Re.(10) DFDR解析による航跡

  • 投稿No.2320 元投稿No.2317 文系ちゃんさんへの返信
  • 投稿者:文系ちゃん
  • 投稿日:2022-10-31 17:31:22

鷹富士さまへ

>D,日原に落下物はありません。目撃情報1件と写真撮影1件です。

投稿No.2315にそのようにありましたので、では付図-22の●は何ですか との問いかけでございました。
日原に落下物はない に関するコメントを頂けますでしょうか?
なお、当方には付図-12における●の鍾乳洞入口を落下物位置だとの誤認識はありません。

一応ですが、あざの一原が具体的にどこなのかは地図で確認することはできませんでしたが、バス停としては一原というのがあり、その周辺ではないかとすれば鍾乳洞から見れば東側であろうと推測します。

>A,報道初期は情報が輻輳していた時期で、私は考慮に値しないと思いますが、文系さんがそれに拘ることを止めるつもりはありません。

事故当日から翌朝あたり、テレビおよび新聞で航跡図が報道されましたが、情報の出どころとしては、羽田か所沢か といったところが妥当と言いますか、他からはまず出ないであろうと考えますと、情報の輻輳というのもそうは起こらないように思いますし、それらのいずれから出されたものであっても酷似したものとなるはずだったでしょうから、最初期であればあるほど正しいとは申しませんが、重視するに値するものと捉えております。

>H,河津駅から水平距離が近すぎるのは成立しません。

単純な音の到達だけの話ですと、異常発生が高度7200mであれば、6kmほど離れていれば音の方が約1秒早着で、音を聞いて即見上げれば視認は可能ではないかと考えました。仮に高度が4000mであったならばその距離は3.5kmでも間に合うでしょう。
異常発生後に高度を下げていたのであれば、その分水平距離はより近くなっても通り過ぎる前に見ることはできそうに思いますので、一応は近距離での異常発生も可能性としては残しておこうと思っております。

>I,どの範囲の人が聞いたのか、確認しないと情報としては不完全です。例えば、伊東市や熱海市まで広がるのか、河津町に限定されるのか?

記事を読んでの感覚にはなりますが、河津町の住人という内容で書かれたものであるように推測します。

あとは日原付近での航跡についてですが、報告書の付図-12は事故調によるDFDR解析による航跡、付録P206の2万5千分の一の図はレーダー航跡航跡であり、一致しないというのは止むを得ないと言いますか、寧ろ当然のことであるように思います。
ただ、日原においてはレーダー航跡の方が本仁田山の通過位置が写真撮影時の状況と合致しているようで、寧ろ付図-12の方がズレが大きいように感じます。
鷹富士さまのDFDR航跡との比較においてもP206のレーダー航跡の方が近く、推定2kmほどの違いではないかと思います。
レーダーの精度がどうなのか といった問題があるのでしょうが、その箇所ではですが2km程度であれば結構悪くはないように思いますし、事故調の経路略図程度の縮尺であれば誤差の範疇でしょう。

不思議に思いますのは鷹富士さまのDFDR航跡と事故調経路略図の46分のところまでを重ねた際、ズレが目立つ区間がある反面、要所々々では(日原もですが)ピンポイントでほぼ合致しているというところです。
また、航跡のフォルムも部分部分では似すぎていると言ってよいほどにそっくりになっているというのも腑に落ちないところです。

そうであるのに、大月旋回の箇所に限っては線形が全く異なり、何か不自然さを感じずにはいられません。

> > 報道初期に出されていたレーダー航跡のほうが真相に近く、後に出される報告書のものは何かしらの意図あって西方向にずらされた可能性があるように考えております。

> A,報道初期は情報が輻輳していた時期で、私は考慮に値しないと思いますが、文系さんがそれに拘ることを止めるつもりはありません。

> > その手法につきましてはあれこれ考えている途中という事になりますが、そのうちの一つとしては静岡→五日市あたりで切り取り西にシフトさせその間を繋ぐ というのもあるように思います。

> B,それはありえません。

> > 先に静岡手前で右に回転させる場合の図も貼っておりましたが、それも手法の一つとしてあるのではないか との考察によるものです。

> C,「静岡手前で右に回転させる」は、具体的な根拠はなく、あなた自身の仮説であるとわかりました。

> > 逆にですが、●が鍾乳洞の入り口であると判断できます記載はありますでしょうか?

