「日航機墜落事故の真実」(その50) ―墜落死した乗客の死因は (自殺か)(事故か)(事件か)? ―
- 投稿No.2194
- 投稿者:8.12連絡会 『日航123便墜落事故調査分科会 会長 遺族 小田周二
- 投稿日:2022-09-29 23:33:01
1. 旅客機の墜落の事故調査の目的は 主な綱目として
(1) 墜落の「真の墜落の事故原因を特定する」こと
(2) 事故原因の再発の危険を 防ぐために 再発防止策などを確実に実行し、(空の安全)の向上を図り、国民の安全を確保すること
(3) 事故調査の担当部部署は (人命を守る警察組織、特捜部)と(墜落の事故原因を特定する航空局、事故調査委員会、運輸安全委員会)である。
即ち 国が調査を実施し、事故原因を特定し 遺族、国民に公開し開示して 国民の命を安全に守る姿勢を示すこと
その業務を 確実に 推進出来るように多額な税金を投入して(警察)(航空局、事故調査委員会)は それどれ、「調査権」と「捜査権」を 付与し、強力な調査、捜査が出来る特権を付与している。
(4) この両者を管轄する国は、総理は 今 遺族、国民に対し、『事故原因の真実の報告書』を公表し、且つ再発防止策の策定、実施と、公表を行う義務と責任がある。
と 決められている。 この説明は 日航機事故の真実(その49)で 詳細に説明した。
即ち
@ 国は、航空局は そして 日航も、調査権、捜査権で強力な捜査、調査で 真実を把握して、おり、それを隠蔽し、(嘘の事故原因:隔壁破壊説)を公表して 遺族、国民を騙して来た。
この事態は 2019年8月に日航赤坂社長による告白:「真実を語るには、国、運輸省の了解が要る」との衝撃的な、推測通りの、想定内の自供である。
@ 我々は、遺族、先輩有識者:角田四郎、池田昌昭、吉原公一郎、アントヌッチ中尉らの飛行調査、救助活動の告白、体験告白者:落合由美氏、町田直:日航副社長、多くの目撃証言などで
真実に、一番近い「仮説」 を導き出したのだ。 且つ 航空局、日航が 小田との面談会議で告白し、自供したのだ。 それが 国、航空局が 一番恐れる事故原因に相当するのだ。
@ 日航123便の乗客、乗員524名は 垂直尾翼、油圧を失ったが 操縦出来、着陸出来たが、自衛隊、国は 「命が助かるハシゴ」を外して、
最後は上野村山岳地帯で、ミサイル攻撃し、全員殺害;真実の口封じを図り、無残な虐殺を敢行した。 これが 真実である。
2.旅客機の墜落を 乗客の立場で 考察、検証する。
国民は 旅客機は早く、安心な乗り物として、今や 年間 8,000万人以上が利用している。彼らには 突然、墜落で死ぬとの想定はない。 墜落死の確率は 殆ど ゼロだからだ。
突然、機体に異常が起きて、操縦不能になり、急降下し、地面に激突して、機体は大破し、乗客らは 損傷大きく、バラバラになり、検視でも 判明しない、分からない遺体も多く出て来る。
*異常が発生し、乗務員から、緊急の安全姿勢の指示が出て、乗客は 安全ベルトで体を固定し、更に安全姿勢を取り、前の座席に 手を当てて、衝撃に 備える。 恐怖で 全身を震えさせる。
まして 乗客らには 声も出なく、神に祈るか 母親の名前を呼ぶか この状態では(遺書)とか (書き置き)を書く時間もない。
そして 地面と激突衝突して 物凄い衝撃で、乗客は 死亡する。
*この時、死亡の原因として、日本の政権は この死亡として 「自殺」「事故」「事件」の3種の原因が 考えられると 説明する。
2.1 先ず、「自殺」の死亡について 考察する。
小田は、多くの国民は この「自殺」は 考えられないが、国、慰霊の園は 日航機墜落では 乗客は「遭難者」との名称を語り、
慰霊式の名称も「遭難者の慰霊式典」との看板を37年間 慰霊の園の入口に看板を掲げて、慰霊儀式を挙行して来た。
これは 「半分は 自殺なのだ。乗客に半分は責任がある」と 言うことの名称と推察出来る。
何度も慰霊の園 黒澤理事長に この「遭難者」との名称は 520名の犠牲者に 侮辱、無礼ではないかと 書簡で問い、名称変更を申し入れたが 未だに 無視して 強行するのだ。
理事長は 「以前から、(遭難者)として 挙行して来た」との屁理屈での返事が来たが これでは 犠牲者への慰霊式典の意味がないのである。
