Re.(9) 日航123便 墜落事故 真実と真相(その36) ―高濱機長、佐々木副操縦士らが 新規操縦技術(エンジン出力の微調整技術)の開発に成功した要因、理由― :二つの要因、理由 ――

  • 投稿No.1419 元投稿No.1417 さんへの返信
  • 投稿者:管理人[ 管理者 ]
  • 投稿日:2022-03-27 10:00:21

風のたより 様へ

管理人です。

管理人として私の言いたいのは次のような事柄です。

投稿№1278で小田周二様が
「角田四郎、そして「隠された落合証言」の著者:藤田氏らを真実を語ったことで群馬県警本部長が脅迫し、出版差し止めと謝罪を要求し、実行を強要した。 群馬県警は角田、藤田氏に謝罪しましたか。 警察は無実の国民を脅迫し、謝罪させることは違法行為である。」

といった投稿をされました。

これに対して投稿№1294で佐伯さんが
「角田氏、藤田氏のご両名が出版差し止めを求められたという事実は私が調べた限り確認できませんでした。
出版差し止めは、表現の自由に関わるとても重い問題です。もし実際に差し止めがなされたなら、それを命じた判決があるはず。
どなたか、出版差し止めという法的措置の存在を示す根拠を教えてください。」

という疑問符が投げかけられています。

小田周二様からの回答は投稿№1403で
「次は乗客の婚約者であった:「角田四郎氏」であった。彼は 8年間の真摯な調査で画期的な著「疑惑」を出版し、自衛隊の関与を記載した。
 然し群馬県警本部長:河村氏が激怒し出版社、角田氏を「脅迫し、謝罪を求めたと河村氏がその著作で自供している。」

 まず、『疑惑 JAL123便墜落事故』(角田四郎さん著)109~110ページには乗客の婚約者(正確には本人同志の合意だけの婚約者)は角田四郎さん本人ではなく、角田四郎さんの友人のKさんとして記されています。
(友人のKさん)
「この間、角田さんが日航機の話してたでしょ。あれ思い出して電話したんですよ」

(角田四郎さん)
私はキツネにつままれた様な気持ちでK氏の前に座った。そして彼の顔を見たとたんに私は血の気を失った。いつもつき合っているゆったりとした彼ではない。まるで別人の様な友人がそこにいた。そして、弱々しく消え入るように頭を下げながら言った。

(友人のKさん)
「スミマセン、こんな時間に・・・前にお引き合わせした僕の彼女、覚えてますか・・・彼女、日航機に乗ってました。123便に」

(角田四郎さん)
「本当に・・・!でも確認したの、乗客名簿は信用出来ないよ、あれだけでは」

(友人のKさん)
「いいえ、もう彼女の友達もご両親も藤岡へ行かれてますし・・・」

(角田四郎さん)
「そう・・・」

しばらく二人の会話はとぎれてしまった。友人がまたボソボソ話始める。

(友人のKさん)
「彼女、お盆に帰省して僕たちのことを両親に話すっていったんですよ。うまくいったら、僕も関西へ行くことになってたんです」

(角田四郎さん)
「婚約?」

(友人のKさん)
「ええ、うまくゆけば・・・って」

(角田四郎さん)
「そうだったのか」

(友人のKさん)
「そんなにトントン拍子にゆくとは思わなかったんで、18日に関西から戻ったら、話聞くことにしてたんです」

(角田四郎さん)
「ふぅーん・・・」
私の返事は何もなかった。ただ聞いているだけだった。

(友人のKさん)
「実は、僕をあの山へ連れていってもらいませんか・・・」

(角田四郎さん)
「えっ」

(友人のKさん)
「彼女、まだ親に僕の事は全く言っていませんでしたから、こんな時に僕が親に名乗り出るわけにもゆかないし、日航は親族が認めない限り「乗客家族同等」の扱いはしてくれないんです」

(角田四郎さん)
「そういうものなの」

(友人のKさん)
「はい、藤岡に行っても、遺体確認もできないし待合室にも入れない。泊まる所もないそうです。関係者でいっぱいだから」
「こういう時『恋人同士』とか『本人同志の合意だけの婚約者』なんてダメなんです、全然相手にしてもらえません」

