Re.(8) 掲示板参加の皆様へ

  • 投稿No.488 元投稿No.486 AOSANさんへの返信
  • 投稿者:見学者
  • 投稿日:2022-01-03 11:23:16

> 見学者さま

> 上記しるされた、矛盾点として勘違いをなされている事象は、時系列・飛行場所ともに、別々の機と判明している事から、納得できている次第であります。

 納得できている事象を、わざわざここに書きにきて、「矛盾点として勘違いをなされている事象」と当方の勘違いを指摘されますか。
 失礼千万極まれりですな。
 そして、身分生命がどうのと言いながら、ジモティー?に誘導されるとは、それこそ矛盾ですね。
 それほどご心配なら、隠居なさって投稿せずにいらっしゃればよいのでは?
 質問した労力を返していただきたい。本当に腹が立つ。

> その詳細を、ここでは披露しないのは、隠蔽側にとって不利かつ究明側にとっけ身の危険を生じるため、あえてアピールを避けているのです。

 前同。アピールを避けているのなら、そもそも投稿などしなければよい。返信した当方をバカにしておいでですか?
 「勘違い」とおっしゃるのであれば根拠を提示すべきですし、矛盾点の指摘について説明責任を果たしていないことになりますが、言いっぱなしで責任をとらない非常識な方なのですね。

Re.(7) 羽田発小松飛行場行き ご教示下さい

  • 投稿No.487 元投稿No.485 文系ちゃんさんへの返信
  • 投稿者:見学者
  • 投稿日:2022-01-03 11:15:06

> 検証有難うございました。
> 良いシミュレータをお持ちのようで羨ましい限りです。なるほどトライスターの上昇性能ですか。確かにそれにも制限され時間的な範囲もそれにより限定されそうですね。
> 離陸して横田空域を回避すべくずっと上昇が続き、管制とのやり取りもせわしなく次々と上昇許可をとるような場面だったのでしょうか?18000ftに達するより前で高度維持の指示を受け、それより上には上がらない、その高度となったら下がらないという操作をしている途中での目撃だったのでしょう。

 確か昔のNH757便は18:15が定刻だったと記憶しておりますが、時刻表がないので正確なことはいえません。
 しかし、ブロックアウトから実際のテイクオフまでのタイムラグを考えても、18:31の離陸は、テイクオフタイムと考えられ、この時点で123便はEMG宣言をしていますから、離陸後の高度制限、針路制限は間違いなくかけられたと考えます。
 EMG宣言機が空域にいれば、それまでのフライトプランを破棄して、担当管制域による指示が有効になります。オールステーションの呼び掛けでは周波数の統一でしたが、757便には、ディパーチャーコントロールまたは関東南セクターでホールドが出た可能性は否定できません。

> 小松便、離陸後7〜8分後での座間ポイント東9km到達となると、その時の機首方向とそのあとの進行方向がどのようであったかにより123便がどう見えたのか が決まりそうですね。

 おっしゃるとおりですが、機首方向と進行方向はよほどのことがないかぎり同一のものですので、「進行方向」のみ考慮するだけで足ります。
 また、機長席と副操縦士席では見え方も当然変わってきます。センターピラーの視覚的位置が、左右でどちらの端に見えているかは逆転しますから、機長席からみて、センターピラーの左側に見えたのか、右側に見えたのかで、「やや右」の捉え方も変わります。

> 離陸後南下 富津岬の手前ではターン 横浜、YANAG に到達でその直後が概ね座間ポイント東9km その先は相模原、諏訪湖方面へ というのが通常飛行経路の一例となりますでしょうか?これ以上はやはりフライトプランが判明しないと という事になるのでしょう。この先は通常の概念に囚われてはいけないのかもとも思いますが。

 あくまでも、15Lを使用した場合の想定経路です。このルートがはたして当時有効だったかは推定の域を出ません。
 そして座間ポイントの東9㎞というのは位置通報ポイントとして定められているわけでも、航法支援施設があるわけでもありませんから、通常飛行経路とはわけて考えるべきかと思われます。

> 個人的にはですが、事故調123便の航跡との照らし合わせの結果、当時の航路としてYANAGからY28で西南西へ飛行し、富士山手前で甲府方向へ というのはなかったのかな?という疑問も出てきてしまいました。

