中曾根総理の殺害犯罪(2)

  • 投稿No.3112
  • 投稿者: 8.12連絡会 事故調査 分科会 会長 遺族 小田周二
  • 投稿日:2024-02-18 15:17:11

   中曽根総理の横田基地への禁止命令の心境を述べる
 
 1 それは 「1971年7月30日 発生の全日空雫石衝突墜落事故」であった。
   *「自衛隊の衝突事故も飛行、激突の状況」
    この事故は 全日空機旅客機(B-727 エンジン3基、T 字型尾翼)が自衛隊戦闘機の演習中に 親機(指導官)の戦闘機を追って、追尾していた、子機(練習生)の戦闘機の右主翼で激突され、
     墜落し、乗客乗員162名が 死亡した衝突虐殺事件であった。

     旅客機は、垂直尾翼、水平尾翼、エンジンを破壊され 失い、猛烈な急降下で音速を超えて、空中分解して、乗客乗員もバラバラになる悲惨な事故であった。
     この子機が親機との撃墜演習は 米国の「トップ ガン」の演習を真似て、敵機を想定した撃墜訓練であった。⇒  映画「トップ ガン」
     親機の逃げ回る飛行を 子機が追って、後方側について、ミサイルで 又は機関砲で攻撃するのである。然し 自衛隊は 極秘事項で機密保持のために状況の開示を行っていない。 
     それで自衛隊は 言い訳として「編隊飛行だ」と言うが、事故の時の飛行経路図では 飛行経路図は 親機と子機は 複雑に交差し絡む経路図が書かれている。
      ⇒ 即ち、この両機は 撃墜訓練をしていたことが読み取れるのだ。
     即ち、自衛隊、事故調査の航空局、航空課の人物:町田氏?らが 噓位の嘘の状況を捏造して 総理を庇ったことが 明らかになった。

     追突後 子機の練習生は 緊急脱出して 無事であった。
     そして 奇妙にも 親機だけが責任を取らされたのだ。これも矛盾であって、子機も当然ながら 加害責任があるからだ。

  2 「政治的な調査結果、状況の判断と結論―佐藤総理の責任回避」
     衝突の直後、防衛庁の増原長官は辞任し、又は更迭されている。即ち 自衛隊は責任を取ったのだ。増原氏の就任期間は(1971.7.5 ー 7.30 まで)で 30日に衝突事件が発生したのだ。
     然し その後、増原氏は 再度 防衛庁長官を務めている。(1972.7.7―73.5.29)奇妙で 奇怪である。 このような人事は 事故調査後、判決後に佐藤総理が増原氏の(嘘の無罪)を証明しているからだ。
    そして 後任の長官は 中曽根氏は その一部始終を裏で、直接に見て、聞いて体験しているのだ。この体験で 中曽根氏は、今回の日航機標的事故の責任を回避出来ると 考えたのだ。
  
    佐藤栄作総理のために 航空局幹部は事故調査を骨抜きにして、偽りの事故調査を行い、「親機の前方不注意」「全日空機のパイロットの不注意」との結論が 政治的な 公式な事故原因となった。
    これで 旅客機の全日空機が 乗客乗員の死亡の補償を行い、自衛隊パイロットの補償金は 自衛隊の隊員の積み立て金を拠出して 済ませたのだ。

   事故調者は運輸省 航空課の技術幹部が実施し、恐らく 町田氏?が 捏造指示したと類推出来るのだ。 この当時 事故調査委員会は存在しなかった。

   このように中曽根総理は 佐藤栄作の事件の(揉み消し工作)を真似て 日航機の横田基へ着陸を妨害して、着陸を禁止したのだ。
   佐藤栄作は 後日に 「ノーベル平和賞」を受賞しているが、殺害事実を認めて、反省し、恥じて 受賞を辞退すべきであろう。
   世界の「ノーベル賞」の品位を貶めてことは間違いないのだ。  誰が 受賞を推薦したのか 日本の恥でしかない。 日本の総務省の発案か ?

   中曽根総理は 佐藤栄作総理の「事件を事故に捏造」して 自衛隊の責任を 且つ 総理の責任を回避出来た事態を 真似て 追随して 日航機の横田基地への着陸を阻止し禁止したことは間違いないのだ。
   全日空機の雫石激突事件を真摯に事故調査せずに いい加減な結論を出した結果が 今回の日航機墜落と横田基地への着陸を阻止した事態を導き出し、捏造し誤魔化しているのだ。
   
   操縦出来、着陸出来た日航事故機が 横田基地に着陸行動を取らなかった事態は 世界に 7不思議であり、矛盾である。日本政権は 国民の命を 虐殺したことは 日本の恥である。

 

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