18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 その10(総括)

  • 投稿No.41
  • 投稿者:せきたに
  • 投稿日:2021-08-08 20:58:15

 18時12分に離陸後約8分間が経過しようとしていた。
 そろそろ水平飛行に近づこうとしていたタイミングでベルトサインが消えたことにより、客室乗務員が席を立ってミッキーマウスのグッズが配られはじめていた。生存者の川上慶子さんは妹と共にそのグッズを受け取っている。
 その頃機体の上部で〈パーン〉という音がして離陸後最初の異変が起きた。
 異変が起きたことによって、酸素マスクが下りてきた。その時の時刻は18時20分頃のことだったと思われる。
 
 「ただいま緊急降下中。マスクをつけてください。」と日本語と英語で流れました。マスクのつけ方は、となり同士教えあって、あんがいスムーズにつけていました。
 しかし、緊急降下中といっても、体に感じるような急激な降下はありませんでした。

 と落合由美さんの手記には記されている。

酸素マスクが下りてきて、装着がはじまり、「ただいま緊急降下中。マスクをつけてください。」というアナウンスが流れたが、実際には急降下はなかった。むしろ、酸素マスクが下りたことによって、機内で減圧が生じているかもしれないというパイロットの判断で、当初予定されていたいつもの高度まで上昇することはせずにしばらく様子を見ておられたのだろう。 

 総括すると、離陸後、最初の異変が起きて、酸素マスクが下りてきた。 乗客たちは酸素マスクを装着、その頃、「緊急降下中」というアナウンスが流れたが、体に感じるような急降下はなかった。
 そして東伊豆に近付いたところでニ回目の異変が起きた。
 『天命の陳情』という書物を著された村岡伸治さんはこのときに起きた異変はそのときの目撃情報から類推すると、外部から何かが衝突したのではなくて、機体の内部のおそらくは荷物室において油圧配管が破損してしまう程度の爆発が起きた可能性があると言われている。

 東伊豆、河津町のタクシー運転手、近持芳太郎さん(58歳)と渡辺武夫さん(51歳)は河津駅前のベンチで休憩中に、この瞬間を目撃した。
 「海側の北東上空で雷のような〈ボーン〉という音がした。見上げるとジャンボ機は機体後部から灰色の煙を出して駅の上まで水平飛行した。
(『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎著)の21ページ)

 上記目撃情報の中に記される
 「ジャンボ機は機体後部から灰色の煙を出して」
 というところ。
 機内爆発ではなく、外部からの衝突であれば、煙は衝突した場所に留まり、機体から遠ざかっていくばかりで、尾を引くような状態にはならない。

 更に、杉江弘さんが相模湾上空における外部衝突説を否定する論拠として次のように記される。

 「それでは、「謎の飛行物体」は、垂直尾翼に対して、横から当たったということだろうか。もし、横からなんらかの物体が衝突してきたならば、反動で機首は物体が飛んできた方向に向くはずである。」

 本来垂直尾翼はとても頑丈に作られている。そして、機体に頑丈に取り付けられている。 
 ということは、垂直尾翼に横方向から外部の物体が衝突すれば、かならず機体そのものを押す働きが生じるはずだ。外部からの物体が飛行中の機体の尾部に衝突すれば、尾部は横方向に押され、反動で機種は外部から飛んできた方向に向く。これは杉江弘さんのご指摘通りだ。押す働きなしに、垂直尾翼だけが破壊されるということは考えられない。

 ところが、客室内にいた落合由美さんの証言は、
 「このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じませんでした。」

 とあるので、垂直尾翼に横方向から物体が衝突し、その衝撃で垂直尾翼の半分以上が失われたということはおおよそ考えられない。

 伊豆半島を北上後、ライフベストの装着がはじまり、ライフベストの装着の完了したときのタイミングで富士山の東側を通過したものと思われるが、その間の機体の位置は一貫して雲の上であったが、高度7,000メートル付近というのではなく、富士山の頂上よりも少し上ぐらいの高度で、具体的には東伊豆の河津駅のあたりからはいつもの倍ぐらいの大きさに見えたという程度の高度を保ちながら北上したものと思われるが、富士山の東側を通過するまで、途中急降下はしていない。

