Re: マヌーバーに付いて

  • 投稿No.69 元投稿No.66 憂国人さんへの返信
  • 投稿者:九州人
  • 投稿日:2021-09-12 21:36:12

初めて書き込みします。

憂国人様

私が知っている範囲で、事実関係をお知らせします。

8月12日の夜に、運輸省記者クラブで記者会見がありました。おそらく22時過ぎて、新聞の朝刊に間に合わせるために、各社集まっていたようです。

18時38分マヌーバーが悪いや、18時41分着陸空港検討中、あるいは、18時29分には、「機長から、後から詳しく話します。」等の言葉が、おそらく航空事故安全委員会の方が説明しています。所沢の東京管制や日航オペレーションセンターからの聞き取りで、ボイスレコーダーの回収前に明らかにされています。13日朝刊には、共同通信配信記事として、地方新聞に載り、朝日新聞は、マヌーバーを「操縦性」と訳して、紙面に載せました。

この重要なワードが使われていません。

8月14日にボイスレコーダーは回収されましたから、その前のこと。

場合によっては、共同記者が管制官から、ダイレクトにリークした可能性もあります。

日航123便墜落事故:事故調査への疑惑と真実の追究(その7―(2)) ―墜落事故犠牲者の遺族から、「加害者」で 遺族に「補償金」を支払った運航会社:日航への 36年目の手紙―

  • 投稿No.68
  • 投稿者:8.12連絡会 『日航123便墜落事故調査分科会 会長 遺族 小田周二 
  • 投稿日:2021-09-10 22:58:27

日本航空(株) 代表取締役 会長 植木  殿 (パイロット、 父:植木千恵蔵)   
  社長 赤坂祐二 殿 (東大 工学部、技術系で初めての社長)
        常務取締役 安全推進本部長 権藤信武喜殿(パイロット) 取締役  堤 正行 殿
          安全推進本部 部長 被災者相談室員 福田 久 殿   山西 聡 殿  被災者相談室 東京相談室長 梅田 貴嗣 殿

 [2019年11月御巣鷹山を襲った「台風水害」での犠牲者:「銘標」の流出事故と再建計画のお願い]
御巣鷹の尾根は、日航123便乗客が墜落死した地獄の終焉の場所であると世間は言う。然しこの墜落死は、険阻な上野村山岳地帯に誘い込んだ、自衛隊が 123便に(止めのミサイルの一撃)を加えて、
エンジン 1基を破壊し、この衝突の衝撃で重要な「水平尾翼」が脱落して、猛烈な垂直降下の墜落事象に落とし込み墜落させた事件であった。この事実の上に このスゲノ沢が発生事象と位置づけるのであり、
是非 墜落事故の、いや 撃墜事件の集約地点であり、遺族、慰霊される人に 残したい場所なのだ。
*自衛隊のミサイルで エンジンを破壊され、その上 水平尾翼まで 脱落された123便には、もはや 操縦機能が喪失して、墜落の危機が迫っていた。
  然し、機長らは必死に機体の急降下の姿勢を水平に戻すとの操縦で回復したが、もはや、操縦不能で墜落は必死であった。それは、エンジン出力の微調整で操縦飛行していたが、右第4エンジン1基が停止した   
   ために、左右の推力差で機体の右側に傾斜し、且つ右旋回飛行し、「一本から松」では 30度の、次の 「U字溝」では 50度の右傾斜となり、最終の御巣鷹の尾根では 地面に墜落した時点で 
  右傾斜 135度となり、(即ち 裏返しの状態 )山頂付近に激突して大破した。然し、右傾斜135度のために、機体に強い(ねじれ)が生じ、機首から激突したが、機体後部で、折れ曲がり、折損し、
  この部分は傾斜角 45度の山肌を滑り落ち、途中の30mもの高さの樹木をなぎ倒し、衝撃を緩和して、スゲノ沢で、墜落が停止した。
   乗客らは 約数十名が、重傷を負いながら、生きて救出を待っていた。然し、出動した自衛隊部隊は上野村で待機して、救出を意図的に放棄し、掛かる重傷者は12時間も救助されず、放置されていた。
  然るに別の殺害部隊の自衛隊が密かに登山して 「証拠の残骸の回収」と「生存者の口封じ」のために、機体残骸の破壊と重傷の生存者を殺害するために、火災が発生していた場所は 火炎放射器で
  火災が起きなかったスゲノ沢では 毒ガス液で、薬殺するとの残虐な殺戮で、息の根を止めたのだ。(長野県人 M 氏の証言)
*旅客機の燃料での火災が起きなかった(スゲノ沢)では 火炎放射器を使えず、薬殺になったのだ。
 スゲノ沢以外に生存者はほぼ発見出来ず、生存重傷の乗客らは 失神した乗客(4-7名)が上野村消防団、長野県警が発見し、救助された。自衛隊は一番早く登山していたが、意図的に生存者の捜索を不作為し
  た。。(事故調は 全員即死との見解であったが、 嫌疑の結論であった !!)
  掛かる自衛隊の殺戮行為にも拘わらず、結局 乗客4名が救出された奇跡の場所が 「スゲノ沢」である。
 スゲノ沢は、日航機墜落場所での奇跡が起きた記念すべき、保存すべき場所である。自衛隊が123便を撃墜し、且つ生存していた乗客らを虐殺した場所であり、又この自衛隊の毒牙から、奇跡的に逃れて4名が
 生還した場所で有り、それこそ永久保存すべき場所なのだ。遺族、慰霊登山の市民が 掛かる場所で、事故の惨殺状況を知るためにも スゲノ沢の慰霊小屋に その詳細を展示して、国民に知らせて、永遠に
 記録に残すべきと考える。 日航も お客505人と日航社員15名のために、この歴史上、惨殺と奇跡の生還、事故機の破壊状況、真実をこの場所に 残すべきと思慮する。日航も被害会社であり当然 賛同すべき 
 では ありませんか。日本の菅総理と日航は「人の命は尊重し、且つ決して殺していけない」と力説し、犠牲者の霊前で、誓約し演説している。  
 然るに、国、航空局、日航は、スゲノ沢の事故当時の状況だけでなく、起きた事象を消し去ろうとしている。

