司法判断と国民感情のギャップ

  • 投稿No.2939
  • 投稿者:管理人[ 管理者 ]
  • 投稿日:2023-08-11 21:29:27

昨今、文春が報じている木原事件の本質とは次のようなものであるらしいです。

2006年4月に起きた木原官房副長官の奥様の元夫に変死事件に関して、警察庁長官は「自殺だ、事件性はない」という声明を出されました。

確たる物的証拠が無い場合、疑わしきは罰せずの精神で司法判断としては事件性はなかったという判断がなされたというのです。

ところが事件当時の捜査官は「自殺であるとは考えられない、他殺事件だと考えられる」と主張されるのです。

当時の捜査官はどうして「自殺であるとは考えられない」と語っておられるのでしょうか。

死因は右の首のあたりから入り、斜め下方向に肺まで達する一突きの刺し傷であり、血しぶきが天井まで達していた。

この事象に関して当時の捜査官は語られます。

「自らナイフを持って右の首あたりから肺にまで達する致命傷となる一突きの刺し傷を負わせるのは不可能に近い。」

更に、血しぶきは実はナイフを刺したときには生じず、血しぶきはナイフを抜いたときに傷口から噴出するものだというのです。

もしも、自殺であったとすれば、肺にまで達した致命傷となる刺し傷を負わせたナイフを自分の力で抜き取ることは極めて困難だというのです。

この刺し傷はどのようにして出来たのでしょうか? 

おそらくは椅子に座っている犠牲者の背後から右利きの第三者(犯人)が右手に持ったナイフで一突きで負わせたものと考えるのが自然だというのです。

政治家である木原副官房長官は「疑わしきは罰せず」という司法判断だけでは実際のところはグレーだという見方になるので、グレーのままでは国民の信頼のもと、政府の中枢で重要な役割を果たしていくのは難しいと考えられるので、この際積極的に会見を開いて真相を明らかにし、グレーから真っ白にしておかれるのが賢明ではないかという国民感情としての声が密かにささやかれているようです。

話は変わりますが、早いもので明日でJAL123便墜落事故は事故から丸38年が経過することとなりました。

無念の死を遂げられた犠牲者の皆様には追悼の意を捧げたいと思います。

JAL123便墜落事故は事故直後から単なる墜落事故だと考えると不自然な現象があると言われ続けてきました。

『疑惑』の著者角田四郎さんは事故後8年間に渡る独自の調査の結果、結論として次のように記されています。

「日航123便墜落事故」は、言われているように単なる「事故」ではない。明らかに「事件」と呼ばれるべきものを内包している。 そして、そこには必ず犯人が潜んでいる。」

また、『墜落遺体』を著された飯塚訓さんは、単なる墜落事故では起こりえないような悲惨な離断遺体の状態を記されました。
それらの遺体を他の墜落事故で亡くなられた遺体と比較してみると、JAL123便の場合は遺体損傷の度合いにおいて次元の異なるものを感じてしまいます。(JAL123便は高高度から垂直落下して地面にぶつかったわけではなかったのです)

それではどのようにして悲惨な離断遺体が生じてしまったのでしょうか?

『鎮魂』の著者池田昌昭さんによる現地取材の目撃談には単なる墜落事故ではなかったと考えざるを得ない要素が含まれているのではないでしょうか。

(長野県川上村秋山地区の男性住民 墜落現場は目撃者から北西方向へ直線距離で7キロの地点)

川上村秋山地区の上の方の今ここに立っているレタス畑に午後7時前に来たときだった。埼玉との県境の南東の甲武信ヶ岳の方から窓が見えるくらいの大きさの飛行機がクーッとそこまで降りてきた。

 そしてこの下にある川上村第二小学校の上辺りでギュッーと上へ上がって行った。ここまで来たがこんなレタス畑に降りられないと思い、上がって行った感じだった。フラフラはしていなくスムーズに安定していて川上村秋山地区の方に降りて来た。川上村上空でスーッと高度をグーッと下げ、旅客機とはっきり分かる大きさだった。垂直尾翼があったとか、なかったとかの記憶はない。

 川上村第二小学校の上で右旋回し、ギューッと高度700~800メートルへと機首をグッと持ち上げ、噴射の馬力でなんとか上昇していった。川上村から見て北東の三国山の後の入道雲が出ていた辺りで、ガックリまっすぐに墜ちて行った。

 墜ちた場所と原爆のようなキノコ雲が上がった場所は違う。こっちから見て墜落場所の右の方から上がったので、墜落場所とキノコ雲が上がった場所とは少し距離がある。ピカッと光りキノコ雲が出て垂直に墜ちていった上空地点と最終的に墜落した地点は、距離的に300~500メートル離れている。