 そうすると、村上良平さんの書き残された

 18・30 急に降下中 

 と記されている箇所は必然的に富士山の東側を通過したあたりで、乗客の大半が安全姿勢を取った直後のことであったと思われる。

 (18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 完)

 日航123便墜落事故:事故調査への疑惑と真実の追究 (その 3)  ― 旅客機墜落事故の初歩的で 且つ原則的な調査方法―

  • 投稿No.40
  • 投稿者:8.12連絡会 『日航123便墜落事故調査 分科会 会長 遺族 小田周二 
  • 投稿日:2021-08-04 10:50:45

旅客機の墜落した現場は 目も当てられない惨状で、分解した遺体に慣れた自衛隊すら、目を背けるほどだ。
  旅客機が 墜落する時は、10,000mも高度から、音速に近い速度(10,000k/h)で地面に激突して 機体だけでなく 人間も分解され、破壊され、粉砕され、バラバラになる。 悲惨だ。
乗客の氏名は 名簿で分かっているが、検視による遺体の判別は困難を極める。1985年 36年前では DNAによる検視判断は使えず、血液型、歯形、服装が主流であり 頼りだった。 
 事故調査も内部故障の場合は、残骸、CVR、DFDRだけで、墜落の事故原因を見つけ出すことは困難である。故に、通常の一般的な事故、事件での殺人事故とは 事故調査方法は 全然大きく異なる。 
即ち警察による地道な捜査、調査のよる解決とは 基本的に異なる。証拠とか、被害者との関連での加害者の捜査とかは 役に立たない。即ち 旅客機の墜落事故の調査は、CVR,DFDR,残骸、生存者証言、目
撃証言、関係者証言などから、墜落の原因である可能性の高い事象、異常事態を「仮説」として類推して、それを発生事象と検証して行く方法が 使われる。即ち、仮説を立てて、それを検証するとの手順であり、
検証で成立しない場合は 次の仮説に移行して合致するまで、何回も繰り返し、真実に迫るのである。
 *上野村の険阻な山岳地帯で墜落して、乗客乗員520名が死亡した世界最悪最大の事故について、航空局による事故調査が 始まった。   この明確な証拠がなく、仮説を立てて、検証するとの手順での事故調査、捜査を進める上での重要な経験的科学的な金言、格言がある。 
それは、「事故、事件は 偶然の産物でない。連鎖的な出来事の結果である」
       「墜落は 異常事態が発生して、操縦不能になり、急降下して地面に激突する事象」  
       「墜落を引き起こす異常事態を 墜落の事故原因と 命名される。」
「事故調査は、この墜落を引きおこす異常事態を特定する行為である」
「この異常事態が発生すると 旅客機が 1分以内に 墜落する」  と。