  *その状況は 次の通りで、再建、復興の姿を提起す市、実行を求める。
    (1) スゲノ沢の犠牲者の銘標(慰霊碑)が 殆ど大量の水、土砂で流され、流出して、見つかっていない。
      遺族は それまであった、作成した記念の銘標(慰霊碑)を 34年目に失った。2019.11。
      然るに、日航は、慰霊の園は これを捜索し回収することを意図的に行わなかった。
      ⇒ 乗客乗員は 自らの意志で上野村で来たのでなく、彼らの目的地は大阪空港であった。
        飛行途中、123便は 「垂直尾翼」「水平尾翼」「第4エンジン」「APU」を失ったまま、飛行し墜落した。これは 故障による事故でなく、結論は 外部破壊による撃墜であった。
      この犠牲になった乗客乗員は 「遭難者」でなく、殺された「犠牲者」である。
      真の加害者である「自衛隊、中曽根総理」の味方になり、共犯になった日航が、隠蔽を行った共犯、隠蔽の共謀者であり、且つ「慰霊の園」の支配者であり、ここでも 乗客、乗員の慰霊碑(銘標)の
      管理責任者である。
 *その遺族にとって、このスゲノ沢は最終の終焉の場所であり、ここに建立した慰霊碑(銘標)は大切な墓標でもある。遺族らが 34年以上も大切にして来たのだ。遺族が喪失したた銘標(慰霊碑)は34年間   
  長きにわたり、気持ちを 注いだ慰霊の「印」「心碑」でもある。
  どうか 粗末な銘標で済まさず、きちんと 日航が真摯な気持ちで、銘標を作成し建立するか、又は遺族の気持ちが注いだ銘標を立てるか、再建して頂きたい。日航は犠牲者のために巨額の金を遺族に渡し、
  供養した経緯もあるからだ。このような要求には 簡単に応じることである。
 *銘標の新たな建立場所にも 遺族がその場所で慰霊出来るスパースを設けて頂きたい。
  掛かる道端に 多数の銘標を並べて、遺族は道から、供養するのは あまりにも 粗末であり、犠牲者への慰霊、供養には ほど遠いもので、その上 ただ 杭に板を張り付けて そこに名前を書く、享年を
  書くとの碑の作成作業の結果は、あまりにも粗末であり、日航の意図、気持ちが 犠牲者への侮辱、冒涜でしかないと思う。その銘標の字体も 誰か ボランテイアが書いたと思われる書式は 遺族への侮辱と
  しか考えられない。   再度 作成し直すか 遺族に相談してから、再建作成を求めお願いする。
 (2)スゲノ沢の慰霊小屋の再建をお願いし要求する。
  慰霊小屋が この災害で半壊し、撤去され、且つ、その中に奉納されていた遺族らの寄贈奉納した品物、写真、犠牲者の遺品、千羽鶴などは 日航のボランテイアの休憩小屋に移され、簡単に見れない状況は 
  不当である。再建して、そこに奉納慰霊すべきである。
 (3) スゲノ沢の慰霊小屋の再建とその規模。
   小屋は 参拝人が入れるようにして 線香やロウソクが 献灯,献筆記帳出来ること。
     奉納品など展示は 従来通りだが、一回り 大きく お願いする。(広さは 3倍程度)
     次のような品を 展示奉納する。且つ墜落事故の状況の展示で、事故の遺族、国民に発信して 事故の真実を伝え、教訓として、再発防止に寄与するため。(永久に 保存する)
    *スゲノ沢へ123便後部胴体部が 高い樹木をなぎ倒し、滑り落ちた鬨の残骸、遺体、樹木の散乱状況の写真。現在の状況は 36年前の滑落場所状況とは、大きく 異なるから。
    *一番最初に入山した遺族、美谷島邦子の泣き崩れ、呆然とする現場写真
    *高濱機長、佐々木副操縦士、福田機関士は 墜落の危機を 新規操縦技術で、切り抜け、524人の墜落死を救った。スゲノ沢に滑落して、重傷生存者を生み出したのも 機長らの功績だ。
      世界の「ポラリス賞」を受賞した、三人の映像写真の掲示。英雄だ。
    *落合氏が アントヌッチ中尉の誘導で接近降下した救難ヘリに絶叫し、手を振る姿(想定図)
    *事故から 30年、水害以前のスゲノ沢の映像。         両岸に並ぶ銘標(慰霊碑)と せせらぎ川の全景図。両岸、中央から 数枚の写真。
    *流出以前の主な銘標の写真 (川上慶子氏、増永氏、その他)
    *アントヌッチ中尉の写真。 救助に駆け付けた米軍輸送機C-140、救難ヘリ の写真。
    *日航副社長、元運輸相町田直の映像。「日航機はミサイルで撃墜されたんだ」の告白文も展示、
    *奇跡の生還者:落合氏、川上氏、吉崎氏らの救出の現場写真、その映像写真。
    *川上慶子氏の自衛隊ヘリへの吊り上げ写真。
    *現場写真(事故調の残骸分布図と 飛行経路図 など)⇒ 招魂の碑の前に 石碑に刻む。
    *日航123便の全景系図―墜落場所、U -字溝、一本から松、水平尾翼の落下場所、上野村、川上村を入れた地図と 123便の飛行経路図、⇒ 招魂の碑の前の広場に設置する
    @乗客4名の奇跡の生還した記念碑の建立。スゲノ沢の近くの霊地に。