 大月旋回の前であった可能性は当然あると思われるので、その飛行経路ならうなずけます。
 「羽田に戻ろうとしているように思えた」
というところが肝であり、18,000ftから前方やや右上方で、「右に旋回」していることを判断するには、夕方であり日没前であったことを考慮しても、実際の距離は不明ながら、比較的機体ははっきり見えますから、「旋回姿勢の目視」あるいは「灯火の移動方向」により行う方法があります。
 123便の飛行経路を、他のシミュレーターユーザーに再現してもらいながら、おなじ世界線で757便の飛行経路を探りながら飛ばして実験するよりないでしょうね。
 アルトホールドとヘディングホールドが指示されていたとすれば、甲府方面への飛行も当てはまるでしょうが、「視認開始ポイント」もわかりませんし、どの地点で気づいたのか、またなぜそれが座間ポイントの東9㎞とわかったのかも明らかになっていません。前述のとおり、ポジションリポート地点でもないからです。
 よって、「確かその辺を飛んでいたときに視認した」と、フライトログを確認しながら供述したのであれば、9㎞の位置関係も、「東」という方位も、抽象的なものとなります。

Re.(7) 掲示板参加の皆様へ

  • 投稿No.486 元投稿No.447 見学者さんへの返信
  • 投稿者:AOSAN
  • 投稿日:2022-01-03 10:55:56

> > > 僭越ながら、AOSAN様の上記内容について私見を述べさせていただきます。~> > 今回の上野村・川上村での多くの大人子供の証言は、リンクするものが多々あり、自衛官も含みます。とても軽視などできません。> > 学校の文集も、過去「公文書」として裁判への影響を与えた事もある位です。

> AOSANさんとやら、とりあえず物的証拠と状況証拠はわけて考えましょうや。恣意的な状況証拠が過去にいくつもの冤罪を生んできたことくらいご存知でしょう。
> 今回の事故だけに限って言えば、藤枝で目撃されただの群馬で目撃されただの、子供が追いかけてる姿を見ただの、川上村の主婦はジャンボ機しか見てないだの、ばらっばらでまったく信憑性がないとしか言えませんな。むしろどれがリンクしていて密接な関係なのかを整理してほしいくらいですよ。> > 目撃証言は、単なる参考資料で、明らかに事故の態様と異なるものは証拠採用されません。調書さえとりません。要はそんなレベルです。> 今回の事故の目撃証言、もっかいちゃんと整理して、全部並べて客観的にどれが信頼に足るか導き直した方がええと思うんですよね。AOSANさんとやらの言い分やと、全部証拠採用しないといけなくなるんで。> そうなると、123便の場合は「藤枝でファントムが追っかけてた、奥多摩ではいなくなった、上野村からは追っかけてるのが見えた、川上村ではいなくなった、けど群馬で墜落より前に見た」になります。めちゃめちゃ忙しいじゃないですか、ファントム。
> となると、いずれかまたはすべて誤り、ということになり、その誤りを抜き出す過程で思想や主義主張でバイアスかかるんですよ。それを防ぐために全部とりあえず並べましょう。あとはここの人達で手分けして整理していったらいいんじゃないですか。> ただ、全部、ですよ。全部。

見学者さま

上記しるされた、矛盾点として勘違いをなされている事象は、時系列・飛行場所ともに、別々の機と判明している事から、納得できている次第であります。
その詳細を、ここでは披露しないのは、隠蔽側にとって不利かつ究明側にとっけ身の危険を生じるため、あえてアピールを避けているのです。
もし、どうしても必要でしたら、別の場所(https://jmty.jp/gunma/com-etc/article-fi0mk)へお越しいただければ、と思います。
すみません、小生まだ生き続けねばならないと思っておりますので。

Re.(6) 羽田発小松飛行場行き ご教示下さい

  • 投稿No.485 元投稿No.483 見学者さんへの返信
  • 投稿者:文系ちゃん
  • 投稿日:2022-01-03 10:29:11

見学者さまへ

>  実際に、ロッキードL1011トライスターの性能を再現可能な家庭用シミュレータで飛んでみましたが、離陸後すぐに右旋回するのではなく、一旦123便同様に南下し、高度を稼いでから旋回、座間ポイント東9㎞への到達は、離陸から「7-8分」となりました。
>  5分では、本当に”離陸直後”に旋回して目指さなくてはなりません。
>  1985年に有効だったか否かは別として、
> 1.セキド ワン ディパーチャー
> 2.ヤナグ ワン ディパーチャー
> のいずれかの方式で離陸したと推測し(私は2.だと考えています)、それによれば座間ポイント東9㎞で18,000ftに達するには、18,000ftという到達高度をみれば、上昇率を加味しても7分はかかります。
>  したがって、757便の123便目撃は、18:38以降であると推測します。

