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御巣鷹山の悲劇
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> 「乗客乗員 520名は 慰霊の園で、「遭難者」として 慰霊されている !! > 日航123便は 1985.8.12 相模湾上空で 自衛隊標的機に激突され、垂直尾翼と重要な油圧配管を破壊され、操縦不能に陥った。 > ここから、乗客乗員は 30分以上、操縦不能の機体の揺れに振り回され、極度の恐怖を体験し味わいながら、シートベルトに固定され、声も出せず、沈黙のまま、この恐ろしい体験に耐えていた。 > 然し、機長の機転で 操縦出来た日航機は横田基地飛行場に着陸を考えたが、自衛隊は許さず、禁止して、川上村へ向かって、飛行し、不時着を敢行したが、着陸が出来ず、復航飛行して > 三国山を左に旋回、上昇して、衝突を回避して、上野村に入った。 > 然し、この機会を逃さず、自衛隊は 至近距離から ミサイルで『第4エンジン』を攻撃し停止させ、更にこの衝撃で 18:55:45 重要な「水平尾翼」が破壊脱落して、完全な操縦不能になった。 > 然し 事故機は 機長らは 機体のバランスを取りながら、必死の飛行を行ったが、機体は 高度1500mの飛行と 旋回飛行が出来ずに 平坦な陸地を探して、飛行を行った。 > この途中に上野村の上空を飛行し、御巣鷹方向に飛行し、(一本松)(U字溝)を経由して、1600㎥もある(御巣鷹の尾根)に向かって飛行し、然し これを避けるための旋回、上昇飛行が出来ず、激突して 墜落した。(18:56:30 ) > この間、30分以上 400km以上も飛行したが、シートベルトに固定拘束されて 機体の旋回、急上昇、急降下飛行など 機体は大きく揺れて、墜落の恐怖が乗客を苦しめたのだ。 > 高速で山に激突して巨大な衝撃で 乗客、乗員は分解され、切断させ、手足が 分離し、高い樹木に引っ掛かり、又 多くは 火炎放射器で焼死し、又毒液で殺され、見分けも困難であった。 > 完全遺体は 後部座席の100名位で、残りは殆ど バラバラ遺体であった。然し、元気に飛び回る乗客も見つけられたとの報告があったが 急に 姿が消えたとの報告もあった。 > 小田浩二、陽子の遺体は 包帯でぐるぐる巻きにされて、顔と足の一部しかが見えない姿が 棺桶の中で、 親を待っていたのだ。 夜の体育館での 哀しい対面であった。 > 小学校6年生の陽子と高校1年生の浩二の最後の無残な姿であった。 > 2日後 現地で荼毘に付し、車で 東京の社宅に帰った。 骨は途中まで 暖かかった。 > 多くの学生の友人が 葬儀で送ってくれた。 > そして、国は 事件で死亡した乗客、乗員520名の犠牲者を 「遭難者」として 毎年 慰霊式典を開催し、決して、「犠牲者」とは 言わなかったのだ。 > これが「遭難者 慰霊式典」の命名が 遺族を苦しめたのだ。 > 遺族の抗議にも 慰霊の園の理事長は 頑として拒否し、そして付け加えて 遺族に言った言葉が「過去から 現在まで そうして 命名して来た」と嘯いたのだ。 > 現在も 慰霊の園で 又日航の羽田で 『隔壁破壊説』が 生きており、国は 司法が否定し 技術的にも成立しない偽説を 説明して、遺族、国民を騙し、洗脳を行っている。 > 中曾根総理、自衛隊の虐殺犯罪を隠し隠蔽するために,乗客乗員の証人を口封じし、消し去り、証拠の標的機の残骸の隠蔽を図って来た。 > これが 主権者の市民を虐殺する、日本の権力者、自衛隊の真実の姿であるのだ。 > 日本には 民主主義は 存在しない。 ただ 不自由な権力主義しかないのだ。 > これを 貴方方は この乗客の虐殺行為と航空局、群馬県警、日航、米国FAA,NTSB、ボーイング社の隠蔽行為を 許しますか ? >
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