青山さんの本に出てくる証言の謎?
- 投稿No.20
- 投稿者:憂国人
- 投稿日:2021-05-10 19:35:29
せきたにさんもこれまでに書かれて来たようにJAL123便は伊豆半島を横断したとしても焼津や藤枝市には到達せず
北上し富士山の東側を飛行したことは明らかです。
焼津や藤枝市では超低空で飛行して目撃されたと青山さんの本に書かれています。
機体の腹の部分に赤い物体が付着したように見えたというオマケつきです。
落合さんの証言を詳細に読んで見ますと異変が起こってから富士山が左の窓の下に見えた場所まで機体が降下したような
証言は有りません。 降下は無かったと証言しています。
青山さんの本に登場する目撃証言が正しければ異変が起きた時点の高度(7000m以上)から機体の様子まで判る
藤枝市上空の高度(約500m以下か)まで降下しなければなりません。
落合さんが嘘の証言をしたとは思えませんので、この目撃証言は青山さんの本の信憑性を貶めれる目的の偽情報だと
私は考えます。 証言が正しいとするならば123便と違う航空機がこの付近を低空飛行していたと考えるのが妥当でしょう。
皆さんはどの本にも飛行航路は富士山の西側となっているのではないかと訝しがられると思います。
そうです、事故調査委員会はこのような航路を何故世間に公表したのでしょうか?
私にはこの謎が解けていません。
もう一度 「再調査」活動
- 投稿No.19
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-05-08 15:35:31
御巣鷹山の悲劇に関しては事故当時中学1年生であった次男と高校1年生であった長女の2人の子供さん
を亡くされた犠牲者遺族の 小田周二さん や
事故で多くの仲間を亡くされた元日航客室乗務員の 青山透子さん らが中心となって
「再調査」を求める活動が継続されていて、裁判も始まり、その影響で新たな証言も次々と出てきている
ということらしい。
最近入手した下記サイトはその人たちによる「再調査」活動について、
2021年3月1日付で編集された動画だという。
※投稿No.5で紹介した際にはアドレスをクリックすることによって動画のサイトを開くことが出来る
リンク設定が出来ていなかったので、改めて紹介しておきたい。
墜落するまでのプロセスで二回の急降下があった
- 投稿No.18
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-05-06 20:44:55
墜落直前の急降下はまっさかさまの急降下であったことが落合由美さんの手記から知ることが出来る。
安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺さぶられるのを感じました。
船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。
しかし、上下の振動はありませんでした。
前の席のほうで、いくつくらいかはっきりしませんが女の子が「キャーッ」と叫ぶのが聞こえました。
聞こえたのは、それだけです。
そして、すぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。
髪の毛が逆立つくらいの感じです。頭の両わきの髪がうしろにひっぱられるような感じ。
ほんとうはそんなふうにはなっていないのでしょうが、そうなっていると感じるほどでした。
(『墜落の夏』(吉岡忍 著)から落合由美さんの手記の部分を引用)
ところが、事故機は墜落直前ではないところでも急降下していた箇所があったことが
犠牲者の遺書によって知ることが出来る。
『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎 著)
河口博次さん(52歳)会社員 の遺書から
102ページ〜103ページ
今6時半だ
飛行機はまわりながら
急速に降下中だ
本当に今迄は
幸せな人生だった と感謝している
上記河口博次さんの遺書は
同書104ページに掲載の村上良平さん(43歳)会社員
の以下の箇所とぴったりと符号する。
18・30 急に降下中
そして、このときの急降下が墜落直前の急降下でなかったことは、同じ村上良平さんが
18・45 機体は水平で安定して
と記されていることからわかる。
以上のことから、墜落直前の急降下とは別に
18時30分頃からはじまって、18時45分には
安定した水平飛行におさまっていた急降下があったことが知られる。
恐い
恐い
恐い
助けて
気持ちが悪い
死にたくない
まり子
(白井まり子さん)客室乗務員 当時26歳
客室乗務員の遺書は墜落直前の急降下のときに記されたのものであったのか、
それとも18時30分からはじまった急降下のときに記されたものだろうか?
