「工作人」という言葉で呼ばれる人たち
- 投稿No.1256
- 投稿者:管理人[ 管理者 ]
- 投稿日:2022-02-28 16:49:34
「管理人」です。
「工作人」という言葉が使われるのをこの掲示板で何度か見かけましたが、どうも当掲示板では航空機のメカに詳しい人たちが「工作人」ではないかというレッテルが貼られようとしてきたような感じを受けております。操縦性に付随して語られる飛行機のメカの話が延々と続くことによって結果として議論の内容が一般市民が感心を持つ他の話題に移行していかないので、航空機のメカに詳しい人たちがあの墜落事故からの関心を逸らす目的で「工作人」的な役割を果たしているのではないだろうかという思いに繋がるのだろうと考えます。
管理人としましては本当に工作人的な役割を果たされている人がいるならば、この掲示板への投稿を控えてもらいたいと考えております。
しかしながら、そうでない場合はいろんな意見があるところは偏見を持たずに十分に議論をしてみられたら良いのではないかと考えており、自説が固まっている場合でもどこか間違っている部分があるかもしれないといった自説に対する可塑性がある場合は他人の意見を聞くことよって何か幅が広がる方向に変われるかもしれないと考えてもらえないでしょうか。
そうではなく、自説は述べるが、他人の意見は聞けない、もしくは批判されるのが嫌ということであれば最初から自説を投稿されるべきではないと考えております。
ただ、『御巣鷹山の悲劇』はJAL123便が御巣鷹山に墜落した事故に関しては真相が意図的に隠蔽されているのではないかという疑念のもと、その隠された部分を議論によって見つけだすことによって真相を追求することを目的とするところに掲示板設立の動機があったことは間違いのないところでございます。
ご投稿いただいている人の中には航空機の業界に近い方もいらっしゃるように感じております。その人たちが議論に加わって来られますと当然のことながら飛行機のメカに詳しく、また操縦ということに関心が強いので勢い事故機においては異変発生後の操縦性の問題に焦点を当てた議論が多くなっているように感じているのも正直なところでございます。
一般市民が持つあの墜落事故への関心事は異変発生後の操縦性の問題以外にもたくさんあるのではないかという感じを受けており、そういった事柄も議論の対象としていただきたいと考えるわけでございます。
具体的にいくつか記しておきますと、
★墜落したのと同型機の元パイロットであり、事故調査の専門家でもあった事故当時の事情を知られる藤田日出男さんがその著書『隠された証言』の中で仰られるには、圧力隔壁損壊説は事故四日目のまだCVRやDFDRの解析が行われる前に出された見解であって、その後生存者が語る、急減圧説を否定する証言等が出てきたのにもかかわらず、そのことを無視する形で当初の相模湾上空における圧力隔壁損壊説が強弁されてきたのはどうしてなのか?
★また、事故翌日の新聞等に公表された航跡図について、どうして各新聞社によって航路が異なっていたのか?
★事故直後の8月13日~8月14日にかけては公表された航跡図には大月上空で360度の右旋回図の記載はなかったが、8月15日の新聞から360度の旋回図が記されるようになった。8月14日の時点ではまだDFDRの解析が行われていないはずなのにどうして8月15日の新聞から大月上空での360度ループ飛行経路図が加わったのか?
★落合証言による次の証言をされている位置はどこであったのか?
「そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。」
★落合証言で次のように記されているのはどの地点での出来事なのか? 「またものすごい揺れ」を起こした原因は何だったのか? 更に、墜落の要因を問題にするとき、相模湾上空で起きた異変ではなくてむしろこの地点で起きた異変の方こそ問題にすべきではないのか?
「安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺さぶられるのを感じました。船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。」
・・・そして、すぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。
★墜落後なぜ長時間に渡って墜落現場が「御座山」だとされて結果的にその場所に釘付けにされることになったのか?
★なぜ墜落時にキノコ雲が目撃されているのか?また、キノコ雲が上がった地点と墜落現場がイコールではなく距離があるのはどうしてなのか?
『鎮魂JAL123便』(池田昌昭著)20ページ
川上村秋山地区の上の方の今ここに立っているレタス畑に午後7時前に来たときだった。埼玉との県境の南東の甲武信ヶ岳の方から窓が見えるくらいの大きさの飛行機がクーッとそこまで降りてきた。
そしてこの下にある川上村第二小学校の上辺りでギュッーと上へ上がって行った。ここまで来たがこんなレタス畑に降りられないと思い、上がって行った感じだった。フラフラはしていなくスムーズに安定していて川上村秋山地区の方に降りて来た。川上村上空でスーッと高度をグーッと下げ、旅客機とはっきり分かる大きさだった。垂直尾翼があったとか、なかったとかの記憶はない。
川上村第二小学校の上で右旋回し、ギューッと高度700~800メートルへと機首をグッと持ち上げ、噴射の馬力でなんとか上昇していった。川上村から見て北東の三国山の後の入道雲が出ていた辺りで、ガックリまっすぐに墜ちて行った。
墜ちた場所と原爆のようなキノコ雲が上がった場所は違う。こっちから見て墜落場所の右の方から上がったので、墜落場所とキノコ雲が上がった場所とは少し距離がある。ピカッと光りキノコ雲が出て垂直に墜ちていった上空地点と最終的に墜落した地点は、距離的に300~500メートル離れている。
★なぜ墜落現場において遺体が二ヘクタールもの広範囲に散らばったのか?
「雪解けの尾根」(池田知加恵)132ページ
「遺体は二ヘクタールの広範囲な尾根に四散した。」
★ご主人を亡くされた遺族のお一人が次の事柄を強く要請されているらしい。
「現在公開されているボイスレコーダーは途切れ途切れの18分間ぐらいのもので誰が考えても不完全のものでしかない。どうしても32分間分収録されたオリジナルの生のボイスレコーダーを聞かせてもらいたい」
日航側の、規則によって公開できないと言う理屈はわかるが、海外では例外的にオリジナルのボイスレコーダーが公開された墜落事故の場合もあると聞く。そうすることによってたくさんの疑惑が解消するはずだが、どうして日航側はその要請に答えてあげられないのか?