> D,「入り口」と書いたのは私の独断で、正確には「国土地理院地形図に日原鍾乳洞と記されている地点」です。他の分県地図などには、国土地理院地形図の位置よりはるか北に「日原鍾乳洞」のマークがあるので、それと区別するために「入り口」という表現を使っていました。より正確には「「国土地理院地形図に記載の日原鍾乳洞」と呼んだほうがよいでしょうが、長すぎるので。 私は、位置の特定には極力「国土地理院地形図」を確認しますが、事故調の図もまた、当時の「国土地理院地形図」を基にしています。

> > 附図22の(1)●の位置は、正確な住所(座標)は不明ですので大体あのあたりであると捉えるしかないように考えていますが、字一原となりますと鍾乳洞より東側である可能性もあるように思います。元の図縮尺からしますと、目安の位置 の域を出ないものではあるでしょう。

> E,事故調報告書「本文」ページ158の「付図-22」の落下物の●印と、「別冊」ページ129にある鍾乳洞の●印とは無関係です。「別冊」ページ129にある鍾乳洞の●印は、先にも書きましたように、「国土地理院地形図に記載の日原鍾乳洞」の位置です。

> > 「別冊」ページ129の「付図-12」ですが、飛行経路略図や「別冊」のページ206のレーダー航跡とはやや不一致となっておりますが、本仁田山との位置関係からすれば、付図12の方が南方向にズレてしまっているように思えます。
> > (付図12以外の2つの航跡は鍾乳洞の北を通過)

> F,「別冊」ページ129の「付図-12」は、事故調がDFDRに基づいて計算した図で、その補正条件は「別冊」ページ109の冒頭に記しています。
> 「経路略図」の相模湖北方以降は、これを基にしたはずですが、正しく写したかどうかは不明です。
> 「別冊」のページ206のレーダー航跡とも合致していないことは、当初から私が指摘してきたとおりです。
> こういう矛盾を放置したまま、報告書が作られている、ということです。

> > 三、目撃談ですと静岡での目撃談、当日の報道となりますと、TVニュースでOAされた航跡図となります。これには大月での360度超の旋回の記載はありません。

> G,静岡の目撃談とは、角田著に紹介された以外に、他にもあるのでしょうか?
> 当日の報道は、情報が輻輳し不正確なものが多く、私は評価に値しないと思います。あなたが、それに拘ることを止めはしませんが。

> > 五、投稿No.2309の<実航路推定 2> をご参照下さい。飽くまで考察一例として描いた航跡の一つです。

> H,河津駅から水平距離が近すぎるのは成立しません。音が聞こえて見上げた時点で事故機は頭上を過ぎて北西の方へ飛び去っています。音速と事故機の飛行速度から計算すると、異常発生点は河津駅から水平距離で15km以上ないと、目撃情報に合いません。

> > 六、自分が見ましたのは地方紙夕刊になりますが、相模湾上空の音が録音されていて、その解析結果に関する記事の冒頭に 『~伊豆半島上空を通過した際、多くの住人が「ボーン」という大音響を聞いたが、~』 とありましたので、あのように記載しました。

> I,どの範囲の人が聞いたのか、確認しないと情報としては不完全です。例えば、伊東市や熱海市まで広がるのか、河津町に限定されるのか?

> J,No.2315のD項で説明した、日原付近の経路について補足します。

> 次の3点の図を基にして考察を進めます。

> 1、事故調報告書「本文」ページ81に、「DFDRによる推定飛行経路・・・・・・18時46分ごろからDFDRの記録の最後(18時56分27秒)までの間は主としてDFDRの解読結果より推定を行い・・・・」という説明があるので、事故調の「飛行経路略図」は脇へ置き、事故調報告書「別冊」ページ129の「付図ー12」の経路図を参照。
> 2、事故調報告書「別冊」ページ206の「付図ー6-2」で、日原で撮影された写真の解析結果が載せられているので、これを参照。
> 3、「別冊」ページ206の「付図ー6-2」に使われた地図は、37年前当時の国土地理院25000分の1の地形図なので、最近の国土地理院25000分の1の地形図を参照。

> 「別冊」ページ204に、撮影地点から事故機までの距離を4.1kmと算定しているが、これは正しいものと考えます。
> しかし、ページ206で、撮影位置から事故機を見た仰角を45度として、事故機の高度を2.9kmとしているのは誤りです。
> 国土地理院地形図によれば、撮影地点の海抜高度は620mです。DFDRの中のALTによれば、日原付近を通る時の高さは約8000ft(2400m)ですから、撮影地点からは1780mの高さを事故機は飛んでいたことを示しています。これから計算すると、仰角は25.7度になります。

> 「別冊」ページ204で、模型を使って解析した結果、事故機が水平飛行をしていたと仮定した場合の仰角は41度と記載されています。41-25.7=15.3で、撮影された時点で事故機は15度余右へ傾いていたと推定されます。
> DFDRの中のRLLを見ると、50分2秒前後に-23度のピークを記録していて、これが撮影時刻に近いと推定されます。

> また、「別冊」ページ206では、撮影方向を真北から時計回りに72度(東北東)としていますが、疑わしい。時計回りに45度(東北)の可能性がある。

> そうすると、撮影地点からの水平距離は、4.1×cos25.7度≒3.7km、撮影時刻はDFDRの50分05秒となります。

> 以上を整理した結果を、DFDRに基づき算定した経路のうち日原付近を拡大した図に記し、イメピクの下記アドレスにアップロードしました。

> http://imepic.jp/20221030/625540