次に、出版差し止めの件ですが、元群馬県警本部長の河村一男さんは私が知る限り次の二冊の書物を著されています。
「日航機墜落 123便、捜索の真相」(2004年8月1日発行)
「日航機 遺体収容 123便、事故処理の真相」(2005年8月1日発行)
両書物の中に角田四郎さんに関する記載は見当つけられませんでした。
あえて記すならば、「日航機墜落 123便、捜索の真相」の3~4ページに次のように記されています。
「情報の混乱のなかで特ダネを争うあまり、現場を踏まず、取材が不十分のまま見切り発車したために生まれたものだが、不正確であったり、誇張されたり、完全に誤っている情報までが駆けまわる。
 伝聞の課程で情報が歪んでいう様子がよくわかる。刑事裁判で伝聞証拠の採用に一定の枠をはめている理由もそこにある。
 問題は、それらの誤情報が訂正されないで、いまだにひとり歩きしていることである。さらに、それを孫引きしている例も多い。
 最近では、その部分的な誤りを意図的に強調したり、虚構を加えたりして、事柄をことさらに歪めて作りあげられた出版物すら出てきている。
 甚だしいのになると、自衛隊の標的機が衝突したとか、戦闘機がミサイルで撃墜したという、なんら根拠のない妄説で組み立てられたものすらある。いずれも、あらぬ憶測を逞しくして組み立てられた荒唐無稽の虚構である。なぜ、そのような憶測が成り立つのか、理解に苦しむ。
 好意的に考えても、初期の混乱期に多くみられた誤報を十分な検証なしに採用した結果だろう。取材が思うに任せなかったのだとは思うが、現場に立ち会っておらず、伝聞に頼る物書きの陥りやすい落とし穴であろう。
 危惧されるのは、その虚構を読者に真実であったと思わせていることである。時間の経った今日では十分検証する方法があるのに、それをしないのは、派手な見出しで売らんがための意図すらうかがえて、悲しくなっていまう。
 史実はひとつである。意識的に歪められることがあってはたまらない。」

藤田日出男さんに関する記述は「日航機墜落 123便、捜索の真相」258ページ~260ページ記されていましたので、引用させていただきます。
 「事故調査委員会が認定した事故原因は、「後部圧力隔壁が金属疲労のため破断し、そこから噴出した機内与圧空気の衝撃で垂直尾翼の三分の二相当と胴体最後部補助エンジン部が吹き飛び、操縦系統の油圧パイプ四本全部が破断した結果、飛行性が低下し、主操縦機能を失い、約32分迷走後、墜落に至った」と要約できるだろう。群馬県警の捜査結果も同様の結論である。
 これに対し、航空関係者の一部に「圧力隔壁の破壊はなかった」と異を唱える向きがある。その意見は、事故直後に日航整備関係者のあいだで、尻もち事故後の隔壁修理ミス原因説を否定するためにささやかれはじめたのがはしりのように思っているが、今日、その代表的論者は藤田日出男元日航副操縦士であろう。その論を主張する著作として発表されたものに、『新潮45』(平成12年8月号)のレポートと、新潮社刊『隠された証言』がある。
 この本を一読したときの私の率直な印象は、これだけの勝手読みをすれば、こんな乱暴な結論が出せるのか、それにしても、ひどい論法があるものだ、というものであった。
 まず、元事故調査官の内部告発で、新証拠となる資料コピーを入手できたという。その資料の真偽は別として、内容はこれまで公知の事実より新しいものがないばかりか、触れないところすらあるつまみ食いである。
 報告書が証言内容を直接、掲載しないのは、国際民間航空条約第13付属書の基準を踏まえてのもので、同付属書を厳格に遵守せよと常々主張している著者にしては、矛盾論理であろう。
 「突風を感じなかった。寒さを感じなかった」という生存者証言を強調して、〈急減圧はなかった←→圧力隔壁破壊はなかった〉と、どちらが鶏か卵かはっきりしない論旨も、圧力隔壁破断開口部からの空気流出がなければ考えられない垂直尾翼トルクボックス内の断熱材付着など、明白な証拠〈事故調査報告書掲載写真〉を無視している。
 同著の弱点は、急減圧の定義を定かにすることなく、恣意的に使っていることである。減圧の程度と要する時間を特定しなければ、厳密な議論はできない。
 あの事故以来急減圧という用語は人口に膾炙(かいしゃ)しているが、現役の機長に聞いても、厳密に定義した文献はないという。
 
