Re.(43) エルロン動いたヘの道

  • 投稿No.3218 元投稿No.3214 文系ちゃんさんへの返信
  • 投稿者:鷹富士
  • 投稿日:2024-05-15 20:38:36

文系さんへ   

動画の大平氏の説は、No.3203の末尾1行に述べたことと同じ理由で、成立しません。高名な学者と思われるのに、衝撃の伝播もDFDRについてもご理解ないようです。
隔壁の後ろに空気が滞留し、これが金属疲労していた尾翼の外板をはがし、それを基点に尾翼全体が崩壊したのなら、DFDRには全く異なる記録がでます
また、プレッシャーレリーフドアがあり、水平安定板の貫通部には胴体の壁に隙間が開いているから、隔壁の後ろに空気の滞留もありえません。
名誉教授を名乗られるからには、機体構造やDFDRまで突っ込んで解析されるべきで、部外者の私から見ても恥さらしです。

DFDRの拡大図は、オリジナルデータの項目によっては毎秒8回、4回など、詳細なのに対し、DFDRの全体図は1秒に1回ですから、変化の急激な部分は飛んでいます。
全部をオリジナルのとおりに印刷すれば、膨大なページ数になるから、異常発生前後を除いて簡略化したと思います。
私は、DFDR全体図の中でも墜落直前の数分間は変化が激しいので、5倍ほどに拡大してデータを読み取りました。
拡大図のAは縦衝撃、Bは横衝撃が伝わったものです。No.2608を参照ください。
事故調は、Aについては(圧力隔壁破壊を前提に)APUの防火壁が離脱した時の反力とし、Bについては(No.2610で指摘したように)説明できていません。

Re. 18時20分15000ftの航跡図

  • 投稿No.3217 元投稿No.3204 河津低空飛行説さんへの返信
  • 投稿者:鷹富士
  • 投稿日:2024-05-15 19:59:08

河津低空飛行説さんへ

興味深い説を示していただきましたので、若干の質問をさせていただきます。

1、事故調報告書の経路図から、ALTを変えそれに伴いTASを変えた、という説明ですが、ALTが変われば、ダッチロールとフゴイドの周期も変わるはずなのに、それを変えないのはなぜですか?
また、高度が変わると、その前後に上昇下降が伴うからPCHとVS2が変わり、LNGGやAOAやEPRなどにも影響しますが、これらを変えないのはなぜですか?
これらを含め、あなたが考える「正しいDFDR図」の全体を示されずに、経路図のみを示されるのはなぜですか?
いちばん肝心のALTとTASの変化図さえも示されないのはなぜですか?

2、事故調の経路図はレーダー情報に基づいています。今回のあなたの図はこれを元に作られていますが、そのような虚構の図を元にせず、あなた自身が計算したTASで経路図を作られないのはなぜですか?

3、「静岡S字証言」と記されていますが、今回のあなたの図では静岡上空を通過せず、清水の上空を通過しています。 「静岡S字証言」の内容を示していただけませんか?

4、「駿河湾3000ft証言」は、誰による、どのような証言ですか?

5、「18時32分くらいの超低空飛行がレーダー及び無線音声の消失」と記されていますが、事故調報告書では、この前後にレーダー記録はありますが、これを否定される根拠は何ですか?
また、「無線音声消失」とは何の意味ですか?

6、18時20分の異常事態内容を具体的に示していただけませんか?

7、経路図を描かれるからには、墜落までの全体像が描かれないと中途半端ですが、
18時40分30秒以降の経路はどのようになるのですか?
このままつないだら、墜落地点は長野県川上村になりますが、それでよいのですか?
8、変更したALTとCASから、TASを出す計算式を示していただけませんか?
         