*世界の旅客機の犠牲者慰霊式では、犠牲者を(victim)と呼称し、決して「遭難者」とは 呼ばないのだ。
結論として 乗客が 自ら (自殺)で 自死、死亡することは あり得ない事態であるのだ。
2.2 従って 乗客らは 「事故」 か 「事件」で殺されたと 判断出来 結論出来ることになる。
次は (事故で死亡)だが 殆どの墜落では 多い事故原因である。
それは、機体の故障か、機体の損傷か、計器などの狂いなのか、老化での損壊などが これに 相当する。
*日航機事故では、航空局、国は 「修理ミスの隔壁が破壊」(事故)との事故原因を 結論とした。
然し、この「隔壁破壊説」は 真っ赤な嘘で、自衛隊の加害事件を 機体の故障の「事故」として 処理したい国の思惑は歴然としており、一種の時間稼ぎである。
ただ (国は 調査をした)との実績を 遺族、国民に示しただけの演技であった。
これについて 1990,7 先ず、国、司法が否定し、又この根拠は、奇跡の生還者:落合由美の体験証言であった。
その後、航空局、日航が 嘘だと自供して、この国の「仮説が 嘘だ」と告白している。技術的、論理的にも この「国の事故原因は成立しない」ことは証明されて いる。
詳細は、小田著「許されざる者」「520名の命乞い」を参照されたい。
*掲示板の管理者は、(No.2141)での 解説で、「1990年7月、前橋地検は落合証言を根拠として事故調査報告書の通りの事故原因であったとは考えられないが 不起訴の判断と記述。、
(事故原因はわからないが )
これについて小田著「許されざる者」の前橋地検の説明会での 検事正の告白、説明を見て 熟読してください。
この時点で 国の事故原因は 崩壊しているのだ。 あれから、30年以上も 経過して、「事故調説」のウンウンの解説は 無用、無効であり、国の嘘は 歴然としているからだ。
* 更に、 No.[2149]の冴羽氏 投稿、及び [No.2148] 鷹富士氏の投稿は 同じ論調で、これに 対する回答は 小田の投稿[No.2146]の通りである。
TV映像で、大岡忠輔の「金さん」の裁判場面で、容疑者らが白洲で、一斉に「証拠を見せろ」と 騒ぐが 金さんは 背中の入れ墨を見せて、
加害者らは あっさりと認めるとの筋書きを 思い出すのだ。
日航機墜落事故では、 貴方方の言う(証拠)は 全て 国の手の中にあり、国以外の一般人、遺族、市民は 証拠に接すること、見ることも出来ず、
小田が 貴方方に 請求されても 貴方方が 期待する証拠は 持ち合わせず、無い袖は 振れないのだ。
然し、角田氏、池田氏、吉原氏、藤田氏らの著作、アントヌッチ中尉の告白(1995年)には、航空局の結論の報告書には 書かれていない真実、証拠が記載されている。
状況証拠かも知れないが、これらは 真実の告白であり、遺族、国民、有識者らが、事故後 30年以上の調査の報告から、小田は 掛かる先輩の調査と 更に調査を行い、
ほぼ 真実の「仮説」を導き出したのである。
「仮説」は 検証されて、初めて 真実になる。それも 実施している。
* その上、貴方方は、「自分の事故原因の仮説」を公表、開示せずに、他の投稿者を非難し、中傷し、罵倒している。 悪質、卑劣な野次馬でしかなく、掲示板への投稿の資格がない。
「掲示板」の管理者は これを放置して、何の処置、対応を取らないならば、掲示板は いずれ、崩壊して 誰も 参加しなくなることは 必定である。
具体的な対応をお願いし、きちんとした抹殺宣言を お願いする。
* 具体的な証拠については 小田も (情報公開法)に基づき 航空局に事故資料の開示を要求したが、国は 一切 拒否した。(即ち 国は 自ら定めた法律を 無視している)
この時、航空局は 6件の事故調査関連資料を出すと言ったが、それは 外部、外国への通達、連絡資料で 肝心の事故資料(証拠)ではなかった。
結局、最後には、航空局は 「CVF,DFDRは 国になく、運航会社:日航に返却した」と回答した。
これを根拠に、遺族、吉備氏らが 東京地裁に CVR,DFDRの公開を 日航に請求しており、現在 継続審査中だが、10月には 結論と判断が出るとの予定だ。