   通常、日航123便の墜落事故は、18:24 123便がその重要な垂直尾翼の破壊事象から、調査がスタートになる。そして 遺族小田も、この手順で調査し、著書に調査分析し結論を記載している。この垂直尾翼
破壊事故は 墜落事件の端緒なのだ。「垂直尾翼」と「油圧装置」の破壊から、32分飛行の末、墜落までの経緯を逐次調査することは、実は調査の基本から、見ると正しい手順ではないと判断出来る。
即ち 掛かる手法は 本末転倒の方法だと言える。勿論、この手順でも、事故調の『隔壁破壊説』も 成立しないことを証明出来たが、真実を究明する立場から、言うと、それは 真実の隠蔽を考える加害者に
とって、真実を隠蔽し誤魔化す機会が増える絶好の手法になっていた。
*逆に、結論は 墜落した場所から、遡って事故調査を行う手法が、基本的に正しい手順であるのだ。
これは、前に記述した格言:「墜落は異常事態が発生して、1分以内に起きる。この異常事態が 墜落の事故原因である」との墜落事象から、見ると、墜落した場所、時間帯、時点から、逆算して調査捜査する方が 旅客機の異常事態に早く接近出来るのである。 ここから、米国など墜落事故の先進国では、墜落場所の機体残骸が全身満足の状態であったかを調査する。このために、バラバラの無数の残骸を全部調べるのは、時間が掛かるので、機体の四隅を調べるのである。
即ち、具体的には 先頭の操縦席、主翼、エンジン、垂直尾翼、APU,水平尾翼などの四隅を調べるのだ。 これで、四隅が 機体が墜落するまで、健在であれば、機体は 主要な保安部品が健在であり、内部の故障に 重点を置いて、調査を進めるのである。
この手法を用いれば、国、事故調査委員会が見逃した墜落の事故原因が明らかになり、国の「隔壁破壊説」なる偽説を否定出来、不必要で 余計な議論を避けることが出来るのである。
*国、事故調査委員会の「事故報告書」に記載されているように、墜落直前には、1分以上前に重要な保安部品である「垂直尾翼」「水平尾翼」「第4エンジン」「APU」が破壊され、脱落していたことが分かる。
これでは、日航123便事故機は金属の塊であり、操縦出来る旅客機でなく、操縦不能であり、墜落は必死であり、墜落したことは 技術的に、論理的に説明出来る。且つ これらの保安部品は 通常の飛行状況では、破壊し脱落することはあり得ぬことで、外部からの衝突での破壊によることしか発生しないことは明白で証明出来る。 この重要保安部品の内、「垂直尾翼」、「油圧装置」「APU」は 18:24に破壊されたことは、CVRの記録で確認出来、その後 事故機は飛行の継続が出来、何らかの操縦技術で飛行したことが推測出来る。この理由については 別途後述する。
一方 事故機は30分以上も飛行出来、18:55:45機長らは驚愕の声を上げ、同じ時刻に乗客のスチュワデス:落合由美氏は、物凄い衝撃で400トンの機体が物凄く横揺れしたことと その後、物凄い急降下したことを体験し、その後 墜落したと証言している。この発生事象は、墜落事故発生時、日航副社長:町田直が押し掛けた遺族に「日航機は、ミサイルで撃墜されたんだ」との告白に完全に一致する。
この町田直は、運輸省の最高幹部:元事務次官であり、自衛隊、政府の極秘情報に近づける人物であり、1971年全日空機雫石戦闘機衝突事件で、事件の捜査に当たっており、自衛隊の責任と総理の辞職を救った人物であることから、証言の信憑性は確かだ。
* 従って、事故機は上野村の領域に入った段階で、何らかの飛行物体の衝突で、「右第4エンジン」は破壊され、右旋回を続け 直ぐに物凄い急降下に墜落に移行したと推察出来、発生事象と合致する。
 この急降下事象は 脱落した「水平尾翼」の破壊脱落による墜落事象と一致する。
このように 123便墜落の事故原因は「第4エンジン」と」「水平尾翼」が外部からの攻撃で破壊、脱落したことだとの結論が導かれるのだ。 尚、墜落地点での機体の残骸分布は、事故機の墜落状況と機体の破壊状況、飛行墜落角度などを推察出来る重要な証拠となる。又 日航事故機が脱落させた残骸は 必ず、重力で真下に落下するので、飛行経路上の位置に落下する。 事故調は 事故機がU字溝を作った折、その「水平尾翼」が真横に500mも飛行したとの説明は 成立しないことは科学的に立証できる。
 *これで航空局、事故調の「隔壁破壊説」は日航123便の墜落原因との結論が成立せず、前橋地検の不起訴判断は、適切な判決であったと帰結出来る。航空局が 「航空局は加害者でない」「この根拠は 前橋地検の不起訴判断だ」との文書は 真実であり、国は 長い期間 30年以上も 遺族国民を騙したことを自供しているのだ。
 

