦出来ることは、横田基地に着陸出来、そして、
日航123便の墜落の事故原因は 事故調、国の「垂直尾翼」「油圧操縦装置」の破壊でないことが 導き出される。
*この横田基地への着陸の関しては、十分過ぎる証拠、証言が存在し、米軍横田基地のアントヌッチ中尉の米軍機関紙への投稿書は、圧巻であり、自衛隊、事故調、航空局の反論は一切なく、
逆に説明出来なくて、中尉の告白者を認めたと言える。(小田の著「「許されざる者」に詳細に記載」
*異常事態が発生した旅客機は 多数の乗客を乗せている以上、機長は機体の安全性操縦性を確認して迅速に最寄りの飛行場への緊急着陸が乗客、乗員の命を助ける唯一の方策なのだ。
機長が横田に着陸を申請し、横田が許可しているにも拘わらず、123便が着陸行動を起こさずに、断念したことは、何らかの妨害、禁止が命令されたと判断出来る。
(科学的、航空機緊急着陸、人道的アプローチなど)常識的に緊急着陸しておれば、ハドソン川の奇跡のように 全員助かっており、全員が歓喜の渦のなかで 抱き合っていた筈。
その後 定期的に 乗客乗員、機長が 集まって、喜びの集会が行われていた筈。日航123便が 横田への着陸の失敗があっても、数名の怪我で済み、記念の集会になっていた筈。
高濱機長の専権事項での横田基地への緊急着陸の判断が正当であり、本来、着陸は横田基地しか あり得ないのだ。これが、上野村に変更になったことが 国、自衛隊が関与したことの証明なのだ。
このような強権による墜落、着陸場所の変更は、日本の最高権力者の命令でしかなし得ないことが、日本の総理大臣であった中曽根総理の指示、命令である証拠なのだ。(この項は 後述する)
@遺族調査員小田の投稿に対し、ただ一方的に批判して、自衛隊謀略説の撤回を求める(宇佐木氏)への回答を ここに提起する。
小田は子供2人、親戚3名が殺され、36年間、真実を求めて調査し、その成果を『日航機墜落事故真実と真相』「524人の命乞い」「『永遠に許されざる者』(文芸社)の3冊の著書を出版している。
小田の結論は、航空局、日航も反論も回答出来ない事態になっております。即ち、彼らは認めております。貴方は この本の内容を良く読んだ上で、
貴方も「科学的なアプローチ」に基づく事故原因について、数回の投稿を行い主張されることが 議論の出発、端緒になります。
これなくして、数行の文章で、小田の主張内容を一方的に批判し誹謗することは、真摯な議論ではなく、卑劣な投稿は単に、国の嘘の事故原因を擁護し、真実の仮説を誹謗するだけなのだ。
尚、国の事故報告書は1990.7前橋地検が否定し、航空局は この「判決は司法で確定している」と文書で 2016年に遺族に「航空局、日航は加害者でない」と回答し自供している。
更に、前橋地検の山口検事正は「報告書には 事故原因が書かれておらず、理解出来ない」と直接に 遺族数十名に説明している。貴方の言う「科学的アプローチによる事故原因」について、
数回にわたり、詳細な文書を投稿されてから、遺族調査員小田は 貴方と議論したい。貴方の真摯な主張文の投稿を待つ。(2021.8.12 上野村慰霊の園にて)
尚、「目撃証言の資料価値について、貴方は否定し、証拠でない」との主張は 10年間議論した『嘘つき日航幹部』の説明と同じである。事故調査は発生した事象、関係者の証言など、物証を含めて事故原因を
類推して(仮説)を作成し、その後発生事象と検証して、事実になるとの進め方が基本であることを知って頂きたい。国の事故原因:『隔壁破壊説』は 仮説を立てず、結論として、
且つ発生事象との検証も行わない愚劣な原因であることを教えておきます。だから 事件なのに、事故としても、連鎖的な出来事の結果として、成立しないのである。
DFDRデータは客室乗務員の証言と一致しないのでは・・・
- 投稿No.47
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-08-15 21:04:51
非番の客室乗務員であった落合由美さんの証言として
「そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。
夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。
左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。」
(「墜落の夏」吉岡忍著からの引用)
という内容が残っている。
上記の証言は体験したままを語っておられるという印象を受け、記憶のあいまいさは感じられない。また、ことさら誇張されている箇所もないと思われる。
証言からわかることは、
・そのとき、富士山よりも少し上を飛行していた。
・そのとき、富士山はとても近くに見えていた。
・そのとき、富士山は機体の進行方向に対して左側に見えていた。
JAL123便の場合においても公開されたDFDRデータが改竄されていないというのならば、実際の飛行経路と一致しているということを意味するはずだが、DFDRデータと上記落合由美さんの証言とが一致する箇所が異変発生から墜落までのどこにも見当たらないのではないだろうか?
