日航123便墜落事故:事故調査への疑惑と真実の追究(その7―(2)) ―墜落事故犠牲者の遺族から、「加害者」で 遺族に「補償金」を支払った運航会社:日航への 36年目の手紙―

  • 投稿No.68
  • 投稿者:8.12連絡会 『日航123便墜落事故調査分科会 会長 遺族 小田周二 
  • 投稿日:2021-09-10 22:58:27

日本航空(株) 代表取締役 会長 植木  殿 (パイロット、 父:植木千恵蔵)   
  社長 赤坂祐二 殿 (東大 工学部、技術系で初めての社長)
        常務取締役 安全推進本部長 権藤信武喜殿(パイロット) 取締役  堤 正行 殿
          安全推進本部 部長 被災者相談室員 福田 久 殿   山西 聡 殿  被災者相談室 東京相談室長 梅田 貴嗣 殿

 [2019年11月御巣鷹山を襲った「台風水害」での犠牲者:「銘標」の流出事故と再建計画のお願い]
御巣鷹の尾根は、日航123便乗客が墜落死した地獄の終焉の場所であると世間は言う。然しこの墜落死は、険阻な上野村山岳地帯に誘い込んだ、自衛隊が 123便に(止めのミサイルの一撃)を加えて、
エンジン 1基を破壊し、この衝突の衝撃で重要な「水平尾翼」が脱落して、猛烈な垂直降下の墜落事象に落とし込み墜落させた事件であった。この事実の上に このスゲノ沢が発生事象と位置づけるのであり、
是非 墜落事故の、いや 撃墜事件の集約地点であり、遺族、慰霊される人に 残したい場所なのだ。
*自衛隊のミサイルで エンジンを破壊され、その上 水平尾翼まで 脱落された123便には、もはや 操縦機能が喪失して、墜落の危機が迫っていた。
  然し、機長らは必死に機体の急降下の姿勢を水平に戻すとの操縦で回復したが、もはや、操縦不能で墜落は必死であった。それは、エンジン出力の微調整で操縦飛行していたが、右第4エンジン1基が停止した   
   ために、左右の推力差で機体の右側に傾斜し、且つ右旋回飛行し、「一本から松」では 30度の、次の 「U字溝」では 50度の右傾斜となり、最終の御巣鷹の尾根では 地面に墜落した時点で 
  右傾斜 135度となり、(即ち 裏返しの状態 )山頂付近に激突して大破した。然し、右傾斜135度のために、機体に強い(ねじれ)が生じ、機首から激突したが、機体後部で、折れ曲がり、折損し、
  この部分は傾斜角 45度の山肌を滑り落ち、途中の30mもの高さの樹木をなぎ倒し、衝撃を緩和して、スゲノ沢で、墜落が停止した。
   乗客らは 約数十名が、重傷を負いながら、生きて救出を待っていた。然し、出動した自衛隊部隊は上野村で待機して、救出を意図的に放棄し、掛かる重傷者は12時間も救助されず、放置されていた。
  然るに別の殺害部隊の自衛隊が密かに登山して 「証拠の残骸の回収」と「生存者の口封じ」のために、機体残骸の破壊と重傷の生存者を殺害するために、火災が発生していた場所は 火炎放射器で
  火災が起きなかったスゲノ沢では 毒ガス液で、薬殺するとの残虐な殺戮で、息の根を止めたのだ。(長野県人 M 氏の証言)
*旅客機の燃料での火災が起きなかった(スゲノ沢)では 火炎放射器を使えず、薬殺になったのだ。
 スゲノ沢以外に生存者はほぼ発見出来ず、生存重傷の乗客らは 失神した乗客(4-7名)が上野村消防団、長野県警が発見し、救助された。自衛隊は一番早く登山していたが、意図的に生存者の捜索を不作為し
  た。。(事故調は 全員即死との見解であったが、 嫌疑の結論であった !!)
  掛かる自衛隊の殺戮行為にも拘わらず、結局 乗客4名が救出された奇跡の場所が 「スゲノ沢」である。
 スゲノ沢は、日航機墜落場所での奇跡が起きた記念すべき、保存すべき場所である。自衛隊が123便を撃墜し、且つ生存していた乗客らを虐殺した場所であり、又この自衛隊の毒牙から、奇跡的に逃れて4名が
 生還した場所で有り、それこそ永久保存すべき場所なのだ。遺族、慰霊登山の市民が 掛かる場所で、事故の惨殺状況を知るためにも スゲノ沢の慰霊小屋に その詳細を展示して、国民に知らせて、永遠に
 記録に残すべきと考える。 日航も お客505人と日航社員15名のために、この歴史上、惨殺と奇跡の生還、事故機の破壊状況、真実をこの場所に 残すべきと思慮する。日航も被害会社であり当然 賛同すべき 
 では ありませんか。日本の菅総理と日航は「人の命は尊重し、且つ決して殺していけない」と力説し、犠牲者の霊前で、誓約し演説している。  
 然るに、国、航空局、日航は、スゲノ沢の事故当時の状況だけでなく、起きた事象を消し去ろうとしている。