@*この件では、日航は 奇怪にも(CVR,DFDRの公開、開示)に 頑強に反対している。
日航は 乗客を安全に目的地まで運ぶことを 至上の理念、目的として 経営している。
日航機事故では、(505人の乗客)と(15名の社員:パイロット 3名,12名のスチュワデス)が墜落死して、掛かる事態は 日航は 国に 520名が 虐殺された被害会社である。
然るに、日航は 事故調査が始まる前に 遺族に 自ら 「日航は加害者だ」と告知して、更に、(事故調査)と(報告書の作成)にも 主体的に 参加し協力し、嘘の報告と告白を行った。
掛かる(嘘の報告書)は 多くの操縦技術の経験、知識が無ければ 捏造し編集出来ない代物であり、日航の副社長、(元運輸省事務次官)町田直らの捏造の力作であると推測出来る。
更に、遺族には 「乗客は 遭難者」と命名し、且つ 慰霊の園は 国、日航の言いなりの「傀儡の慰霊の園」であり、且つ 日航は(慰霊の園)を牛耳っている。
更に「隔壁破壊説」が 否定されても 日航は 30年以上も 慰霊式典で国の「隔壁破壊説」を 主張し、説明し 遺族に間違った事態を 洗脳し続けて来た。
且つ 日航の「安全啓発センター」と「慰霊の園の管理棟」で嘘の事故原因を 見学者に宣伝し 洗脳している。呆れた所業で、運航会社の資格がない。
*更に 事故後 49日忌には 遺族に 「補償金」を支払うと文書を出し、実際に「補償交渉」を行い、嘘の事故原因を遺族に強引に押付けて、
遺族の 90%が 応じて妥結し、それ以降、遺族の『事故原因』への関心を 少なくしている。遺族が 事故原因に 無関心に陥った理由、原因であった!!
注)この手法は 赤木雅子氏の国への訴訟で、夫 ;俊夫氏の 自殺の真相を求めた粗放で、国は 真実を開示せず、多額の金を支払い、裁判を 終わらせた。
所謂 「認諾」の手法で 真実を 明らかにせずに、税金で 遺族、犠牲者の 面を 張ったのである。卑劣である。
遺族は 洗脳されて、殆どの遺族は 国の(嘘の事故原因)を信じているようだ。
そして、日航は 東京地裁での裁判で (事故原因)の根拠の(CVR,DFDRの原本)の公表、開示には 国側に立って、反対し、開示、公表を妨げて 真実の扉を塞いでいるのだ。
この一連の言動は 遺族、国民が 事故の真実を知ることを 妨害しているのだ。
*更に 2019年8月12日には 遺族:Susanne(英国) と小田に対し 多くの犠牲者の墓碑の前(スゲノ沢)で 赤坂社長は 「真実を語るには 国と運輸省の許可は必要だ」と自供し、
「国が 事故の真実を知っており、隠している」ことを 告白した。
*貴方方 三者も 真実の「仮説」の裏付けに 自ら 事故の(証拠)を国に求めて、犠牲者の無念を晴らすことを、真実を明らかにするべく 実施し 行動されたら 如何ですか。
そんな努力もせずに 他の真摯な投稿者を 非難し中傷し、ただ「証拠を出せ」とは 江戸時代の裁判所での白洲での加害者と 同じ戯言を 繰り返す愚は お止めになったら どうですか。
貴方方は 所謂「国、日航、航空局の刺客」ですよね。 いかほど金を貰っているのか 告白し自供しませんか。
小田の(掲示板)の投稿、全 49編を良く読んで、 思考停止を 解除されたら、如何ですか。
掛かる卑劣な投稿は、真摯な投稿者への避難、中傷、侮辱から、彼らの正体がバレてきました。
@ 乗客が 殺されたのは、(事故)でなく、「事件」だと 導かれるのだ。
即ち 第三者として 逃げた:自衛隊、中曽根総理が 日航機を、ミサイルで、攻撃し墜落させたのだ。
*このような経緯は 日航も、国から、隠蔽の協力を要請され、強力に賛同し実行していることから、日航機墜落事故は 単なる「事故」でなく、国が関与した事件であることが 導かれる。
垂直尾翼、油圧装置が破壊されても、日航事故機は、新規操縦技術の開発で 30分以上も 正常に飛行出来、横田基地に着陸を申請し、横田は許可しているが、
何故 着陸を敢行しなかったのか(その理由は 不明であるが)、追尾した自衛隊戦闘機からの禁止通告、命令で 高濱機長が 断念せざるを得なかったことと推察出来る。
この事件は CVRの会話記録から 明確になった。貴方方の意見を聞きたい!!
