Re: Re: Re: 緊急時の無線交信
- 投稿No.96 元投稿No.95 004さんへの返信
- 投稿者:無名
- 投稿日:2021-10-13 17:42:07
> 発光信号はどうでしょうね?
> スコーク77は毎日数回は発信されてるので、特段珍しいことではないのはわかります。
無理でしょう123便に接近する事すら困難かと思われます
参考画像
https://d.kuku.lu/1cf0ac103
Re: Re: 緊急時の無線交信
- 投稿No.95 元投稿No.92 無名さんへの返信
- 投稿者:004
- 投稿日:2021-10-13 11:24:50
発光信号はどうでしょうね?
スコーク77は毎日数回は発信されてるので、特段珍しいことではないのはわかります。
読書感想 「永遠に許されざる者」(小田周二さん 著) その4
- 投稿No.94
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-10-12 22:05:31
ファントム機との交信に関して「永遠に許されざる者」75ページ~76ページには次のように記されている。
「CVRに残された会話の断片からは、この横田基地への着陸を目前にして緊迫した事態が発生したことがわかる。CVRでは、ある時点から高濱機長の奇妙な会話が突然始まる。
相手の名前もその発言内容も記録されていない、それだけを読んだのでは意味不明な会話だ。
それはこのようにして始まる。
18:46:16 機長「このままで お願いします」
この 言葉は、それまでのCVRに記録されている他の高濱機長の語調とは大きく異なる。
高濱機長は元自衛隊パイロットであり、その語調は簡潔で命令調である。
しかし、機長のこの言葉は、上位の地位の人に対する人への懇願調なのだ。
したがって、これが事故機コックピット内の佐々木副操縦士、機関士に対するものでないことは明らかである。
さらに、これが東京の管制官との交信の言葉でもないことも明白である。もし管制官であれば、その前後に管制官の言葉がなければならないが、それは全然ないからである。
日本語で話されているからその相手は日本人であり、懇願する相手は地位的に格上の存在、機長でさえ下手に出なければいけない怖い相手なのだ。
その相手はすぐ近くにいる。飛んでいるのだ。」
書物にはこのように記されているが、残されたCVRとされるものには
機長の 「このままで お願いします。」
の前後に東京ACCの言葉が存在する。
18:46:09 ジャパンエア123、羽田にコンタクトしますか?(東京ACC)
18:46:16 このままで お願いします。(JAL123)
18:46:20 コンタクトしますか?(東京ACC)
18:46:21 こ、このままで お願いします。(JAL123)
18:46:27 はい、了解しました。スタンバイ、お待ちください。(東京ACC)
とあるので、機長の「このままで お願いします。」はファントム機と直接交信した言葉ではなく、東京ACCからの問いかけに答えられた言葉であることが明白だ。
ただ、JAL123便の近くにファントム機がいた可能性は残されている。
その根拠は
CVRに残された
18:26:30 あー、123便。違います。貴機を呼んでいない。(東京ACC)
(「貴機を呼んでいない」ということであれば東京ACCが呼ぼうとしていた機体がJAL123便の近くにいた可能性が考えられる)
という東京ACCからJAL123便への交信の言葉と、
角田四郎さんの「疑惑 JAL123便墜落事故」に著者自身の大月での目撃情報として以下のように記されているところだ。
後日、当時刻にこの空域にいた航空機が発表になり、私が二度にわたり見た機影が、日航機以外にあり得ないことも知った。
前述した北西にドンドン飛び去った三つ目の機影もこの発表から全日空小松行きであると判明した。