証言
- 投稿No.46
- 投稿者:宇佐木
- 投稿日:2021-08-15 15:05:38
私は目撃証言を疎かに考えておりませんが信用性については状況証拠物証媒体記録等の裏付けが揃う事が条件と考えます
裏付けのない目撃証言はそれ以上でも以下でもなくただの目撃者の証言です
日航機墜落事故のような大きな事故については同一地点、地域で相当数の複数証言が一致すれば有力な情報になり得ると思いまが条件として事故発生から時間が経過し先行情報が入った証言者の証言については参考程度に留めるべきです
目撃証言を根拠として事故調発表に反論する方をSNS等で見掛けますが、自説に都合の良い証言のみ取り上げる手法は如何なものかと感じます。
人間の曖昧な記憶と誇大に表現する傾向の強い証言が科学的データと比べ信憑性が高いなどお話になりませんしDFDRデータは数十のデータとリンクしていますから改竄は不可能です
DFDR及びCVRデーターの信憑性
- 投稿No.45
- 投稿者:憂国人
- 投稿日:2021-08-15 10:04:15
DFDR及びCVRデーターを信用せずして何を根拠に真相解明かとのご指摘ですが、私は異論が有ります。
私は事故当夜から36年間に渡りこの事故に付いて調べて来ました。 池田昌昭氏の「自衛隊が撃ち落とした」という衝撃的な本をスタートに
沢山の方々のご本を読んで来ました。 中には疑惑否定本も含まれます。
多くの本には沢山の目撃証言が載せられていまして、これら全てが正しいとは信じていませんが全てを否定することは出来ません。
この目撃証言はJAL123便がある数か所の地点でかなりの低空飛行をしていたことが窺われます。
しかるに事故調が発表した飛行航路図(DFDRから調査したと思われる)に依りますと相模湾で異変が起きた地点から伊豆半島を横断し
その後北上して大月付近で旋回飛行するまで高度約7000mを維持していたことになっており、前記の目撃証言とは大きく食い違っております。
私は生存者落合さんが座っていた左側の座席の窓から富士山が左下に見えたとの証言から機は富士山の東側を通り北上したと推察しています。
新聞報道や多くの本で紹介されている航路図は事故調発表のものを信用して(?)出したもので私は疑問に思っています。
科学的に立証されたと言われるデーターが改竄されている疑いが大いに有ると思うのです。
それは真相を解明しようとする人達に対する挑戦でしょうか。
現在、遺族の吉備素子さんらが早稲田大学法学部教授を弁護人に立て日航に対してDFDR及びCVRの情報公開を要求する裁判を起こして
公判が開かれていますが、日航は遺族に公開する義務は無いと抗弁しています。
そもそも日航はJAL123便事故以前の事故の時はデーターは社内関係者には開示していたようですが123便に関してはしていないようです。
日航としてはどうしても死守しなければならない瀬戸際に立たされていると思います。
Re: Re: データ
- 投稿No.44 元投稿No.43 せきたにさんへの返信
- 投稿者:宇佐木
- 投稿日:2021-08-14 23:47:24
> > DFDRのデータには触れず主観的な見解が多く主張の意図がわかりません
> > 外部からの衝突や撃墜説はデータから完全否定できます。科学的根拠に基づいての考察はされないのでしょうか?
> 宇佐木 さんへ
> JAL123便が18時12分に羽田を離陸して後、墜落するまでに限ってですが、公開されたDFDRのデータに信憑性があると考えられますでしょうか?
> 信憑性がなければ、「データから完全否定できます」とは言えないはずです。
せきたに様
それを言い出してしまうと終わりですねDFDRどころかリークされたCVR全ての音声データも疑う事になり今後一切この事故の検証に使用する事が出来なくなりますよ
DFDRのデータを信じないのならば何を信用し検証を進めるのでしょうね
Re: データ
- 投稿No.43 元投稿No.42 宇佐木さんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-08-11 08:44:01
> DFDRのデータには触れず主観的な見解が多く主張の意図がわかりません
> 外部からの衝突や撃墜説はデータから完全否定できます。科学的根拠に基づいての考察はされないのでしょうか?
宇佐木 さんへ
JAL123便が18時12分に羽田を離陸して後、墜落するまでに限ってですが、公開されたDFDRのデータに信憑性があると考えられますでしょうか?