> ことから、航跡図を再度作成しました

> 政府は外圧に負けて
> 『圧力隔壁説をでっち上げるため』
> 『河津低空飛行を隠蔽し
>  河津DFDR高度を高く改竄』
> しました

> 改竄作業を簡便にするため、CASと
> 時刻を固定したまま高度のみ高く改竄、
> 自動的にTASと移動距離が増えました

> 0.自衛隊による18時20分異常事態情報
> 1.河津の低空飛行の目撃証言
> 2.18時30分降下の複数の遺書
> 3.駿河湾3000ft証言
> 4.18時32分くらいの超低空飛行が
>  レーダー及び無線音声の消失を招き、
>  18時40分の墜落判断から
>  19時前のテロップに繋がった
> 5.静岡S字証言
> 6.富士山東証言
> 7.平栗氏の最大15000ft発言

> ある程度の計算根拠がある航跡図で、
> これだけ各種証言と一致する航跡図は、
> 事故後40年で初めてだと思います

> 特に18時30分に降下が遂に始まった
> という複数の遺書と一致する航跡図は、
> 事故後40年で初めてだと思います

> ここまで真相に迫った航跡図は、この
> 掲示板が生んだ最高傑作だと思います

> よく考えて下さい
> DFDR改竄を疑う人は多いですが、
> 改竄する理由をシンプルに説明した人、
> 実は私が40年で最初だと思います

> これを見て遺族の方が喜ぶんじゃないか
> と期待しています
> いかがでしょうか?

> ※時刻とCASを固定して、高度のみ
>  低空飛行を想定してTASを計算
> ※各点を結ぶ線は平行かつ長さが
>  短くなっています
> ※線の長さは両端のTASの平均と比例
> (時間固定にて距離比になります)

Re.(8) 18時20分15000ftの航跡図

  • 投稿No.3216 元投稿No.3215 管理人さんへの返信
  • 投稿者:河津低空飛行説
  • 投稿日:2024-05-15 12:59:41

管理人さま
いつもありがとうございます
自分の至らなさを感じています

> 吉岡忍さんの『墜落の夏』には次のような順序で記されているはずですが・・・

吉岡さんの著作に富士山東を飛行した
記述はないと認識してましたが、記述が
あるんですね
恥ずかしながら初めて知りました

>  全員が救命胴衣をつけ終わるまでに五、六分かかりました。つけ終わっ方は、となりの方を手伝ったりしていました。

>  揺れはいっそう大きくなりました。もう立っていることはできないほどです。救命胴衣をつけ終わってすぐに、ほとんどいっせいに安全姿勢をとりました。

>  私は「56C」にもどりました。
>  そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。

落合さんが富士山を見たのが18時37分
くらいとすると、ライフベストを着用
したのは18時30-36分くらいかと
思われます

遺書の18時30分の降下から富士宮に
上昇するまでの区間における、高度の
乱高下とダッチロールが、機体の
大きな揺れを招いたと思います

航跡がS字になっている箇所、これは
ダッチロールそのものだと思います

ライフベストと安全姿勢、、、
墜落が前提となる安全対策ですね
セットで考えるべきでしょうね

酸素マスクをピーンと引っ張って
ライフベスト着用で安全姿勢、、、、

これが18時30分から増えていき
18時37分くらいに富士山を東に
見た時刻くらいに墜落への備えが
完成、、、
逆にその18時37分くらいには
酸素はなくなりかけていた、、、

時間的に、こんな感じでしょうか

以上、私の航跡図に落合さんの証言を
当てはめてみましたが、時間的に
これと言った大きな矛盾も
なかったかと思います

いかがでしょうか?

Re.(7) 18時20分15000ftの航跡図

  • 投稿No.3215 元投稿No.3213 河津低空飛行説さんへの返信
  • 投稿者:管理人[ 管理者 ]
  • 投稿日:2024-05-14 21:24:53

> 落合さんの証言の中に、
> 飛行中に富士山を目撃した件があります

> 落合さんの証言も2通りあります
> 1.初期証言 
>  墜落後最初にJALの幹部や落合さんの
>  お父様と病院で面会した際の証言
> 『富士山が左、すぐ近くに見えた』
> 『後ろにスーと見えなくなった』
> 『羽田に帰れると思ってホッとした』
> 2.吉岡証言
>  7時間かけて取材し本を出版
> 『富士山が見えたが高度も高く、
>  羽田に帰れるか不安になった』
> (※富士山を左に見た件には触れず)

