Re.(11) 大月雑感

  • 投稿No.1293 元投稿No.1292 文系ちゃんさんへの返信
  • 投稿者:管理人[ 管理者 ]
  • 投稿日:2022-03-07 12:46:23

> 角田氏のキャンプ場での目撃時の123便の飛行高度をどう見積もるかが一つの鍵となりそうに思います。
> 角田氏は飛ぶ飛行機に対し、乗客から見えるだろうと手を振った とありましたでしょうか?そうだとしてそれがどの位の高さなのか 1000mくらいまでなら普通に理解できますが、それ以上となるとどうか。
> 彼の立っていた所の標高自体が400mくらい、大月周辺の山がざっくり1300m程度、富士山通過時の高度が推定3000m以上、兎も角緊急降下したいという状態、小松便機長が123便をより高い位置に見始めた事 これら総合的に考えてどうなるのか。

> 勿論大月旋回時も白銀山と同じ理屈で高度次第ではレーダー画面から輝点すら消え得る可能性はあります。しかしながら操縦困難機(要検証)がそうなる高度で大月旋回したとは自分は想像できません。山への衝突回避で高度とれ なりの指示や行動がないのは不自然だと思います。

> 707ですとか他の機体の話も書き込みには出ていたようですが、そういった別の機体の存在はともかく、私としましては角田氏の123便目撃談に対しては一旦疑問符を付け、もっと詳細に検証してから判断すべきかと思います。

> 別の話にはなりますが、大月旋回時のスロットル操作を見ますと、一辺12km程の逆三角形の旋回ではなく、2分程でくるりと一周する円に近い航跡での旋回になるのならまだ想像の範囲に収まるのですが、そうなっていないのに違和感を覚えます。風の影響なのかもしれませんが、全てをそこに求めるのは無理があるように思います。
> この事もあり、私としましては大月旋回は実際していなかった可能性があるのではないかの目線で見ております。

文系ちゃん 様へ

管理人です。

了解でございます。大月上空の件に関しましては文系ちゃん様独自の考察を続けていただければ結構かと思います。考察を続けられる中で新しい発見があればぜひともお知らせください。

ただ、大月の件でコメントですが、発表された航跡図がレーダーが捉えたものではなく、またDFDRの解析結果でもないとするならば目撃情報等を参照したものであったことになり、逆三角形の航跡図そのものがアバウトなものになるのではないかと考えるのと、角田四郎さんが目撃された民間旅客機が何だったのかという問題が残るのではないかと考えます。

角田四郎さんによる目撃談を確認いただくために下に記しておきます。

 この事故が発生した1985年8月12日、私は山梨県大月市と神奈川県相模湖の中間に位置する国鉄(現JR)中央線梁川駅にほど近い、とある都内のスーパーマーケット会社保有の私設キャンプ場にいた。当時、私が在住していた東京・港区六本木の町内会活動のいっかんで、子供達のサマーキャンプに参加してのことである。私には少々山歩きの経験があることに子供会の役員が目をつけ請われての参加であった。むろん私の娘も参加していたので引き受けたわけである。

 12日は日程4日目であった。この日は私の指導で近くの倉岳山(990メートル)へハイキングに出かけた。夏の陽がジリジリ照りつける暑い日であった。どうにか全員無事に全行程を歩きぬいて桂川河川敷に近いキャンプ場にたどり着いたのが午後3時過ぎ。4時頃、突然、空が真っ暗になり、バケツの水をひっくり返した様な大ツブの雨がたたきつけ、カミナリが近くで鳴り響いた。約1時間話し声もかき消さんばかりの雷雨が続き、降り始めと同じように突然やんだ。

 雨が上がった空は一変して、澄み切った青空が広がり涼風を運んできた。夕食を少しでも早く取り、子供が楽しみにしていたキャンプ・ファイアーを可能な限り実行してやろうということになり、雨の中で私が中心となって夕食作りを始めた。その最中キャンプ・ファイアーもやることを決定。準備があるので、開始を40分遅らせて、7時40分とした。すでに6時をまわっていた。休む間もない。大人達の食事をいっきに作り上げたとき、私の身体は服のまま泳いだように全身汗みどろとなっていた。さし出されたジュースをのみほして時計を見ると、6時40分近く、間に合った・・・という安堵と充実感で、その時の時計の針を今もハッキリ憶えている。

 自分は夕食を即座に口にする気持ちにはなれなかった。着替えも必要である。私はとりあえず涼を求めて、桂川の河辺にある高台に歩を進めた。そして大きく手を広げて天を仰いだその時、私の目に場違いと思える大きな飛行機の機影が飛び込んできた。ほぼ南を向いて立っていた私の左手に、北から南へ向かって、少し右に傾いた民間航空機であった。民間機と瞬時に思ったのは、窓が一列にたくさん見えたからである。見ていると、すぐに水平飛行に戻り、ゆっくりと南下して行く。

 「あれ、ちょっと変わった飛行機だなァ」と考えたことを憶えているが、尾翼があるとかないとか、堕ちるのでは、などとはみじんも思っていなかった。「どこへ行くんだろう、こんな所を飛んで・・・この辺に飛行場もないし・・・」と思ったが、次の瞬間、
「あ、横田や厚木の米軍基地が近いんだ」と思い、その後は米軍のチャーター機と決めつけて見ていた。

 大きな飛行機という印象も、やたら窓がはっきり見えていたからである。高度もそれゆえに低く感じたし、速度も実にゆっくりに見えていた。ただ足元の桂川のせせらぎのせいで、全く音はなかった。その機の窓を見ていた私は年がいもなく、「あれぐらい低いと、乗っている人もこっちを見ているかもしれないな」と思い、上げた手を機に向かって振ってみたりした。やがて飛行機はふたたび右に少し傾きながら、我々が昼間登ったばかりの倉岳山の東側を南西に向けて山影に消えた。

 私はまた風にあたりながら足腰の屈伸運動や深呼吸をした。目の前の川向こうの山が夕日に映えていた。そのとき、飛び去ったと思った飛行機がその山の右へひょっこり顔を出した。今度は西に向かっている。さっきよりは距離があって小さく見えるが、あまり上昇していないと感じた。今度はすぐに次の山影にかくれて見えなくなった。

 私は「あの飛行機やっぱりちょっとおかしいな」とだけ感じた。それは米軍基地は東の方角だからであった。「あの高度、速度は、これから着陸する感じだったが」とも思いながら、私は振り返って自分のバンガローに向かった。

 大きな飛行機を見ていたのは6時40分~41分頃から43分~44分の間であった。