掲示板の今後の運営方針について

  • 投稿No.2459
  • 投稿者:管理人[ 管理者 ]
  • 投稿日:2023-01-03 17:35:10

掲示板をご利用の皆様、あけましておめでとうございます。
さっそくですが、今回は今後の運営方針について記します。

「掲示板設立の趣旨」の最後の方で次のように記しました。
「あの日、御巣鷹山で起きてしまった悲劇はもう取り返しが付かない。事故原因が何であれ、犠牲者はもう帰って来ない。確かにそのことは本当にその通りなのだが、事故原因がはっきりしていて、それが誰にも予期出来ない圧力隔壁の損壊へと繋がったというのが真相であったのなら無念だが仕方がないことなのかもしれない。
ところが、「最終報告書」に記されてある事故原因が腑に落ちないとなると、腑に落ちるまで釈然としない思いが残ってしまうものだ。
事故から長い年月が経過し、事故当時の現役世代が次々に引退され、又は帰らぬ人となり、リアルに今この時を生きる人々の意識の中から忘れ去られ風化しようとしている昨今、「事故原因」にはどうにも心にひっかかるものがあると思いながら、議論することもないまま今日まで過ぎてしまった、といった人たちも多いのではないかと思われる。そのような人たちにご登場いただき、ざっくばらんな投稿が重ねられ、議論が深まることを期待して掲示板設立の趣旨としたい。」

掲示板設立以来いろんな方に登場いただきましたが、残念なことに昨今は事故原因が腑に落ちないという視点から投稿される方の数が減ってきたのではないかと感じております。

1985年8月12日の事故発生から8年後に角田四郎さんによって『疑惑 123便墜落事故』という書物が発刊されました。

その書物は著者ご自身が独自の調査を8年間継続された上での著作でありましたが、書物の「あとがき」には次のように記されています。

 「1985年8月、私がこの事故と係わりを持ったのは「事故機の目撃」という偶然に過ぎなかった。友人Kが私に「山行き」の同行を依頼してきたのも、その「山行き」の道中で上野村消防団員の話を聞けたのも、全てが偶然でしかなかった。
 この「偶然」知り得た情報と現実に報道されていた情報の内容には大きな隔たりがあり、それが私の中で疑問、疑惑へと発展したのである。」

 そして著者自らが立てられた仮説を書物にされたのが『疑惑 JAL123便墜落事故』だったのですが、その書物の中で次のような趣旨のことが記されています。

 「私の仮説にも多くの間違いがあるはずだ。しかし、【日航123便墜落事故】は、言われているような単なる事故ではなく、明らかに事件性を内包している。」

 『疑惑 JAL123便墜落事故』を一読し、著者の角田四郎さんがご指摘になられる「事件性を内包している」というところに共感を覚えたのが当初のきっかけでこの掲示板を立ち上げたのですが、どうやら一般人にはわかりにくいマニアックな航空談話を延々と展開されたり、事件性があったという声を頭から封じてしまおうと、場合によっては人格攻撃までして圧力を掛ける人たち、そういった人たちが気軽で率直な投稿がしにくい雰囲気を醸成しているのではないかと考えざるを得ません。

 掲示板設立当初は、事件性があったという考えの持ち主だけが語りあう掲示板になってしまっては、ぬるま湯に浸かる仲良しグループのサロン的なものになってしまうと考えていろんな立場の方の投稿をすべて受け入れてきたのですが、上のような理由で今後はマニアックな航空談話を展開される人たちや、大筋、事故調査報告書に記載されている通りで事件性はなかったと考えている人たちによる投稿は、事故原因に疑問を持ち続けてきた一般の人たちによる気軽な投稿を押さえ込んでいる一面があるのではないかという観点からしばらくは投稿を控えていだきたいと考えております。

 繰り返しになりますが、ご遺族様も含めて「事故原因」にはどうにも心にひっかかるものがあると思いながら、議論することもないまま今日まで過ぎてしまった、といった人たちにこそ、その思いをこの掲示板で語っていただきたいと願っています。