Re: 無題

  • 投稿No.39 元投稿No.38 宇佐木さんへの返信
  • 投稿者:管理人[ 管理者 ]
  • 投稿日:2021-07-30 21:28:59

> 元ご遺族の投稿拝見いたしましたが墜落原因について科学的アプローチされているのか甚だ疑問です

> こちらの掲示板が反論を許さず不適切と判断されるのでしたら削除いたします

管理人です。

宇佐木様、ご投稿ありがとうございます。

この掲示板はいろんな考え方があることを尊重し、それぞれがざっくばらんなご意見を述べ合っていただくことを願っている掲示板でございます。

ぜひとも他の方の投稿に関して疑問を感じられる箇所があれば率直な意見を聞かせて下さい。

無題

  • 投稿No.38
  • 投稿者:宇佐木
  • 投稿日:2021-07-30 19:20:00

元ご遺族の投稿拝見いたしましたが墜落原因について科学的アプローチされているのか甚だ疑問です

こちらの掲示板が反論を許さず不適切と判断されるのでしたら削除いたします

日航123便墜落事故:事故調査への疑惑と真実の追究 (その 2)  ―旅客機墜落事故の調査機関とその業務の実態―

  • 投稿No.37
  • 投稿者:2021.7.24  8.12連絡会 『日航123便墜落事故調査 分科会] 会長 遺族 小田周二 
  • 投稿日:2021-07-28 21:35:45

一度、旅客機が墜落して多数の乗客乗員が死傷すれば、1980年代 日本では 運輸省、「事故調査委員会」の出番である。 この事故調査機関として、米国では、有名な「NTSB」がある。この事故調査機関が設立されたのは、1956年6月の旅客機2機の空中衝突事故が端緒であった。 2機の旅客機がグランドキャニオンの観光飛行で空中衝突事故を起こし、129名が死亡した。この時代は、航空行政は無く、会社単位の無線での交信による連絡で行われ、勿論航空管制はなかった。この調査は一人の航空専門家が調査し、ほぼ完璧な調査が行われ、どのような角度で衝突し、その責任まで、特定されている。米国人の科学的、技術的な調査は、この時の調査は とても、日航123便での事故調査とは 格段の差があった。NTSBは 1967年設立で 大統領直属の独立行政機関。
*日本の場合は、1971年の全日空機雫石戦闘機衝突事件が端緒で、その反省として、1974年に「運輸事故調査委員会」が設立されたが、運輸省の外局であり、独立した機関でなく、内局の「航空局」の支配下に
あり、独自に調査の権限はない。この形骸的な調査組織が日本に、旅客機墜落の事故調査に暗黒の暗雲が立ち込め、現在至っている。
*日本の航空行政を司るのが、運輸省の「航空局」でその業務は(航空会社の設立、運航路線、運賃、航空機の就航、修繕機の飛行許可、修理などに対する許認可、操縦免許交付、空路管制など)あらゆる面に
及ぶ。これらの許認可権限などを駆使した航空行政は、「乗客が目的地まで安全に到着すること」が第一の目的であるという。この安全運航の破綻が 旅客機の墜落による多数の乗客の死亡なのだ。この時にも、
航空局は 先頭に立って、事故原因の究明に立ち向かう。それは事故原因を明らかにして、航空安全のために、再発防止策を策定するためであるのだ。掛かる場合、航空局は 事故調査委員会に出動と、事故原因の
調査を行うことを命じるのである。
*掛かる調査体系での事故調査委員会の調査実績は、角田四郎氏の著では「日本の墜落事故の原因は事故原因が不明か、パイロットの操縦ミスになってしまう」と記述されている。即ち、事故原因が製造会社、運航
会社とか まして国、航空局などが 提起されたことはないのだ。 その上、事故調査の進め方について、山名正夫東大正夫教授が 「主席調査官が二人も更迭され、先ず、求めるべき結論が決められている」と
して、辞任しているのだ。(羽田沖墜落事故、昭和41年2月4日、発生、133名全員死亡)
 この経緯から、独立性のない事故調査委員会は、航空局の指示で、先ず結論を与えられて、結論に合わせて事故報告書を作成する傀儡組織であることが 分かるのだ。
*この理由は明白である。事故報告書は 公文書であり、担当の大臣が、即ち、運輸大臣が受理することが不可欠の条件なのだ。最近、金融庁が 「会社員が退職した後、年金以外に 2,000万円が必要」との
調査結果を纏めて、財務省に提出したが、麻生財務大臣が この受け取りを拒否して、公文書とならなかった事態が発生しており、担当大臣の認定が不可欠であるのだ。勿論,各大臣は総理大臣から指名されて
おり、当然、総理大臣が認めることが 不可欠なのだ。
*この形骸的な事故調査システムから、作成された「事故調査報告書」を分析して、実証する。
事故調査は墜落の事故原因を特定することが目的である。然し、日航123便墜落事故では、その報告書には この墜落の事故原因が特定されていない。前橋地検も「事故原因が解からい」と結論している。
その上、墜落の事故原因が発生してから、墜落するまで、1分以内というのが業界の定説で、日航123便が(垂直尾翼)と(油圧装置)が破壊され、脱落したことが 事故調の事故原因だとの結論は 事故機が
 その後  30分以上飛行出来たことで、垂直尾翼と油圧装置の破壊は 墜落の事故原因でないことが明白になった。
更に、事故機は墜落の危機に陥ったが、機長の必死の新規操縦技術の開発で操縦出来たこと、そして、横田基地に着陸を申請した事態のアントヌッチ中尉の証言、川上村レタス畑への不時着敢行で、操縦性と着陸
 性が 実証されたこと、日航123便は墜落前、45秒前に「水平尾翼」「第4エンジン」が破壊脱落しており、「日航123便の 墜落の事故原因は この(第4エンジン)と(水平尾翼)の破壊脱落である」ことが
結論出来るのである。
*国は「自衛隊の(標的機の日航機への衝突)なる不祥事を隠すための乗客、乗員全員の口封じの全員殺害事件」を「機体の故障による墜落事故」に変更し捏造した内容が 運輸省の「墜落事故報告書」となったの
  である。掛かる噓の 日航123便墜落事故の調査報告書(1987.7)は 日本国の公文書の資格がない。航空局は 意図的に再調査を不作為しているが 123便墜落事故の再調査を行う責務があり、遺族として
  犠牲者の名誉のために 公式に再調査を要求する。