手記の途中、何も記されていない不可解な空白時間
- 投稿No.17
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-05-04 20:26:56
『墜落の夏』(吉岡 忍 著)には生存者、落合由美さんの手記が掲載されているが、
なぜか途中に何も記されていない長い空白の時間が存在する。
(手記Aの部分)
そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。
このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。
夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、
すうっと後方に移動していきます。
富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。
(手記Bの部分)
安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺さぶられるのを感じました。
船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。
しかし、上下の振動はありませんでした。
前の席のほうで、いくつくらいかはっきりしませんが女の子が「キャーッ」と叫ぶのが聞こえました。
聞こえたのは、それだけです。
そして、すぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。
髪の毛が逆立つくらいの感じです。
頭の両わきの髪がうしろにひっぱられるような感じ。ほんとうはそんなふうにはなって
いないのでしょうが、そうなっていると感じるほどでした。
(引用は以上)
(手記Bの部分)は(手記Aの部分)のすぐ後に記されているので、はじめて手記を読むと、
安全姿勢を取った後、すぐにまっさかさまに急降下がはじまって、そのまま墜落したようにも感じてしまう。
ところが、落合由美さんが安全姿勢を取られたのは富士山を左手に見られたときであり、墜落直前の急降下が
はじまったのは御巣鷹山のすぐ手前の三国山上空であった。
落合由美さんが安全姿勢を取られたのが18時30分頃であったとすると、墜落直前の急降下がはじまる18時56分頃
まで(手記Aの部分から手記Bの部分まで)の約26分間に渡って何も記されていないのは不可解だ。
富士山の東側を通過
- 投稿No.16
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-05-03 08:52:29
『墜落の夏』(吉岡 忍 著)の中で、落合由美さんの手記が記されている。
私は「56C」にもどりました。
そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。
このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。
夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。
左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。
富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。
※落合由美さんの上の描写によって、日航機が相模湾上空において異変発生後、大月上空に向かうまでのプロセスで富士山の東側を通過していたことがわかる。
機体が大きく左右にゆれている
- 投稿No.15
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-05-01 14:53:16
『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎 著)
104ページ~105ページには
犠牲者の村上良平さん(43歳)会社員 の遺書が記されている。
最初の2行だけを記す。
機体が大きく左右にゆれている
18・30 急に降下中
この2行によって
18時30分に「急に降下中」となる前、
機体が大きく左右に揺れていたことがわかる。
一方、生存者の落合由美さんの手記によると、機体の左右の揺れに関して
次のように記されている箇所がある。
『墜落の夏』(吉岡忍 著)落合由美さんの手記からの引用
ゆっくりと左右に大きく旋回しているような動きがはじまったのは、酸素マスクをして、しばらくしてからです。
飛行機はあいかわらず旋回をくり返すように左右の傾きをつづけます。振動などは全然ありません。とにかく、
くり返し、左右に傾いているという揺れ方がつづきました。急な動きとか、ガタガタ揺れるというのでもなく、
スローです。だんだん揺れが激しくなるというのでもありません。
私の席に近い左の窓から見えたのは、まっ白な雲だけでした。かなり厚い雲で、地上は見えませんでした。
