日航機墜落事故の真実と真相 の追究 (その17) ― 遺族小田の苦悩と 真実追求の開始の心境と 活動の概要―

  • 投稿No.150
  • 投稿者:8.12連絡会 『日航123便墜落事故調査分科会 会長 遺族 小田周二 
  • 投稿日:2021-11-25 20:45:40

墜落事故から、多くの遺族は、悲しみの中で、必死に耐えて、そして生活の立て直しに奮闘して生きて来た。
   遺族は 国の「修理ミスの隔壁が破壊して、機内空気の流出で垂直尾翼、油圧装置が破壊して、操縦不能に陥り、墜落した」との説明、結論に疑惑を覚えていて、信用しなかった。
 勿論 多くの有識者が、事故原因について、その著を出版していたが、技術的に、機体の構造、操縦などの認識が無く、又旅客機墜落についての知識がなかったので、良く理解出来なかったのである。
   事故発生直後は、国民は 異常な事故で 520名もの死亡との事態に関心を持ち、応援をしてくれたが、20年も過ぎると,次第に関心は薄れていった。
 遺族になって20年、それでも 技術者としてのプライドもあり、常に関心を持ち、発表される情報、著、見解には 注意を払い、関連資料、著書は揃えて、纏めていた。遺族は 愛する家族が日航機事故で
   死亡したことを、周囲に知られないように 隠していて、8.12連絡会の活動も次第に低下し、小田も退会していた。
  然し、掛かる状況は 遺族小田にとって、墜落事故は 垂直尾翼の破壊説は成立しないことは 理解していたが、何が事故原因なのか 外部破壊説、自衛隊による撃墜ではないかと 推測出来たが 
   ただ 悶々として苦悩の中に 呻いていたのだ。 この苦悩を 正しい解決の道に導いてくれたのが、あのUA-811便貨物室ドアの破壊事故で 一人息子を亡くし、真の事故原因を独自に調査して
  解決した「キャンベル夫妻」の活動であった。
 *1989年2月 ユナイテッド航空811便(B‐747機)は ハワイ上空 6,700mで貨物室ドアが 勝手に開錠して、ドアが 脱落して、急減圧にあり、乗客 9名が吸い出されて死亡した。
(重傷者 35名、生存者 344名、)脱落したドアは 海底 4,000mの底に 眠っている。事故から 1年後、NTSBは、「墜落の事故原因は 作業員がドアの取り扱いを誤った」と結論付けた。
この原因に疑問を持った、愛息を失った「ケビン・キャンベル」は、審問で得た資料を解析して「オリジナル設計上のミス」と指摘して、本格的に調査と研究に没頭した。キャンベル氏は、独自に
「ドア、ロック」の模型を製作して、NTSBの結論とは異なる事故原因を突き止め、NTSBに提示した。NTSBは 太平洋の海底4200mに沈んだドアを回収し調査分析した。
事故原因は「電気系統の欠陥」であるとの結論を導き出し、ボーイング社も 認めたのである。
 *このように、一組の夫婦遺族が 事故を徹底的に調査、分析しえ、真の事故原因を明らかにしたのである。
   これで、新たな再発防止対策をとることにより、同種事故の再発に寄与して、多くの命を助けたのである。
   この事態を 映像化された映画(キャンベル氏も出演)で見た、遺族小田は強烈なインパクト、衝撃を受けた。キャンベル氏は 傷心の心情のなかで、
「息子の死をムダにしないために、事故の真実を明らかにする。遺族は 犠牲者の霊前に 真実の花束を供えることが 最大の最高の供養になる」と語っている。
至言の言葉であり、息子への愛情から出た真言である。
 *日航123便墜落事故は、国の事故原因:「隔壁破壊説」は 前橋地検が 1990.7 に否定し、告訴された三者は 無罪になった。この後、20年以上、再調査せずに、航空局は意図的に放置し、
日航は「加害者だ」と演技して、遺族国民を騙し、真実を隠蔽してきた。 事故当時、及び 15年までは、多くの日航機事故の調査、追及の著が出されたが、事故後 20年になると激減して来た。
遺族小田は、掛かる状況で「事故原因が不明とされた場合、誰かがやって呉れるとか 誰かに聞けば とか 他人任せにするのではなく、キャンベル夫妻のように、遺族が率先して立ち上がり、
調査し、研究し、分析し、目撃者に面談し、過去の事故例を調査し、機体の調査、見分し、事故調査の手法の勉強をし、全力で対応して、真実の結論を導き出して、航空局に提示することが 
必要不可欠であることを キャンベル氏が 気づかせて、触発させてくれたのであった。
この中で、多くの日航機事故の著があり、再度調査して検証した。中でも、角田四郎氏の「疑惑」での精力的に足で調査し、多くの目撃証言と関係者の面談、調査での結論は 群馬県警の川村本部長が
出版の差し止め、脅迫による圧力を掛けたことは それが核心に触れる事態、状況だと判断出来る。
角田氏、池田昌昭氏、吉原公一郎氏、藤田日出夫氏、加藤寛一郎氏、松本清張氏らの著を引用したことお許しを願っております。
 *私は、遺族であり、この立場での調査には 有利なこともあり、例えば、運航会社:日航は加害者と主張しており、遺族との面談、質問状への議論などは 日航は 表面的には、
誠意ある対応を行い、公式には 日航は 遺族、犠牲者へは誠心誠意で対応する」 と宣言している。加害者であれば、当然のことであり、日航とは 2013年から、日航の事故関連の技術者幹部と
社長、専務などが 応対している。航空局、事故調査委員会とは 当初から、面談などは行っていなかったが、最近、2016年 頃からは頻繁に、運輸安全委員会とは 「慰霊の園」での面談を行い、
2017年には 霞が関で 面談、質疑を行っている。然し、遺族の質問状に対し、何度も 「回答する」と約束したが、一切無視して、4年間も回答もない。
運輸安全委員会に至っては、2017年には「墜落事故の原因は事故調査委員会の隔壁破壊説の通りだ」との回答書を出す始末である。このような対応は、通常、遺族には 航空局、事故調査部は 
疑惑疑問の説明、回答を行う」との規則に違反しているのだ。航空局、事故調査部署、日航が 必死に真実を誤魔化し、隠蔽している証拠であるのだ。掛かる観点からも 国、自衛隊が墜落事故に
関与し、運輸省、航空局、事故調査部署、運航会社:日航が 事故の真実を捏造し、隠蔽していることが、帰結出来るのである。
 *軍隊が関与した撃墜墜落事故として、最近 AF―1161便の軍の秘書官が 「軍のミサイル誤射での撃墜であった」と告白して、50年間の隠蔽の末での劇的な展開に、AF機での犠牲者の遺族が
驚愕の結末に歓喜したと言う。この撃墜事件は 日航123便ミサイル撃墜事件にも 重要なる証拠を出したのである。