新刊書の紹介

  • 投稿No.36
  • 投稿者:管理人[ 管理者 ]
  • 投稿日:2021-07-21 21:15:34

犠牲者遺族であり、8.12連絡会墜落事故調査分科会会長の小田周二さんが
『永遠に許されざる者』(文芸社 2021年7月15日 初版第1刷発行)
という書物を刊行された。

書物は
「墜落死の真実」を貴方方乗客乗員の霊前に報告する。

という言葉から始まる。

事故調査委員会が当初主張していた圧力隔壁損壊説はこの書物によって徹底的に論破されており、その先は自衛隊がどのようにこの墜落事故に関与していたのかについての自説が展開されている。

B5版で416ページの書物は手に取ってみるとずっしりと重く、内容は力作である。

18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 その9

  • 投稿No.35
  • 投稿者:せきたに
  • 投稿日:2021-07-05 22:03:24

『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎著)86ページには
生存者の一人、吉崎博子さんの証言が記されている。

 「ドーンとものすごい音がして眼がさめました。同時に、白い煙がパアーッと入ってきます。なにがなんだかわかりませんでしたが、酸素マスクが上からおりてきたので、緊急事態が発生したことは理解できました」

 この証言も18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由となっている。

 吉崎さんの証言内容通りだとすると、酸素マスクがおりてきたのと、白い煙が客室内に入ってきたのがほぼ同時であったということになり、そのことが意味するところは、離陸後、初めての異変によって酸素マスクがおり、白い煙がほぼ同時に発生したことになる。

 ところが、酸素マスクと白い煙に関する記述に関する事柄について、落合由美さんの証言は少し違う。

 離陸後、しばらくして、(おそらくは客室乗務員によって子供達に向けてミッキーマウスのぬいぐるみが配られていた頃)〈パーン〉という音とほとんど同時に、酸素マスクが自動的に落ちてきた。となっているだけで、そのときの〈パーン〉に付随して白い煙のことについては言及されていない。
 一方、白い煙のことについては、以下のように記しておられる。
 
 「やはり〈パーン〉という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。」

 注意深く次の箇所を読むと、文中、「そのときは」と記されている、「そのとき」というのは離陸後二回目の〈パーン〉の時である。

 「はじめはスチュワーデスもそれぞれの席に座って酸素マスクをしていましたが、しばらくして、お客様のマスクを直したりして、まわっていました。そのときは、エキストラ・マスクをひっぱって、口にあてていました。」

