日航123便は撃墜された (5)
- 投稿No.4281
- 投稿者:尾宮次夫
- 投稿日:2025-11-02 16:21:27
世の中には「まさか」という坂があって、普段「あり得ないこと」「起こり得ないこと」が、その坂で起こることがあります。わたしたち人間の「こころ」は「まさか」にどう対処するかというと,目の前におこらない限り信じたり、認めたりしないのが普通です。なぜなら、人間の「こころ」は、常に「不快」を避け「快」求めているからです。その「まさか」を信じることで自分の「こころ」が「不快」になることを無意識に避けているのです。この「こころの作用」があるから、わたしたちは健康な普段の生活ができるのです。
権力側の中には「まさか」を自分たちの都合のいいように使うことがあります。例えば、第二次大戦中の日本の大本営やナチスドイツです。大本営は日本軍が負けていても、常に勝っているように国民を信じ込ませました。ナチスは組織的にユダヤ人狩りをして収容所に入れた上、600万人とも、1000万人ともと言われる大虐殺を行いました。自分たちの信じている政府が「まさか」こんなことをするはずがない,と多くの両国民は信じていたはずです。
注意しなければいけないのは,こうした「まさか」を側面から援助するのがマスメディアです。権力側は「まさか」を隠蔽するために、まずマスメディア対策を考え制約下に置こうとします。個々人の記者やキャスターの中には「真実」「事実」を国民に報せなければという良心的な者がいても、上からの命令や圧力には抗しきれません。こうして権力側は、わずかに漏れる真実の声を「陰謀論」「都市伝説」として葬り去ることができるのです。
現代は第二次大戦の時代と違いSNSがあるからとか、ファシズム政府ではないから、権力側は「まさか」を利用できない、と言われる方もいるでしょう。しかし、専制的政府に限らず、民主的政府でも起こり得ることです。SNSの時代ならインフルエンサーを利用しての効果を当然考えます。
本事件の場合、国民の安全や生命を第一に考える政府(権力側)が、何の罪も、関係もない525人(胎児1人を含む)の乗員、乗客をミサイルで撃ち落とすなんて無慈悲かつ理不尽なことをするわけがない、という「まさか」の事例です。マスメディアが示し合わせたように、問題点の多い事故調報告書に疑義をはさまず、本事件の不可解な部分や謎に触れようともしないのは、完全に権力側の制約下に入っているからです。
本事件で権力側が「まさか」を悪用して隠蔽を図ったことは認めても、「ミサイル撃墜」については決定的証拠がないではないかというご意見もおありでしょう。「決定的証拠」とは何か、という問題はさて置き、墜落直前の目撃証言(多数)、墜落時のDFDRの数値、現場から拾得されたミサイル部品、内部告発などで「ミサイル撃墜説」が証明されると思います。
以上の私見について、上から目線の独断である、というご指摘もあろうかと思います。そういう印象を持たれたとすれば、わたしの不徳のいたすところでご海容くださるとともに、これまでのわたしの4回にわたる投稿をご覧いただきますようお願い申し上げます。
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