使い方とルール
掲示板設立の趣旨
御巣鷹山の悲劇
訪問者数 1201012 / ページ閲覧数 1426851
返信投稿
投稿者名
題名
内容
> 1 横田基地の「命の尊厳に対する方針変換」の謎 > @横田基地の日航事故機への基本的な救助対処と 「突然の救助中止と撤退命令」への変更の謎 ― 横田基地の基本的な救助方針の突然の変更の謎― > 日航機事故機が 操縦出来、横田基地への着陸申請を申しいれて 横田基地は「緊急着陸を許可」している。然し 事故機が 横田基地に着陸行動を起こさず、 > 基地から 逆に遠ざかるので、横田は 10回も日航事故機に呼び掛けている。 > そして 事故機の上野村方面で その機影が消えて、横田は アントヌッチ中尉に墜落場所への捜索と救助を目的として、飛行追尾を指示している。 > 2 (アントヌッチ中尉の告白著書:1995,8.20、告白証言。本) > ー「事故機とアントヌッチ中尉のC130H機の飛行状況と捜索、救助の事態」ー > 18:40 高濱機長が横田基地に緊急着陸を要請。横田は緊急着陸を了解した。 > 然し、事故機は 横田基地に緊急着陸を行わず、横田は事故機に何度も緊急の連絡を行った。 > 18:56 事故機の機影が 上野村付近でレーダーから 消えた(墜落した) > 19:00 横田基地は アントヌッチ中尉に捜索の打診 > 19:20 米軍輸送機C130H が 日航機墜落場所の上空に到着⇒ 墜落場所の位置情報を 日本当局に 連絡 > 19:54 航空自衛隊 百里基地から 救難機 V107 発進 > 20:30 米軍C130は 上空で旋回、自衛隊 UH1救難ヘリを誘導し 正確な墜落場所の位置情報の把握と 日本側への連絡 > 20:50 米軍UH1が 現場上空で兵士が 降下準備 > 21:05 UH1 が現場で 乗員をロープに巻き付けて 降下開始 > *横田基地から、UH1とC130Hに対し、救助中止と 帰還命令 > 21:20 横田基地から、C130H に「日本の救難機が現場に向かっている」と連絡。 C130H が 横田基地への帰還開始。 > ーC130H機は、墜落現場上空で 2時間飛行、旋回。 > 日本側の飛行機が到着。確認後、墜落場所から 撤退。 > ⇒ 結局 自衛隊は生存していた乗客の救助活動をして、不作為が 判明。 > 自衛隊の乗客乗員を見殺しにした事態が 判明した。 > 翌日 13日 13:00 1週間の沖縄への出発命令。⇒ 証人の隔離? > 8月28日 沖縄で。アントヌッチ中尉は 「落合さんが ヘリに手を振った」との新聞談話を読み、「米軍兵士が降下しておれば もっと多くの乗客を助けることが出来た」と、考えた。 > *1987年 3月 アントヌッチ中尉は 空軍基地で 日航機の捜索と救助で 表彰を受けた > @*横田基地は当初 日航事故機の乗客乗員の救出のために 横田基地は積極的に緊急着陸を許可している。 > 然し 日航事故機が 墜落して、墜落場所を捜索し、墜落場所を突き止めて、救難ヘリと呼び寄せて、救難活動を開始した段階までは 横田基地は日航事故機の乗客、乗員の人命救助に 賛同している。 > 然し 墜落場所で救難活動が開始の段階で突然 「横田基地から、救助中止と撤退」の命令が届いている。 > この突然の異常な命令の変更が 極めて異常であり、怪奇であった。アントヌッチ中尉も疑念を抱いている。 > この方針変換は 何故起きたか 又誰が 変更させたのか ? > 3 米国は 人の命、兵士の命を大切にする伝統的な思想、哲学が 定着している。 > 横田基地は 米国領で、日本の空の全域を網羅して、管理し、監督する司令塔であり、その最高権力者 軍人の(中将クラス)が指揮している。 > 即ち、米軍の軍部幹部は この思想で 統一されており、例えば、先の「イラン戦争」では 米軍人が捕虜となり、その救出作戦が決死の活動で実行したが 失敗して逆に多くの兵士が死亡する事態が起きた経緯がある。 > この思想が背景で、米国軍人は 国は 命を守ってくれると信じており、信頼されており、最強の軍隊と言われているのだ。 > この方針、思想に従い、 当初は 日航事故機が横田基地に緊急着陸を申請したとき、横田は許可している。 > > @ このような軍事的な重要な救助を 突然、変更させるには 米軍の下僕である自衛隊の幹部では 無理である。 > 米軍幹部の考えを変えさせるのは 軍部に対し,強い権限を持っている「米国大統領」しか いないのである。 > 日本の中曽根総理が 横田基地の司令官に対し、「乗客の救助中止」を求めても無理である。ここに 中曽根とレーガンとの親友「ロン ヤス」の出番なのだ。 > > >
確認画面へ
戻る