Re.(22) 墜落状況に関する情報
- 投稿No.2192 元投稿No.2179 文系ちゃんさんへの返信
- 投稿者:文系ちゃん
- 投稿日:2022-09-29 18:25:58
Re.(22) 墜落状況に関する情報
- 投稿No.2191 元投稿No.2179 文系ちゃんさんへの返信
- 投稿者:文系ちゃん
- 投稿日:2022-09-29 17:31:16
鷹富士さまへ
書き込みしようとしていたところ、先に鷹富士さまよりNo.2190の投稿がありました。下記の文章はその内容を反映していないものとなりますが、一旦書かせて頂きます。ご了承下さい。
>エルロンの件ですが、
>投稿No.2179の「464871」の図によると、油圧が失われると、エルロンを作動させる油圧アクチュエーターの油圧も失われるのですから、補助翼はブラブラになると思います。
その油圧アクチュエータですが、タンデムタイプ、複動式と呼ばれるものかと思われます。シリンダー内のピストンの両サイドに作動油が入る部屋があり、片側は油が流入、逆側は油が排出されることでピストンが移動しロッドが動きます。
操縦輪の操作がなければシリンダーへの油路の切替バルブは閉じられた状態になります。シリンダー左右の部屋の作動油はバルブが閉じられているために流入/排出はおこりません。結果ロッドは動きませんのでエルロンがブラブラと動くようなことはありません。
これは油圧が正常であっても、およそゼロまで低下しても変わりません。輪の操作により油路が形成されている間だけ輪を回している方向にのみロッドは動くことができますが、逆の向きへは逆止弁があるために動きません。(図A)
>投稿No.2131の「839930」の図の最下部に「position transmitter 4 pieces」とあるのが、補助翼の位置をどこかへ伝達する素子で、これがDFDRのCWPとして記録されていると思われます。
CWPは (機体中央にある)AILERON QUADRANTに装着したトランスミッタのシンクロ信号をFDAUに入力し、デジタル信号にて記録する。 と報告書に記載がありますので、補助翼のところにあるトランスミッタの信号がCWPとして記録されるというのは違うのではないかと思います。
>正常状態なら操舵輪と補助翼は機械システムおよび油圧システムを介してつながっていますから、CWP≒操舵輪の位置ですが、油圧が切れるとCWPは補助翼の位置を示すことになります。
油圧の有無に関わらずリンケージアッセンブリーと称されるリンク機構で輪とエルロン舵面との縁は繋がっているものと思われます。正常時油圧失って後も大筋では CWP≒操舵輪の位置≒補助翼の位置 と考えていいように思います。(図B)
ただ、詳細をみますと輪の位置と補助翼の位置関係はタンデムバルブの作動の仕組み上、若干乖離が生じます。それも油圧正常時に通常運行程度の操作であれば無視できる程度のものかと思います。以前の考察では油圧がなくなって後の輪のアソビ的に回る範囲(補助翼位置との乖離)は片側で8度(+-2度)くらいではないかとの見立てをしております。
エルロン関連 以上になります。
<エルロンアクチュエータ資料>
http://imepic.jp/20220929/625450
Re.(5) 小田周二さんの仮説と尾宮次夫さんの仮説の相違点
- 投稿No.2189 元投稿No.2188 せきたにさんへの返信
- 投稿者:無名
- 投稿日:2022-09-29 15:26:51
ばんだい号のYS11と123便の747の機体重量ご存知ですか?
乗客貨物を含めれば、約20倍です。
ばんだい号には、記録装置が搭載されていませんので、墜落時の速度や姿勢は不明ですが、747型機墜落時のエネルギーとは比較になりません。
遺体の損壊状態からミサイル説を匂わせ検証するのは本当にナンセンスです。
Re.(4) 小田周二さんの仮説と尾宮次夫さんの仮説の相違点
- 投稿No.2188 元投稿No.2177 文系ちゃんさんへの返信
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2022-09-29 13:00:10
> せきたにさまへ
> 川上村から左旋回で三国山を越えて後、から松付近から墜落へ といった局面となりますと、自分は詳しくないのですが、ご紹介頂きました情報等から、以下の可能性が思いつきます。
> 1.三国山を過ぎて後、第4エンジンより出火(警報音1秒未満)し爆発、大きく右翼を下げる姿勢でから松へ
> 2.ミサイルが第4エンジンにヒットしエンジンを脱落させ、大きく右翼を下げる姿勢でから松へ
> 3.ミサイルが機体前方~中央あたりに打ち込まれ正常な飛行が維持できなくなり墜落
