Re. 小田周二様の仮説を支持します

  • 投稿No.2184 元投稿No.2152 さんへの返信
  • 投稿者:舘野洋一郎
  • 投稿日:2022-09-28 14:12:53

尾宮さん、
下の中曽根首相の当時の事情はよく分かりました。
しかしこういう議論が出来るのは、日航123便が無人標的機に衝突したことが前提になっているわけですが、
尾宮さんはどのような根拠で衝突したと考えるようになったのでしょうか。
この掲示板にそれを示唆するような、尾宮さんの投稿があるのではないかと思って検索してみましたが見つかったのは下の2つだけです。
「全容をお知りになりたい方は、小田周二氏や青山透子氏などの著作をお読みください。」
「「無人標的機衝突説」についても、批判・反論が山ほどあることは承知しています。しかし、この事件の全容をつぶさに知ると、「無人標的機衝突説」が仮説として最も整合性が高いと思います。」
どの目撃者のどの証言、あるいはどのような物理的な記録から、衝突したと判断したのでしょうか。
この本に書いてある、あの本に書いてあるではなく、その書いてあるどの部分に納得したのでしょうか説明いただければ幸いです。

>  日航123便(以後「事故機」)墜落の「事故」は事故ではなく「事件」です。事件ですから犯人がいます。犯人は日本政府であり、アメリカ政府です。両者がタッグを組んで事件を隠蔽したのです。

>  小田様の主張される仮説には、2つのポイントがあります。1つは、尾翼及び尾部胴体(APU)の破壊脱落した事故機が、「アンコントローラブル」と管制に報告しながら、その後32分間も飛び続け羽田に戻ろうとしたこと。その卓越した飛行技術と英雄的行為に世界民間航空協会から高濱機長以下に、最高栄誉賞であるポラリス賞が贈られています。2つは、事故機はミサイルで撃墜されたこと。これが墜落の真の原因です。

>  このことを信じられないと思う人は多いでしょう。しかし、その証拠はたくさんあります。事故機墜落時の乗員(落合由美さん)の手記、墜落現場の機体の散乱状況、遺体の状況、拾得されたミサイルの破片、墜落時の目撃情報、とりわけ当時の日航副社長 町田 直氏の「北朝鮮のミサイルで撃墜された」発言です。

>  当時、冷戦の最中とはいいながら、北朝鮮からミサイルが日本の心臓部に飛んで来る国際情勢ではありませんし、そんな技術もありません。また、北朝鮮の戦闘機が日本の領空や横田空域に侵入する必然性はありません。遺族に詰め寄られた町田氏が、まったく苦し紛れのウソを言ったのでしょうか。ウソの部分は「北朝鮮」だけでしょう。

>  では、「ミサイルで撃墜せよ」と命令した人は誰でしょう。小田様は「中曾根首相」であると断定されていますが、わたしはアメリカ軍横田基地司令官であると思います。理由は2つあります。1つは、中曾根首相には撃墜を命令する判断材料も時間もなかったこと。2つは、事故機が羽田に戻るときに横田空域を飛行していたこと。この空域は日本の領空ではなく、アメリカの領空ですから、自衛隊最高指揮官の首相でも「撃墜命令」は出せなかったはずです。

>  ただ、中曾根首相には1971年に起きた雫石事故のトラウマがありましたし、当時国会では防衛費1%を巡る野党とのバトルがありましたから、自衛隊(無人標的機)と民間航空機(事故機)との関わる事故は、絶対に一般国民に知られたくなかったはずです。中曾根首相に事故(この時点では、まだ「事故」)の第一報が入ったのは、軽井沢から帰京中の特急「あさま」車中で、時刻はおそらく18時40分頃だろうと思います。この時刻は事故機が大月上空に差し掛かる頃です。この日は、官公庁は夏休み(お盆休み)で、しかも退庁時間を過ぎていましたから、事故発生の報告が遅れたと推察できます。スムーズに中曽根首相にはとどかなかったはずです。

>  第一報が入った、その時点で「まずい」と思い、隠したいと思っても、いきなり撃墜命令を出すまでの判断は出来ません。500人以上の無辜の人たちが乗っているのです。中曾根首相にも仏心はあったでしょうし、細かな状況説明が車中では聞き取りにくかったはずです。判断材料が十分でないのに撃墜命令を出せるわけがありません。防衛長官との車中電話のやり取りのなかで、とにかく事故を隠したいという気持ちが強く出たことはあったでしょう。もし、中曾根首相に悪魔が乗り移っていて「撃墜せよ」とささやいても、それを判断する時間は10分くらいです。判断材料に乏しく、短時間で独断決済しなければならない首相の胸中は苦しかったはずです。次々に新たな報告がもたらされます。それらの報告を聞きながらの最終判断です。その結果が「撃墜せよ」でしょうか。

>  わたしの仮説は「撃墜せよ」ではなく、「何とか隠せないか」ではなかったか、と思います。首相の胸中を察した防衛庁長官以下幹部職員は、その方向で動いたと思います。だから事故機が横田基地不時着の可能性を知ったとき、不時着させないよう横田基地に懇願したのではないでしょうか。横田基地は日本側の動きを細大漏らさず傍受していたはずです。日本側の意図を知った横田基地(アメリカ軍)が、自由に行動できる横田空域を活用して撃墜命令を出したということです。

>  わたしの結論は、(1)撃墜命令を出したのは、横田基地司令官(アメリカ軍)であり、中曾根首相ではないこと、(2)ミサイル攻撃の事実を隠すため墜落現場をメディアの目からそらしたこと(アメリカ軍には1952年に「もくせい号遭難」事件の前科がある)                                                   以上

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