18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 その8

  • 投稿No.32
  • 投稿者:せきたに
  • 投稿日:2021-06-27 22:46:12

 18時40分過ぎという時間帯に大月という場所の上空を大きく円を描きながら低空で飛ぶジャンボ機が角田四郎さんによって目撃されている。

 18時30分に富士山の東側を通過したのだとすれば、そこから大月までどうして10分以上もかかっているのだろうか。

 犠牲者 河口博次さん(52歳)の遺書

 飛行機は まわりながら
 急速に降下中だ

 富士山の東側を通過するとき、機体は大きく横方向に大きく揺れていた。
 その後、すぐではないかもしれないが、大月上空に至るまでのところで、機体は円を描きながら、ということは前進した箇所と後退した箇所があったことになり、螺旋状の軌跡はを描いて降下しながら大月に近づいて行ったので、まっすぐ飛行するときの倍ぐらいの時間がかかったものと思われる。

(その9に続く)

Re: 事故ではなく事件だ

  • 投稿No.31 元投稿No.30 佐藤スポーツ整体さんへの返信
  • 投稿者:管理人[ 管理者 ]
  • 投稿日:2021-06-17 22:49:32

佐藤スポーツ整体さん投稿ありがとうございます。

> 2)プラザ合意に反対していた関西の財界大物4名
> 3)グリコ森永の実行犯
> 4)松下トロンOSの技術者17人

墜落した旅客機にはそのような人たちが乗っていたのですね。

ひとつ質問をさせていただきます。

一般的には墜落した旅客機には
2)プラザ合意に反対していた関西の財界大物4名
3)グリコ森永の実行犯
4)松下トロンOSの技術者17人
のような人たちが乗っていた。

という表現を取るのが通常ではないかと考えますが、

佐藤スポーツ整体さんの投稿文では

あの墜落事故は
2)プラザ合意に反対していた関西の財界大物4名
3)グリコ森永の実行犯
4)松下トロンOSの技術者17人

といった人たちを殺すのが目的だった。
と表現されているわけですが、

そうすると、墜落事故を仕組んだ側にとっては、その人たちが一緒の飛行機に乗り合わせることがあらかじめわかっていたということになりますが、そういう解釈で合っていますでしょうか?

事故ではなく事件だ

  • 投稿No.30
  • 投稿者:佐藤スポーツ整体
  • 投稿日:2021-06-17 12:36:05

池田昌昭さんから紹介され、このサイトを見つけました。
当時の社会情勢からして怪しいと言わざるを得ない。
1)プラザ合意を呑ませるために中曽根を脅迫するため
2)プラザ合意に反対していた関西の財界大物4名を全員暗殺するため
3)グリコ森永の実行犯を殺害し証拠隠滅するため
4)松下トロンOSの技術者17人を抹殺するため
5)JAL123便が核弾頭を輸送していることを米軍が突き止め、ミサイルで攻撃した
6)核弾頭輸送を隠蔽するため、自衛隊は日航機を御巣鷹山までおびき寄せ撃墜した
7)JAL123便の生存者は数十名以上いたが、ほぼ全員VX毒ガスなどの手法で殺された
知られたら困るから隠蔽したのです。

18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 その7

  • 投稿No.29
  • 投稿者:せきたに
  • 投稿日:2021-06-13 14:40:31

 落合由美さんの手記の中で、18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくくさせている最大の理由はおそらく次の箇所だろう。

 「そのうちに酸素が出なくなりました。いつだったか、私がフライトをしていたとき、お客様から、酸素マスクは何分くらいもつのか、とたずねられたことがありました。全員が吸った場合、18分くらい、と計算したことがあります。そのくらいの時間が経過していたのかもしれません。でも、ほとんどのお客様は、そのままマスクをしていました。」

 上記の記載があって、その後に富士山の東側を通過したことが記されているので、富士山の東側を通過したときには既に酸素マスクから酸素が出なくなっていたことは明らかだ。
 問題なのは
「全員が吸った場合、18分くらい、と計算したことがあります。」
と記されているころで、これをそのときのフライトにおいて実際に酸素マスクが18分間もったのだと解釈すると間違ってしまう。