> 2と3は同時に発生していた可能性もあるかもしれません。
> また、墜落の状況としましては、から松の先端は右翼先端によるものではなく、落下部品によるものですとか、第一接地点がU字溝ではなく手前のO字穴である可能性というのも考えてみる必要はあるように思います。
> 何にしましても突拍子のない話とも感じるところもあるのですが、ピカッと光って空が真っ赤に染まり墜落地点とは別の場所でキノコ雲 となりますと、それ相応の事態は発生しないとそうならないはずですので、常識ではたどり着かないところに真相があるように思われます。
文系ちゃんへ
墜落直前に起きた事象に関しては、同種の墜落事故遺体等との状態を比較することや、生存者の証言、あるいは目撃者情報などを総合的に考えてみることによって浮かび上がってくるものがある。
まず、同種の墜落事故遺体等との状態の比較に関しては以下のような考察がある。
『空白の14時間』(池田昌昭 著)141ページ
JAL123便のように、山に激突するように墜落したのと、かなり類推線上にあるのが、昭和46年7月3日に起きた東亜国内航空YS-11「ばんだい」号墜落事故である。「ばんだい」号は、標高701メートルの函館空港付近の烏帽子山山腹に激突した。このときの激突の様子を当時の新聞記事から見ると、JAL123便墜落事故と非常に似ていることが分かる。というのは両方とも、機首から山に激突していて、森林に遺体や機体が散乱した点である。そのことは、次に掲げる新聞記事でも明らかであるが、「ばんだい」号墜落事故と、JAL123便墜落事故が決定的に違う点は、遺体と機体の破壊状況である。似ているのは、両方とも山への突っ込みかたであるが、結果として、JAL123便墜落事故の場合、乗客と機体とは完全粉砕された。
JAL123便とかなり似ている「ばんだい」号が山に激突した様子を見てみよう(『朝日新聞』1971年7月5日朝刊)。
「烏帽子山の現場は白カバや原始林がなぎ倒されていた。ジェット燃料のにおいがいっぱいにたちこめている。数十メートル以上も機体が突っ走った跡があり、機体の散らばっているところでは、直径約百メートルにわたり、丸く木がなぎ倒されていた。猛烈なダイビングを物語っている。
散乱したジェラルミンの破片に[七月]三日の悪天候がウソのように、月が輝いている。機体は完全に四散し、残っているのはエンジン、プロペラの一部らしいもの、それに『東亜国内航空』と書かれた尾翼部分だけだ。
遺体は太い白カバの木の下敷きになったり、木にひっかかったりしている。足や胴がバラバラになったものがほとんど。むごいというよりほかに、表現のしようがない。
木にひっかかった遺体はわかったものだけでも三体。レンジャーの話では数体あるという。いずれも十メートル以上の高さで、一体は洋服のえり首を枝に、二体は重なってくの字形になりひっかかっていた。その下の地面には首のない死体がひとつ。胴体部分とエンジン部分は約四十メートル離れたところに落ちていた。
エンジンの落ちたところは、クマザサが一面に黒こげになっていた。『ばんだい』の胴体は、ねじれ、ぐしゃぐしゃにつぶれている。窓ガラスもこなごなにくだけ、中にはおみやげの包みが見えた。
夜がふけた現場周辺には、ジェット燃料のにおいと不気味な異臭がまじりあって立ちこめていた」。
(JAL123便の遺体に戻る)
ここで、座席別に、遺体が確認されていない乗客の方を見てみよう。遺体が確認できないということは、文字通り身体が粉砕され、歯型も指紋も、着衣も、所持品も搭乗券もなにもかも手掛かりがない乗客の方なのである。このように遺体確認の方法がない乗客の方が、55名もいたのである。
以下は同著『空白の14時間』(池田昌昭 著)67ページ
次に、機体前部(一番目のドアから二番目のドアまで)の乗客の身元確認の決め手を、『読売新聞』昭和60年8月24日付夕刊で見てみよう。
この機体前部乗客の身元確認方法から分かることは、次のことである。
(1) 機体後部乗客に比較して、身元確認の手段がない乗客が16名もいるということである。身元確認ができないということは、歯も、着衣も、指紋も、身体もすべて粉砕されてしまったということなのである。しかし一体、そういうことが現実に起こり得るのだろうか。
(2) 第二に、かりに身元が確認されたとしても、歯型や指紋や着衣が圧倒的に多く、顔というのが少ないのである。
これは何を意味するのか。つまり、全身粉砕され、辛うじて歯型、指紋で身元が判明したということなのである。
とすれば、機体前部にたいして、余りにも機体後部とは違った外力がかかったと、推測してもおかしくはない。