 (4) 「昇魂の碑」の前広場に 旅客機墜落の状況の解説の絵図、石碑を設置する。
    ⇒ 慰霊登山者に 航空機墜落の状況、残骸分布、飛行経路を分かりやすく説明するため。
   *1 この墜落地点と 飛行経由した 川上村、上野村、スゲノ沢の位置を示す図。及び この招魂の碑から見える{U―字溝}(地面と接地した(一本から松)を記入する。U字溝での第4エンジン、
      U字溝の右上 500mの位置に落下した(水平尾翼)を追記する
   *2  この墜落地点の残骸分布を記した碑の設置。
       右主翼、左主翼、胴体部、第1、2、3エンジン、然し「123便の第4エンジン、水平尾翼は 墜落 45秒前に破壊脱落」「垂直尾翼、APU,油圧操縦装置は、墜落する32分前に破壊脱落した」と
      注記する。
        
 (5) 墜落死した犠牲者の墜落場所の地図の作成(これは 作成されている筈) 
      犠牲者の銘標の位置を記録した地図(旧の位置。 スゲノ沢以外は 変わってない筈)
      銘標の新しい位置は 銘標の再建された後に、作成のこと。
    * これらの資料は 全遺族に配布されたい。及び 関係者に配布されたい。

    *次の施策と実行を日航にお願いする。
     日航は、御客と日航社員 520名を 殺された斬撃の場所を その映像で、永久保存した、後世に伝える責務がある。この基本的な考えで、 誠意を持って、日航は対処されるように 申し入れる。
      これは 犠牲者と遺族の総意である。
   日航は 犠牲者の霊前で「安全運航の堅持」を 30年以上 誓約している。過去をきちんと残して、その上、犠牲者の霊に約束を果たすことが 日航の責務であり、誠意でもある。
             524名の乗客乗員の犠牲者に 合掌。 遺族の願い。    以上

    皆様方の賛同をお願いします。空の安全を向上させるために。

Re: マヌーバーに付いて

  • 投稿No.67 元投稿No.66 憂国人さんへの返信
  • 投稿者:AOSAN
  • 投稿日:2021-09-08 19:02:36

憂国人 様

> 「マヌーバーが悪い」という音声がCVRデーターから消されていたとの情報に付いて調べて見ました。
         ~ 不鮮明なCVR音声を再生した際の聞き間違いではないかと私は思います。
➡ 添付してあるPDFデータを読むと分かりますが、CVR音声ではなく、飛行中の123便ー日航・羽田との交信内容そのものです!(8/13ではCVRは未回収)このほかにも「緊急降下中」など数点もありです。

> 静岡県藤沢市の女性がジャンボ機のお腹の部分に赤い物が張り付いていたように見えたの証言(青山透子さんの著書)
          ~ 従ってこの女性の証言は信憑性が欠落していると思います。 JAL123便では無い飛行機では?
➡ 私の調査では、偽装機と出ました!これ以上公開すると危うくなるので、ここまででSTOPします。