>  ヤナグワンから、どこへ進路をとったかは、当日のフライトプランをみないと定かではありません。
>  もしかすると、上記いずれの出発方式でもなく、悪天情報のため、南にずれた経路をとっていたかもしれません。
>  あくまで、「通常飛行経路」ですので、いくらでも推測のしようがあるので。

検証有難うございました。
良いシミュレータをお持ちのようで羨ましい限りです。なるほどトライスターの上昇性能ですか。確かにそれにも制限され時間的な範囲もそれにより限定されそうですね。
離陸して横田空域を回避すべくずっと上昇が続き、管制とのやり取りもせわしなく次々と上昇許可をとるような場面だったのでしょうか?18000ftに達するより前で高度維持の指示を受け、それより上には上がらない、その高度となったら下がらないという操作をしている途中での目撃だったのでしょう。

小松便、離陸後7〜8分後での座間ポイント東9km到達となると、その時の機首方向とそのあとの進行方向がどのようであったかにより123便がどう見えたのか が決まりそうですね。

離陸後南下 富津岬の手前ではターン 横浜、YANAG に到達でその直後が概ね座間ポイント東9km その先は相模原、諏訪湖方面へ というのが通常飛行経路の一例となりますでしょうか?これ以上はやはりフライトプランが判明しないと という事になるのでしょう。この先は通常の概念に囚われてはいけないのかもとも思いますが。

V9→W15→R12横浜→O11 YANAG→N10.5座間P東9km→J8相模原→A4諏訪湖方面
<再掲載 グリッド図>
http://imepic.jp/20220102/661500

個人的にはですが、事故調123便の航跡との照らし合わせの結果、当時の航路としてYANAGからY28で西南西へ飛行し、富士山手前で甲府方向へ というのはなかったのかな?という疑問も出てきてしまいました。

Re.(8) 事故調発表の航跡図が信用できない理由

  • 投稿No.484 元投稿No.482 見学者さんへの返信
  • 投稿者:見学者
  • 投稿日:2022-01-03 08:28:38

せきたに様への追伸

 そういえば、「報告書の航跡図は信用できない」とおっしゃっておいでですが、大月上空での旋回は、報告書を引用されてますね。
 信用できないのであれば、この大月の旋回も引用不可となりますが、恣意的に書こうと思えばいくらでも航跡は推察できますよ。
 大月の旋回が事実である根拠をお示しいただけませんか?

Re.(5) 羽田発小松飛行場行き ご教示下さい

  • 投稿No.483 元投稿No.480 文系ちゃんさんへの返信
  • 投稿者:見学者
  • 投稿日:2022-01-03 08:23:47

> 「前方を注視していたところ、午後6時半すぎ座間ポイントの東9km地点で前方のやや右上部に123便の機影を視認」
> 機長の視界から消える寸前も 「必死に右旋回(羽田方向へ戻る)の努力を続けているように見えた」
> ・離陸は31分(事故調報告書)
> を追加させて頂きます。

> 羽田を離陸し座間ポイント東9km地点に到達するのは離陸しておよそ5分後ではないかと推定します。

 実際に、ロッキードL1011トライスターの性能を再現可能な家庭用シミュレータで飛んでみましたが、離陸後すぐに右旋回するのではなく、一旦123便同様に南下し、高度を稼いでから旋回、座間ポイント東9㎞への到達は、離陸から「7-8分」となりました。
 5分では、本当に”離陸直後”に旋回して目指さなくてはなりません。
 1985年に有効だったか否かは別として、
1.セキド ワン ディパーチャー
2.ヤナグ ワン ディパーチャー
のいずれかの方式で離陸したと推測し(私は2.だと考えています)、それによれば座間ポイント東9㎞で18,000ftに達するには、18,000ftという到達高度をみれば、上昇率を加味しても7分はかかります。
 したがって、757便の123便目撃は、18:38以降であると推測します。