ただ、前には書かなかったが、私はこの時さらに二機の航空機を目撃している。
不思議なことに、この二機に関する記述はその発表航空機リストには見あたらない。私の目撃を証言する者もいない。
しかし私は確かに、その二機を木の間に見たのである。
(疑惑 JAL123便墜落事故 P60~P61)
私はすでに大月付近のキャンプ場で事故機目撃の2~3分後に、自衛隊機2機を目撃したと書き記した。
事故機の目撃18時42分頃~43分頃と推定できるので、自衛隊の戦闘機2機を見たのは45分頃になる。
すると日航123便が大月上空でループ飛行(一回転)した直後ということになる。
しかもそれは日航機と非常に近い距離を飛行していたことになる。
(疑惑 JAL123便墜落事故 P389)
Re: Re: F4EJの無線
- 投稿No.93 元投稿No.90 004さんへの返信
- 投稿者:無名
- 投稿日:2021-10-12 20:33:29
> 機長は手信号でファントムとやりとりを行った可能性もあります。海軍出身だからね。
123便に接近はできません正確に言えば近距離での追尾もありえません
(後方上空ならば可能)
ダッチロールとフゴイド運動が減退せず続いてしまいとても並走できる状態ではありませんからハンドサイン等のシグナルを送ることも無理でしょう
そもそもの話しですが自衛隊機が123便墜落前にコンタクト自体が妄想です。
スコーク7700で自衛隊機がスクランブル発進する規定などありません
Re: 緊急時の無線交信
- 投稿No.92 元投稿No.91 憂国人さんへの返信
- 投稿者:無名
- 投稿日:2021-10-12 18:21:27
>>「非常時には国際的に使用できる緊急チャンネルが有り、それにより軍用機であれ民間機であれ相互に通話出来る。」ということでした。
知人の元空自整備士は当時のF4EJではVHF無線を搭載しておらず民間機とは直接交信不可能と断言しています交信可能になるのは後の近代改装版F4EJ改からV/UHF無線搭載により可能とのこと。私も同様の認識です
全く異なる周波数帯での相互通信が可能とは初耳ですご友人のパイロットは当時のF4EJの搭載無線をご存知ではないのでしょうUHFVHF毎に緊急周波数が設定されている事と交信可能を勘違いしているのでは?
管制を経由すれば交信は可能ですが当時のファントムでは123便と直接交信は不可能です
緊急時の無線交信
- 投稿No.91
- 投稿者:憂国人
- 投稿日:2021-10-12 13:24:37
最近の投稿でF4EJとボーイング747(JAL123便)は交信出来ないはずだと言う疑問が出されました。
私の友人で元航空自衛隊パイロットを経験し、その後全日空にパイロットとして転職されてボーイング747には
20年も乗務された方に上記の疑問をお聞きしてみました。
彼からの回答は「非常時には国際的に使用できる緊急チャンネルが有り、それにより軍用機であれ民間機であれ
相互に通話出来る。」ということでした。
当時123便と米軍ないし自衛隊のファントムが実際に交信したかはボイスレコーダーが100%公開されていません
ので定かでは有りません。 多分常識的には交信がなされたと解釈するのが妥当でしょう。
Re: F4EJの無線
- 投稿No.90 元投稿No.89 無名さんへの返信
- 投稿者:004
- 投稿日:2021-10-12 10:57:59
機長は手信号でファントムとやりとりを行った可能性もあります。海軍出身だからね。
F4EJの無線
- 投稿No.89
- 投稿者:無名
- 投稿日:2021-10-10 22:32:39
当時のファントムと123便は物理的に直接無線交信できません
軍事に明るいアドバイザーに依頼しもう少し現実味のある推論を立てて下さい素人同然でお話になりませんよ本当に馬鹿馬鹿しい