マヌーバーに付いて

  • 投稿No.66
  • 投稿者:憂国人
  • 投稿日:2021-09-08 11:34:47

「マヌーバーが悪い」という音声がCVRデーターから消されていたとの情報に付いて調べて見ました。
私の友人で元ANNパイロットでジャンボ機20年の乗務経験の有る方に上記の件に付いて聞いて見ました。
その方は暫く考えていましたが、「マヌーバー」という単語は聞いたことが無いし思い当たらないと言われました。
不鮮明なCVR音声を再生した際の聞き間違いではないかと私は思います。
静岡県藤沢市の女性がジャンボ機のお腹の部分に赤い物が張り付いていたように見えたの証言(青山透子さんの著書)ですが、
これは飛行高度が1000m以下でないと確認出来ないと思います。
異変が起きた相模湾上空の約7000mから1000mまでの降下は緊急時の降下で操縦系統が正常で有れば出来るでしょうが、
油圧が落ちて操縦不能とパイロットは言っていましたから、この降下も疑問点です。
従ってこの女性の証言は信憑性が欠落していると思います。 JAL123便では無い飛行機では?
前記の元パイロットも操縦系統が効かない状況で無理に急降下させる(エンジン出力を絞る)と失速すると教えて呉れました。

「マヌーバーが悪い」「緊急着陸空港検討中」がボイスレコーダーから消されていた!(更新)

  • 投稿No.65
  • 投稿者:AOSAN
  • 投稿日:2021-09-07 23:09:09

先述の、”新たな事実”当時共同通信の情報を掲載した新聞にあった123便から18時38分「マヌーバーが悪い」、18時41分「緊急着陸空港検討中」という通信文言がCVRから削除されていた事、が分かる新聞を掲載します。
(1985年8月13日上毛新聞:大見出し航空機惨状の下左の部分に掲載あり) 
https://www.jomo-news.co.jp/playback/data/2017/08/0813/archive0813.pdf

以上

AOSANさん 初めての投稿ありがとうございます。

  • 投稿No.64 元投稿No.63 AOSANさんへの返信
  • 投稿者:管理人[ 管理者 ]
  • 投稿日:2021-09-06 22:58:25

> 初めまして、5年位前から様々活動してまいり、関連著書17冊以上、多くの関係者とも繫がり、現在も拡大中です。
> 旧「御巣鷹ゲストブック」時代から拝見させて頂いておりました。

管理人です。

AOSANさん 初めての投稿ありがとうございます。

AOSANさんは活動的な方のようで、またその活動の中から独自に取得された貴重な情報をお持ちのようですね。

続けての投稿を期待しております。

8.12連‐事故調査分科会サポーターとして連日闘争中

  • 投稿No.63
  • 投稿者:AOSAN
  • 投稿日:2021-09-05 21:18:56

初めまして、5年位前から様々活動してまいり、関連著書17冊以上、多くの関係者とも繫がり、現在も拡大中です。
旧「御巣鷹ゲストブック」時代から拝見させて頂いておりました。
〈主な取組み〉
(1)「再調査」署名サイト立上げ&拡大アピール活動 ※もうチョットで2000人!
https://chng.it/84r8H8gNJf
(本署名サイト)
https://www.youtube.com/watch?v=0ickGX-8vPE
(署名 早分かりYoutube)

(2)「御巣鷹の謎」研究会 立上げ&拡大・真相究明前進活動
となります。
ちなみに、今夏は8/8~8/14まで現地上野村で様々な活動をしてきました。(8/11・12はO氏と共闘)
〈トピック〉
登山口での署名アピールでは、現地に行かれた方のブログでも、紹介されました。
https://blog.goo.ne.jp/adoi/c/b41409f3e320038c1e0c881565862d49

〈前進ニュース〉
友人(研究会)のYoutube&調査により、新たな事実として、当時共同通信の情報を掲載した新聞にあった「マヌーバーが悪い」という通信文言が、
CVRから削除されていた事実を発見しました!

また、報道面で、墜落当日18:50に存在していた「日航123便がレーダーから消えた」というTVテロップが、NHK記録から削除されていた事も判明しました!
https://www.youtube.com/watch?v=dS77kijMWTg&t=8s

本日は、ここまでとし、次回私自身の調査により、分かった事(驚愕の可能性)について、お伝えしたいですが、これには身の危険も生じかねないので、熟慮の上と致します。(数年前に感銘した池田昌昭氏の著書のアドレスにお送りしたのですが、返事がいただけませんでした。)

読書感想 「永遠に許されざる者」(小田周二さん 著) その1

  • 投稿No.62
  • 投稿者:せきたに
  • 投稿日:2021-09-05 15:04:59

書物に記載されている事柄は多岐に渡り、焦点がつかみにくいが、著者が一貫して主張されているのは次に記す事柄のようだ。

墜落事故に関しては一般には知られていないが、遺族から見た場合は全く別の見え方があることがわかる。

1987年6月、事故調の調査結果に基づく事故原因が発表された。
あの墜落事故は事故の7年前、大阪空港における着陸の際のしりもち事故の際に圧力隔壁の一部が損傷した。
その際の接合部の補修に致命的なミスがあったのだが、気付かれずに飛行を重ねるうちに劣化し、
事故日の飛行において相模湾上空の伊豆半島手前あたりで突然接合ミスの部分から後部圧力隔壁が破れ、後方に勢いよく吹き出した空気が垂直尾翼を吹き飛ばした。
垂直尾翼の半分以上が欠けたジャンボ機は迷走飛行となってしまい、最後は御巣鷹山に墜落するに至った。