 ヤナグワンから、どこへ進路をとったかは、当日のフライトプランをみないと定かではありません。
 もしかすると、上記いずれの出発方式でもなく、悪天情報のため、南にずれた経路をとっていたかもしれません。
 あくまで、「通常飛行経路」ですので、いくらでも推測のしようがあるので。

Re.(7) 事故調発表の航跡図が信用できない理由

  • 投稿No.482 元投稿No.481 せきたにさんへの返信
  • 投稿者:見学者
  • 投稿日:2022-01-03 07:46:59

せきたに様

 なぜ一部分しか見ないのでしょうか。なぜ自説に有利な部分しか採用しないのでしょうか。

 CVR筆記録と対照して、客室乗務員のアナウンスは厳然たる事実であり、かつこれまで吉岡著書の証言のみを引用してきておきながら、それをつっこまれると小田著書を持ち出してくる。
 小田著書における記録の根拠を提示いただきたいですな。
 ボーイング747型機のオキシジェンタンクの容量、実際の酸素噴出時間、小川写真による「ほぼ全員が着用を終えているが安全姿勢はとられていない」証などを考慮すれば、落合証言を弄んでいるとしか思えない。

 では質問しましょう。
1.CVRにある客室乗務員のアナウンスと、吉岡著書の落合証言は一致しているが、この合理的説明を求める
2.上記1.のあと安全姿勢をとり、その後急降下した、と吉岡著書の落合証言にあるにもかかわらず、貴殿は遺書を引用してきて18:30とされているが、その時刻には大月上空に達していない。にもかかわらず「大月上空の旋回」にこだわる合理的説明を求める。

Re.(6) 事故調発表の航跡図が信用できない理由

  • 投稿No.481 元投稿No.478 見学者さんへの返信
  • 投稿者:せきたに
  • 投稿日:2022-01-03 07:08:34

> 合理的に考えれば、18:48以降急降下までの時間で、かつ急降下に近接した時間帯に、富士山を見ていることは明らかです。
> 逆に、落合証言を引用しながら、その一部を無視するのはどういう了見でしょうか?

見学者さんへ

投稿NO.238と293で文系ちゃんに紹介いただいた愛媛新聞の記事
http://imepic.jp/20211121/193410
では10分ほどして酸素がなくなったと記されている。

 一方、吉岡忍著「墜落の夏」では18分くらいと記されているが、その際の説明として次のように記されている。
「いつだったか、私がフライトをしていたとき、お客様から、酸素マスクは何分くらいもつのか、と訪ねられたことがありました。全員が吸った場合、18分くらい、と計算したことがあります。そのくらいの時間が経過していたのかもしれません。」

 愛媛新聞の場合との相違点は吉岡忍著『墜落の夏』では理論上の計算値に合わせて18分と語っているような印象を受ける。
 私は酸素が出なくなった経過時間については墜落事故直後の取材に基づく愛媛新聞の方が真相に近かったのではないかと感じている。

 更に犠牲者遺族の小田周二氏が「航空事故調査報告書」の事故原因内容について記された文献の中には次のように記されている。
1985年9月17日 航空自衛隊小原甲一郎医官が落合由美氏に「減圧での乗客の症状」について事情聴取したときの記述として
小原医官は誘導尋問で「10分間しか酸素マスクが作動しなかったが、落合氏はどうか」と質問した際に
この酸素マスク有効の10分間の間で乗客は救命具を着用しており、落合氏は乗客に着用を指導している。落合氏は「自分自身では、意識、具合が悪くなることはなかった」と回答している。

富士山が真横に来た時安全姿勢⇒すぐに急降下始まる

については、相模湾上空で異変発生後墜落するまでの間で急降下が2回あったと考えている。

犠牲者の村上良平さんが「18・30 急に降下中」
河口博次さんが「今6時半だ 飛行機はまわりながら急速に降下中だ」
と記されていることと考え合わせると
富士山が真横に来た時安全姿勢を取った直後に大月上空に向けて左右への旋回を繰り返しながらの急降下があったと考えており、安全姿勢を取ったのはその急降下がはじまる直前だと考えている。
落合証言で富士山を左下に見るまでの間にこの急降下のことが記されていないのは、安全姿勢を取った後のことだったからだと考えている。

