Re.(16) 違和感
- 投稿No.2453 元投稿No.2451 adminさんへの返信
- 投稿者:文系ちゃん
- 投稿日:2023-01-02 18:14:55
adminさまへ
「高度が低かった」といいますのは、目撃されたお二方の主観的なもので、いつも見ていた飛行機の様子と比べて高度が低いと感じた旨を指すつもりで書きました。自分が「123便がデータにある高度より低い高さを飛んでいたものと判断した」という訳ではありません。誤解を生む表現をしてしまい申し訳ありません。
飛行機の見え方に関しましては、adminさまの書かれている通りでしょうが、そうしますと重要なのが目撃者と飛行機との距離 ということになります。
さしあたり事故調の航跡を示す図と、鷹富士さまのDFDR解析による航跡とがあり、その2者では誤差では片づけられない誤差があります。よく見る経路略図であれば精度について 略図だから という見方もできますが、異常発生点を示す図の縮尺からすればその言い訳は難しいでしょう。
双方で検証より先にどちらが正しいかが判断できれば一方のみの確認で済み、合理的なように思います。そこで仮にも鷹富士さまの作成された航跡の方が正確ともなれば、航跡図の再作成はされるべきではないかとの考えに至りそうです。
疑問が生じれば精査 というのは行って当然ではありますが、さきに cooyou.org さまが再調査依頼をされた顛末の結果をみますと、精査自体ICAOか、それに準ずるような機関が行わなければ結果として実を結ぶことはないようにも危惧しております。
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ワタナベケンタロウ動画98 ではさらっと流してしまっていましたが、9800ftまでの降下の報告というのは、事実であればものすごく重要なことでしょう。操縦不能で降下はままならない とされていたはずなのに実際は違っていたのでは?そうした位置はどこだったのか?
そしてもう一点 管制官からの「JAL123便 現在位置を報告せよ」の声
レーダー画面を見れば聞くまでもなく位置は把握できるのになぜそのような質問をしたのか?そしてそのような問いかけがあったのであればなぜ報告書に記載されていないのか?
この二つ 真相に大きく影響するように思えてなりません。
> > 特に苦言的なようなものがないのでしたら、「高度は低かった」ということで宜しいんじゃないでしょうか?
> →「具体的な高度の明言がなく、かつ話の内容を”貴殿の価値観で”検証なく低かったと結論づけている」貴殿への苦言であると述べているのだが、伝わっていないようで残念だ。
> →高度が低かったとする論理には、そもそもの目撃証言の「いつも」の定義が文系ちゃん様個人の憶測で左右され、確認も検証もせずに「そうだろう」というだけで「低かったでいいんじゃないですか」というのは、目撃証言者の真意でもない以上看過できない。
> →よって、「低かった」とする結論については、かかる検証不足から当該高度はDFDR準拠としても差し支えないことになり、普段見慣れている航空機の、高度も行先も針路も不明な状態で、経験則だと安易に推察して「低かった」とまとめようとするのは、恣意的であるといえる。
> →これを客観的に「低かった」とするには、両氏への聴き取りにより「機体番号が見えるほどに低かった」「3センチ程度の大きさだった」などの具体的情報が必要であり、これを行っていないのであれば、容易に判断できるものではないため、「高度不明の目撃証言」が現時点では妥当だと考えるがいかがだろうか。
> →数学的な話をすると、静止した人間Aから、離れた位置にある静止した正方形Sを見たときと、A-S間の2倍の位置においた正方形Qが同じ大きさに見えるためには、QはSの4倍の面積になる。即ち、距離が倍離れれば、大きさは1/4程度に見えるのだが、逆であれば4倍の大きさに見えるということになる。
> →仮に、いつも高度40000ftの機体を目にしていたとして、24000ftの機体は、ほぼ4倍の大きさに見えるのだが、前者が見かけ一センチ程度だったとすれば、四センチに見えるわけで、「大きく見えた」理由が、直ちに地表に対して低く飛んでいた、と結論づけるのは早計であるといえる。
> > 航跡における精度の問題の話ですが、事故調発表の物が唯一の正式な物であり独自解析により描かれた航跡は考察するにあたって取り扱わないとするのが適切 という事であればそうすることも検討しますが・・・ 正直どうすべきか迷うところはありますので、当面は場面によっては両方を使用する方向で考えております。
> →異論はない。むしろ、得られた材料で組み上げた独自解析の飛行経路は、査読の必要があるため両者使用が望ましいと考える。
> > 私としましては、報告書には正しい部分とそうでない部分が混在しているのではなかろうか と考えております。
> > 新聞記事につきましては一般的な新聞であれば記事として掲載されていればソースとして扱えるものと考えており、それが正しいことの確認を行って後でないと証拠能力がないとの認識はありません。記事に異議を唱えるのであればそれを行う側がすべきものだとも捉えております。
> →無論だが、それはあくまで「新聞記事単体が争点になる場合」であって、既に周知されている事象と対立するものとして、提示された新聞記事は、反対意見の書証に該当すると考えるのが一般的であり、その証拠能力は、反対意見引用側に立証責任があることは言うまでもない。
> →よもや、「この新聞にはこう書いてあるからこの報告書は間違っている」とする側が、「新聞に証拠能力があるかないかは知らん」とは言えまい。
> > さて、目撃証言を洗い直す目的 となりますと、これまで度々触れてきましたが、元は一つの事象ゆえそこに収束するであろうとの考えがあるから ということになります。両立しないのであれば、どちらかは嘘ではなかろうかと考えるのは極自然なことだと思います。
> > 新聞記事を精査しない理由 となりますと、先に述べました通りの部分のところもありますし、元々の記録されたままのCVR、DFDR記録が公開されさえすれば真相のすべてがそこにあり、わざわざ新聞記事を精査するには及ばない との考えをしているからというところもあります。
> →その論理で行けば、CVR、DFDR記録の生データの公開がない現状、疑義を補完しうる資料が新聞記事にしかないのであれば、その信憑性を精査する他ない、という逆説も成立するのだが。