 実際に酸素マスクが18分間もったと解釈すると、離陸後最初の異変が起きて酸素マスクが下りたのが18時20分頃だとしても、富士山の東側を通過したのは18時38分よりも後だったことになる。

 それで何が都合が悪いのかと言われるかもしれないが、犠牲者の村上良平さんは遺書に、

 機体が大きく左右にゆれている
 18・30 急に降下中 

と記されている。

 一方、生存者の落合由美さんは
 「飛行機はあいかわらず旋回をくり返すように左右の傾きをつづけます。振動などは全然ありません。とにかく、くり返し、左右に傾いているという揺れ方がつづきました。」

 と記されている箇所があり、その表現は

 村上良平さんの

 機体が大きく左右にゆれている

 の箇所とピッタリと一致しているが、落合由美さんはそのあたりを飛行しているときの情景描写として、

 「私の席に近い左の窓から見えたのは、まっ白な雲だけでした。かなり厚い雲で、地上は見えませんでした。」

 と記されている。

 更に、酸素マスクの装着に続いてほとんど間をおかずにライフベストの装着が始まったようだが、そのあたりでも
 
 「私は羽田にもどれればいいな、と感じていました。しかし、まだ雲の上で、高度も高いし、ちょっと無理なんじゃないかな、とだんだん不安になってきました。」

 と記されており、酸素マスクの装着からライフベストの装着がはじまるまで一貫して機体が雲の上にあったことが記されている。

 そして、その延長として、

 揺れはいっそう大きくなりました。もう立っていることはできないほどです。救命胴衣をつけ終わってすぐに、ほとんどいっせいに安全姿勢をとりました。

 とあり、その言葉に続いて

 「安全姿勢をとる直前、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。」

 という言葉が一連の文章として綴られている。

(その8に続く)

18時30分に富士山の東側を通過したことに気付きにくい理由 その6

  • 投稿No.28
  • 投稿者:せきたに
  • 投稿日:2021-06-08 20:48:33

 『疑惑 JAL123便墜落事故(角田四郎 著)』21ページには
 東伊豆、河津駅の北西の山側で畑仕事をしていた同町役場職員渡辺穣さん(45歳)の証言は「午後6時半前、ボーンという音で上空を見た。雲の切れ間からジャンボ機がふだんの二倍近い大きさで見えた。 
 と記されている。

 この証言から何がわかるかと言えば、上空を見上げたとき、ジャンボ機が雲の切れ間から見えたということは、東伊豆上空の空は晴れており、ところどころに雲が出ているような天気であったということ。そして、機体は雲よりも上の位置にあったことを意味する。更に、そのときの高度についてはふだんの二倍近い大きさで見える高度のところを飛行していたということだ。
 その場所を飛行するふだんの高度が地上7,000メートルぐらいであると言われているが、地上からふだんの二倍近い大きさで見えたということは、そのときはずっと低い高度を飛行していたことになる。 

 もう一つの疑問点は、その時点でどうしてふだんの二倍近い大きさで見えたのかという点だ。
 そのことを考えるとどうしても離陸後ベルトサインがはずれて客室乗務員が席を立ち、子供たちに向けて夏休みのキャンペーン商品であるぬいぐるみのグッズを配り始めたときのタイミングで起きたと考えられる異変のことが気になってくる。 
 
 落合由美さんの手記の中で、
「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、〈パ-ン〉という、かなり大きい音がしました。」
 このとき、機体は水平飛行に近づいていたので、ベルトサインが消えたものの、正確にはまだ上昇中であったと思われる。
 離陸後一回目に起きた異変によって、客室内では酸素マスクが下りてきている状態だったので、機内で急減圧が生じている可能性があるかもしれないと考えたパイロットたちは機体を通常の高度まで上げずに、異変が生じた時の高度を維持し、そのまま二回目の異変が起きるまで水平飛行したのではないか。
 そうであればその水平飛行の間に乗客の大半が酸素マスクを装着したものと思われる。

(その7に続く)