日航123便墜落事故:事故調査への疑惑と真実の追究 (その8) ― 日航事故機は新規操縦技術で操縦性を確保した。操縦出来れば、飛行場に 着陸出来、乗客らは 全員 命が助かるのだ!! ―
- 投稿No.88
- 投稿者:8.12連絡会 『日航123便墜落事故調査分科会 会長 遺族 小田周二
- 投稿日:2021-10-10 15:49:48
日航123便の墜落事故の真実と真相(その6)で、重要な垂直尾翼と油圧装置を破壊され、操縦不能になり、墜落の危機に陥ったが、機長、佐々木操縦士の奮闘で、エンジン出力の微調整で、機体の制御、コント
ロールが出来、操縦出来たことを説明した。そして、旅客機に異常が発生しても、操縦出来れば、飛行場に着陸出来ることは、航空業界では、技術的にも 経験的にも 常識であるのだ。
ここでは、横田基地への着陸について、議論する。
*操縦技術と飛行場への着陸について
大型旅客機は百万点以上の部品からなる、精密電気機械製品である。この航空機は高空を高速で飛行し、多数の旅客を乗せて、営業飛行している。故に飛行機の墜落は 多数の旅客の死亡に繋がり、
大事故になる。今回の日航123便の墜落では 520名が死亡、4名が重傷を負った。
*旅客機は 重力に逆らって、高速で高空を飛行するが、飛行場から、離陸し、飛行場に着陸して、客の安全を確保している。 通常、飛行中の事故より、「離陸」と「着陸」の時の事故が多いのは経験的には、
実績である。特に、着陸は パイロットが犯す過失が多い。何故なら、離陸は、旅客機を滑走路で、速度を上げて、V1になれば、機体が浮き上がり、推力を最高にして、上昇すれば、殆ど問題はない。
然し、着陸はV1以上の速度でないと 揚力が重力に負けて墜落事故になるので、相当な高速で V1以上の速度で降下し、ギアで接地せねばならず、この判断は機長の手動操縦で行うために、操縦の過失事故が
発生しやすいからだ。
*旅客機は、高空を高速で 且つ 一直線に飛行し、チェックポイントで、飛行方向の角度を変えて、目的地を目指す。 そして 目的飛行場の近くで、必ず 旋回し高度を落とす。
即ち、旋回飛行と降下飛行を行うことが、必然なのだ。 旋回飛行も降下飛行も、操縦出来れば、簡単である。
*然しだが、滑走路に向かっての、低空飛行時の飛行姿勢が 重要なのだ。
安全な着陸には不可欠なことは 飛行姿勢を正常に保つことである。具体的には 次の姿勢を取る。
一つは 機体は 左右に傾かないこと。即ち 傾斜した姿勢を取らないことだ。
これは 傾斜があると、主翼の下に設置された車輪:ギアの 片側に過大な負荷が掛かり、車輪:ギアが破損し、そして片側の主翼が折損して、燃料が流出して、火災が発生する。
且つ片方に傾斜して、回転エネルギーで 機体が回転して、中の乗客らが 機外に弾き出され、死亡し、重傷を負うことになるからだ。この接地時の機体の速度は V1以上、123便では
凡そ 350k/h で降下し、接地しており、その飛行慣性行エネルギーは 膨大だ。
自動車も 時速 300k/h になると 簡単に 浮き上がり、回転し、空中に飛び上がり、破壊することは 良く知られている。
二つは 飛行姿勢としては、飛行中の姿勢より、若干 機首を上げることである。
着陸の直前には、フラップを出して、抵抗を大きくして揚力を上げて 接地し着陸する。
鳥が 着地する時は大きく羽搏いて、抵抗を強め、速度を落とし、姿勢は 高くなり、強力な足で 接地するのだ。これで、主翼の下にある主車輪に 全重量を掛けて、接地出来ることになる。
後は、逆噴射とか ブレーキを掛けて 徐々に 速度を落とす。 そして前車輪にも 重量を掛けて、滑走する。然し 急激な減速は 乗客乗員に過激な衝撃となり、危険であり、且つ 機体への衝撃を
避けねば 機体の破損に繋がるのだ。
これらの危険な着地墜落事象を避けるために、機長は 大月市で、右旋回を4回 実施し、大きなスパイラル飛行を行い、旋回の連続で飛行高度を大きく下げている。この大月市の旋回降下飛行で、機長は操縦