しかもその外力はあきらかに、機体後部の墜落時のクラッシュとは違った性質のものであると言える。
何か別の破壊的な物理的な外力が加わったからこそ、無残にも乗客も機体も粉砕されてしまったと思われるのである。
(長くなるので生存者証言や目撃者情報からの考察は次の投稿文で記載)
Re.(4) 無人標的機
- 投稿No.2187 元投稿No.2186 冴羽さんへの返信
- 投稿者:舘野洋一郎
- 投稿日:2022-09-29 07:39:58
詳細なる調査結果を頂き有難うございました。
> > 有難うございました。「岩村昭良」をウィキペディアで確認しました。
> > > > 3.「自衛隊の百里基地の司令官(イナヨシ?)が旧戦友に「自衛隊標的機の日航機への衝突した」「えらいことをした。標的機を民間機123便に当ててしまった。直ぐに百里基地の戦闘偵察機2基を追尾させたところだ」を告白」
> > > > =>このことを証言する証人が実在するのでしょうか。
> > > 1985年8月時点での「百里基地」司令は「岩村昭良」氏で、在任期間は「1984.3.2 - 1986.4.1」までですね。Wikipediaでも第七航空団のサイト見ても「イナヨシ?」なる人物は存在しませんね
> そして、すべての航空団にてそのような方が存在したか調べてみたんですよね
> 第一航空団(静岡県・浜松)鈴木龍生 1984.3.2~1986.12.4
> 第二航空団(北海道・千歳)尾坪祐三 1984.7.16 - 1986.3.16
> 第三航空団(青森県・三沢)政狩圭亮 1984.11.1 - 1986.6.16
> 第四航空団(宮城県・東松島)阿部博男 1984.6.6 - 1986.3.16
> 第五航空団(宮崎県・新田原)友田 勲 1984.12.17 - 1986.12.4
> 第六航空団(石川県・小松)杉山蕃 1985.7.1 - 1987.7.6
> 第七航空団(茨城県・小美玉)岩村昭良 1984.3.2 - 1986.4.1
> 第八航空団(福岡県・築上)長谷川孝一 1984.6.6日 - 1986.3.16
> 第九航空団(沖縄県・那覇)武石榮三 1985.7.1 - 1987.7.6
> 以上、ざっと調べた所、当該人物はいませんね
> しかも、百里基地の第501飛行隊は、戦闘部隊などではなく「航空偵察部隊」なので偵察機しかないんですよ。F15( 新田原基地の第5航空団第204飛行隊(F-15J)が百里基地に移動し、これを隷下に編入)はありますけど
Re.(3) 無人標的機
- 投稿No.2186 元投稿No.2182 舘野洋一郎さんへの返信
- 投稿者:冴羽
- 投稿日:2022-09-28 23:06:32
> 有難うございました。「岩村昭良」をウィキペディアで確認しました。
> > > 3.「自衛隊の百里基地の司令官(イナヨシ?)が旧戦友に「自衛隊標的機の日航機への衝突した」「えらいことをした。標的機を民間機123便に当ててしまった。直ぐに百里基地の戦闘偵察機2基を追尾させたところだ」を告白」
> > > =>このことを証言する証人が実在するのでしょうか。
> > 1985年8月時点での「百里基地」司令は「岩村昭良」氏で、在任期間は「1984.3.2 - 1986.4.1」までですね。Wikipediaでも第七航空団のサイト見ても「イナヨシ?」なる人物は存在しませんね
そして、すべての航空団にてそのような方が存在したか調べてみたんですよね
第一航空団(静岡県・浜松)鈴木龍生 1984.3.2~1986.12.4
第二航空団(北海道・千歳)尾坪祐三 1984.7.16 - 1986.3.16
第三航空団(青森県・三沢)政狩圭亮 1984.11.1 - 1986.6.16
第四航空団(宮城県・東松島)阿部博男 1984.6.6 - 1986.3.16
第五航空団(宮崎県・新田原)友田 勲 1984.12.17 - 1986.12.4
第六航空団(石川県・小松)杉山蕃 1985.7.1 - 1987.7.6
第七航空団(茨城県・小美玉)岩村昭良 1984.3.2 - 1986.4.1
第八航空団(福岡県・築上)長谷川孝一 1984.6.6日 - 1986.3.16
第九航空団(沖縄県・那覇)武石榮三 1985.7.1 - 1987.7.6
以上、ざっと調べた所、当該人物はいませんね
しかも、百里基地の第501飛行隊は、戦闘部隊などではなく「航空偵察部隊」なので偵察機しかないんですよ。F15( 新田原基地の第5航空団第204飛行隊(F-15J)が百里基地に移動し、これを隷下に編入)はありますけど
Re.(22) 墜落状況に関する情報
- 投稿No.2185 元投稿No.2179 文系ちゃんさんへの返信