私は羽田にもどれればいいな、と感じていました。しかし、まだ雲の上で、高度も高いし、ちょっと無理なんじゃ
ないかな、とだんだん不安になってきました。しかし、ライフ・ベストが座席の下にあることがわからないお客様や、
わかっても、ひっぱって取りだすことがわからないお客様も少なくありませんでした。私の近くにも、ベストの場所が
わからなくて、取り乱している若い女性の人たちがいました。そのときになって私は、席を立って、お客様のお手伝いを
はじめたのです。お客様はこのときはじめて、座席ポケットのなかの『安全のしおり』を取りだしました。
このころになると、機体の揺れは、じっと立っていられないほどでした。激しい揺れ、というのではなくて、前と
同じように、左右に傾く揺れなのですが、その角度が大きくなって、座席につかまって二、三歩、歩いて、お客様の座席
の下のベストをひっぱて、ちょっと座って、また二、三歩という感じでした。まっすぐ歩いて、あたりを見てまわる、
ということはもうできません。
揺れはいっそう大きくなりました。もう立っていることはできないほどです。救命胴衣をつけ終わってすぐに、
ほとんどいっせいに安全姿勢をとりました。
私は「56C」にもどりました。L5のスチュワーデスは通路をはさんでふたつうしろの空席に座りました。安全姿勢は、
頭を下げ、膝の中に入れて、足首をつかむんです。うしろのスチュワーデスも私も、席に座って大声で何度も言いました。
「足首をつかんで、頭を膝の中に入れる!」「全身緊張!」。全身を緊張させるのは、衝撃にそなえるためです。
こういうときは、「・・・してください」とは言いません。
そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも
近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた
富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。
(書物からの引用は以上)
村上良平さんが
「機体が左右に大きく揺れている」
と遺書に記された状態は明らかに18時30分よりも前の出来事である。
そして、生存者の落合由美さんはそのときの状態を手記に残されていた。
そうすると、18時30分というのはほとんど全員が安全姿勢を取られた直後で、その時刻から急に降下が
はじまったことになるが、そのときの機体の位置は富士山が左下に見える位置にあったことがわかる。
客室乗務員の遺書
- 投稿No.14
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-04-29 12:16:41
『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎 著)
105ページには客室乗務員による遺書が記されている。
恐い
恐い
恐い
助けて
気持ちが悪い
死にたくない
まり子
(白井まり子さん) 客室乗務員 当時26歳
乗客の村上良平さんは
「18・30 急に降下中」
と記されている。
上記白井さんの遺書は、ご自身が安全姿勢を取られた後に起きた急降下中に記されたものだろうか。
客室乗務員がこのように記されるということは、どれほど恐かったのだろうと思う。
Re: JAL123便の飛行経路
- 投稿No.13 元投稿No.12 池田昌昭さんへの返信
- 投稿者:管理人[ 管理者 ]
- 投稿日:2021-04-27 21:47:07
> 青山透子著『日航123便 墜落の新事実』(河出書房新社、105〜106ページ)に述べられている。
> JAL123便は、静岡県藤枝市上空を超低空飛行し、北方角へ向かい、富士山東側へと飛行したのである。
> また同じJAL123便は同時刻、藤枝市にごく近い焼津市でも、目撃されている(『日航ジャンボ機墜落 朝日新聞の24時』文庫版、42ページ)。
池田昌昭様 ご意見ありがとうございます。
書物から引用されている箇所の一部分を以下に記させていただきます。
『日航123便 墜落の新事実』(青山 透子 著)河出書房新社
104ページ〜105ページ
2015年9月、「青山さんに聞いてもらいたい目撃情報がある」ということで突然出版社を訪ねてきてくれた女性がいる。その人は1985年8月12日に目の前を異常なほど低空で飛ぶ日本航空123便を見た、とのことだった。担当編集者がたまたま在席していたが、次の予定があって私の代わりに少し話を聞いて職場の名刺と連絡先を受け取り、そのままになってしまっていた。今回の出版が決まって連絡をすると快く対応してくださり、改めて話を聞く機会を得た。
現在は東京にて福祉関係の仕事をしていらっしゃる小林美保子さんは、1985年当時22歳で、実家から静岡県藤枝市にある運輸関係の会社まで車で通勤していた。8月12日のあの日は、お盆前で仕事が忙しく、いつも17時半で終わる予定が18時30分になってしまった。