落合由美さんが吉岡忍著『墜落の夏』で
「安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺すぶられるのを感じました。船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。」⇒「そして、すぐに急降下がはじまったのです。」⇒「墜落」
 と記されているのは、明らかに三国山頂上から御巣鷹山の尾根に向けての急降下だ。

Re.(4) 羽田発小松飛行場行き ご教示下さい

  • 投稿No.480 元投稿No.479 見学者さんへの返信
  • 投稿者:文系ちゃん
  • 投稿日:2022-01-03 06:37:04

見学者様へ

> 当時の出発方式によるトランジション、通過ウェイポイントの設定をあてはめなければなりませんから、そのルート設定が適切かどうかはわかりません。
> ディレクト(ショートカット)のリクエストをしたのかもしれませんし、許可されたかもしれません。
> 少なくとも、座間ポイントから東に向かうことはないと考えますが、仮に横田空域を越えるための上昇旋回中であれば、おかしくありません。

小松便単体の飛行経路ですと離陸後速やかに旋回、横浜上空から相模原通過、諏訪湖方面へ でなんら不自然なところはないかと思います。

この度小松便の航跡を伺うにあたり、妙な影響が出るのを懸念して一部情報はオープンにしておりませんでした。
見学者さまの

 全日空757便、18:30 神奈川県相模原市上空、座間ポイント東約9km、高度約18,000ft上空よりJAL123便機影を目撃。
証言内容:
「何とか機首を羽田方向に立て直そうとしている様だった」
「123便は大きくなったり、小さくなったりして見えた。北から東へ針路変更をしようとしている様だった」
「約3分後右後方へ去る」


「前方を注視していたところ、午後6時半すぎ座間ポイントの東9km地点で前方のやや右上部に123便の機影を視認」
機長の視界から消える寸前も 「必死に右旋回(羽田方向へ戻る)の努力を続けているように見えた」
・離陸は31分(事故調報告書)
を追加させて頂きます。

羽田を離陸し座間ポイント東9km地点に到達するのは離陸しておよそ5分後ではないかと推定します。
そうしますと小松便機長が123便を見始めたのは18:36〜37分頃となりそうです。
ですがそうしますと機長は123便を正面より左に見る事になってしまいそうです。
小松便が旋回を続け、西北西へと進路を取れば益々右に見る事がなくなります。
小松便機長は見始めから3分といくらかの時間123便を目撃したのでしょうが、小松便が通常取り得るコースを飛行して目撃証言通りとなる小松便航跡があるものなのかどうか。
条件の範囲内で証言が成立する小松便航跡がないともなれば123便側の航跡を疑問視するというのも視野に入ってきてしまいます。

個人的には本件もっと世に知られ、いろんな方々に検証されても良いものだと思っております。

Re.(3) 羽田発小松飛行場行き ご教示下さい

  • 投稿No.479 元投稿No.477 文系ちゃんさんへの返信
  • 投稿者:見学者
  • 投稿日:2022-01-03 00:10:11

> 見学者様へ

> 詳細に有難うございます。

> > (1)風向の関係や、滑走路の運用条件(3本ある滑走路のうちの旧A滑走路(15R-33L)に関して、一部をエプロンとして使用していた)を鑑みると、ランウェイ15Lから離陸、その後旋回して横浜上空から相模原方面へ。
> > (2)座間ポイント東側通過
> > (3)八ヶ岳連峰を越えて諏訪湖、北アルプスを越えて高山、白川を通過して小松へ

> RW15Lを離陸後速やかに旋回、横浜上空からは概ね西北西方向でしょうか?
> 荒いグリッドに無理やり合わせますとV9羽田→V11→R12横浜→N11座間東→J8相模原→A4諏訪湖方面へ 
> といった感じかと思います。

> 123便がどのように見えるのか ですが、このルートですと約3分後右後方に去る様子を見る事がないようです。(左側に見えているうちに先に通過してしまう)

> 離陸後速やかに旋回、座間ポイントを通過した後も後もしばらく東進(もしくは西南西)し続け、その際に目撃した可能性もあるようにも思えます。

当時の出発方式によるトランジション、通過ウェイポイントの設定をあてはめなければなりませんから、そのルート設定が適切かどうかはわかりません。
ディレクト(ショートカット)のリクエストをしたのかもしれませんし、許可されたかもしれません。
少なくとも、座間ポイントから東に向かうことはないと考えますが、仮に横田空域を越えるための上昇旋回中であれば、おかしくありません。