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御巣鷹山の悲劇
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> せきたにさまへ > 14日に行われた日航幹部による落合さんに対する聞き取りに関する新聞記事は、以下の内容のようでした。 > 落合由美さん(26)が松尾芳郎日航取締役らに話した事故当時の模様は次のとおり(全文)。 > 私は「56C」の座席で雑誌を読んでいた。後部客室の状況はいつもと変わらなかった。午後6時25分、バーンという音が上の方でした。そして耳が痛くなった。ドアが飛んだかどうかは不明。 > 床下やその他で、ほかの爆発音は聞こえなかった。同時にキャビン内が真っ白になり、キャビンクルーシートの下のベントホール(差圧調整口)が開いた。床は持ち上がらなかった。ラバトリー(便所)上部の天井も外れた。同時にO2マスク(酸素マスク)がドロップ。プリレコーディド・アナウンス(録音済みテープ)が流れ出した。この時ベルトサインはまだ消えてなかったと思う。 > 機体はかなりひらひらフライトし、ダッチロール(8の字を描くように飛行)に入ったようだった。ややして、富士山が左に見えたのでコックピットアナウンスはなかったが、羽田に戻るものと思った。10分ほどしてO2がなくなったが別に苦しくはなかった。 > この間コックピットアナウンスはなかったが、パーサーから非常事態のアナウンスはあった。後部デューティーSS(乗務スチュワーデス)と一緒に、お客さまに対しライフベスト着用と安全姿勢の指導をして回った。その後、自分もベルトを着用し安全姿勢をとった。 > 機体はやがてかなり急角度で降下(まっさかさまという感じ)し出した。間もなく2、3回強い衝撃があり周りのいす、クッションその他が飛んだ。 > 自分の上にはいすが重なり身動きができない状況だった。おなかがちぎれそうに苦しかったが、やっとの思いでベルトを外すことができた。しかし、いすの間に体が挟まり身動きはできなかった。 > ヘリコプターが見えたので手を振ったが、向こうでは分からないようだった。火災は周囲では発生していなかった。やがて眠ってしまった。 > 男の人の声で目を覚ましたら、朝だった。 > 解釈ですが、私としましても、酸素の出始めから、出なくなるまでで10分ほど、つまりは18:24半ばから18:35頃までは酸素は供給されている状態にあり、その間のどこかで富士山を目撃したものと捉えております。 > また、時間の流れ的には後のロングインタビュー版での、ライフベスト着用の手助けをして後、着席して安全姿勢を指導したあとの大月旋回時に富士山を見るというのは不可能であると考えます。 > このことを踏まえますと、富士山の東側を通過したであろうことの可能性は限りなく高まっただろうと推測します。 > 落合さんの知らない専門用語が使われていたことで、14日の初期版の証言の信憑性は著しく疑われていたようですが、内容はその通り との落合さんご自身での見解ですので、事故後間もない初期版をもって真相と考えるのが適切であるように思います。 > > 14日の落合さんに行われたインタビューからの情報(以下の内容が初期版でしょうか) > > 「機体はかなりひらひらフライトし、ダッチロールに入ったようだった。ややして、富士山が左に見えたのでコックピットアナウンスはなかったが羽田に戻るものと思った。10分ほどして酸素マスクから酸素が出なくなったが別に苦しくはなかった。」「富士山が見えた時は 羽田に戻るだろうっていう安心感がちょっとありました」 > > 興味深い話ですが、私はここのところは次のように解釈してます。 > > 富士山が左手に見えてから10分ほどして酸素がなくなった、というのではなく、 > > 「富士山が左手に見えた」という事柄と「10分ほどして酸素がなくなった」という事柄は別々の事柄を言われており、 > > 「10分ほどして酸素がなくなった」の方は > > (酸素マスクが下りてから)「10分ほどして酸素がなくなった」 > > ということだろうと捉えてます。 > > なお、『墜落の夏』に記されているロングインタビュー版の方では酸素マスクから出る酸素については18分間ぐらいでなくなると「習った」と語られ、それぐらいでなくなったかもしれません、と語られているところがありますが、その場合の18分間というのは机の上の理論値であって、実際は客室乗務員の体感から出ている初期インタビュー版の中で語られている「10分ぐらい」の方が実際に近かかったのではないかと感じてます。
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