世間一般には今でもあの墜落事故をそのような認識のままでいる人が多いという。

遺族達は事故調が発表したこの事故原因を信じて前橋地検に向けて「ボーイング社」「日航」「航空局」を告訴した。

ところが、1990年7月の前橋地検の判決は事故調の事故原因を否定し、隔壁破壊説を却下。上記三者の異議申し立てもなく、司法的に無罪が確定。

前橋地検が出した無罪判決の事実とその意味するところについては、世間はあまり知らされていない。

事故調の事故原因が否定され、隔壁破壊説が却下された上での無罪判決だとすれば、事故原因に対しての再調査の方向に向かうべきだが、実際はそうはならなかった。
無罪とされた日航がなぜかその後も犠牲者遺族達に向けては依然として「加害者」としての立場で対応してきたという。
そして、墜落事故の被害者であるべき犠牲者は、「犠牲者」ではなく、今もって「遭難者」として取り扱われているという。

日航123便墜落事故:事故調査への疑惑と真実の追究(その7―(1))―墜落事故犠牲者の遺族から、「加害者」で遺族に「補償金」を支払った運航会社:日航への 36年目の手紙―

  • 投稿No.61
  • 投稿者:8.12連絡会 『日航123便墜落事故調査 分科会 会長 遺族 小田周二 
  • 投稿日:2021-09-04 00:15:41

 日本航空(株) 代表取締役 会長 植木 殿
社長 赤坂祐二 殿
       常務取締役 安全推進本部長 権藤信武喜 殿
       取締役 安全推進本部長 被災者相談室長 堤 正行 殿
         安全推進本部 部長 被災者相談室員 福田 久 殿
         安全推進本部 部長 被災者相談室員 山西 聡 殿
           被災者相談室 東京相談室長 梅田 貴嗣 殿