  *その状況は 次の通りで、再建、復興の姿を提起す市、実行を求める。
    (1) スゲノ沢の犠牲者の銘標(慰霊碑)が 殆ど大量の水、土砂で流され、流出して、見つかっていない。
      遺族は それまであった、作成した記念の銘標(慰霊碑)を 34年目に失った。2019.11。
      然るに、日航は、慰霊の園は これを捜索し回収することを意図的に行わなかった。
      ⇒ 乗客乗員は 自らの意志で上野村で来たのでなく、彼らの目的地は大阪空港であった。
        飛行途中、123便は 「垂直尾翼」「水平尾翼」「第4エンジン」「APU」を失ったまま、飛行し墜落した。これは 故障による事故でなく、結論は 外部破壊による撃墜であった。
      この犠牲になった乗客乗員は 「遭難者」でなく、殺された「犠牲者」である。
      真の加害者である「自衛隊、中曽根総理」の味方になり、共犯になった日航が、隠蔽を行った共犯、隠蔽の共謀者であり、且つ「慰霊の園」の支配者であり、ここでも 乗客、乗員の慰霊碑(銘標)の
      管理責任者である。
 *その遺族にとって、このスゲノ沢は最終の終焉の場所であり、ここに建立した慰霊碑(銘標)は大切な墓標でもある。遺族らが 34年以上も大切にして来たのだ。遺族が喪失したた銘標(慰霊碑)は34年間   
  長きにわたり、気持ちを 注いだ慰霊の「印」「心碑」でもある。
  どうか 粗末な銘標で済まさず、きちんと 日航が真摯な気持ちで、銘標を作成し建立するか、又は遺族の気持ちが注いだ銘標を立てるか、再建して頂きたい。日航は犠牲者のために巨額の金を遺族に渡し、
  供養した経緯もあるからだ。このような要求には 簡単に応じることである。
 *銘標の新たな建立場所にも 遺族がその場所で慰霊出来るスパースを設けて頂きたい。
  掛かる道端に 多数の銘標を並べて、遺族は道から、供養するのは あまりにも 粗末であり、犠牲者への慰霊、供養には ほど遠いもので、その上 ただ 杭に板を張り付けて そこに名前を書く、享年を
  書くとの碑の作成作業の結果は、あまりにも粗末であり、日航の意図、気持ちが 犠牲者への侮辱、冒涜でしかないと思う。その銘標の字体も 誰か ボランテイアが書いたと思われる書式は 遺族への侮辱と
  しか考えられない。   再度 作成し直すか 遺族に相談してから、再建作成を求めお願いする。
 (2)スゲノ沢の慰霊小屋の再建をお願いし要求する。
  慰霊小屋が この災害で半壊し、撤去され、且つ、その中に奉納されていた遺族らの寄贈奉納した品物、写真、犠牲者の遺品、千羽鶴などは 日航のボランテイアの休憩小屋に移され、簡単に見れない状況は 
  不当である。再建して、そこに奉納慰霊すべきである。
 (3) スゲノ沢の慰霊小屋の再建とその規模。
   小屋は 参拝人が入れるようにして 線香やロウソクが 献灯,献筆記帳出来ること。
     奉納品など展示は 従来通りだが、一回り 大きく お願いする。(広さは 3倍程度)
     次のような品を 展示奉納する。且つ墜落事故の状況の展示で、事故の遺族、国民に発信して 事故の真実を伝え、教訓として、再発防止に寄与するため。(永久に 保存する)
    *スゲノ沢へ123便後部胴体部が 高い樹木をなぎ倒し、滑り落ちた鬨の残骸、遺体、樹木の散乱状況の写真。現在の状況は 36年前の滑落場所状況とは、大きく 異なるから。
    *一番最初に入山した遺族、美谷島邦子の泣き崩れ、呆然とする現場写真
    *高濱機長、佐々木副操縦士、福田機関士は 墜落の危機を 新規操縦技術で、切り抜け、524人の墜落死を救った。スゲノ沢に滑落して、重傷生存者を生み出したのも 機長らの功績だ。
      世界の「ポラリス賞」を受賞した、三人の映像写真の掲示。英雄だ。
    *落合氏が アントヌッチ中尉の誘導で接近降下した救難ヘリに絶叫し、手を振る姿(想定図)
    *事故から 30年、水害以前のスゲノ沢の映像。         両岸に並ぶ銘標(慰霊碑)と せせらぎ川の全景図。両岸、中央から 数枚の写真。
    *流出以前の主な銘標の写真 (川上慶子氏、増永氏、その他)
    *アントヌッチ中尉の写真。 救助に駆け付けた米軍輸送機C-140、救難ヘリ の写真。
    *日航副社長、元運輸相町田直の映像。「日航機はミサイルで撃墜されたんだ」の告白文も展示、
    *奇跡の生還者:落合氏、川上氏、吉崎氏らの救出の現場写真、その映像写真。
    *川上慶子氏の自衛隊ヘリへの吊り上げ写真。
    *現場写真(事故調の残骸分布図と 飛行経路図 など)⇒ 招魂の碑の前に 石碑に刻む。
    *日航123便の全景系図―墜落場所、U -字溝、一本から松、水平尾翼の落下場所、上野村、川上村を入れた地図と 123便の飛行経路図、⇒ 招魂の碑の前の広場に設置する
    @乗客4名の奇跡の生還した記念碑の建立。スゲノ沢の近くの霊地に。