管理人です。

吉岡忍さんの『墜落の夏』には次のような順序で記されているはずですが・・・

 全員が救命胴衣をつけ終わるまでに五、六分かかりました。つけ終わっ方は、となりの方を手伝ったりしていました。救命胴衣をつけているあいだに、スチュワーデスの声でアナウンスがあったのです。正確には覚えていませんが、「急に着陸することが考えられますから」というような内容です。それと、「管制塔からの交信はキャッチできています」とも言っていました。私の想像では、二階席のアシスタント・パーサーが操縦室に入って、様子を聞いてきたのではないかと思います。落着いた声でした。

 揺れはいっそう大きくなりました。もう立っていることはできないほどです。救命胴衣をつけ終わってすぐに、ほとんどいっせいに安全姿勢をとりました。そのときには、眼鏡をはずしたり、先のとがったものは座席ポケットにしまったりとか、上着があれば、衝撃の際の保護になるように着用してください、と指示するのですが、そんな時間的余裕はありませんでした。

 私は「56C」にもどりました。L5のスチュワーデスは通路をはさんでふたつうしろの空席に座りました。安全姿勢は、頭を下げ、膝の中に入れて、足首をつかむんです。うしろのスチュワーデスも私も、席に座って大声で何度も言いました。「足首をつかんで、頭を膝の中に入れる!」「全身緊張!」。全身を緊張させるのは、衝撃にそなえるためです。こういうときは、「・・・してください」とは言いません。
 お相撲さんや、妊娠してお腹の大きい女性の場合、腰をかがめるのは苦痛ですから、逆に背中を伸ばして、脚でしっかり床を踏み、椅子の背に上体を押しつける安全姿勢のとり方があるのですが、このときにはそういう姿勢をしているお客様はいませんでした。

 安全姿勢をとる直前、私はとなりのKさんに言いました。「緊急着陸して、私がもし動けなかったら、うしろのL5のドアを開けて、お客様をにがしてやってください」と。Kさんは「任せておいてください」と、とても冷静な声で言いました。Kさんと言葉をかわしたのは、これが最後です。

 そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。頭を下げながら機内をちらっと見ると、たくさん垂れている酸素マスクのチューブの多くが、ピーンと下にひっぱられているのが見えました。マスクをつけたまま安全姿勢をとったお客様が大半だったのかもしれません。

Re.(42) エルロン動いたヘの道

  • 投稿No.3214 元投稿No.3203 鷹富士さんへの返信
  • 投稿者:文系ちゃん
  • 投稿日:2024-05-14 17:20:26

鷹富士さまへ                  
                  
>仮にフラッターが発生したら、LATGに激しい振動波形が記録され、LNGGには後ろ向きの加速度が記録されるはずなのに、いずれも記録されていません。                  
                  
フラッターですと、徐々に大きくなる振動波形が発生し、それも時間経過で振幅幅の増加も頭打ち、そのうち破損に至る というようなものをイメージしております。                  
先に見ました通り、破壊よりも前にそういった振動は見られないようですので、おっしゃるとおりにフラッターではないものと判断できます。
                  
                  
>仮に、飛翔体が垂直尾翼の側面に衝突してそれを破壊させたなら、LATGとHDGの変化が記録されるはずですが、そのような記録はありません。                  
                  
HDGは全くの無反という訳ではないようですが、飛翔体は斜め前から飛んできているというということですので、これは当然のことであろうと捉えています。                  
                  
                  
この度、いつも見ている通しのチャートを報告書にある24分あたりの拡大チャートに合わせるという作業をしてみました。                  
データとしてどう扱うかが問題となるのが、LNGG(前後方向加速度)のAで記したポイントのところです。                  
ワタナベケンタロウさまの動画153の19分40秒のところで、あのデータの扱いに関しての九州大学名誉教授の見解を見ることができます。                  
                  
https://www.youtube.com/watch?v=OWgUKXkgFZA                  
                  
鷹富士さまにおかれましては、この点Aについては、どのようにお考えでしょうか?                  
                  