 急減圧があれば、空気は二倍以上に膨張し、気温も急激に低下するとした文脈からすると、機体天井が吹き飛び、乗務員一人が機外に吸い出されたアロハ航空機の例のような、瞬間減圧とでもいうべき極端な状況を想定して風船の破裂を例にするが、急減圧の起き方は一様ではないはずだ。
 123便事故の場合は、客室そのものではなく、最後尾の隔壁破断であって、甲子園球場の阪神タイガースファンの上げる風船のように、尻からの空気抜けである。しかも軟構造の萎む風船ではなく、むしろ小学生の工作のペットボトルロケットのように、外殻は硬構造で、萎むことはない。しかも客室は今ひとつ内殻で区切られている。
 ジャンボ機のように、楕円長径10メートル近く、与圧部分長60メートル近い巨大な与圧部容積がまったく考慮されていない。与圧部容積と空気露出部面積との相関関係で、短時間ではあるが、減圧状況に差があることを無視している。
 与圧容積が巨大で開口部が小さい場合は、開口部直近では相当な風速となっても、与圧部全体ではゆるやかな流れになる。風呂の湯船に浸かって水栓を抜き、足をその近くにやってみると、よくわかる。足は吸い込まれるほどに感じるのに、上半身はほとんど感じないのと同じである。生存者が突風の流れを感じなくても当然である。
 生存者の証言にある、客室後部天井に穴が開き、白いものがヒラヒラしていたとか、子供が嘔吐したという事実も、ほとんど無視している。
 アクシデント発生後も与圧装置は動いていたし、酸素マスクも下りていたので、与圧を維持するまでには至らなくても、若干の酸素補給もあって、酸欠症状の進行を遅らせたとも思える。それでも、死者の遺書に、「息が苦しくなった」という内容の記載もある。
 結論すれば、この著は、先入観の急減圧がなかった論をなにがなんでも強弁するために、都合のよい情報だけを、十分に検証することなく恣意的に取り上げ、結論づけているのである。
 これでは、黒を白といいくるめるトリックだといわれても、しかたあるまい。
 与圧空気が露出した開口部の位置と面積、与圧部の容積、与圧機能の継続の有無など、総合的な条件の差による減圧状況の多様さを踏まえた議論が必要であろう。

 公開されている生存者証言のなかでもっとも詳しい『新潮45』(昭和61年1月号)の手記には、次のようにある。
◆「パーン」というかなり大きな音がした。
◆耳は、痛くなるほどでなく、ツンと詰まった感じであった。
◆酸素マスクが自動的に落ちてきた。
◆音と同時に白い霧のようなものが出た。かなり濃くて前のほうがうっすらとしか見えないほどであった。匂いはなかった。
◆霧のようなものは数秒で消えた。白い霧が流れるような空気の流れは感じなかった。
◆後部トイレの上の横長の壁がほとんど全部外れていた。その向こう側にテントの生地のようなものが、風にあおられるようにひらひらしていた。そこから機外が見えたということはない。
◆もうひとつ、頭上の少し前にある整備用穴のふたつが開いていた。客室乗務員席下のベントホールは見えない位置にあるから、確認できない。
 
 他の生存者の供述も、似たり寄ったりであった。
 これらの事実から相当強い減圧(あえて定義不明確な急減圧とう語は用いないが)があったことだけは確かである。
 その空気露出部は、圧力隔壁破断面以外には考えにくい。その相当大きい穴がその後、塞がったように説明するが、なにがどのようにして塞がることにつながるのか、理解に苦しむ。
 また、減圧実験装置でのデータを引用して、即、急減圧はなかったとしているが、実験装置とジャンボ機の大きな容積差を考えると、減圧状態の段階差が無視されている。ジャンボ機に匹敵するほどの大容量の実験装置を作ることは不可能に近いから計算によるほかないが、研究の余地はあるのだろう。

 藤田論は、コックピットクルー三人が酸素マスクを着用した形跡が認められないこともって、クルー無謬論を前提に、急減圧はなかったとしている。
 私はこの論を肯定しない。ボイスレコーダーに残るクルー三名の会話を子細にみていくと、明らかに酸欠症状の兆候が出ているとしか考えられないところがある。
 当時の日航マニュアルでは、明確に減圧が認められるときにかぎって着用を義務づけていたようで、即反則には当たらないが、ごく最近、外国機の同種事故にかんがみ、減圧が考えられる場合にも義務づける改正を行ったと聞く。十数年もほうっておいた日航の体質が垣間見え、苦々しく思う。
 もし酸素マスクを即時着用していたとすれば、より冷静に対応できていたかもと悔やまれてならない。」

 私が調べてところ『日航機墜落 123便、捜索の真相』で河村一男さんが藤田日出男さんの書物に言及されているところは以上の箇所でした。

 以上の内容が、
 「角田四郎、そして「隠された落合証言」の著者:藤田氏らを真実を語ったことで群馬県警本部長が脅迫し、出版差し止めと謝罪を要求し、実行を強要した」
という内容になっていますでしょうか?
 私には見つけられませんでしたが、引用した箇所以外にそのような趣旨の事(脅迫し、出版差し止めを強要した)が記されている箇所があればどなたでもご指摘ください。
 断っておきますが、私は河村一男さんの意見に同調するものではありません。ただ、犠牲者側なら何を言っても許されるわけではないというのは例えば以上のようなことです。
 一般的にこのような重大な事柄について、事実との相違点があると、ほかの話も思い込みで記されている部分があるのではないかと判断されてしまうものではないでしょうか。

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