タイムカードに打刻をして階段を下りて外に出た瞬間、「キャーン、キャーン」と二度、すさまじい女性の金切り声のような音を聞いた。絶叫マシーンに乗った人の悲鳴のような凄い高音で、驚いて頭上を見上げると目の前を低く右斜めに傾きながら飛行しているジャンボジェット機が見えた。
ちょうど会社の敷地内で前方に東明高速道路が見える位置だった。自分の背中側から飛んできたジャンボ機は白い塗装に日航のシンボルカラーである赤と紺の線が入っていた。駿河湾の方向から富士山のある北の方角に向かって、ゆっくりと右旋回しながら飛行しており、はっきりと窓も見えるほど高度が低い状態だった。飛行そのものは安定している感じだった。それにしてもいつもの航空路ではないこの場所で低空飛行のジャンボ機を見るとは思ってもいなかった。
『日航ジャンボ機墜落』(朝日新聞の24時)朝日新聞社会部編
42ページ
●午後6時半過ぎ、静岡県焼津市石津、漁業原崎三夫さん(57)は飛行機音に気づいて見上げると、ジャンボ機が翼の上下を三度ほど繰り返して北の雲の中に消えた。「いつもは西へ向かうのに、真っすぐ北上したので変だなと思った。」
●国鉄静岡駅南側では、静岡市田町三丁目、公務員飯塚利明さん(36)が、西南から
進入して来て、駅方向に右旋回し、今度は左へ翼を傾けてS字状に旋回するジャンボ機を見た。「変な動きをするので、墜落するのではないかと直感的に思った。」
JAL123便の飛行経路
- 投稿No.12
- 投稿者:池田昌昭
- 投稿日:2021-04-27 08:52:55
1985年8月12日午後6時24分過ぎ、伊豆急河津駅前でのインタビューが冒頭に出てくる、
YouTube「日航123便の謎に迫る⓼ 報告書の飛行経路図は間違っている?!」(2020年5月24日)に出ていた
タクシー運転手(当時)二人のうちの一人の方に、かつて電話取材したことを思い出す。
その方に限らず、伊豆半島東海岸河津町で取材した方々のテーマは、当日午後6時24分過ぎに「ドーン」と、
河津町に響いた轟音のことだった。
JAL123便の飛行方向については聞かなかったが、たぶん冒頭インタビューの
YouTubeの通りだったのだろう。
飛行高度も、下げていたのが分かる。
つまり、JAL123便は午後6時24分過ぎには、それまでの2回の「異変」と同様に、羽田空港に戻ろうとしていた。
そして午後6時半には、JAL123便は静岡県藤枝市上空を北方角に向かい、ゆっくりと右旋回しながら超低空飛行したことが、
青山透子著『日航123便 墜落の新事実』(河出書房新社、105〜106ページ)に述べられている。
JAL123便は、静岡県藤枝市上空を超低空飛行し、北方角へ向かい、富士山東側へと飛行したのである。
また同じJAL123便は同時刻、藤枝市にごく近い焼津市でも、目撃されている(『日航ジャンボ機墜落 朝日新聞の24時』文庫版、42ページ)。
目撃情報について
- 投稿No.11
- 投稿者:憂国人
- 投稿日:2021-04-26 19:11:19
せきたにさんの投稿文を読みますとJAL123便は相模湾から伊豆半島を横断することなくライトターンして北上し
富士山の東側を飛行して大月方面に向かったのではないかと推理されています。
私も以前に御巣鷹山ゲストブックにこのことを書きました。
その根拠は落合さんが「窓の左下に富士山が見えた」という証言です。
彼女は左側の座席に着席していたので123便は富士山の東側を北上したことになります。
しかし、青山透子さんの「墜落の新事実」を読みますと静岡県藤枝市の会社に勤めていた小林美保子さんが仕事が
終わり6時30分頃に会社を出たところ「キャーン、キャーン」と2度、すさまじい女性の金切り声のような音を聞き
驚いて頭上を見上げるとジャンボ機が見えたと証言しています。
おまけに機体の左下のお腹部分に円筒形の赤色が張り付いているように見えたと書かれています。
「キャーン、キャーン」との女性の悲鳴にも似た甲高い音は機内の人達の悲鳴だったのではないかとも感想が記されています。
私は友人で元全日空の整備士さん(この方は元航空自衛隊の整備士も経験されています。)に上記の件に付いて質問してみました。
「キャーン、キャーン」という音は民間機であれ戦闘機であれ発することは無い。
機内の乗客の叫び声など地上で聞こえるはずが無い。
窓が見えたり機体の様子が見える高度は500m以下で無いと無理だろうとのことでした。
ところが事故報告書に依りますとこの付近での高度は7470mとなっていて全く辻褄が合いません。
赤色の腹部に張り付いているように見えた物体を青山透子さんは誘導ミサイルではないかと推理されていますが民間機を標的にして
ミサイル実験をするなど考えられない。 との回答でした。
私もこの記述には以前から疑問に思っていましたが、友人の回答に同意する立場です。
色々の本を読みますと沢山の目撃情報が寄せられていますが、私は同じ場所で同じ時刻に複数人の同一目撃情報でなければ
信用出来ないと理解しています。
飛行航跡に至っては事故調の発表した航跡が各書籍に載せられていますが高度と共に全く信用が出来ないデーターだと私は思います。
皆さんの反対意見も謙虚に受け止めたいと思いますので是非投稿して下さい。