- 投稿者:文系ちゃん
- 投稿日:2022-09-28 17:42:09
鷹富士さまへ
>私の算定では、大月上空の旋回以降は、No.2025に記したように事故調の経路略図とはかなり違っていますが、
>富士山西麓での経路自体は、河津町の目撃情報を経て算定をやり替えた後も、私の算定と事故調の経路略図とに大きな違いはありません。
>落下位置は、風の影響や機体から離脱時の慣性で、経路から多少はずれると思います。むしろ、事故調の図にあるような「ピタリ」ということこそありえません。
添付の図はわくてか ちゃんねる様の動画、確かTBSの検証番組だったと記憶しておりますが、それでのDFDRによる航跡と事故調航跡図との比較です。
人穴で6kmほど北にずれた航跡となるようです。
落下物はジュラルミン系の素材でしょうか? 落下には30秒もはかからないとは思いますが、風やら慣性やら考慮しまして毎秒30mずつ横にずれながら落ちたとしても機体から部品が外れた位置は落下地点と1kmも違うということはないように思います。
報告書には人穴荻平で落下物が発見されたとあります。ですので、松崎町の宝蔵院北の事例同様その付近を飛行していないとおかしいと思います。
一体どういうことなのかとなりますが、DFDRの解析に間違いがなくDFDR(のデータ)自体が絶対であるならば人穴の落下物は偽装工作である可能性、
また、落下物の位置が絶対で間違いのないものであるならばDFDRの解析間違い、あるいはDFDRの改竄の可能性 といったことが考えられるように思います。
<検証番組DFDR航跡>
http://imepic.jp/20220928/634550
(エルロン関連はまた機会を改めて書き込みさせて頂きます)
Re. 小田周二様の仮説を支持します
- 投稿No.2184 元投稿No.2152 尾宮次夫さんへの返信
- 投稿者:舘野洋一郎
- 投稿日:2022-09-28 14:12:53
尾宮さん、
下の中曽根首相の当時の事情はよく分かりました。
しかしこういう議論が出来るのは、日航123便が無人標的機に衝突したことが前提になっているわけですが、
尾宮さんはどのような根拠で衝突したと考えるようになったのでしょうか。
この掲示板にそれを示唆するような、尾宮さんの投稿があるのではないかと思って検索してみましたが見つかったのは下の2つだけです。
「全容をお知りになりたい方は、小田周二氏や青山透子氏などの著作をお読みください。」
「「無人標的機衝突説」についても、批判・反論が山ほどあることは承知しています。しかし、この事件の全容をつぶさに知ると、「無人標的機衝突説」が仮説として最も整合性が高いと思います。」
どの目撃者のどの証言、あるいはどのような物理的な記録から、衝突したと判断したのでしょうか。
この本に書いてある、あの本に書いてあるではなく、その書いてあるどの部分に納得したのでしょうか説明いただければ幸いです。
> 日航123便(以後「事故機」)墜落の「事故」は事故ではなく「事件」です。事件ですから犯人がいます。犯人は日本政府であり、アメリカ政府です。両者がタッグを組んで事件を隠蔽したのです。
> 小田様の主張される仮説には、2つのポイントがあります。1つは、尾翼及び尾部胴体(APU)の破壊脱落した事故機が、「アンコントローラブル」と管制に報告しながら、その後32分間も飛び続け羽田に戻ろうとしたこと。その卓越した飛行技術と英雄的行為に世界民間航空協会から高濱機長以下に、最高栄誉賞であるポラリス賞が贈られています。2つは、事故機はミサイルで撃墜されたこと。これが墜落の真の原因です。
> このことを信じられないと思う人は多いでしょう。しかし、その証拠はたくさんあります。事故機墜落時の乗員(落合由美さん)の手記、墜落現場の機体の散乱状況、遺体の状況、拾得されたミサイルの破片、墜落時の目撃情報、とりわけ当時の日航副社長 町田 直氏の「北朝鮮のミサイルで撃墜された」発言です。
> 当時、冷戦の最中とはいいながら、北朝鮮からミサイルが日本の心臓部に飛んで来る国際情勢ではありませんし、そんな技術もありません。また、北朝鮮の戦闘機が日本の領空や横田空域に侵入する必然性はありません。遺族に詰め寄られた町田氏が、まったく苦し紛れのウソを言ったのでしょうか。ウソの部分は「北朝鮮」だけでしょう。
> では、「ミサイルで撃墜せよ」と命令した人は誰でしょう。小田様は「中曾根首相」であると断定されていますが、わたしはアメリカ軍横田基地司令官であると思います。理由は2つあります。1つは、中曾根首相には撃墜を命令する判断材料も時間もなかったこと。2つは、事故機が羽田に戻るときに横田空域を飛行していたこと。この空域は日本の領空ではなく、アメリカの領空ですから、自衛隊最高指揮官の首相でも「撃墜命令」は出せなかったはずです。