    日航 新任赤坂社長とは 2018年10月に面談してから、ご無沙汰しており、その後 面談要請したが 無視されております。この面談では赤坂社長は 遺族:小田を卑怯にも,嘘を吐いて騙したからです。
    2017年に 植木社長、権藤常務、福田部長が「日航は 事故の加害者でない」「遺族へ金は 補償金ではなく、お見舞金だ」と告白し、文書で提出したことを 改めて否定した。
2018年4月に就任した新任の赤坂社長は 国からの圧力で、公然と否定して、再度「加害者だ」として、遺族を呼び面談で宣言した。
然し、その後 2020年1月に 赤坂社長、権藤常務から、再び 「日航は加害者でない」「遺族への金は 見舞金だ」との文書を 遺族に提出したのだ。 呆れ果てる傲慢で侮辱する言動であった。
    貴方は 嘘吐き社長です。いや 日航自体が 事故発生後、遺族国民に対し「加害者だ」と詐称し、嘘を吐き、事故の真実の隠蔽に首謀者として、率先して活動し、結局犠牲者を侮辱し冒涜してきました。
これでは 「日航は 命を運ぶ運航会社の資格は全くない」。 これを認め、賛同しますか !!
  *さて 今年は 37回忌で2年ぶりに上野村に「慰霊式典」「灯篭流し」に参加しようとしたが、完全に遺族の願いを踏みにじられた。不当にも 遺族の参加を日航、慰霊の園が拒否したのだ。
遺族が参加しない「灯篭流し」「慰霊式典」は全く何の意味がなく、形骸的な官製祭りでしかない。犠牲者が聞きたいのは、会いたいのは 肉親の声であり、遺族なのだ。
最初から、日航は「墜落事故の加害者だ」と詐称し、そして突然遺族に「補償交渉」を提起して、事件の「一件落着」の奇策を実行した。卑劣な謀略で、多くの遺族、国民は この見事な「身代わり加害者」
と「犠牲者の命を金に変えての謀略」に騙されたのだ。
然し、事故直後に「日航は加害者でない」「日航機はミサイルで撃墜されたんや」と 当時の町田直:日航副社長が遺族に自供し告白しており、日航の言動は完全に矛盾する行為なのだ。 
それも、この補償交渉は、事故後 5年に前橋地検が三者(ボーイング社、日航、航空局)を無罪にしたが、日航だけが遺族との補償交渉を続けたのだ。完全に「司法の判断」を無視しての違法行動であった。
勿論掛かる謀略違法行為は日航の独断によるものでなく、全て、国、運輸省の指示で行われたと推測出来る。日航は、掛かる事故の真実を知っているのに、掛かる遺族、国民を騙して真実を隠蔽しているのだ。
 *日航は更に 「上野村、慰霊の園」を牛耳り、完全に支配下に置いての遺族への蛮行である。日航は現在まで、36年間も国の下僕で、部下であり続けており、遺族、国民を騙して来た。
日航は、国、航空局の支配下にあり、国の航空会社であることは 毅然としている。認めますか?
慰霊の園には、合掌形状の「巨大な慰霊塔」があり、この後側に、犠牲者 520人の遺灰、遺骨が 520の骨壺に納められ、奉納されている。即ち、遺族は この「慰霊の園」と「自宅の寺」の2か所に慰霊の
墓地があるのだ。従って、毎年8月12日に必ず 遺族が訪れて、供養することになっている。
慰霊式典は遺族が出席し、弔辞を述べ、そして、墓碑に刻まれた犠牲者の名前を手で押し付けて、そして 520の「ローソク」に点灯して 送る儀式なのだが、然し、遺族が亡き肉親に弔辞を述べる機会は
最初から、与えられず、遺族は慰霊式典では、36年間 単に「観客」でしかなかったのである。
慰霊式典とは ほど遠い形骸の儀式であり、日航が主役の官製の「偽りの儀式」であった。
更に、慰霊する犠牲者520人への名称は 「犠牲者」でなく、「遭難者」と正式に命名され、36年間変更されず、現在に至っている。 国、日航は遺族からの名称、呼称の変更要求に理由もなく無視し、
520名の犠牲者を「遭難者」と名付ける行為には そこに犠牲者への哀悼の気持ちはなく、「遭難者」との呼称の目的は事故の「真の加害者」が存在しないと強調したいからなのだ。
事故後 5年 1990.7 前橋地検は ボーイング社、日航を無罪にして、国の事故原因である「隔壁破壊説」を否定したが、その後も、30年間以上も依然として、「加害者だ」と自ら詐称し、慰霊式典では
「加害者だ」として主張し、必要もないのに、日航は「安全運航の堅持」なる主張を遺族に約束し、遺族、国民だけでなく、この慰霊の園の墓地に眠る犠牲者の前で、嘘を吐く卑劣な会社である。
⇒ 日航は「真の加害者の代理」を公然と努め、慰霊式典でも「加害者」の演技する卑劣な会社なのだ。
*更に、被害者の日航は 嘘の宣伝活動に執念を燃やしており、「慰霊の園」「日航羽田工場の安全啓発センター」にて、間違った事故原因である『隔壁破壊説』を展示し、国民を騙し、洗脳している。
2011年7月には 遺族だけを集めて、成立しない『隔壁破壊説』の解説集会を開催し、遺族を洗脳し、遺族会の「事故原因の再調査」と「操縦出来た123便の横田基地への着陸行動」の声明を放棄させ、
遺族会を無力化に成功し、以後遺族会は 事故原因への取り組みを放棄し、ただ「慰霊行事―灯篭流し」に専念することになり、現在に至っている。 
慰霊式典では日航社長には発言の機会が与えられ、必ず「加害者だ」「再発防止策」「安全運航の堅持」を叫び続けた。日航は全くの虚構の慰霊式典を挙行し、遺族、国民への騙しと隠蔽の虚言であった。

  *現在、遺族吉備氏、市原氏による日航が保有する「CVR,DFDR」の公表請求訴訟が大きな話題になっている。既に小田が説明したように、公表されたCVR,DFDRの内容は、目撃証言、告白発言、体験者証言
などと大きく乖離しており、成立しないのだ。原本のCVR,DFDRが修正され、削除され、捏造されていることが導かれるのだ。これに対し、被告訴人の日航は「公的な目的以外の使用は禁じられている」と
拒否しているが、これは奇妙な回答である。日航は被害者であって、航空局の立場でないのだ。既に、航空局、日航は 2017年に 前橋地検が「修理ミスの隔壁が破壊した」との事故原因が否定されたとの判
決が確定しており、国の隔壁破壊説は否定されている。日航も 墜落事故の原因は「水平尾翼、第4エンジン」の破壊脱落であると回答している。まして、日航は乗客乗員520名が殺され、加害者でなく、
被害会社なのである。
日航はお客、乗員,社員に対し、墜落の事故原因を特定し、これを犠牲者の霊前に供えて、報告することが責務であり最大の供養であることを認識し実行せねばならない立場にある筈だ。日航が航空行政の航空
局の立場のような発言は、これは、真の加害者を擁護し隠蔽する言動は、筋違いであって、運航会社として その資格が疑われる事態である。
日航が、遺族が要求するCVR,DFDRの公表、公開請求に反対出来る立場でないことは明らかなのだ。 日航は、真摯に事故原因の再調査に協力すべきではないのか。
それが、墜落死した乗客,社員の犠牲者への供養ではないのか。如何?

