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御巣鷹山の悲劇
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管理人 さんへの返信です。 > > 3.掲示板の管理者へのお願いと要望 > > 遺族として真摯に調査し、その成果を基にして、本として 出版し、また この掲示板に投稿して 小田の調査結果の事故原因の「仮説」を紹介しております。 > > 然し、最近、遺族調査員:小田に非難と中傷と冒涜の投稿文が掲載されました。 それも 特定の方による非難、冒涜の投稿文である。 > > 彼らは 自身の日航機事故の事故原因についての「仮説」を 公表せずに、一方的に 小田だけを攻撃するのは公平、公正でなく、卑劣で、 > > まるで 野次馬の如き言動には 投稿する資格がないことは 明確である。 > > *(鷹富士氏)(冴羽氏)(投稿者名 氏)は匿名で、他の投稿者を 激しく 非難し中傷し侮辱している。(掲示板 N0, 2026,2030,2029)) > > それも 一方的な非難、中傷、冒涜で、その目的は 小田が事故原因として「 自衛隊と中曽根総理だ」との結論を 排除するためと 彼らは 自ら 認め、主張しています。 > > * 掲示板の目的は、別名「御巣鷹の悲劇」とあるように 日航123便の墜落事故の原因に疑惑があり、又 その事故原因が 政府、国、航空局が 明確にしないために > > 37年間不明のままに 放置されているからです。 ここで、国民は 一斉に墜落の事故原因への推論,提起の活動に入ったのである。 > > この掲示板も その活動の一端であり、投稿者は 真実の追及への同志であるのです。 > 小田周二様へ > 管理人です。 > 小田周二様の著作 『524人の命乞い』の冒頭部分を引用させていただきます。 > 1985年8月12日。あの日、私は17時50分ごろに新橋の本社を出て帰宅の途についた。静岡工場から東京新橋の本社勤務となって一年。長く技術畑を歩んできた私も、スーツ姿での電車勤務にようやく馴染んできたころだった。 > > 地下鉄で渋谷駅まで出た後、世田谷区馬事公苑の社宅へ。電車の中で私は、英会話の練習にとシェルダンのブックテープをレコーダーで聞きはじめた。だが、聞き続けているうちに胸の中には不安感が募った。旅客機の墜落絡みの物語だったからだ。 > その日、当時高校一年生の次男と中学一年生の長女は妻の妹や二人の従兄たちとともに、奈良県の祖父母に会いに出かけたところだった。途中、大阪までは少しぜいたくをして飛行機。私は仕事を休めなかったが、妻が一行を羽田空港まで見送りに出かけた。 > 今ごろ、子どもたちは羽田を飛び立とうとしているはず。そんな時に墜落絡みの物語なんて。イヤホンから聞こえてくる英語は、頭に入って来なかった。 > 帰宅は18時50分ごろだった。着替えてしばらくすると、どういうわけか急に腹が痛みはじめてトイレに入った。用を済ませて部屋に戻ると、テレビを見ていた長男がひきつったような顔をしている。 > 「旅客機が墜落したようだ」 > まもなくして羽田から戻った妻は、墜落報道を知って激しく動揺した。 > 「どこの会社!?」 > 日航の123便、羽田発大阪行き。 > 妻の決壊したような形相を見て、私もすべてを悟った。この123便こそ、子どもたちを乗せて発った飛行機だった。頭の中が真っ白になり、しばらく立ち上がれなくなった。 > 不思議な符号と言うべきなのだろう。私の腹が前触れもなくさしこんだ、まさにあの時、子どもたちが乗った日航機は墜落していたのだ。あの痛みは、機上で救いを求める子どもたちの言霊だったのかもしれない。後になってそう思った。 > この時から、小田家は崩壊した。私と妻、長男それぞれの人生はここから狂いはじめ、もだえるような悲しみと沸騰する怒り、汲めども尽きない疑問とに苛まれる日々が始まることになった。 > 『524人の命乞い』からの引用は以上。 > 事故調査委員会はその調査結果を『事故調査報告書』として公表されたのが1987年6月。 > 事故原因は7年前に伊丹空港で起きたしりもち事故の際、圧力隔壁の一部が損傷したが、修理の際にミスがあり、いわゆる整備不良によって弱くなっていた箇所が7年後のフライト中に突然、内圧に耐えられなくなり破断。内側から吹き出した空気圧が垂直尾翼を吹き飛ばしてしまったというものでした。 > 時間が経過していく中で520人もの犠牲者が出た事故なのに誰も罪に問われようとしないムードの中で、事故調査報告書の通りであるならば、整備不良による過失責任があるはずだとして日本航空、航空局、ボーイング社の三者を相手に犠牲者遺族の人たちによって裁判が起こされたのでした。 > 1990年7月、前橋地検は落合証言を根拠として事故調査報告書の通りの事故原因であったとは考えられないが、事故原因はわからないとして不起訴判断。 > それからまた長い年月が経過したのでした。犠牲者遺族が事故原因を追及するとどうしても脳裏に焼き付いて離れないあの凄惨な事故現場がフラッシュバックしてしまう。それを何とか振り切って、亡くなった子どもたちに真相を解明し、墓前に供えるのだという気持ちで小田周二様が独自に事故原因を追及する気持ちになられるまで相当長い年月の経過が必要であったと言われます。 > 小田周二様が独自に事故原因を追及しようとされたとき、まずはなぜ飛行機は空を飛ぶことが出来るのか、といった考察から始められたと聞いています。 > 小田周二様はあの日のフライト中に起きた事象に関して、まず相模湾上空で1トンもある無人標的機が垂直尾翼に衝突して、それによってすぐに藤枝上空に向けての墜落事象を招いた。本来ならその地点で墜落していたのだろうが、高濱機長らの驚異的な操縦技術の習得によってその地点での墜落に関しては回避されたと記されているように読めます。 > ※確認させていただきますが、ここまで記した事柄については間違っていないでしょうか。間違いがあればご指摘ください。
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