> ただ、中曾根首相には1971年に起きた雫石事故のトラウマがありましたし、当時国会では防衛費1%を巡る野党とのバトルがありましたから、自衛隊(無人標的機)と民間航空機(事故機)との関わる事故は、絶対に一般国民に知られたくなかったはずです。中曾根首相に事故(この時点では、まだ「事故」)の第一報が入ったのは、軽井沢から帰京中の特急「あさま」車中で、時刻はおそらく18時40分頃だろうと思います。この時刻は事故機が大月上空に差し掛かる頃です。この日は、官公庁は夏休み(お盆休み)で、しかも退庁時間を過ぎていましたから、事故発生の報告が遅れたと推察できます。スムーズに中曽根首相にはとどかなかったはずです。
> 第一報が入った、その時点で「まずい」と思い、隠したいと思っても、いきなり撃墜命令を出すまでの判断は出来ません。500人以上の無辜の人たちが乗っているのです。中曾根首相にも仏心はあったでしょうし、細かな状況説明が車中では聞き取りにくかったはずです。判断材料が十分でないのに撃墜命令を出せるわけがありません。防衛長官との車中電話のやり取りのなかで、とにかく事故を隠したいという気持ちが強く出たことはあったでしょう。もし、中曾根首相に悪魔が乗り移っていて「撃墜せよ」とささやいても、それを判断する時間は10分くらいです。判断材料に乏しく、短時間で独断決済しなければならない首相の胸中は苦しかったはずです。次々に新たな報告がもたらされます。それらの報告を聞きながらの最終判断です。その結果が「撃墜せよ」でしょうか。
> わたしの仮説は「撃墜せよ」ではなく、「何とか隠せないか」ではなかったか、と思います。首相の胸中を察した防衛庁長官以下幹部職員は、その方向で動いたと思います。だから事故機が横田基地不時着の可能性を知ったとき、不時着させないよう横田基地に懇願したのではないでしょうか。横田基地は日本側の動きを細大漏らさず傍受していたはずです。日本側の意図を知った横田基地(アメリカ軍)が、自由に行動できる横田空域を活用して撃墜命令を出したということです。
> わたしの結論は、(1)撃墜命令を出したのは、横田基地司令官(アメリカ軍)であり、中曾根首相ではないこと、(2)ミサイル攻撃の事実を隠すため墜落現場をメディアの目からそらしたこと(アメリカ軍には1952年に「もくせい号遭難」事件の前科がある) 以上
>
>
>
Re.(2) 無人標的機
- 投稿No.2183 元投稿No.2170 舘野洋一郎さんへの返信
- 投稿者:舘野洋一郎
- 投稿日:2022-09-28 06:45:05
詳細に渡る説明、有難うございました。人の証言というのは言葉の一句一句を検証しないと、有効な証拠にはなりませんね。
> 小田氏の主張の多くは、根拠の乏しい推測を積み重ねて、それを正しいと思いつめているのですが、
> 今回まとめられた6項目についても同様であり、ご指摘の感想には私も概ね同意します。
> 無人標的機が日航機に衝突したという説は、私の知る範囲では、「吉原公一郎著=ジャンボ墜落、1985年11月発行」が始まりです。
> その概要は、投稿No.1946の冒頭に紹介しましたので、お読みください。
> 吉原氏は、いくつかの根拠を示した上で、「無人標的機が衝突した可能性がある」と述べているもので、断定しているのではありません。
> 以下、私が把握している範囲で補足します。
> 3、小田氏の著作には、司令官と戦友の実名が漢字で載っているのですが、当人および関係者に取材した形跡がありません。信用性が疑われます。
> 4、河津町のタクシー運転手の目撃情報は、「角田四郎著=疑惑」に詳しいのですが、「ボーン」という雷のような音を聞いて上空を見上げたら、日航機が飛んでくるのが見えた、というもので、衝突の瞬間を見たのではなく、標的機もありません。距離にして10数キロ先の上空で異常が起き、音が聞こえてから見上げています。これを小田氏は曲解しています。
> 5、相模湾の海底調査は、事故調報告書「本文」ページ157に調査した区域が図示されています。残骸が引き上げられていないのは確かですが調査していないのではありません。ただし、この海底調査は、事故調報告書が正式発表される一年前に草案を基にして学者・関係者を集めた聴聞会を開き、海底調査が行われていないことを批判され、急遽実施したものです。
> これに関連しては、投稿No.2076も併せてご覧ください。
> 6、藤枝市(焼津市の西隣)の目撃証言は、青山氏の著作からの転用ですが、作り話と思います。(理由を述べると長くなるので省略します。)