改めて掲示板設立の趣旨

  • 投稿No.531
  • 投稿者:管理人[ 管理者 ]
  • 投稿日:2022-01-04 09:20:56

 あけましておめでとうございます。
 12月31日の夜に「年末の挨拶」を記して以来、年始の短い間にたくさんの投稿をいただいたようでございます。
 その中には「掲示板設立の趣旨」をテーマにしていただいたものもございましたので、そのことについて改めて少しだけ触れておきたいと思います。

以下、「掲示板設立の趣旨」から一部抜粋、引用した形で記します。

現時点では事故後36年以上が経過してしまいましたが、その期間の中で、「事故調査報告書」の内容と異なるいくつかの説が書物やネット等で公開されてきました。

ところが、それらの説に対してはしっかりとした深い内容の吟味がされないまま「事故調査報告書」の内容と異なるというだけで、悉く「陰謀論」というレッテルが貼られ、「陰謀論」という言葉は「間違った見解」という意味で使われて貶められてきた向きがあるのではないかと考えております。

「陰謀論」と呼ばれる説を展開する人たちの言い分は、事故直後に行われた綿密な調査に基づいて、事故原因等の検証があり、時間をかけて「最終報告書」の形でまとめられたのかもしれないが、生存者による証言や地上からの複数の目撃証言と一致しない箇所、また類似する他の航空機事故との整合性を考えると違和感があると思わざるを得ない箇所などがあり、都合の悪い新証拠が出てきたらそれらを無視してしまうのではなく、合理的な説明が付かないのは「事故調査報告書」の方に誤った点があったかもしれないとして見直されていくべきものではないのか、と主張されます。

「最終報告書」に記されてある事故原因が腑に落ちないとなると、腑に落ちるまで釈然としない思いが残ってしまうものです。

「掲示板設立の趣旨」の文末には

 「事故から長い年月が経過し、事故当時の現役世代が次々に引退され、又は帰らぬ人となり、リアルに今この時を生きる人々の意識の中から忘れ去られ風化しようとしている昨今、「事故原因」にはどうにも心にひっかかるものがあると思いながら、議論することもないまま今日まで過ぎてしまった、といった人たちも多いのではないかと思われる。そのような人たちにご登場いただき、ざっくばらんな投稿が重ねられ議論が深まることを期待して掲示板設立の趣旨としたい。」
と記しています。

 掲示板設立以来、たくさんの方からの投稿をいただき、議論が交わされる状態になってきたのはある程度掲示板設立の趣旨に共感いただける人たちの存在を感じ、掲示板の制作者としては喜ばしいことだと思っております。

 また、何度も記してきましたが、事故調に沿う説であろうとなかろうと、自説が固まっている人にとっては、自説以外の説は荒唐無稽な説だと感じられるものです。自説以外の説が展開されると語気荒く反論され、潰そうとされているのではないかと感じられる投稿も時々見受けられ、そういった投稿は排除してもらいたいといった声もありました。
 確かに言葉遣いについてはそれを感じてしまうこともあるのですが、しかし以前「無名」さんからご指摘をしていただきましたように、「ある種の意見を排除し、自説にとって心地よく感じられる投稿ばかりとなるとぬるま湯に浸かった中で仲良しグループだけが語り合うサロンとなってしまう。それで良いとされるのであれば退場しても良い。」

 「無名」さんの言われることにも一理あり、一部の意見を排除し、同種の意見ばかりになれば真相究明の方向からは知らず知らずのうちにずれてしまうだろうと考えます。
 ここはやはり自説とは異なる意見を持たれる投稿や自説を批判される投稿もあるゆえに議論が深まるという要素があることを忘れないでほしいと考えます。

 「掲示板設立の趣旨」では角田四郎さんの『疑惑 JAL123便墜落事故』という書物の存在を記しましたが、急減圧の有無を考える書物としては2003年8月に発刊された『隠された証言』(藤田日出男 著)も説得力がある書物であったと考えております。

 昨今の掲示板では「急減圧」の有無に加えて「酸素マスク」「究明胴衣」等の事柄も話題になっているようですので、同書の中からそれに関連した事柄が記された箇所を引用しておきますので参考にしてください。

『隠された証言』(藤田日出男 著)135ページ~137ページ
 (1985年9月17日 多野総合病院で小原甲一郎医官の聴取に答えられた落合由美さんの証言)

 9月17日の小原医官の聴取に答えた中で、はっきりと「急減圧ではなかった」と言っている。事故から1ヶ月以上が経過し、相当落ち着いてきてからの証言である。

小原
みなさん意識はありました?

落合
ええ、具合悪くなった人とかもいなかったです。

小原
あの、意識がっていう意味わね、要するに非常にゆれがひどいから気持ちが悪くなって意識がなくなるということもあるかもしれませんよね、子供なんか。それから酸素がなくなって意識がなくなる。そういうことは全然考えられませんでした?

落合
ええ、そうですね。なかったようです。私のまわりには、はい。

小原
というのは、あの、このマニュアルにもあるようにね、20,000フィート相当高度の、あの、有効意識時間、だいたいどの程度か憶えておられる。

落合
えーとね、2万フィートですか。2万フィートで・・・・・、そうですね、20秒くらいですか。

小原
いや、そんなんに短くないけれどね、あの、18,000フィートだと30分くらいもつもんですよ、ところが20,000フィートになると5分くらいなんですね。5分から10分くらい。ものすごく個人差がありますよ。もうちょっと上がって25,000フィートになると3分くらい。まあ、個人差はありますけれども、ずいぶん違うわけ、その、わずか2,000フィートぐらいのところで、だからその10分しか酸素が流れなかったということが少し関係があるかなと思うので、そういう、あなたの目で見た感じでは、少なくともそういう感じはなかったですか。

落合
ん・・・・・。

小原
ご自分の身体はそうではなかった?

落合
なかったですね。

小原
ほかの人もそんな感じ。

落合
ええ、救命胴衣をつけている時は、みんな酸素マスクをはずしてやってた状態です。

(中略)
ただ、あの、耳がバッと痛くなって、バーッと機内が真っ白になってっていうふうに習ってますけど、それから考えると、それほど、まあつまった感じはしたんですけれどね、一瞬、あのキーンて痛いって感じでもなかったし、真白って感じでも、モワーっていう、それもわりと短い時間でしたので。それと比べると・・・・・あの・・・・・急減圧っていう・・・・・いうよりも・・・・・

小原
っていう感じではない。

落合
ええ。

小原
そして、もうすぐ白いあれは見えなくなりました?

落合
はい。

小原
それで、そのあとはもう普通の状態?

落合
はい。

 決定的なのは、小原医官が「急減圧という感じではなかった」と落合さんから言葉を引き取って、自ら述べているくだりだ。
 また、「有効意識時間」という概念も事故調査側は認識していたことがはっきりした。ここで小原医官が言うとおり、20,000フィートの高度で人間が意識を保つことができる時間は5分から10分なのである。123便が与圧なしで18分間以上も高度20,000フィート以上を飛行し続けたことはすでに書いた。本来なら、酸素マスクから酸素が流れなくなれば、乗客は全員意識が朦朧としていたはずなのだ。なかには意識を失った人も出ていたろう。パイロットは3人ともまったくマスクを着けていないが、操縦し続けている。
 ここでの落合証言でも、客室ではマスクなしで誰一人、意識を失っていない。皆、マスクを外して究明胴衣を着けていたという。
 

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