 落合由美さんの証言によると、酸素マスクがおりてきたときには同時に白い煙のようなものは発生していない。酸素マスクの装着が終わった頃にもう一度異変が起きて白い霧のようなものが発生したと記されているので、酸素マスクがおりた時刻と白い煙のようなものが機内で目撃された時刻とには一定の時間差があったものと考えられる。

 いずれの証言も貴重なのだが、吉崎博子さんの証言と落合由美さんの証言とを比較してみると、酸素マスクがおりてきたときと白い煙が入ってきたタイミングについて、一致していないものと思われる。

 ただ、次の証言は、河津駅のあたりから、〈ボーン〉という音と共に相模湾上空を飛行するジャンボ機がふだんの二倍近い大きさで目撃されたということが、そのときの異変が離陸後初めてのものではなかった可能性を示唆しているものと思われる。

(『疑惑 JAL123便墜落事故』21ページ)
 河津駅の北西の山側で畑仕事をしていた同町役場職員渡辺穣さん(45歳)の証言は
「午後6時半前、ボーンという音で上空を見た。雲の切れ間からジャンボ機がふだんの二倍近い大きさで見えた。」

(その10に続く)

Re: 日航123便墜落事故と事故調査への疑惑と真実の追究 (その一)

  • 投稿No.34 元投稿No.33 日航機墜落事故犠牲者の遺族 小田周二さんへの返信
  • 投稿者:管理人[ 管理者 ]
  • 投稿日:2021-06-30 22:45:35

> *遺族小田は、2015年に『日航機墜落事故 真実と真相』を、2017年に「524人の命乞い」を出版して、
> 国民に、「墜落事故の加害者は 自衛隊である」ことを提起している。墜落事故でなく、事件だと帰結出来るのだ。 

小田周二様、掲示板への投稿ありがとうございます。

 墜落事故によってご子息と長女を一瞬で亡くされてしまった、ということは本当にご愁傷様でございます。悲しいことでそれ以上何とも言葉を紡ぐことが出来ません。

 小田様の投稿文に関連してですが、『疑惑 JAL123便墜落事故』の中で著者の角田四郎さんも以下のように記されています。

 「日航123便墜落事故」は、言われているように単なる「事故」ではないのだ。明らかに「事件」と呼ばれるべきものを内包している。
(418ページ)

 そして、犯人を連想させるのは
 墜落事故当日の夜、羽田空港で遺族達に詰め寄られた日航の重役が思わず語ったとされる言葉として、
 「うちの機は、北朝鮮のミサイルに打ち落とされたんだ。今はそれしかわからん!!」 
(115ページ)

 私の推測した「疑い」が間違いなら、現実に現れている事象はどう考えればよいのか?
 間違っていないなら、この事故の背後に一体なにが隠されていて、事故の全てを歪曲し、全く成立し得ない原因をデッチ上げ、墜落地点と機体を半日以上も隠し、不都合な証拠物件の全てを隠蔽、消去して外国の企業たるボーイング社にまでその手助けをさせる巨大な力が存在したことになる。 
(397ページ)

という記載があります。

 小田様の見解では日航機墜落事故は事故ではなく、事件であり、自衛隊が事件を起こした加害者であったとはっきりと記されていますが、自衛隊というと、隊員の佐間2曹が川上慶子さん(当時12歳)を抱えてヘリコプターにつり上げられている姿が多くの人の脳裏に鮮明に焼き付いているのではないかと思われ、その自衛隊が事件を起こした加害者であったと仰られると信じ難い気持ちが起きてまいります。

 小田様は独自の思惟を積み重ねられた結果、事件の加害者が自衛隊であったという結論となられているようで、それを否定するものではございませんが、一般的には、まさか自衛隊が自国民を積極的に殺すようなことは企てないだろうという強い先入観があるのではないかと考えます。

 小田様にはぜひとも今後の投稿をいただける場合に少しずつで結構ですから、そのように結論付けざるを得なくなられた根拠やプロセスについて誰にでも理解できるように記していただけると幸いでございます。