<チャート確認(拡大・通常)>                  
https://imepic.jp/20240514/622090                  
                  
                  
.                  

> No.3201と3202に関して、まとめてコメントします。

> 油圧が失われるとエルロンもエレベータも動かない、という思い込みは、事故調の調査官も含め、PCUの構造を理解しない誤解です。
> 事故調の解釈に基づけば、異常発生直後から操縦士は、操縦桿を押しっぱなし、操舵輪をダッチロールに合わせて正確に左右へ回し、方向舵ペダルを踏みっぱなし、さらにエンジン出力を頻繁に変え、機長が20回も「あたま下げろ」と叫んでいるのに反応しない。こんな異様な操作はあり得ません。
> また、仮に油圧が残っていてCWPが操舵輪の動きを示すなら、操縦士はダッチーロールを抑制も昂進もしない無駄な操作をしていたことになり、そんな馬鹿げたこともあり得ません。
> 事故調の解釈は根拠のない誤りです。

> 尾翼上端の損傷のスケッチは、サイズの小さい文庫本には不向きなので省略したと想像しますが、著者自身も重要視していなかったように思います。

> 仮にフラッターが発生したら、LATGに激しい振動波形が記録され、LNGGには後ろ向きの加速度が記録されるはずなのに、いずれも記録されていません。

> 仮に、飛翔体が垂直尾翼の側面に衝突してそれを破壊させたなら、LATGとHDGの変化が記録されるはずですが、そのような記録はありません。

> また、これらのいずれも、24分38秒にピークを記録されている、AOAとVRTGの変化を説明できないし、35.6秒のLNGGの前向きの突出、36.4秒のVRTGの下向きの突出も説明できません。

Re.(6) 18時20分15000ftの航跡図

  • 投稿No.3213 元投稿No.3212 管理人さんへの返信
  • 投稿者:河津低空飛行説
  • 投稿日:2024-05-12 22:25:09

管理人さま
 申し訳ありません
 「返信」すべきところを間違って
 「編集」してしまいまして、
 書き込み内容が昨日のものとは
 全く異なってしまっています

落合さんの証言の中に、
飛行中に富士山を目撃した件があります

落合さんの証言も2通りあります
1.初期証言 
 墜落後最初にJALの幹部や落合さんの
 お父様と病院で面会した際の証言
『富士山が左、すぐ近くに見えた』
『後ろにスーと見えなくなった』
『羽田に帰れると思ってホッとした』
2.吉岡証言
 7時間かけて取材し本を出版
『富士山が見えたが高度も高く、
 羽田に帰れるか不安になった』
(※富士山を左に見た件には触れず)

私は初期証言の方が、しがらみもなく
落合さんの素直な気持ちが純粋に
表現されていると思っています

私の航跡図ですと、落合さんは富士山を
左に目撃することになりまして、事故調
の航跡図より真相に近いと考えています

ここが最も落合さんの証言と一致する
ところだと思います

とは言え、低空飛行で海を見たとの
証言がないことが気がかりです
駿河湾で右旋回の際は左側の窓から
海が見えなかったのでしょうか?

松崎町で低空飛行の目撃ないことから
雲が低かったのかも知れません

遺書を書く人がいた時間帯ですので
心は海にあらずというところでしょうか

実を言いますと、航跡図を初めて書く際、
18時30分に降下が始まったという遺書が
頭から完全にスッポリと抜けていました

18時30分に始まった降下が、駿河湾の
3000ftに向かう降下と気づき、少しの
違和感なく航跡とピッタリ一致したため
背中に悪寒を感じるくらい驚愕しました

あっ、これが真相なんだと

Re.(5) 18時20分15000ftの航跡図

  • 投稿No.3212 元投稿No.3211 河津低空飛行説さんへの返信
  • 投稿者:管理人[ 管理者 ]
  • 投稿日:2024-05-12 21:34:19