  注{訴訟と言えば、遺族小田も2016年に「中曽根総理、自衛隊幕僚長」を123便の撃墜墜落死させた事態で告訴し、又2017年には 「航空局、日航」を 撃墜墜落事件の隠蔽を行ったとして、同じく、
前橋地検に告訴している。この件について、別途、その経緯と結果について、投稿する予定である)

日航への手紙は 次回 この続きを投稿する。

日航123便墜落事故:事故調査への疑惑と真実の追究(その 6) ―123便は垂直尾翼と油圧装置を失ったが、操縦出来た謎を解く。そして操縦出来れば、横田基地に 着陸出来、乗客ら524名の尊い命が助かる事態になる筈であったが ―何故 !!―

  • 投稿No.60
  • 投稿者:8.12連絡会 『日航123便墜落事故調査 分科会 会長 遺族 小田周二 
  • 投稿日:2021-09-01 21:46:19

123便墜落の事故調査とは、墜落の事故原因を特定して、真実を明らかにして、再発防止策を実行して、空の安全性を高めて、犠牲者の霊前に真実の花束を供えて慰霊することにある。
「墜落とは 機体に異常が発生し、操縦が不能になり、地面に激突する事象だ」と日航の聡明な技術部長が定義した。 墜落とは、正常な飛行とは 全くの正反対の事象である。
 正常な飛行を知らないと 墜落を語る資格がない。「飛行の継続が出来るとは操縦が出来た」ことの裏返しである。 巨大な旅客機が飛行するには、その重要な部品の機能が正常に作動することである。
 旅客機の飛行性と それを支える操縦性について、検証し、事故原因を究明する。

1 航空機の飛行性と操縦性
   旅客機は 高空を高速で飛行出来る精密電気物体で、次の重要な備品で構成される
      *巨大な主翼と 強力なエンジン  ⇒ 「推進力」と「揚力」を生み出す
        (重力に打ち勝つ揚力で 浮き上がり、飛行する) 最低の速度:350k/時以上
        速度は 350k/時まで滑走路を走るために 3.000m級の飛行場が必要になる。
      *機体の飛行の制御、コントロール、操縦機能
後部の「垂直尾翼」と「水平尾翼」 ⇒ 機体の縦、横方向の安定の維持、旋回飛行
         @垂直尾翼の方向舵 ⇒ 左、右への方向展開、旋回飛行(油圧による制御)
         @水平尾翼の昇降舵 ⇒ 水平姿勢の維持と上昇、降下飛行(油圧による制御)
         @水平尾翼の機能    ⇒ 本体自身は 迎角を変えて 姿勢を安定させる
    1.1 機体の制御の手段、方法 (許されざる者:5.1 事故機の操縦性  58頁 参照)
       *旅客機B-747機 以前の旅客機  ⇒ 全て 手動、個別操作.機械的機構。
       *B-747旅客機の操縦性 ⇒ 油圧による操縦桿操作での操縦 (自動操縦)
    1.2 18:24 自衛隊標的機衝突により、「垂直尾翼」「油圧装置」「APU」が破壊、脱落
        *油圧のよる自動操縦が不可能。  ⇒ 操縦桿:使えず