信憑性がなければ、「データから完全否定できます」とは言えないはずです。
データ
- 投稿No.42
- 投稿者:宇佐木
- 投稿日:2021-08-10 14:49:49
DFDRのデータには触れず主観的な見解が多く主張の意図がわかりません
外部からの衝突や撃墜説はデータから完全否定できます。科学的根拠に基づいての考察はされないのでしょうか?
ご遺族の方が最近のSNSに蔓延る123便フェイクニュースの後押しするような内容を公開する事が残念でなりません
18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 その10(総括)
- 投稿No.41
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-08-08 20:58:15
18時12分に離陸後約8分間が経過しようとしていた。
そろそろ水平飛行に近づこうとしていたタイミングでベルトサインが消えたことにより、客室乗務員が席を立ってミッキーマウスのグッズが配られはじめていた。生存者の川上慶子さんは妹と共にそのグッズを受け取っている。
その頃機体の上部で〈パーン〉という音がして離陸後最初の異変が起きた。
異変が起きたことによって、酸素マスクが下りてきた。その時の時刻は18時20分頃のことだったと思われる。
「ただいま緊急降下中。マスクをつけてください。」と日本語と英語で流れました。マスクのつけ方は、となり同士教えあって、あんがいスムーズにつけていました。
しかし、緊急降下中といっても、体に感じるような急激な降下はありませんでした。
と落合由美さんの手記には記されている。
酸素マスクが下りてきて、装着がはじまり、「ただいま緊急降下中。マスクをつけてください。」というアナウンスが流れたが、実際には急降下はなかった。むしろ、酸素マスクが下りたことによって、機内で減圧が生じているかもしれないというパイロットの判断で、当初予定されていたいつもの高度まで上昇することはせずにしばらく様子を見ておられたのだろう。
総括すると、離陸後、最初の異変が起きて、酸素マスクが下りてきた。 乗客たちは酸素マスクを装着、その頃、「緊急降下中」というアナウンスが流れたが、体に感じるような急降下はなかった。
そして東伊豆に近付いたところでニ回目の異変が起きた。
『天命の陳情』という書物を著された村岡伸治さんはこのときに起きた異変はそのときの目撃情報から類推すると、外部から何かが衝突したのではなくて、機体の内部のおそらくは荷物室において油圧配管が破損してしまう程度の爆発が起きた可能性があると言われている。
東伊豆、河津町のタクシー運転手、近持芳太郎さん(58歳)と渡辺武夫さん(51歳)は河津駅前のベンチで休憩中に、この瞬間を目撃した。
「海側の北東上空で雷のような〈ボーン〉という音がした。見上げるとジャンボ機は機体後部から灰色の煙を出して駅の上まで水平飛行した。
(『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎著)の21ページ)
上記目撃情報の中に記される
「ジャンボ機は機体後部から灰色の煙を出して」
というところ。
機内爆発ではなく、外部からの衝突であれば、煙は衝突した場所に留まり、機体から遠ざかっていくばかりで、尾を引くような状態にはならない。
更に、杉江弘さんが相模湾上空における外部衝突説を否定する論拠として次のように記される。
「それでは、「謎の飛行物体」は、垂直尾翼に対して、横から当たったということだろうか。もし、横からなんらかの物体が衝突してきたならば、反動で機首は物体が飛んできた方向に向くはずである。」
本来垂直尾翼はとても頑丈に作られている。そして、機体に頑丈に取り付けられている。
ということは、垂直尾翼に横方向から外部の物体が衝突すれば、かならず機体そのものを押す働きが生じるはずだ。外部からの物体が飛行中の機体の尾部に衝突すれば、尾部は横方向に押され、反動で機種は外部から飛んできた方向に向く。これは杉江弘さんのご指摘通りだ。押す働きなしに、垂直尾翼だけが破壊されるということは考えられない。
ところが、客室内にいた落合由美さんの証言は、
「このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じませんでした。」
とあるので、垂直尾翼に横方向から物体が衝突し、その衝撃で垂直尾翼の半分以上が失われたということはおおよそ考えられない。
伊豆半島を北上後、ライフベストの装着がはじまり、ライフベストの装着の完了したときのタイミングで富士山の東側を通過したものと思われるが、その間の機体の位置は一貫して雲の上であったが、高度7,000メートル付近というのではなく、富士山の頂上よりも少し上ぐらいの高度で、具体的には東伊豆の河津駅のあたりからはいつもの倍ぐらいの大きさに見えたという程度の高度を保ちながら北上したものと思われるが、富士山の東側を通過するまで、途中急降下はしていない。
そうすると、村上良平さんの書き残された
18・30 急に降下中
と記されている箇所は必然的に富士山の東側を通過したあたりで、乗客の大半が安全姿勢を取った直後のことであったと思われる。
(18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 完)