性の向上と確認と着陸の前準備を実施して、着陸の準備を行ったのだ。この旋回後の機首の方向は、北向きになっており、これは横田基地飛行場の滑走路の方向(南北方向)と一致する。掛かる旋回降下飛行は
着陸による失敗を少なくして、着陸による犠牲者を少なくしようと考えたのだ。操縦は佐々木副操縦士が、左手で 4つのスロットル(4基のエンジンの出力調整)を微調整し操作して制御している。恐らく、
4つのエンジン出力を操作するのでなく、(第1 エンジン)と(第4エンジン)の出力を微調整し操作を行ったと推測出来る。従って、時々 福田機関士が後方から 両手で、スロットルを操作して協力し
たことも CVR記録で確認出来る。
*この事故機の緊急着陸時の問題を提起したのが、日航123便墜落事故から、4年後に起きた「UA232便の油圧装置破損後の緊急着陸での失敗事故」(1989.7.19)である。
飛行中のUA232便の後部2番エンジンが爆発して 全ての油圧系統を失った。油圧による操縦が不能になった232便は右側に傾き、右旋回を続けた。たまたま乗り合わせたDC-10の訓練査察機長の応援を得て、
エンジン調整での機体の立て直しを図ったがが、修正出来たが右旋回と降下飛行が続いた。
機長らは、「JAL123便がエンジン出力だけで約30分以上も飛行した事実」を熟知しており、「機体の降下や制御をエンジンの出力だけでコントロール出来る」ことも知っていたからだ。(日航 杉江弘機長)
一時的にエンジン調整で機体の右傾きは修正できるが、次第に降下しており、緊急に飛行場への着陸が不可欠であった。降下飛行が続き、時間的な余裕がなく、強引にスーゲート空港に着陸を行ったが、接地の
直前に機体は横方向に大きく傾斜して、右側車輪に全重量が掛かり、折損し、これで、右主翼が折損し、脱落し、右回転し、4つの部分(機首、胴体、右主翼、後部胴体部)にバラバラに分解した。
機首は破壊脱落して、土中に埋まり、機長らは 機内座席に閉じ込められた。燃料が流出して火災が発生、3時間も炎上して、多くの乗客が焼け死んだ。乗客らは 計111名が死亡した。
この事故は生存者が多数おり、機長、乗員、乗客の証言で事故の状況が再現され、放映されている。
*日航機墜落事故の状況も生存者:落合、川上、吉崎氏らが体験証言しており、如何なる推測、仮説も この証言を覆すことは出来ないのだ。一度、有識者はこの232便の油圧破壊の事象の記録映像を見て、
真実を確認して下さい。重傷を負った232便機長らは、入院したが、3日間、泣き続けたと言う。
*一方、運航会社:日航が一切喪に服さず、遺族に「加害者だ」と詐称し、遺族に「補償交渉の提起」との暴虐の行為は、明らかに事故の真実を知っていながら、隠蔽工作の首謀実行者として行動している。
*日航123便は UA232便と同じく、「操縦不能」に陥ったが、エンジン出力による操縦性回復後は その損傷は はるかに軽微であり、約30分以上も飛行しており、大月市上空での360度スパイラル降下
旋回、右旋回4回での着陸準備行動は、その操縦性が極めて安定であることが判明している。
この油圧損傷について、「日航123便」と 「UA232便」 の操縦性、着陸性を 比較すると
「UA232便」 「日航123便」
油圧装置の破壊原因 第2エンジンのタービンの爆発、 自衛隊標的機の衝突による
飛散 油圧配管破壊、
油圧装置の破壊に伴う 垂直尾翼方向舵の異常な固定 垂直尾翼、APUの全壊、脱落
部品の損傷状況 水平尾翼昇降舵の異常な固定 水平尾翼の固定部の強度劣化、
水平尾翼と昇降舵:正常に固定
損傷による操縦性状況 操縦不能。 操縦不能。
機体の右旋回。 右傾斜。
300m/分の高度降下継続
エンジン出力調整に 右傾斜の修正。然し、右旋回 旋回、上昇、降下飛行出来、長時間
よる効果 降下飛行の継続。操縦不能 飛行の継続が出来た(事故調、ボ社)
