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御巣鷹山の悲劇
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日航機の垂直尾翼に標的機(無人標的曳航機)が衝突して、それを破壊したという情報を記す出版物は下記。 A,吉原公一郎著「ジャンボ墜落」(1985年10月発行)P74―80およびP274 「航空自衛隊の無人標的機が垂直尾翼にぶつかった可能性がある。」 B,月刊誌「創」、1988年10月号 P30 「怪文書がマスコミに送りつけられている。・・・・・・・ 1985年8月、FRAM工事終盤であった横須賀海上自衛隊所属のミサイル護衛艦「たかつき」は、8月13日に伊豆大島沖で新装したミサイルの試射実験を行うべく、8月12日夕刻、相模湾を航行していた。その途次、翌13日のミサイル試射の標的となる「無人標的機」の飛行試験を行った。 それ(無人標的機)が上空へ差しかかっていた日航123便の垂直尾翼に衝突し、あの大惨事となった。・・・・・ 第1報を受け取った横須賀海上自衛隊では直ちに隊員がトラックに分乗して事件発生の30分後に基地を出発、とりあえずは、西方、静岡県方面に向かった。」 C,角田四郎著「疑惑」(1993年12月発行)P414 「日航123便、JA8119号機は、相模湾上で試運航中の未納入護衛艦艇の様々なテストのために飛ばされていた自衛隊保有の標的機と接触、垂直尾翼に損傷を受け、風圧またはフラッター現象様の作用が発生し、垂直尾翼は一瞬にして後方へ大きく倒壊した。」 <<未納入護衛艦艇とは「まつゆき」ですが、これには標的機の発射装置は装備されておらず、「まつゆき」自体も8月12日には相模湾にいなかったことが確認されています。>> D,藤田日出男著「隠された証言」(2003年8月発行)P67 「・・・・当時、『自衛隊の飛ばした標的機が誤って123便に衝突した』という風説が流され、週刊誌の紙面を騒がせたりした。・・・・・・・。 一笑にふすことができないのは、確かに12日夜の防衛庁が普通ではなかったことによる。 海幕があわてて走り回り、そうとうな地位にいる者まで、湘南方面に来たと言われる。・・・・・・・・・・」 E,小田周二著「永遠に許されざる者」(2021年7月発行)P39 「・・・航空自衛隊百里基地の稲吉司令官は、戦時中の軍隊で同期だった友人に電話でこう語っている。 『えらいことをした。標的機を民間機に当ててしまった。今、百里基地から偵察機2機を追尾させているところだ』・・・・・」 <<85年当時、百里基地に稲吉という名前の司令官はいませんでした。>> 結局、上記のC、とE、の内容は否定されていますが、A、B、D、については、情報の精度に問題はありますが、否定する情報がみつかりません。 ーーーーーーーーーーーーー 日航機の垂直尾翼が標的機の衝突で破壊されたとする直接の証拠はありませんが、それを示す状況証拠は、生存者証言や機体の損傷やDFDRのデータなど、10件余りあります。 状況証拠とは、標的機の衝突以外にはその原因を合理的に説明できないとするものですが、数多くそろえば確実な証拠と思います。 直接の証拠(物証)は相模湾海底に沈んでいますが、昨年の津村議員による国会での質問への答弁をみても、 国交省と運輸安全委員会が、相模湾海底再調査を行う可能性はありません。 時間をかけて世論の理解の深まりを待つだけです。 この10年余り世間を惑わしてきた一連の著作が昨年度で終焉を迎え、冷静な議論が進むことを期待します。
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