* 横方向の安定、維持が不可能。
⇒ 操縦不能で、機体は急降下し、墜落事象に
   ⇒ ⇒ この事態を 事故調は 「操縦に難発生」と結論。⇒ 嘘の記述
 2 日航123便事故機の飛行性と操縦性
事故機は 離陸後 12分、「垂直尾翼」「APU」「油圧配管」の破壊で 操縦が不可能になった。
    事故報告書では、「操縦に難が発生」との記述があるが、基本的な誤謬で これは間違いである。
      ⇒ それは、墜落の事故原因を誤魔化すための謀略、隠蔽であったのだ。
    「垂直尾翼」「油圧装置」が破壊された日航事故機は、伊豆半島の河津町の運転手が目撃しており、そのまま 「河津町方向に慣性で飛行し、河津町上空で、右旋回した」と言う。
     この時、高濱機長は「油圧 ゼロ」とのの報告で、「操縦出来なかった」と推測出来る。この地上からの目撃での右旋回は、垂直尾翼の破壊で横方向の制御が出来ず、右に傾き、そのまま、急降下し、
これが 地上からでは 右旋回に見えたと推測出来る。その後、伊豆半島での目撃では、左旋回したとの証言があり、ここから、機長らはエンジン出力の調整で、機体の右傾きの姿勢を 立て直そうと
奮闘し、これが左旋回に移ったことと推測出来る。
2.1 藤枝市小林氏の目撃証言による、事故機の操縦性
「垂直尾翼」「油圧装置」破壊後、18:30頃 123便は静岡の藤枝市の小林氏が「低空飛行から、急上昇し、北方向に飛行していった」と証言している。この飛行高度は数百mで、伊豆の河津町での高度
7,000mから、5分間で 6,000mも高度を下げている(墜落事象).河津町から、藤枝市まで距離は約80kmだが、恐らく S字状の飛行航跡を何度も描きながら、墜落せずに 藤枝市まで到達している。
垂直尾翼だけでも脱落すれば、墜落する筈が、その上「油圧配管」も断絶しており、操縦不能での墜落は必定であった。この間の機長と佐々木副操縦士の間の会話は、恐らく想像を絶する緊迫したものと
推測出来るが、然し、この間のCVRには緊迫した会話が記録されていない。航空局が意図的に削除したのだ。
現在、遺族吉備氏が日航を告訴し、CVR,DFDRの公表を求めており、この時の機長らの会話が公表されれば、明快に 操縦操作の真実が明らかになると推察出来る。
勿論、公表されたCVRの内容からも、機長と佐々木氏との会話でも、エンジン出力の調整による操縦の一端が十分に伺われる。
この墜落事象における機長と佐々木、福田氏の間も会話は、18:56頃 最後の墜落事象での機長と佐々木、福田氏の間の会話と 全く同じと推測出来るからだ。
掛かる会話がないのは、記録されたCVRの会話が削除されているとしか、考えられない。
 2.2 ボーイング社による「新規操縦技術の検証と世界的な開発技術の評価による「ポラリス賞」の授与
 この123便が墜落せずに飛行出来たことは、機長らの必死の操縦性の回復への奮闘があった筈で、その後、「高濱機長が新規な操縦技術を開発した」からと導かれ、これがエンジン出力の微調整による
左右の推力差による操縦技術だと出来る。これは画期的な技術であり、ボーイング社は、最も早く、認めたと推測出来る。
何故なら、ボーイング社は、この大型B-747 旅客機を世界で初めて、油圧機能による操縦技術を開発したが、この油圧装置故障で操縦不能になった場合の「二重安全設計」は準備用意していなかったからだ。
とても強固な配管で内部の油圧が保持される設計であるが、これが破壊されると、即、墜落する事態に陥ることが心配であったが、そのような想定準備をしなかったのが、事実かも知れない。
ボーイング社は、横田基地の管制官、アントヌッチ中尉らの証言で、この墜落は故障でなく、日本の国、自衛隊が深く関与していると確信しており、且つ事故機の操縦について、CVRの解析で、機長らのエン
ジン出力の微調整で操縦出来たことを調査研究し、油圧機能を失った旅客機のエンジン出力調整による技術研究で、科学的に、論理的に、且つ操縦技術的に飛行出来ることを確信して、その新規技術の「ソフ
ト」を作成して、且つ実機での実証飛行を行い、検証して、又CVRの解析とも検証して、高濱機長、佐々木副操縦士、福田機関士の功績として、
1987年に世界の操縦士の功績を讃える「ポラリス賞」を授与して、表彰している。
この技術は世界のパイロットに周知徹底され、1989.7の UA-232便の油圧喪失事故で、生かされ、殆ど操縦不能であったが、機長と副操縦士の二人が、エンジン出力調整で、何とか飛行場に着陸させて、
乗客乗員ら296名中、185名が生還した。(生還率 62.5 %)この結果、殆ど墜落死の乗客乗員の命を救ったのは、この日航機123便の機長、佐々木操縦士の「新規操縦技術」による成果であった。
以後、多くの油圧機能喪失の旅客機が、このエンジン出力調整による新規操縦技術で多くの乗客らの命を救うことに貢献したのだ。高濱機長らの偉大な開発であった。

  2.3 日航:杉江パイロットによる「エンジン出力調整による新規操縦技術」の認識と評価
    日航のパイロットの神様と称される「杉江久」は その著「JAL123便墜落事故」(2017.12 宝島社)の中で 
{UA-232便機長らは 123便がエンジン出力調整だけで、約30分間も飛行した事実を熟知しており、機体の降下や制御をエンジン出力のみでコントロール出来ることを知っていた}と記述している。
即ち、それまで、日航は 嘘の「隔壁破壊説」を信奉し、日航123便の操縦性について、一切認めていなかったが、2017年には 「事故機が操縦出来た」ことを認めている。

3 日航123便事故機の操縦性を、世界は新規エンジン出力の調整で操縦出来たことを認めたのだ!!
日航123便が油圧機能喪失後、新規操縦技術で操縦出来たことは、事故機は 横田基地に着陸出来たることに繋がり、ここに、国、運輸省の墜落の事故原因である「修理ミスの隔壁破壊」だとの結論が
否定され崩壊したことになった。2017年には 日航は遺族に「隔壁破壊説は否定され崩壊した」ことを文書で通達した。
且つ遺族小田は、日航との技術会議で、世界的な新規操縦技術を開発した高濱機長、佐々木副操縦士、福田機関士を 日航が その功績を評価して、表彰することを具申したが、見事に無視されている。
今後、航空局にもこの事態を説明して、国土交通省として、123便の3人の操縦士の表彰を行うことの進言を考えており、機長らの名誉挽回になればと予定している。

日航の真の加害者(国、自衛隊)への絶対的な献身、奉仕の精神は 逆に遺族、犠牲者への侮辱冒涜行為に繋がり、犠牲になった520名の乗客、日航社員の命への軽視に繋がり、且つ遺族、国民への侮辱を
公然と行った事態であると判断出来る。

[操縦出来れば、最寄りの飛行場に着陸出来る]。 [そして、乗客、乗員の命が助かるのだ。]
--この件は 次回に記述する--。