事故調発表の航跡図が信用できない理由

  • 投稿No.461
  • 投稿者:せきたに
  • 投稿日:2022-01-02 12:36:25

 落合証言の中に『56C』の席に戻り、安全姿勢を取る直前、富士山を左下に見ながら通過したということが記されてある。

 (ライフベストの装着を手伝った後)「私は『56C』にもどりました。」

 「安全姿勢をとる直前、私はとなりのKさんに言いました。『緊急着陸して、私がもし動けなかったら、うしろのL5のドアを開けて、お客様をにがしてやってください』と。Kさんは『任せておいてください』と、とても冷静な声で言いました。Kさんと言葉をかわしたのはこれが最後です。」

 「そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。」

 上記の証言の中で

 「窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。」
 「夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。」

とあるところから、この目撃情報は富士山を左手にして雲の上を飛行していた機内からのものであることを意味する。

 事故調発表を元にしたJAL123便飛行航跡図によると、雲の上から富士山を左側に見ることが出来るのは大月上空で360度の右旋回をしていたときだけだが、投稿NO.259で「文系ちゃん」が大月上空ではロール角の関係で無理なことが分析されている。

 大月上空で360度の右旋回中で富士山を左手にするあたりは旋回円の中心に向けてバンクが取られている(機体の右側が旋回円の中心に向けて下がり、機体の左側が旋回円の外側に向けて上がる)はずで、
 投稿NO.259には「その頃はロール激しく水平までは戻らず、40秒の時は右へ48〜21度、50秒の時は42〜18度のロールとなっており、落合様の座高にもよりますがB席相当のC席からでは窓まで1mほどの距離があり、窓の視界的に山頂すら視界に入らないものと判断しました。」とある。

 大月上空よりも後で富士山を左手にするのは18時56分の墜落直前になるが、そのときの機体の高度では富士山を左下に見ることは出来ない。

 事故調発表の航跡図が信用できないと言っている理由は以上の通りだ。