Re. 御巣鷹の尾根と御巣鷹山

  • 投稿No.2000
  • 投稿者:管理人[ 管理者 ]
  • 投稿日:2022-08-09 22:14:30

> 日航123便が墜落した場所は、当時は名もない尾根筋であったのを、当時の上野村村長が「御巣鷹の尾根」と名づけたものです。
> 「御巣鷹山」は、墜落地点から北北西へ1.8kmほど離れた場所にあり、「御巣鷹の尾根」との間には複数の尾根も沢もあります。

> 以上は、日航123便墜落に関心を持つ人々には周知のことですが、
> なぜ、この掲示板のタイトルを「御巣鷹山の悲劇」とされているのでしょうか?

鷹富士さんへ

管理人です。

墜落現場の名称に関してはネットに以下のような記事があります。

「日航機が、群馬県多野郡上野村にある、高天原山(たかまがはらやま1,978.6m)山系に属する、無名の尾根に墜落したのは、昭和60年(1985年)8月12日である。
 墜落現場はその尾根の標高1,565m付近であるが、多くの報道が未確認のまま、「御巣鷹山に墜落」と伝えてしまった。
 しかし場所を示す何らかの名称が必要だったことは確かで、当時の上野村の村長だった黒沢丈夫氏が、苦肉の策として「御巣鷹の尾根」と命名した。これはあくまでも日航機墜落事故の報道に限定した便宜上の名称である。」

http://geo.d51498.com/gunmakaze/column/19nikkoukijiko.html#:~:text=%E3%81%97%E3%81%8B%E3%81%97%E5%A0%B4%E6%89%80%E3%82%92%E7%A4%BA%E3%81%99%E4%BD%95%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%AE,4%E5%90%8D%E3%81%A7%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%82

墜落直後は「御巣鷹山に墜落」と報道されていたのです。私もそのように記憶しています。
掲示版『御巣鷹山の悲劇』はそのときに聞いた「御巣鷹山」という印象に残った名称を使っています。また、『御巣鷹山の悲劇』という名称は墜落現場だけをイメージしたものではなくて、あの日の夕方、JAL123便が羽田空港を離陸し、墜落して520名の命が奪われた全体をイメージしてのものです。

後になって黒沢丈夫村長が、「御巣鷹の尾根」と命名されたということですが、墜落現場に最初からその名称が付いていた場所という意味ではなく、苦肉の策として便宜的に付された名称だったというわけです。

私はこの掲示版を事故当時の原点に帰って考えたときに『事故調査報告書』にはどうにも違和感を伴う感情が残っていると言われる人たちが意見を出し合えればという気持ちで作りました。
意見を出し合った結果、『事故調査報告書』のどの部分に違和感があるのか等がはっきりしてくる場合もあるし、やはり『事故調査報告書』の通りであったという決着もあるかもしれませんが、現時点で『事故調査報告書』は完璧なもので、何の違和感も無くすべて納得できている、という方にはあえて登場いただかなくても良いのではないかと考えております。

ただ、事故の再発防止という観点で航空工学の理論立てをテーマとした議論の展開をご希望の方にとっては現状の掲示版ではご不満が多いように見受けられるのですが、そういうことであれば数理に詳しい鷹富士さんが関数や単位を表記する場合の下付き又は上付き小文字表示、あるいはスケッチ機能などを付加した上で意にかなうような名称の掲示版を作って公開してみられることによって感じられているご不満は簡単に解決しそうに感じられますが、如何でしょうか? JAL123便墜落事故に関して、鷹富士さんの手によって本格的でより優れた掲示版が出来ることを期待しております。

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