管理人です。

> 酸素マスクは大体10分強は
> 装着したでしょうか
> 富士山東付近あたりで出なくなったと
> 考えられます
> 区間で言うと、8-10あたりです

> 雲を抜けて富士山頂上付近の高度に
> 達して、富士山周囲の突風を避け、
> 同時に雲を避け視界確保したと
> 考えています

> ライブベストはその後、旋回付近から
> 徐々に着用していったと考えます

それで落合証言との整合性は取れているでしょうか?

Re.(4) 18時20分15000ftの航跡図

  • 投稿No.3211 元投稿No.3210 管理人さんへの返信
  • 投稿者:河津低空飛行説
  • 投稿日:2024-05-12 17:05:42

管理人さま
返信ありがとうございます

> 管理人です。

> 低空飛行であった可能性は十分あると思います。

> 航跡に関しては、犠牲者の小川哲さんが機内の様子を撮影された写真を見られたことがないでしょうか。

> 一度ならずあるかと思いますが、乗客たちは酸素マスクを装着されていますよね。

> 酸素マスクやライフベストの装着はどのタイミングで(どの区間で)行われたかを考えてみられたことがあるでしょうか?

酸素マスクが落ちてきたのは
18時25分の爆発音の直後だと
考えています

18時20分の異常事態というのは
爆発音はなかったが、機長が高度を
上げない判断をする程度のものと
考えます

機内写真以外にも富士山の写真が
何枚かあったと思いますが、乗客が
旅行気分で富士山の写真を撮っていた
ことから、18時20分の異常は
乗客にとっては無関係と思います

酸素マスクは大体10分強は
装着したでしょうか
富士山東付近あたりで出なくなったと
考えられます
区間で言うと、8-10あたりです

雲を抜けて富士山頂上付近の高度に
達して、富士山周囲の突風を避け、
同時に雲を避け視界確保したと
考えています

ライブベストはその後、旋回付近から
徐々に着用していったと考えます

以上よろしくお願いします

Re.(3) 18時20分15000ftの航跡図

  • 投稿No.3210 元投稿No.3209 河津低空飛行説さんへの返信
  • 投稿者:管理人[ 管理者 ]
  • 投稿日:2024-05-12 13:07:09

管理人です。

低空飛行であった可能性は十分あると思います。

航跡に関しては、犠牲者の小川哲さんが機内の様子を撮影された写真を見られたことがないでしょうか。

一度ならずあるかと思いますが、乗客たちは酸素マスクを装着されていますよね。

酸素マスクやライフベストの装着はどのタイミングで(どの区間で)行われたかを考えてみられたことがあるでしょうか?

Re.(2) 18時20分15000ftの航跡図

  • 投稿No.3209 元投稿No.3205 管理人さんへの返信
  • 投稿者:河津低空飛行説
  • 投稿日:2024-05-11 23:16:41

> 管理人です。

> 投稿ありがとうございます。

実を言いますと、
私が河津低空飛行説を名乗り、
この航跡図をアップした頃と前後して、
123便の航跡を考察する論客が
次々といなくなりました

ホント、潮が引くように
いなくなりました

ワタナベケンタロウさんも
その一人です

何か新しい情報があったとしても
低空飛行の情報ばかりですが、
その情報に反応する人すら
いなくなってしまいました

DFDRの改竄はあり得ない、
23900ftでも視力あれば見える、
擬装機の存在を主張、、、
最近は見かけなくなりました

陰謀論者は陰謀論者で、他人の説なんか
飲み込みたくない心理が透けて見えます

こんな簡単な航跡図であっても、
新情報に伴って修正、アップするのは
私しか許されていないような、
そんな空気を感じます

インターネット上における、
私の手書き航跡図に対する
ホントの評価が伺い知れます

墜落原因の追求とは違って
航跡の追求は、いつか答えが分かる分野
だと言うことです