Re.(5) 都市伝説やデマ情報の行方

  • 投稿No.604 元投稿No.601 さんへの返信
  • 投稿者:見学者
  • 投稿日:2022-01-07 09:58:52

> 小松便機長は31分に羽田をテイクオフしており、それで目撃を「6時半すぎ」と証言しておりますのでRW22から真っ直ぐ座間ポイントへ飛行したルートがしっくりときます。

R/W22DEP.?
確か、川崎市との間で交わされた合意により、コンビナート上空にかかるため、その出発方式は制限されていたはず。
しかも、事実上R/W 15R/33Lがエプロン代替機能により使用不可だったことから、二本しか滑走路なければ、風向きにもよりますが、22でL/D機、15LでT/O機をさばいて、という方が管制としてはやりやすいと思いますが。
実際にどうなってたかは不明ですが、当時現在の国際線ターミナルの位置にターミナルビルがあり、滑走路長が長いCランを離陸で使えば、22に降りてきた機体は比較的速やかにターミナルに入れますから、実務としてありえる話です。

参考までに。
”国はこれまで、「原則として川崎石油コンビナート上空を避け、適切な飛行コースをとらせること、それ以外の航空機については3000フィート=914㍍以下での飛行をおこなわせない」と、川崎市に約束し、順守してきました。
 この飛行制限は、1960年代から70年代にかけて空港周辺で航空機事故が相次いだことから、川崎市長と市議会が1970年7月、川崎市臨海部の安全確保を当時の運輸相に要望。東京航空局長が70年11月に回答し、東京国際空港長に「飛行制限」を指示した文書も添付しています。”
との報道にもあるとおりです。

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