 (4) 「昇魂の碑」の前広場に 旅客機墜落の状況の解説の絵図、石碑を設置する。
    ⇒ 慰霊登山者に 航空機墜落の状況、残骸分布、飛行経路を分かりやすく説明するため。
   *1 この墜落地点と 飛行経由した 川上村、上野村、スゲノ沢の位置を示す図。及び この招魂の碑から見える{U―字溝}(地面と接地した(一本から松)を記入する。U字溝での第4エンジン、
      U字溝の右上 500mの位置に落下した(水平尾翼)を追記する
   *2  この墜落地点の残骸分布を記した碑の設置。
       右主翼、左主翼、胴体部、第1、2、3エンジン、然し「123便の第4エンジン、水平尾翼は 墜落 45秒前に破壊脱落」「垂直尾翼、APU,油圧操縦装置は、墜落する32分前に破壊脱落した」と
      注記する。
        
 (5) 墜落死した犠牲者の墜落場所の地図の作成(これは 作成されている筈) 
      犠牲者の銘標の位置を記録した地図(旧の位置。 スゲノ沢以外は 変わってない筈)
      銘標の新しい位置は 銘標の再建された後に、作成のこと。
    * これらの資料は 全遺族に配布されたい。及び 関係者に配布されたい。

    *次の施策と実行を日航にお願いする。
     日航は、御客と日航社員 520名を 殺された斬撃の場所を その映像で、永久保存した、後世に伝える責務がある。この基本的な考えで、 誠意を持って、日航は対処されるように 申し入れる。
      これは 犠牲者と遺族の総意である。
   日航は 犠牲者の霊前で「安全運航の堅持」を 30年以上 誓約している。過去をきちんと残して、その上、犠牲者の霊に約束を果たすことが 日航の責務であり、誠意でもある。
             524名の乗客乗員の犠牲者に 合掌。 遺族の願い。    以上

    皆様方の賛同をお願いします。空の安全を向上させるために。

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