 *日航123便墜落事件の真実は 既に公表した通りなので、ここでは、再度記述しない。  得られた知見は 以下の通り。
   (1) 事故調査の目的は 墜落の事故原因を特定すること。この結論を犠牲者の霊前に供えることが国、総理の責務である。
   (2) 墜落の事故原因を特定することは、再発防止策に生かされ、次の同種事故の発生を阻止出来る。
      墜落事故の拡大,再発を阻止出来る手段で 事故原因の調査の最終目的でもある。
   (3) 事故調査とは 多くの発生事象から、事故原因を類推すことで、事件の場合は殆ど 軍隊が関与しており、軍は必死に隠蔽するので、証拠は見つからないのが 通常である。
   (4) 墜落の事故原因が発生すると、旅客機は 1分以内に 墜落する。123便の場合、45秒前に「水平尾翼」「第4エンジン」が破壊され、脱落している。
      これを破壊したのは、自衛隊のミサイル攻撃であった。実行犯は自衛隊であり、指示したのは、中曽根総理であった。
   (5) 墜落現場には、重要な「「垂直尾翼」「水平尾翼」「油圧装置」が 見つからず、この操縦に不可欠な部品が 破壊脱落しているのは、外部破壊での墜落と 判断出来る。
   (6) 123便は 垂直尾翼、油圧装置が破壊されても、操縦出来、飛行の継続が出来た。これは ボーイング社が 驚愕した「エンジン出力調整による新規操縦技術」で ボーイング社が
      これで、三人の操縦士に、世界の「ポラリス賞」を授与して、功績を認めた。米国では エンジン出力での操縦は、公然の常識となり、油圧装置の破壊した旅客機が 
       この技術で多くの乗客の命を救っている。  ⇒ 国の嘘の『隔壁破壊説』は ここれで、事実上、崩壊した。
  

 

削除前確認(削除を実行するには投稿時に設定したパスワードを入力した上で削除ボタンをクリックしてください)