Re.(8) 18時20分15000ftの航跡図
- 投稿No.3216 元投稿No.3215 さんへの返信
- 投稿者:河津低空飛行説
- 投稿日:2024-05-15 12:59:41
管理人さま
いつもありがとうございます
自分の至らなさを感じています
> 吉岡忍さんの『墜落の夏』には次のような順序で記されているはずですが・・・
吉岡さんの著作に富士山東を飛行した
記述はないと認識してましたが、記述が
あるんですね
恥ずかしながら初めて知りました
> 全員が救命胴衣をつけ終わるまでに五、六分かかりました。つけ終わっ方は、となりの方を手伝ったりしていました。
> 揺れはいっそう大きくなりました。もう立っていることはできないほどです。救命胴衣をつけ終わってすぐに、ほとんどいっせいに安全姿勢をとりました。
> 私は「56C」にもどりました。
> そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。
落合さんが富士山を見たのが18時37分
くらいとすると、ライフベストを着用
したのは18時30-36分くらいかと
思われます
遺書の18時30分の降下から富士宮に
上昇するまでの区間における、高度の
乱高下とダッチロールが、機体の
大きな揺れを招いたと思います
航跡がS字になっている箇所、これは
ダッチロールそのものだと思います
ライフベストと安全姿勢、、、
墜落が前提となる安全対策ですね
セットで考えるべきでしょうね
酸素マスクをピーンと引っ張って
ライフベスト着用で安全姿勢、、、、
これが18時30分から増えていき
18時37分くらいに富士山を東に
見た時刻くらいに墜落への備えが
完成、、、
逆にその18時37分くらいには
酸素はなくなりかけていた、、、
時間的に、こんな感じでしょうか
以上、私の航跡図に落合さんの証言を
当てはめてみましたが、時間的に
これと言った大きな矛盾も
なかったかと思います
いかがでしょうか?