操縦と着陸性の実証 スーゲート飛行場に強引に 横田基地への着陸試行
確認 緊急着陸敢行 レタス畑への不時着敢行⇒復航飛行
安全な着陸性が 実証された。
飛行場への墜落、 接地時、右傾斜で 右主翼破損 水平尾翼、第4エンジンが外部破壊で
機体、4つに分解、火災発生 脱落。地面への墜落 等
111人 死亡/ 乗客乗員296名 520名死亡、4名 重傷生還
(纏め)「UA232便」
油圧装置が破壊して操縦不能に陥った旅客機は、エンジン出力の調整で操縦性が若干修正出来たが、UA232便の場合、垂直尾翼方向舵、水平尾翼昇降舵の異常な固定で、左右の水平性は修正出来たが、
飛行姿勢は回復しなかった。それでも232便機長は飛行場への着陸を敢行したそれは、乗客乗員の命を助ける方策は 飛行場への着陸しかないことを知っており、航空業界の常識、原則である。
機長が自ら飛行場への着陸を断念することはあり得ないのだ。 UA232便は飛行場への着陸を強行したが、296名の内、111名が死亡したが、機長らは 操縦不能の機体を着陸させ、多くの乗客の命を
救った功績として、「ポラリス賞」を受賞して評価したのだ。
*日航123便機長らは、エンジン出力の調整で、新規操縦技術を開発した功績で、同じく「ポラリス賞」を 事故死後に受賞している。日航123便が操縦出来たが着陸をしなかったのは、それは自衛隊戦闘
機による着陸禁止の命令があったからだ。 高濱機長は「これはダメかも知れんね」と 悲痛な言葉をCVRに残している。掛かる唯一助かる緊急着陸を禁止することは、乗客乗員524名の命を奪うことで
あり、これは刑法では「殺人犯行」に相当する。完全な殺人犯罪である。
「助かる機会があり、生還出来たことを 助かる筈であった」との言論、推論も出せない国、航空局、運輸省の隠蔽謀略に残された遺族は声もないし、心から肉親の供養も出来ない事態だ。
機長が横田に着陸の申請をして、横田が許可すれば、誰も これを阻止、妨害出来ないことは 世界の航空業界の常識である。掛かる緊急着陸を妨害したのは命が助かる横田基地への着陸を妨害した
のは、追尾した戦闘機パイロットによる権力と武力での脅迫、禁止しかない。
掛かる異常な事態は 1985年8月 日本の中曽根総理、自衛隊幕僚長の共謀でしか、起き得なかった。 歴史上、無辜の乗客乗員虐殺の金字塔を中曽根総理が打ち立てたのだ。
その虐殺の動機は 標的機の衝突と言う「自衛隊の不祥事」を隠し、責任回避のための乗客乗員全員の口封じであった。
読書感想 「永遠に許されざる者」(小田周二さん 著) その3
- 投稿No.87
- 投稿者:せきたに
- 投稿日:2021-10-10 13:00:23
書物中、相模湾上空から始まり、静岡県藤枝市にかけて墜落状態に近い急降下があったとされているところについては異論がある。
『圧力隔壁説をくつがえす』(青山透子さん著)によると、墜落の主要因は圧力隔壁の損壊ではなく、「異常外力着力点」であったということが記された公文書が見つかったという。
「圧力隔壁説をくつがえす」159ページ
今回の発見は、異常外力着力点の位置とそこから始まった垂直尾翼の破壊が墜落原因である未解決事件だった、ということである。
その根拠は、
「客室内与圧空気が噴出したのではなく、異常外力の着力点が垂直尾翼中部にあった、それによって垂直尾翼が破壊された、と事故調査報告書の『別冊』に書いてある。」と記され、(同書137ページ)
更に、
この「外力」は、飛行機の左側の横、つまり側面から当たっている。(同書93ページ)
と記されている。これは、垂直尾翼を破壊するほどの外力が垂直尾翼に横方向から衝突したことを意味し、飛翔体はズバリ、爆発物を搭載していないミサイルだったのではないかという。
つまり、爆発物を搭載していないミサイルが垂直尾翼目がけて横方向から衝突し、それが原因で垂直尾翼の破壊が始まり、墜落の主要因となった。
ここまでは新しい発見として受け入れれば良い。