日航123便墜落事故と事故調査への疑惑と真実の追究 (その一)

  • 投稿No.33
  • 投稿者:日航機墜落事故犠牲者の遺族 小田周二
  • 投稿日:2021-06-29 22:09:58

 8.12連絡会 「日航123便墜落事故調査分科会 会長」として、説明する。
 小田は 日航123便墜落で、愛する子供達、浩二(15歳、高校1年,陽子(12歳、中学1年)の
二人を一瞬にして失った。そして、事実 「520名は 殺された」ことが明確に認識出来た。
遺族は 肉親の死亡事態に衝撃を受け、悔悟と供養に没頭してきた。あまりにも強い衝撃で、遺族には
人生が閉ざされた気持ちになったのだ。
墜落の事故原因などについては、事故状況、証拠、多くの状況証拠は、全て、国、運輸省、自衛隊が所有し、
我々遺族、国民への開示はないのが実情である。まして米国にように、途中で、進捗を公表することのなく、全て
秘密処理がなされているのだ。(今後の事故調査の運営上、改善すべき課題)
まして遺族は掛かる墜落事故に遭遇することはなく、事故の経験、知識もないのだ。事故調査は 被害者である遺族が 行うことは正しく行えないことを考えると、関与を行わないのが 原則である。
然し、事故でなく、国、自衛隊が関与した事件の場合は、事故原因が不明で 国が隠蔽した時には事故遺族の出番が必要になるのが 現状なのだ。
*事故から、20数年経過したが、区切りの、けじめの30年の期限が直ぐ近くに迫っており、遺族小田は、ある事故遺族の活躍に啓発されて、事故の真実を明らかにしようと決意したのである。
 それは、ユナイテッド航空UA811便の貨物室ドア脱落事故で、乗客9名が吸い出されて、死亡した事故で、
この貨物室のドアの破壊脱落の原因は米国NTSBが「作業員が取り扱いミスとの結論を出した」が、この事故  
で 愛する一人息子を失ったケビン・キャンベル夫妻は 途中の尋問で得た資料から、結論に疑問を抱き、本格的に調査と研究に奔走して、技術者キャンベル氏は「ドアのオリジナル設計上のミス」との結論をNTSBに 提出して、再調査を要求した。NTSBは、この提起を受けて、太平洋の海底、4,200mから、ドアを引き上げて、調査して、「電気系統の欠陥である」との結論に至ったのだ。
 当のキャンベル夫妻は、「息子の死を無駄にしないためにも、事故原因を徹底的に調査して、811便の事故の真実を明らかにする。これは 二度と同じ事故を引きおこさないためには 不可欠である。遺族は真の事故原因として、亡き肉親の墓前に報告することが 最大の供養である」と語っており、犠牲者への心情溢れる。遺族の崇高な明言であった。 この言葉に触発されて、遺族小田は 忽然と真実の追及に立ち向かったのである。
*遺族小田は、2015年に『日航機墜落事故 真実と真相』を、2017年に「524人の命乞い」を出版して、
国民に、「墜落事故の加害者は 自衛隊である」ことを提起している。墜落事故でなく、事件だと帰結出来るのだ。 次回は 事故の調査、飛行、墜落などについて、説明を予定します。 
 

18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 その8

  • 投稿No.32
  • 投稿者:せきたに
  • 投稿日:2021-06-27 22:46:12

 18時40分過ぎという時間帯に大月という場所の上空を大きく円を描きながら低空で飛ぶジャンボ機が角田四郎さんによって目撃されている。

 18時30分に富士山の東側を通過したのだとすれば、そこから大月までどうして10分以上もかかっているのだろうか。

 犠牲者 河口博次さん(52歳)の遺書

 飛行機は まわりながら
 急速に降下中だ

 富士山の東側を通過するとき、機体は大きく横方向に大きく揺れていた。
 その後、すぐではないかもしれないが、大月上空に至るまでのところで、機体は円を描きながら、ということは前進した箇所と後退した箇所があったことになり、螺旋状の軌跡はを描いて降下しながら大月に近づいて行ったので、まっすぐ飛行するときの倍ぐらいの時間がかかったものと思われる。

(その9に続く)