Re.(2) 司法判断と国民感情のギャップ

  • 投稿No.2945 元投稿No.2944 さんへの返信
  • 投稿者:管理人[ 管理者 ]
  • 投稿日:2023-08-14 11:00:26

> 管理人様

> >  川上村第二小学校の上で右旋回し、ギューッと高度700~800メートルへと機首をグッと持ち上げ、噴射の馬力でなんとか上昇していった。川上村から見て北東の三国山の後の入道雲が出ていた辺りで、ガックリまっすぐに墜ちて行った。

> >  墜ちた場所と原爆のようなキノコ雲が上がった場所は違う。こっちから見て墜落場所の右の方から上がったので、墜落場所とキノコ雲が上がった場所とは少し距離がある。ピカッと光りキノコ雲が出て垂直に墜ちていった上空地点と最終的に墜落した地点は、距離的に300~500メートル離れている。

> 実際には、目撃者の話の二場面を
> 一つにした為に、誤解を誘発して
> いると思われます。

胸肩さんへ

管理人です。

墜落直前、長野県川上村で目撃された墜落までの軌跡については事故調査報告書にはなぜか2つのルートがあったように受け取れるような記述がしてあるように感じております。

川上村からは西の方角に飛んで行き、右旋回しながら、ゆるやかな円を描くように三国山頂上付近まで飛行、それから急降下し御巣鷹の尾根に墜落したというものと、もう一つは川上村に来てからは右旋回し、三国山の方角に飛行、山を駆け上がって行き、山頂上付近で今度は左旋回した直後急降下した後墜落したというもの。

『事故調報告書』7〜8ページ)には川上村のおける次のような4名の目撃証言が引用されているにもかかわらず、航跡図は西に向かったものとなっているのは不思議としか言いようがありません。

「墜落地点の南南西3〜4キロメートルの地点での目撃者(4名)によれば、『同機は東南東の奥多摩の方向からかなりの低高度、低速度で機首をやや上げて大きな爆音をたてながら飛んできた。飛行機は、我々の頭上を通過したがその後北西にある扇平山(1,700メートル)の付近で急に右へ変針し東北東の三国山(標高1,828メートル)の方向へ飛行した。次いで、三国山を越えたと思われるころ、突然、左へ傾き北西方向へ急降下し、山の陰に見えなくなった。その後、同機が隠れた山陰から白煙と閃光が見えた。』とのことであった。」
(『鎮魂』の著者池田昌昭さんは事故調査報告書への4名の目撃談の引用記述は事故調査委員会の良心だと記されていたかと記憶しています)

目撃者は墜落現場とキノコ雲が上がった地点との距離を計測されたわけではなく、両者は離れていたという印象を語られただけだと判断しております。

目撃者によって墜落現場から閃光に続いてキノコ雲が上がったわけではないということが語られていますが、実はこの目撃談には二つの重要な意味が含まれています。

一つには墜落時に閃光に続いてキノコ雲が上がったということ。

もう一つはその閃光に続くキノコ雲は墜落直前の地点で上がったということ。

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