問題なのは、著者は「異常外力着力点」が相模湾上空で起きた事象だとされているところだ。
「異常外力着力点」が相模湾上空で起きた事象だとすると、元パイロットの杉江弘氏の「陰謀説の真相」に記されている論理主張と相反関係となってしまう。
「陰謀説の真相」で杉江弘氏は
「それでは、「謎の飛行物体」は、垂直尾翼に対して、横から当たったということだろうか。もし、横からなんらかの物体が衝突してきたならば、反動で機首は物体が飛んできた方向に向くはずである。」(同書50ページ)
客室乗務員の「大きな揺れはなかった」という証言によって、相模湾上空でそのようなことが起きていなかったのは明白だ。また、証言によると富士山の東側を通過するまでは雲の上のままであったことがわかる。
それでは、『事故調査報告書別冊』に『垂直尾翼に対して、横方向から「異常外力着力点」となる物体が衝突し、それによって垂直尾翼の破壊が始まり、墜落の主要因となった。』と記されていることは誤りなのだろうか?
JAL123便は長野県川上村梓山地区から見て、甲武信ヶ岳の方角から、徐々に高度を下げながら近づいてきた。
そして、同地区の上空で90度の右旋回をし、今度は高度を上げながら、北東の方向、すなわち、三国山山系悪岩と呼ばれるあたりを目がけて一直線に上昇していった。そのあたりで、左旋回をしたかと思うとガクンと墜落していった。
長野県南佐久郡川上村梓山地区で墜落現場から2~3キロの距離で山あいの畑から目撃された女性は次のように語る。
(「鎮魂JAL123便/池田昌昭著」26ページ~)
「当日8月12日午後6時52~53分頃、川上村梓山地区の上にある畑に出ていていちご摘みやレタスの収穫作業をしていた時だった。畑でいちご摘みをしていた手元が急に明るくなったので、ふと上空を見上げると真上に窓の明かりが一杯について、エンジン音がほとんどしない大きな飛行機が飛来してきた。上空400メートルくらいで一瞬お化けが出てきたかと思った。
子供が『あれはジャンボ機だ』とすぐに叫んだくらい見たこともない大きな飛行機で埼玉の方から飛んで来た。電気を一杯つけたジャンボ機の全部の窓に明かりがついていたが乗客の姿は下からは見えなかった。
飛行はフラフラしていなく一応安定していて垂直尾翼が欠けていたかどうかは分からなく、機体からは煙は出ていなかった。畑の上空で右旋回をして2~3キロ先にあるその昔岩から毒物が出たことから長野群馬県境三国山系通称『悪石』と呼ばれる岩山にぶつかりそうになりそれをスレスレにかわし左旋回をしたかと思うと、飛行機は見えなくなった。
地元民が最後に目撃された左旋回の要因が、JAL123便が飛んで行った方向の西側から飛来した物体が衝突したことで「異常外力着力点」が生じた可能性があり、そうするとJAL123便の進行方向左側から衝突したことになり、「飛行機は反動で機首は物体が飛んできた方向に向く」と言われる杉江弘さんの説と合致する。「左旋回をしたかと思うとガクンと墜落していった。」というところは、生存者の落合由美さんの次の証言ともぴったりと一致する。
「安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺さぶられるのを感じました。船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。しかし、上下の振動はありませんでした。 ・・・そして、すぐに急降下がはじまったのです。」
航空機が墜落する場合、その主となる要因が墜落から1分以内に発生している場合が多いのが実際だというが、それとも合致する。
そうすると「圧力隔壁説をくつがえす」75ページに記されている事故調査報告書別冊からの抜粋として引用されている図10の「異常外力着力点」は相模湾上空ではなく三国山上空で生じたものであると思われ、「異常外力着力点」が生じた直後から文字通りの急降下が始まったと考えられる。